2017.8.12 11:30

 反基地感情が強い沖縄の土地柄を語る際、よく使われるのが「同調圧力」という言葉だ。県民が内心、「沖縄を守るには、ある程度の基地が必要」と思うことがあっても、地域、職場、家庭などでの立場上、口にできない雰囲気がある。私の経験上、「同調圧力」が最も強いのは沖縄メディアの内部であり、特に駆け出しの記者は、徹底的に反基地イデオロギーの洗礼を受ける。

 十数年前、石垣島に海上自衛隊の艦船が休養のため寄港した。当時の石垣市長はガリガリの反自衛隊で、島全体が冷たい雰囲気だったが、港に集まった記者たちも、のっけからけんか腰だった。

 新人だった私がどう記事を書くか迷っていると、他社の先輩が「こう書けばいいよ」と、過去に自衛艦が寄港した際の新聞記事を渡してくれた。「武装した軍艦が平和な島に乱入し、住民を不安に陥れている」というような内容だ。親切な先輩には現在でも感謝しているが、沖縄の記者たちは、このように現場で「成長」していく。

 そのころ学校の平和教育で、戦争の悲惨さを強調するだけの授業に疑問を感じた私は「他国の脅威についても教えるべきだ」と指摘する短いコラムを書いた。

 すると上司は「戦争体験者たちの心を傷つける気か」と頭ごなしに怒鳴りつけ、原稿はボツ。当時、「中国が尖閣諸島を奪いに来る」などと口にしようものなら極右扱いされた。

 そんな石垣島を一変させたのは、皮肉にも当の中国だ。近年、尖閣周辺で傍若無人な領海侵犯を繰り返しているため、石垣島は今や、高校生でさえ堂々と「中国は脅威だ」と発言する時代になった。メディアの「同調圧力」もほぼ消えた。

 しかし、沖縄本島では時間が止まったままのようだ。「同調圧力」が怖いのは、長い間さらされ続けていると、他人に植え付けられた先入観で物事を見る癖がついてしまうことだ。沖縄メディアの反基地報道はまるで金太郎飴であり、思考停止に似た危うさを感じる。

 本土には「同調圧力」など存在しないと思っていたが、最近の全国紙やテレビを見ると、特に憲法改正や加計学園問題で「反安倍政権」のヒステリックな論調が台頭している。

 権力批判はいいのだが、言っていることがどれもそっくりなのが気になる。「安倍一強の緩み」などといった決まり文句の乱発など、自分の足で真剣に取材しているとはとても思えない。

 「同調圧力」「沖縄メディア化」が全国的に進行しているように見えるのは、不気味な現象だ。時流に流されない冷静さを、メディアはどこまで堅持できるだろうか。=おわり

 ■仲新城誠(なかしんじょう・まこと)1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。同県のメディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に『「軍神」を忘れた沖縄』(閣文社)、『翁長知事と沖縄メディア 「反日・親中」タッグの暴走』(産経新聞出版)、『偏向の沖縄で「第三の新聞」を発行する』(同)など。

http://www.sankei.com/politics/news/170812/plt1708120003-n1.html