上九一色村……。

この村名を覚えている30代以上の方は、かなり多いに違いありません。理由はただ一つ。オウム真理教の宗教施設「サティアン」があった村だからです。

衝撃的だった、防毒マスクの捜査員が突入する映像

世間に広く知れ渡ったのは、世界最大級のバイオテロ『地下鉄サリン事件』が発生した2日後に当たる1995年3月22日。
警察のガサ入れによって、複数あったサティアン内部は次々と暴かれていき、その様子をこぞってテレビのニュース・ワイドショーが放送していました。

特に有名だったのが、第7サティアン。公式には「神聖な礼拝施設」とされていましたが、実際は教団幹部から「科学技術庁」と呼ばれ、大学の研究室顔負けの実験設備を擁するサリンの製造工場だったのです。

多数の捜査員が物々しい防毒マスクを身につけて施設内部へ突入する映像は、この組織が一宗教法人という枠組みを大きく逸脱した何かであることを、改めて認識するのに十分なインパクトを兼ね備えていました。

巨大ガリバー像が印象的だった『富士ガリバー王国』

この騒動によって上九一色村は、「サティアンの村」として全国区になってしまいました。

本来は富士山を間近に望み、緑豊かな高原が一面に広がる土地なのに、悪い印象を持たれたのではたまったものではありません。
なんとかイメージを回復させたい……。村民一同、そう切に願っていたはずです。

そんな折、新潟中央銀行による融資プロジェクトの一環として、『富士ガリバー王国』建設の話がやってきたのだから、まさに「渡りに船」だったことでしょう

同施設はその名の通り、アイルランドの童話『ガリバー旅行記』をモチーフにしたテーマパーク。広さは東京ドームの約6個分。

物語に登場する小人の国「リリパット国」をイメージした園内には、全長45メートル・総工費3億円の巨大ガリバー像が横たわり、施設のシンボルとして君臨していました。

『富士ガリバー王国』はどんなテーマパークだった?

目玉アトラクションは、日本初のフランス人形劇。

当時最先端のコンピューターで制御された舞台装置をわざわざフランスから技術者を呼び寄せて管理させ、
人形の衣装には高級ブランドの生地を使用するというこだわりが、話題を呼んだものです。

他にも、デンマークの美しい街並みを再現した商店街「北欧村」、その中央にあるサーカスなどが見られる「スカンジナビア広場」、
冬季五輪でお馴染みのボブスレーとリュージュが楽しめる「ボブスレーランド」、直径22メートル・高さ30メートルの巨大な気球に乗って富士山麓の絶景を一望できる「バルーンワールド」、
ワラビーやヤギ、ポニーとふれあえる「ふれあい牧場」など……さまざまな見どころがありました。

近隣には、会員制ゴルフ場や高級ホテルも建設され、さながら上九一色村は一大リゾート地として生まれ変わろうとしていたものです。

2001年には閉鎖……跡地の現在

しかし、そうなかなかうまくはいかないもので、実質的に経営の実権を握っていた新潟中央銀行が経営破綻したことなども影響し、2001年に『富士ガリバー王国』は閉鎖してしまいます。

他に買い手がいないか競売にかけられたものの、入札はゼロ。
交通の便が悪く、近隣の富士急ハイランドに苦戦し、そして何より、上九一色村にいまだ根強くオウムのイメージが残っていたことで来園者が伸び悩んでいた状況を鑑みれば、当然の結果でした。

その後、2004年に愛犬家が犬と遊ぶための施設『ザ・ドッグラン』がオープンしますが、わずか1年で営業停止に。
また、上九一色村は2006年3月、村の北部が甲府市・中道町、南部が富士河口湖町に合併されたため、消滅しています。

オウムの騒動も、ガリバー王国の喧騒も今は昔。

現在、ガリバー王国跡地は「富士ケ嶺公園」という自然豊かな公園に生まれ変わっており、
その一角に建てられた信者リンチ殺人事件被害者のための慰霊碑だけが、20数年前の在りし日の記憶をとどめているのです。

http://www.excite.co.jp/News/90s/20171024/E1507789994106.html
90s チョベリー 2017年10月24日 10時00分

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