【慰霊】上海列車事故30年「悲しみ消えない」 28人犠牲の高知学芸高で慰霊式
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
中国・上海郊外で昭和63年、修学旅行中だった私立高知学芸高(高知市)の生徒ら28人が死亡した列車事故は24日で30年となり、同校で慰霊式が営まれた。遺族らは「歳月は過ぎても悲しみは消えない」と語った。
遺族のほか、橋本和紀校長(57)ら教職員や在校生ら計約400人が出席し、正門脇の慰霊碑「永遠(とわ)の碑(いしぶみ)」に献花。橋本校長は「楽しい思い出とともに元気な姿で家族のもとに帰せなかったことをおわびする。学校が存続する限り語り続けたい」とあいさつ。
出席した無職、宮地俊子さん(69)=高知市=は長女の寿和(すわ)さん=当時(16)=を失った。毎日欠かさず墓参をしているといい、「成長した姿を見られないのが残念です」と涙を流した。
昭和63年3月24日、1年生ら193人を乗せた列車が対向列車と正面衝突し、生徒27人と教諭1人が死亡、多数が負傷した。
産経WEST 2018.3.24 21:46
http://www.sankei.com/west/news/180324/wst1803240070-n1.html わざわざ共産国に修学旅行に行くぐらいだから卒業生も左巻きだろう
反日予備軍が28人減ったことをお祝います 俺も修学旅行はアジア系の外国だったけど、危なくて仕方がねえと思った。 下見と称して関係ない所を夫婦で旅行してた当時の校長は今なにやってんだ? 会社で中国旅行組まされたけど拒否安定だったわ
仮にインフラ的に安全だったとしても食事したくない まだ日中友好ムードの時代だったな
三洋もシャープも大陸で元気だった どれだけの日本人がこの事件を知ってるんだ
経験が全く生かされてない
東日本の津波もそうだっただろ この時点でもまだ「中国は信用できない国だから進出しない」と創業者社長が言ってた某上場企業。
平成に入ったころに創業者社長が亡くなって新しい社長になったとたん中国に進出。 義援金出したら校長から礼状が来た。
車内では高知らしく花札とかやってたって話もあったが、犠牲になってしまってはね。 日本アホメディアに頃されたんだろ、
情弱にならないよう、
しっかり勉強しようねw。 >>20
中韓には近づくなと言う教えを伝えていかなくては。 >>9
当時話題になりましたね。
Wikipediaにはこうありました
> その金額は未公表であるが、400〜550万円の間、おそらくその中間であったとされている 事故が起こった場所は、上海郊外というけど今や上海地下鉄が通る立派な市街地になっているだよね。虹橋空港の北辺りだな。 当時は可哀想にと思ったが、今なら決めた奴のリスク管理が甘かったって話になるんだろうな
適当な運用しかできない国だし
ただ当時は反日教育前だから、対人的なトラブルは多少はましだったのかも さあ改革開放という時に、おんぼろ
鉄道の無理がたたって事故が起きた 最近の起こった事故はすぐ忘れるのに
この事故は覚えているわ
人間の記憶って不思議だな >>1
そうそうこれこれ、今の若い奴とか35歳以下はこの事故知らないだろ
他の大事故は、過去の大事故・事件を振り返る番組とかで取り上げられるけど
上海列車事故だけは、なぜか全く取り上げられないんだよね
新聞・テレビの中国様への忖度??
本国チョンじゃなく在チョンに成ってさえも、やっぱり旧宗主国の飼い主様って意識はDNAに刻み込まれてでもいるのかね(・∀・)ニヤニヤ 賠償金が50万とかそんな感じだっけ…それでも当時の中国では破格で、現地では何で日本人だけ優遇するんだと非難されたんだよなあ 首が取れちゃったんだっけ?
