【歴史】豊臣大坂城は現存城の地下に埋まっている…城下から見る天守 大坂城とまちづくり
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大阪の町と戦後に再建された現在の大阪城。豊臣時代の大坂城はこの下に埋まっている=大阪市(本社ヘリから)
http://www.sankei.com/images/news/180109/wst1801090009-p1.jpg
大阪のシンボルといえば、今も昔も大阪城。太閤さんの城というイメージが強いが、実は徳川の再建で、元の「豊臣大坂城」はその下に埋まっていた−。そんな事実が徐々に明らかになっている。上方文化を学ぶにはまず大阪のまちづくりから…となればやはり、大阪(坂)城を学ばずして大阪は語れない。
■「ブラタモリ」で取り上げてほしかった絵図
「ブラタモリ」というテレビ番組が人気を呼んでいる。古地図を手に、まちを散策し、現代に残る歴史の痕跡を探る番組である。
ブラタモリの大阪編は終わったが、ぜひ取り上げてほしかった絵図がある。江戸時代に幕府の大工頭を務めた中井家伝来の建築絵図である。昭和35(1960)年、中井家で「大坂御城小指図(さしず)か」と上書きのある袋から和紙に透き写した絵図が発見された。これが豊臣時代の大坂城の本丸図であった。
それまで、現在の大阪城は豊臣秀吉が築城し、大坂の陣の後、徳川氏が修復したものと考えられていた。しかし、34(1959)年に行われた大坂城総合学術調査で、現存の石垣や櫓(やぐら)はすべて徳川時代の新造であることが確認された。しかも地下7メートルの所から謎の石垣が現れ、その位置が中井家の本丸図と一致した。豊臣大坂城は現在の大阪城(徳川大坂城)の地下に埋まっていたのである。
中井家の絵図の出現で、秀吉時代の大坂城本丸の姿が現実になった。馬蹄(ばてい)形の堀と石垣は現在の大阪城と相似形で、南は空堀(からほり)、東から北は水堀という構成も同じである。しかし建物配置は異なり、現在の天守は本丸の中央にあるが、豊臣の天守は東北隅にそびえていた。
豊臣大坂城本丸図の発見から半世紀。膨大な中井家資料は大阪くらしの今昔館(大阪市)に寄託され、平成23(2011)年に重要文化財の指定を受けた。
豊臣大坂城の城下町については大学の後輩の宮本雅明氏の研究がある。氏は江戸時代に東横堀川の高麗橋(こうらいばし)西詰に建っていた櫓屋敷に注目した。これは高麗橋通を挟んで南と北にあった2棟の町家で、屋根の上に城郭風の櫓が載っていた。
宮本氏は江戸時代の地図に豊臣大坂城本丸図を重ね、2つの櫓屋敷の間から豊臣天守が見通せたことを実証した。当時、ヨーロッパはバロックの時代で、遠近法や眺望を用いた都市計画が行われていたが、櫓屋敷はそれに匹敵するものである。昭和に架け替えられた高麗橋には櫓をかたどった擬宝珠(ぎぼし)がある。これは櫓屋敷にちなんだ歴史の痕跡である。
ブラタモリは自然地形や土木事業から歴史の痕跡を探る企画が多い。私は建築学科の出身なので、建造物のまち歩きにこだわりたい。
(谷直樹・大阪くらしの今昔館館長)
■水路と大坂の産業戦略 圧倒的輸送力と「ワイガヤ」の土壌
地名には記憶がある。古墳時代、大和朝廷の職人集団が住む「玉造部」は勾玉(まがたま)の製造拠点だった。やがて大坂城下に入り、明治維新後に大阪砲兵工廠の関連商店や工場が広がって「大大阪」を支える。今、そこはJRの駅名や地名に「玉造」という名を残す。
「天下の台所」となった上方では、北海道の海草を見て昆布をつくり、出汁(だし)にして上方料理を生んだ。綿花を見て着物にし、ファッションを育てる。菜種を見て菜種油にし、夜を明るくした。海路によって全国から物資を集め、いろいろな人が集まり「それ、いいな」「これ、いけるのとちゃうの?」といったワイガヤから独創的なビジネスを次々と生みだしていった。
