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横浜駅は日本有数の巨大ターミナル駅だ。JRにおける乗降客数は新宿、池袋、東京、大阪に次ぐ
第5位で、渋谷や品川を上回る。また、JR以外にも私鉄、市営地下鉄など鉄道事業者5社が乗り入れ、
各路線の1日平均乗降人員を合計すると225万人に達する。

その横浜駅ではつねにどこかで工事が行われている。ある場所で工事が終わったと思えば、
別の場所で工事が始まる。古くから横浜駅を知る人の中には、「自分が子供の頃からずっと
工事が続いている」と言う人もいる。口さがない鉄道ファンは延々と工事が続く横浜駅を
スペイン・バルセロナにある未完の教会になぞらえ、「日本のサグラダ・ファミリア」と呼ぶ。

初代横浜駅は桜木町に145年前開業

横浜市が毎年開催する横浜駅再開発に関する関係者会議でも横浜駅の「サグラダ・ファミリア化」が
話題になり、長く工事が続く状態に懸念を示す声が出席委員から上がったことがある。
横浜駅の工事はいつから始まり、いつになったら終わるのだろう。

横浜駅が開業したのは今から145年前の1872年。日本で初めて新橋―横浜間を鉄道が走った年だ。
当時の横浜駅は現在の桜木町駅の場所に造られた。その後、1915年に2代目横浜駅が旧東海道
本線上に新設されたが1923年に関東大震災で駅舎が焼失。1928年に現在の位置に3代目駅舎が造られた。
それと前後するように現在の東急東横線、京急本線、相鉄本線が横浜駅に乗り入れ、そのたびに工事が行われた。

戦時中は空襲で駅設備が焼失、戦後に再建された後はトロリーバスや路面電車の乗り入れと廃止が繰り返された。
1976年には市営地下鉄が開通、1980年には東口に駅ビル「横浜ルミネ」がオープンしている。

最近ではみなとみらい線開業に伴う工事が記憶に新しい。東横線の線路を1995年から地下に下ろし、
新設するみなとみらい線と結ぶ工事が始まった。当初計画ではもっと早く着工し、1998〜1999年ごろには
開業するはずだったが、JR東日本(東日本旅客鉄道)や私鉄各社との調整に時間がかかり工事開始が遅れた。
しかも、工事は列車運行に支障のない深夜に行われるため1日数時間程度しか作業ができない。
そのため工事が予定どおり進まず、みなとみらい線開業は2004年にずれ込んだ。

その後は2006年に京浜急行電鉄がホーム構造の変更工事を、2010年にはJR東日本が横須賀線、
湘南新宿ラインのホーム拡張工事を実施した。こうした鉄道事業者の主導する工事が一段落したかと思ったら、
今度は2010年から市の主導による「エキサイトよこはま22」と呼ばれる横浜駅大改造計画がスタートした。
東西の駅前広場を整備し、線路上空にデッキを設置して南北を結ぶといった大掛かりなものだ。

現在は横浜駅大改造計画の一環として、西口駅前ビルの建て替え工事が進んでいる。
2020年に地上26階建ての超高層ビルに生まれ変わる予定だ。

並行して、横浜駅地下にある中央自由通路と西口地下街「相鉄ジョイナス」の間にある段差の撤去工事も始まっている。
「馬の背」と呼ばれ、自由通路から地下街に向かう際、階段かエスカレーターで地上に上がり、ほんの数メートル歩いて、
再び下る必要がある。2019年に工事が完了すると、中央自由通路と西口地下街とをスムーズに行き来できるようになる。

サグラダ・ファミリアのほうが先に完成?

横浜駅利用者の中には、「馬の背」には何か撤去できない構造物があると思っていた人も多いだろう。
しかし、実際にはガス管や水道管が埋まっているだけだった。つまり、管を再配置すれば撤去しても大きな支障はない。
だとしたら、なぜもっと早く撤去しなかったのだろうか。

地下街と自由通路が造られたのはそれぞれ、1964年と1980年。自由通路建設に合わせて馬の背を撤去してもよかったはずだ。
自由通路側の工事を行うJR東日本、地下街側の工事を行う相鉄ホールディングスに聞いたところ、両社とも
「古い話なのでわからない」とのことだった。

そこで、工事を所管する市の担当者に聞いてみると、「当時は自由通路を造るだけでも大掛かりな工事だったので、
地下街とつなげることまでは考えていなかったのではないか」という答えが返ってきた。当時は地上に東横線も走っており、
仮に撤去工事をするにしても、鉄道運行に支障がないように工事をするのは容易ではなかっただろう。
ただ、その結果40年に近くにわたって利用者は無駄な上り下りを強いられることになった。