【文化/歴史】出雲国風土記を引用した最古の棟札確認 中世の出雲国に写本の存在示す 島根・波迦神社©2ch.net
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出雲国風土記
引用した最古の棟札確認 写本の存在示す
毎日新聞:2017年5月25日 10時15分
http://mainichi.jp/articles/20170525/k00/00e/040/242000c
島根県出雲市は24日、波迦(はか)神社(出雲市斐川町三絡)で、奈良時代の地誌「出雲国風土記(いずものくにふどき)」を引用した最古の棟札(むなふだ)を確認したと発表した。
棟札の裏に祭神のヤマトタケルが降臨して鎮座したことを漢字で記していた。
出雲国風土記に同様の表現があり、市は「中世の出雲国(県東部)に風土記の写本が存在したことを示す貴重な史料」としている。
市文化財課によると、棟札は建物名や上棟年月日を書いて棟木に打ち付けた板。
発見されたのは縦56.2センチ、幅11.5センチで社殿を造営した1551(天文20)年の棟札という。
市が市歴史文化基本構想をまとめるため、市内の神社を調査した際、波迦神社の棟札25点を調べて判明した。
1604(慶長9)年の棟札にも、ほぼ同様の記載があった。
高橋周・市文化財課専門研究員は「風土記独特の表現を用いており、神主が風土記を閲覧したか所持していたことを示唆している。写本をどう入手したのか今後、研究する必要がある」と話す。
出雲国風土記は733年に完成し、原本は失われた。
年代の明らかな最古の写本は1597年で、江戸時代に多くの写本が作られた。
鎌倉時代に京都で原本か写本を見た人がいることを示す史料はあったが、中世の出雲国に写本が存在したかは分かっていなかった。
出雲国風土記を利用した最古の史料としては、1502年作成の巻物「灰火山社記(はいびやましゃき)」(松江歴史館蔵)がある。
佐藤信・東京大大学院教授(日本古代史)は「棟札の文章は16〜17世紀の出雲で、現地の人々が見られる風土記の写本が存在した可能性を示し、大きな意義がある」とみている。
棟札は31日から6月5日まで、出雲弥生の森博物館(出雲市大津町)で一般公開する。入場無料。 全国の風土記ってさ意図的に焚書さてたんじゃね?
朝廷に献上された文書がここまで完全に無くなるっておかしいよ 朝鮮半島南端部はヤマト民族(倭人)の領土だったんだよ 今風に言うと定礎に江戸時代の地誌を引用したってとこか >>5
現在読まれている日本の古典のほとんどが写本の写本だし、
例えば明治維新の時に公的に作成された膨大な量の地方誌なんかも、
一部が出版に漕ぎ着けただけで、関東大震災で原本は完全に焼失してしまった
書物というのは、よほど多くの人に読まれない限り、いとも簡単に失われてしまう >>5
うん。俺もそう思う。
そして、奇跡的に残された
出雲、播磨、常陸、肥前の各風土記は
実に絶妙なピースとして残ったのも、
これを守らんとする意思が感じられる。 古代出雲地方(前投馬国)は伽耶地方からの植民が流入してたが、
当時「韓国」なる国は微塵も存在してなかったw 全風土記発見しろや。
今五つぐらいしかないんだろ。 ハローページとかも未来ではこんな扱いになるんだろうか >>15
フィギュアとか2000年後に
「古代の仏像が時代とともに変化し、主に女神が祀られるようになった」
とか解釈されたりしてな。 われわれにとって風土記ははるかな過去の記録だから珍しがってるだけ
郷土史の本だってこうなる ジャンプだって何百万部も売られたのにほとんど残ってない >>13
>古代出雲地方(前投馬国)は伽耶地方からの植民が流入してたが、
これは具体的にどういった史料によって確認されているんだろうか? 風土記って現地に住んでる連中からしたらくだらん情報だろ
物語形式のものは残ってることが多いから面白い本ほど残る
ドンキホーテは残ったけど同時代の騎士道物の本は逸失した 日本には文字がなく非文明的な野蛮な後進国だった
中国から漢字や文明や国家制度を教えてもらったんだよね 読んでつまらん本が絶版になって手に入らなくなっただけやろ >>23
国家の形態は違うくない?