このワイガヤの土壌が、明治になって近代の上方を生む。大阪に設けられた舎密局(せいみきょく=明治政府が開講した理化学研究機関)、造幣寮、砲兵工廠といった近代産業基盤が整備され、大阪紡績がトリガーとなって、東洋のマンチェスターと呼ばれる「商業・産業」都市が生まれた。この地が長年培ってきた港湾・水路による圧倒的輸送力▽商工農が連携した付加価値創出力▽問屋・商社による交易力−などが、紡績、繊維、機械、家電という産業を上方に生みだしたのである。
(池永寛明・大阪ガスエネルギー・文化研究所所長)
産経ニュース 2018.1.9 09:00
http://www.sankei.com/west/news/180109/wst1801090009-n1.html 石山本願寺顕如が秀吉の下にいて、その上に徳川家がいて、いまは大林組か ローマなんかも埋めては建てての繰り返しだもんね。
栄枯盛衰だわね。 古墳の一つや二つ埋まってるでしょ、上町台地はこの辺りで唯一の高台だからな、
難波宮もコチラに有ったのかもね 難波は海抜ゼロメートル地帯やから都は作れんのや、 たしか利休の作った茶室がこのあたりにありました
とか大阪城内に看板あったけど
まるっきり適当なとこに立ててるんだな 大坂の陣は武士も町民も大量に刈り取られたから、今の大阪城の下には無数の骨が埋まってるで 電通が、内部で割れてる
それか、ネタが無いので利用しようとしてるのか不明
満州鐵道調査部は、いまはただの贅沢だけの暇つぶし集団か >>1
名古屋城もたしか信長が生まれた那古野城を家康がぶっ壊して名古屋城作ったんだっけ? 軽トララーメン屋台で、南米を売り歩くって番組で
途中のペルーで宇梶剛士が、
ぜひ見たいところがあるといって、地元の教会に行くんだけど
実はその下がインカの遺跡。
インカの王宮を壊してその上に教会を建てたんだと。
こんなバラエティで、わざわざ宇梶が強調してて
そこだけ異質だった 全国に嫌われたサルや本願寺を持ち上げるほど、ますます嫌われる大阪w だから今の大阪城を、秀吉風の黒に塗っても
あんまり意味ない >>22
元の名古屋城は信長自身が潰してる。
家康は清洲城潰して名古屋城作ってる。
信長色強い岐阜城も潰してる。
最近だと信長が生まれたのは勝幡城って説もあるらしい。 むしろ、大阪城内に軍事工場があったことの方が初耳だったわ。 昭和30年くらいまでは
あれは秀吉が作った大阪城だと思ってたらしいね 大阪砲兵工廠だろ、アジア一の軍需工場
大阪城ホールのところにあったが
終戦間際にB29に徹底的に破壊された 昭和の始めに大阪市民の寄付金で再建しようとしたが
徳川大坂城は石垣、堀は江戸時代の現存モノで価値があるから、
壊して、下に埋まってる豊臣大坂城を再建は無理
かといって大阪市民のカネで攻め入られた徳川天守を再建するのも変
というわけで豊臣大坂城と徳川大坂城のイメージを足して2で割ったような模擬天守を
徳川石垣の上に乗せたのが今の大阪城 >>32
大阪城近くを通る環状線区間だけ高架にしなかったのはなぜか?
大阪ローカルの番組でクイズになってて、それで軍事工場の存在を知ったわ。 >>32
一部建物残ってて国は保存しようとしたけど大阪市が保全命令無視して取り壊して大阪城ホール作った 遺跡→生國魂神社・難波宮→石山本願寺→大坂城(豊臣版・徳川版・現代版)
大阪城らへんの土地の移り変わりってざっくりこんな感じ? うちの玄関は、NHKの報道だと山口組が見張ってるようだが
あんたら山口組か?
しかし、地面は昨日もいったが陸上自衛隊が見張ってるんだが
山口組がアメリカの手先になってなにしてる 豊臣大坂城は現在の大阪城(徳川大坂城)の地下に埋まっていたのである
大きくすれば小さいほうが埋まってしまうのは当たり前 当時の建築力ってスゲーエネルギーだよな
半島の出城も石垣が残ってるし(簡単に壊せないくらい堅固) 石山本願寺の「石山」は豊臣時代の大坂城の呼称が、前時代の大坂御坊に適用されて大坂御坊の呼称になった。
大坂御坊に石垣はなかった。 >私は建築学科の出身なので、建造物のまち歩きにこだわりたい。
建築だけだと意味不明な区画割や境界、暗渠なんかに興奮するような趣味のやつにしたらすぐに「ふーん」「いいね」「素敵」で終わるのよ
もちろん街歩きのアクセントにはなるけど ちょっと掘ったら天守閣のシャチホコが、石川五右衛門がつけた傷ごと
まるまる出てくるポンペイ状態だと言うのですね? 昔から知ってた
>>1にもある通り結構昔の話だからな
ましてや今のはエレベーターで上がれるぞ >>22
頭悪すぎだろお前
信長が生まれた時代のちんまりした城を残しておけるわけない 神戸の福原のソープになってるが、むかし平清盛は
人間の人柱をやめさせて石を代わりにした 俺の居る香川県の、俺の近所には音田川というのがあって
平家の落人らしいのが沢山いる
俺はそれにみみなしほういちにされてるようだ
光源氏は何処にもない 55創価学会による組織的な嫌がらせの手口 簡略版
文中にある被害者とは、創価学会の嫌がらせ行為の被害者の事です
■組織的な嫌がらせ行為に住民等を巻き込む方法
・被害者の居住圏の住民と、被害者の職場の同僚や上司に、創価学会員がデマを吹き込み、被害者への嫌がらせ行為を正当化すると同時に
嫌がらせ行為への加担を依頼して協力者にする
・創価学会員が多くの住民組織で役員を務め、住民組織を動かせる状況を悪用して、被害者を不審人物や危険人物にでっち上げて
住民組織と地域住民が地元の警察署と緊密に連携を図って行なっている、防犯パトロールの警戒対象者にしてしまい
防犯パトロールを行っている住民達に、被害者に対して、尾行や監視、付き纏い行為等を行わせる(創価学会による嫌がらせ行為の代替行為)
・防犯パトロールに関与する地元警察署の警察幹部等を懐柔し、創価学会の協力者として抱き込む
■組織的な嫌がらせとして行われる具体的な行為
・(24時間体制の監視)被害者の自宅を、創価学会員や近所の住民らに共同で監視させる。被害者が外出した場合には、指定された電話番号に通報する
指名手配犯のような監視網が敷かれており、住民らに被害者を見かけたら通報するようにとの情報がいきわたっている為、
仮に創価学会員と近所の住民が気付ない間に外出しても、目撃した住民が指定された電話番号に通報する仕組みが出来上がっている
・(定点監視)被害者の位置情報が協力者に一斉送信され、被害者の位置に近い場所にいる協力者は、家の前に出て立ち話をするふりをしたり
ごみ捨てのふりや歩道の草むしりのふりをしたりして被害者を待ち伏せし、自宅前を通過すると、その旨を指定された電話番号に通報する
・(移動監視)被害者の位置に近い場所にいる協力者は、通行人やジョギングの人間、自転車で被害者とすれ違う
※防犯活動として行われている為、建前上、被害者が犯罪を犯さないか監視する名目で行われているが、実態はただの付き纏いであり嫌がらせ
・(創価学会による監視と付き纏い、尾行)上述の二点とは別に、創価学会が会員を使い、定点監視や移動監視(付き纏い)、尾行を行っている
車両による監視も行われ、その際には、被害者を盗撮し、その画像を協力者達にばら撒くという犯罪行為も行われている
・つまり、監視者の通報により、被害者の位置情報が正確に把握されており、その情報を基に、複数の人間で連携して監視するのが手口である
・被害者の位置情報を完全に把握している事を利用して、近くにいる警察車両を急行させて、被害者と故意に遭遇させる
この被害に遭っている被害者は、外出時に必ず一台は警察車両と遭遇する(警察側は防犯効果を狙ったものと弁解するが、実際はただの付き纏い)
・被害者のところに警察車両、追加で消防車や救急車を急行させた際、緊急時でもないのに、赤色灯を回転させて、サイレンを鳴らす
被害がもっとも激しい時だと、一度の外出に五台も六台も警察車両と遭遇し、全てが、赤色灯を回転させてサイレンを鳴らしている状態で
こうした事が連日続き、その期間が三週間以上続く事もあり、何もしていないのに警察から付き纏われる精神的ストレスから
被害を受けた人がノイローゼになったり、ストレス性疾患を発症する事もある(指示を出している警察幹部はバレたら懲戒免職)
・被害者が通り過ぎる際に、協力者にドア・引き戸・網戸等を音が出るように強く閉めさせる、咳やクシャミをさせる
表向きは人が監視している事に気づかせて、防犯をしているとされますが、実際には被害者にこうした行為を続けて、音を聞かせ続ける事によって
最終的には聴覚過敏症を引き起こさせると同時に、故意に行われる嫌がらせと自然音の区別をつかなくさせて、そこに過重ストレスを与える事で
被害者に統合失調症を引き起こさせる事が狙いであると考えられています
尾行や監視、付き纏いを含むその他の嫌がらせも、故意に行われる嫌がらせと偶然の区別がつかなくさせるのが目的(統合失調症発症の誘発が狙い)
・ストーカー行為で得た被害者の情報を利用して、その内容を想起させる言葉を協力者に喋らせたり、動作を取らせる事で、監視の事実を告げる嫌がらせ
・その他には待ち伏せさせた車両でハイビームを浴びせる、片目ライトの車を頻繁に遭遇させる、道を塞ぐ嫌がらせ、店舗内での嫌がらせ等 >>56
近所に、創価学会が来ていて、王城会とかやってたはずだが
埋められたんじゃないの、ついでに でもね。サルさんは優しいところもあって、町娘を 助けてもいたんだよ 1700年の歴史が埋まっているところ
難波高津宮が発見される日はくるのだろうか ブラタモリで真田丸を探索してた時、ふれてたと思うが。 >>25
低学歴が持てる知識を総動員してひけらかすとこうなるという見本のような間抜けなカキコだな。 >>17
大阪の冬の陣で、大砲で砲撃したことについては
もっと川岸に近いところに天守閣があるなら
射ち易かっただろうね 秀吉の城作りって窮屈なのばかり、独特の手法を使う。
軍略家として天才なのにもっと高く評価されるべき。
姫路城が秀吉時代の遺構残してるかな。 人は記憶型と思考型に大別できる
そもそも石垣などは再利用してるだろ
そっくりそのまま埋まってるわけでもないしな 宣教師が写実した大阪城はとんでもなくデカイ スペインにも無い大きさだって書いてあった >>35
アベが悪い。
じゃなかった、橋下が悪い。 家康はクズだからな。秀吉の廟を破壊して遺骨を捨てたし、豊国神社も完全破壊。
大阪城を修復して使うなんてありえんよ。ケチなくせに無理して江戸城を大阪城より大きく作ったくらいだからな。 大阪城を取り壊さない限り、
難波宮や旧生國魂神社は発掘出来ない。
発掘出来れば古代史が書き変わるような発見もあるだろうな。 徳川にも見つからず そのままになってる埋蔵金とか あるのかな > 大阪のシンボルといえば、今も昔も大阪城
俺は道頓堀の方が印象が強いのだが 皆が知らないという前提での記事だけど、
今の大阪城は徳川時代の再建くらいは周知の事実だよね?
逆に知らない人の方が少ないと思うけど 大阪の中心が大阪城
大阪は大阪城に近い場所から1丁目遠くなるにつれて2丁目3丁目と数字が大きくなる 今の大阪城は家康がつくったの?
いつ見てもそんなに古く見えないけど。
その下に秀吉の大阪城が埋まってるのか。知らなかったよ。
掘り起こしてみたら色んな遺体が発掘されそうだ。
秀吉、秀忠、淀、とか。 徳川大阪城の下に豊臣大坂城があり、
豊臣大坂城の下に石山本願寺城がある。
このことは、私しか知らない事実である。 >>73
仁徳の難波宮はスゲー発見ありそうだな
日本最初の計画的王都の可能性があるし >>82
仁徳天皇の難波高津宮址碑はどういうわけか、想定地とはずれた高校の敷地内に移設されている 神話と歴史の狭間の存在が仁徳帝だから
高津宮が発見出来たら日本史が変わる
>>83
清和天皇が探させたけどたぶん発見しきれなかった テレビ局、掘れよ
いつまでも徳川埋蔵金やってんじゃねえよ 大阪の中心にある
奇妙な地名
高麗橋
百済
江戸堀
京町堀
土佐堀
大国
播磨町
千躰
靱本町 >>66
侘びサビの千利休 対して派手な古田織部への殉職は家康の茶道を愛する気持ちだ 大阪城(秀吉版)と江戸城と安土城を発掘して
分かる範囲でいいからできるだけ忠実に再建してほしいなぁ
金のムダと総叩きになるだろうけど実物が見てみたい
想像図とか見るとワクワクする > ブラタモリは自然地形や土木事業から歴史の痕跡を探る企画が多い。
> 私は建築学科の出身なので、建造物のまち歩きにこだわりたい。
企画持ち込むのどうすか >>3
本願寺のさらに下には巨大古墳が
古墳の葺石が多く、だから「石山」本願寺、と ちなみに、大坂と大阪は漢字が別々な。
現代が大阪。
これも私だけが知っている事実 江戸時代にコンクリートでエレベーターのある天守を建造した徳川の技術は世界イチィィィィィィ! >>16
>古墳の一つや二つ埋まってるでしょ、上町台地はこの辺りで唯一の高台だからな、
>難波宮もコチラに有ったのかもね 難波は海抜ゼロメートル地帯やから都は作れんのや、
お城のすぐそばに難波宮跡があるよ >>79
大林組が昭和6年に建設した。
米軍の爆弾目標とされたが、爆撃にも耐えた。石垣の黒ずみは米軍の焼夷弾によって焦げた跡。 >>93
大坂に本願寺があった当時の史料には「石山」という表現がない。
したがって、大坂御坊、大坂本願寺などと呼ぶのが妥当。
豊臣大坂城の石垣を観た当時の人々が大坂城を「石山」と呼んだことが「石山」呼称の始まりとされている。 >>100
近鉄がビンボーやから閉鎖したけど子供の頃は伏見キャッスルランドってあったような。 >>106
パーシングミサイルか
そんで田んぼに綿を肥料にすると横取りけ
頭の上のほうにある戸棚
神棚の接線してない奴のアンテナけ おれさ、輪廻転生で今の時代にいるけど、この時代に農民で戦に駆り出されて徳川軍で通信兵やってたけど、
運悪く夏の陣でやられちゃったのよな〜
その時の大阪城はあんなに高い所になかったわ
だって狼煙上げて通信やってたからよくわかるねん お城は数多くあれど戦国三英傑が栄華の絶頂期に建てた城がどれも残ってないのがなんとも皮肉だな
安土城、大阪城(豊臣ver)、江戸城、どれか一つ位は再建してほしいね 安土は石垣をあそこまで整備したんだから天主は再現してほしいところだけど
実際の天主がどうだったかは不明なんだよね
あくまで予想案がいくつかあるだけ
ローマに送られた屏風図が見つかれば外観はわかるかもしれないが まあなんだ。レプリカにもならないエセ大阪城と今の大阪城は揶揄されるが、豊臣や徳川の建てた大阪城より今の大阪城の方がいちばん長く壊れずに建っているという話を聞いてクソ笑った覚えがある。
今の大阪城が本物の大阪城でいいよ。 >>112
そもそもあの山に天守閣を作っても、ほとんど登山なのでたいして集客できないと思うわ。
ロープウェイを設置しても赤字だろうし。 >>114
お前それ金華山の前でも同じこと言えんの? >>114
僻地のさらに最果ての僻地である
天空の城があれだけ集客できるんだから
その論理は破綻してるわ
ロープウェイやエレベーターは逆効果 >>120
安土城跡は霧でないけどな。
安土城跡だから人が来る理論なら関ヶ原もテコ入れすると人が来るはずだがなw
夢見すぎだわ。 >>123
今のところ安土城はどう再建しようと文句が来る状態じゃないかな 安土城、どうがんばっても趣味の悪いラブホテルにしかならない。 >>112
本当教皇庁か下賜されたりした
どっかの旧家あたりに残ってないんかね
あって欲しいな 安土城は再建の前にもっと発掘を頑張んないといけない。いろいろ出てくるっしょ。
岐阜城の麓だけど信長の居館の発掘だいぶ進んでて面白い。 >>127
史実の回廊張り巡らされた
岐阜城も見てみたいな
安土城よりは現実的だし >>122
2つも天主を再現されてる(あくまで想像だが)城とか安土だけだろ
あれを天主台に建てたら十分客呼べるっての
むしろ建てられるかどうかのほうが問題
跡地自体が総見寺の土地だし >>131
関西人は行くんだろうね。
他地域からは行かないよ。 大阪城地下には、中の国があってな。
王が眠ると言われているな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています