ジェンキンス氏「アイドル的存在だった」 佐渡で悼む声


12/13(水) 5:37配信

朝日新聞デジタル
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171213-00000014-asahi-soci&;pos=3

佐渡市内の観光施設で働いていたジェンキンスさん=2007年10月
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 北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(58)の夫、チャールズ・ジェンキンスさん(77)が11日、亡くなった。
新潟県佐渡市内の自宅の外で倒れているのを長女が発見し、市内の病院に搬送されていた。突然の訃報(ふほう)に、
親交があった人たちはジェンキンスさんを悼み、曽我さん一家を思った。


 ジェンキンスさんは、在韓米軍に所属していた1965年に軍事境界線を越えて北朝鮮に入り、78年に拉致された曽我さんと、
80年に結婚した。曽我さんが帰国した2年後の04年、娘2人と北朝鮮を出国。経由地のインドネシアを経て、
同年12月から家族4人で佐渡で暮らしていた。

 本間啓五さん(66)は、日本語ができなかったジェンキンスさんの通訳を13年間務めてきた。
12日、報道陣の取材に応じ、「驚いています。あまりに突然だった」と話した。

 通訳だけではない交友があった。「よく自宅に遊びに行って、ご飯を一緒に食べた。
酒も肉も好きで、ステーキやハンバーグ、チーズを食べたな」

 ジェンキンスさんは来日後に免許を取り、250ccのバイクで佐渡を走り回っていたという。
「楽しい人生だったのでは。佐渡に来た時は体重が50キロなかったが、次第にふくよかになってきた」。
今年は、孫が生まれたことを喜んでいた。拉致問題については「解決してほしいが、今の北朝鮮は……と言っていた」という。

 ジェンキンスさんは、市内の観光施設「佐渡歴史伝説館」で11年間働いていた。館長の松田輝義さんは「朝のニュースで知り、
びっくりした。あんなに元気だったのに」と話した。「非常にまじめで、遅刻は一度もなかった。
同僚にジュースやアイスをおごったり、雑談をしたりして、アイドル的な存在だった。観光客にも人気があり、電話の問い合わせもよくあった」と振り返った。