ひどい事故だったんだよな 大陸どころか台湾の会社が日本で起こした飛行機墜落事故も何故か語られることは少ない。 人民服の時代の中国なんて今の人間にわからないだろうね >>25
西村真悟が遺族側の弁護士やっていたけど、現地の人たちはとても純粋で危険をかえりみず救出活動や宿の提供をしてくれていたらしい。
でも当局がきてから一斉にみな黙り込んで引き上げてしまったらしい。
そこで中国の本質を見たと本に書いていた。 >>27
この事故と信楽高原鉄道のやつは絵が恐すぎてよく覚えとるわ。
福知山線並みに脳裏に焼き付いてる 安倍が人間の苦痛をつまみ食いしただけの話だよなこれ >>34
天安門広場の前を無数のチャリが走ってた時代な >>9
それでも当時の中国の感覚だと賠償金の額として超破格だったとか 天安門騒動の前年だな、現在も
命の値段ばかりは変わらない国 >>33
名古屋空港から事故中継してる裏で、神戸のサンテレビは墜落大空港の映画流してたんやで >>20
なに? 平成うまれには戦争犠牲者なんて関係ない。靖国とかバカらしい
って思考の人? >>41
テレ東は敷地外から中継してたな。
名古屋だからテレビ愛知か >>33
あったなあ。あれよ賠償金が安かったんだが、現地では破格で、やっぱりなんで日本人だけ優遇するんだとか非難されたな… 30年か
大切なものを失ったらもう心から笑える事はなくなるよな
人前では笑っていても 賠償金は、現地の中国人と同じ金額で雀の涙だったらしいな
その一方、中国人旅行者が日本国内で事故死すると
日本人と同じ額を要求してくるというのだから
中国人の図々しさには呆れ返る あんな時代に中国に修学旅行だなんて信じられなかった
気の毒だけど起こるべくして起こったとしかいえない
反日国韓国への修学旅行もやめるべき
個人で旅行するのは自由だけど学校で行くなんてありえないよ >>2
校長が中国に入れ込んでいたみたいですね。
朝礼のたびに中国の良さを語っていたとか。 >>27
事前の下見が名目だけでテキトーに準備してたってニュース見たので覚えてる。 日本は昭和、世界はソ連が存在してた冷戦時代
中国は自転車に人民服の時代
そんな時代によく中国に修学旅行行くこと決めたもんだ
まだ工業未発達だったから、今より空気は綺麗だっただろうが あの当時、うちの高校(四国の公立)の修学旅行は東京3泊4日だった
それも往復新幹線
あの頃修学旅行で海外って私立でも珍しかったような気がする 全日本剣道選手権で初めて大学生で優勝した川添さんも亡くなったんだよね この事故の直後に鑑真号で上海に上陸した
懐かしいなぁ
1988年の中国は人民服と自転車の国だったよ >>52
俺は衝突の直前、双方の運転士が脱出、逃亡したって言うのを覚えてる、
さすがゴミカス国家。 あったなあ
当時小学生だったから、重大さ分からなかったけど
外貨兌換券と人民元の
闇チェンジが凄かった
街を歩くとあちこちで待ち構えてたねぇ ちょうど報道がたけしのオールナイトニッポンの時間で、たけしがこんな時にバカ話できないと中止してニュースと追悼音楽に切り替えたんだよな〜 >>9
>>23
>賠償金が一人300万とかだっけ
俺が当時聞いたのは
”被害者一人あたり100万円” だったけど?
