第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。
「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。

■ 3つの予言

ファティマの奇跡は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたことから始まる伝承だ。
7月13日にマリアは3つの予言をしたとされる。10月13日には太陽が急降下したり回転するのを数万人の群衆が目撃したという。
ローマ法王庁(バチカン)は30年、ファティマでの出来事を奇跡である「聖母の出現」と公認した。

法王庁は42年、3つの予言のうち第1と第2の予言を公表。
その内容は、第一次大戦の終了と第二次大戦の開戦、共産主義の害悪を意味すると読める。

第3の予言は長く秘密にされてきたが、2000年に公表された。
「白い衣をまとった司教が殺される」という内容で、「聖母出現」からちょうど64年後の1981年5月13日に起きたローマ法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件を予言したと解釈されている。
今年5月、法王フランシスコは100周年を記念してファティマを訪れた。

■ 海外で有名

一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。
昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。

以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。
その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。

カトリック教徒の間では「聖母の出現」ととらえる人がいる一方、疑問視する声もあったが、秋田県を管轄する新潟教区司教は59年、「秋田の聖母に対して崇敬をあらわすことを禁じない」との書簡を発表して事実上公認。
法王庁のラッツィンガー枢機卿(後の法王ベネディクト16世)に受理された。
この聖母像は「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母)として、日本より海外で有名だ。

■ “集客”に期待

ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。
秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。

既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。
最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。

聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。
国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。

聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。
私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。

カトリック教徒以外も注目している。
秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。

写真:ファティマの聖堂にある聖母像(左、ロイター)と秋田・聖体奉仕会の聖母像
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