ムラがクニになっただけだし >>21
古代人が語り掛けて来るw
伽耶の豪族が伽耶に居ることが出来なくなって海に逃げ出したw
漂流しているうちに東南の方角に大きな山を見付けたw
その山を目指して近くの河口の浜へと漂着したw
その山は火の神岳と名付けられ、その川は火の川と呼ばれたw
漂着民は浜辺近くの丘に定住し村を作ったw
その村は現在、妻木晩田と呼ばれているw
そして、その山は伯耆大山と、その川は日野川とw
妻木晩田に定住し、雲伯に拡がった豪族から
後にフトニと呼ばれる王が出るのだったw >>23
これが劣等民族先祖代々のお家芸の事大かw 風土記=先住日本人の記録
古事記・日本書紀=渡来人(現天皇家)による捏造の記録
この認識でいいのけ? >>28
悪くはないw
>>26
因みに、フトニの娘の一人がヒミコであるw >>23
それにしては日本人じゃないと意味がわからない漢字が結構ある。
例えば開くという漢字は、門を開くと鳥居が見えるという意味だが、日本人しか意味分からない。 >>6
日本語が出来たのは半島南部だったという説もあるようだ。
これが正しいとすれば、半島南部と日本列島の関係は、
イギリスとアメリカみたいなもんだな。
そのうち、半島南部が徐々に、異民族の百済に統治され(=倭人が多かった)、
新羅には追いやられ?、最終的に半島の倭人国家は消滅した。 山という字も三柱の神という意味だがこれも日本人じゃないと意味分からない >>30
開 字源
会意。「閂」(かんぬきのかかった門)を「廾」(両手をそえ)てひらく様。または。「門」+「开」(原字は幷・并で平等に並ぶの意)で左右同様にひらくの意。 >>23
大陸に文化を伝えたのは日本な
天孫族が筑紫の高千穂に舞い降りた3000年前は
大陸なんて土人文化しかなかっんだよ 語源の通説は全く当てにならない
本という字の語源は木の根本に印があると通説になっているが、たぶん本当は大きい十字架が語源で聖書のことだ あと景教は日の都の教えと言うことになる。つまり神道と言うことになる >>35
語源の通説とお前の思いつき
どっちが信用できるかっていうと
まあ、そういうことだ 最近記紀を漫画で見たんだけど、なんでアマテラスが最高神なのかよくわからん
イザナギイザナミはそれでも有名だけど、一番最初の神なんて古事記見るまで名前すら見たことなかった
アマテラスが最高神である理由は漫画みたいなのじゃなくて原文には書いてあるの? >>38
昔の書物とか見てみなよ
みな大に十ってかいてるから >>39
高天原を収めてるってだけで最高神ってわけじゃないんじゃない? >>41
通説が間違ってることは確かでしょ
木とは関係なくなるから >>44
昔は本の形状をしたものが聖書しかなかったからだよ 出雲国風土記は733年に完成し、原本は失われた。
語り部「セン」が書いた本 オリジナルが失われたが怪しい
元々無かったのだろ、語り部=口伝≠原本
時間軸は、700年ころ
ヤマトタケルは、500-650年のいずれか、某古墳を年代測定中、報告待ち >>46
ああ、無教養なキリスト教徒の思い込みか。
10歳くらいの小学生かと思ってた。
「本」の本来の字義は「植物の根」→「物事の始まり」だよ
甲骨文字も金文も 殷代 BC1000以上前だけど、聖書あったの? なかなか漢字以前の日本固有の文字を発表しないね
見つかってるんだろうけど >>50
恐らく無理に近い
富士高天原→ウガヤフキアエズ→天孫族と合流、漢字を習得
平安京統治のとき、古代文字をなくすよう努力したと思われる
神武天皇(〜650年)の古墳から漢字の剣が発見され、テレ東で有名になった >>49
だからそれが語源だと大に十って書く理由が説明できないでしょう 奈良時代の書物や唐時代の??なんかみると全部本は大に十だよ >>49
旧約聖書の編纂は前4〜5世紀からで、完全版になるのが
後一世紀末だから、存在してないね。 >>52
馬鹿だなあ
大と十 じゃなくて 木と十(正確には○or●) だよ
大と十 ってのは後世が生んだ俗字ってヤツ
キミみたいに無教養な輩が考え出したんだよ あと、>>54を踏まえ、聖書だと断言した根拠も教えてね >>55
しらねーよ
昔の人はそう書いたんだからしょうがないだろ >>58
じゃあ、奈良や唐以前の人は 大と十 って書いてないから
お前の意見は却下な >>57
聖書しかなかった可能性が高いでしょ
本の形をしたものが
聖書に書いてあることは本当だから本という字に本当と言う意味が持たせてあるんだよ 大と十 は百歩譲って見逃すとしても、
十字架と聖書については仕方ないで済ませるなよ?