当時中国の物価が激安で中国旅行が大人気だったけど
「安いのは旅行費用だけでなく
人の命も安かった」
って、コメントしてたのを覚えてる 中国の補償は200万円だっけ海外保険入ってたんだろ? 私立校は修学旅行で海外行くのか まあ金出すのは親だし好きにしろ この時の高知学芸高の修学旅行は中国組と国内組に分かれていて、
国内組は東北地方だったと記憶しています。
事故の一報を受けて、国内組も行程を中止して高知に戻っていたような。 >>54
この大事故が起きるまでは、私学は競って海外に行ってたよ
その転機になった事故 >>25
江沢民とかいう無能なくせに強欲なカスが支那の最高指導者になってから反日教育が盛んになった
天安門事件での失敗を誤魔化すために反日を進めた >>61
そこが今どきの無能なバカ吉本芸人とたけしの違いだな >>1
昭和63年3月24日の時点で高1で16歳………俺とタメじゃねーか!! >>73
911の時の西川貴教も凄かった
それ以降はアナウンサー任せだな 支那の列車事故といえば証拠隠滅のため事故車両を埋めてしまったってのもあったな 校長、かつて現地に住んでたことがあって、勝手が知っているため大丈夫だと思ったらしいね
中国がまだど貧困の自転車人民服で、日本側はバブルで得意絶頂の時代の事件か この時期の中国の鉄道は急増する需要にインフラの整備が追いつかず
事故が多発していた。1月には、鉄道事故が3件連続して発生し、
合計で140名が犠牲になっていた。また上海と蘇州の間の鉄道は
過密ダイヤで運行されていたにも関わらず、ATSが全く整備されていない
など安全性に問題があった。 同じ日にJR東日本の木原線がいすみ鉄道になったんだよね。 この頃中国行った記憶があるな
まだ反日とか反中とか反韓とかの感覚はなかった
嫌いな国はぶっちぎりでソ連だった 栃木の登山死亡事故と同じ構図
学校や先生は危機意識が欠如してる人の集団 >>82
まだ人民服が残ってて、
自転車だった時代だね
まだ反日が政治カードとして、
有効な手段だとなる前ぐらいだろうね >>36
まだ規制とか甘かった頃だったからね
信楽も人が呻いてるの撮してて頭がおかしいって思った 30年前上海の年収は3万円程度に対してその賠償金額は確かに破格だったな 事故が起きる1ヶ月前に
この列車に乗ったわ俺
1等席は俺らしか乗ってなかった
にもかかわらず1等席用のトイレが
メチャクチャ汚くて使う気が起きなかった
便座の上にとぐろを巻いたクソ乗ってたから あの頃の中国に何か学ぶものってあったかな?
左翼教師の自己満足に付き合わされただけなような… 生きていたら46歳か。中堅からベテランの域になっていたのになあ、惜しい人材をなくした。 補償金は当時レートで400万円位だった気が
後進国に旅行は事故責任だな 当時の手頃な近隣国中国への観光か、今は逆になっとるな 信楽は憶えているがこれはまったく記憶に無いわ
同じ様にJAL123は憶えてても名古屋のやつは忘れかけてた
もしかして自分の記憶違いかと思ってググってしまった程
数年前に中国で大爆発事故があったけど
その後どうなったか気持ち悪いぐらい報道されない
中国が絡むと報道規制される?
報道がないと人間は忘れていくもんだな 海外での修学旅行で起きた悲劇、教訓は後進国への
修学旅行は行くべきではない。 別に不幸なのはこいつらだけじゃないし。好きで行ったんだろ知るかアホ。 まあ、あの時代じゃこんな感覚でもしかたないかもな。
今だったらただの自殺。 >>9
そりゃそうだろ。
日本で事故起きて外国人が死んだら、
その国ごとに賠償金変えるのか? ザ・ベストテンで徳永英明が風のエオリアを歌っている時ニュース速報のテロップが流れたのをよく覚えているよ。一番最初の死亡者は名前がカタカナで苗字しか出なかったのが恐ろしかった。 >>93
今と違ってバリバリ共産主義国
サービス精神の欠片もなく
外国人用の兌換紙幣
外国人用の座席・土産物店・トイレ・ホテル
人民服だらけ自転車だらけ
文化大革命で荒廃した仏閣
観光地は閑散として外国人観光客ばかり
今と違って屋外での排泄行為皆無
反日教育もなくみんなフレンドリー
