【考古学】古墳時代のすずり出土 福岡市の比恵遺跡群 「邪馬台国時代に奴国で文字使用」★2
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https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/394877/
福岡市は16日、比恵遺跡群(博多区博多駅南)から3世紀後半の古墳時代とみられる石製すずりの一部が出土したと発表した。
遺跡群は古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「奴国(なこく)」の中心部にあり、
市は「邪馬台国時代に奴国での文字の使用を示す貴重な発見」としている。
市埋蔵文化財課によると、出土した石製品は、板状で幅4・7センチ、長さ最大5・4センチ、厚さ0・8センチ。
形状や、表面の磨かれ具合などから、すずりとみられるという。
2016年7〜8月の事務所建設に伴う発掘で見つかり、専門家に調査を依頼して判明した。
筆やすずりなどの文具は、弥生時代中期(紀元前1世紀前後)以降に、朝鮮半島から西日本に広まったとされる。
弥生時代のすずりは、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)や中原遺跡(同県筑前町)など4遺跡で出土しているが、
その後の古墳時代前期(3世紀後半)のすずり出土は国内で初めてという。
比恵遺跡群は、弥生時代に奴国の拠点集落があったとされ、これまでも竪穴住居跡や小銅鐸(どうたく)などが見つかっている。
市の担当者は「奴国が、文字文化もある重要な場所だったことを示す史料になる」と話した。
★1が立った日時:2018/02/17(土) 19:29:05.37
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1518863345/ 纏向遺跡が邪馬台国の有力候補地って言われるけど
言っているのは、発掘した桜井市の橋本さんだけなんだよね
吉野ヶ里にとどまらず、北九州の3世紀の遺跡を全体としてみたら畿内は見劣りする 前スレを総合すると、邪馬台国は九州で、大和朝廷とは別の勢力だったようだな
674 :名無しさん@1周年 :2018/02/18(日) 15:20:26.14 ID:DbD8lBU60
>>667
魏志倭人伝に「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」とあり
当時の倭人が文書で品物を確認していたとの記事があるから
文字があるのは邪馬壹國である証拠だよ。
966 :名無しさん@1周年 :2018/02/18(日) 18:43:02.74 ID:LNMXIHLi0
隋書倭国伝の記述は奇妙な点があるんだよね
魏志倭人伝では倭国は鉄の鏃を使用し、>>674にあるように文字も読めていたらしいのに、
数百年後の隋書では骨の鏃を使っていて文字は無しと書かれていて、文明が後退しているようにしか見えない
魏志の倭国と隋書に記された倭国は別勢力(たぶん九州と畿内)と考えないと辻褄が合わない 当時の列島住民は全身に入れ墨を入れてたらしいから、硯ではなく墨液を作る道具だろ。 4世紀に九州王朝が、なぜ海外との交流をしなかったのか?
硯があって、文字が書けて、高い文明があって、なぜ?
海外の書物で成立している王朝は、海外の書物で沈黙している。 >>1
最新の研究によれば、日本人の祖先は韓国人で、卑弥呼もその流れをくむということがほぼ確定しているらしい。
韓国からは優れた技術が伝えられたことが分かっており、文字についても韓国から渡って来た可能性が濃厚だそうだ。
隣国だけあって、やはり日本は韓国と関係が深い > 119 :名無しさん@1周年 :2018/02/17(土) 22:59:38.31 ID:/rv+H4an0
> 魏志倭人伝にある、
>
> 「倭王因使上表答謝詔恩」
> "倭王は、使によって上表し、詔恩に答え謝した"
>
> という一文からも、漢文の読み書きができる人がいたことは
> 確実だからな。
やっぱり魏志倭人伝の頃は文字が読めたんだね
>>8のように隋書の頃には文字がなくなったのは不思議だけど、ぜんぜん違う集団だったと考えれば有り得なくはないかな >>1
最近の学説では、卑弥呼の生まれは韓国ということがわかっている。
稲作も金属加工も韓国からもたらされたものであり、日本の文化の発展に、韓国はなくてはならないものだったようだ 天皇家は南部九州出身だから、北部九州とは別の系統の
ひとたちが近畿ではじめに王朝を作ったのかな。 邪馬台国の場所は特定できてないけどどういう理由で奴国は特定できたんだろう 通訳伴わせて使者送ってんだから当然中国語も漢字も知ってるだろう
一般人の話だろ >>14
いや、そこは疑問だな。
落語に「粗忽の使者」というのがあるけど、江戸時代になっても
使者の基本は「口上」だった。もちろん文書も持参するけど、
それはあくまでバックアップなのだ。
晋書倭人伝にも、魏の文帝の頃にやってきた女王国の使者は
「重譯入貢(通訳を重ねて貢を納めた)」とあって、これも音声による
プロトコルだよね。 >>18
卑弥呼は韓国出身。
その卑弥呼が当時、移動に使った経路や手段は何か?を考えると、簡単に答えは出る。 >>23
韓国という名前の国は無くとも、当時は国があった。わかりやすく韓国と言い換えただけ。 まぁ〜当時は戦に負けると屋敷ごと燃えてしまったから必然的に焚書もなされた訳だ。 竹下通り沿いのあの空き地かね?
だとしたら目と鼻の先やわ そもそも中国との交易は何百年に渡るわけだからな
知らないわけがない 隋とは日いづる天子の件で仲が悪かったんじゃないか。 記紀のエピソードにある天孫降臨
天皇の先祖が「ここから懐かしい韓の国が見える」という由来の韓国岳
いまも九州に実在する日本の名山です >>13
大陸と縄文人の関係はDNAで否定されてなかったか?
弥生人が朝鮮由来だが現在の韓国人とは人種が違う >>28
時代劇で殿様の上意を伝えに行く使者なんかも、
文書を渡しておしまいじゃなくて、上座に立って読み上げるよね。
あれは殿に成り代わって宣言しているわけで、
その言霊があって、初めて強制力が生じるのだ。 >>30
随の記録には聖徳太子も推古天皇も記述がないってきいた
なんと当時の日本は男王だったとか
だれやねん 文字といったら漢字しかなかったからねえ。
中国に取り込まれないために文字の受容を制限してたんじゃないか。 あと日本神話に朝鮮の様子を伺うヒントがある
スサノオは高天ヶ原より朝鮮に降り立ったが毛外の地に要は無いと日本に渡って来た、そしてヤマタノオロチ退治の話に移る >>2
チョンは史的に文盲奴隷
陰口中傷に生きてきた
文字は無用、だからハングルのようなかす文字しか要らなかった >>23
加羅はあったかもしれん。
唐をカラと読むのもその名残。加羅物とは外国産品全般を指す。 しかし、木簡、竹簡が出てきてもよさそうなんだがなあ。 半島に四世紀くらいの石碑があるやんけ(笑)
倭と百済が攻めてきた!とかいうやつ
これもネ卜ウヨの無かった事リスト行きですかな?w >>23
於是詔而此地者向韓國真来通笠紗之御前而朝日之直刺國夕日之日照國也
是(ここ)に詔(の)りたまわく、此地(ここ)は韓國(からくに)に向かひ、笠紗(かささ)の御前(みさき)に真来通(まぎとほり)て、
朝日の直刺(たださ)す國、夕日の日照(ひで)る國なり。 >>44
それはコリアより先に日本が朝鮮に入ってたことを示す史料なんだが。 >>40
まぁ〜どのような漢字を当て嵌めたら妥当かなんて思案したのはおおのやすまろの時代からでしょう?
そらまでは出来るだけ卑しい文字をあてがった。 竹簡木簡が出てこないということは、やはり倭国でも紙が流通して、
紙に書いてたんだろうねえ。
ちょうど三国志の時期は、紙が劇的に普及し始めた時期だし。 >>42
日本語(やまとことば)で「カラ」だと「ハラカラ」「トモガラ」「ヤカラ」「ウカラ」など
の「カラ」だな。共通の性質を持った集団を表す言葉。
これが加羅とつながるかどうかは知らん。 >>46
それとて韓国と言う一つの国は無いわな
三韓なわけだし 日本国内は統合もされてないし方言も多いだろうからな
とてもじゃないが統合された文字なんて作れる段階じゃない
地方だけのドマイナー文字くらいはあったかも知れないが 紙の文献が残ってないってことは徹底的に抹消すべき敵だったのかな
邪馬台国VS大和朝廷が現実味を帯びてきたな >>53
日本書紀で神功皇后を卑弥呼だと比定してるんだが >>8
これは決定的だな
ゴッドハンドで塗り固めた畿内説完全崩壊w >>54
失敬な。
毒女の卑弥呼と違って神功皇后は聖母だってば。
聖母マリアは東方の三賢者が予言したユダヤの王を生み、
聖母神功は住吉三神の導きで八幡神応神帝を生んだのだ。
うんうん。 カンパチ ★ sage New! 2018/02/18(日) 19:01:16.87 ID:CAP_USER9
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/394877/
福岡市は16日、比恵遺跡群(博多区博多駅南)から3世紀後半の古墳時代とみられる石製すずりの一部が出土したと発表した。
遺跡群は古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」 10世紀あたりの唐の時代の地図を見たら、倭と日本が
わかれていたけど、だから向こうのひとは倭と日本が別だと
思ってたということで、たぶん邪馬台国は日本のほうじゃないか
とは個人的には思うけど。
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
邪馬台国卑弥呼は親魏倭王の称号を貰っている。
邪馬台国、それに連なる大和朝廷が倭国。 >>58
毒女かどうかは知らないがなんぼ母系文化の影響が強いからといって当時で千人の女官を配下に置いていて呪術を駆使して国を治めていた裸she-から温泉街の女将だったんじゃねーの?
https://m.youtube.com/watch?v=PJmbccnw2Jk 支那と外交関係ある小国は、皆、文字使用してましたが何か。 出雲や尾張、阿波、九州の縄文系勢力がヤマトなど畿内の渡来人勢力を征伐して出来たのが、邪馬台国それに連なる大和朝廷。
四道将軍で関東東北の縄文人を征伐平定したのも彼ら大和朝廷です、 >>62
トヨはそそられるよなあ。
記紀で出てくるのは日向神話で神武の婆ちゃんだけど、
キーアイテムの潮満珠・潮枯珠も含めて伝承が濃いのは周防灘だ。
つまりトヨの国(豊前・豊後)で宇佐神宮の媛大神と八幡神。
>>65
温泉宿は知らんが、「古代史の謎は「海路」で融ける」(長野正孝,PHP新書)では
旅行代理店の女社長という説だった。半島に鉄を買い付けに行く人たちの
ツアーを組んでたんだとw 倭人には文字も暦もない。
魏志倭人伝や隋書倭国伝にそう書いてある。 >>74
魏志倭人伝に「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」「倭王因使上表答謝詔恩」 とあり倭人が文字を使ってたとある
隋書倭国伝いは「夷人不知里數但計以日」とあるけど
倭人は文字も暦もないなんて記述はどの文献にも無いな。 >>76
日本書紀では歴史の順序の入れ替えや
同じ天皇を分けたり複数の人物を纏めたり
自由自在に書き換えてありますから
無意味な研究ですね。 >>43
>>49
書かれた文書の数自体がまだ少なかったんだろうな
その内に出るかもしれんな。 >>79
無文字唯刻木結繩 敬佛法於百濟求得佛經始有文字(隋書倭国伝)
訳:
文字はなく、ただ木を刻んだり、縄を結んで文字代わりにしていた。仏法を敬い、百済に仏典を求めて手に入れ、
始めて文字を有した
百済から仏教の経典を入手するまで文字を知らなかったとある
九州では>>1の通りもっと前から文字に触れ使用しているので、畿内と九州は別勢力だったと分かる >>78
有り得んわなw
それよりお釈迦様もキリスト様も奇跡で病人の治療を行っているから温泉に浸かりマッサージと心のリラックスを併用して治療出来れば神として崇められても不思議じゃない。 >>12
朝鮮半島で覇権を巡り高句麗と戦っていた。 高千穂から伊勢へは土佐湾と南紀の沿岸沿いに移動したのだろう
>>55を見て思った
瀬の速い瀬戸内沿岸は操船技術がないと危険だ
昔の地震と津波で太平洋側の痕跡が消えたなら想像することしかできない >>2
日本では中国の華南でしか育成されていない米が出土しているが
朝鮮半島では出土されていない
この事から弥生時代から既に中国との海路が確立されており
朝鮮半島を通らずに交易や文化交流が実在したとされる >>78
懐妊期間も不自然だしね。
仲哀天皇の子じゃないんだろうな。
応神が生まれて誰が喜ぶか?スクナヒコナ。
まぁそういうことなんだろうね。 >>85
これは倭国に文字の伝った過去の事を書いてあると思うんだけど
魏志倭人伝にあるように文字は仏教伝来以前から伝わってたから
隋書倭国伝は誤った情報ですね。 >>92
魏から隋の間に、何らかの理由で漢字文化のリセットが起きたんだろうな >>90
魏志倭人伝に「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」「倭王因使上表答謝詔恩」 とあり倭人が文字を使ってたとある
2〜3世紀の硯が何個も福岡市周辺で出土してるから
北部九州で文字が使われてたのは確実ですね。 卑弥呼は大陸由来の鬼道の使い手だったから、読み書きも出来たんじゃないか >>88
瀬戸内海航路の開拓が遅かったのには傍証がある。
四国側と山陽側の民俗が違うのだ。
四国側は南九州の文化で、産屋とか生理小屋とか、
やたら単機能の小屋を建てたがる文化。山陽側は北九州の
海人たちの文化。若者宿とかの年齢階梯制が特徴。
ただし神武は吉備に寄ってるから、たぶん山陽陸路なんだよね。
このへん、出発点を日向にしちゃった矛盾がある。 >>91
まぁ〜男の子が生まれたらどーたら女の子が生まれたらこーたら
家に火を点けてなんたら、いろいろあらーなw 中国側の書によれば
倭人は呉の祖の太伯の子孫だと言っていたんでしょ >>92
だから、魏志倭人伝に書かれている文字のある倭国は九州で、
隋書倭国伝に書かれている文字の無かった倭国は畿内なんでしょ
2つの勢力は別物とすれば矛盾はなくなる >>94
隋書俀国伝で俀国は仏教国ですから
既に文字はあるってことですよね。 >>91
>応神が生まれて誰が喜ぶか?スクナヒコナ。
神話の神が喜ぶのか。 >>93
当時は百済も新羅も倭国の属国でしょ
高句麗と倭国が朝鮮半島の支配権を争っていた。 福岡や大阪、伊吹山〜若狭の歴史は隠蔽されているな。 >>1,2
硯の起源は5億年前の韓国の英雄スン・ズンリであることは歴史的事実ニダ >>13
フェイクの「慰安婦問題」に見る朝鮮民族の下等なゲス根性の根深さだけを
とってみても日韓間の遺伝的なつながりは極めて否定的なほどに乏しい。
すくなくとも精神美学は白人と黒人ほどに外見に差がついている。
無論、朝鮮民族が黒人、なw 隋書のやつは、独自の文字を持たないという意味か、野蛮人だと言いたいがための捏造じゃないかな >>91, >>103
喜んだのは敦賀の気比神宮のイザサワケ。
応神と名前を取っ替えっこして、イルカをいっぱいあげたのだ。
そういうことなんだよな。うんうん(←謎) 前スレ978の「畿内では4世紀くらいまで王墓が無いんだよな」だが・・・
一昨年こういうのが見つかったのを知らないのかな?
(164)瀬田遺跡の円形周溝墓
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2017/04/tanken164.html
> 2016年春、橿原市の瀬田遺跡で、弥生時代の終わり頃に造られた「円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)」が
>見つかりました。円形の墳丘の南側に台形の陸橋がとりついており、古墳時代の「前方後円墳」にそっくりです。
>全長はおよそ26メートル、墳丘の直径は約19メートル。残念ながら、墳丘は後世に削りとられていましたが、
>周溝がよく残っていたため、お墓の形や大きさがよくわかりました。
> 瀬田遺跡の円形周溝墓は、県内で見つかった最も古い前方後円形のお墓です。橿原市の東北に位置する
>桜井市には、最古級の前方後円墳とされる箸墓(はしはか)古墳や纒向(まきむく)石塚古墳があります。ところが、
>さらにそれよりも古い前方後円形の円形周溝墓が、これまでに香川県や兵庫県、大阪府、滋賀県では見つかっ
>ていました。
> 当然、奈良県でも纒向石塚古墳よりも古い、前方後円形の弥生時代の周溝墓が見つかるはず……。そうした
>予想と期待に応えたのが、今回の発見だったのです。瀬田遺跡の円形周溝墓から纒向石塚古墳へ、そして箸墓
>古墳へと、前方後円墳がどのように出現したかを考えることができるようになりました。 >>108
当時の石碑とかないし、文字があった証拠は何もない。 >>85
百済人が隋にホラを吹いて
我々が仏教と文字を倭国に教えてやったニダ
と言ったのかもw >>111
流石にこの時期だと銘文の入った鉄剣とか文字が使われてた証拠はありますよ。 >>76
計算手法が違っても結果がほぼ共通というのが興味深い
神武天皇はだいたい3世紀末から4世紀始めの人物か
とすると畿内に古墳が出現しだした時期と概ね一致するな
いずれにせよ、邪馬台国より少し後の話ということになるが >>109
蘇我氏の祖でもある武内宿禰が同行した際の逸話だが、蘇我入鹿の名前は決して貶められたものでは
なく先祖と関わりがある縁起物だというのがわかる。 五王とか一年を半年でカウントしてたとかだろ
だから神武が紀元前じゃ無くなるんじゃなかったっけ。
まあ近畿は当時罪人の流刑地だよ。
誰が蝮とか湧いてる湿地帯に進んで行くものか。
文字も知らない奴隷に開拓させただけだろ >>113
稲荷山古墳出土鉄剣はもっと後の時代だろ。 邪馬台国までのルートはちがうんだよね、
そこは奴国ではない。
金印も偽物。 >>115
イルカとウマとエミシだっけか。
貶められたかどうかはさておき、独特のネーミングセンスだよなw 奴国は直方や飯塚など遠賀川流域だろうな。
博多は一大卒。 中国からの渡来人が使っていただけだろう?倭人は漢字を知らない。 漢の王様から金印を拝領したのが西暦五十七年で、そのご漢と奴国の通商は途切れた
訳じゃない、当然貿易もしたはずだし、奴国の若者を留学生にして漢で学ばせたはず
だから北部九州は先進文化の中心地だった。 >>116
半年を一年とカウントしても、六十歳〜七十歳も生きる大王が長く連続して存在することになる。
やはり、不自然だな。 九州>>>>>>>>>>近畿
がこれで証明されたな >>119
逆算したからだろ
宋史や新唐書とかの記述を見ると王年代記には天之御中主が初代で天照大神も書かれてたようだしな その訳の分からん表の人調べてみたら電気技術系だの、経済学だの出てくんだけど
最初の人はオーガニック野菜がどうのこうのとかw
なんだそれ >>8
なんでこれが九州説にとって決定的なんだよ
奴国や伊都国のエリアですずりが出た
帯方郡の役人が使っていた可能性、一大率が使っていた可能性、奴国や伊都国で使っていた可能性があるというだけだ
奴国や伊都国は邪馬台国とは別の国
アホらしい
隋書倭国伝を参照するなら「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」も引用しろよ
隋書の時代の都である大和=魏志の邪馬臺とはっきり書いてあるんだが >>76
複数の計算結果がこれだけ一致するというのも面白い
概ねそのあたりの人物なんだろうな >>97
鬼道をWikiで検索して見たら諸説が混在していて断定出来ない見たいだ。
戦国時代でさえ人生50年と言われていたのに邪馬台国の平均寿命は高かった見たいだから
やっぱ海の幸山の幸に恵まれて尚且つ温泉郷だったんじゃなかんべか?
内乱で傷を負った豪族達も遊女が千人も居れば喧嘩することもなかろうw
日本独自の文化を鬼道と表現したのかも? >>131
>隋書の時代の都である大和=魏志の邪馬臺とはっきり書いてあるんだが
それは地名が似てたから裴世清が勝手にそう思ったというだけで特に根拠のある話じゃない
同じ隋書の中で多利思比孤の口からは神武天皇の時代に九州から遷都してきたと言われてるしな >>131
魏志倭人伝に「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」とあり当時の倭人が文書で品物を確認していたとの記事があるから
文字があるのは邪馬壹國である証拠だよ
文字のない畿内はノーチャンス 日本語はまだない
日本人同士では文字を使う必要がない段階
だから畿内に文字がない
そして中国人と関わる時には文字が必要
だから中国との外交を行う畿内から送られた一大卒が駐屯する伊都国などの九州に字がある
記載通りだな >>138
たまに土器に書いた文字が出てきたりするな >>135
今回すずりが出た博多を邪馬台国だと言い張ってろよ >>137
どんな関数を使用しようとも、結局、常識的な在位期間にフィッティングするのだから、同じような計算結果にしかならんよ >>137
それぞれの人が「なぜその関数を選択したのか」の説明に興味がある。
まあなんとなく非線形な気はするけど、合理的な理由はないよね。 >>139
言語学を全否定w
日本語は他の言語とは最短でも5千年以上前に分岐した孤立言語だぞ 邪馬台国時代って何だよ。
そんな時代は存在しない。 >>147
何言ってんだと思ったら「日本語がない」のところか
日本語を示す文字がないって話 >>150
おりょ、ありがとう。
じっくり見えてみるっす。 >>151
都であるはずの畿内には存在しなかった文明が何故か地方の九州にはあったって??
そんなキチガイ説を唱えるから近畿パーは馬鹿にされるんだよ >>148
>>154
旧天皇家である蘇我氏の業績を、一人に集約すれば、そら聖徳太子のようなスーパーマンになるわな >>139
>一大卒が駐屯する伊都国
一大率は女王国以北に居たと魏志倭人伝には記されてる
一大卒が駐屯する伊都国ってなんだよw >>155
根拠ない。
聖徳太子は蘇我氏に殺されたろ。 >>118
「漢委奴國王」の金印は本物だと証明されてますよw つくしの由来だよな。
築石が訛ったとか色々説があるが。
人の命をつくす神(人命尽しの神)がいたことによるという説もある。
どういう由来なんだろうね。 >>157
分割して敵対関係だったとし一族を貶める手法 しらぬひ、つくしの枕詞。
どっちもどういう意味なんだろうね。 >>131
類書まとめて注釈書いただけの本が、遍歴の根拠とかw >>146
産業革命レベルの医学の飛躍でもない限り、非線形性の入り込む余地はないよ >>159
「津奇し」でどうだ w
"くし"は首や頭の意味もあるらしいね w 畿内論者って邪馬台国の存在を魏志倭人伝に根拠を求めながら
邪馬台国が九州にあるという表記を、「当時の方位はいい加減だ」などと
言いがかりをつけて否定して、魏志倭人伝に全く書かれてない畿内に
邪馬台国があったんだと言い出す歴史書改竄主義者の集まりだよな
まず畿内論者は畿内に邪馬台国があったと推察できる文献から出してみろよ >>159
月読命じゃね。
卑弥呼が天照で世話をしてた月読命
破門された素戔嗚神武 >>159
「つくし」の隣に「つこ」いう地名があんねんで 今回、硯の破片が出た所は俺の家から自転車で10分足らずの所、あの辺の地理も詳しいから
その内に行ってこようと思っている。博多はローマやアテネと同じ古代都市だから
地下を掘り起こせば古代の遺跡が面白いほど出てくるんだが、今も繁栄しているから
掘り起こせないのでそれは無理な願いと言う事 しらぬひ は古事記では白日別との記述
しらぬひ の万葉集での詠み人は誰? >>161
そもそも、奈良自体が福岡のぱくりなんだよ。 朝鮮半島が2000年間進化してないのはよく分かったよ 太安万侶が「日本語を漢字で表記するの難しすぎる」とか古事記でブチ切れてて笑える
日本語特有の文字が登場するのはだいぶ先だから仕方ないな >>173
自己解決
シラギはシロとも言われていた
クダラはシラギをライバル視していた >>70
魏志倭人伝
自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史 王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露
傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯
「女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。」
女王国より以北には、特に一人の大率を置いて検察し、諸国はこれを恐れはばかっている。常に伊都国で政務を執っている。(魏)国中における刺史の如きものである。
(邪馬壱国の)王が使者を派遣し、魏の都や帯方郡、諸韓国に行くとき、及び帯方郡の使者が倭国へやって来たときには、いつも(この大率が伊都国から)港に出向いて調査、確認する。
文書や授けられた贈り物を伝送して女王のもとへ届けるが、数の違いや間違いは許されない。
一昨年、「伊都国」からも硯が出土している。
福岡の三雲・井原遺跡
http://www.sankei.com/west/news/160301/wst1603010085-n1.html まあ、邪馬台国の中心は福岡だよ。
邪馬台国周辺の奴国は福岡市、伊都国は糸島市だからな。
おそらく、中心は福岡県朝倉市辺り。 しら/ぬひで分かれるのかな。
しらが新羅?
