0001みつを ★
2017/07/02(日) 18:40:17.46ID:CAP_USER9(CNN) ショッピングモールが光を放ちおしゃれなカフェが立ち並ぶ今日のモスクワ。灰色のコンクリートと偏執的な思考にとらわれた冷戦時代(第2次大戦後の1945年からソ連が崩壊する1991年まで)ははるか昔のことに思えるかもしれないが、その名残は至る所にある。
防空施設や老朽化したミグ戦闘機、過去の秘密兵器プログラムの痕跡に至るまで、モスクワは冷戦時代の博物館のような趣を呈している。ロシア史の中でも見過ごされがちなこうした場所を旅することはいわば、冷戦時代へのタイムトラベルとも言える。
以下では、無名ながら簡単に訪れることができる冷戦時代の施設をまとめた。冷戦マニアや軍用機材ファンらを喜ばせること請け合いだ。
バンカー42
ソ連空軍の指揮所として地下約65メートルの地点に設計された「バンカー42」
https://www.cnn.co.jp/storage/2017/01/27/a856d9094d9ccbac2006423c32c50094/t/320/180/d/moscow-bunker-corridor.jpg
モスクワの郊外タガンスカヤにある地下指揮所は「バンカー42」の通称で知られ、地下約65メートルの地点に7000平方メートルにわたり広がっている。ソ連空軍の長距離攻撃部隊のための指揮所として設計された。
核戦争をめぐる緊張が頂点に達していた1951年に運用が開始された。核ミサイルによる攻撃に耐えることが可能なほか、最大90日にわたり3000人を外界から完全に隔絶した状態で収容することできた。
バンカー42は1995年に機密指定が解除されたばかり。現在は民間企業が運用しており、博物館に改修されている。冷戦時代のロシアの最高機密施設にふさわしく、19世紀の集合住宅区画にある一見何の変哲もない道路から進入する仕組みになっている。もう一方の入り口はモスクワの迷路のような地下鉄網につながっている。
モニノ航空博物館
100年に及ぶ航空史を展示するモニノ航空博物館。モスクワの郊外約48キロの地点に位置する。地下鉄に1時間揺られたうえ徒歩で住宅街を抜けなければたどり着けないが、足を伸ばす価値は十二分にある。
展示は冷戦時代のソ連の航空技術者がいかに発想豊かで先見の明に満ちていたかを示すものだ。ソ連版コンコルドとして知られる超音速旅客機Tu−144から史上最大のヘリコプターであるミルV12などに至るまで、航空マニアが圧倒されるのは必至だ。
博物館のスタッフは親切で、豊富な知識を持ち、ソ連時代の航空技術の遺産に熱意を抱いているのが伝わってくる。
モニノ航空博物館でTu−2爆撃機の傍らに立つ退役軍人
https://www.cnn.co.jp/storage/2017/01/27/2102646ce1eefbab297012572b57f5f4/t/320/180/d/monino-veteran-military-airplane.jpg
ロシア海軍博物館とエクラノプラン
艦艇とも航空機とも見える「エクラノプラン」。海事的な色彩が強いため一貫してソ連海軍所属とみなされていたほか、船首にシャンパンをかける艦船風の命名式まで行われた。
航空力学で「地面効果」として知られる仕組み(硬い表面に近づいた飛行物を制御しやすくする技術)を利用。ハクチョウやペリカンが地面効果を利用し水面すれすれの高度を飛ぶ方法をまねた。
最高速度は時速400キロ以上に達し、水面だけでなく氷や平地の上を動く揚陸能力まで備えていた。
ソ連はエクラノプランの試作機を軍用に多数開発した。このうち1機はあまりに巨大で奇妙な姿をしていたため、1960年代半ばに米国の偵察衛星に発見された際、「カスピ海の怪物」と名付けられた。ただ、出だしは良かったものの普及せず、開発プログラムは80年代に廃止されている。
ロシア海軍博物館にはこのほか、タンゴ級潜水艦B396など冷戦時代のソ連艦隊が誇った艦船も展示されている。
本物のソ連潜水艦の内部を見学できるのが同博物館の売りのひとつだ。この潜水艦「ノボシビルスク・コムソモレツ」は80年に就役、98年までロシア海軍に所属していた。
艦艇と航空機の要素を併せ持つエクラノプラン
https://www.cnn.co.jp/storage/2017/01/27/8141c8c67d56991d17b4fbd85c20d262/t/320/180/d/moscow-ekranoplan-museum.jpg
(リンク先に続きあり)
2017.07.02 Sun posted at 18:10 JST