今の中国
どうしてこうなった?(笑) 10名無しさん@お腹いっぱい。2017/11/02(木) 00:35:05.76ID:m/e5ZpSD>>11>>12
http://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=tosa36kai0412&dd=31&re=2336&qu=1
犠牲者一覧
川添哲夫(引率の先生・全日本剣道選手権大会優勝2回)
青山一彦、石黒猛、片岡吉徳、下坂浩之、下村英生
渋谷祐介、恒石能秀、徳弘孝行、中平孝徳、平田博稔
福山誠、藤田隆、細川耕一、森岡正嗣、安井貴志
山本修志、山本慎吾
小野千津子、片岡靖子、小松佐智、坂本真砂恵、田中理絵
中田恵子、中屋厚子、宮地壽和、森和佳、矢野裕美子 最初生死の情報が割と混乱してたような
死亡したと報道された人が生存していたり これは賠償金が話題になるが、中国側は精一杯無理して破格の値段を支払ったはずだぞ。
国内人にくらべて。
しかし当時の中国は、いまより相当貧乏だった。 上海列車事故 - Wikipedia
上海列車事故は、1988年3月24日に中国上海郊外で発生した急行列車同士による列車衝突脱線転覆事故。
修学旅行のため乗車していた日本の高校生が事故に巻き込まれ、多数の死傷者を出し、事故後補償をめぐり日中間で政治問題化したほか、学校側の対応をめぐり日本国内では訴訟が起こされた。
補償問題
当時の日中友好ムードが障壁になったとの指摘もある。当初から物価水準が異なるために賠償金が低いことが指摘されていた。
1988年8月に訪中した竹下登首相(当時)に対し、中国の李鵬首相が「国情の違いを理解してほしい」と、日本並みの補償はできないとする基本的立場を伝えた。
このような対応に対し、当時の運輸大臣だった石原慎太郎は「被災者側弁護士によると中国は中国の示した条件で打ち切るといっているらしい」「これでは日本における中国の印象も悪くなる」と指摘した。
東京にあった旧満州国の不動産売却によって中国政府が売却益を上げていることを引き合いに出し、そこから補償金にまわすべきだと述べた。
このような事情であるため、補償額の日中間の開きは大きく、第一回に東京で行われた交渉では、日本側は5000万円前後を示したが、中国側は一律31,500人民元(当時のレートで約110万円)であったという。
第二回に上海で行われた交渉では、日本側も2100万円に引き下げたが、それに対する回答は220万円であった。
この金額は1988年1月に重慶郊外で墜落した中国西南航空機事故で犠牲になった日本人技術者3人に対して提示された金額と同じであった。
結局、中国側とは1989年2月26日に補償条件を受諾したが、その金額は未公表であるが、400〜550万円の間、おそらくその中間であったとされている。
日本国外で発生した事故で犠牲になった日本人に対する補償金としては、一切なしという事例もあるため、支払額は極端に低いものではないが、充分な補償ではなかった。 この頃は、高校の修学旅行で外国に行くってのをまず聞かなかかったから、この事故もよく覚えている
なんでわざわざ危なそうな途上国に行くんだろうと不思議だった この事故以降学芸高校の偏差値落ちたよな
以前は土佐土佐塾とそう変わらんかった この列車事故が起きてから、
同じように中国など海外への修学旅行を計画していた学校が
次々と取りやめて国内旅行に切り替えたらしい 当時、中国への修学旅行を増やすために、私立学校の教師が接待されたんじゃないかと思う
同じように中国への修学旅行を計画する私立が当時なぜか急増した
この事故が起きて取りやめたところが多かったようだが 直前の3か月に中国では列車の死亡事故が4件も起きていたらしい
ヤバすぎ なかなか情報が入ってこなくて、「現場の教師とみられる人物からの電話だと、少なくとも十数人の生徒が死亡しているとの事ですが、まだ未確認です」ってアナウンサーが言ってたのが怖かった。 >>9
一方韓国で火災で死んだ観光客は治療費と称して1000万払わないと遺体を返さんと脅迫された >>110