しらは白ならあからさまなという意味か。
ぬひはなんだろう。奴婢ではないと思うけど。 日本にも甲骨文字があったじゃないか。
対馬文字(つしまもじ)は、神代文字の一種。対馬卜兆文字(-まちがたもじ)とも呼ばれる。
日本語の五十音を表す47種の文字からなる。撥音の「ん」に相当する文字はない。(「ん」が出来たのは室町時代以降である。)
亀卜の卜兆から生まれた文字とされ、対馬市の雷(いかつち)神社で行われる亀卜神事では、卦を読む際にこの対馬文字やアナイチが用いられる。 >>181
九州には神代文字で書かれたウエツフミがある >>159
倭・倭人関連の中国文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE
『宋書』の楽志に、「白紵舞歌」というものがある。
その一節に「東造扶桑游紫庭 西至崑崙戯曽城」
(東、扶桑に造りて紫庭に游び、西、昆崙に至りて曾城に戯る。原文の「崑崙」は山へん付である。)
という下りがあって、この「(白)紵」というのは「呉」(春秋時代)に産する織物であったことに加えて、最近、遺伝子分析技術の発達(DNA分析など、一種の分子単位次元の形質人類学)によって、
筑紫地方(『日本書紀』の「国生み」)と、呉人は極めて関係が深いということが明らかになってきた[1]。
『日本書紀』の「国生み」での「筑紫」の国名の命名では、そういった当時の背景の影響を受けたことは明らかである。
そういった影響を受けたものとして「漢委奴国王印」が発掘された志賀島一帯(「香椎、カシ」は百越人地帯としての「越(コシ)」の訛り)は、
春秋時代末期に「越」によって滅ぼされた「呉」の海岸沿いの住人たち(入れ墨の文化があった[2]。)が海路、亡命して漂着した所であることが、上記脚注のように、最近の発掘調査やDNA分析技術の発達で明らかになってきた。(安曇族) >>179
北九州は大陸への玄関
玄関を都にはしない 遠賀川は石器の一大製造拠点で九州一円に出荷していた。
石筒之男神
つくしは築石の可能性はあるかな。
つくしの君が、磐井。イワイ、岩イ。 >>186
当時の関西は未開で土人しか住んでなかった。 四国側と山陽側の民族については知らないのだが
遺伝子的に言えば南九州と山陽(日向と吉備)はかなり近い
相当離れているのに岡山と香川の遺伝距離より近い
偶然なのかどういうことだか分からない >>187
ゴッドハンダー畿内の戯言集なんて読んでも何の意味もないんだよな
いまだにハシハカガーとか言ってる知恵遅れなんて相手にするだけ無駄
あれは4世紀のものだって掘った当人が言ってるのに
http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo102.htm
> 800ページをこえる厖大な報告書『纏向』の土器の部分を執筆された橿原考古学研究所の考古学者、関川尚功(せきがわひさよし)氏ものべる。
> 「30年以上、奈良の発掘を見てきましたが、三世紀の邪馬台国に結びつくものはいまだに出てこないんです。
> 私は、箸墓古墳は四世紀のもので、卑弥呼とは関係ないと思っています。奈良には畿内説の研究者が多いのですが、
> 歴博の結論に賛成している人はほとんどいないと思います
>>76を見てもちょうど崇神天皇の時期と一致してるしそのあたりの時代のもの 聖徳太子=善の蘇我氏
蘇我入鹿=悪の蘇我氏
ジェミニのサガみたいな感じ? なんか出雲のほうだけレアな遺伝子があるっていうじゃん胸熱 奴国は大陸との玄関口なんだから、そりゃ出るだろ
鴻臚館もあったし >>159
築石なら筑後の石人文化が思い浮かぶ
筑後は高良山とか朝鮮系ととれる名称も残り新羅との関係が深いと言われる筑紫君磐井の乱で大和政権と対立するね 漢字は間違いなく古代中国由来だけど
ハングルは歴史100年にも満たない新興語だからなあ
そもそもハングル作ったのも日本だけどな
ただ朝鮮半島自体は元が中国だったんで日本語自体を広めるのは困難だったようだ
中国語と日本語が混ざって変な言葉になってる、それがハングル 縄文時代13000年、弥生時代700年
弥生時代始まりから現在までようやく2300年
海外からの流入は常に少しづつあるからそりゃDNAも変化するだろ
1500年以降は西洋人も流入してるから西暦14000年台にはDNAも西洋人に多少は近くなってる 昔から
鶴は千年 亀は万年 東方朔は八十年
三浦の大助百六つ
というからね。 玄界灘周辺に大陸との交易で栄えた大和王権とは別の王朝はあったのは、
ほぼ確定だな >>197
もし邪馬壹国の都が奈良にあったとしたら、
玄関口の筑紫だけが文化的で華やかな
ビンボッチャマみたいな国だったことになるなw 古墳時代の鉄製武具は100%朝鮮半島からの輸入品だったそうだな
この時期の日本の製鉄技術はまだまだだったわけか >>202
http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo102.htm
> 800ページをこえる厖大な報告書『纏向』の土器の部分を執筆された橿原考古学研究所の考古学者、関川尚功(せきがわひさよし)氏ものべる。
> 「30年以上、奈良の発掘を見てきましたが、三世紀の邪馬台国に結びつくものはいまだに出てこないんです。
> 私は、箸墓古墳は四世紀のもので、卑弥呼とは関係ないと思っています。奈良には畿内説の研究者が多いのですが、
> 歴博の結論に賛成している人はほとんどいないと思います >>208
九州に卑弥呼の墓とされる円墳の痕跡などどこにもないのによく否定できるなその教授w
こいつの説だって奈良の学者と変わらん願望でしかないw >>204
呉音よりももっと古い段階の音(上古音)だった可能性の方が高い >>208
>歴博の結論に賛成している人はほとんどいないと思います
これわざと誤解をさせているな
多くの考古学者が歴博の発表に同意してないとしても、それは自分の年代観と10年違う20年違うという意味
関川みたいに150年だか200年違うと異議を唱えてる考古学者は一人もいない >>206
びんぼっちゃまは福岡生まれの小林よしのりが作ったキャラですが
あれは博多っ子を表しているんでしょう
人国記には親を質に入れてでも見栄を張る風とかそんなことが書いてあるそうな >>209
涙拭けよ近畿パーw
>>212
捏造乙 天皇家の始まりは天智から、は本当っぽい。日本書紀はハクづけなんだね >>138
それがちっとも出てこないな
奈良時代によほど徹底的に処分されたか >>213
人国記
【筑前】
「筑前の国の風俗、大体 飾り多くして、人の心十人は十人、皆思ひ思ひに違えり。
勇気も一応は勤め遂ぐるといへども、飾りある風俗ゆゑに、終には何事も成就すまじき国風なり。
西国(近畿から西)に珍しき花奢(きゃしゃ:上品で優雅)の国なり。
酒色を好むこと、千人に七、八百人かくの如し。
惣じてこの国は万時の風俗、我がために徳のつく事なれば、我が親 中絶(断絶の意)する人をも親しみ寄り、親を捨ててもその人に親しむの風儀、甚だ然るべからざるなり。」
@みな考えてることがバラバラ、人それぞれ考えが異なる(=同調圧力がなく個人主義)
A一応形だけ勤めは果たすが、戦国武士としては全く成果が上がらない
B優雅で派手な国で、筑前の大多数の男は酒や女遊びを好み、親のことを省みず遊び呆ける風潮がある
まことにケシカラン国である。 >>167
文字が見つからなければDNA分析しろよW
エロ本くらい再現出来る >>217
福岡藩が明治維新の時流に乗れなかった理由がその中に書いている、
福岡藩士は元々が岡山から来たから軟弱なんだよ。 しかし古墳時代は九州よりも奈良の方が繁栄していても不思議じゃ無いのに硯の
欠片も出らんのか、古墳の副葬品も土器や銅鏡などのどうでも良いようなものしか
出土していないからな、奈良がいかに貧しい地域だったかが想像出来るよ
九州の古墳の副葬品は金銀翡翠製品がざくざく出土している >>2
むう、やはりお前たちは光と影...
ネウヨのいるところに必ずや、おまエラもいる... >>219
神無月には邪馬台国に集まり収穫祭が行われたんじゃねw
https://m.youtube.com/watch?v=2bybn8l8BHM
酒宴女優の親分が卑弥呼だったんだよw
スサノオの性格から察するにヤマタノオロチ胎児も何となく理解出来るし
日本神話は邪馬台国で生まれたんだよw もう古墳ほっちゃったらいいのに
いくらでも史料でてくるだろ >邪馬台国時代に奴国での文字の使用を示す
漢字だろ。漢字の伝来、使用は古いよ。従来の歴史教科書は間違ってる。 >>219
福岡ってのが岡山県の地名に由来するってから、岡山から来たっていえなくもないが、
福岡藩士の大部分は、兵庫県の播州地方から来たと思うぞ。 >>217
花奢は華やかにおごること、はででぜいたくなことなので
あまり上品で優雅には聞こえないな >>220
文明利器を嫌う感じだと、支配で保守的な宗教性が高かったって事があるな。
文様(象徴)と色(朱)の意識は高い。その利器の先進性も高い。
導入した先進文明を変容させる意識(文化)の源でもある。
また写真のように言葉が写るのを忌避していた可能性も根強くあった。
このような宗教性がなきゃ三輪の山ヘビなんか恐れんだろ w >>205
通説の人はこれが許せないみたいだな
何が何でも奈良起源説に固執してる。
>>215
神武〜欠史八代〜天武が天皇家の本当の家系だろう
崇神〜天智は九州倭国の歴史だろう。 漢方薬とか
水墨画とか
字以外の用法もあるんじゃね? このスレで色んな人が色んなこと言ってるけど、どれも願望の域を脱していないのが空しいわ >>216
過去の外交文書や歴史書はヤマト朝廷に持ちされれた可能性は高いな。 ナガスネヒコなど記紀で敗れたとされる勢力。
いなかったことにしていいのだろうか?敗れた勢力にも歴史があるのにね。
ヤマト征伐はなかった、全てが平和裏に運び卑弥呼が共立された、おかしいんじゃないかな。 >>231
歴史的建造物に菊の御紋を押しまくる行為の方が空しいわ
ヤマト朝廷の始祖がトヨだとしても >>15
え?俺中国語できないんだけどw
俺だけ? >>233
記紀には邪馬台国や卑弥呼のことが書かれてないんだから
偽書であることは確実。 >>76
その年代表の関係で外国倭関係を当ったら、新羅本記の記述で目迷いがしてきた w
>>101
新羅本記を日本神話と同様なある程度の事実性を伝えるものとしたら、
倭の勢力は北九州、本州、朝鮮半島南岸の3つになる。
そこでそれぞれの性格を見ると、北九州は支那文明取得、本州は独自な宗教性、半島南岸はどうも本州と繋がりがあったように思われる。
脱解王(倭国から東北一千里の多婆那国の王の子)の多婆那を丹波と仮定すると、丹波勢力の神功皇后の三韓征伐が浮き上がり、神無月 神在月の出雲の事代主が第一に命じたという説話に合理性が出てくる。 >>54
なに言ってんだ。
卑弥呼の祀られている神社、その他の物が一切無いって事は、非常に粉臭い。
パヨク屋歴史家モドキが日本解体したいが為の偽証だろ。 日本書紀が「倭の女王」のことだと匂わせた神功皇后がやたら九州に伝承を残してる時点で倭の女王は九州にいたんだろうなと推察されるよな
日本最古の神社の一つとされる大己貴神社も神功皇后が創建した伝説がある
神功皇后が創建したなら最古じゃないだろと思うんだが
こんな風にまるで九州倭国の痕跡を上書きするかのように福岡の所々で伝説を残してる
という意味で神功皇后は興味深い http://nihonsinwa.com/page/2532.html
●日本書紀には「神功皇后=卑弥呼」と暗に示唆する記述がある(ハッキリとは書いてないが問題ないレベル)。ただし全て、中国の本の引用という形をとっている。
●卑弥呼は247年か248年に死んでいる。
●神功皇后は三国史記の記述や好太王の碑文から考えても4世紀に活躍した人物。同一人物であることはない(と思う)。
●しかし大和朝廷には同一人物であるという認識があった。
●仲哀天皇の死後、神功皇后がトップになったのは九州に「女王文化」があったから。女王だと皆が従う。それで九州北部を従えて朝鮮征伐をした。それが大和朝廷にとって大きな発展の転機になった。
●その際に、「神功皇后は卑弥呼の後継者」「神功皇后は卑弥呼の生まれ変わり」みたいな主張をしたのではないか。
古事記・日本書紀の編纂は8世紀(712年・720年)です。卑弥呼が死んだのが248年(もしくは247年)。
神功皇后が活躍した時代はおそらくは4世紀。その差は数十年。卑弥呼=神功皇后はありえません。 蘇我入鹿が死んだときに歴史書も全部燃えてしまったから、中国の歴史書などを参考にして編纂し直したのが日本書紀だったということらしい。 >>220
3世紀後半には北部九州は近畿中央部の土器だらけになり、地域の伝統的な土器も
伝統的な墓つまり祭祀体制さえも近畿的なものに変化してしまう
これは紛れもない事実
つまりは奈良大阪に征服された地域であり、のちの時代の北部九州の古墳から金銀
翡翠製品が出るのは、大和政権に組み入れられた朝鮮人豪族が多く住んでいたか、
豪族がそういうものを好んだので、朝鮮半島などから独自に集めただけのことだろう 日本で人類が誕生したのでなければ大陸から渡って来たと考えざるおえんから
ただ当時の朝鮮人は今の朝鮮人とは違うと思うけど 現代日本人はほぼ洋食器つかってるけど、西洋に支配されてないがw
たんに使いやすかっただけかもしれない スンダランドが沈んだときに人が溢れて各地に散り、ポリネシア人や南米の先住民の始祖になったとか。
そのときに日本に来たのが縄文人なんだってさ。 金印はパチもんじゃないよ。
日本で金印が見つかったあとに、中国各地で同仕様の金印が見つかってる。 >>242
それにしても関西の古墳から出土する品は九州のものと比べるとしょぼいなw >>13
倭人=朝鮮南部〜西日本一帯に住んでいた人たち
現代韓国人は後の時代になって北方から下ってきた人たちなので、種族が違う >>241
大化の改新以前は蘇我氏などの渡来系種族が天皇を名乗っていた可能性はある
遣隋使の使者の名前は蘇因高なので、蘇我の一族だろう >>244
外部の勢力の優れた点は積極的に取り入れるのが日本の文化だからな
古代中国と交易していた九州では尚更だ 渡来人も朝鮮半島を経由して来たとは限らない。
揚子江の河口を出れば自動的に黒潮や対馬海流に乗って日本に流れ着くというし、春秋時代の越の船などもなかなか大したものだ。
7世紀にはササン朝ペルシアの王族も奄美に漂着し、筑紫を経て天皇に会いに行っている。 >>24
当時の朝鮮半島にあった国と今の韓国は全く別やからな
韓国の名前出すな 近畿説崩れたかな?
後の歴史を見ると近畿以外に考えられなかったが やっぱり奈良、九州と両方に王国というかそういう集団がいたというのが当たり前の見方だわな >>252
揚子江からの直接航路は命がけだが、山東半島→朝鮮南部→北部九州のルートは安全だからかなり往来があったようだ
朝鮮半島と関係悪化するまで日本から中国への航路は陸づたい 九州説の根拠は奴国や伊都国のエリアでの遺跡、奴国や伊都国のエリアでの出土品
お笑いでしかない 実在がありうると考えられてる崇神天皇は四道将軍を派遣して、畿内から各地を制圧してる
(西は吉備のあたりまで)
その二代後の景行天皇は九州征伐。更に後の仲哀天皇や神功皇后も九州征伐
九州の前方後円墳は三世紀後半あたりから
九州で出てくる庄内式土器は、まず博多の那珂八幡古墳あたりから始まり、そこから広まっていってる
九州は卑弥呼の時代の後に畿内の征服を受けてるように見えるな http://michi01.com/magosaki/233kgy26660801.html
日本書紀
六五四年(孝徳天皇の白雉五年)夏四月、吐火羅國の男二人女二人、舎衛の女一人、風に被ひて日向に流れ来たりき。
六五七年(斉明天皇の三年)秋七月、都貨邏國の男二人、女四人、筑紫に漂ひ泊てき。言さく、「臣等、はじめ海見の嶋に漂ひ泊れり」とまをしき。すなはちはゆまを以ちて召しき。
辛丑の日、須彌山の像を飛鳥の寺の西に作り、また盂蘭盆の會を設けき。暮、覩貨邏人を饗へたまひき。或る本にいはく、堕羅人なりといへり。
六五九年(斉明五年)三月、丁亥の日、吐火羅人、妻の舎衛婦人と共に来り。
六六〇年(斉明六年)七月、また覩貨邏の人乾豆波斯達阿、本土に帰らむとし、送使を求ひ請して、「願はくは後に大国に、朝らむ。所以に妻を留めて表とす」と曰ひき。すなはち数十人と西の海つ路に入りき。
六七六年(天武天皇の四年)春正月、丙午の朔、大學寮の諸學生、陰陽寮、外藥寮、及び舎衛の女、堕羅の女、百済の王善光、新羅の仕丁等、藥と珍異等物を捧げて進りき。
ーーーーーーーーー
六五四年舎衛女(シャー女。シャーはペルシャ語で、王の意。シャー女は王の娘)がお供と漂着、六五七年堕羅(ダラ)がお供と漂着。二年後、シャー女とダラは結婚。翌年、ダラは出発。それから一六年後、大きくなった堕羅女(ダラの娘)と舎衛女は、新年の拝謁。
>>255
奄美に漂着したペルシアの王族が、早馬で筑紫に迎えられ、飛鳥の寺で歓迎の宴に招かれてなるんだから、同じ大和朝廷だろう。w 新唐書
日本は古の倭奴国(いどこく)である。都長安から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中にある島国である。その国土の広さは歩いて東西は五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
国都には城郭がなく、材木を並べて木柵とし、草で屋根をふいている。周辺には五十余りの小島があり、それぞれ勝手に国と号し、日本国に臣下として服従している。王は統轄者を一人置いて、諸地方を監督させている。
国王の姓は阿海(あめ)氏、彼が自ら言うには、初代の国王は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、彦瀲(なぎさ)に至るにまですべて三十二代、いずれも「尊(みこと)」と呼ばれ、筑紫城(ちくしじょう)に住んでいた。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。
— 新唐書卷220 列傳第145 東夷
筑紫が本家で大和は分家みたいなもんだ。 >>217
人国記
[大和]
大和国の風俗は、表郡については大げさなことや見栄え
の良いものを好むものが多い。
奥郡の人は引きこもりな隠者気質であるが、
基本的にこの国の者は山城国と似たような風俗である。
かつては同じように都として栄えていたからこそ、
風俗が似る部分があるのだろうが、
山城国より人が少ないだけ、先鋭化している部分がある。
表郡の者は名声にこだわるもの多く、
常に言葉巧みに嘘をつき、
支払うお金はケチった上で名を高められないかと願っている。
しかも下劣さは言葉の外にまで表れて、
平気で二枚舌で嘘をつく風俗である。
もしこの国の人を味方につけたいなら、
嘘つきなスパイを送って仲間割れさせるのが手っ取り早いだろう。[※9] 魏志倭人伝は初期大和王権や斎宮の起源を描写した貴重な資料だと思うんだが、本居宣長が「こんな土人国家が大和のはずがない」とか言い出すからややこしくなる >>253
そういうこというと
今の日本だって当時とは別の国なんだけどな
同じ場所に住んでるだけで むかし読んだ本なんで出典の名前とか覚えてないけど
中国のむかしの文献によると
冊封国の使者が宮殿に招かれた時に
日本人はスネ夫みたいに中国にめっちゃへこへこして
他の国には対抗心むき出しで
席の上座とか下座を気にして揉め事起してたらしい
日本はめんどくさいから偉い人のそばの特別席にしてもらって
それでなおさら勘違いして中国に気に入られたと思ってたらしい >>257
畿内説の根拠はヤマトゥとかのお笑い音合わせだけ アラブに攻められていたペルシアが日本に援軍を頼みに来たんだそうだ。
なぜ日本に来たかというと、シルクロード交易で繋がりがあったからだとさ。
五年もかけて来てるんだよね。
遠すぎるし百済からも助けを求められてるしで援軍は送れないってことになったけど、ダラーが帰国するときには、十人ほどの日本人をお供につけてやったらしい。 畿内説の奈良歴史博物館(歴博)連中が混じると、煽動・ゴリ押しで、まともな議論にならへんから、嫌われてるわ 「奴国」って二回出てくるやつだろ?
あれって「国名」じゃなくて
「他にもようわからんがなんかある」ってことじゃないの >>267
九州に邪馬台国が存在したと言い張るが、痕跡さえないのは遺跡が見つかってないだけだと言い訳をする
だが博多や糸島で土器さえ出てないし何の影響も与えてないのは言い訳できない
博多なんて3世紀になると畿内系土器だらけになる >>271
大和町は日本中にあるよ
山門(やまと)郡大和町があったのは福岡県だけ 魏志倭人伝に書かれた行程を素直に読めば九州しかないだろう。 >>242
そもそも日本書記に景行天皇だか何とか天皇だか忘れたが、
彼による九州征伐なんかがあるし、
そこで原始的な生活をしている九州人をボコボコにしているから、
九州は関西にボコられて屈服させられてきた地域ではある >>278
福岡の弥生銀座がそのまま都市遺跡だからw
それに畿内の鏡を大量に副葬する文化なんて、もろ北部九州の影響受けてるやん >>280
距離が遠大過ぎる
正確に読むと鹿児島の遥か沖合の海上になってしまう。
方位の認識ミスの可能性が高い。
南ではなく東であるとすれば、日本国内に収まる。 >>281
石鏃の原始人が鉄器で武装した倭人に勝てるのか?w >>278
宅配便を利用し続けると家に段ボールが溜まる
それと一緒で東日本からは土器甕に入れる必要がある何かが博多へ送られてたんじゃないの?
中身は穀物系かな?
空白の3世紀後半4世紀なので防人制度や戦乱があって兵の食料を運んできたのか、
貢物や税として博多に送られてきたのかは不明 >>280
はいはい嘘八百
素直に読んだら太平洋にドボン
そういう詭弁でゴリ押しし続けていたから九州説は学問の世界でゴミ箱行きになった 古墳から出てきた文字が漢字ってことは
大陸から日本に漢字が伝わって来たってよりは
夏とか殷とかの漢字ができた以降の中国人が
日本に移り住んできたのが日本の始まり、あるいは
古墳に入る階層の人が大陸出身者って考えるのが自然じゃないのかな?
竹田は古墳から馬に関するものが一切出てきてないってのを理由に
この説は絶対ないって言ってるけど >>281
朝鮮出兵で疲弊した磐井に大和朝廷が因縁つけたのが磐井の乱 >>266
いかにも日本人らしい
今でも日本人の仕事はそんな感じだからな いずれにせよ今回の出土で邪馬台国九州説に決定
近畿説ジ・エンド >>282
北部九州の文化を吸収しただけ
葬制の一部としてだ >>288
磐井の乱なんてもっとずっと後の話だけどね >>285
ヤマト王権は3世紀前半には誕生している
最低限、現在の教科書レベルの知識は持っておこうぜ
で、ヤマト王権を支配してる九州王朝があったと、ぶっ飛んだトンデモを主張してることを自覚しろ >>287
そういう事があったとしても
日本の始まりをどう決めるかは難しい
漢字以前に住んでた人もいるだろうし
ある程度文化が発達した後に建国を宣言すればそこからとするかとか >>295
なるほど
九州説は完全に詭弁じゃん・・・
俺も九州説信者だったけど、
学界の多数派どおり畿内説に鞍替えするわ・・・ 『筑後国風土記』によれば、磐井の墓(岩戸山古墳)は南辺・北辺各60丈、東辺・西辺各40丈と書かれているが、実際には東西に長いんだよな
古代倭人の方角は現代の方角と90度ずれていた可能性が高い >>295
現在の教科書なんか持ってるわけないだろ。現在の教科書と20年前の教科書の変更点まとめてくれよ。
日本史の授業で歴史がどんどん更新されてるがゴッドハンドは信用性が〜とか先生が力説してたのは覚えている。
高校教師の見識も侮れない。この業界は嘘つきばかりだから大変だ。 >>286
現代人のインフラ感覚で愚直な読み方したら、そうなるだけ >>293
初代神武が九州から出て、12代の景行天皇が九州の原始人をボコしたなら
神武も原始人だったのかね? >>299
中国でも秦始皇帝の前後で、皇帝は東面してたのが南面するようになったしな
90度方角が変わった可能性の説は俺もそう思う >>283
魏志倭人伝
帯方郡から水行で海岸を循って狗邪韓国まで7000余里。
始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る。
また海を1000余里渡ると、末廬国に至る。
(帯方郡から末廬国まで船で1万里)
東南に陸行し、500里で伊都国に到着する。
東南に100里進むと奴国に至る。
東へ100里行くと、不弥国に至る。
(末廬国から不弥国まで陸路で700里)
南へ水行20日で、投馬国に至る。
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。
(再び船に乗る 不弥国から邪馬台国まで船と陸路で1000〜1300余里)
帯方郡から女王国に至る、1万2000余里である。
------------------
帯方郡から対馬などの島を経由して九州本土の末廬国に着くまでが一万里。
『古事記』の「末羅県(まつらのあがた)」、『日本書紀』の「松浦県(まつらのあがた)」にあたることからも、佐賀県唐津(からつ)市内に比定される。(日本大百科全書)
そこから邪馬台国までは二千里だ。内訳は上にある通り。
伊都国は福岡県糸島市。奴国=倭奴国=筑紫。不弥国。ここまでで既に700里。邪馬台国までは残り1300里。
内陸にあるらしい不弥国から再び船に乗ったということは、海ではなく筑後川を下ったということだろう。 へー、竹簡に墨で文字を書いてたのかな?紙がはいってきたのはいつごろなんだろう。 >>306
そういう詭弁でゴリ押しし続けていたから九州説は学問の世界でゴミ箱行きになった >>295
盲目的に畿内説支持してる池沼だけに文盲なのかな?
>>285は博多に畿内系土器が多く出土する理由について憶測を書いただけなのに、
否定の仕方がアレルギー的なのでそう思わざるを得ない
畿内説支持者には少しくらい理知的な奴はいないのだろうか? 文字情報を含んだものが出土するといいんだけど、最古の木簡が7世紀のものだっけ
2、3世紀のものはさすがに難しいかな >>299
北に面して、南北の長辺が上下にあって、東西の短辺が左右に
東西に長いやんけw
畿内説は、他の関西人に 畿内説の人たちは
大和で出土した土器の産地は大和の支配下にあると言い
九州で出土した土器の産地は逆に九州を支配してると言ってるから
そもそも話にならん >>315
土器の移動に関して
1ヶ所←複数地域
1ヶ所→複数地域
根本的に違うのを理解しようや >>310
上陸してから女王国まで陸路通算二千里、と書くはずなんよね
畿内にあったなら >>316
当時の土器の産地である瀬戸内の国々がばらまいてただけで
九州に大和の影響なんてないけどな 素直に読めば言うても、考古学者って頭パーのもんばっかりやからな
現代のインフラで旅程計算したり 纒向は複数地域からと言ってもほぼ近場の地域からだけ。
他の地域はデータノイズとして切り捨ててもいい。なぜなら、それはこの時代のどの地域にも見られる相互交流によるものだから。
ゆえに土器の一方向的な移動は、規模の大小あれど基本同じ要因によるものであり、あえて性質を分けて考える必要性は低い。 >>316
遠賀川土器も1箇所→複数地域で移動してるが西日本全体が九州の支配下だったとでも? >>321
遠賀川土器の時代に国家があったのかよwww
同じ文化を持つ人たちが移住して西日本全体に稲作文化が広がった >>316
遠賀川式の伝播は中心も連動性もない
受容後は各地で独自の発展を遂げて完全に別物の土器に変化している
技術だけが伝言ゲーム的に広がっているのが分かる
庄内式、布留式の拡大は中央の畿内の動きに連動している
中央が変化すれば地方もそれに連動して追随する動きが明確
畿内V式の土器が産地のままの形で生活様式一式九州に現れ、
そこを中心に畿内土器が拡大しているなどハッキリとした人の動きによる拡大が見えている
各地での変化も在地土器の特徴を多少受ける程度で、布留式の時代に至ると全国的な斉一性がより明瞭になる
またその直前までは他地域の土器に対して排他性のある状態にあったが、
この庄内式の時代になって急激にその個性を打ち消されている点も注目に値する
土器は自分で作って使う物なのでそこに住んでいた人々の主体が変化していることが見える
両時代の土器の拡大は全く違うもの
比べてみると逆に「畿内勢力の拡大」と言う図式がハッキリと出る 遠賀川式の伝播を見ると発信源の九州で土器の形状が変化しても、他地域は最早その動きに何の関係もなく独自の発展を続けている
庄内式の伝播は、畿内で新しい土器が作られると地方ではその後追いで土器が変化すると言う連動性が見える
畿内で庄内式が発生した時に、九州で畿内V式が広がるなど、
ちょうど一つずつ形式がズレて地方が後追いしてる事などから「中央」と「地方」と言う形が明瞭になっている
庄内式までは多少の在地の形状も維持するが、布留式になるとより強い全国的な形式の斉一化がみられる
庄内期の土器の動きはただの文化の伝言ゲームではなく、明確な中央と地方の存在が現れているのが分かる また、庄内期の畿内の影響の拡大は土器だけにとどまらない
いわゆる纏向型前方後円墳等の初期古墳の拡大などの宗教、祭祀、墓制の拡大も同時に起こっている
祭祀や墓制は世襲権力者の権力基盤であり、これが一所の方式に統合されていく流れは政治的な背景の拡大を見出すことができる
この時期の畿内の影響は生活から、宗教に至るすべての文化全体の斉一化と言う他の時代の文化の拡大とは全く趣を異にするものであるのが分かる
この時代に畿内を中心とした全国的な統合に向けた時代の画期があったことが分かる 土器の斉一は、瀬戸内・畿内地域にルーツを持つ人々が地域を超えて大規模に取引の対象となったことを意味する。
この新しい労働力の大規模供給と取引システム(奴隷制)を得て、列島は古墳時代へと移行する。
その意味で古墳時代が瀬戸内・畿内から始まるというのは案外正しいのかもしれない。
また畿内の古墳が大型化するのも、労働力供給の中心地であるなら当然ともいえる。
一方で、畿内を含めてより広域から人を集めている九州に対して、
ごく近い地域から濃く人を集めている畿内は、地方の強権的な豪族をもイメージさせる。
中央からすれば、地方の豪族は納めるものさえ納めてくれれば(物資・奴隷)、彼らが住民をどう酷使しようと関知しない。
むしろ古墳の築造に専心させておけば、豪族自身も満たされ、何より地方からの反乱の抑止になる。
九州倭国は墳墓築造よりも実利的な次の目標があった。
九州に送られた人々は一部兵士となったが、多くは在地の生産活動に従事した。
その分多くの人民を兵士に徴発することが可能になり、これが倭国の半島南部進出への大きな足掛かりとなった。
これにより弥生中期、九州諸国の東進に端を発した社会変革は奴隷制の確立という成果を得てひとまず完結する。 >>322
使ってたのなら科学的に分析できそうじゃね
硯やそれに使われてた墨の作られた時代や原料産地 九州はそれまでの宗教も文化もすべて塗りつぶされて独自性を失う地域
移植される土器も生活様式一式で貢物などではないのが分かる
そしてそれまで存在さえもしてなかった畿内の祭祀に全て変えられてる場所でここに主体など存在していないのは明白 九州は弥生時代後期後半になるとそれまで400年間維持していた福岡中心の北部九州の勢力が急激に縮小し崩壊する
そして大量副葬を続けていた王墓と呼ばれるような墓も平原の国産鏡だらけの周りに何の影響も及ぼせてない墓を最後に終焉する
この後、九州ではこのような墓はもう現れず、大きな勢力の形成も「現代にいたるまで」現れない
そのような流れの中で前述の畿内の土器、祭祀が一気に雪崩れ込み、全九州的な規模で飲み込まれてその独自性を塗りつぶされていく
この動きは時代を追うごとに強くなり、そのままの状態で邪馬台国の時代を迎えることとなる
考古学的に見て九州はむしろかなり強く一方的に畿内の影響を受けている場所であるのが分かる 祭器を九州発の鏡で塗りつぶされても
何故か強気な畿内説 当時畿内の土器集積地は大和ではなく河内だから
余計に畿内説が滑稽で仕方がないんだよな
瀬戸内の土器が交易で東西に広まっただけの話を
強引に大和の支配と関連付けようとするから
話がおかしくなる 今の山口県と福岡県民の遺伝子は畿内と同様に半島に近いというが古代はどうだったんだろうか 倭国大乱は渡来人vs縄文人の戦いだよ。
結果は縄文人の圧勝。
勝者は、出雲尾張丹波宮崎鹿児島遠賀川阿波。
敗者は、近畿や九州北部の渡来人勢力。
勝者が卑弥呼を共立して出来たのが、邪馬台国、大和朝廷。
大和朝廷は、縄文人による政権。 中大兄皇子の歌
「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」 (巻1-13)
原文「高山波雲根火雄男志等耳梨與相諍競伎神代従如此尓有良之古昔母然尓有許曽虚蝉毛嬬乎相挌良思吉」
ミミは縄文人、ミミ無しは渡来人 魏国の人は東と南の区別くらい判別つくと思いますよ
文盲だった畿内人じゃないんですから… >>2
兄とか弟とかいいだすのは朝鮮人の悪い癖
日本人にはそういう感覚無いからね
朝鮮半島はただの通り道でしかありません 大和が九州に支配されたんじゃねーよ
大和に九州の皇位が上の王が婿入りしただけの話だよ
それが証拠に、近畿地方の国造りはみな、出雲物部だよ 杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいた渡来人系の出雲の王族が追放されたから。
出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神の幸神、東から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子のサルタヒコ。
サルタヒコ一族は、縄文人のオオナムチに破れるんだな。
そして、畿内など各地に逃げ延びる。
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸。
https://goo.gl/HVTW1n >>342
出雲と三雲を勘違いしてる?
倭人伝を裏付け、最古級すずり片が「伊都国」から出土 福岡の三雲・井原遺跡
2016.3.1 20:00
http://www.sankei.com/west/news/160301/wst1603010085-n1.html
> 古代中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都だったとされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で、
弥生時代(紀元前4世紀〜紀元後3世紀)のものとみられる国内最古級のすずりの破片1個が出土した。
同市教育委員会が1日、発表した。 同じ紀元前後の時代。
渡来人系の丹後半島の王族ヤマタノオロチ族。
丹後半島に侵攻したカグツチ(ホアカリ系、記紀でいうスサノオ)に王が殺されて、一族が畿内で逃げ延びる。
その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。
伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。
畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた大阪湾の渡来人に恩義を感じていたのかもな。
伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。 >>268
すげー! そういう話大好き。
出典を教えてたもれ。 畿内に逃れてきた出雲の王族サルタヒコ一族、丹後半島のヤマタノオロチ族、環大阪湾にいたイザナギ(クナト)一派が、1世紀半ば近畿一円に国を作る。
クナ。クニの語源。対外的には倭国。
二世紀半ば〜倭国大乱で、縄文人に滅ぼされた国。
出雲族の姫、幸神と、イザナギ(クナト)一派の彦、クナトの神の子がサルタヒコ。
出雲族とイザナギ一派の同盟の証。
サルタヒコは暦の神。一年に一回伊勢遺跡で暦を作り首長達に伝えていたんだな。
サルタヒコは、月夜見にして大国主。
イザナギ(クナト)一派の王が、スクナヒコナ。 魏志倭人伝の狗奴国の卑弥弓呼。
日見彦。最後のサルタヒコ。 >>253
>>252
(1)日本書紀を編纂させた渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった (https://i.imgur.com/n602AIw.jpg )
・文字(漢字)を持たない民族だった
・中国語とは違う(今の朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった >>241
蘇我入鹿のせいにしているけど、天皇記も国記も焚書したのは、記紀を編纂したやつらだろ。
こんな重要な書物の写しが一つもないのは不自然だし、そもそも国記は焼け残ったのに、現在に残ってない。 出雲丹後半島尾張阿波宮崎鹿児島遠賀川の縄文人が、九州北部や近畿の渡来人勢力を征伐して出来たのが、邪馬台国であり大和朝廷。
魏志倭人伝
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。
出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。
大和朝廷の中心勢力は、出雲尾張の縄文人。 >>353
その説でだと、神武天皇が居城にしてた筑紫城の場所は何処になるん? 出雲の硯は田和山?
でもこれは弥生時代のものだから紀元後のものだと思ってた 日本列島は何度も大乱があったんだな。めぼしいところでは、
◎紀元前後、イザナギやカグツチ、ヤマタノオロチの時代。
◎2世紀半ば〜3世紀半ば、倭国大乱、記紀でいう神武東征。
◎3世紀末、武埴安彦の乱
◎4世紀後半、神功皇后、応神、仁徳
◎磐井の乱
◎壬申の乱 >>346
そいや古事記だと、神功皇后(オキナガタラシヒメ)はアメノヒボコ五世の孫だよね。
播磨にやってきた製鉄渡来民。 福岡発掘図鑑
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/426/images/426.gif
現在より約1400年前の古墳時代後期、
数多くの古墳が丘陵斜面や山麓部に作られました。
これらの古墳は群集墳と呼ばれ、狭い範囲に密集して築造されました。
金武古墳群は早良平野から糸島平野へと抜ける日向峠(ひなたとうげ)
沿いに営まれた古墳群です。
この日向峠を越えるルートは弥生時代から使用されていたと考えられ、
古代には官道に設定された重要な交通路でした。
このような交通路沿いに約150基にのぼる古墳が造られました。
ほとんどの古墳は盗掘されていましたが、
発掘調査ではヒスイ製の勾玉や金環などが発見されました。
また、県内でも十例ほどしか出土例のない三累環把頭(さんるいかんはとう)
と呼ばれる刀の柄飾り金具が出土しており、
葬られた人々がこのような品々を入手できる実力者たちであったことが分かります。 魏志倭人伝の表記の通りに書くと、
「邪馬壹国」である。
これを「ヤマト国」と呼ばずして何と呼びますか?
「豈」という文字は、
「山+豆」からなり、
漢文では「強い否定を表し」
「あに=兄」と訓読みされます。 日本に併合されるまで染料がなく、みんな生成りの白服しかなく、
車輪も作れなかった朝鮮人が先進文明を持ってたわけない。朝鮮半島は
単なるストロー。 >>359
九州北部は「塚」が多すぎる
市町村名だけでなく大字小字まで入れたら墓だらけだな >>356
それはないわ。
天下る鉛直構造の神話は、ツングースなどの北方民のものだ。 >>345
出雲でも硯が出土してるよ
出雲1例、福岡市周辺で3例目。 >>365は>>358へのレスじゃった。
すまん。 魏志倭人伝当時狗奴国は追い詰められ、大部分の版図を失った。
クナ国は邪馬台国の南。
魏志倭人伝当時の版図は、河内と和泉。
クナ国の官、狗古智卑狗は河内彦。 >>365
北方民の作った逸話なら熊とか鹿とか狐虎が出てこないとおかしい >>363
曹操の薄葬令の影響を受けたからデカイ墓は作らんのよ 猿田彦で注目すべきは最初に出会った場所。
天の八衢。
道が幾つにも別れる処、方違。
面白いことに上町台地と泉北丘陵の間に方違神社がある。なにわ、和泉、河内、淡の境。
その近傍にイシズ川。
猿田彦が溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北が浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小坂。
伊勢と同じものが揃っているんだな。
凄い偶然。
更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある。
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある。
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡。
サルタヒコ、卑弥弓呼は最後はこの辺りに逃れていて、殺されたんだろう。 >>349
この間抜けなやついつまで貼り続けるんだ? >>369
出てくるもん。
神武天皇が熊野に行ったら大きなクマが出てきて、
みんな気を失っちゃったんだぞ。 サルタヒコの遺言。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立、阿波サク
国底立神、国常立神、、天香久山に祀られている神。縄文人の神。
&阿波咋。
サルタヒコ、卑弥弓呼、クナ国を倒した張本人。 >>372
全部出てくるよ
鹿はタケミカヅチが奈良に鹿に乗ってやってきた 奈良に都のある大和朝廷は出雲尾張阿波宮崎鹿児島遠賀川の縄文人達が作った政権。
四道将軍で関東東北を平定する。 >>375
鹿については、銅鐸に刻まれた動物の中で一番多いんだよね。
角の形が稲穂(あるいは稲に実りをもたらす雷光(稲妻))に似ているので、
稲作民にとっての神獣だったらしい。 >>1
いやいや、日本に大陸文化を持ち込んだ当の大陸人の子孫が我々なわけで、なんで朝鮮人に礼を言わんといかんのか? 歴史の敗者にも、ちゃんとした歴史があるということ、大切なこと。 >>377
>>369の書き方が悪かった
先祖として動物が出てこないとおかしい
あと皇子皇女が卵から生まれたりしないと >>380
おお、ありがとう!
にわかに信じがたい部分もあるけど、ロマンだなあ。
>>382
たしかにそのものズバリはないな。
つまり、われわれは半島で卵生神話が出現する前に別れた集団、
ということなのかしらん。 >>351
天皇家のルーツが渡来人だとしても江南人じゃないの?
江南と言っても朝鮮の地名wではなく、揚子江より南のま地域のことな。
容姿については昭和天皇の皇后だった良子様の影響だろう。
香淳皇后
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%A6%99%E6%B7%B3%E7%9A%87%E5%90%8E&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiwk-qw77HZAhUIbbwKHUZ_AeEQ_AUICigB&biw=1366&bih=675 天武系は磐余系、九州南部の神武系。
大津皇子可哀想だな。
辞世の句 2つ
ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
ももづたふ、敦賀や鈴。
イワレと鴨を恨んでいるのかな。
雲隠りなむ、太陽が雲に隠れるのかな。
太陽は烏。
金烏臨西舎 鼓声催短命
泉路無賓主 此夕離家向
金烏の家は西にあるのかな。和泉路に賓主はなし。
我こそが応神天皇の子孫だと言いたかったんだろう。
息長氏(敦賀、鈴)、神功皇后、応神天皇。 国造り神話に類似のものが東南アジアや沖縄にどに結構あるらしい。南方のものだ。 日本書紀が偽書ってのが、痛いよなー。どこに嘘なのか、定説はあるの? 国生み島生み神話のモチーフも、中国南部に多いみたいだな。 >>388
日本人自体が北と南のハイブリッドだから、南方系の要素も当然ある。
そいや、ディズニーの「モアナと伝説の海」に出てくるマウイは、
島釣り神話のポリネシア系だけど、イザナギが鉾で海をかき混ぜて
オノコロ島を作るくだりも同類だよね。
さておき、マウイの全身刺青は邪馬台国を思わせるw 国生みで最初に生まれる淡路島、イザナギの隠れ宮があったところ。
国生み神話は中国南部から渡来したイザナギ一派の物語かもしれないね。
○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば
淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ 仁徳天皇
国生みは大阪湾から始まったみたいだな。 >>391
兄妹始祖神話は中国南部だよねイザナギ・イザナミは
兄妹じゃないけど、禁忌を犯して不具の子を産むところが共通だ。 >>393
淡路島は男根の形なので国の成り立ちに関わる >>389
ウソが書いてるってことなんであって、偽書じゃ無いよ。 >>389
とりあえず、東征が作り話しなのはほぼ確定状態。
また、隋からの国書も捏造だね。
「倭皇」のやつ。
あれは九州倭国の倭王へ宛てたもの。それを倭王を倭皇に書き直して日本書記に載せてる。 >>262
>平気で二枚舌で嘘をつく風俗である。
まさにこのスレに生息するゴッドハンダー畿内のことじゃんwww 縄文倭人はテンパで髭生やした刺青男のイメージあるが、
大和はどちらかと言えば直毛の瞼が厚く目が細い系だろ。弥生系にしか思えん 聖徳太子と言えば、隋書倭国伝の記述が興味深い。
俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌
興味深いのは号。
大君の聞き間違いとされているが。
阿輩は普通に阿波、淡、嗚呼、烏のことじゃないかな。
貴族が烏帽子かぶる、伊勢神宮の巫女が鳥の格好で舞う、とりあ、烏には、何か重要な意味があるんじゃないかな。 日本書紀かな。
蘇我氏が鳥の格好をして祭祀を行い、それを見ていた物部氏が笑う。
蘇我氏「鈴がなれば、もっと上手くできるんだけどね」
みたいなエピソードがあったな。
鳥、井戸の神々の真似事をしていたんだろう。
鈴鳴、ヤマタノオロチ族(本来のスサノオ)と井戸の神々が一緒に祭祀を行っていた記憶があったんだろうな。
鳥、井戸の遺跡はあちこちあるが、代表的なのは池上曽根遺跡だな。
井戸の神々は坐摩神社に纏められている。
他にもいるかもしれないが。 >>393
檳榔は瀬戸内海には自生しないw
それは玄界灘で詠んだ歌だよ
数ある淤能碁呂島候補の中で、檳榔が自生するのは福岡の小呂島だけ >>405
押し照るやはなにわの枕詞だな。
なにわ以外に使われない。
つくし筑紫の枕詞はしらぬひ。 纏向遺跡からは土器はたくさん出土したが、硯は欠片さえ出土していない
あんな発掘しやすいクソ田舎で出土しなかった纏向とはドンだけーと言いたいよ 畿内に古墳が多い訳は、畿内は九州邪馬台国の霊園として重宝されたということ? 大和朝廷は縄文人の政権だからな。
中国の文献にも、文字がなかったとあるしな。 >>388
ミクロネシアとか北方コロボックルとかの伝承と被る部分多いらしいよ。 >>2
ワロタwww
せっかくだから赤くしてやるw >>377
生え変わるからね
魏志の記録から、大和朝廷でさえも、この邪馬台国の場所って高千穂あたりちゃうん?言うて比定して神話にしてんのに、
畿内が邪馬台国とかないわ。当時の畿内人自体がうちとことちゃいます言うてんのやで? >>407
それは博多の難波のことだな
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kouen6/kinki3af.html
>昨年の八月博多で「古田武彦と古代史を研究する会」の事務局長の高木さんに、「時間があれば、私と一緒に少し来てください。」
>と言われ、車に乗せていただいて住宅地の間を通り、かなりの広さのよどんだ池に連れて行かれた。
>これは何ですかと聞きますと、実はこれは難波(なにわ)池だった。今は難波(なんば)池と地元の人は呼んでいます。
>『明治前期全国小字調査書』(内務省地理局編纂、ユマニ書房刊、第二次世界大戦の空襲で、ほとんど消失、
>北部九州と青森が残る)では難波(なにわ)と書いてある。現在では住宅建設で段々埋められてしまった。
>もともとは海につながっていた海岸部です。 日本書紀では卑弥呼は神功皇后に比定されている
神武天皇は卑弥呼よりもずっと前の人と言うのが大和朝廷のスタンス ちなみに大和朝廷の記録と言うのなら北部九州の勢力はアメノヒボコ系統の国で降伏して来た服属国
大分などの東部地域も後になって降伏してきた集団扱い
南部も熊襲系の敵対勢力
大和朝廷が重視する地域は宮崎周辺の勢力 倭人伝の記録、記紀の記録を見ると北部九州は畿内政権に隷属している地域なのが分かる
奴国、伊都国等の弥生時代に九州の主流となっていた地域がこれに当たる
つまり、倭人伝、記紀ともにここに大和朝廷の根源となる勢力はいないと言う扱いをしてるのが分かる >>389
とりあえず、東征が作り話しなのはほぼ確定状態。
また、隋からの国書も捏造だね。
「倭皇」のやつ。
あれは九州倭国の倭王へ宛てたもの。それを倭王を倭皇に書き直して日本書記に載せてる。 >>413
うん。畿内説はただのネタだよ。>>63
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>415
記紀で神功皇后って死没は福岡だったっけ? >>417
いや倭人伝に書かれている倭国は鉄の矢じりを使って養蚕して絹を作ってる文明国だから
鉄も絹も無い土人地域の畿内はノーチャンス >>422
なるほど
やはり学説圧倒多数派の畿内説のほうが正しそうだね ちなみに宮崎は奴国、伊都国等の北部九州の主流勢力とあまり関係がない
この地域は隣接する四国や瀬戸内海方面との関係がより密接
いち早く古墳が作られ、九州最大の古墳が分布し、后妃の出身地になるなど畿内との強いつながりを見いだせる
むしろ北部九州を敵視しこれを抑え込むために意図的に重視してる様子が見える
宮崎は畿内勢力の九州進出の橋頭堡として重要な役割を演じていたと考えられる 古墳時代のすずりなのに邪馬台国の時代とか九州説唱える人の歴史観はもう無茶苦茶だなw
奈良を中心に古墳群がつくられてる時代のものでもこれは奴国での文字の使用を示す貴重な史料だ(キリッ
バカじゃねえのw >>430
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>424
畿内からは繊維の密度の高い質の高い絹織物が存在している
池上古墳から見つかっている絹が後の倭文と呼ばれる織物であるとされている
この織物は弥生時代から続く麻などの織物の技術の系譜上にある畿内独自の物
卑弥呼が献上した彩色した密度の高い絹がこれであると言われる
九州の絹は粗雑でこのような高度な織物を作る技術を持たない
鉄にしても邪馬台国の前後から多くの鉄器が発掘されている
「それ以前に乏しい」という状況が、逆に「邪馬台国の時代の急激な発展」を裏付ける時代の画期の証拠となっている
ちなみに「古墳から見つかるものはカウントしない」と言うのであれば、
九州から見つかっているとされる鏡などもほぼ全部古墳から出土してる点に留意をすべき >>38
原始的な感性って意味では妙に説得力がある >>433
自己レス
×池上古墳
〇下池山古墳
だった >>433
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>431
二つの国とかアホかw つーか俺畿内説も九州説もどちらも支持してないし
3世紀前半は二つどころか国の体を成してる集合体なんてそこら中にあったわ
んなのは魏書の内容をみても明らかだろ。何てきとーな事言ってんだw 東征の痕跡など考古学的に一切存在しないためこの伝説はただの創作と考えるほかない
そうなると敢えて宮崎を選択している点を見ると政治的な意図を読み取ることができる
上記のように宮崎は弥生時代を通じて北部九州との関係が希薄で瀬戸内海方面とのつながりが強い
北部九州を皇室と全く系統の違う(外来)の降伏した属国と言う扱いをしてることからも、この地域を抑え込むための思惑があったと思われる
この地域を九州支配の土台として神話的・系譜的なつながりを強調しそのために皇室の故地として設定したと考えるのが自然だろう >>437
そりゃイズモにもキビにもアワにもヲハリにもヒムカにも
「ヤマト」はあったじゃろう。だがしかし、ヤマトオブヤマトは二国のみ。 >>437
中国から相手にされる国は九州倭国だけだろうがなw >>441
卑弥呼は3世紀前半だバカw
その後男の王がたって争いが起きその後は一切なぞな
時期も把握できない無知は出直して来い >>442
そいや、書紀の景行記や風土記なんかに、景行天皇の九州遠征の行程が
詳細に書いてあるけど、日向に数年とどまっていながら、神武帝に関する
記述が一つもないな。
隠すでもなく胡麻化すでもなく捏造するでもなく、素で関係ないと思い込んでるっぽいw そもそも九州は絹がどうのと言うがその最盛期ですら皇帝への献上品に絹が含まれていない
奴隷を送るのがせいぜいだったのが分かる
実際、九州からは目の粗い質の低い絹しか見つからない
卑弥呼が高品質の絹織物を献上している事などから考えても少なくとも九州の産物でないことが分かる >>442
神武は雇われ店長。
近畿日本に雇われて頭に据えて貰ったわけね。 >>447
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
邪馬台国はヤマト国。単なる卑弥呼が都を置いた地名だな。
地形からつけられた畿内の地名の一つ。
河内、山背、ヤマト(山外)
大阪湾から見て、山の向こう側(外)という意味。 >>442
宮崎が出てくるのは、神武が妻国=投馬国=ほぼ宮崎+鹿児島出身だから。
近畿日本に招待されて近畿へ行くときに、神武の周辺のだれかが妻国の神話から捏造して天孫降臨の神話をでっち上げて
神武に持たせたわけね。(もしかしたらこれが「土産話し」って言葉の語源なのかも知れない。)
妻国は邪馬台国の同盟国だが、傍系だから神武の血を飾り立てる必要があったわけね。
これが天孫降臨の由来。
>>450
邪馬台はヤマトで山門のこと。
邪馬台国発祥の地。 >>442
分家筋ってことで北部九州に引け目を感じていたから
宮崎からやって来た別の勢力ってことにしたんだろうな。
でも中国に説明するときは、倭奴〜倭国の正統性のある系統だと説明している。
だから中国人から、国内向けと国外向けで言うことが違うと言われた。 神武東征神話を見るとあれだけの距離を移動していながら畿内に入るまで戦闘のような描写がない
この経路の勢力はバラバラでそもそも日向の影響下にはなく無抵抗に通すような状況は不自然
そして畿内に入ると急に細かい内容が記載されだす
神武伝説に関わる畿内の地域をつぶさに見ると実際の弥生遺跡の分布と纏向に移動するまでの経緯などに一致が見られる
これらを考えると東征の神話は元々は畿内の中での統合の動きを描いたもので、
日向から来たという部分は後から挿入したものではないかと想像される 杵築大社の天井図の八雲は、永遠に一つ欠けているということだ。 熊襲は狗奴国(球磨国)+囎唹(=隼人=妻国)
熊襲と近畿大和朝廷のアンビバレントな関係は、
1.そもそも神武は隼人出身。
2.狗奴国と隼人は元々は敵同士。
3.隼人の同盟国の邪馬台国は近畿日本と敵対。
こういう恐ろしく複雑な事情が原因。 邪馬台国は大和朝廷の始まり。
出雲尾張阿波宮崎鹿児島遠賀川の縄文人が、九州北部や畿内の渡来人を征伐して作った政権。
更に四道将軍で関東東北を征伐平定。 天孫降臨の神話は、妻国の神話からデッチ上げたもの。
近畿日本へ雇われて店長になる神武に持たせた作り話し。 >>433
5世紀に見つかった絹を根拠に、
卑弥呼が贈った絹は畿内産だとw
本当ウソツナイセツってこういう騙しの手法ばかりとるよな。 大和朝廷は出雲や尾張、鹿児島宮崎などの縄文人の政権だよ。
今でも神々が盛大に祀られて、凄い権威があるだろう。
杵築大社、伊勢神宮、熱田神宮etc。 そもそも、これは本当に「すずり」なのか?
