>>1
非暴力的で被害者の居ない犯罪を理由に人を逮捕している全ての警官は拉致の罪を犯している。
投獄を宣告している全ての裁判所の判事は奴隷化行為の罪を犯している。
全ての立法者は、実際の事件からかなり離れているが、ロスバード派の見解では有罪である。
立法者の単なる法律の支持は彼自身や彼女自身を有罪にするのに十分ではないが、
もし彼らが法律等を可決する為に共謀していたならば、彼らは共謀の共犯者になる:
”もし[政治家]がその他の人と共に様々な犯罪を犯す計画や共謀に関与していたならば、
そしてその後に[その政治家]が彼等に犯罪を実行する様に伝えていたならば、
その時は彼はその他の人と同じ様にその犯罪に関与しているだろう、
もし彼がその犯罪集団を率いていた首謀者であったなら、尚更そうである。”

これらの立法者はロスバード派の見解における”犯罪集団を率いている首謀者”である。
彼らは警官や裁判所の職員により為された全ての逮捕、全ての投獄の罪を共有する。
再び、これは集団的処罰ではない。これは具体的な犯罪集団の行動への個人の参加の直接的結果である。

...そして防衛的な行動として、個人が街中で全ての制服警官により犯されている”物理的侵略、
つまり、物理的な暴力の脅迫、または直接的脅威”への応答として致命的な暴力を使用する事は
リバタリアン倫理に従って認められる彼らの権利である。

Dio Soze,Punishment & Protection: A Libertarian Defense of the Cop-Killers.
Dio Sozeはアメリカ合衆国のリバタリアン活動家、起業家である。

リバタリアン社会はどうやって実現される事が出来ますか?:

人は、彼の意思を行使する事だけでは貧困を撲滅する事は出来ない。
貧困はある経済的な要素の作用を通してしか撲滅される事は出来ない。...
それは長い時間を掛けて自然を変形する事によってだけ作用する事が出来る。...
しかし不正は有る集団から別の集団に負わせられる行いである、それらは全く人々の行動である、
そしてこれ故に、それらの除去は人の即座の意思に依存する。
勿論、そのような決定が即座に行われないと言う事実は論点ではない、その論点はそれを行わない事自体が
不正の加害者により決められ負わせられている不正であると言う事である。...
正義の領域においては、人の意思は全てである、人々はもしそう決意するならば、山を動かす事が出来る。
即座の正義への情熱、要するに、急進的な情熱はそれ故に貧困を即座に取り除く事や
全ての人を即座にコンサートピアニストに変える事への願望の様にユートピアではない。
なぜなら、即座の正義はもし十分な人々がそれを欲するならば、成し遂げられる事が出来るからである。

マレー・ロスバード 、Egalitarianism as a Revolt Against Nature.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。