優秀な生徒が大勢亡くなったのも無関係ではないのかもしれないけど、事故後の学校側の対応が悪すぎたのが最大の原因だね。
生徒を守れない学校、それは言い過ぎにしても、生徒より学校の体面が第一というイメージを抱いた家庭は多かっただろう。 中国の鉄道大好き撮り鉄小竹直人「この後、撮り鉄の中国SL撮影ブーム作った」 少し話題はそれるけど
この事故当時、昭和の終わりの中国はまだ貧しくて生活水準も低かった
ところが平成の30年の間に、中国と日本の立場は完全に逆転した >>100
学校の行事だから嫌嫌行った奴もいるだろ >>103
日航機123便はトップテンの途中だったな。。。 賠償額交渉の敬意を見ると中国酷い、ふざけんなと思っていた。
日本国内に置き換えると、外国人の子供に対する賠償額は30億円だけど日本人は5000万円。
同じ電車に乗っていての事故でこれだけ差があったら日本人の被害者遺族が大騒ぎする。
一家の大黒柱が亡くなって5000万円なのに得体の知らない外国人の子供が30億かよ、日本人全員にも30億よこせってね。
そうなれば別の事故の賠償金もはね上がって社会がガタガタになる。 ご遺体がどんなお姿だったろうと思うと
本当にお気の毒。
30年も前の上海郊外なんて、
本当に田舎でしょうしね。 >>125
そうそう…。思い出したらぞわぞわしてきた…
第一報で死亡者として苗字だけ出た人、そのあと生存に訂正された記憶あったけどほんとにそうだったわ。
あと、死亡者の死因で初めてクラッシュシンドロームっていうのがあることを知った。 あの頃の中国は完全に異国だった
人民服着てチャリで地味で
あんなとこによく日本人の子供が修学旅行に行ったなあ そういや28人も死んだんだっけ
列車事故は福知山線の事故以外にも大惨事がかなりあるんだよな 犠牲者に非はないけど当時から全く同情できなかった 修学旅行先が中国?
アホかと 自分は当時、高知在住でした。
事故翌々日の高知新聞の夕刊に、事故当日に一行が訪れた寺院で、
親友同士の女子生徒2人が並んで撮ってもらった写真が掲載されていた。
写真の下の説明文が、写真左側の女子生徒が数時間後の事故で死亡したことを伝えていた。
写真の中の彼女は白い歯を見せ、はちきれんばかりの笑顔を浮かべていた。
こんなに素敵な笑顔を浮かべている少女が、この日のうちに亡くなったという事実は
赤の他人の自分であっても受け入れ難い事実に感じられた。
翌朝の高知新聞朝刊が、死亡した生徒のうち男子生徒2名、女子生徒1名が遺体の損傷が激しく、
現地で荼毘に付したと伝えていた。
そのただ1名の女子生徒の名前が、あの写真の少女だった。
記事は流石に、憐れな3人の身体がどのように傷ついていたかまでは伝えていなかった。
しかし、「事故当時のままにされていた遺体はようやく清められた」「血に染まった制服を脱ぎ」という記述は
この三名、殊に先述の女子生徒に対する哀惜の念を一層強くした。
お父さんのコメントも掲載されており、安らかな死顔をしていたという。
せめてもの幸いで顔はきれいなままだったのだと思いたい。 無事だった生徒の父親がインタビューされて
「あー、良かったですよー。うちの子は助かってー。ね、かわいいでしょー」
と、犠牲になった生徒と親御さんの心情を全く考慮しない発言してたのは覚えてる。 そんなニュース記憶にないぞ?同時期になんか大きな事件でもあったっけ? 中国なんか行くからだ、電車ごと埋められなかっただけでも良しだろ同情の余地なし! 難関校だしみんないい大学行って出世して今頃いいお父さんお母さんになってただろうにね >>139
生まれてなかったか幼児だったんじゃね? この頃だと、日本最大の大量老害粗大ゴミ、団塊ジジイババア親の同じく大量にいるガキ共、ジュニアのガキが犠牲パターンが多いんか >>133
顔が無事なのに日本に連れて帰れず、現地で火葬したの? 中国って事故あると穴掘って埋め
何もなかったことにしているイメージ。 漏れの高校の修学旅行は中国へ行く予定だったけど、天安門事件のせいで中止になって、その代わりに北海道へ行った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています