【モード】ファッションモデル山口小夜子さん没後10年の催し
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(リンク先に動画ニュースあり)
12月3日 17時08分
印象的な黒髪と切れ長の目をトレードマークに日本人を代表するファッションモデルとして活躍した山口小夜子さんの没後10年に合わせた催しが、3日、東京都内で開かれ、大勢のファンが山口さんの魅力に改めて思いを寄せました。
山口小夜子さんは日本人を代表するトップモデルとして1970年代から世界のファッションショーで活躍し、まっすぐに切りそろえた黒髪と切れ長の目をトレードマークにファッション雑誌のグラビアを飾ったほか、舞台などでも活躍しましたが、平成19年8月、57歳で亡くなりました。
催しは山口さんの没後10年に合わせて、生前に親交があった関係者らが東京・港区で開きました。
会場には山口さんの写真やイラストなどが展示され、このうち山口さんが専属契約を結んでいた大手化粧品メーカーのポスターは、真っ赤な口紅をして薄い紙をくわえた山口さんが大きく写し出されています。
また、生前の歩みをたどるドキュメンタリー映画も上映され、モデルとして頂点を極めたあとも、亡くなる直前まで前衛的な芸術作品などに挑戦し続けた姿を紹介しています。
上映後には長年、山口さんのメークを担当した富川栄さんが登壇し、「一緒に仕事をする人のハートをえぐってしまうほど、ほれさせるすごさがありました」などと、山口さんの魅力を語りました。
大阪から訪れた20代の女性は「とても神秘的で亡くなった方とは思えません。私もファッションや生き方に影響を受けています」と話していました。 ちなみに事実婚か戸籍婚か不明だが80年代初頭には旦那さんが居たというし
全盛期からは山本寛斎と愛人関係だったのが業界では有名だったそうで
あの時代の人だからイメージ守るための隠し事は相当色々あるのだろう
不自然で人工的な美をウリにしてた人が水や自然食などに傾倒して
あたかも自然体で生きているかのように最大限に演出し、
最後はその頑固な主義によって自らを死に追いやりもした
どこかジョブズにも似た、なんとも皮肉な人生ではある
考えてみたら世代も近いんだな 山本寛斎とこの人がいまはなきソニービル1Fのカフェでお茶してた
たぶん20代の後半だったんだろうけど白磁みたいにきれいだった
隣の席でかすかに聞こえる声もきれいだし、グラビアから抜け出たようで
あまりにも神々しくてそこだけエアポケットみたいになってたな
芸能人に会うのはそれほど珍しくなかったはずだが客もみんな緊張してたw
すごい鮮明な記憶 >>51
多分もうヅラにしないとあの黒髪保てないだろうしね
うまいこと綺麗な年寄りになるのも難しくて
銀髪や白髪の小夜子にチェンジするという将来像も描けず、
絶妙な年齢で死んだよなという印象はある 植木等といい阿久悠といい山口小夜子といい今年は没後10年の人の企画が多いな
羽田健太郎とか石立鉄男とか黒川紀章とか横山ノックとか稲尾和久はスルーなのに >>53
10年後くらいに人形町の辻村寿三郎の店あたりで
見かけた時は、昼間で明るかったせいか
最初ほどのインパクトはなくなってたが
どこかアーティストっぽい雰囲気になってて
別の意味で神がかって見えた 職場で80年代から抜け出て来たようなおばさまがいたけど
常に1ミリの隙もない真っ黒おかっぱヘアを貫き通してて
服もあの時代っぽいのしか絶対着ない
その徹底ぶりには驚嘆させられた
あの時代が全盛期だった人って、あの時代性がすごく好きなのはわかるけど
そこから抜け出す、柔軟に変わるって事が出来ないのは大変だよなと思ってしまう
貫き通すのが美学、というのも含めてが「あの時代」だというのは分かるけど
やはり今となってはどこか息苦しくて痛々しくもある この人にもできれば柔軟に変化していきながら
カッコいい老婆になっていく様を見せて欲しかったのだが
最期は自分自身と「心中」するしかなかったというのが
まさに良くも悪くも80年代的だと言えそう
自然体に見せかけるために裏で不自然な演出と努力をしまくり
入院などで他人に素を晒すことも当然拒否
今の時代に長生きできるタマではない
精神性にしろ肉体面にしろ、あらゆる意味で限界がきて重なった結果、
ひとり孤独に死んだのだと解釈してる >>55
時代性を作ったインパクト、潮流を作ったり変えたという意味では
他はどれも弱すぎる
「時代と寝て、時代の終焉に殉じた」奴らじゃなきゃこういう企画は立たない
いずれも大物だが、今の時代に現役で通用する感じでは無いだろ >>53>>56
メイクは流石におとなし気味だったのかな? ノエビアだっけ 日本人だとも思わなかったし実像
