2018年2月26日19時30分

 25日に閉幕した平昌五輪では、メディア施設近くに置かれた彫刻像がインターネット上で話題を呼んだ。正式名は「Bullet Men(弾丸マン)」だが、日本のスポーツ紙が取材した際、スタッフが「分かりません(モルゲッソヨ)」と返したことから、その名が定着してしまった。作品を手がけた本人はどのように受け止めているのだろうか。韓国人の彫刻家キム・ジヒョンさん(50)にインタビューした。

 ――この彫刻像が、男性器に見えると指摘する人がいます。

 「第一印象が男性器なのは否定できません。社会的な男性性、欲望の象徴です。男性のたくましい体の頭を覆うヘルメットの形は見ての通り、滑らかな弾丸のイメージと男性器を二重にイメージ化したものです。家父長的な文化で、男性中心的な社会を生きていかなければならないという意味で、武装の概念であるヘルメットを作り、その中には弱い人間の本性があることを表現したのです。美術史において裸は純粋な人間の本性を意味しますが、それが『弾丸マン』を、男性器を露出した裸にした理由でもあります」

 ――この作品を出した時、どんな反響がありましたか?

 「観客からの反応は、魅力的だけど見苦しいという反応がありました。私は欲望の殻を表現しただけなのに、世の中は依然としてタブー視する視線で裸の彫刻像を見ていることがわかりました。薄いパンツをはかせたこともあります」

人間の欲望とは?

 ――表現しようとした人間の欲望とは、どのようなものですか?

 「我々が夢見る隠されている男性的な欲望をあらわにすることでした。男性性はいろんなジェンダーが集まっている世の中で、自分も知らずに自分の体に覆われるものだと思います。女性も同じです。我々は現代を生きていく『欲望の塊』と言えるかも知れません。男性的な優越性(権力と欲望)と社会、経済的な成功など、内面の欲望を誇張して表したわけです」

 ――作品の構想を得たきっかけは?男性器をテーマにした作品は以前にもあったのでしょうか?

 「2008年の個展で初めて発表しました。翌年の別の個展で、欲望によりさらに巨大化した『弾丸マン』を彫刻(台座を含めて4・5メートル)で発表しました。私たちは欲望を満たすために武装して世の中に、社会に出ていきますが、結局自ら見えない境界を作り、硬直した暮らしをするしかありません。欲望の神殿に立たせる神像が必要でした。大学時代、授業で裸のモデルを勉強したことはありますが、男性器をテーマにした活動はしていません」

なぜ平昌に置かれた?

 ――平昌にはどのような経緯で置くことになったのですか?また、なぜ3体に増えたのですか?

 「2013年の平昌ビエンナーレに選ばれ、展示後に江原道文化財団が購入して、現在の場所に置かれました。彫刻像は『私を含めた私たち』という概念で、3体ではなく、10体や100体にもなり得るという意図を込めています」

 ――キムさんの作品は、どのような経験やルーツから生まれたのですか?

 「『人間とは何なのか』『私たちはどこに立っているのか』という実存的な問いが信念になっています。2001年に米国留学に行きました。同時多発テロが起きた時、ニューヨークのマンハッタンにいて、ツインタワーからおびただしい煙が立ち上がるのを目にしました。交通もまひし、歩いて橋を渡って帰宅しました。隣に住んでいた韓国人がテロで夫を亡くし、数日後にはブッシュ大統領(当時)が報復攻撃を始め、また何の罪もない多くの犠牲者が出ました。当時、新たな文化に適応しなければならなかった身で、『なぜここにいるのか?人間とは何なのか?平和とは?』など、答えの見つからない問いかけが始まりました」

日本での反応に思うこと

 ――日本ではインターネット上で話題になり、二次創作も生まれています。


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「弾丸マン」を制作した韓国人彫刻家のキム・ジヒョンさん
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長文のため省略 全文はソース先で
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL2V5HSKL2VUEHF00D.html