ただの板状の石の欠片にしか見えんのだが 日本書紀は、神功皇后を卑弥呼と断定してない。
もしかして卑弥呼は神功皇后だろうかと言うかなり自信のないニュアンスである。
両者は、アクティブと、引きこもり、旦那ありと処女という違いがある。
時代も一世紀ずれる。 >>456
神武は近畿日本に招待されて雇われ店長。
近畿に呼びれて九州から近畿へ行った単なる旅行譚を、東征劇に創作して記紀に載せたわけな。 畿内が南九州のグループに属しているというだけ
吉備と畿内が関係する数世紀前から、日向と吉備は関係を持っていた。 >>460
正確に言うと、畿内説はそもそも学説として存在したことが無いから九州説の不戦勝。
邪馬台国畿内説なんて学説は存在しない。 ただの石の板を硯に認定www
またどこかの発掘者が事前に埋めたとかないよね(棒 邪馬台国大和説が普通。
畿内説とか言っている奴らは、大和朝廷の罪を他の畿内に擦りつけたいだけ。
死なばもとろとも、みたいな。
畿内は、卑弥呼を共立した勢力に征伐されました。
大和朝廷の最初の被害者と言える。 邪馬台はヤマトで山門のこと。
邪馬台国発祥の地。
その後、卑弥呼の時代には御井に移った。
(御井の祇園山古墳が卑弥呼の墓)
さらに朝倉地方へ移った。(安本美典の言う邪馬台国)
最後は奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)、
そこで滅んだ。 邪馬台国とか大和朝廷とか縁起悪いものだぞ。
文物をもたらした九州北部や畿内の渡来人の神々を殺し、更に関東東北の縄文人達まで征伐したんだからね。 >>462
下池山は4世紀前半の古墳
そしてわざわざ一言書いておいたが、それを言うなら九州の出土品とやらはほぼ全部古墳からの物になる
しかも大体が5世紀ごろの古墳
古墳、畿内の土器、三角縁という畿内から広められた文物の中から見つかる状況を無視して、
九州から出たものは全部独自の邪馬台国の文物だと主張するその恣意的な姿勢こそ見直した方が良い
ついでに言うなら弥生時代の出土品として?製鏡だらけの平原を「漢鏡」とカウントしてることが多いのも問題
それを除けばほとんど小型?製鏡
それが邪馬台国時代の九州の実態
九州説支持者が主張するような豊富な文物など存在しないのが分かる 近畿の貧乏考古学ファンは比恵町がどんなところかグーグルマップで調べたと思うが
ビル街や住宅地ばかりだ、福岡の遺跡は糸島と朝倉以外はあんな所が多い、
俺が1番気にしているのは福岡空港の真下だが、広大な土地の地下にどれだけの
遺跡が眠っているのか見当もつかん、福岡空港は今のままで拡張する予定だから
拡張箇所だけは発掘調査はすると思う。 魏志倭人伝は、
1.伊都国を基点とする放射読みが正しい。
2.陸行一月は陸行一日の写し間違い。
卑弥呼の時代の邪馬台国は御井。
(御井の祇園山古墳が卑弥呼の墓。)
不弥国とは、伊都国からみて東へ百里。
(奴国では無い。間違い。放射読みせねばならない。)
つまり、海の中道の付近のこと。
海の中道は由来の分からない地名だが、
宇美(不弥)の中道
こことだったわけね。 志賀島のあの位置から金印が出土したのは当然。
不弥国(宇美国)が真南に淤能碁呂島(能古島)と奴国を望みながら金印をもって祭祀を行ったわけね。
不弥国が小国なのに魏志倭人伝にわざわざ載せてあるのは、重要な祭祀を行う国だったからだろう。
おそらく海の語源は宇美で、本来は博多湾のこと。
すずりが出て来たって事は、何か文字書いていたんだろうから、
状態の良い木簡みたいな何か出て来たら、面白いのにな。 それから、侏儒国とは高知西端の幡多のこと。
ワダツミも由来の分からない言葉だが、
「幡多つ海」のこと。
幡多には小筑紫という地名もある。
また足摺岬もある。ここは黒潮が直接接岸するところ。
侏儒=スクナビコナで、おそらく幡多に流れついたポリネシア人。
黒歯国、裸国とはハワイのこと。
東日本大震災の震災瓦礫がちょうど一年でハワイへ漂着している。
また、ハワイ島はちょうど短里で周囲四千里になる。
奴国の同盟国である幡多=海神=ワダツミが、ポリネシア人であるスクナビコナの助けを借りてハワイ=扶桑国へ行って戻って来た。
奴国へ与えられた金印は、その壮挙に対してのもの。
幡多には古代の灯台である唐人駄馬遺跡もある。
後漢書の
倭國之極南界也 光武賜以印綬
とは、
倭国の南界を極める也
と読む。 >>480
長官は彌彌(弥弥、ミミ)、副官は彌彌那利(弥弥那利、ミミナリ)
ミミは出雲系の名前 この当時、扶桑国へ行って戻って来ることは、月へ行って戻って来るようなもの。
大変な大壮挙だった。
だから光武帝は金印を授けたわけな。
(卑弥呼に与えられた金印も仮綬されたもので、与えられたものでは無く返さなくてはならないもの。)
>>485
神武系もミミ。
ミミは縄文人がよく使ったんだろう。 中大兄皇子の歌
「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」
原文「高山波雲根火雄男志等耳梨與相諍競伎神代従如此尓有良之古昔母然尓有許曽虚蝉毛嬬乎相挌良思吉」 黒歯国の黒歯とは黒い歯では無く、暗い歯の意味。
ハワイの原住民には、前歯を抜歯する風習があった。
おそらくこれを言ったもの。
また湯谷とは溶岩で温められた海のことであり(ハワイには実際そういう場所がある)、
げつよういんてい山とはキラウエアなどのハワイ島の火山のことだろう。 >>487
皇室系譜のミミは創作ではないかと言われているよ また扶桑とは、例えばハワイのハラ・フルーツ hala fruits かも知れない。
https://www.google.co.jp/search?q=hala+fruit&client=puffin-a&dcr=0&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj-zuftn7LZAhUpi1QKHYBpCIYQ_AUICigB&biw=1024&bih=1662&dpr=3
これは太陽の子供みたいに見えなくも無い。
ק
ב
כ
ל
ם
ל
ם
↑
ヘブライ語
日本語の原点はヘブライ語だぞ
三種の神器の鏡にヘブライ語が書いてある
神社でビンゴだろ
ダメ(駄目)=タメ(ダメ・汚れている)
スム(住む)=スム(住む)
ツモル(積もる)=ツモル(積もる)
スワル(座る)=スワル(座る)
アルク(歩く)=ハラク(歩く)
トル(取る)=トル(取る)
ニオイ(匂い)=ニホヒ(匂い)
オワリ(終わり)=アハリ(終わり)
アリガトウ(ありがとう)―アリ・ガド(私にとって幸運です) >>475
>下池山は4世紀前半の古墳
伊都国が下賜した超大型内行花文鏡を大事に絹で包んでいたんだよな。
>それを言うなら九州の出土品とやらはほぼ全部古墳からの物になる
いやw突っ込んでるのそこじゃ無いからwww
3世紀の古墳から出土したなら何も言わねぇよw
ちなみに九州では、身分の高い人は紀元前から絹の衣服を着ていたようです。
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c609.html
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c609.html >>493
平原は2世紀の墓
下池山から優に100年以上ズレている上にそこで途絶えており鏡を配布してるような状況にはない
九州には他にそのような鏡を出す場所もなく、やはりどこからも配布の中心を見いだせない
畿内を中心とした勢力は上でも書いたように古墳、埴輪、三角縁等の独自の祭祀、墓制、鏡の配布スタイルを構築しており、九州との連続性は見られない
弥生末期には畿内は自らの方式の?製鏡を配布しており鏡の配布は九州の独占物でも何でもないのが分かる
鏡=九州と言う先入観そのものが間違い
上でも書いた通り密度の高い織物の技術は弥生時代から続く畿内の技術
それが絹に転用されていることが分かる最も古い資料であるので三世紀である必要などない
畿内にこの時期にすでにそのような高度な絹織物を作成する技術が確立していることが明白な証拠
九州の絹は邪馬台国の時代でもそのような絹がないのでそもそも論外
絹が出た出たと言うがそれが全く献上品に当たらない物ばかりであることはむしろ九州説の弱点にしかならない 絹があった九州が邪馬壹国だな。
其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人 上獻生口倭錦絳青縑緜衣帛布丹木拊短弓矢 掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬
「同四年(243年)、倭王は、また大臣の伊声耆(いせき)、
掖邪狗(えきやく)など8人を派遣し、奴隷、国産の錦、赤と青の絹織物、
錦のドレス、絹の布地、赤い顔料、弓の部品、短弓の矢などを献上した。
掖邪狗たちは、いっぺんに率善中郎将に取り立てられたのである。」 心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、
此れを身を脩むるはその心を正すに在りと謂う。
大学 >>496
何度も言うが九州に献上品となるような高度な絹織物は存在しない
それが初めて出土するのは畿内の下池山古墳
古くから絹が出ているのに、質の高いものが出てこないことから絹は九州説のウィークポイントでしかない >>456
戦闘のような描写は大阪河内まで無いが
吉備に8年も滞在したその間に出雲攻めでもやっていた伝説もあったのではないか
国書では出雲攻めしたのは天照で男系男子のうちじゃないよってスタンスだが
忍穂耳も拒否したし神武だって吉備に居ただけで何もしてないんだからと
伝説を全くの作り話と考える頭も全くの真実と考える頭もない俺には
神武東征は口承で伝承され当時の人々にある程度共有されていた伝説と考えるのが自然
書に残す時には捏造は憚るが不都合な細部は残さないのが自然 >>495
>平原は2世紀の墓
平原遺跡から出土した瑪瑙管玉は3〜4世紀のもの。
ガラス製耳璫も晋代(265 – 316年)前後に特徴的な特殊な形状のもので、
漢末から六朝初期に造られたと推測される浙江省杭州老和山搏室墓から
出土したものと同型。
>上でも書いた通り密度の高い織物の技術は弥生時代から続く畿内の技術
それが絹に転用されていることが分かる最も古い資料であるので三世紀で
ある必要などない
何だよこの超理論。
畿内には弥生時代からGore-Texがあった。
決して出土はしないが、畿内には高い織物技術があったから
証明する必要は無い。 >>498
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
心ここにあらざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず、
此れを身を脩むるはその心を正すに在りと謂う。
大学 心ここにあらざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず、
此れを「身を脩むるはその心を正すに在り」と謂う。
大学 九州説はやたらと平原を凄いもののように言うが、
平原はそこで途絶え周りに影響も広めないまま後継もなく消えるローカルな墓でしかない
九州にはその後他にそのような墓も現れず小型?製鏡や破鏡主体の少量の副葬になり大型?製鏡を配るような土地はない
畿内で鏡が見つかりだす100年は前の話で九州と連続性や関連がないのが明白な証拠となる
その間、畿内は独自の鏡配布のシステムを構築し始めており九州を経由する必要などなくなっている
鏡だから全部九州と言う発想そのものが見当違い >>507
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
心ここにあらざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず、
此れを「身を脩むるはその心を正すに在り」と謂う。
大学 >>499
229名無しさん@1周年2018/02/18(日) 02:05:57.76ID:4ejZH9Xm0>>317
三種の神器にヘブライ語が書いてあるよ
GHQが一番初めにやったのは三種の神器の裏と仁徳天皇陵の発掘
その後アメリカ以外の国は天皇の戦争責任を激しく追及したが
結果は戦争責任なしユダヤ失われた10支族の王だから
戦中もなぜか日本はユダヤだけは絶対に助ける
明治天皇「三種の神器の鏡の裏は絶対見ないように
歴史学者の三笠宮殿下が発表するみたいになったけど結局あいまいになった
↑
これに明治時代に文部大臣森有礼三種の神器を見たら「我は在りて有る者」とヘブライ語で書いてあった
イスラエル建国の英雄は日露戦争で片手を失って
日露戦争で日本で捕虜になって、捕虜時にユダヤの捕虜に熱心に教育とかしたんだって
それに感銘を受けた明治天皇が会って義手をあげたんだって
インディジョーンズで仁徳天皇陵の発掘のシーンを作ろうとしたら滅茶苦茶怒られたらしい
神社初詣節分でビンゴ >>502
平原を三世紀にしても別に構わないがむしろ更に不利になるだけ
3世紀になると九州はほぼ全域が畿内の土器、祭器、墓制に覆いつくされている
そして伊都国周辺のごく小さい部分だけが孤立するようにその影響の空白が出来ている
周囲に影響も広められずに取り囲まれている姿が浮き上がる
これは邪馬台国の記載通り「千戸の小人口で一大卒に監視される」伊都国の姿そのものとなる
この国から鏡が他に出ていると言うのであれば記紀などの記載通り「降伏して献上した証」と言う姿そのもの
三世紀にしたからと言って何も有利にならない
どう新しく見ても4世紀前半には「九州にこの時点でもない」高度な絹織物の技術が「畿内にだけある」と言う証拠
そしてそれが普及して古墳の副葬品としても利用されていることが分かるもの
何もおかしくない
むしろ九州には何も見つかってないのがさらに際立つだけ >>490
北九州の一連の支配者にもミミ系の名が出てこない
筑紫一帯の勢力は邪馬台国とは異質の勢力なんだと思う
まあいずれにせよ投馬国は出雲という説には同意する
そもそも投馬国は5万戸という、当時の倭では第2の勢力だが、
妻からは考古学的な証拠が少なすぎる
まだ吉備=投馬国説のほうがありえる
>>487
重要な事実を適当に評価し過ぎている 何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
心ここにあらざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず、
此れを「身を脩むるはその心を正すに在り」と謂う。
大学 時代をズラそうがどうしようが九州に有利になる状況など存在しない
むしろ邪馬台国の時代に近づけば近づくほど畿内の影響が色濃くなる状況が出てくるだけ
最早小手先の誤魔化しでどうにかなるような話ではない
弥生時代後期後半から始まる畿内の影響は関東から九州の全域に拡大しており、むしろ九州はそれが最も色濃く出ている場所
九州の邪馬台国とやらをどこに変えようが、時代をどこにずらそうがその状況に何の違いも出ない >>516
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
心ここにあらざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず、
此れを「身を脩むるはその心を正すに在り」と謂う。
大学 「トリイ」はヘブライ語で「門」
サムライ(サムライ)=シャムライ(守る者)
塩で清めるのもユダヤと日本は同じ
だからおまえらユダヤの失われた10支族だから自信を持て 弥生時代鉄鏃出土数
群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
画文帯神獣鏡(呉鏡)出土数
千葉*4 群馬*4 山梨*4 静岡*3 愛知*3 三重*6
滋賀*0 京都13 大阪19 兵庫13 奈良26 和歌山*1
岡山*9 広島*3 鳥取*3 香川*8 徳島*3
福岡*4 佐賀*0 長崎*0 熊本*7 大分*0 宮崎*9 鹿児島*0
西晋鏡出土数
石川*3
滋賀*1 京都*7 大阪*6 兵庫*6 奈良*0 和歌山*1
島根*3
福岡30 佐賀*8 長崎*1 熊本*0 大分*1 宮崎*1 鹿児島*0 >>511
伊都国が下賜した超大型内行花文鏡を九州産の絹に包んでいたんだろ。
絹も超大型内行花文鏡も九州にはあった。
それがセットで出土したんだからな。
>3世紀になると九州はほぼ全域が畿内の土器、祭器、墓制に覆いつくされている
都合のいい部分だけを殊更強調して、九州は極限まで過小評価し、
畿内は極限まで過大評価する。
鏡の大量副葬の文化が九州から伝わったことに対しては、
九州の文化を吸収したと言い張る。
ダブルスタンダード。
しかも随所に嘘を入れる。 >>148
古代のことだからいたかいないか正確なことは分からんが、いない派には
「昭和時代、昭和天皇という名称はなかった!だから昭和天皇は存在しない!」レベルのこと
言ってる人もいるからな
ソースを明示したうえで、「いる」と考えるのが一番自然だろう >>521
2世紀とみた場合、畿内への鏡の配布などできるわけがないタイムラグが存在している
3世紀とみた場合、畿内の影響に取り囲まれて独自の影響を全く表に出せてない状況でここに主体などないのが分かる
どう転んでも平原や九州に過大な評価をすることは不可能
この時期に九州に入り込む土器、祭祀、墓制、鏡の配布の形式は「九州に400年間なかったもの」ばかり
生活から王の権威の象徴まですべて変わっている
今まで存在さえもしない物に邪馬台国の時代に飲み込まれる状況を見て「大したことはない」と言うことの方が無理がありすぎる
そもそも九州の影響は「弥生時代を通じて」ほとんど表に出てない
畿内にいたっては須玖式の土器のかけらが見つかるだけで「発見」と騒がれるくらい
影響は常に一方的で九州説が思い描くような「文化の中心の九州」など存在してない
むしろ九州のありもしない影響をほぼ根拠なく信じこんでそれを論拠にしてる姿に違和感しか感じない >>510
この噂たまに見かけるけど実際どうなんだろうね
オカルトプギャー!ってしたいんだけど、うちの家系の顔立ちが平たい顔族ってよりそっち系に近いんだわ >>523
あとおかしなことを書いてるが「下池山古墳の絹は九州に存在しない物」
「九州の絹」などではない
何度も書いてる通り
九州は絹が見つかるがそれが邪馬台国の後でさえも低品質の物ばかり
高品質の絹は畿内から出土してる
むしろ大型内行花文鏡だろうが包んでいるものが畿内の絹である事もまた九州との連続性がない一つの証拠となるだろう >>525
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
心ここにあらざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず、
此れを「身を脩むるはその心を正すに在り」と謂う。
大学 >>524
これが正解
よく見ると日本人の顔は侍ユダヤ系と若干ごっついアイヌ系と農民顔の中国系が
微妙にミックスされてるから 歴史的な中国の日本に対する認識のいいかげんさを知ってしまうと、
「熊襲のたぐいが勝手に朝貢しただけ」という本居宣長の古い議論に説得力が出てくる。
金印の現物でも出てこない限り邪馬台国の場所なんて分かりようがないわ。 >>2
ヤマト国は兄の国です。
だから、漢字表記を始めた時に「豈」という文字を当てて、
「あに」と訓読みさせました。
「豈=山+豆=ヤマト」なので、
魏志倭人伝の「邪馬壹国」も当然「ヤマト国」と読むべきです。 >>531
今ですら外国からみた日本なんて認識が歪んでるだから
大昔の、2000キロは離れた、字面どおりよんだら海の上にある国の少ない記述で特定しようなんて無理があるわな >>525
調べてみたらただの絹やないか。
「九州に存在しない物」っていうソースは?
http://kofun.jp/news/2432.html 魏志倭人伝の表記の正確さはさすが天才陳寿と言うべきもの。
この時代に、良くここまで正確な記述が出来たものだとただ感心する。
夏侯湛が三国志を見て、自らが執筆中だった魏書を破り捨てたと言う逸話が残っている。
宜なるかな。 >>37
邪馬臺と書いてヤマドと訓む
倭の女王国は支那や半島でも有名なブランドだった >>489
神武東征より前に河内、大和を支配してたのが
物部氏の祖先と言われる饒速日で天磐船(アマノイワフネ)に乗って天下った。
アマはカヌーが横倒しになるのを防ぐアウトリガーの
先端に付けた浮き(フロート)、を表わすイワはハワイ語で軍艦鳥のこと。
遠洋航海する時軍艦鳥をカヌーに乗せて
日暮れ近くになると軍艦鳥を放鳥して後を追えば最寄りの島にたどり着く
今で云うナビゲターの役割を果たす便利な鳥だ。
アウトリガーカヌー自体はタヒチ語ではヴァア (va'a) 、ハワイ語ではワァ (wa'a) 、
マオリ語ではワカ (waka) 、ヴァカ (vaka) などの言葉で呼ばれる。
万葉の故地の和歌の浦とはアウトリガーカヌーが多く集まった浜辺を表わす。 魏志倭人伝の「邪馬壹国」も当然「ヤマト国」と読むべきです。
正解。戦後、歴史学者は日本を認めないという偏見から、倭国以外を拒否してきた。
まったくイデオロギー的見地に立った愚かな見解だ。 平仮名よりもカタカナ文字の方が古いと云われ
平仮名は筆でないと書きにくいがカタカナはナイフ、小刀など刃物で板などに書きやすい
そこで漢書にある「刻木結縄」を思い出す。倭人は木を刻みて文字と為すとか
日本書記には古代文字が数種類有ったと記録されてる。
ユダヤ系渡来人などがカタカナに近い古ヘブライ・アラム文字を小集団で
使ってたんじゃ無いかと思う、しかし木簡や竹簡などのため朽ちて遺物として残らなかった。
個人的には漢字も「古ヘブライ・アラム文字使用人」が秦時代に整理したんじゃ無いかと
そこで関連グループを「偏」としてカタカナ様の文字を使ったと思ってる。 猿田彦や天狗の顔立ちは明らかに中央アジア系のコーカソイド顔だな。 もし本当に文字が使われていたなら、土器や木製遺物にその痕跡が残されているはず。
紙の発明はずっと後だし、硯=文字という発想はあまりに短絡的。
当時の列島住民は全身に入れ墨をしていたと中国の資料にあるから、もし硯のようなものがあったとしても
別の用途で使われていたと考えるべきだろう。
そもそも列島の先住民族を現在日本人の祖先と捉えようとする試みに無理がある。
日本列島に文字が存在したというより、文字文化を持った人々が大陸から渡来して現在日本人の祖先となったと
考える方が自然だ。
文字や言語が海を渡るということはないからな。
人が文化を携えて海を渡ったのだ。 >>540
>「邪馬壹国」も当然「ヤマト国」と読む
だから邪馬「壹」国ではなく邪馬「臺」国な >>525
願望で物を語るのは良くない
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode04/dress02.html
吉野ヶ里遺跡からは、他の遺跡からは出土例のない織りが
細かく繊細で透けるような透目絹という絹が出土しています。
透目絹は中国の華中方面の古代絹に多く、華中方面との交流があったことを窺わせます。また、絹布の中には貝紫や日本茜で染色されたものがあることも確認されました。
これらのことを考えると、弥生時代の後期後半の織物技術は
吉野ヶ里など一部ではこれまで考えられているより高度で、
そうした地域に住んだ上位身分の人々の正装は袖付で赤や紫に
染められた鮮やかな絹であったと思われます。 近畿、中国、九州、(東日本も)の国々で交流があり
連合体のようなものが構築されてはいたが天候不順による食料不足で倭国大乱が起きた。
この倭国とは九州のことを指し、さあどうやって紛争を収めよう?手打ちにしよう?
ってんで皆で話し合ったのだが、まとめ役に一人の王を立てるしかないとまでは結論がでたが
紛争当事者である自分ら九州の国から誰か男の王を立てるのはとてもじゃないが話がまとまらなくなるというので
連合意識の強い外部の人間を迎えよう、それも男ではなく女王が良いとなり
当時交流が盛んで強大だった邪馬台国の女王卑弥呼を王に据えたんだ。その邪馬台国が近畿にあった。
彼女は統治に当たり、二度と戦争が起こらないように伊都国に軍事的な抑えをすることを要求した
それが機能し、倭国は近畿の邪馬台国の統治下として一つになった。 朝鮮人が日本の文化の起源は半島にあると言いたがるのは劣等感の裏返しだとみんな知ってるんだけど
なんでそれと同じことして対抗しようと思うのか イエスがはりつけになってたときに、日本は弥生時代w 関西人が自慢する纏向遺跡からは土器は大量に出てきたが硯は欠片も出土していない
博多の比恵遺跡はビル群の中にあった僅かな土地を調べていて出土しているから
博多全域からは何百個の硯が出土しても不思議じゃ無いな。 >>523
近畿地方の前方後円墳は、主体部の構造や副葬品については九州の影響を受け、
円形に突出部がでた輪郭のデザインは吉備からの要素。
近畿の古墳は、独自に発展したものではなく、
これらの地域の影響を受けて出来たもの。
北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性や
大和の弥生文化を代表する銅鐸と古墳文化の非連続性は、
北部九州勢力が畿内を征服したと考えるのが最も整合性が取れる。 >>555
恐るべし福岡の弥生銀座
「弥生中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、
中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。
博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至る
それぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。
発掘は大字、小字ごとにやっているので、
その単位で遺跡の名前が付けられているが、
この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。
30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、
伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、
井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。
考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。
須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。
環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの
単位集落と思われる。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。
比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。
吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、
この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。」 >>552
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
最近の発掘では、井原鑓溝遺跡から割竹型の木棺墓が発見され鏡やガラス玉が
多数出土している。割竹型木棺は4世紀の前期古墳からしか出ないと言われていたが、
伊都国では弥生時代後期のはじめから出る。
九州では甕棺が注目されるが、甕棺と同時に木棺がある。
大阪の場合は河内湖があって、木材が水に浸かって残るので発見しやすい。
しかし九州では大地の中だと木棺が腐ってしまうので発見しにくい。
しかし、最近は技術の進歩で木棺が分かるようになった。
このように、弥生中期後半から後期の初めにかけて、
北部九州は鏡をはじめとした副葬品をもった墳墓が大量に増える。
しかしそれは伊都国だけである。
福岡の奴国と言われているところからはほとんど出て来ない。 「邪馬臺」ではなく、「邪馬壹」だと言い張ってる学者もいるが、「臺」であろう。 隋書倭国伝には大和は魏志倭人伝の邪馬台だと書いてる
それで決まりじゃないの カムヤマトイワレヒコ(神武)
神武は近畿がヤマトと呼ばれる謂れとなった王であり、王朝の始祖である、と言う意味。
つまり、神武以前は近畿はヤマトとは呼ばれていなかった。
日本の歴史の信頼をおとしめるための、
ゴッドハンド発動と見た 基本的すぎる事聞きたいんだけど、
卑弥呼とかって中国人の発音でヒミコって読むの?
日本の発音でヒミコって読めるから、中国では違う発音なんじゃないの? 557名無しさん@1周年2018/02/20(火) 05:25:27.04ID:fkVb2heg0
>>555
恐るべし福岡の弥生銀座
「弥生中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、
中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。
博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至る
それぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。
発掘は大字、小字ごとにやっているので、
その単位で遺跡の名前が付けられているが、
この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。
30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、
伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、
井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。
考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。
須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。
環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの
単位集落と思われる。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。
比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。
吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、
この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。」 >>562
隋書には倭国は魏志にある邪馬台国である、阿蘇山が火を噴くとも書いてある。 >>570
当時の中国人が当時の日本人から「ピミカ」って教えてもらったのなら、正しい名前はピミカなんでしょ?
なんでヒミコとかいう間違った名前を言い続けてるわけ?
ていうか、昔の日本にはハ行が存在しなかったんだから、ヒミコなんて読み方どう考えても捏造じゃんね。 ほぼ人間を店仕舞いしている感のある近畿パーであった >>570
いや、怒ってるわけじゃない。教えてくれてありがとう。 松本清張 高木彬光 井沢元彦などの推理小説作家は全員九州説を採っている
倭人伝を素直に読めば九州から瀬戸内海に行った表現の文章が無い事に気が付いているし
宇佐八幡の祭神の比売大神に注目をしている。仲哀天皇夫妻が宇佐詣でしたときは
祭神は比売大神だけだったはずで、まだ八幡神社では無かったわけだ、比売大神こそが
卑弥呼=天照大神と言う事だよ、東に海があるのは宇佐神宮も伊勢神宮も同じと言う事 >>575に書き忘れたから付け足すと、明治以前の天皇は伊勢参拝はしていなかった
と言う事だ。伊勢神宮が天皇家の粗霊社では無い事を天皇家は知っていた訳だ。 前漢鏡に漢字が書かれてるから
紀元前2世紀頃から日本人は漢字を見にしていた
それから500年くらいは経ってるんだから日本でも多少の読み書きは出来る人がいただろう
隋書の時代には仏教が入ってお経とか写経したりして漢字の読み書き出来る人が増えたんだろが
魏代の日本では外交に携わる人ぐらいしか文字の読み書き出来なかったんだろうな
文字の書かれた木簡や竹簡が発見される可能性もあるが
まだ書かれた文書自体が少なかったんだろうな。 >>578
文字とガラって異国の文字だと特にガラにしか見えないと思うけど
文字だと認識するのは、しっかり教育を受ける、学ぶ機会が無いとね
日本初の文字は、文字を知ってる渡来人帰化人が最初じゃないかな 有阿蘇山 其石無故火起接天者 俗以爲異 因行祷祭
とわざわざ書いてあるな
伊勢神宮や出雲大社の記載は無い 日向から神武東征後に神武が畿内を平定。
畿内平定後神功皇后の頃に九州邪馬台国が畿内の天皇家と並立して出てきたが、後に九州邪馬台国が滅んだ。
こういう事だよ。 畿内とその周辺国は緩い連合体なのに、九州だけはなぜかその支配下に置いていたという畿内説への矛盾の指摘は面白いね
寧ろ現在の学会の様子がそうなんじゃないのと思ってしまう
でも纏向から九州の土器の出土が少ないのは事実で、大和にとって九州が特異点だったのは間違いないだろうね
九州の勢力が大和に入り周辺国に物品を供出させ、本部である九州からは当然取り立てなかった、とも解釈できるような気がするけど
東征は神武の時突然始めたわけじゃなくて、スサノオやニギハヤヒに象徴されてるように前もって、戦闘もあり、懐柔もあり、政略結婚なんかを弄して、時間をかけて行われたんじゃないのかな 稲作国家って弱点があるよね、田植えと稲刈りの時期。その時期を見計らって近畿出雲勢が攻撃を仕掛けたら、九州国は降伏するしかないんじゃないの。 >>582
>畿内とその周辺国は緩い連合体なのに、九州だけはなぜかその支配下に置いていたという畿内説
どこの誰がそんな畿内説を主張してる?
デタラメ畿内説を自分で作ってそれを批判とはあきれる
>九州の勢力が大和に入り周辺国に物品を供出させ、本部である九州からは当然取り立てなかった、とも解釈できる
どこをどう解釈したらそんな妄想になるのかさっぱりわからん
物証を完全無視してオレサマストーリーを作ってるだけだろうけど >>437
魏志倭人伝の頃は小さなクニ同士が祭祀(女王)を中心に連合してる感じだな
政治の実権を握る男王よりは巫女の女王(後の斎王?)が重視されてるあたり、魏志倭人伝は貴重な資料 >>584
女王国より以北には特に一大率を置いて検察し諸国はこれを恐れ憚っている、とある
邪馬台国が大和にあったのなら大和が伊都国に一大率を置いて九州を支配下に置いていたとことになるのは論理必然じゃないかい
オレサマストーリーというか、大和朝廷が採用したストーリーから想像したんだけど 「一大率(いきそつ)は、壱岐対馬経由で大陸との往来を監視する水軍だという説はあるな 出雲尾張阿波宮崎鹿児島遠賀川などの縄文人が、畿内や九州北部の渡来人を征伐して出来たのが、邪馬台国であり大和朝廷。
倭国大乱で九州北部の住吉三神や畿内の渡来人勢力は壊滅させられたんだね。神武東征は、その一場面だな。
博多の一大卒は、九州北部を統治する拠点、兵の駐屯地だな。
大和朝廷は出雲尾張を中心とした縄文人の政権。 伊都国に一大率をおいて北を監視となると、大陸との交易圏(朝鮮南部を含む)ににらみをきかせているイメージになる
混一疆理歴代国都之図(15世紀)
ttps://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/tenjikai/2002/zuroku/jpg/001.jpg >>582
供出させたのなら墓制まで近畿のものに変わらないだろうに
ちょっとは頭を使えよ >>590
九州の勢力が大和の支配者なら前方後円墳も九州の墓制ということになるんだが
お前こそ少しは頭を使え >>546
また一つゴッドハンダー畿内のウソが暴かれたか >>564
記紀を参照するとしても問題は、邪馬台国が神武以前か神武以後かだ 奴国の阿雲族は渥美半島まで伝説を残しているんだから、神武東征のような東への遷移は邪馬台国時代以前にあったんじゃないの >>586
物証面から言えることは畿内勢の北部九州への進出があった
北部九州は生活土器から祭祀まで畿内様式に変わっている
この状況を魏使は一大率を置いて検察し諸国はこれを恐れ憚っていると表現した可能性はある
一方、九州勢が伊都国や奴国に影響を与えていた痕跡はない
邪馬台国が九州にあったと仮定すると、一大率云々の記述は物証と矛盾する 推理小説作家の3人は宇佐を邪馬台国の首都と考えているが俺は違う考え、
伊勢神宮は宇佐八幡と同じ位置関係にあるので、奈良と伊勢神宮はほぼ東西に
位置しているから、邪馬台国の首都は宇佐の西方にあると考えて九州内陸部に
邪馬台国の首都はあったと思う。その場所は朝倉市平塚の平塚川添遺跡だろう
安本美典氏が邪馬台国朝倉説を唱えている。 大和朝廷の祭祀から見て、明らかに海系の民族で、献上品は海産物で獣はない。
だから、安曇かもしれんし宗像かもしれんし隼人かもしれん >>569
弥生時代の福岡は平地が一杯だったのか、
山の裾でも遺跡が見つかるらしいな。
土地の奪い合いで倭国大乱が起きたのだろう。
耕作地を新たに求めて東征したのが
神武天皇だったんだろうな。 >>601
高地性集落の分布やら倭国における飢餓の記録から考えると、北部九州から畿内にかけて戦だらけだったみたいだな
魏志倭人伝にも女王を共立することによって停戦したとあるが 伊都国に一大率を置いたとか言ってる奴は魏志倭人伝を読んだことが無い
魏志倭人伝には一大率を女王国以北に置いて、伊都国で常に治めるとある
伊都国で女王国以北に一大率を置いて治めていたんだ
つまり伊都国が女王国の都なんだ。 神武が東征に旅立った日向峠は伊都国と奴国の国境だ。 >>604
そういうトンデモ解釈を主張したいならまずは証拠を示してくれ >>546
自分で書いているように「吉野ケ里から他に出ない」
その上「甕棺」からの出土なので時代はもっと古くなる
邪馬台国の時代から大きくずれているうえに、その後の技術継承もされてない
むしろ九州にそういう技術が定着してない事を示す物となる >>600
瓦解したんじゃ無くて、良く考えたらそもそも成り立って無かったって話し。 何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
邪馬台国畿内説は、
そもそも学説として存在したことがない。
ファンタジー。
>>610
> 完全な定説
つまり説であって事実かどうかは分からないわけだな。 硯ってそんな昔からあったんだ・・・・・
出来たのはせいぜい平安時代とかだとおもってたwwww >>614
中国では紀元前から漢字書いてるからなぁ。 何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>610
コイツいつもの荒らしか
間抜けなコピペ貼り続けてるが、北部九州を軍事的に統括していた九州勢がいた痕跡はどこにある?
3世紀の北部九州各地域にとっての共通点は畿内系土器が広まり、やや遅れて前方後円墳ができるということだ >>618
お前九州に何も遺跡が無いと思ってたんだww
ああそうなんだww 考古学的な発見を観察すると倭人伝の示す北部九州の状況が描写そのものであるのが理解できる
倭人伝の北部九州のクニグニには「ヒナモリ」という役人がほぼ確実に存在している
この役職は「辺境の守り」の役職
そして一大卒と言う全体を統率する刺史に似た役人が派遣され常駐して周囲を監視していると言う
更に伊都国は千戸の少な人口の名ばかりの王として見張られていると言う
九州全域が「中央」とされる地域に「地方」として管理されていることが読み取れる
この当時の九州は奴国の拠点とされる比恵遺跡など、主要部がほぼ全て畿内の土器や墓制、宝物に埋め尽くされている
ところどころに畿内の人間が直接乗り込んで生活をしていると思われる場所もあり「畿内の役人が派遣され主要部を抑えている」状況が読み取れる
そして、伊都国とされる地域は周辺がすべて畿内の様式一色であるのにも関わらず、その影響を排除する小さい空白点を形成している
これがまさに「ヒナモリがおらず千戸の人口だけで一大卒に監視される伊都国王」の姿として浮かび上がる
史書と考古学的な見地は合致しているのが分かる >>616
論破されたからってキレるなよ。おまえの論理は典型的な馬鹿文系の論理だ。完全に間違っている。
論破されるとキレる奴に限って証拠を捏造するんだよな。ゴッドハンドみたいな >>569
環濠が拠点集落というのは勝手な妄想に基づく思い込みだろう
環濠が必要なほど危険に晒されているとか外部への脱走を防ぐ刑務所とすら想定する人もいる >>621
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>622
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>613
それはまぁ子供の喧嘩レベルの難癖だろう。
漢帝国と陸続きなら或いははっきりとわかったかもしれんけど。
西ローマが滅んで以降のブリテンも
しばらくアーサー王伝説とかお伽話混じりになってしまった。 近畿パーの脳内では、九州には何も遺跡が無いそうですwwwwww
>>627
子供の喧嘩乙
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
畿内説の年代測定のこじつけ様は、そのうち憑拠薄弱とバレる
もう論拠がどんどん崩れるから、味方しても得にならへん >>624
> 完全な定説
これ誰も証明してないね。
> 異論を唱えるものなど居ない。
これキミの妄想だよね。これが本当かどうか証明のしようがないよね。
キミの論理はさっきから馬鹿文系論理と言われるもので、非科学的、オカルトと呼ばれるものだよ。
つまり科学ではないし、考古学でもない。ただのオカルト。
キミみたいな科学的手続きを無視すら輩が日本の学界には多いのもよく知っている。 >>631
いや定説だよ。完全にね。違うと言う学者を見たことが無いね。
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
そもそも邪馬台国の時期の九州はその数十年前からかなりハッキリと畿内の影響を強く受けているのが分かっている
土器のような生活様式のみならず、王のシンボルたる墓制や祭祀も畿内の方式に取って代わられている
それ以前の弥生時代後期後半までは各地の強い個性と排他性があったことが、この変化をより「強い背景があっての物」であったことを表している
この影響は時代を追うごとに強くなり、九州は中心性も自立性も取り戻すことなく埋没していく
このような状況の中でここに倭の中心たる勢力を見出すことなど困難
小手先の要素を持ち出して九州に邪馬台国などと言えるような状況では最早ない 三世紀と四世紀をすり替えて、三世紀にすでに西日本全体を軍事的に統括するような勢力があったと主張する
インチキ学者なら一部見たことがある。
そういうゴッドハンドは別として、
卑弥呼と同時代の三世紀半ばは、西日本はいくつかの有力豪族が割拠する時代だったと言うのは完全な定説。
違うと言う学者は見たことが無いね。
>>620
だから、北部九州には小国がバラバラにあっただけという結論にしかならない >>633
定説を科学的に証明された真理だと勘違いしてる時点で科学の素養が全くない。数学できないタイプ。
過去に何度、定説が覆されたことか。 >>634
墓制や祭祀の三種の神器とか九州から関西に伝わってるよなw 古代史は考古学の発展によって多くの事が分かった今となっては大体の概略は明らかになっている
結局のところ、弥生時代後期後半に畿内に出現した勢力が全国規模に拡大して邪馬台国となり、その後の大和朝廷に繋がるという事実が再確認されただけ
騎馬民族征服説だの、九州王朝だの、九州説だの
かつて吹聴されていたような珍説は最早入り込む余地などない状況になっている
今の研究課題はその畿内に成立した政権がどのようなものであったのかをより精密に精査することにある
位置論争など誰も相手していない 三世紀は西日本は狗奴国を除く西日本の西半分(狗奴国以外の九州、山陰と四国・山陽の西半分)を勢力下におく
大帝国を卑弥呼が作り上げた。
しかし、卑弥呼が無くなると邪馬台国は急速に勢力が衰える。
そして四世紀になると近畿日本に大王崇神が現れて、近畿日本が一気に勢力を大拡大する。
この一世紀のズレを悪用するカスがいるので注意すべき。
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
邪馬台国議論とか必死こいとるが、
中国人がこんな国あったらいいなって書いた妄想じゃねーのか? >>255
四国の王国が奈良まで勢力を伸ばしたと仮定するなら九州と出雲と目ぼしい王国が三つくらい有ったんじゃね?250年サイクルくらいで政変が起きたんだよたぶんw
それを永遠の統一国家として語ろうとするから矛盾が噴き出すw
縄文系 ユダヤ系 中国系の合成国家が日本なんだよたぶんw
武士の時代に成っても度々政変が起こっているし明治でカタカナが甦り平安京の流れの平成東京が出来たのも偶然じゃないよ。 >>640
そもそも鏡の序列と副葬は中国の移植に過ぎない
九州からそれが移動しているというのであれば「中国との交渉の権威」「鏡を配布する主体」を単に奪われたことを意味するだけ
記紀、風土記でも鏡の移動は「権威の移譲」「降伏の証」「上位者への献上品」であることなどから九州と畿内の力関係が明白になる
畿内の土器、祭祀に埋め尽くされている九州の状況から考えても妥当な判断と言えるだろう
さらに、畿内の鏡配布のシステムは九州と全く違う独自の物で弥生時代末期には独自の鏡を作り出し配布している
そしてその後には更にその独自性が強まり九州に無かった三角縁などが共伴する形を作り出している
その上九州の鏡は平原を最後に中心と呼べるものが消滅し、それから畿内で鏡が現れるまで100年のブランクがあり断絶があるのが分かる
九州との連続性など見いだせない
逆に九州はその畿内のシステムに覆いつくされている
玉や剣などの副葬も別段特別なものではない
九州からなどと言う要素ではない >>644
馬鹿文系には何度でも指摘してやるが、定説は真理や歴史的事実ではない。
「完全な」定説と表記するあたり、人を騙そうとする意図がバレバレである。自分でも信じてないのは明らか。 何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>645
その可能性は十分にある。
辺境の国を見聞するのが面倒で、九州あたりでUターンして適当に嘘を書いたらこうなった可能性もある。
今でさえ、科学論文のデータ捏造がよくバレている。
学校で習ったメンデルの法則でさえ、データは捏造された可能性が高いと言われているのだから。 あと、墓制についてだが「九州の影響」など見いだせない
九州の墓制は地下式の墳丘をあまり作らない小規模な墓で、弥生時代の後期後半まではその形を維持し続けていた
ところが、邪馬台国の時代になると「今まで全くなかった」
大型墳墓、葺石、庄内式、三角縁
と言った畿内で発展した墓制に一方的に飲み込まれていく
九州の影響どころか、九州は「無かったものだらけ」の畿内の文化に埋め尽くされているのが分かる
こんなところに時代の中心などあるわけがない >>654
キチガイイミフw
九州倭国と近畿日本は別の国。 何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>657
ネトウヨの捏造パターンをご存知だろうか。捏造した嘘を何度も何度もネットに書き込むのだ。
教養のある人は裏をとって本当かどうか確かめるのだが、たまにそのまま信じてしまう馬鹿もいるのだ。
キミは歴史の捏造方法に詳しいね。 >>571
援軍を出した事もない東の島国の事だもの別に誰が親方でも関係ないよ貢物が多ければ褒めるし少なければ貶す。
古い資料を見れば邪馬台国だから大和国、そんなもんだw 記紀に書いてあることは海外の文献と一致しない
明らかに捏造記事の塊
実際は8世紀以前の日本史は闇の中なんだ。 記紀の記述は三国史記、好太王碑文、宋書、江田船山・稲荷山古墳鉄剣などから雄略天皇辺りから裏が取れるようになっている
それを考えるとこの時期の畿内の政権がそのまま過去の邪馬台国の時代の政権ともつながることが理解できる
(詳細な系譜などは別だが)
「記紀は全てうそ」「古代史は何も分からない」
などと言われていたのは過去の話
今は記紀の記載と歴史に大きなつながりがある事が分かっている
これを考えると、外国の勢力の征服だの、九州王朝だの全く成り立たないのが分かる >>660
涙拭けよ捏造ゴッドハンドw
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>663
何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
>>662
全然闇じゃないよ。
九州倭国と近畿日本があったと言うだけ。 畿内説が痛いのは、
そもそも成り立っていないと言う点。
致命傷で済んでるwwwww こういうニュースみると古墳に墓誌残す習慣があればよかったのにと思う。 九州北部の渡来人畿内の渡来人が、
出雲尾張阿波宮崎鹿児島遠賀川などの縄文人に征伐されて出来たのが邪馬台国、大和朝廷だよ。親魏倭王卑弥呼が大和朝廷の始祖だな。
もちろん倭国とは大和朝廷のこと。
卑弥呼の時代に日本という国はない。 近畿日本がいつ日本と名乗ったかは分からない。
資料がどこにも無いから。
卑弥呼の時代にその祖型が存在していたことはまず間違い無いが、日本と名乗っていたかどうかは確かに分からない。 日本とは、卑弥呼に始まる倭国の系譜大和朝廷の系譜になく、日向の対になる場所にあった国。 日本とは近畿日本のこと。隋書にある秦王国でもある。 何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
日本は元々は小国だが倭国を飲み込んだとある。
倭国大和朝廷を飲み込んだ小国が日本だよ。 そして奈良に都のある大和朝廷倭国を飲み込める関係性があった国が日本。 >>645
その可能性はいつも念頭に置く必要があるな
卑弥呼の存在自体がシナ人の妄想にすぎないかもしれない
シナ人は以前から妄想で女人国とか裸国とか書いていたような連中
インチキ霊媒占いオババみたいなのとても信奉する気になれない
記紀にもはっきりと記されてはいない
シナの知識は明代になってもあんな滅茶苦茶な地図を描く程度のもんで
シナ人はそのように思ってた以上の信頼をシナ書に置くべきではないな 旧唐書の話はもういい加減にしてほしいくらいだな
その記事に併記して「名前が雅でないから自分で変えた」とも書いてる
天武天皇の「新しい国を作った」という発言や、遣唐使の粟田野真人の「日本と言ったのに倭だと勘違いされた」記事などからも明らか
ただの壬申の乱の事
そもそも中国はその後の新唐書で、隋の時の用明天皇とその後の桓武天皇を同じ系譜の上にあるとして王朝の変動などと考えてない 九州倭国を飲み込んだのが、元々は小国だった近畿日本。 大中臣氏の歌
たづのすむ沢べの蘆の下根とけ汀もえいづる春は来にけり(後拾遺9)
【通釈】鶴の棲む沢辺の蘆の地下の根に張っていた氷が解け、汀(みぎわ)がいっせいに芽吹く春はやって来たのだ。 畿内説が痛いのは、
そもそも立論に失敗しており成り立っていないと言う点。
致命傷で済んでる畿内説w >>679
だから、日本の使者が胡散臭くて信用できんと、書いてるだろ。
大和は正統性に自信が無いから嘘ついたんだよ。 卑弥呼もいたかもしれないが、
日本各地にあったヒコヒメ制度を中国が誤解して
書いた可能性はあると思う
ヒメヒコ制とは、弥生時代後期から古墳時代前期(紀元前1世紀から紀元後4世紀)にかけて日本各地で成立した男女別集団の共立的統治形態をいう。農耕的女子集団の長を主にヒメ、軍事的男子集団の長を主にヒコといったことからヒメヒコ制と名づけられた。 魏志倭人伝とかいまだに信じてるやつおるんやな
こんなんだと50年後には文化大革命や天安門は消滅してて南京大虐殺は正史になってそうw 何度も言うが、
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
邪馬台国はヤマトの事だしな、倭国伝に明記しとある話。
連投して暴れてるバカ=邪馬台国の怪が本売るために必死w 何度も言うが、
出雲尾張阿波宮崎鹿児島遠賀川などの縄文人が、
九州北部や畿内の渡来人を征伐して出来たのが邪馬台国、大和朝廷。
親魏倭王卑弥呼は大和朝廷の始祖。
博多の一大卒は、九州北部統治の為の拠点、兵の駐屯地。 >>687
中国の史書の事も書いてる通り
中国は日本の王朝の断絶も交代も認識してない
そもそも「日本」の名前の由来も煬帝の時の話を採用していて連続性を意識している
粟田真人は中国の史書にも登場する
双方の記載が合致している
また考古学的にも古墳時代を通じて畿内を中心とする政権の断絶は見いだせない
どこかの小国に征服されたなどと言う状況は存在しない
あるとするなら壬申の乱しかない 北部九州に14 万戸を比定してる時点で
考古学的には九州説は完全否定されてるのにな。
都合のいい時だけ考古学頼っちゃダメだぞw >>669
だからぁ〜古墳の遺体が石棺に収められているなら遺骨もそれなりの原型をとどめているだろうから
DNA解析を行えば大雑把な家系図も分かるってw
まさか全員が全員太安万侶の様な貧弱な土葬の様な埋め方じゃねーんだんべから遺骨くらい残っているってばw
https://www.youtube.com/watch?v=Zm7OFO2Go2Y
古事記も記紀も読んだこと無いが動画の説明だと稗田阿礼もニュアンス的に何か文書を読み上げていた見たいだから日本書紀以前にも歴史書は存在していたんだよ。 >>701
北部九州に在ったのは邪馬壹國の7万戸
14万戸とか何を考えてるんだ? >>586
邪馬台国との位置関係を整理しとこう
【さらに北】(よくわからんぐらい遠く絶たっている)
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、
華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国
↑
【北】 (九州北部)
狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国
↑
女王国(邪馬台国)
↓
【南】
狗奴国
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、
次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、
次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。
其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。 >>703
もれなく伊都に奴国と投馬国も付いてくるから。そんなバカな話し倭人伝、考古学とも
否定しないと成立しないよw >>607
>「吉野ケ里から他に出ない」
畿内説って、まず嘘や騙しで九州を過小評価して、
九州説が反論したら開き直るよな。
3世紀ならまだ吉野ヶ里は継続してるし、
あなた風に言うならば、邪馬壹国の時代まで技術が引き継がれてるのは当然。
証明する必要は無い。
でも畿内ってさ、
4世紀に絹が見つかったのも、
九州の副葬品文化の影響を受けた古墳からよね?
絹といい、鏡といい、前方後円墳の主体部の構造といい、
畿内ってもろ北部九州の影響受けてたんだね。 >>701
小さな壱岐島に三千戸あるんだから、北部九州にそれぐらいいたっておかしくないな 未盗掘の古墳って本当に少ないからなぁ
九州ってなんでそんなに副葬品が出てくるのか不思議 北部九州は弥生時代後期後半には畿内の土器に塗りつぶされている
そしてその後には独自の墓制も祭祀も宝物も畿内式に取って代わられ自我を失う
この畿内の影響の拡大は時代を追うごとに強くなり九州に独自勢力が現れることは現代にいたるまでない
小手先の話でどうこうなるような状態はもう終わってる >>710
九州も盗掘されてるから、
大分無くなってるんだろうけどね >>707
畿内の絹はその構造から唐子鍵の麻布の技術を絹に用いたものであることが分かっている
技術の継承と発展の動きが分かり「畿内の絹」としてあらわすことができる
だが吉野ケ里の絹はそのような発展系譜が存在しない
周囲にも拡散しておらず技術的な断絶が分かっている
流れ的に中国の技術であり、その後にも周りにも全く見受けられない物であることから持ち込みの品である可能性も捨てきれない
これをもって「九州の絹」であると言うことは出来ない
下池山の絹とは同列に語れない 連続性や系譜をたどれない突然変異的な発掘物をもって特色とすることは困難
九州の古墳から見つかる独自の品も結局はその時のその場所だけのローカルなもので終わっている
そのような特異なものをもって中心性とすることなど不可能と言っていい >>713
>畿内の絹はその構造から唐子鍵の麻布の技術を絹に用いたものであることが分かっている
ソースは?
>流れ的に中国の技術であり、その後にも周りにも全く見受けられない物であることから持ち込みの品である可能性も捨てきれない
嘘乙
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c609.html
【イ.日本製の絹である】
中国漢代に絹と織り密度や繊維断面計測値を比較してみると、顕著な違いが認められ、日本製の絹であると考えらます。 >>713
なんか必死に論点ずらしてるけど、
話の発端は3世紀に魏に絹製品を送れたかどうかだったろ。
畿内は、九州の影響を受けた4世紀の古墳の副葬品まで絹の出土なし。
九州は弥生時代から透目絹などの優れた技術があり、
平民の遺骨にさえも絹が見つかるほど一般的だった。
どう考えても3世紀に魏に絹製品を献上できるのは北部九州と思うんだけど。
5世紀に優れた絹織物が見つかったから、3世紀にも絹があったっていう
持論を通すの?
あと、3世紀頃の九州と畿内の織物を比較した文献があれば
紹介してくれないかな?
自信たっぷりに畿内の技術が凄いって言うから興味湧いてきたよ。 >>714
>連続性や系譜をたどれない突然変異的な発掘物をもって特色とすることは困難
九州では紀元前から鏡を副葬していた。
超大型内行花文鏡はその系譜。
畿内にはそういうものが無い。 >>716
そもそも吉野ケ里でしか見つからないのであれば「吉野ケ里が邪馬台国」と言うことになる
だが吉野ケ里はその衰退時期や、影響力の問題などからとても邪馬台国などと呼べないことは九州説でも一致している
今「吉野ケ里が邪馬台国である」などと主張する人はほぼ皆無だろう
「絹が見つかりさえすれば邪馬台国」
等という小手先で成り立つような話ではない
上でも書いたが甕棺の時代に見つかったきりで系譜も辿れない絹を九州の絹とは呼べない
それこそ持ち込みの品である可能性もある
平民でさえも使ってると言うのであればその絹が一般化して技術的にも九州に広まっていてもおかしくないがそうなってない
むしろ「その時だけの特異なもの」という点を強調してるに過ぎない
君風に言うなら「古墳からGショックが見つかったら前にも後にも何の系譜もないのにそこの物なのか?」ということになる
少なくとも畿内の絹は弥生時代から伝わる畿内の技術の系譜なのが分かってる
吉野ケ里の絹と同列に語るものではない
あと、何度も書いているように九州は邪馬台国の前から全域が畿内の強い影響下にあり、どこに何を持ち出そうが邪馬台国たりえない >>717
畿内は単独で中心勢力として成立したのではない
吉備、東海、北陸、四国などの周辺地域の連合的に文化を大成させている
まさに「共立」と言う状態
そのような連合的に発展した文化で特に顕著なのが古墳と埴輪
出雲の四隅突出と円形周溝墓をもとに吉備を経由して成立している
それが九州にも持ち込まれ九州の墓制のスタイルを完全に変化させている
それが邪馬台国の時代 >>718
wwwwwwwwwwwww
絹は福岡でも見つかりますwwwww
そしてあなたの論法だと
「絹が見つからない大和は邪馬壹国ではない」
となりますwwww
ということですよね?wwwwwwx >>718
>系譜も辿れない絹
1例しかない畿内の絹のことかw
九州から貰ったんだろ
で、畿内の絹が技術的に九州より優れていたというソースはよ 結局ソースの無い嘘をひたすら垂れ流すしかないゴッドハンダー畿内w >>720
何度も説明してるように
九州に質の高い絹など存在してない
甕棺の時代に、ごく一部の地域でだけ見つかり後にも周りにも何の影響も残してない絹など持ち出しても何の意味もない
そして吉野ケ里が邪馬台国だと言うのでもなければなおさら
卑弥呼が高品質の絹を献上してる以上質の高い絹の存在は不可欠
畿内は技術的に系譜をたどれる高品質の絹を出している場所
九州には存在しない
それこそまた君風に言うなら「高品質の絹を作る事の出来ない九州は邪馬台国ではない」となる
そしてこれも繰り返しになるが九州は畿内の強い影響で塗りつぶされており粗雑な絹一つで邪馬台国が設定できる状態ではない >>723
>畿内は技術的に系譜をたどれる高品質の絹
だから早くそのソースを出せよ嘘吐きw
いつまで逃げ続ける気だ >>693
3世紀の近畿中国四国の政治形態なんぞ誰も知らん。
ただし九州は魏志倭人伝により29国の倭人国が邪馬一国に服属して居た事が記載されて居る。
まー国と言っても現代の村か町精々郡の大きさだが・・・ 記紀では、畿内征伐の後に大和朝廷が作られるとある。
倭国大乱を無視したらダメだな。
敗れた勢力や邪馬台国と対立している狗奴国を無視したらダメ。 >>723
硯が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない
豊富な鉄器が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない
魏志にある五尺刀が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない
魏鏡が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない
中国丹が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない
日本で唯一弥生遺跡に絹が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない
旧唐書に、倭奴国から邪馬壹国へと連なる九州倭国の歴史が書いて
あっても邪馬壹国と言える状況じゃない
纒向で残飯の桃の種が見つかったねん
→やっぱり奈良が邪馬台国でんがなまんがなwwwwwww またいつもの証拠出せない畿内ゴミが暴れてんのか
大和は4世紀以降大発展してるんだからそれで我慢すればいいのに >>723
3世紀の関西からは高品質だろうが低品質だろうが絹自体が全く出土しないからなw >>706
伊都國と奴國は邪馬壹國の構成国だし
投馬國は朝鮮半島です。 >>708
当時は北部九州が先進地域であった証だな
壱岐島だけ見ると既に江戸時代の人口と変わらないようだな。 なお絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると・・・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber1944/45/6/45_6_P277/_pdf
> (iv)九州から本州への養蚕伝播――
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕 ・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。 この奴国と呼ばれてる領域を超える弥生遺跡はない、
奴国は地名の類似から比定されてるだけ、
比恵、那珂、板付、須玖、岡本などを含む博多の地こそ邪馬台国だ、
という意見は九州説の中でもいくらかいそうだけど、どうなんだろう? チョイチョイ=ヘブライ語 前進前に進む
タベル=ヘブライ語 話す
カク=書く
ハケシュ=拍手
カサ=傘
ワッショイ!=ワッショイ(神が来た)
ヤマト(大和)=ヤゥマト(神の民)
♪
∧_∧ わっしょい♪
(´・ω・`∩
o ,ノ
O_ .ノ
♪ (ノ
∧_∧ わっしょい♪
∩・ω・`)
| ⊂ノ
| _⊃ ♪
し ⌒
↑
神が来た神が来たって意味
言葉はヘブライ語で確定 >>734
曲芸読みで博多を邪馬台国としてる珍説があるけど珍説はどこまで行っても珍説 そりゃ北九州からは
運が良ければ残っていて出土するに決まってる
魏志倭人伝を信じれば魏と邪馬台国は文書交換してるわけだし ただ絹があればいいという物ではないと何度も説明した通り
九州にある粗雑な絹は卑弥呼が献上した絹ではない
質の高い絹の最古の例は畿内
系譜も辿れるまさに畿内の絹と呼べるもの
九州にそんなものはない
そしてこの時代の九州は全域が畿内の強い影響下にあり粗雑な絹があったところでどうにかなるような状態にない
何度でも言うが北部九州はスレの主題となってる比恵遺跡をはじめ主要部が軒並み畿内の影響下に入っている
生活から宗教まですべて独自性を失い畿内の文化に覆いつくされている
このような状態でなぜ九州に邪馬台国があるなどと言えるのか全く理解に苦しむばかり 庄内式土器
布留式土器
三角縁神獣鏡
大型墳丘墓
葺石
どれ一つとっても九州には400年無かったものばかり
これが邪馬台国の前の弥生時代後期後半に一気に雪崩れ込んできて九州の文化を塗り替えている
そして九州から外に出る影響は殆どない
これが九州の現実
このようなあり様の九州になぜ邪馬台国があると強弁できるのか
全く分からない 卑弥呼の鏡か
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
http://www.netpia.jp/history/kinginsakugan_shuryumon_tekkyo-summary_Japanese.htm
http://www.netpia.jp/history/kinginsakugan_shuryumon_tekkyo-restoration_image-Japanese.htm
■ 東寺ダンワラ古墳からの他の出土物
鉄刀、轡、鉄製貝装雲珠(かいそううんじゅ)、鉄製貝装辻金物、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだだま)、
水晶製切子玉(きりこだま)、ガラス製小玉、勾玉(まがたま)
近辺からの関連のある出土物としては、金錯鉄帯鉤 (きんさくてつたいこう・男性用の鉄製バックル)
この鏡が出土した日田市には、東洋最大規模と言われた鯛生金山はじめ、15の金山の存在がわかっています。
金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%8A%80%E9%8C%AF%E5%B5%8C%E7%8F%A0%E9%BE%8D%E7%B4%8B%E9%89%84%E9%8F%A1
(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)は、大分県日田市日高町にあったダンワラ古墳から出土したとされる弥生時代中期の鉄鏡[1]。
国の重要文化財に指定されている。
この鉄鏡は漢代のものと考えられているが、前漢か後漢かについては両論がある[2][1]。
金銀を象眼した鉄鏡は、日本国内ではこの金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡しか出土していない。
また、中国の三国時代に書かれた『曹操集訳注』には、魏の曹操が金錯鉄鏡を持っていたと記されており、
この種の鉄鏡は高位の支配層の所持物であったと考えられる。
象嵌
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%A1%E5%B5%8C
象嵌本来の意味は、一つの素材に異質の素材を嵌め込むと言う意味で金工象嵌、木工象嵌、陶象嵌等がある。
その中の金工象嵌は、シリアのダマスカスで生まれ、シルクロード経由で飛鳥時代に日本に伝わったとされる。 >>738
>質の高い絹の最古の例は畿内
>系譜も辿れるまさに畿内の絹と呼べるもの
だから早くそのソースを出してみろって言ってるだろ嘘吐き君よw
ソースを出せずにひたすらデマを連呼したって嘲笑の的になるだけだぞ ちなみに日本最古の機織り具は福岡の雀居遺跡から出土した縄文晩期のもの
いっぽう近畿最古の機織り具は兵庫の新方遺跡出土で弥生中期
畿内は北部九州よりざっと400年くらい遅れてるわけだが、400年も歴史の浅い畿内の方が
ギジュチュが進んでいたニダ!
ってのは一体どこから湧いた妄想なんだろうな >>742
九州がから「絹が出る」「古い」と言う主張は、長い歴史がありながら、質の高い絹を作り出すことがついにできなかったと言う状況を自ら説明してるだけに過ぎない
そして卑弥呼は質の高い絹を献上品としている
この事からむしろ九州は絹の歴史を主張すればするほど自らが該当しないと言ってるだけになる
そしてまさにこの卑弥呼の時代の頃に高品質の絹を生み出している畿内は、絹と言う文物一つをとっても有力であることが分かる >>743
今でも博多織とかあるだろ
関西には元々は無かったんだから
九州から教えてもらったんだろw >>743
>卑弥呼の時代の頃に高品質の絹を生み出している畿内
だ・か・ら
早くそのソースを出してみろって何度言わせるんだハゲ
そんなだから畿内説論者にはウソツ畿内だのゴッドハンダー畿内だの恥ずかしい呼び名がついてるんだよw 関西地方が中国と国交が始まるのは唐朝から
魏や南北朝時代に国交の記録なんて記紀には無い。 九州への畿内の影響の拡大については色々と興味深いことが分かる
上で伊都国の状況について触れたがこの地域は周囲が全て畿内の影響に塗りつぶされてる中で、その影響を受け付けずに小さな空白点を形成している
このような状況はかなり明確な政治的な意図と背景を想定することができる
ただの文化の移動や、交易、ましてや偶然だと言うのであればこのような状況にはならない
かなりハッキリとした意志によってこの地域を残してい無ければこうならない
畿内の文化の九州への流入はかなり明確な意図があっての物であるのがわかる
倭人伝にあるように畿内勢力が九州を政治的に影響下に入れるために活動していたことを示しているのが分かる ソースを出せと言われても頑なに逃亡してデマを吐き続ける畿内キチガイw
日本よ、これが ゴ ッ ド ハ ン ダー 畿 内 だ ! ゴッドハンダー畿内がどんなにウソを並べても、絹研究の第一人者の見解はこれ
シルクの考古学
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber1944/45/6/45_6_P277/_pdf
> (iv)九州から本州への養蚕伝播――
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。
邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。
邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。
邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。 >>739
土器なんか畿内から連れて来た部落民が作ったんだろ。
奈良には墓のスペシャリスト”墓守”もいたしな。 >>751
土器や古墳の形式とかでは歴史に何があったかなんて分からんよな
好きな解釈し放題だよなw 重要なのは、邪馬台国、大和朝廷は縄文人(+半分縄文人に乗っ取られた古い海神の勢力)が作った政権。
出雲尾張阿波宮崎鹿児島遠賀川の縄文人が九州北部や畿内の渡来人を征伐してできたのが、大和朝廷。 >>751,753
まあ普通に考えて土器を焼くのは下層の労働者階級の役目だわな
やんごとなき殿上人が泥をこねて土器づくりとか有り得んし
庶子で地元に領地を持てなかった神武と、大陸との繋がりがあって進んでいた九州の文明が欲しい畿内勢力との利害が一致して
神武が雇われ店長として畿内に招かれたってあたりが事実だろう >>754
畿内説も九州説もその他の特定の説も全部珍説。「分からない」だけが学問的に正しい。 >>757
なるほど、だからそれまで副葬の慣習が無かった畿内で突然九州式の副葬が行われるようになったり
器台に描かれる弧文が九州で宝物とされたゴホウラ貝の断面図の図案化だったりするんだな 吉野ヶ里遺跡の場所は特長的な場所にある
陸地から続くなだらかな小高い丘の先で見晴らしが良い
熊本城も大阪城も名古屋城もそういう場所にある
地下に何か眠っているのでは? >>544
日本人の三割から四割が縄文系だってさ。
水田稲作の技術を持たなかった縄文系が絶滅することもなく高比率で残っているのは、
支配層が先住民である縄文系だったからだろう。 >>762
そういうことだな。
奈良に都のある大和朝廷は縄文人による政権 >>762
山県灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、
イネのプラントオパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が大量に見つかり18日、
灘崎町教育委員会が発表した。 この時期のプラントオパールが大量に見つかるのは全国初という。
イネの栽培をうかがわせ、これまで栽培が始まったとされている縄文時代後期(約4000年前)をはるかにさかのぼる可能性がある。
↑
縄文時代から稲作してるよ
そんなに争った形跡がないらしいから縄文系とユダヤが融合したんだと思うわ
縄文系とユダヤ連合とそれに反する縄文系連合が蝦夷じゃね >>764
東山天皇の子孫は縄文系の遺伝子を持っているらしいね。
徳川家も縄文系だってさ。D1bね
伊勢神宮の伝承では、天照が大陸から稲を持ってきたことになってる。
天照が卑弥呼なのかな? 日ユ同祖論は上海や満州で日本軍の保護を受けていたユダヤ人が言い出したことなんだから、あまり本気にすんな。 >>768
日露戦争の時人種差別的にどこも金貸してくれない所を
ジェイコブ・シフと言うユダヤ人が金貸してくれた
その孫が戦後首都高作ってくれた
アメリカも新幹線引く金出してくれたんだよ ロシア帝国を倒すためだよ。
共産主義者にロシア革命の資金を出したのもユダヤ人。
最初のソ連共産党政権の構成員の多くもユダヤ人。
共産主義は一部の指導者が多くの愚民を騙して奴隷化するというユダヤ的選民思想。
アヘン漬けにした中国人をアメリカに売っていたのもユダヤ人。
ソ連を助けるために日米開戦を煽ったのは、ユダヤの手先の共産主義者。
近衛文麿とルーズベルトの側近は共産主義者だらけ。
アメリカが日本に原爆を落とした後に、ソ連が一方的に条約を破って満州に侵攻。
全部、ユダヤ金融と共産主義者の筋書き通り。
ただし、そのままでは日露戦争で貸した金を回収できないので、適当に援助して恩を売っておいた。
それだけ。 >>727
そんな歪曲、捏造をやって何をしたいんだ?
硯が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない → 見つかった場所は奴国であって、そこは邪馬台国とは別の国
豊富な鉄器が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない → だから何? ヤマト王権は鉄貧乏の奈良県で誕生したんだが
魏志にある五尺刀が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない → どこで見つかった? 魏代のものである根拠は?
魏鏡が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない → 魏鏡とはどこで見つかった? 鏡の種類は?
中国丹が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない → 九州は「其山有丹」に矛盾
日本で唯一弥生遺跡に絹が見つかっても邪馬壹国と言える状況じゃない → 倭国の産物として書かれているだけ
旧唐書に、倭奴国から邪馬壹国へと連なる九州倭国の歴史が書いて → 文献の一部を恣意的に切り取ってるが、卑字であるため国名変更したという記述を無視している
あっても邪馬壹国と言える状況じゃない
関係ないことをいくら並べても無意味
逆に3世紀には畿内に日本列島の盟主の国が存在していて博多まで進出していたという九州説にとって致命的な事実を無視している
九州説は邪馬台国が倭国の盟主の国であるという魏志倭人伝の最も重要な記述に矛盾する
つまり九州にある国はどこも倭国の盟主の国ではなかったので九州説が成り立つ余地はゼロ >>770
坂本竜馬はユダヤ武器商人の工作員アヘンは江戸幕府のおかげで日本に来なかった
ルーズベルト一族はアヘンと奴隷で中国で商売していた
日本が国連軍もどきやろうとしたから自分の利益のために原爆投下
が戦後日本は分割されて天皇も戦争責任を取られるべきだったが
ユダヤ系のマッカーサーは手のひら返しをする
三種の神器と仁徳天皇陵調べたから
日本ユダヤ系じゃね国を亡くしてはるか日本の地をやって来て大和王朝作った
ご先祖様に感謝すべきこれが無かったら半分は中国人かロシア人になってたぞ ねぇねぇ九州説のみんな
三角縁や葺石や庄内式の無い九州独自の経100歩の墓は?
丹山は?
質の高い絹は?
古墳出土や小片じゃない100枚の中国鏡は?
入れ墨は?
宮殿は?
骨占は?
広域のクニグニを傘下に収めた証拠は?
7万戸の大集落は?
どこにあるの?ねぇどこにあるの?
絶対確実に九州なんだよね?
どこにあるの?
教えてよ?絶対確実な九州なら山のようにあるよね?
確実な答えが出るのが楽しみだなぁ 新唐書
日本は古の倭奴国(いどこく)である。略
国王の姓は阿海(あめ)氏、彼が自ら言うには、初代の国王は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、彦瀲(なぎさ)に至るにまですべて三十二代、いずれも「尊(みこと)」と呼ばれ、筑紫城(ちくしじょう)に住んでいた。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。
— 新唐書卷220 列傳第145 東夷
大和朝廷が自分で言ったんだから否定のしようがない事実だろう。 纏向遺跡のように土器しか出土しない所が日本の首都かよ、笑わせるんじゃネエよ >>771,773
必死にIDを変えて、あたかも畿内説論者の数が多いように見せたいようだが、
他の畿内説論者は数々の考古学的・歴史学的事実に打ちひしがれて、
もはやここに書き込んでるのはこのキチガイだけだなw
キャラを変えても土器がー三角がー
て同じことしか言わないからバレバレw
因みに布留式土器よりも古い庄内式土器を伴って、
質のよい三角縁神獣鏡を副葬しているのは
九州の前方後円(方)墳のみらしいな。
つまり九州の方が先に三角縁神獣鏡が出現したと言える。
そもそも鉄器貧乏の畿内がどうやって
当時軍事的・文化的に圧倒的だった弥生銀座擁する北部九州を
征服したんだろ。
征服したのなら金銀財宝が畿内から見つからないのは何故だろう。 国産鏡の三角縁が出るようだと偽物、葺石や庄内式とか何の関係があるの?
丹山は阿蘇の赤土か、長崎、熊本、大分の辰砂のことでしょう。
3世紀当時の質の高い絹も出土してますし
2〜3世紀の中国の100枚くらいの鏡は出てますよ
昔の人が入れ墨してたかどうかなんてどうやったら分かるの?
宮殿の遺跡も出てますし、未発見のものも未だあるでしょうね
骨占に使われた骨は出てます
広域のクニグニを傘下に収めた証拠とはなんですか?
7万戸は集落じゃなくて北部九州全体の戸数です。
満足したw >>2
日本にしかない前方後円墳がなんと韓国にもある
しかも日本より後の時代
米も実際には日本から渡ったみたいだしチョンの嘘が次々と暴かれていくな >>1
邪馬台国との位置関係を整理しとこう
【さらに北】(よくわからんぐらい遠く絶たっている)
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、
華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国
↑
【北】 (九州北部)
狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国
↑
【女王国】
邪馬台国
↓
【南】
狗奴国
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、
次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、
次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。
其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。 豊国(大分県)の古文書によると、神武東征は
紀元後すぐ
豊国に都を置いたウガヤフキアエズ天皇は
東征して、奈良で起きた長髄彦と新羅の反乱を制圧し
一度は豊国に戻ったが、占いにより橿原に遷都した
だが神武の次の代でクーデーターがあり
記録は途絶える
魏志倭人伝と照らし合わせると
邪馬台国は福岡、佐賀の倭人の勢力
狗奴国はそれ以南の土着の縄文人の勢力なのかもしれない https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%A8%98
『上記』(うえつふみ)は、いわゆる古史古伝と呼ばれる文書の一つであり、一般に偽書とされる。ウガヤフキアエズ王朝を含む古代日本の「歴史」などが豊国文字で書かれている。
概要 編集
1837年(天保8年)に豊後国(現在の大分県)で発見された。『上紀』、『上津文』、『上つ文』、『ウエツフミ』とも書き、『大友文献』、『大友文書』などともいう。
神代文字の一種である豊国文字で記されている。
『上記』の序文には、1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂したとあるが、一般に史実とはみなされていない。 縄文の段階で建築様式に中国の影響が見られるものがある
同時期に文字を理解する人がいても不思議ではない ズバリ言うけど
福岡が熊襲なんだろ?違うの?
仲哀天皇が長門で熊襲に襲撃されてるし
香椎から出陣して筑紫平野で熊襲と戦って討たれたし >>782
そりゃ〜徐福一団が渡来したんだからあたりめだ。
問題は徐福とユダヤの関係
卑弥呼と徐福の関係 >>775
首都は当時の更地に作られるんだよ。
でなきゃ都市計画が出来ないでしょ そもそも魏志倭人伝にしても支那の書籍の信憑性なんて、前つば物なんだよ。
昔からそう言われてただろ、研究者達の思考は、支那最高ーと吠える犬共。 >>784
卑弥呼は鬼道をやってたんだから、徐福集団の子孫だろう。
ユダヤかどうかは不明 何故か東を志向する民族と言う事で徐福もユダヤ的ではあるとは言える。 大陸から国名彫って持ってきたものの奴国なんてとっくの昔に亡びて
あくまで地名ということで押し通すかなあ 多分漢字なんて読めないだろうからまあいっか
使うといってもどうせ数を数える時の線を引くくらいしか使わないだろうし
でも硯使うくらいだからひょっとして読める知識のあるやついるかも
で結局その部分を削りとったっていういわくのあるやつだっけ >>786
3世紀の出来事を3世紀に書いた書物と
3世紀の出来事を8世紀に書いた書物とでは
信頼性が全然違う
三国志は3世紀に編纂され記紀は8世紀ですからね。 筆や硯は中国が起源だろ?
中国の植民地だった半島に普及した後日本に伝わったと考えるのが妥当では >>757
祭祀の土器はやんごとなき殿上人がつくってた っていうかできないとダメだった
普通のも職工かたまって住んでて労働者といっても最近の感覚なら一部上場メーカー勤務という感じ >>788
その昔は太平洋に船出した人々は死んじゃったんだんべw
岩倉使節団が偏西されるまで待たなければならなかったw
太陽を追って西へ西へと西遊記 >>780
卑弥呼と台与に被るなや
出そうで出ないはババーの月経 >>780
やっぱそうだよな。
西から来た勢力に土着の文字の無い出雲系縄文豪族が当初は服従したが温厚な土着民も恨み妬みが次第に募り大和と言う複合国家、権力争いの火種を生んだのかもしれんね。 収租賦有邸閣 國國有市 交易有無 使大倭監之
奴国(博多)で大倭(国税庁)が使ってたかもしれんね。 >>776
はあ?複数の気に入らないレスがあると全部同一人物か?
畿内説はすでに通説になってるんだから似たような論になるのは当たり前だろが
倭人伝を素直に解釈したら九州だとほざくくせに、その解釈は百人百様の九州説なんかとは違う
三角縁神獣鏡まで九州起源にするとか、製作年代で分類できていることさえも知らんやつの妄言
しかも日本列島がヤマト王権により統一されたという日本古代史の全否定までするトンデモ野郎 >>805
畿内説が通説?
珍説になってるの間違いかw >>795
台与じゃなくて壹與(壱与)ですね
イヨはまだ13だから。 >>803
纒向の外来系土器は、尾張出雲が中心。九州の土器は少量。
九州の縄文人も邪馬台国、大和朝廷に関わっているが、
畿内を征伐して大和朝廷を作った中心勢力は、出雲と尾張の縄文人。 人国記
[大和]
大和国の風俗は、表郡については大げさなことや見栄え の良いものを好むものが多い。
奥郡の人は引きこもりな隠者気質であるが、
基本的にこの国の者は山城国と似たような風俗である。
かつては同じように都として栄えていたからこそ、
風俗が似る部分があるのだろうが、
山城国より人が少ないだけ、先鋭化している部分がある。
表郡の者は名声にこだわるもの多く、
常に言葉巧みに嘘をつき、
支払うお金はケチった上で名を高められないかと願っている。
しかも下劣さは言葉の外にまで表れて、
平気で二枚舌で嘘をつく風俗である。
もしこの国の人を味方につけたいなら、
嘘つきなスパイを送って仲間割れさせるのが手っ取り早いだろう。 >>809
二枚舌w
現代の近畿パーそのままだなw >国産鏡の三角縁が出るようだと偽物、葺石や庄内式とか何の関係があるの?
九州に全く存在しなかった畿内の様式に覆いつくされてる証拠
>丹山は阿蘇の赤土か、長崎、熊本、大分の辰砂のことでしょう。
当時の九州では発掘されてない。九州ではない証拠
>3世紀当時の質の高い絹も出土してますし
ない。高品質の絹は下池山古墳が初出。九州ではない証拠
>2〜3世紀の中国の100枚くらいの鏡は出てますよ
ない。大半が古墳出土品。共伴する最新の物で判断するのが通例。九州の鏡は4〜5世紀に手に入れたものと判断するしかない
>昔の人が入れ墨してたかどうかなんてどうやったら分かるの?
3世紀の吉備の入れ墨人面を記載した土器が分布し入れ墨の風俗は岡山周辺に多いことが分かる。九州にそんなものはない
>宮殿の遺跡も出てますし、未発見のものも未だあるでしょうね
ない。未発見の物など論外。九州でない証拠
>骨占に使われた骨は出てます
壱岐国に見られるがそこで特記さえもされてない。畿内と比較しても格段に少ない
>広域のクニグニを傘下に収めた証拠とはなんですか?
邪馬台国は自身が7万戸の大国の上、投馬国、北部九州のクニグニを傘下にれる大国
畿内の影響に埋め尽くされ独自の文化さえも失っている九州ではない証拠
>7万戸は集落じゃなくて北部九州全体の戸数です。
そんな記載はされてない。論外
九州説とやらが微塵も成立しないことがよくわかって満足した >>777
>国産鏡の三角縁が出るようだと偽物、葺石や庄内式とか何の関係があるの?
九州に全く存在しなかった畿内の様式に覆いつくされてる証拠
>丹山は阿蘇の赤土か、長崎、熊本、大分の辰砂のことでしょう。
当時の九州では発掘されてない。九州ではない証拠
>3世紀当時の質の高い絹も出土してますし
ない。高品質の絹は下池山古墳が初出。九州ではない証拠
>2〜3世紀の中国の100枚くらいの鏡は出てますよ
ない。大半が古墳出土品。共伴する最新の物で判断するのが通例。九州の鏡は4〜5世紀に手に入れたものと判断するしかない
>昔の人が入れ墨してたかどうかなんてどうやったら分かるの?
3世紀の吉備の入れ墨人面を記載した土器が分布し入れ墨の風俗は岡山周辺に多いことが分かる。九州にそんなものはない
>宮殿の遺跡も出てますし、未発見のものも未だあるでしょうね
ない。未発見の物など論外。九州でない証拠
>骨占に使われた骨は出てます
壱岐国に見られるがそこで特記さえもされてない。畿内と比較しても格段に少ない
>広域のクニグニを傘下に収めた証拠とはなんですか?
邪馬台国は自身が7万戸の大国の上、投馬国、北部九州のクニグニを傘下にれる大国
畿内の影響に埋め尽くされ独自の文化さえも失っている九州ではない証拠
>7万戸は集落じゃなくて北部九州全体の戸数です。
そんな記載はされてない。論外
九州説とやらが微塵も成立しないことがよくわかって満足した 相変わらず嘘しか言えない近畿パーw
高品質の絹は吉野ヶ里が初出だし、下池山の絹が高品質だったというソースは無い
人国記の通り、大和は嘘吐きの国 >>812
>当時の九州では発掘されてない。九州ではない証拠
倭人伝には「丹有り」としか書かれていない。
産出してるとは書いてない。
>高品質の絹は下池山古墳が初出。
3世紀の九州の絹と比べて高品質である資料は?
素人の主観願望でなく、専門家が評価しなもの。
>大半が古墳出土品。共伴する最新の物で判断するのが通例。九州の鏡は4〜5世紀に手に入れたものと判断するしかない
ダブスタ畿内説w
鏡の伝世の仮説を認めないのなら、
畿内で3世紀の古墳から出て来た鏡はどれくらいあるよ?
>3世紀の吉備の入れ墨人面を記載した土器が分布し入れ墨の風俗は岡山周辺に多いことが分かる。九州にそんなものはない
お得意の、まず嘘騙しで九州を過小評価して、こっちが反論したら開き直るパターンだろw
糸島で顔に刺青した人が書かれた木片が見つかってるよ。
>未発見の物など論外
そうそう
3世紀に畿内に絹なんて論外
>壱岐国に見られるがそこで特記さえもされてない
倭人伝での畿内の扱いと同じだね
>邪馬台国は自身が7万戸の大国の上、投馬国、北部九州のクニグニを傘下にれる大国
石器時代同然の後進地域であった奈良県でないことはわかった
>そんな記載はされてない。論外
そう記載されている。論外。
畿内説とやらが詐欺師の宣伝だということが
わかって胸糞わるくなった 大和、いや大倭が使っていたとしたら、他の国でもあるはず、
先ず投馬国が怪しいで、初めて他の硯出土を調べたら松江にあった w
しかし九州よりずーと昔のBC230-90だそうで。
田和山環濠遺跡。ここも出雲らしく"奇し"な遺跡だ w
同じく環濠遺跡から出ている丹後の鉄滓も不思議なんだよね。 歴史の古い伊都国の代々の王が統属するような国が大和にあったとは思えんw
奴国の王権だろうね
この王権が筑後川流域に南下するときに大乱が起きた 最古級のすずり片出土 福岡「魏志倭人伝」伊都国の遺跡
古代中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国(いとこく)」の都だったとされる福岡県糸島市の三雲・井原(いわら)遺跡で、弥生時代(紀元前4世紀〜紀元後3世紀)のものとみられる国内最古級のすずりの破片1個が出土した。同市教育委員会が1日、発表した。
https://r.nikkei.com/article/DGXLASDG01H95_R00C16A3000000 >>816
伊都は倭人、弥生人による比較的新しい国で
出雲や飛騨などの本当に古く縄文時代から
続く古代王国からは警戒されていた
だから古代王国は結託して中心地であり
外部からの影響を避けることができる奈良に
連合王国の都を置いた >>814
>倭人伝には「丹有り」としか書かれていない。
「其の山には丹あり」
「其の山」
九州のどこの山にあったの?
で?経100歩の墓は?
宮殿は?
多くの国を従えていた痕跡は? 刃物をとぐ砥石の可能性あり
想像で公式発表するのはよくない。 >>822
後漢書では丹土となっている
丹土とは赤土のこと
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gokan_wa/gokanzyo_waden.htm
土宜禾稲麻紵蠶桑 知織績為?布 出白珠青玉 其山有丹土 氣温? 冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲
「土地は稲、からむし、養蚕に適している。糸を織ることを知っており、カトリ絹をつくる。真珠(パール)、青玉を産出する。
その山には赤土がある。気候は温暖で冬でも夏でも生野菜を食べる。牛や馬、虎、豹、羊、カササギがいない。」 まさか畿内説がこれほど完膚なきまでに打ち砕かれるとはなぁ
古代史は発見のたびに色々ひっくり返って面白いね 邪(ヤ)馬(バ)台(タ)国→八幡じゃないのけ!?
当て字って1文字しか読まないべ >>814
>ダブスタ畿内説w鏡の伝世の仮説を認めないのなら、畿内で3世紀の古墳から出て来た鏡はどれくらいあるよ?
画文帯神獣鏡を主体に三世紀末の古墳から見つかつている
畿内勢力の拡大と卑弥呼の活動年代を考えるなら、この時期の主な交渉相手は呉と考えるのが自然
この時期の呉の鏡をほとんど持たない九州に邪馬台国などないと言うことだな
そもそもこの頃の九州の古墳から見つかるのは配布された三角縁ばかりだからな
上位の鏡を貰えない配布物をありがたく貰うだけの土地だと分かるわ
>(入墨)糸島で顔に刺青した人が書かれた木片が見つかってるよ。
>(骨占)倭人伝での畿内の扱いと同じだね
入れ墨の痕跡も、骨占いも吉備、畿内が歴史の長さも量ともに比べ物にならないな
九州説風に言うと「沢山出るから凄いんだ」だそうだ
いつものその理屈で行くとどこに中心があるかなんて明らかになるな
>石器時代同然の後進地域であった奈良県でないことはわかった
畿内は弥生時代前期から当時でも最大級の水田地帯でしかも銅鐸の作成配布の中心地として繁栄してる
無知としか言いようがないな
まぁどうせ邪馬台国の会とかの受け売りだろうけどな
>そう記載されている。論外。
流石は丹が「そこにあるだけ」とか読むだけの事はあるな
大した読解力だ
>畿内説とやらが詐欺師の宣伝だということがわかって胸糞わるくなった
俺は九州説がどんどん否定されていく様が面白いけどな
で?経100歩の墓は?
宮殿は?
多くの国を従えていた痕跡は? >>824
九州で見つかる朱は水銀朱
分布も最初は中国からの輸入品
そして古墳時代に入ると畿内周辺の物に代わる
ざんねん で?経100歩の墓は?
宮殿は?
多くの国を従えていた痕跡は?
まだ出てこないぞ?
絶対間違いないんだろ?
ズバッと出せやほら
九州何にもねーじゃん あーあと絹絹言ってるけど九州の絹の最盛期は弥生時代中期
紀元前200〜0年くらいだな
この後は出土遺跡も激減する
鏡の分布と同じ傾向を見せているわけだ
鏡ともども絹は「ちょうどこの時期の九州の衰退」を示す証拠にしかならんな 鉄が沢山あるから凄いんだ?
じゃあ最盛期の弥生時代中期に日本征服でもしてんじゃねぇの?
周りはまだまだ集落レベルで鉄器も少ないぞ?
でも影響の拡大を明らかに阻止されて九州と四国西部からも出られない雑魚がw
笑わせんな >>830
九州の絹は弥生時代から古墳時代まで続いてますよ
最盛期が弥生時代中期だなんて嘘を言わないようにw 九州説が持ち出す資料っていつも
「弥生時代を通じて」だな
邪馬台国の当時の状況じゃなくて数百年ズレたもんを平気で「沢山出る」とか言い出す
誰が詐欺師だか
絹もそれこそ邪馬台国の時代の弥生時代終末期となれば「ほぼ消滅」だからな
絹があるから邪馬台国とかよく言えるわ >>827
>畿内勢力の拡大と卑弥呼の活動年代を考えるなら、この時期の主な交渉相手は呉と考えるのが自然
卑弥呼が使いを送ったのは魏ですが何か?
呉は魏と敵対していたのだから呉鏡の出る畿内は邪馬台国ではない
>入れ墨の痕跡も、骨占いも吉備、畿内が歴史の長さも量ともに比べ物にならないな
ソースは?
>畿内は弥生時代前期から当時でも最大級の水田地帯でしかも銅鐸の作成配布の中心地として繁栄してる
ソースは? インチキ資料じゃなくてよ
ズバッと邪馬台国の場所言ってみろって
100人が100人とも違うことを言うようないい加減な話ばかり
しかも「九州ならどこでもいい」と言わんばかりの適当ぶり
九州は弥生時代を通じて一度も統合さえされてない
北、東、中、南で別文化圏を形成している
倭人伝にある「北部九州を支配下に入れてる邪馬台国」は北部九州にしか設定できない
だが、この土地は九州の中でもいろこーく畿内の影響にどっぷりと浸かってる
場所や時間をどこに誤魔化そうが邪馬台国なんてあるわけないわ >>830
>あーあと絹絹言ってるけど九州の絹の最盛期は弥生時代中期
ソース出せよw
ゴッドハンダー畿内はウソしか言わないからソースを要求すると逃げるだけw 近畿パーはそもそも資料が存在しないただのデマ
要求されたソースを出せた試しがない >>835
これだから倭人伝しか読まないバカは困るわ
あー丹がそこらにあるとか言ってた奴らだから仕方ないな
184年の黄巾の乱から239年の公孫淵滅亡まで半島経由で洛陽方面に行くルートは閉ざされている
丁度この頃が畿内勢力の全国拡大と卑弥呼の活動に被るわけだ
で、呉は208年に赤壁で勝利したのち独立を維持して安定して280年まで三国最長の歴史をもってい
229年には魏に認められて皇帝に即位してる
魏と対等なんだよ対等
邪馬台国の活動時期と、中国の関係考えたらアホでもわかる話
まぁバカは倭人伝のインチキサイトをうのみにしてるだけだろうから考えもしねーだろうけどよw >>839
根拠も示さずに妄想だけ書き込まれてもなw
最後は魏志倭人伝まで否定してるwww 邪馬台国が一つしかないって誰が決めた?
きっと第2第3の邪馬台国が出てくるだろう >>841
お前>>777みたいなバカ丸出しのこと書いてよく平気で人に噛みつけるな
アホは無敵だな
恥を知らないから
お前もさっさと答えろよ
で?経100歩の墓は?
宮殿は?
多くの国を従えていた痕跡は? >>839
>229年には魏に認められて皇帝に即位してる
敵国の魏が認めるわけねーだろソース出せや >>840
福岡だと板付遺跡とかに水田の遺跡があるけど
回りは全て宅地だから全体の規模なんて分からないよ
奈良は田舎だから発掘出来るだけだろ。 相も変わらずソースゼロの嘘を並べるしかない近畿パーwwww >>843
経100歩の墓とは卑弥呼の墓のことだろ
それが特定されていればここでの議論はないでしょw
吉野ケ里に宮殿らしきものは見っかってるが卑弥呼のじゃないだろうな
未だ未発見だな
何が見つかたら多くの国を従えていた痕跡になるの? 魏志倭人伝は一里約77メートルの短里で書かれているから、径百歩=1/3里は30メートル弱でしかない
有りすぎてわからんレベル
なお77メートルを一里とする記述は当時の朝廷百官(文官)の教養書「周髀算経」や「九章算術」などに記されている >>845
また「見つかってないからあります」って?
それなら九州も「ド田舎」の可能性だってあるよなぁ
無いかもしれないんだからなw
そもそもこれは一つの遺跡の話
他にも複数の集落が九州に引けを取らないような技術と規模をもつ水田を持っているのが分かってる
石器時代どころか凌駕してる >>848
あのさ「見つかってない僕の脳内邪馬台国」の話がしたいなら壁とでも話してろ?
な? 【これは酷い】テレ朝系の番組が「安倍晋三記念小学校」をCG合成した悪質すぎるイメージ画像を報道!
https://snjpn.net/archives/37409
徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪
https://honto.jp/netstore/pd-book_28737140.html
エビデンス? ねーよそんなもん:日刊ゲンダイの朝日新聞・高橋純子氏インタビューに戦慄が走るTL【日刊アサヒ】
https://togetter.com/li/1183499
慰安婦強制の嘘を流すNHKの国際放送 偏向報道の改革は避けられない
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7372
NHKが腐ってる証拠映像集 - 国民が知らない反日の実態
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1029.html
NHKがなぜ反日偏向報道を繰り返すのか
https://www.youtube.com/watch?v=_D-9ahl4tIw
偏向報道にうんざり!マスコミの安倍総理批判に国民から大ブーイング
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1499593879/
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/aritayoshifu/status/881045139640143872
有田芳生さんのツイート: "「聖地」が「墓標」に変わる画期的な街頭演説会がはじまります。"
↑
民進党の有田芳生の事前のツイートとかみると民進党と共闘している共産党としばき隊と左翼マスコミが結託して最初から安倍さんの選挙演説をヤジで妨害する計画をたてていたんだろうね
安倍さんの演説妨害した、しばき隊一派はマスコミだけが入るの許されていた一等席に朝から陣取っていた。これって犯罪だよ、明らかに。この件は売国サヨク側にとって致命的な問題に発展する可能性がある
安倍さんの演説妨害していたのはしばき隊だと大量に証拠が残っているのに、自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように報道する売国サヨクマスコミの程度の低さに驚く
日本のマスコミは在日の暴力集団のしばき隊と連携して捏造報道するまで落ちているのだ
CatNA
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/881872300726829056
報ステ。しばき隊の意図的な演説妨害を自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、
安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように殊更に問題視。
仕上げはイソ子の嫌がらせ質問。我々は詐欺報道の時代に生きている。
元都知事の猪瀬さんもこう言ってる↓
猪瀬直樹
https://twitter.com/inosenaoki/status/881370560105660416
テレビで見たけれど、あの「安倍辞めろ」コールはプラカードなどから、共産党の組織的な行動ですね。
ところがふつうの視聴者には、「辞めろ」はあたかも都民の声と聞こえてしまう。
http://netgeek.biz/archives/99004
安倍やめろの巨大横断幕、しばき隊が2015年につくったものと一致。集団の正体が明らかに
500円
https://twitter.com/_500yen/status/882396914074779648
【計画的選挙妨害】大阪市民の籠池夫妻は都議選の選挙権がないのに上京して、TBS記者と横川圭季がタクシーに同乗。
秋葉原演説会場では、籠池泰典を謎のメガネ男が、籠池諄子を青木まり子が、しばき隊の野間易通たちが陣取る場所まで案内してる。
籠池泰典の掌には、事前にセリフまで書かれている
CatNA
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/881834647646126080
秋葉原騒動に参加したしばき隊の中で、画像から確認できる中心メンバー:野間易通、日下部将之、無量光(韓国系?)、井手実。
その他、籠池夫婦を連れて来たと思われる横川圭希と青木まり子。
CatNA
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/882414630915653634
のりこえねっとで野間が秋葉原での選挙妨害を弁解。
「在特会が先にやった」という論理。妨害された共産党候補は「卑劣な集団には負けない」と、安倍総理と同じようなことを演説している。
自民は在特会と共闘してないが、しばき隊と共産党は共闘関係。
https://anonymous-post.com/archives/16299
「娘さんは慰み者になります」 沖縄タイムス記者を名指しで批判した百田尚樹氏に沖縄マスコミ労が抗議声明←「中国が沖縄を乗っ取ったら」をわざと省いて報道〜ネットの反応「自衛隊が来たら絶対レイプされる、はいいの?二枚舌さんww」
↑
「中国が沖縄を乗っ取ったら」をわざと省いて報道って酷すぎる!
この沖縄タイムズの捏造報道は明らかな名誉毀損であり、損害賠償モノだろ!沖縄タイムズ絶対に許せない!卑怯過ぎる!醜すぎる! 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f1e341b6e67733c1327767e988175bd8) 左翼マスゴミに好き勝手にやらせたら民主党政権時代の円高デフレ政策の二の舞になって日本の輸出産業は壊滅状態になって韓国の輸出産業が絶好調になるわけだが
シャープや東芝がああなったのも民主党政権時代の円高デフレ政策の時のダメージがあまりにも大きかったせいです
神戸製鋼や日産のスキャンダルも仕掛けたのは左翼マスコミに巣食う在日チョン。彼らは日本の産業を叩き潰して韓国が利する展開にしたいんだよ
売国サヨクマスコミから一番被害受けるはずの企業が左翼マスコミに金を流し続けるのが悪い。もうテレビや新聞に広告出すのやめろよ!企業がテレビや新聞に広告出し続けるのならそれはもう売国であり反日だよ!
ひたすらに倒閣運動にいそしむメディアの自殺行為
http://www.sankei.com/politics/news/170724/plt1707240004-n1.html
憲法改正を恐れ、ひるみ、印象操作か メディアは「言論の自由」と「風説の流布」をはき違えるな
http://www.sankei.com/premium/news/170728/prm1707280007-n1.html
NHKが腐ってる証拠映像集 - 国民が知らない反日の実態
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1029.html
フェイクニュース「NHKも」名指し バノン米元首席戦略官、会見で批判「日本のCNNに違いない」
http://www.sankei.com/world/news/171217/wor1712170029-n1.html
【青山繁晴】NHKがなぜ反日偏向報道を繰り返すのか
https://www.youtube.com/watch?v=_D-9ahl4tIw
【直言極言】どこまで続く?NHKの反日売国行為
https://www.youtube.com/watch?v=UrayRu8AXlk
安倍政権を倒そうとしている売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業を叩き潰そう!中韓や在日利権の尖兵と化している売国サヨクマスコミを叩き潰す事は国として急務!
広告宣伝費が多い=売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業のトップ15です
これらの企業の商品は絶対に買わないでください。これらの売国企業の商品について常に悪い噂を流し続けましょう。安倍さんより下の年代はもっと右なわけで、そういうこれからの日本を引っ張っていく層を企業は敵に回す気か?
↓
広告宣伝費が多い=売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業トップ15
1位トヨタ
2位ソニー
3位日産自動車
4イオン
5セブン&アイ
6ブリヂストン
7マツダ
8武田製薬
9パナソニック
10リクルート
11NTT
12花王
13三菱自動車
14富士重工業
15キャノン
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この中で一番悪質なのはトヨタです。「日本死ね!」の史上最低のクズ売国奴の山尾志桜里を当選させたのはトヨタ労組の力です。
そして反日売国新聞の中日新聞に対してもトヨタは影響力を持っています。山尾を支援した売国企業のトヨタを倒産に追い込みましょう
愛国者が1人、売国トヨタの内部告発すれば売国トヨタを倒産に追い込めます。山尾を支援した事を売国トヨタに後悔させましょう
一部メディアのすさまじい偏向の狙いは「倒閣」にある! 安倍首相は本気で対抗策を打ち出してはどうか?
http://www.sankei.com/politics/news/170714/plt1707140017-n1.html
【小川榮太郎×上念司×ケントギルバート】偏向報道マスコミに激怒!TBSを放送法違反抵触で公開処刑!報道ステーションにも異議あり!サヨク系論客との公開討論は?
https://www.youtube.com/watch?v=5steatrZuCc
加計問題、一部メディア「大本営発表」の正体 嘘も100回繰り返されれば真実となる
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290001-n2.html
.加計問題で「悪魔の証明」求めるメディア 筋違いの首相会食批判も懲りずに「1月20日問題」追及
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290002-n2.html
加計学園問題の偏向報道に北村弁護士がド正論!「日本のマスコミは終わっている!加戸さんを報道しないのはありえない!両方の論拠を出し国民に判断させるのが本来の報道!」
https://www.youtube.com/watch?v=1wcEQNvH8B8
「安倍総理は無罪って分かってるけど視聴率がとれるからやめられない」夏野剛がテレビ局ディレクターに聞いた話を暴露
http://netgeek.biz/archives/100699
.加計問題は「朝日新聞のフェイク(ニュース)」 夏野剛氏が指摘したメディアの「マインド」
https://www.j-cast.com/2017/08/07305336.html?p=all
前川氏答弁が加戸氏発言の25倍超だった!加計問題でテレビ報道に異議アリ 民間団体がBPOへ告発検討
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170821/soc1708210002-n1.html
..... 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f1e341b6e67733c1327767e988175bd8) 誰が見てもそうだとは思えない箸墓を卑弥呼の墓だと言い張るより、卑弥呼の墓を特定するのは難しいとする九州説の方がよっぽど知的誠実さを感じるね 畿内説の人はソースを要求されても全然出せないんだね
やっぱり嘘ばかり言ってるってことか 結局人国記の記述通り、畿内は嘘つきの国だということだけがハッキリしたなw アホが勝手に妄想を並べてるが箸墓を卑弥呼の墓とか断定してる奴なんていない
畿内の主な論拠はこの時期に全国的に広まる畿内の影響の拡大と、その双方向の中心たる纏向にある
この影響にどっぷり塗りつぶされてる九州の状況などが、この勢力以外に他に邪馬台国などありえないことを示しているわけだ
九州のバカは祇園山とかの四角い形の葺石をした三角縁の出る古墳を卑弥呼の墓だとか飛びついてる奴らだらけだがな もう一回聞いてやるよちょっと修正してな
三角縁や葺石や庄内式の無い九州独自の経100歩の墓は?
丹山は?
質の高い絹は?(そもそも弥生時代終末期には絹の出土自体が激減している)
古墳出土や小片じゃない100枚の中国鏡は?
入れ墨は?
宮殿は?
骨占は?
広域のクニグニを傘下に収めた証拠は?
7万戸の大集落は?
そして、邪馬台国どこにあるの?
ほら、いい加減答えてみろよ
アホな「ぼくちゃんの脳内の行程」とかの珍説じゃなくてよw
絶対確実ならぐうの音も出ない場所だしてみろよ >>828
後漢書に記されているのは丹土であって朱ではないんだが、何言ってんだこいつ?
丹土はベンガラを含めて赤土の意味でしかない
古典に見る古代の土壌顔料
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shikizai1937/74/8/74_395/_pdf
>2.2 赤 土
>丹土・紅土・黄土・緒土・代緒・瀦垂等と呼称される。
なお山海経では単なる山肌の赤い山を丹山と記しており、当時既に「丹」という文字は水銀朱のみの意味ではなく
「色が赤い」という形容語として使用されている事は明白
始洲国
https://baike.baidu.com/item/%E5%A7%8B%E6%B4%B2%E5%9B%BD
>《山海経》中記載的“丹山”。現赤峰市政府所在地有一座紅山,从字意上解釈,紅山即為“紅色的山峰” >>836
邪馬台国との位置関係を整理しとこう
【さらに北】(よくわからんぐらい遠く絶たっている)
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、
華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国
↑
【北】 (九州北部)
狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国
↑
【女王国】
邪馬台国
↓
【南】
狗奴国
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、
次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、
次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。
其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。 畿内説って本当に憐れだね
鉄も無い、絹も無い、文字使用の形跡も無い
ナイナイ尽くしのド田舎が都だったはずだとひたすらソースの無い妄想を膨らませるだけ
早く病院に連れて行ってやれよ >>850
倭人伝の記述を読むと北部九州の人口は既に相当のものだったと分かるだろ
奴国だけで2万戸だぞ
壱岐でも3千家
1戸、1家を5人としても10万人と15千人
近代の人口に近い数値だ。 >>76でもう決着はついているだろ
畿内に都をおいた神武が卑弥呼より後の人物なんだから、畿内説なんて成り立ちようがないよ >>849
月刊ムーでも読んだ知識か?
九州説はどんどんおかしな方向に進んでるな
おもしれー >>864
お前がまずやるべきことは高校の教科書を読み直すことだ タブレットやテキストメッセージが出ないことには・・・ >>865
周髀算経は当時の朝廷百官が教養書としてこぞって読んだわけだが
もう反論できないからレッテル貼りに逃げるしか無いんだな畿内論者は
http://www.geog.or.jp/files/h27-autumn_01.pdf
> 『周碑算経』は数学書『九章算術』より更に古く、周代(紀元前11 世紀〜)から漢代(BC206〜AD220 年)を通じて書き継がれ、
> 後漢代(AD25〜220)には既に成立していた.
> 『周碑算経』は朝廷百官(文官)の天文学・測量学に関する教養書であったとされている. >>864
まあ近畿説を頑なに信じていた人にとってはあまりにも残酷な事実だからな
受け止めきれずにおかしくなってしまう人がいるのは仕方ないだろう >>867
高校の教科書には神武なんて出てこないのでは? >>859
出真珠青玉 其山有丹 其木有?杼橡樟?櫪投橿烏號楓香 其竹篠?桃支 有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有?猴黒雉
はいよく読んでくださいね
丹土って書いてますかー?
丹山って書いてありますかー?
赤い山って書いてますかー? マジかよ
倭人伝も読んだことのないバカの集まりだわw >>866
白村江で唐新羅の連合軍に敗れ衰退していたみたいだな
その後に大地震も起きてる。 >>872
「後漢書倭伝」(原文、和訳と解説、構造分析)
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gokan_wa/gokanzyo_waden.htm
土宜禾稲麻紵蠶桑 知織績為?布 出白珠青玉 其山有丹土 氣温? 冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲
思い切り丹土と書いてあるが何か? どんなに要求されてもソースを出せない畿内派と、ソースを提示して論を進める九州派
説得力の差は明らかだな >>875
バカ?
お前倭人伝読んだことないの?
わざわざ原文書いてやってんだが
そこのどこに「丹土」とか「丹山」とか書いてんだよサルw
なに?
お前の脳内だと「其山有丹」この文章は
「その山に赤があります」
とか読んでんだ?
バカは極まるとスゲーな あーところでその丹土がどうのとか論調知ってるよ
邪馬台国の会で書いてたわw >>878
バカ?
お前後漢書倭伝読んだことないの?
わざわざ原文書いてやってんだが
そこに思いっきり「丹土」と書かれているじゃねーかサルw とうとう引用された文字さえ読めなくなった近畿パーw
アワレ過ぎるwww とうとう畿内論者が知能障害起こしたか
いや元々かな >>880
陳壽(ちん じゅ、233年) -297年)
范曄(はんよう、398年 - 445年)
バカは毎度都合のいいところだけつまみ食いして喚いてるな 九州じゃそんな古くから文字を使っていたのか
これは畿内説にとっては大きなビハインドだね >>866
反乱起こして、仲哀帝(タラシ朝)に降参している。 >>883
で?
記録文書を編纂するのに何の不都合もないが
前後の文が異なっているから范曄は魏志を直接引用しているのではなく、
魏志の元となった資料を参照しているのは明白
そして転記誤りで起きやすいのは脱字であって、書かれてない文字を書き足すということは少ない
つまり後漢書の記述のほうが正確と見るのが妥当 >>14
文字が読めたのに書いた文字が残ってないのは奇妙なこと
蘇我が滅亡する際に一緒に燃やしたか? >>85にあるように、畿内は百済から経典をもらうまでは文字がなかった
これは九州とは別の集団だったことを意味している 邪馬台国が九州だと、その後どうやって機内にそれを凌ぐ軍事大国が生まれたか説明つかない
今の時代なら、アメリカから遠く離れたアフリカで次の覇権国が短期間に生まれるようなもの
ありえない >>891
畿内のボスは九州から来たって記紀に書いてあるから大丈V >>869
畑違いの学者の論文持ち出してきてどうすんだwwwww
どんなに優れた学者でも畑違いの分野は素人
その論文ざっと読んだが、仮に短里が存在した場合、倭人伝の行程はそこに書いてあるような解釈もできると言っているに過ぎない
短里とかいう度量衡が存在したことを証明したものではない
まずは古代中国で短里が存在した証拠を見つけてこい
問題外 関西人ご自慢の纏向遺跡から土器しか出土していない事実から奈良が西日本全域を
支配していたとは到底考えられんよ、九州と畿内では出土物の差が大きすぎる。 >>871
ヤマト王権は3世紀前半には誕生している >>893
当時の文献に明記されているんだから存在していたのは明白だが
まして朝廷百官の教養書なんだからみんなそれを認識してたことになる
問題外はお前一人だろう 国家権力は街で一番民度の低い犬っころのような連中を手下にして集団ストーカーを行います。
たとえば中学生や暴走族です。また、近隣の大人の中にも犬っころと変わらない者もいます。悪賢いインテリ権
力者が粗暴な連中を利用するのは一見不相応な気がしますが、この手口は米ClAが中東のイシスやアイシス等の
テロリストを手下に使うのと同じです。そもそも集団ストーカーは米FBIが開発したものなのです。
マスコミ・テレビが毎日のように北朝鮮の話題をもちだし、危険を煽るのは、安倍政権とアメリカと北朝鮮が
グルになって日本国民を嵌めるためであり、その結果、ごろつき安倍が長期政権を維持できているし、日本は
アメリカのポンコツ武器を高額で買わされている。金正恩は生きながらえることができる。 >>896
文献が存在していたことでは証拠にならん
度量衡が2種類あったことの証拠を出せ >>893
http://www.geog.or.jp/files/h27-autumn_01.pdf
>中国の数学では、ギリシャ数学のような抽象化は行われず、朝廷百官の実務のための例題の数値には必ず「単位」が付いている.
>また例題は現実にありそうな内容のものばかりである.
>漢代以前から書き加えられながら、教科書として使われてきたためか、『九章算術』の距離に関わる例題には、
>1 里=405m〜435m 程度の漢魏晋代の里の他に、1 里=67.5〜72.5m 程度の(短)里が「但書きなしに」使われている.
>『三国志』にも短里と長里の混用がある.
仮の話じゃなく存在するものとしているようだが?
畿内論者ってウソしか言えないのか >>900
教科書なんてしょっちゅう書き換わるものはソースにならんな
問題外 最近みつかる近畿の遺跡が悉く出雲系でかなり広範囲なのに
邪馬台が奈良の山間にひっそりと存在してたとか馬鹿な話ねえわな。 >>899
リアルタイムで百官が教養書としていた書物に明記されているのはこれ以上ない証拠だぞ
そんな基本的な部分で間違っているような書が教養書と見なされるわけないからな
いくら負けを認めたくないからってその言い訳は見苦しすぎるわ >>901
畑違いの学者つまり古代史の分野では素人の人間が言い張ってるだけだな
その素人の言い分を古代史の専門家の誰か一人でも認めているのか?
いるなら名前を出してくれ >>902
お前の与太話より100億倍信憑性がある >>904
朝廷百官が読んでいたってことは、役人だった陳寿も当然読んでるんだよね
だからこそ、帯方郡から1万2000里という里程から会稽の東という倭国のおおよその位置を推定出来てるわけでね
もし陳寿が長里しか知らなかったとしら、1万2千里と聞いたら倭国は南半球にあると結論したはずだw
陳寿もこれは短里だなと分かってたんだよ >>907
短里と長里じゃ6倍も違うからな
確かに倭国のだいたいの位置が分かったってことは、陳寿が短里を知ってたことの何よりの証拠だな 短里云々とかくだらん話はもうウンザリだし日本史板にテンプレがあるから見てこい >>905
古代史の専門家は数学の素人だから計算結果に口は出せないよw
専門家が当時の計算法に従って計算して出た結論が九州だってこと
残念だったな >>911
どこに専門性が要求される数学があるんだ?
中学か高校レベルでしかない >>907,909
なるほど、それは確かに陳寿が短里を知っていたことの証明になるな
もう畿内の目は完全に無くなったな >>912
専門家しか口出せないとかいう謎ルールを出したのはお前だろ
自爆おつかれw この論争、いつ見ても邪馬台国は九州にあったという結論しか出ないよな >>915
理解力が足りないなw
負けそうになると知能障害を起こす、いつもの畿内論者w >>869
つか中国の前漢・後漢史の研究者が魏志倭人伝を読んでから感想求められたら
みな邪馬台国を九州或いは北九州としてたのにな
畿内説はあまりにも見苦しい なんだこの次から次に湧いてくる単発のやつら
これがニュー速名物の複数回線ってやつか >>874
白村江って大和じゃなくて九州政権?
倭国はいつも「諸説ある」だからわかりにくい >>885
クマソ征伐は機内側から補正した話な気がするね >>922
そうだよ、白村江で大敗したのは九州及び朝鮮半島南部にかけてあった倭国という国であって
現大和朝廷ではないだろうね
もし大和=倭、なら何故に親の仇ともいえる新羅系の太秦氏を、政経の中心的存在として置いてたのか意味不明である >>890
これから先まだまだ北部九州から文字関係の出土品が発見されるでしょうね
魏志倭人伝にある通りですね
それ引き換え関西地方は何も出ないなw 何故斎王も水銀も真珠も海女さんも骨占いも全部該当する三重がスルーされてるのか謎だ しかも三重は邪馬台国時代の墨書き土器まで発掘されてる 三重といえば猿田彦
いろんな人を道案内していて、人はいいけど
日本の支配者になろうという野望はなかったイメージ サルタヒコにしろタカクラジにしろヤタガラスも天皇をお膳立てして導いてる。
影の真の支配者とも言える。 >>928
纒向で出土する外来土器で最も多いのが伊勢東海地方の土器
伊勢は邪馬台国連合を構成する国の一つでしょう >>934
纏向を中心とするなら女王国とは言わないと思う。
伊勢だから斎王の女王国なのであって >>921
邪馬台国関連のスレでは大量の単発IDが突然湧いてきて自作自演レスをつけることはよくある
この前は土器の年代観についてで今回は短里だっただけ >>936
単発乙
畿内キチガイの負け惜しみみっともなw >>924
だったら九州と畿内の戦があったのかな?何か変だな >>924
単に帰化系氏族のルーツと帰化系氏族そのものを分けて考えていたからってだけでは?
国内ですら過去の仇敵の子孫を重用するとかよくある話だし
何代も遡って外国にルーツがあるからといって、
その国と敵対した時にいちいち子孫まで冷遇するような
子々孫々まで同一視するようなお国柄じゃなくない? 正史である三国志に問題点がある
魏の時代に書かれた魏史を元に
西晋になって蜀漢出身の陳寿が厳選して写本した
オリジナルの魏史は楷書体で書かれていたが、60万字以上有り
楷書体で書くと途方もない時間が掛かる為に草書体で写本した
ここまでは良かった
陳寿の死後16年経って、陳寿が写本した三国志を後世に残すべきと上奏文された
草書体で書かれていた為、陳寿本人以外には解り難い字を誤書しまくった
実際、草書体になると似た様な字が多い
例えば投馬国は草書体では殺馬国と書かれていた
このように、文字変換の誤りを1文字づつ検証すれば謎も解ける
途方もないが 畿内説なんか皇紀2600年とかいうファンタジーとの辻褄合せにでっち上げただけなんだからいい加減撤回しろ >>924
太秦って新羅系なの?
秦氏の系列で、ルーツは諸説ある、太秦とはまた別の氏族? 途中で送信してしまった。
秦氏は秦の始皇帝の子孫説からユダヤ人説まで色々あるよ。
新羅も白村江の頃にはワケワカラン状態になっていたが、元々は丹波から流れてきた倭人が作った国だしな。 白村江の時の百済からの流民も、その後の新羅からの流民も、朝廷は武蔵に移住させてるね。
日本は昔から緩かったんだな。 >>938
白村江の戦い後、唐と新羅の関係が悪化して捕虜となっていた倭王が九州に帰国を許され
九州内での内戦である壬申の乱が勃発し、これを利用してヤマト王権が日本全体の主権を簒奪したんだろうな
関ケ原の戦いを利用して徳川が天下を取ったみたいに。 >>886
一次資料じゃなくてその前の時代を書いた資料を妥当とする理由に全くなってねーなw
「魏志の元となった資料を参照しているのは明白」ってなんだ?
その資料との比較検討して初めて正確性が高いと判断すんだろ
参考資料名さえも出てないのに想像の中の資料を持ち出して何を語ってんだお前
倭人伝からの新情報が含まれてるわけでもねーし
むしろ倭人伝のダイジェスト版だろ
なら元資料優先するのが普通だろアホが
あと後世の方が正確とか言うなら用明天皇と桓武天皇を同一の系統としてる唐書、
そして用明天皇の都を「邪馬台国と同じ」と書いてる隋書を見ると議論の余地もねーな
ついでに梁書を見ると台与の後も男性王が立って邪馬台国は継続してる
で、北史、隋書だと「晋、宋、斉、梁、隋」と使節が継続してると書いた上で上記の用明天皇の時代に繋がる
「卑弥呼からそのあとまでずーーっと畿内の政権が継続して平安時代まで続いてますよ」と中国史は書いてんだよw
どうせ読んだこともねーだろうけどよw
九州のアホは持ち出す話全部自爆だから笑えるわw >>950
>あと後世の方が正確とか言うなら用明天皇と桓武天皇を同一の系統としてる唐書、
してないですよ。
新唐書
「その国王が自ら言うには、初代の国王は天御中主と名乗り、彦瀲に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊を尊称として、筑紫城に存在していた。彦瀲の子の神武が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。」
旧唐書
「日本国は倭国の別種である。(だから、別国である)その国は日の出る所に近いので、日本という名称を国号としている。
あるいは、このように言っている。「倭国はその名称が雅美でないことを嫌って、日本に改めた」と。また「日本(大和)は、もと小国であったが、その後、倭国の地を併合した」とも言っている。」
>そして用明天皇の都を「邪馬台国と同じ」と書いてる隋書を見ると議論の余地もねーな
用明天皇も九州に居たってことですね。
>「卑弥呼からそのあとまでずーーっと畿内の政権が継続して平安時代まで続いてますよ」と中国史は書いてんだよw
そんなことはありません、貴方の捏造ですね。 白村江の戦いで日本軍の指揮官は志賀海神社と関係の深い安曇比羅夫だから
邪馬台国奈良説の言っているように近畿勢力が九州勢力を降伏させたとすれば
安曇比羅夫を指揮官にする訳は無い。白村江の戦いまでは九州勢力の方が
近畿勢力よりも勢が強かったんだよ。白村江の戦いの戦死者も殆どが
北部九州の戦士らしいからな、近畿の戦力はあてにされていなかった証拠だぞ >>162
(‘人’)
昭和世代は学生時代に習ったけどね(笑) 中国でも古文書の見直しは文革(1966年から1976年まで続き、1977年に終結)が落ち着いた後だからね。
句読点というか、漢字の羅列の中のどこが文節かなんてことが議論になったりしたらしいよ。 >>950
全く言い訳になってないぞ
誤字脱字という言葉がある通り、脱字によって文字が消えてしまうのはよくある誤り
逆に元の文に無い文字を書き加えてしまうなんて間違い方はまず起こらない
片方の資料にある文字がもう一方の資料に無い場合、脱字によって文字が消えてしまったと判断するのは当然 源氏の氏神が八幡大菩薩だから秦氏だろうって?
徳川家のY遺伝子はD1bの縄文系らしいよ。残念だったな。 まーた福岡ですか
金印も田んぼにポツンと、それだけしかなかったしね
ほかに何も出土してない
古墳時代とか日本は関東周辺に古墳をやらない国家が、存在してた
時系列的にもおかしいよ 富士通に期待
2017年03月07日 08時00分 公開
AIニュース:
中国古文書の文字を少数の学習用データで認識する深層学習技術を開発
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1703/07/news019.html
富士通は、中国の関連子会社である富士通研究開発中心が中国古文書の文字認識に用いる深層学習技術において、
少数の学習用データでも高精度な文字認識ができる技術を開発したと発表した。
同技術を用いて古文書文字の電子化を促進し、中国古文書の公共利用と歴史研究などの学術の発展に貢献することが期待される。
略
中国には5000万冊以上の古文書が現存するが劣化や破損が懸念されている。
そこで古文書のテキストデータ化が進められているが、現在は専門家が手作業で行っており、全ての古文書を電子化するためには多大な時間とコストが掛かる。
また、従来の深層学習技術による文字認識では、文字画像と教師データを認識エンジンが学習していた。
教師データの数が多いほど認識精度も高まるが、古文書文字への適用では教師データの数が不十分なことが課題となっていた。
こうした背景を受けて、同技術が開発された。 >>956
は?
お前の想像の元資料とやらが存在しない時点で比較検討も糞もねーんだよ
何でそういう風に変わったのか
「それが正しいから」
なんて判断できねーんだよ
あとの奴が勝手に数字や内容変えることなんて幾らでもあんだよ
ならそれこそ原典に近いものを探るのが普通なんだよ
アホが知りもしない史料批判の真似事とか笑わせてくれる
じゃあ後から加筆したもんが正しいってんなら上で書いたように邪馬台国は間違いなく畿内だな
はい、ご苦労さん 文字の無い方が文字のある方を遠隔飛び地で支配してたってw無理筋だろw 半島に行かなくても、国内で砂鉄やら鉱山から金属製品自足できるようになったのは、いつ? ↓おれはこの人の説を支持するわ
444日本@名無史さん2018/02/13(火) 11:23:30.38
>>431
>後漢書では、「丹土」に修正されてるね
という九州説の人がいるんですけど、それ、大間違いですよ
魏志倭人伝と後漢書の対応箇所を並べて書きます(魏志倭人伝は3箇所に分かれて記載)
後漢書
出白珠青玉 其山有丹 土氣温? 冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲
魏志倭人伝
出真珠青玉 其山有丹
倭地温暖 冬夏食生菜
其地無牛馬虎豹羊鵲
後漢書の「土氣温? 冬夏生菜茹」が魏志倭人伝の「倭地温暖 冬夏食生菜」にそのまま対応しています
「丹土」と読むのは、訓点の打ち間違いです
「土氣」というのは「その土地の気候」くらいの意味で、倭人伝と同じ魏志烏丸鮮卑東夷傳の?婁の項に「土氣寒」という記述があります
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1515726821/444 >>827
>この時期の主な交渉相手は呉と考えるのが自然
魏志倭人伝には魏が邪馬壹国に鏡を贈ったとしか書いてない。魏鏡がある場所に邪馬壹国があると考えるのが自然。
>入れ墨の痕跡も、骨占いも吉備、畿内が歴史の長さも量ともに比べ物にならないな
まあ邪馬壹国吉備説はいいんじゃない?畿内には何もない。
>銅鐸の作成配布の中心地として繁栄してる
吉備、出雲さえも王が出現して、平等社会の集団祭祀の象徴である銅鐸を廃棄してたのに、未だに銅鐸銅鐸言ってた後進地域だな。
>丹
其山有丹
山に丹が有るとしか読めない
発掘してたというのなら、妄想の域
墓は畿内には無いだろ
九州は副葬品や殉死の形跡から、平原が有力
>宮殿は?
倭人伝の記述に合致する宮殿も畿内には無い
九州には多数ある バカが一晩かけて必死に考えてバカ丸出しのレスしてて笑った
九州にはなにもありませーんという告白ありがとう あと30しかないな
残りはアホの妄想でも何でも好きなだけ書いて埋めとけ
九州説のバカも少しは貢献できるだろ 阿蘇の赤水のことだろう。煮詰めると真っ赤な酸化鉄の粉が残る。
中国人が化粧をするように、邪馬台国の人は顔を赤く染めていた。 丹=硫化水銀なんて塗りたくったら体に悪いだろう。酸化鉄がせいぜいだわ。 仮に九州説が安本系と古田系に分けられるとして、安本系が理化学的年代測定に慎重なのに対して、古田系は歓迎してるんだね
太宰府にある都城が5世紀まで遡り、日本最古の中国風都城になるんだとか
古代史は色々と面白いね 硫化水銀は毒だけど、邪馬台国の人たちが長生きだったらしいね。
顔に塗ってる赤いのは阿蘇の赤水だったから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%8A%80
古代においては、辰砂(主成分は硫化水銀:鮮血色をしている)などの水銀化合物は、その特性や外見から不死の薬として珍重されてきた。
特に中国の皇帝に愛用されており、不老不死の薬、「仙丹」の原料と信じられていた(錬丹術)。
それが日本に伝わり飛鳥時代の女帝持統天皇も若さと美しさを保つために飲んでいたとされる。
しかし現代から見ればまさに毒を飲んでいるに等しく、始皇帝を始め多くの権力者が中毒で命を落としたといわれている。
中世以降、水銀は毒として認知されるようになった。 ものすごく分かりやすい例えで説明するとこういうこと
AさんとBさんがオリンピックに出ました
Aさんは優勝し、Bさんは予選落ちしました
大会運営者は優勝したAさんにマスコット人形をわたし、予選落ちしたBさんのことはもう眼中にありませんでした
では表彰式で金メダルをもらったのは誰でしょうか?
Aさん → 畿内説
Bさん → 九州説 補足すると
優勝とは畿内ヤマトが日本列島の盟主の国であるという事実
マスコット人形をわたすとは庄内式土器が博多地域に浸透している事実と漢鏡7期の鏡が畿内に集中するという事実 この問題を決着させる神の手を持った人はいないのか。 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/yama-ronsou/yama-ichi5.htm
まず、中国人研究者が『魏志倭人伝』を読むという関係であるが、本文で名を挙げた謝銘仁・王金林・沈仁安という台湾系・大陸系の日本歴史専門の中国人学者は皆、同記事を読む限り、邪馬台国は北九州ないし九州にあったと判じている。
元北京大学教授の沈仁安氏によると、大陸系の古代史学者は殆ど全てといってよいくらい、同じ立場ということである。
中国関係者でも、ごく一部に考古学論や生産力論などを基礎にして、畿内論者がいるとのことではあるが、その基礎には遺跡・遺物の評価・判断の問題があるのだから、
教養ある中国人が『魏志倭人伝』を文献史料として普通に読むと、邪馬台国の所在地は九州だということになる
(畿内論者の議論は、国際的にはまるで通用しないということにもなる。このことは銘記されるべきこと。漢文の読み方は如何様にも読みとれるのだとみるのは、漢文の誤解である。
畿内説の論理が破綻していることを、非学究ながら東大法学部を出て長くマスコミ界活動した斎藤道一氏が『邪馬台国を解く』で厳しく指摘し、久保田穰氏も多少異なる論調ながら畿内説を強く批判する。
山本武夫氏は、邪馬台国の時代は「小氷期」で、この飢餓の世紀に農業養蚕が無事行われ、三〇近い部族国家を統率した大国が畿内の山間高冷地に存在し得たかと指摘するから、生産力では畿内のほうが大きかったとは思われない。
歴史の流れで考えても、『魏志東夷伝』に拠れば、当時の朝鮮半島では多くの小国が分立しており、日本列島では先に統一王権が存在していたことには無理がある)。 >>965
アホだこいつw
史書の編纂ってのは前王朝の残した資料を纏めることなんだが
魏志倭人伝も後漢書も同様で陳寿やハンヨウが自分で考えた文章ではなく、元になる資料の引用に過ぎない
さて2つの引用文があり、片方に無い文字がもう一方にはある、という場合どちらが正しいか?
それは>>956で書いた理由により、文字が欠けていない方が正しいと判断するのが至当 バカはこれだからw
助け船出してやってんのに
お前みたいなバカがいて九州説も困るだろうな
>>984
わかったわかった
お前の脳内でそうなってるんだろ
じゃあ構わんよ?「後世の史書は修正された正しいものだ」と言いたいんだろ?
過程も資料もどれ使ったのかも何も関係なく
なら上で書いたように邪馬台国は大和朝廷に直結する畿内の政権だ
「後世の史書」だぞ?
確実だよな
良かったな結論出たぞ
ごくろうさん >>982
学問の世界では畿内説で決着している
漠然と九州だと思ってる一般人を除いていまだに九州だと強く言い張ってるのは一部の古代史マニアだけ
文献を曲解して伊都国や奴国を邪馬台国にしたり、畿内と九州で100年ズレてる年代観を主張したり、
短里とかいう架空の距離単位を捏造したり >>969
魏志倭人伝
倭地温暖冬夏食生菜・・・
出真珠青玉 其山有丹・・・
後漢書
出白珠青玉 其山有丹土 氣温暖冬夏生菜茹・・・その山には赤土があり気温は暖かで
出白珠青玉 其山有丹 土氣温暖冬夏生菜茹・・・その山には丹があり土地の気候は温暖で
何方が正しいか何とも言えないな。 >>987
文献を曲解してるのは所謂通説と主張してる説でしょ。 >>976
身体に塗ってたのは酸化鉄の丹でしょうね
硫化水銀なんて塗ったら体に悪いどころか死にます。 >>990
そう、畿内説は通説
その通説にイチャモンつけてるのが一部の古代史マニア
>>991
九州説の学者がいなくなったときでしょ
一人消えまた一人消えで数十年かけて誰もいなくなった 何言ってんだ
今じゃ関西の大学でも畿内説とか腫れもの扱いだぞ >>994
九州説の学者も結構いますよね
九州説の学者が死に絶える前に畿内説の学者の方が早く絶滅するんじゃないかな。 >>996
九州説の学者って誰?
名前を挙げてくれ 最後に貼っとくか
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>966
(1)日本書紀を編纂させた渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった (https://i.imgur.com/n602AIw.jpg )
・文字(漢字)を持たない民族だった
・中国語とは違う(今の朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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