とも思わなかった 最近見ないと思ってたら
生身の人やったんやな 同時代信奉者のミューズであり
「装」のアイコン足り得る
凡百のスーパーモデルやパリコレ富永某では到達できない >>54
そうなんだよ、前髪パッツン&切れ長の目が売りだったでしょ。
だからなんだろうけど、特に目元がね・・・仕方ないんだろうけどね。 ずっと生きてて欲しい人はみんな死ぬんだよなw
安倍なんか死にそうにない アヤバンビもこの人に似てる
あの系統の元になった人なのかな 亡くなってるなんて日本に大損失 安倍は生きてて大損失
どえらい違い >>66
>>41の画像で一目瞭然だが、元々そんな切れ長の目では無いんだよね
日本人に多いやや丸い目、潰れた団子っ鼻でごくごく普通の顔
作り込みメイクで無理矢理にアイコンを演じていたのだろうなというのが分かる この人の唇の描き方も広告で時代の寵児となったセルジュ・リュタンス独特のもので
上唇のラインをわざと凹み気味に、山は鋭角にして薄く描いてる
元をたどれば1920年頃の流行と同じ描き方か
今となってはかなり古臭い(90年代の時点でもう古かったが)
今このメイクで外歩いたらお察しされてしまうぐらいに古い
こうでもしなきゃ個性がなくなり埋没してしまうから拘ったのだろうが
このメイクを90年代も2000年代もブレずに貫き通すのは相当しんどいはず
女性として時代に合わせたヘアメイクの変化を楽しむ事も出来てないわけで
(実に余計なお世話ではあるが)本当に女としてこれで良かったのか?
化粧も含めてホントに人生楽しめて居たんだろうか?という気はしてしまうな
世代が少し違うせいもあるだろうが
どうもあんまり手放しで絶賛する気にはなれない人だ
どうせドキュメンタリー作るんならそこの闇に突っ込んだ奴を見てみたい物だが
あと20年くらいは無理だろうかね セルジュルタンスの撮影した山口小夜子はすごく好きだ
彼女のエッセイ本もいい装丁デザイナーに直させて再販したらそこそこ売れそう >>74
今思うと欧米の考えるステレオタイプに自分から嵌りにいかないと
ファッションモデルとして大きな仕事を得られなかった時代の仇花って感じだね
アジア市場の拡大で日本発のファッションが力持ってる今とは状況が違い過ぎるし
その中で山口小夜子風は型として確立してるから悪く言う気は無いんだが このおばちゃん死んでたんか
高田賢三のデザイン画はこのおばちゃんの顔したの多いよな リアル「オルドナ・ポセイダル」
ttps://i.pinimg.com/564x/11/a6/49/11a64991f6286d2242fa7dc8f1db2178--anime-manga-nostalgia.jpg エイジャのジャケか
でもエイジャって韓国女の名前じゃなかったっけ >>74
お亡くなりになる1、2年くらい前?にファッション雑誌の表紙&カラー特集で見たけど
ちゃんと流行に沿ったメイクとファッションだったよ
風格と言うかオーラと言うか、とにかく只者ではない雰囲気にあふれていて圧倒された
撮影の衣装は海外の有名メゾンのコレクションラインか何かで簡単には借りられない物だそうだけど
「SAYOKOが着るなら」と快く貸してもらえたと書いてあった >>79
同じ人のデザインだと思うけど
スレに貼られた古いアニメ画像のキャラクターが着てる変な衣装が
たまたまリアル世界の流行と重なってて死ぬかと思うほど笑ったことがある 癌で死んじゃった任天堂の元社長、
プログラマー当時作ったゲームでよく訴えられなかったと思うw
http://f.hatena.ne.jp/calimero0655/20150801151235
70年代から80年代にかけて
山口小夜子がどれだけ鮮烈だったか 背がもっと高かったらマジで日本人初のスーパーモデルになってた
背が低くてもハイブランド系からのオファーも多かったからモデルとして評価されてたので残念だな きれいだけど、鼻筋通り過ぎて不自然な顔だと思ってた >>82
80年代からもう
ハイヒールとかセクシーな靴にソックス合わせることやってて
20年以上かけてやっと世界のファッション業界がおいつてきたぐらいだからなあ 一人のモデルの存在で、
その後のファッションシーンの方向が変わった
って、この人くらいだもんなぁ むかしは欧米在住アジア系にはこの髪型多かったが
美容師がアジア人の髪質ちゃんと扱えなくて
パッツン以外の髪型ができなかったという
微妙な理由もあったり >>73
ほんとだなあ
>>41は普通だよな
ヘアメイクで成り立ってたとは ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています