0001みつを ★
2017/08/19(土) 14:53:52.21ID:CAP_USER9インドとパキスタンが英国からの独立70周年を祝っている。BBCのインド特派員だった英ノッティンガム大学のアンドリュー・ホワイトヘッド博士が2国の誕生をめぐってなお残る遺産、そして混乱や傷痕について語った。
インドの首都デリーからパキスタンの首都イスラマバードまでの距離は約700キロ。ロンドンとジュネーブの距離より短い。飛行機で言えば短距離扱いだ。
しかしデリーからイスラマバードまでの直行便はない。まったくないのだ。そしてこれは、70年間にわたる互いへの疑念と緊張がもたらした遺産の一つに過ぎない。
もう一つ事例を挙げよう。クリケットだ。
インドとパキスタンは数週間前、チャンピオンズトロフィーの決勝でぶつかった。両国とも熱狂的なクリケット好きだ。
しかしこのクリケットの試合は南アジアではなく、ロンドンで行われた。バングラデシュやスリランカなど同じ南アジアで試合をすることはあっても、互いの国で試合をしないことになっている。
南アジアの地のテストマッチで対戦してから10年がたっている。多くの共通の文化と歴史がありながら、両国はただのライバルではなく、どちらかと言えば敵同士なのだ。
インドとパキスタンが分離・独立してから70年たち、3つの戦争があった。4つと主張する人もいるが、1999年に両軍が衝突した際、正式な宣戦布告はなかった。
インドとパキスタンの一触即発の緊張関係は、世界で最も地政学的に分断されているものの一つだ。この緊張関係が、両国の核兵器開発を促した。
この不安定なこう着状態は地域間の争いでは到底収まらない。より大きな危険をはらんでいる。
インドとパキスタンの独立は同時に成された。当時英国最大の植民地だった英領インドの統治は1947年8月15日に終わった。
数カ月に及ぶ政治のこう着状態の末、英国は国を2つに分割することに合意した。
主にイスラム教徒が多数派を占めるパキスタンは、ヒンズー教徒が多数派を占めるインドで不利益になるとして作られた。
これによってインド最大の州だったパンジャブとベンガルを2つに分割することになった。新たな国境線の詳細は、独立後わずか2日で公になった。
この分割は近代史上最も大きな災難を招いた。戦争と飢饉(ききん)を除き、これまで世界で見たこともないような人口の流動が目撃されたのだ。
正確な人数を計ることはできないが、新国家からまた別の新国家へと必死に移動しようとして、約1200万人が難民となった。
(リンク先に続きあり)
2017/08/18