0001ばーど ★
2017/05/28(日) 20:55:57.34ID:CAP_USER9勝山市で公開されるのは発見当時以来20年ぶり。経筒は両市が帰属を巡って綱引きした経緯があり、今も結論が出ていない。
経筒は1997年、経ケ岳山頂の経塚の盛石に挟まっていたのを、松岡町(現永平寺町)在住の登山者が発見した。
勝山、大野市境の稜線(りょうせん)上だったことから当時、両市が帰属権利を互いに主張。現地調査も行ったが結論が出ず、発見者が持ち込んだ現在の永平寺町教委が今も保管している。
経筒は2点あり、ともに青銅製で高さ15センチ(13世紀)と10センチ(1522年)。小さい経筒には表面に金メッキが施され、側面には「平泉寺」の銘文が刻まれている。ふたにはハスの花の文様がある。
銘文からは甲斐国(山梨県)の僧、竹陰(ちくいん)が経典を納め、平泉寺で修行していたとみられる上野国(群馬県)出身の願秀(がんしゅう)に託したか、経ケ岳に案内させ埋めたことがうかがえる。
経筒が白山禅定道とは外れた経ケ岳から見つかったことは、経ケ岳が平泉寺から広がる白山信仰の重要な霊場として存在していたことを裏付ける歴史的な価値があるとみられる。
経筒は白山信仰に関係した貴重な史料として関係者の認識は共通している。
「平泉寺」の刻印がある経筒は群馬県から1件発見されているものの県内ではこれしかなく、保管している永平寺町教委も文化財級の価値は十分にあるとみている。
ただ帰属がはっきりしない以上「うちでは指定できない」(同教委)と、歴史的背景などの詳しい調査は宙に浮いた格好だ。
勝山市教委では「本来平泉寺のあった場所で展示することで、この史料を理解してもらいやすくなる」と話し、今回の展示をきっかけに事態が進展することを期待している。
勝山市内では発見直後に数日間公開されただけで、今回初めて白山開山1300年を記念した企画展で本格的に展示される。6月28日まで。
経ケ岳で20年前に発見された経筒(手前2点)。短い経筒には「越前国平泉寺」の刻印がある
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配信 2017年 5月28日
福井新聞
http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/199260