道鏡ゆかりの東弓削遺跡で見つかった「優婆夷」と墨書された土器=大阪府大阪狭山市の府立狭山池博物館
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 奈良時代の女帝・称徳(しょうとく)天皇の寵愛を受け、“陰の天皇”ともいわれた高僧、弓削(ゆげ)の道鏡が建立した由義寺(ゆげでら)跡とされる大阪府八尾市の東弓削遺跡で、「優婆夷(うばい)」「寺」と墨で書かれた土器が見つかっていたことが23日、分かった。

 優婆夷は、寺への資金援助をした在家の徳の高い女性信者を意味し、由義寺が天皇や信者の手厚い支援を受けていたことが判明。八尾市文化財調査研究会によると、「優婆夷」と書かれた土器は全国でも例がないといい、貴重な資料になりそうだ。

 東弓削遺跡では昨年、20メートル四方の塔の基壇(きだん)跡が見つかり、奈良・東大寺にあった七重塔に次ぐ高さ60〜70メートルの七重塔と推定され、道鏡の強大な権力を裏付けられた。

 土器は塔跡の北東約600メートルで、由義寺と一体で築かれた天皇の離宮「由義宮(ゆげのみや)」跡と推定される一角から出土した。素焼きの皿(直径17センチ)の裏面に達筆な文字で「優婆夷」と墨書。その下にも1文字あり、土器が欠損して判読できないが、女性信者の個人名ともみられる。

 「大吉」「福」と書かれた皿もあり、縁起物や儀礼用の可能性もあるという。

 優婆夷は、在家の男性信者「優婆塞(うばそく)」とともに当時の歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記され、奈良時代前半には存在。経典を読んだり、儀式に関わったりし、優婆塞は遣唐使として派遣されるなど重要な役割を担ったとされている。

 墨書土器は、大阪府大阪狭山市池尻中の府立狭山池博物館の特別展で28日まで公開される。

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 木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)の話「優婆夷や優婆塞は、出家はしていないが相当に徳を持った宗教者。称徳天皇や道鏡は仏教の力で国家を治めようとして由義寺を建立し、由義宮も政治だけでなく仏教を核とした離宮だった。墨書土器が見つかったことで、一帯に優婆夷や優婆塞がいて宗教活動を支えたことがうかがえる」

産経WEST 2018.1.23 15:11
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