https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/f_toshiken/article/401509/

2018年03月16日 06時00分
 大野城市教育委員会ふるさと文化財課は15日、同市下大利4丁目の「水城」(国特別史跡)の発掘調査で、土塁の前面にあった外濠(そとぼり)は、60メートル幅で貯水していたとされていたが、実際は東から西へすぼまる形で幅が収束していた可能性が高いことが分かったと発表した。

 市教委は2015年度から、西門から東側の土塁の前に広がっていた外濠の範囲を、試掘などにより調査。その結果、外濠は東の60メートル幅が西門に近くなるほど狭くなっていたとみられることが判明したという。

 同課は、外濠北側の小高い丘陵「父子嶋(ててこじま)」(9万年前の阿蘇山大噴火時の火砕流堆積物で構成)が、土塁前面部の防御性を高めていた可能性を指摘する。

 一方、9世紀の西門に伴う官道と考えられていた遺構も調査した結果、出土品から12世紀前半築造と判明したという。

 市は17日午後2時から現地説明会を催す。少雨決行。

=2018/03/16付 西日本新聞朝刊=

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