論拠を述べろよな >>60
本の形って・・・・ 今の本の形をしてたの?
そもそも聖書って、「書」が今で言う本を表す漢字なんじゃないの?
それに漢字ができたころまだ聖書は存在すらしてないことについては
どういう意見なの? >>62
いくらでもあるじゃん。
ていうか、甲骨文字も金文も説文解字も見たことないの? 本という字に真実と言う意味があるのを日本人しか理解できないことに気が付かない?聖書と考えるから意味が通じるわけで 木の根っこの印になんで書物とか真実とかいう意味が生じるの?
不思議だと思わないか? そうそう、十字架ってイエスが磔になったから
キリスト教の象徴になっただけで、
あの刑自体はローマの政治犯に対するものだからな。 十字自体はグノーシス派のマークだよ島津のマーク
グノーシス派は東方起源でイエスを人間とみなしているので異端視されている。
イエスを人間としている国があるよ。日本だよ 講義で高麗語だったか高句麗語がいまの日本語と高い互換性があるってきいてびっくりしたわ
数詞なんかほぼそのままじゃねーか… 景教はマリアを偶像として認めない。イエスも人間としている。景教は神道と言われている。 >>70
うんうん、竹内文書や和田家文書群によると、
モーセもイエスも日本に勉強に来てるらしいから、
ユダヤ教、キリスト教の起源は、日本だよね。
青森にイエスの墓もあるし、間違いないわ。 >>68
イエス・キリスト スーパースター てロック・ミュージカル
知らないの? >>71
日本に来たかどうかはわからんよ
ただグノーシス派の知識主義が、知識の実を食べさせた蛇とされて悪魔視されてる。
蛇も堕天使も太陽神も日本では神だが、カトリックでは悪魔だ。 >>65
むかしの書物は巻物だろう?
携帯しやすいし。
聖書も古代ヘブライ語の原本は失われている。全て後世の写本。
聖書の原型となった死海文書まで写本なんだから。 >>5
鋭いね
続日本紀に8世紀初頭禁書狩りと抵抗闘争があったことが記録されてる
でそれと前後して風土記編纂の命が出されるわけだが、ヤマト朝廷にとって不都合な内容があれば当然禁書扱いになったと考えられる
大陸や半島ではあれほど濃密に倭人の活動が記録されてるのに「正史」ではほとんど欠落していること自体が雄弁に物語ってる 日本の国名に日本が入ってるのも偶然じゃないと思うよ 倭から日本に改称したのは天武天皇のあたり
大王から天皇という呼び方に変わったのは天武天皇のあたり
最古の記録である記紀が成立したのは天武天皇のあたり
天武以前は闇に包まれている… >>79
倭国の倭という漢字ですけど、女に委ねる人という意味だが
女が奉ってるのは禾ですね。
禾は罪状書がついた十字架に人が張り付けられていることを表すと思います。
つまりイエスですね。
大和の和という漢字ですが、禾に口と書きますが、元々は口に禾だったらしく、禾が右にくると穀物でなくてイエスのことを表すと思う。
どうももともと日本は景教の国ではないかとおもわれます。 和という字はなぜかノギヘンの漢字には含まれません。
その理由を説明できるのは日本人だけということになります。 >>21
国立大学法人島根大学のHPに講演会「考古学からみた朝鮮半島と古代出雲の逢着」というのがあったわ。
伽耶からの植民の話ではなく、どちらかというと逆みたいだけどw
>弥生時代から古墳時代への転換期に山陰の出雲と朝鮮半島南部の加耶の間には深い人的交流があり、
加耶で出土した日常生活用あるいは副葬用の土器に出雲の土器の特徴がみられることから、加耶の成
立に古代出雲の人々が関与していたという内容をお話しました。
ttp://www.shimane-u.ac.jp/docs/2016030100045/ >>39
アマテラスを最高神とする神道は、律令制が出来たりした後の世になって形成されてきたので、
最初からナンバーワンだったわけじゃないよ。最終的には明治政府がアマテラスに一本化した
わけ。
武光誠の「誰が天照大神を女神に変えたのか 」(PHP新書、新書) なんかがおすすめ。値段
も手頃だし、内容がまともw手に入りやすいよ。
他に同じ著者の「日本人なら知っておきたい神道」(河出書房新社 新書)とか、「知識ゼロ
からの日本神話入門」(幻冬舎)なんかもある。 弥生時代、日本に稲作が広まると、日本の方が朝鮮半島より稲づくりに適しているから人口が多くなった。なので、兵力で日本がいつも優位だった。
唐とかモンゴルとか、大陸側が強いときはその手先になって日本に歯向かうのが朝鮮半島。 >>34
紀元前1000年かその頃の殷や商と言われる都の遺跡があるだろ >>39
元々日本の神は氏神や地祇なんだから
アマテラス祀ってた一族が古事記作った当時の最高権力者にいたんでしょ
日本中の神社と紐つけたのは国家神道 >>46
コンテクストなのか、古い文書はスクロールだろ >>80
遺跡からはそれを示すものはまったく出土しないんだけどなあw >>80
倭はチビで背中曲がってるヤツの事だろw
中華は周りのヤツにバカにした名前しかつけねえよ >波迦神社
この神社があるだけで出雲神話を証明しているようなものだしなw
銅剣が大量に埋納されていた荒神谷遺跡の近くだし。
いろいろ出雲は面白いよ。 >>91
もとは天照という男神が祀られてたらしい
国宝の籠神社系図の天火明命が天照国照彦火明命でそれではと
元伊勢と言われる各地を巡ってから最終的に今の位置に祀られることになった
女性の持統天皇の時代に自分の神格化のために女神とされたのではないかという話
尾張は籠神社系図と同族の勢力圏だったのでもとはそれの氏神だったのをスライドした可能性
あと一緒に祀られてる豊受大神は籠神社が元宮で籠神社も元伊勢のひとつ >>93
遺跡って?
だから神道が景教なんじゃないかって事だよ。
神道の遺跡はいっぱい有るでしょ。 新約聖書からは、神が一神から三神に変わった。
神道も造化三神だよ。
そのころ中国では仏教が伝わってたと思うので、仏教の教えと神道の教えを組み合わせて景教になったと思う。
それが日本に来たんだと思う。秦氏として >>100
てもその頃はまだ新約聖書はなかったから 旧約聖書→出雲、物部
新約聖書→大和、秦氏
て説あるね ヤベーマジで徐々に飛鳥昭雄説に近づいてきてる
以前DVDで類似の見たことあるぞ >>99
ちなみに新約聖書がきちんとした形になるのは4〜5世紀な。 >>104
個人的な考えですが新約聖書より景教のほうが先だと思ってます。
仏教と古い神道(物部?)を混ぜたのが景教でそれが中東やヨーロッパに伝わって新約聖書が出来てきたんじゃないかという気がする。
だからグノーシス派みたいな東方起源でイエスを人と主張するような派があるのではと >>4
大和以前の時代に朝鮮半島には統一国家がない。
10世紀の白頭山噴火で朝鮮半島北部は壊滅的な被害を受けている。 この手のスレって大抵狂人がはりついてまともな話にならないよな >>1
佐藤信・東京大大学院教授
元プロテニスプレーヤー佐藤直子の兄貴。 日本の神話の多くは出雲のもの。
新興の大和が出雲を制圧したので、出雲の神話に大和が組み込まれた。
初代天皇の神武は宮崎の日向の国が出身地。古事記、日本書記に書かれている。朝鮮半島じゃないよ。 神武はな
ところが先にいて最終的に出雲に押し込められることになるスサノオは
半島に天降ってから日本に向かうんだな
ただしその頃の半島はまだ朝鮮は無いし倭人も住んでる色んな勢力がごっちゃの地 風土記も散逸してて惜しいなぁ
独自伝承とかも沢山載ってて全部残ってたら資料として凄い貴重なのに 出雲国造家は「天津神の命令バックれて大国主に寝返った神の子孫」と国史に書かれてるからなw
自分達の言い分を残すために必死だったんだろうな
出雲国造神賀詞とか宮中で読むのを恒例にしてたらしいし >>98
流石に神道を景教とするには内容違い過ぎないか 弥生時代の遺跡を見ると出雲の広がりは凄いからな
日本海側から福島にまでその分布が見られる
こんな大勢力がその後消えてしまうんだからその過程に興味がわくな
神話の国譲りとかそういう背景を描いてるんだろうと思うとワクワクする 出雲はネフィリム系で黄泉sheolとつながっていたことは、すぐわかる 本に真実はないぞ
学者は常に合理化しないといけないからな
日本の神々も実在したし、天界から来たと考えるべきだ >>114
伊勢神宮とかは、いまだに移動式神殿というのをやってて、他にあるとするとユダヤ教の幕屋なんだが
その他六芒星を記してたりとか、サルタヒコの風貌がユダヤ人にしか見えないとかいろいろあって、ベースがそこにあって、それに仏教を掛け合わせていいとこ取りしたのが景教でないかとおもうんですけど
景教という意味では、志摩にある伊雑宮がアマテルの宮といわれてて、聖徳太子が書いたと言われる先代旧事本紀を保存してた。それが景教のメッカみたいなもんかと
つまり仏教と神道をまぜた蘇我氏とか聖徳太子とかもそっちの派閥でないかと
島津やグノーシス派の十字紋ですが島津と言うのは志摩の旧国名でまんま丸十字の形の注連縄が二見興玉神社にある。 出雲は弥生時代の間は物凄い存在感があるのに古墳時代に入ると突然殆ど姿が薄れるのが面白い
一気に消え去った大王国としてとても興味深いな >>85
信長支配下の尾張美濃近江の関係みたいにどっちが支配してるとかはあまり意味ないけどね イエスの中国語は耶蘇で蘇我氏とかかなりイエスを意識した名前だし、伊勢志摩はいまだに蘇民将来の注連縄飾ってるから、たぶんイエスを意識してたんだろうと思う。蘇民将来はまんまユダヤの過ぎ越し祭と同じエピソードだから 結局は、兄系のアマノホアカリが、出雲に婿入りして生まれたのがニギハヤヒで物部で、大和を支配してたんだが
何らかの理由で弟系のニニギの子孫に大和を譲ることになった。
ひょっとして兄系の男系が途絶えたのかもしれないとおもってる。 その後、物部および出雲と九州および大和は仲違いしてしまった。 >>113
国史は勝者の記述だから
しかしその記述でも国譲りがあるわけで最低でも出雲が先の日本の政権 崇神天皇の時に出雲はかなり徹底的に叩き潰されているな
古事記だと日本武尊が出雲を討ってるがそのやり方が出雲振根と同じだからそういう共通の伝承を根においてるんだろうな 元伊勢が饒速日でアマテル神の段階でやっぱり出雲を下地にして刷新したのが伊勢神宮だよね
伊勢に収まったのも大和朝廷できてから後年だし
天皇家の氏神は宇佐なんだろうし しかし当の出雲大社に風土記とか写本で残ってないんだな >>130
勝者が残させなかったんでしょう
でも国譲りはわざわざ記紀に書いて残したんだからよっぽど消せない事実だったとしか いや、風土記は国が作らせたものだからw
国も確認して認めた記録だから残させないとかないでしょう
別に都合の悪いことも書いてないし とりあえずカメラ設置しようぜ!
油撒きか泥棒がくるぞ 神道の権威にたかろうとする組織が
ネトウヨを焚き付けてるんだろうなあ ホツマツタヱでは、アマテルは男神アマテルであって、ニギハヤヒはアマテルの孫であるアメノホアカリの子となってるよ アメノホアカリは出雲に婿入りして生まれたのが大歳(ニギハヤヒ) 出雲はかなり徹底的な弾圧を受けてるのが史書からも分かるな
国主は征討を受けて滅ぼされて、国は三分割されて、西は監視の為に物部氏が送り込まれて孤立させられてる
崇神天皇という初期段階で真っ先に潰されてるわけだから相当怖れられていたんだろうな 冬に農業できない日本海側と二期作可能な太平洋側では人口差はいかんともしがたいわけで
出雲が大陸の多少先進的な文化を擁したところで
吉備・大和勢力の国力には勝てないわな
出雲は海洋系だし 物部の神器が十種で大和の神器が三種なのは、物部が十支族の代表であるのに対して、大和が三支族の代表であることを暗に示してると思う。
つまり、北イスラエルと南ユダだと思う。 出雲は古墳時代の先駆けのようなシステムを構築したけど後進の畿内を中心とする大和朝廷に呑み込まれて消えてる
実体がどういう物だったか分からないがそこまで強固な支配体制を作れなかったんだろうな 神様の名前は、親からの名前にこの名前を足してってるんだろうと思う。
ニギハヤヒは天照国照彦火明櫛玉饒速日命という長たらしい名前だけど、親の名前順番に列記しているとおもう。 >>144
出雲の支配体制は、関東に継承されてったけどね。
山城より北、尾張より東はおそらく今でも事実上出雲、物部の支配と言ってもいいんでないかな 言葉や、餅の形(古墳の形)とか文化がすべて分かれる 現存の風土記は現王朝がゴッドハンドしたもので
現本は全部消されたと理解してたが 弥生時代後期に入ると出雲は吉備や畿内の影響を大きく受けてるのが分かるな
順次取り崩されていくような感じだったんだろう
神話にあるアメノホヒ、アメノワカヒコ等の出雲平定の神話はこれを土台にしてるのかもしれないな
アメノホヒ→アメノワカヒコ→キビツヒコ、タケヌナカワワケの征伐
という流れが神話と考古学的な展開がリンクしてる気がする >>149
アメノホヒやアメノワカヒコとかどう考えても出雲側についたとおもうけどね。
もともと敵だったわけでない。
ある時から敵になったのであって、それは多分大和が国を多く譲り受け過ぎたんだと、大和だけで我慢できなかったんだろうな 焚書されたんじゃね?
日本人は本を大切にするとか刷り込まれてるけどプロパガンダにすぎない。 >>150
神話や考古学的に見ると出雲は統一された物じゃなくて東西、そして飛び地的な越の地域で別々っぽいね
あくまでも大国主神と言う緩やかな連帯で繋がってる感じ
だから出雲族のアメノホヒやアメノワカヒコの話に出てくるシタテルビメとか出雲と縁のある神が平定の前段階にあるのを見ると、出雲内部の人間を切り崩して内部分裂の工作を行ってるんじゃないかなと思う
崇神天皇の所の飯入根や振根の対立とかも内部分裂を起こしてるのが描かれてる
その分裂状態の内紛を利用して軍事的に攻撃を仕掛けて「国譲り」させたんじゃないかな 垂仁天皇の時代に出雲の本流から離れてる野見宿祢が活躍するのも出雲族を切り崩して取り込む流れに見えるな
大和朝廷のライバル国潰しは中々周到で執拗な風が見えて面白い >>139
ホツマツタヱは偽書であることが判明しています >>152
そもそも出雲は海を行き来できる海人だからあっちこちに点々と拠点があっても不思議はないね
出雲もいきなり統一国家の大帝国みたいになったわけじゃないだろうし
魏志倭人伝じゃないけど最初は小国乱立からまとまってるんだろうし
越の方では沼河比売が幼児の諏訪神を連れて大国主から逃げ回る話まであるから色々あったんだろう
最後に沼河比売が追い詰められて消息不明になったあたりはヒスイ鉱脈の辺らしい
諏訪の建御名方は一度も出雲に行かずに諏訪に入ったっぽい話があったりする >>151
朝廷が書けと命じたのにわざわざ焚書する意味がわからない どうも天武系と天智系の確執みたいなのがあったかも
天武系だと物部よりの古事記日本書紀になりそうだけど、天智系が改竄したんじゃないかなあ
それで天武系の力奪っていって最後に勝ったのが光仁天皇で天智系なので >>157
でも朝廷が編纂した古事記と日本書紀と書かれてる事が違うしな
あと提出の段階で空気読んでローカルの伝承を柔らかくしてるのとかもあるかもしれないな 捏造の歴史がピンとこなかったけど
段々分かってきたね。 出雲のあたりだけ特殊な遺伝子タイプが多いんだってね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています