【古代ロマン】「卑弥呼が田川に眠っている可能性はたいそう高い」…研究家・福永氏が古代史フォーラムで自説/福岡
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◆「神々は田川に実在した」 研究家・福永氏が自説、ファン楽しむ 田川古代史フォーラム詳報 [福岡県]
弥生時代、田川は神々と王の故郷だった−。
田川市の県立大で21日に開かれた田川古代史フォーラム「古代田川の隠された歴史」(田川広域観光協会主催)。
「神功皇后紀を読む会」を主宰する福永晋三氏は記紀に登場する神々が田川に実在した王であったとの自説を披露。
赤村の前方後円墳型の丘陵を卑弥呼の墓とする新説も飛び出し、約500人の古代史ファンを楽しませた。
福永氏は独自の視点で読み解いた古事記や日本書紀、万葉集、中国の史書の記述と、田川地域に残る神社や地名、遺跡、遺物との関わりを示しながら、講演を進めた。
前半は「神話は歴史事実の反映」として、神々が実在した証しを紹介。
八岐大蛇退治で知られる素戔嗚尊は、「奈良県には無い」須賀神社(祭神は素戔嗚尊)が点在する飯塚市の内野老松神社周辺を根拠地に、筑豊地域の王として君臨。
後に饒速日尊(にぎはやひのみこと)(天照大神)の侵略を受け、近くに須佐神社がある「天岩屋戸」の岩屋鍾乳洞(田川市夏吉)で滅んだとの自説を語った。
後半では「邪馬台国田川説」を唱えた。
北部九州からは弥生時代の鉄剣が奈良とは比較にならないほど多数出土しており、魏志倭人伝の「倭人(わじん)は鉄のやじりを使う」とする記述を裏付けると主張。
前方後円墳型地形がある赤村とその周辺には日本書紀にある地名や記述に合致点が多く、この地形からは土器片も出土していることなどを挙げ、自然の地形を成形した女王卑弥呼の墓「箸墓」の可能性が高いことを示した。
パネル討論では、田川市と香春、川崎、福智3町の文化財担当者が参加。
弥生時代から古墳時代の様相がうかがえる各自治体の遺跡を紹介した。
■日本書紀から読み解いた赤村の巨大古墳地形と箸墓古墳 「神功皇后紀を読む会」主宰・福永晋三氏 「記述と地理が重なる」
箸墓古墳は、奈良県桜井市箸中にある古墳だ。形状は前方後円墳。
被葬者は明らかでないが、宮内庁により大市(おおちの)墓として第7代孝霊天皇皇女(日本書紀では倭迹迹(やまととと)日百襲姫命(びももそひめのみこと))の墓とされている。
纒向(まきむく)遺跡の箸中にある箸中古墳群の盟主的古墳であり、以前は築造年代が3世紀末から4世紀初頭とされていた。
だが、1980年代以降の考古学的年代決定論により箸墓古墳の築造年代も卑弥呼の没年(248年)に近い3世紀の中頃から後半とする説が有力になっているが、疑問視する見方もある。
日本書紀から読み解くと、箸墓の由来はこうだ。
倭迹迹日姫が大物主神の妻となった。神は昼に現れないで夜だけ来た。
倭迹迹日姫は朝に神の麗しい姿を見たいと言った。
神は翌朝姫の櫛(くし)箱に入って居よう。
私の姿に驚いてはならないと答えた。
翌朝櫛箱を見ると麗しい小さな蛇がいた。
姫は驚き叫んだ。神はたちまちに人の姿となって妻に言った。
「おまえは私に恥をかかせた。私はおまえに恥をかかせてやる」と。
神は空に上り三輪山に帰った。姫は仰ぎ見て後悔し、ドスンと座った。
すると箸に陰部をついて死んだ。そこで大市に葬った。
時の人はその墓を名付けて、箸墓といった。
■写真
「田川古代史フォーラム」は500人の来場者の熱気に包まれた
https://www.nishinippon.co.jp/import/f_chikuhou/20180329/201803290002_000_m.jpg?1522270987
古代天皇や卑弥呼と田川地域との関わりについて語る福永晋三氏
https://www.nishinippon.co.jp/import/f_chikuhou/20180329/201803290002_001_m.jpg?1522270987
西日本新聞 2018/03/29
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/404499/
■関連スレ
【古代ロマン】福岡で卑弥呼の墓を発見か 魏志倭人伝にある記録とほぼ一致 ★5
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1522444445/
※続きます 田川に眠っているのは朝鮮ヤクザに頃された哀れな日本人 重複じゃないのん?
【古代】「神々は田川に実在した」 研究家・福永氏が自説、「邪馬台国田川説」も ファン楽しむ 田川古代史フォーラム
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1522363982/ ※続きです
この墓は、昼は人が造り、夜は神が造った。また、大坂山の石を運んで造る。
山から墓に至るまでに、人々が列をつくって手から手へ渡して運んだ。
時の人が歌った。「大坂に継ぎ登れる石群(いしむら)を手(た)ごしに越さば越しかてむかも」
さて「昼は人が造り、夜は神が造る」という表現からしても、箸墓は巨大古墳に違いない。
ただ「大坂山の石群」は歌と合わない。歌は「登る」のに、奈良県の箸墓だと大坂山から下ってくることになるからだ。
しかも、歌は「大きな石群を手渡しで渡せたら坂を越すことができるだろうか、いや、とてもできない」という重労働を嘆いており、歌の意味からも地理に合わないと見る記紀歌謡研究者は少なくない。
箸墓も大坂の石群も奈良県大和国にはないのだ。
私は、「大坂に継ぎ登れる石群」とは豊前国大坂から登ったところにある「御所ケ谷神籠石」(行橋市)を指すと考えている。
およそ1立方メートルの石塊を人力で運んだ大土木工事だったのだ。
こうした神籠石遺跡は奈良県に見当たらない。
本物の箸墓も豊前国に造られたとすると、それこそが赤村内田の巨大前方後円墳型地形ではないだろうか。
大物主神は三輪山の神である。実は、三輪山と見られる山が豊前国にある。香春岳だ。
実に美しい三輪の山である。
奈良県の三輪山は一輪でしかない。香春岳にはそれぞれの山に神がおわす、計三柱の神を祭る。
だが、奈良県の三輪山は一輪しかないから、三輪鳥居という横に三連で並ぶ特殊な鳥居を建て、三柱の神を祭っている。
香春岳は天香山・耳成山・畝尾山の倭三山にとどまらず、大物主神を祭った三輪山(御諸(みは)山)でもあった。
川崎町には、この大物主神を祭る大三輪神社と大石神社がある。
箸墓伝説は崇神天皇紀にある。
大物主神は蛇神であり、祟(たた)り神とされている。
崇神天皇紀の主要なテーマは、国内に疫病をはやらせた神がいて、その神のお告げを受けて、大田田根子を探しだし、その神を祭らせたところ、たちどころに国が平定したというものである。
神の名は大物主、その神が憑(つ)いたのが倭迹迹日姫だった。
実は、崇神天皇紀には、後漢書や魏志倭人伝にいう「倭国大乱」に似た状況が記されている。
「倭国大乱」を鎮めて共立された女王が卑弥呼だった。
邪馬台国畿内説の中では、こうした記述と重ねて倭迹迹日姫が卑弥呼に当たり、箸墓が卑弥呼の墓と比定されている。
そうであるならば、赤村の巨大古墳型地形が卑弥呼の墓であってもおかしくない。
古墳型地形の後円部は香春岳(=三輪山)を向いており、実に興味深い。
私は、邪馬台国田川説や倭国=豊国説を唱えてきた。
初代神武天皇は西暦121年に香春の橿原宮(鶴岡八幡宮)で即位し、136年崩御し、137年に香春のおほきんさん(=畝傍東北陵)に葬られたと比定している。
この神武即位から80年後の200年に卑弥呼は共立された。
神武から数えて7、8代のころである。
卑弥呼は魏から銅鏡100枚を下賜された。
魏鏡は後漢式鏡と思われる。鏡の考古学では、三国時代の南北(呉・魏)は日本の東西と呼応するとする。
三角縁神獣鏡は呉系統の鏡で、後漢式鏡は魏系統とする。
その後漢鏡の多くは田川郡の古墳からも出土している。
卑弥呼が田川に眠っている可能性はたいそう高い。(記紀万葉研究家)
※おわり〆 古事記は徹底的に卑弥呼を無視している。知らないのではない。
何故か? 田川って修羅の国の中でも最もクズで冗談通じない地域だからな 慰安婦問題は、福岡の嘘つき随筆家 吉田清治 の創作や活動が原因なんだよな
この研究家 福永ってのは 大丈夫か?w 魏志倭人伝の記述を見る限り九州なのはほぼ確定してるけれども 剣とかで栄えているから女王国という考えは「完全に間違い」。
女王国より一大卒のが文明化してた。
文明化していた国々(おそらく伊都国と奴国)の争いが絶えないので、
利害関係が薄い女王を盟主に立てたって話だから、
女王国は先進国じゃないんだよ。
盟主に立てても自分たちの利権(主に貿易)が脅かされない農業国。
だから、田川がそんなにすごいなら、女王国の可能性はゼロ、
一大卒の候補なら可能性高いかもね。
そういう意味では畿内説も完全に間違い。
正解はド田舎の宮崎県。ろくなもの出ないけど、ここが女王国。 ゴッドハンドの人を呼んでねつ造しなければ。
一大観光地としてお金がジャブジャブ入ってくるだろうし。 >>8
アマテラスは持統天皇がモデルと言う説が有力
つまり卑弥呼は神話より前時代の女王とも言える 邪馬台国はココだ!
とか、あまり求めてないから
邪馬台国はココだったかもねぇ、で十分なんだよ
あまりムキになって突き止めても仕方無いだろ
邪馬台国は九州の一部でした、本州では違う大きな国があったのに、邪馬台国の馬鹿女は勝手に中国き使者を出しました。かも知れんだろ?独自の視点で読み解くっつう危うさはこんなもんだ
神々が王として実在したとか、邪馬台国はココだったとか、ロマンあふれてるようで全くロマンが無い そやけん逢うてくれんね 信介しゃん
すぐに田川に 帰るけん
織江も大人に なりました 三輪山まで九州にあったとは知らなかったわ
何から何まで畿内に持っていったのな 邪馬台国テンプレ
中国役人「どこから来たの?」
九州人「山たい」
中国役人「邪馬台国ね」 田川って、福岡でも最低最悪の民度のとこではなかった? 泥棒といえば田川 在日といえば田川ってくらい >>30
逆の可能性もある
九州説しか頭にない安本は一切考慮しようとしないが なんか九州は邪馬台国を町おこしに利用してないか
近畿はあまりそういうのは感じないけど 墓がわからないどころか国の場所すらわからないなんて大して影響力なかったんだよ
古今東西そんな国王いないだろ
ただの一集落の酋長 /三三三三三\
|彡三三三三ミ|
|(⌒\三/⌒)|
||ノ ー||
V<●> <●>V
| (_人_) |
\ `⌒′ /
/⌒ \
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(  ̄ ̄\ |) )
 ̄/⌒ヽ)三三/ /
/ ノ (_ノ⌒\
| ノ__ノ )
\_/ \__/
/ | ヽ__)
(__ノ 247年3月24日夕方に
北部九州で皆既日食が起こったことで
その年に卑弥呼が殺されって説は
どうなの? >>40
いや、古事記を書いた政権(つまり大和朝廷)が無視したかったんだよ。
やましいことが有るから。 >>41
そういう話は昔からあるけど
遺跡からではどうにも検証できん。
この時代の文献は中国頼りだからなあ。 >>35
魏志は倭人伝以外も短里で書かれている(例えば三韓伝の列島の幅とか)。
韓国南岸→対馬→壱岐→まつら、なんかも完全に短里だし。
まあ、畿内説はウンコすぎるよ。九州であっている。
ただし安本って人は北九州説だったよね。でも、北九州もあり得ない。
女王国の北の勢力が軍警察的な実力があった=女王国は北岸じゃない
女王国から東に渡海すると支配下にない倭人の国々=女王国の東は海で直ぐ陸になる
女王国の北・東以外の方角、南・西には絶の国々=南か西に陸続きじゃない陸がたくさん。
条件を満たすには、九州の東岸と南岸を同時に治めるしかない。=旧・日向(宮崎+鹿児島)しかない。
あと、>>23でいったように、畿内も北九州も軍事的に立派な遺跡が出るから違う。 勝手に朝貢貿易したり、鬼道を操ったり色々問題大ありだったのだろうな なぜ天武天皇は古事記と日本書紀から邪馬台国と卑弥呼を省いたのかね? 沖縄を売り飛ばそうとしてるどっかの知事みたいなもんじゃね? 7世紀の人間が邪馬台国なんて覚えてるわけ無いじゃん >>54
同じくらい古い出雲の神話なら伝わってたのに? ブルガリアのベラ・コチェフスカという国が認めた超能力が昔し来日した時に
卑弥呼は奈良の石舞台の坂下の公園の芝生の辺りに住んでいたと言う記事が載っていた
二万八千人程の人口の都がここにあったと
当時の日本は多民族が入り混じり互いに覇権を争っていて、後に都をその場所から西の方
へ移しそこで最終的に剣で殺されたと書いてある 何十年も前から新しい古墳が見つかると必ずこの話題になる。
そんで一、二年経つと忘れ去られてる。 >>57
そうか?
中学生や小学生のクソガキでも日本史を覚えてる奴ぐらいいるだろ?
お前がアホなんじゃね? うちはあんたに会いとうて 烏峠ば 超えてきた
そうやけん 会うてくれんね 信介しゃん
すぐに田川へ帰るけん
織江も大人になりました トランプ 大統領にも見抜かれてたけど
ジャップは表ではニヤニヤ・ヘコヘコして良い人ぶってるのに
内心では他人をおとしめることばかり考えてて気持ち悪いよネ…
どうせ2ちゃんでは「チョン死ね」だの「ま〜ん(笑)」だの言いまくってる癖に >>37
お前が馬鹿だから関西人は全て馬鹿ぐらいくだらんな >>57
横からすまんが、口承は下手な文書よりもロバスト(頑健)だよ。
この場合は散文ではなく韻文(歌唱)。祝詞もそうだよね。
これが年々の祭礼で皆の前で繰り返される。
バックアップとクロスチェックとが揃った記憶システムなのだ。 卑弥呼じゃなきゃ駄目ですか?田中眞紀子や辻本清美でもいいんじゃないですか 卑弥呼の墓は南海の孤島にあるよ。
破壊されたけどね。
今、そのドキュメンタリー映画やってるよ。 バックアップとクロスチェックの意味も理解できないアホがこいつです
> ID:AIcHviXa0 [3/3] >>50
何度も言っているが、度量衡に変更あったのに起居注ひいては正史に書かれないなんてことはありえない
短里など、自説を補強するための姑息な手段に過ぎないし、日本の東洋史学界も中国の学者も認めていない
陳寿が距離を誇張しているので、一定数で割ればたまたま近い数字が出ているだけのこと これ、麻生財務相が森友問題でキツくなってきてるからごまかすために出たフェイクニュース? 今どきのアイドルは口パクだから歌詞を間違えないが
ちょっと前のバカヲタアイドルなんかは、歌詞間違えたぐらいでギャーギャー喚いてたよなw >>49
トヨと思われる後の指導者も何十年かの空白の後に晋に対してやっている。
でも、邪馬台国の指導層が中国系であることは正解。
魏の使者に対して太伯の子孫だと主張して、
ゲイメンモンシン(刺青)や漁の方法などから
魏の使者もまあそうかな、場所も会稽の真東だし、と認めている。
日本の水稲はDNAから中国江南産と分かっている。
日本神話では稲は神様が船で持ってきたことになっている。
中国江南地域には当時、倭族と呼ばれる部族が住んでいた。
諸葛亮の南蛮征伐で国家は滅びてしまう。
現在の少数民族、苗族などがその子孫で、
日本と同じDNAの納豆菌とか持っているとか。 >>70
だから歌唱なのよ。
これが昔話のような散文だったら、話者のサービス精神で
すぐに変質するけど、歌唱の場合はメロディーに歌詞が固定されるから
ぶれないのだ。 邪馬台国関連スレはいつもガチな人がいて勉強になる
でも場所はホントにわからんのだなと実感 邪馬台国はどこ?ではなくて邪馬台国=日本というのはないのか? >>73
魏志三韓伝で、朝鮮半島の幅が短里で書かれているよ。
偽装の余地はない。
あなた、魏志もまともに読まずに反論しているでしょ。
ずばり結論ありきの馬鹿しょ。
自分は別に九州説に思いいれもなく、単に読んで見て解釈しただけ。
どう読んでも女王国は「北九州ではない九州」にあるよ。 >>76
「現地の少数民族の伝承では、首がとれたままでも動ける不死の術などを用いて、孟獲も諸葛亮を七度捕らえたとなっている。」
これってどういうこと?鬼道?w こんな奴どこに埋まっててもいーじゃん
卑弥呼なんか日本の歴史には何の影響も与えなかった雑魚武将だよ
皇統とは何の関係もないローカル酋長だから 呉の云々てのは春秋時代の呉から山東、朝鮮、九州に移動したグループの末裔ってことで
つまりは渡来系弥生人の子孫だってことだろう 田川は文字通り田んぼと川とヤクザしかいないから、そんなところに卑弥呼なぞいたはずがない。 >>25
これがティラノなら俺は幼少期を恐竜に捧げる事は無かったろうな… >>92
色がアレだけど鳥族のご先祖だから、割ともう少し派手かもしれんな >>82
前身というか、大和と戦って日本が勝ったんだよね
中国の正史にちゃんと書いてある
唐書だっけ? 九州ってこんなニュース見る限り日本会議支持者のマイルドヤンキーキチガイばかりなんだろうな。
おらが里の殿様麻生様を救えってか。 >>85
それはリス族のカラスを使う鬼道だね
烏蛮とも呼ばれてる
九州にも3本足の烏使いがいる >>84
逆に君は「倭人伝しか」読んでないだろ
中華書局版『三國志』なんて見たこともないだろうな
ある程度勉強もした人間なら、書いている内容で相手がどのくらいの知識があるかがわかるのだが、
君はその域にも達してないようだね
だから、そんな似非学者の妄想に引っ掛かるんだよ
正史に度量衡の変更が書かれなかった説得力のある理由をまず探しておいでよ
それは、物理の論文で単位を書かずに提出するようなものだからね 邪馬台国は熊本あたりかと思ってた
福岡のイメージが悪いせいか >>76
ネパール、ブータン、チベット辺りにもそれぞれに特徴化した納豆がある
もう少し腐りやすい土地ではこれがテンペになるんだ 使用する菌がちがう
そして、日本の納豆 古くは秋田の檜山納豆のようなつと納豆がメインだった
これらのど真ん中に、いまは衰退した呉人たちの繁栄していたコロニーが存在したんだろう 大和に逆らった所を賤称で呼びその流れのままその地域を部落としたなら有り得るのかもなぁ >>97
口承が文書よりもロバストだったのは、古代の話だっつの。
江戸時代は文書じゃろ。 そのまんま東は日本人離れしてる
古代中国顔かもしれない
古代中国宦官顔 >>76
弥生時代は紀元前1000年からとされている
3世紀の邪馬台国の指導層が中国系といっても
数百年前に入ってきた小集団の末裔だろう
例えば今から500年前の1518年に中国から入ってきた一族の末裔を
「中国系」というかどうかだよな >>99
君はとことん馬鹿だね。三韓伝読んでるのは明らかじゃん。
そして君の主張、距離が誇張されているという主張が正しいとしたら、
それは短里で書かれていると同じ意味なんだよ。
とにかく君は頭が悪い。 左翼マスゴミに好き勝手にやらせたら民主党政権時代の円高デフレ政策の二の舞になって日本の輸出産業は壊滅状態になって韓国の輸出産業が絶好調になるわけだが
シャープや東芝がああなったのも民主党政権時代の円高デフレ政策の時のダメージがあまりにも大きかったせいです
神戸製鋼や日産のスキャンダルも仕掛けたのは左翼マスコミに巣食う在日チョン。彼らは日本の産業を叩き潰して韓国が利する展開にしたいんだよ
売国サヨクマスコミから一番被害受けるはずの企業が左翼マスコミに金を流し続けるのが悪い。もうテレビや新聞に広告出すのやめろよ!企業がテレビや新聞に広告出し続けるのならそれはもう売国であり反日だよ!
百田尚樹 戦後、日本のマスコミと野党はゆっくりと韓国化していたが、この数年、そのスピードが急速に増してきた。彼らに論理は通じない。あるのは感情だけ。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/974571589487349760
ひたすらに倒閣運動にいそしむメディアの自殺行為
http://www.sankei.com/politics/news/170724/plt1707240004-n1.html
憲法改正を恐れ、ひるみ、印象操作か メディアは「言論の自由」と「風説の流布」をはき違えるな
http://www.sankei.com/premium/news/170728/prm1707280007-n1.html
NHKが腐ってる証拠映像集 - 国民が知らない反日の実態
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1029.html
【青山繁晴】NHKがなぜ反日偏向報道を繰り返すのか
https://www.youtube.com/watch?v=_D-9ahl4tIw
【直言極言】どこまで続く?NHKの反日売国行為
https://www.youtube.com/watch?v=UrayRu8AXlk
安倍政権を倒そうとしている売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業を叩き潰そう!中韓や在日利権の尖兵と化している売国サヨクマスコミを叩き潰す事は国として急務!
広告宣伝費が多い=売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業のトップ15です
これらの企業の商品は絶対に買わないでください。これらの売国企業の商品について常に悪い噂を流し続けましょう。安倍さんより下の年代はもっと右なわけで、そういうこれからの日本を引っ張っていく層を企業は敵に回す気か?
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広告宣伝費が多い=売国左翼マスコミに金を垂れ流している売国企業トップ15
1位トヨタ
2位ソニー
3位日産自動車
4イオン
5セブン&アイ
6ブリヂストン
7マツダ
8武田製薬
9パナソニック
10リクルート
11NTT
12花王
13三菱自動車
14富士重工業
15キャノン
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この中で一番悪質なのはトヨタです。「日本死ね!」の史上最低のクズ売国奴の山尾志桜里を当選させたのはトヨタ労組の力です
そして反日売国新聞の中日新聞に対してもトヨタは影響力を持っています。山尾を支援した売国企業のトヨタを倒産に追い込みましょう
愛国者が1人、売国トヨタの内部告発すれば売国トヨタを倒産に追い込めます。山尾を支援した事を売国トヨタに後悔させましょう
一部メディアのすさまじい偏向の狙いは「倒閣」にある! 安倍首相は本気で対抗策を打ち出してはどうか?
http://www.sankei.com/politics/news/170714/plt1707140017-n1.html
【小川榮太郎×上念司×ケントギルバート】偏向報道マスコミに激怒!TBSを放送法違反抵触で公開処刑!報道ステーションにも異議あり!サヨク系論客との公開討論は?
https://www.youtube.com/watch?v=5steatrZuCc
加計問題、一部メディア「大本営発表」の正体 嘘も100回繰り返されれば真実となる
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290001-n2.html
.加計問題で「悪魔の証明」求めるメディア 筋違いの首相会食批判も懲りずに「1月20日問題」追及
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290002-n2.html
加計学園問題の偏向報道に北村弁護士がド正論!「日本のマスコミは終わっている!加戸さんを報道しないのはありえない!両方の論拠を出し国民に判断させるのが本来の報道!」
https://www.youtube.com/watch?v=1wcEQNvH8B8
「安倍総理は無罪って分かってるけど視聴率がとれるからやめられない」夏野剛がテレビ局ディレクターに聞いた話を暴露
http://netgeek.biz/archives/100699
.加計問題は「朝日新聞のフェイク(ニュース)」 夏野剛氏が指摘したメディアの「マインド」
https://www.j-cast.com/2017/08/07305336.html?p=all
前川氏答弁が加戸氏発言の25倍超だった!加計問題でテレビ報道に異議アリ 民間団体がBPOへ告発検討
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170821/soc1708210002-n1.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f1e341b6e67733c1327767e988175bd8) 小藪千豊よく言った!ネット時代に左翼マスコミの汚い印象操作は通用しない
↓
【森友文書】小藪千豊「籠池が言ったと言わずに、昭恵夫人が言ったような心象を与える野党と報道は汚い」@Abema News(動画)
http://www.honmotakeshi.com/archives/53129620.html
前川喜平のTwitterを見ると前川は淫行役人の上に政府転覆を狙っている極左テロリストだとよく分かる。
中学の授業で政治的な発言した前川こそ教育基本法違反の犯罪者なのに、この件って売国左翼マスコミのめちゃくちゃさがよく表れている
https://twi55.com/maekawa20180317/
売国左翼マスコミが全力で石破を推す理由
↓
【韓国】石破茂「韓国が納得するまで慰安婦に謝罪しなければならない」...日本の有力首相候補の所信発言[03/16]★3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1521175679/
売国左翼マスコミの安倍倒閣運動がいかに危険な事か、この記事見ただけでよく分かる。今、安倍政権が倒れて誰が得するかも
↓
【森友文書】韓国で安倍政権への抗議行動応援広がる ツイッターに印、メッセージ続々★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520921511/
佐川氏の証言が全てです。売国左翼マスコミや売国野党の下劣なイメージ操作に騙されないように気をつけましょう。安倍政権が倒れたらチョンが利するだけ
↓
【証人喚問】佐川氏 「官邸に加え、安倍昭恵氏、安倍首相秘書官、麻生大臣、麻生大臣秘書官の指示も無かった」と証言★6
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1522123830/
売国左翼マスコミがどうしても安倍政権を倒したい理由
↓
https://snjpn.net/archives/45578
【マスコミ反発】安倍政権、放送制度改革へ!新規参入を促す構え 放送局が増えて多様な番組が流通することが期待される
【これは酷い】テレ朝系の番組が「安倍晋三記念小学校」をCG合成した悪質すぎるイメージ画像を報道!
https://snjpn.net/archives/37409
徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪
https://honto.jp/netstore/pd-book_28737140.html
エビデンス? ねーよそんなもん:日刊ゲンダイの朝日新聞・高橋純子氏インタビューに戦慄が走るTL【日刊アサヒ】
https://togetter.com/li/1183499
偏向報道にうんざり!マスコミの安倍総理批判に国民から大ブーイング
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1499593879/
NHKが腐ってる証拠映像集 - 国民が知らない反日の実態
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1029.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/aritayoshifu/status/881045139640143872
有田芳生さんのツイート: "「聖地」が「墓標」に変わる画期的な街頭演説会がはじまります。"
↑
民進党の有田芳生の事前のツイートとかみると民進党と共闘している共産党としばき隊と左翼マスコミが結託して最初から安倍さんの選挙演説をヤジで妨害する計画をたてていたんだろうね
安倍さんの演説妨害した、しばき隊一派はマスコミだけが入るの許されていた一等席に朝から陣取っていた。これって犯罪だよ、明らかに。この件は売国サヨク側にとって致命的な問題に発展する可能性がある
安倍さんの演説妨害していたのはしばき隊だと大量に証拠が残っているのに、自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように報道する売国サヨクマスコミの程度の低さに驚く
日本のマスコミは在日の暴力集団のしばき隊と連携して捏造報道するまで落ちているのだ
CatNA
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/881872300726829056
報ステ。しばき隊の意図的な演説妨害を自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、
安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように殊更に問題視。仕上げはイソ子の嫌がらせ質問。我々は詐欺報道の時代に生きている。
元都知事の猪瀬さんもこう言ってる↓
https://twitter.com/inosenaoki/status/881370560105660416
テレビで見たけれど、あの「安倍辞めろ」コールはプラカードなどから、共産党の組織的な行動ですね。ところがふつうの視聴者には、「辞めろ」はあたかも都民の声と聞こえてしまう。
http://netgeek.biz/archives/99004
安倍やめろの巨大横断幕、しばき隊が2015年につくったものと一致。集団の正体が明らかに
. 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f1e341b6e67733c1327767e988175bd8) 北九州出身のやつが田川はやばい
田川が最恐だと言ってたな >>卑弥呼が田川に眠っている
卑弥呼も、田川に来なければ死なずに済んだのに・・・・ >>104
文化人類学の本少し読んでみるといいよ
お前の持ってるイメージなんか嘘っぱちだから >>78
理屈としてはもっともな感じはするが
それが実証された例というのはあるのかい? >>115
田川は卑弥呼の結界でおかしくなる
早く石棺を開けなくてはいけない >>117
おお、そうなんか。ありがとう。
ついでに、お薦めの本とか教えてもらえるとありがたいっす。 つーか卑弥呼ってネアンデルタール人じゃね?
人類史には関係のない生物 >>118
散文と韻文との違いは自明の話だと思うが、どうなんじゃろ?
祝詞にしても平家物語にしてもお経にしてもそうだよね。 倭国大乱のあと、隋にやってきた大和王朝の使者が尊大で不誠実(ほらふき)で
隋の宮廷ではいぶかしんだぐらいだから、奈良の連合政権は倭の邪馬台国とは別物 >>118
あからさまに古田の受け売りだから、書かなかったのもあるけど
皮肉だということは、さすがに理解できんかったか(苦笑)
古田信者は、都合が悪くなると罵倒を始めるという典型的見本だな イタコに卑弥呼降ろしてもらって聞けよ、全て解決するだろ 帯方郡から女王国の首都まで12000里と書いてあるから
呉を攪乱させるための偽装とも思えないんだよな。
これが書かれたのが東晋の時代だからそれをやる必要も無い。
会稽東冶の真東で帯方郡から12000里ならほぼ確定出来るんじゃねーの? >>78
歌詞カードが無いと何と言ってるか分からない歌がどれだけあるか… >>128
万二千里という情報から算出して会稽の東だから、倭人伝が短里で書かれているのは明白なんだよな 奈良の三輪山は一応聖山らしいけど、田川の三輪山の神々しさや立派さと比べると明らかに見劣りしてご利益なさそう
比べるとなんかパチモノ臭がしてしまう
どう見ても古代の入植時に田川三輪山を思って奈良に三輪山と名付けて聖域化したよね 隋書倭国伝
大業四年(608年)、煬帝は文林郎、 裴世清(はいせいせい)を使者として、俀国に派遣した
裴世清はまず百済に渡り、竹島に至った。南方に、たん羅国を遠望しながら
遥かな大海の中にある都斯麻(つしま)国に至り、そこからまた東に航海して
一支(いき)国に着き、さらに竹斯(ちくし)国に至り、また東に行って、秦(しん)王国に着いた。
秦王国の人々は中国人と同じである。それでそこが夷州(いしゅう)と思われるが、はっきりしない。また、十余国を過ぎて海岸に到着する
※竹斯国から東の諸国はみな俀国に属している。 >>134
バリエーションが把握できている(変質が自覚できている)ということは、
記憶システムが機能している証拠だよね。 魏志倭人伝によると卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたと言う
つまり、卑弥呼は宇宙人だった可能性があり、邪馬台国が月にあったという可能性もある。
卑弥呼=かぐや姫説を俺は押す え、九州説は本格的にこれを卑弥呼の墓に比定しちゃうの?w
それ致命的なミスじゃないのwwwww 口伝で正確に伝わるなら
日本書紀も他説を載せる必要は無いしー
伝言ゲームはゲームとして成立しなくなるしー 何をもって「渡来人」というか、という問題
邪馬台国や大和朝廷が「渡来系」だとしても、
それは数百年前に流れ着いた渡来人の末裔ということであって、
自分達の民族的アイデンティティーを「中国系」「朝鮮系」とは思ってない
彼らの民族的アイデンティティーは「倭人」「日本人」
新参の朝鮮人や中国人に対しては技術者として重用することはあっても、
身分の違う者として一線引いてる
500年前に日本に流れ着いた朝鮮人や中国人を考えてみればすぐ分かる >>124
理屈として変わっていないはずだ という推測ではなくて
変わっていないと証明された例があるのかという事を聞いている
この時代資料が少ないだけにそういう方向性で研究を積み重ねてる人もいるのかなと思った >>137
文字化されてるだけでも数パターンあるってこと <<<<<巨大古墳「地形」>>>>>
もうちょっと調べてからニュースにしてよー
でも邪馬台国は奈良じゃ無いけどな >>144
たぶんその証明は、原理的に無理だよね。
同時代に文献が並行して存在しているなら、
そもそも口承による記憶かどうかが定かではない。 書いた後で思ったがタイムマシンでも無いとちゃんとした実証は無理か…
そういう方向で検証を進めてるってだけでも一定の説得力はあると思うが 倭人伝によれば、倭人は刺青をしてたとか
田川は今でも伝統を守っています >>141
必ずしも正確に伝える目的とは限らない可能性
あれは国家の対外的仕様書なんだ エビデンスが伝承通りに出てきてる事に目を瞑っても仕方ないからな
このスレは割と論理的思考できる人が居て俺は嬉しいよw どこだったかの文字を使わない南の島での実験で
大昔からの伝承を口伝する人々に
嘘を教えたら
数年後にはその嘘が大昔から伝わる話として語り継がれていた
って話を聞いた事があったような つべに動画あるんだな
冒頭に出土した土器片の写真もあったわ
古代史フォーラム「『卑弥呼の墓か?』―赤村の巨大前方後円型地形について」 福永晋三 20180321 @福岡県立大学講堂
https://www.youtube.com/watch?v=DfbYdICtMdk >>153
嘘が正しく伝わってたなら伝承も正しいってことになるじゃないかw >>153
島じゃないが、一時期有名だったドゴン族のシリウス神話は
昔の宣教師が話した内容が神話になった、てのはあったな スターウォーズ教を信じるアホの口伝も事実としてスターウォーズって映画があったってのは事実だよなw そもそも日本書紀は陰陽道の思想に毒され過ぎ
古事記のほうが純粋だ
って本居宣長が怒ってた >>162
エロい情緒溢れる表現が特異なおじさんか
「そのかみのこゝろたづねてみだれたるすぢときわくる玉のをぐしぞ」 前方後円墳が誰の墓か伝承で伝わってないのはなんでなの。 ハンマーとか斧使いの一族に憧れ、夢破れたもののあはれを謳いまくってたようだなw 掘ってみないと墓かどうか判らんな
天皇陵指定されてる訳でもないし、地権者に言って掘らせてもらえ 藤原が国を乗っ取るために乙巳の変(645年)で蘇我蝦夷、入鹿を殺した。改新の詔は蘇我氏の利権、所有地を取り上げる方便だよ
蘇我氏は九州にも多くの土地を開発し、大地主であった。九州倭国の皇室と考えて良い
日本全国にあちこちに土地を有し日本の大地主であった。千葉にも蘇我と言う地名が残ってる
本州本土に天皇家一族を入植させたのも蘇我氏の先祖である海人族安曇氏 山のそばに残土モリモリする意味が解らん
つまり古墳じゃない >>170
その国を乗っ取るって概念をもう捨てたら?
政治を乗っ取るとか椅子を取るとかぐらいにしたほうがいいと思うよ
アホに見えるw >>170
なんで本当の事言っちゃうんだよっ!!!!!
設定が台無しじゃないか >>174
ケツを先に奪ったほうが勝ち
これは、神話でもそう謳われているのだw >>173
心配しなくても国って言ってもその頃はまだ強いめのローカル連合だから >>177
まあ本来はだいぶ神々のお子達は、関東以北に留学して勉強したらしいねw 卑弥呼とか邪馬台国ってどう考えても当て字なのにいつまで使うんだ? >>178
一部おかしな概念が出てるだけで、オオスジはだいぶあってると思われるので
こちらもアホっていってすまんです >>157
これは決まりだな
邪馬台論争もようやく決着か ハッキリ当時のクニの遺跡とわかってる吉野ヶ里から攻めて行った方が当時の倭国の都にはたどり着きやすいんじゃないか 古墳(残土)の規模感も
誰か言ってたブーム(ニワカ)に飛びつくニワカ勢が増えたところがピークで
本筋は本質を理解してるので、淡々とやり続けたりするもんだからね
ニワカの動きを見て広まってるからといってそれが本筋とみるのはおこがましいかもしれん 当時のシナ人は九州は島で本州はその先にある大陸なのか島なのかピンと来てなかったようだし? >>183
古事記よむと、「神殿に皮ずる剥けの馬を投げ込むと、
機織り巫女が死んで、神がお隠れになった」みたいな話がある。
つまり、この場合、機織り巫女が神のヨリシロになっている。
卑弥呼もそういう役目だったなら、
人間でもあるけど、現人神的な存在でもあるんだよ。
倭人伝でも支配階級とすれ違う被支配階級の人は
拍手打って路脇の草むらまで下がって伏した
みたいなこと書いてあって、これは神様扱いだなと思ったよ。 盲信者は優れた技能を持つ人々をさして
「神」って崇め奉る事と同じ感じだろうなw そもそも卑弥呼は当て字で
本来は姫巫女か日巫女だろ 神々を神たらしめる演出家がそれぞれの時代に居たであろう
ハタオリベの人かな?w 当時は季節京やら由来の場所五十くらいに分骨したんだけどな
中国の歴史書のたどり着くまでの道のりは小国は侵攻可能な大国迎えるときは
あちこちあさっての方に移動して位置をわからないようにしてからたどり着くという
知恵というか慣行で書いてた本人が一番どこにあるかを信じてなくて
使者ってあちこちつれまわされて大変だなって思ってた 徒然草 第三十段
いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを
果ては、嵐に咽むせびし松も千年ちとせを待たで薪たきぎに摧くだかれ、古き墳(つか)は犂かれて(すかれて)田となりぬ。その形だになくなりぬる
人の死とは、毎年再生する春の草花を見て、感受性の豊かな人が何となくときめく程度の事であろう。嵐と恋して泣いていた松も、千年の寿命を全うせずに、薪として解体され、古墳は耕され、田んぼになる 卑弥呼は、日向(ヒムカ)
「そのまんま東」と同じ意味。奇しくも宮崎県知事やってたな。 ★原点に戻り旧唐書で探せば簡単だった
帯方 ==============================
↓ +
↓ +
↓ 7000里 (700km )
↓ +
↓ +
釜山 +
↓ +
↓ +
↓ 1000里余り (100km )
↓ +
↓ +
対馬 +
↓ +
↓ 1000里余り (100km )
↓ +
壱岐 +
↓ +
↓ 1000里余り (100km)
↓ +
末盧国 +
↓ +
↓ 500里 (50km)
↓ +
伊都国 +
↓ +
↓ 百里 (10km)
↓ +
奴国 (志賀島) 金印が発見された島 =========== ★ここまでの距離 1060km ( 帯方から 奴国まで )
↓ ★帯方 → 邪馬台国=1200kmは確定されている
↓ 百里 (10km) ★答えは 奴国⇒邪馬台国は140km ということになる ↓
不弥国
↓
↓
↓ 「水路、南に向かって20日」
↓
↓
投馬国
↓
↓
↓ 「水行十日、陸行一月」
↓
↓
邪馬台国
つまり、邪馬台国の場所は奴国(福岡市)から半径140km圏になる。
ここで、道が曲がりくねっていることを考慮すると、
東方なら大分市、
南方なら熊本市、
西方なら長崎市あたりになる。
ということで、ここでも、
「邪馬台国の場所 = 九州中部から北部」
つまり ・・・
「魏志倭人伝」で、論理が破綻しない部分だけをつなぎ合わせると、
「邪馬台国の場所 = 九州中部から北部」
となる。 九州北部の渡来人系勢力住吉三神を倒したのは、遠賀川流域の石神、物部だな。 >>魏鏡は後漢式鏡と思われる。鏡の考古学では、三国時代の南北(呉・魏)は日本の東西と呼応するとする。
三角縁神獣鏡は呉系統の鏡で、後漢式鏡は魏系統とする。
その後漢鏡の多くは田川郡の古墳からも出土している。
また妄想入ってる…。勝手に魏の鏡を後漢にしてしまうし…・。根拠が何もない。 >>202
住吉大神≒武内宿禰の子孫が蘇我氏だから、蘇我氏が物部を滅ぼしたのはその恨みかな。 天皇家は祖神である伊勢神宮に行幸するのは当然だけど
出雲系である、出雲大社、熊野大社、氷川神社などにも行っている
怨霊たちの出現を恐れるのです >>191
追記
あと例の前方後円墳?の周濠部分の写真も >>204
魏は漢から禅譲を受けた後継国家だし、30年ほどで滅んだんだぞ
魏鏡が後漢鏡と同形式なのは当たり前だろ
神獣鏡が呉鏡なのももう常識だが・・・無知って怖いな 争いが絶えないから政教一致させたものの卑弥呼が実権握ってたかは微妙。
少女に全権委ねるかな?傀儡の側面が大きかったんじゃないの?
卑弥呼を見た者は少なかったらしいから、実在したのは連合の長になった最初だけかもね。 >>210
うっはマジやんけ
完全に前方後円墳だなこれ >>23
宮崎って高千穂ってこと?
それなら壮大なロマンだなw >>215
宮崎が海を使えてない以上邪馬台国でもあり得ないよ
ではコピペ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) <安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<井沢元彦によれば、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
∧_∧___
(・∀・ ) / | <これ、豆知識な
⊂ へ ∩./ .|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄ 後漢の主な鏡の画文帯神獣鏡は、中国では呉と東の端からで
魏の領土からは出てないらしい
日本では主に畿内から出てるとか
その前世代は方格規矩鏡で、こちらは九州からが多い 気安くロマンだと言ったら駄目
ねつ造がまかり通る世の中だからね >>209
高坏はもう少し古そうだが、5世紀中〜6世紀の須恵器で、しかも破片だけなのが致命的だな
3世紀の卑弥呼の墓だと言ってよくこんなもの出したな(苦笑) >>208
勅使は行くけど天皇は行かないのでは
現人神の天皇は神霊の上にいる世界観だから
帝が宇宙の中心でもいい設定
ところで継体天皇って日本海側出身だよね 敦賀〜伊吹山、ヤマタノオロチ、息長氏の本拠地。風宮の神様。 いぶきは息長も連想させる言葉だな
伊吹山の近くには尾張氏がいるか >>209
これだけ出てるならもう間違いないな
まさか邪馬台国が田川だったとは意外だった 風宮の神様。
級長津彦命 シナツヒコ
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
伊吹山の麓、稲部遺跡で鉄工房が見つかっている。 卑弥呼の墓は伝説どおりならば、
宮崎県高千穂町の天岩戸神社のご神体。
こればっかりは文献とかが少なすぎて
分からないが。
田川から女王が出てきたら、
それは卑弥呼じゃなくてトヨかな。 この学説より正確な田川の事実を教えてやる
田川は貴乃花部屋の九州場所宿舎である
日本相撲協会の新審判部長の阿武松親方は田川出身である >>228
おお、すばらしい。伊福部さんもそうだよね。
一方、>>1の赤村周辺は銅の産地。
遠賀川沿いを吹きわたって来た冬の季節風を
使っての銅精錬があったやも知れん。 >>219
東の端とは楽浪郡かな
讃岐の弥生末期の円形墳丘墓から、楽浪郡から出た画文帯鏡の踏み返し鏡が出てるな
これは公孫氏とも交流の結果と言われている 現状遺跡だけなら九州有利なだけ
まだ決定打は出ていない どこであろうが大した違いはないと思うが、郷土愛というものだろうか?
それにしても、卑弥呼は多分、若いとき美人だったと思う。
化粧映えしたんだろうな、萌。 志賀島金印を国璽として大和国独立を宣言して
在日トンキンを追い出すニダ 田川は、伊都国と奴国の中間地点か。
九州連合の本拠地、一大卒の位置としてはベストな位置取りだな。 魏志倭人伝じゃ重要人物の張政も三国志演義では全く登場しないから
邢道栄やら淳于瓊みたいなザコ武将も彼からしたら雲の上の存在だったんだろうな >>223
応神/仁徳系の王族は武烈でその血統は途絶えた
応神の頃から畿内の古墳の副葬品が劇的に変化した
継体天皇は近江で生まれ越(福井)で育ったとされている
継体天皇の陵墓として宮内庁が比定しているのは
今城塚古墳の西南の太田茶臼山古墳ですが、学界でこれを認めている人はまずいません
築造年代がまったく異なるからです。
太田茶臼山古墳 茨木市太田 226m 5世紀中頃築造
今城塚古墳 高槻市郡家新町 190m 6世紀前半築造 九州vs畿内みたいなものはないんだな。
大雑把に言えば、弥生時代前期末以降の渡来人系勢力vs縄文系&殷系の勢力。
遠賀川流域は後者のエリアだな。
殷系&縄文系
猪&熊クマ
大和朝廷(卑弥呼、女王国)も同じ殷系&縄文系勢力。 >>237
昭和末期に営業してたんだよ。朝礼の時に所長が紙を配って「これの(山口)ナンバーは当り屋だから車で外回りするときは注意してください」みたいなのがあったよ 飯塚は猪塚。
孝霊天皇、三世紀半ば以降に、大和朝廷で仲間割れし、縄文系勢力が殷系勢力を乗っ取ったんだな。 >>242
てんのうけの名字は息長と言う戯れ話をどこかで見た事がある >>249
天皇家に名字はない
今現在においてもな そもそも
「卑弥呼」自体が実在したかも
怪しい
「キリスト」といい勝負 >>1
こんな古代のどうやって都や権力の中心を遠く離れた畿内へ移動させたんだよ?
しかも、九州と畿内の間に道を辿った証拠となる遺物、遺跡など全く無い。
畿内、奈良県中部にある遺跡群は時代連続性のあって、科学的分析によっても当時のものに疑いの余地のない程の証拠と言えるんだよ。
吉野ヶ里の後、権力や都はどうやって近畿に移ったか説明しろよ! >>249
姫(き)だとか阿毎(あめ)だとか息長だとか色々 >>249
継体天皇の系統は臣籍降下してただろうからね。
でも、それを言うなら、源に臣籍降下した人がその後に即位しているから、苗字は源になるな。その論理なら。 >>255
山口ナンバーがズラズラと書かれていた。
ネットがない時代の三大都市伝説のひとつです >>256
姫ぐぐった
面白いなー色々あるものだ
田川の主は何かな 筑豊ナンバーと戦えるのは久留米ナンバー。
福岡ナンバーは道を譲るw >>254
親戚じゃん
王族が行ったり来たりしながら九州から畿内に引っ越しただけ >>157
縄文土器が出て弥生土器が出ないとなると逆に怪しいんだが
弥生時代までに放棄された地ってことだからな >>259
わかんないけど人名で、姫とは書けずに比売ばかりだから姫氏と同じ「姫」という字に対する自主規制を感じる >>256
「あまたらしひこ」って「天照の日子」、固有名詞じゃなくて役職名かなと思う。
名前に「あまたらしひこ」がつく人、聖徳太子以外にもたくさんいるんだよね。 おきながたらしひめってしかし凄いよね
父 息長宿禰王、母 葛城高額媛
足は古語は何の意味にあててるのだろう >>265
隋書や唐書にもはっきりと「倭の王の姓は阿毎(アマ)」と書いてありますが、
和風諡号に「天」がつく関係者は、
天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)皇極天皇
天万豊日(あめよろづとよひ)孝徳天皇
天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)斉明天皇
天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)天智天皇
天淳中原瀛真人(あまのぬなはらおきのまひと)天武天皇
ちなみに天武の後の(天武の妻であり天智の娘でもある)持統天皇から「天」という姓は無くなります >>269
「足りる」だと"be sufficient"だよね。
旦那の祖父の景行帝も大足彦忍代別天皇。 >>269
あまたらす 天足らす
空に満ち満ちている
足りる(不足がない) >>270
でもさ、
伝説上の人物になるけど、天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)とか、
あまたらしひこが形容詞みたいに用いられている例もあるよ。
姓である可能性を全否定するつもりはないけど。 >>270
その時から、万世一系ってことになったんだね。 >>271 >>273
古代でもこの頃だとそのままの意味か
万葉仮名とは違うんだな >>254
九州王朝があってだな
白村江で壊滅的になってから
改革が進められて、中央政権が畿内に移った
日本書紀より古い天皇記や国記に記されてる筈だが畿内政権を神格化させたい天智天皇と藤原鎌足によって燃やされた >>277
九州本家、畿内分家の2極状態のことを言ってるんだと思うんだけど、
九州王朝ということばを使うと、
九州と畿内で別勢力がそれぞれ王朝を立てたという論の人がいて、
そういう立場で説明していると誤解されるよ。
九州本家が衰退して畿内分家に主導権が移ったという点では同意したいが。 >>275
天武は九州倭国最後の皇子、持統は天武の妻ではあるが天智の娘でもある
奈良期とは倭国-天武VS天智藤原の争いに明け暮れた時代なのです
ちなみに昭和天皇は立国を七世紀と認識 >>276
万葉仮名の特徴として、一字で一音の表記と漢字一音の訓読みを組み合わせるってのがある 阿毎は海部というケースはあり得ないものなのかな
天皇記や国記を燃やして古事記と日本書紀にする
系譜を燃やす意味と国外への自己演出とだな
だから外人とかの手も必要だったのかな >>283
親百済系連合国家(のちの天智天皇を中心とした大和朝廷)と親新羅系連合国家(磐井氏を中心とした火の国(肥前国・肥後国)と豊の国(豊前国・豊後国))との内戦 白村江は7世紀
7世紀の九州は糞田舎
王朝なんかない 魏志の邪馬臺国(卑弥呼)と隋書の邪靡堆国(天皇)は同じ 天皇家と絡めるな
まずは邪馬台国の場所探しで十分
俺は福岡から阿蘇山の間にあると確信してる 3世紀なら九州に独立勢力があった可能性はある
それが邪馬台国だったかもしれない
7世紀の九州に独立勢力なんかあるわけない >>287
海部俊樹総理大臣に繋がるわけか。
あと、安倍総理のアベもアメの濁ったものに聞こえるな。
旧畿内勢力のナガスネヒコのナガスネも中曽根氏かも。
今も古代の豪族の血縁による支配は続いているのかも。
アメを苗字だと仮定して考えるならば、
あめたらしひこは、アメ氏の氏長者と翻訳すると
他にもタラシヒコがたくさんいることと矛盾せず上手くいきそう。 まぁ、今の日本の形って六世紀に学問としての仏教が伝来してからだよな。 >>293
九州で大和王権が七世紀まで続いたんだよ >>294
安倍は占いの晴明にも繋がる東夷の酋長だとか
安倍比羅夫ともつながるとかの不思議さ
忌部氏も政治家にいるしな
トヨタも自動織機からだから服部職人の末裔かもね みたらし団子てあるだろ、みたらしの由来は神功皇后なんだ(これ豆な 神功皇后が三韓征伐に出立したのは、和泉の地だけどね。 神社で参拝する前に身を清めるために手を洗うからな。 魏志倭人伝に登場する「クニ」は後の令制国ではなくて令制郡相当
よって邪馬台国勢力を構成するクニが三十国余りということは、三十郡相当ってことで、令制国だと2,3カ国程度でしかない。
九州でも九州全土の北半分か三分の一程度しか抑えてないローカル政権ってことだな。
魏志倭人伝に出てくる国名はそのまま後の郡名になってるので、やっぱり山門郡説が一番しっくりくる。 神功皇后のルーツは新羅なんだ、なにが三韓征伐だ
打倒ヤマト(畿内)に向けて新羅に応援を求めにいったんだ 国内でなんと呼んでたかもわからん人物をどうして確定するんだ
いまだに「卑弥呼」と呼んでる時点で夢まぼろしの類だよ >>306
息長たらし姫が手を洗って清めたから御手洗なんだ >>300
せやな
サヨクさんに近代的に勝手に消されててドン引きですわ >>313
なんばいいよっとや、ゴキウヨが消したんだよ
神功皇后なルーツは新羅で畿内ヤマトの仲哀天皇を暗殺したからなんだよ
宇佐神宮と伊勢神宮は敵対関係にあるしな 俺が子どもの頃に釣りに行っていた池のあたりには、
産気づいた神功皇后を村人たちが駕籠で運んだ伝説があり、
小学生の頃に遠足に行っていた町の神社には神功皇后が
応神天皇の産湯を使った井戸に今も水が湧いていて、
大学の近くの神社には、応神帝の胞衣が埋まっていた。
数十年来の神功LOVEなんだっつの。 確かにこの手のスレで宇佐八幡はでっち上げと言ってるのは畿内説のカルト系っぽいなw >>318
山門郡は磐井の拠点だった八女に隣接してるしな。
いわゆる邪馬台勢力の200年後の末裔が磐井の勢力なんだろう。 >>316
教科書から消したのはサヨクさんやで
あと嘘を信じて出鱈目書くのやめや >>323
表向きは応神だけど祀らないと仲哀は怨霊化する
古代なら必ず祀る >>324
畿内ヤマトは孫呉の復興であった(基本である 卑弥呼は親魏倭王、倭国の王。
日本は別。
日が向かうのが瀬戸内海の西端、九州日向。
日が昇るのは瀬戸内海の東端。
神功皇后やヤマトタケル、大鳥連、光明皇后の所縁の地、和泉辺りが日本かもしれない。 >>327
宇佐神宮で打倒畿内ヤマトの必勝祈願をして東征した応神東征である
河内王朝な >>326
あんぽんたんのニッポン会議はやかましか! 仲哀の捨て駒感は半端ないんだけどw
本当にこの人は天皇だったの?w 大鳥連と天児屋根命は同祖。
関東の鹿島の鹿は、藤原氏の守り神。
関東に広がる大鳥信仰。 >>321
だが宇佐神宮は高千穂にしても西都原にしても自分の都合のいいように地名を変えてしまうから信用出来ない
神武天皇の航路が開門海峡を往復するというのも宇佐神宮の都合だし
阿多隼人の活動範囲である九州西岸から開門海峡を一度だけ通って瀬戸内海へ移動したとするほうが自然だ 鳥トーテム重要だな。
聖徳太子が建てた四天王寺は創建当初から木造の鳥居があったらしい。
どういう意味なのか? 古事記の仲哀帝崩御の描写が秀逸だ。
琴を弾きながら、気づいたらこと切れている。 >>340
弥生時代中期の池上曽根遺跡。
鳥トーテムと巨大井戸の集落。
何処にルーツがあるかだな。
秦には鳥トーテムの女系部族がいたらしい。 >>287
九州のこの辺にはアマという古地名が多いんだよな 大津皇子可哀想だな。天武の子なのか疑問が残る。
辞世の句
ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
ももづたふ、敦賀や鈴。
イワレと鴨を恨んでいるのかな。
雲隠りなむ、太陽が雲に隠れるのかな。
太陽は烏。
金烏臨西舎 鼓声催短命
泉路無賓主 此夕離家向
金烏の家は西にあるのかな。和泉路に賓主はなし。
我こそが応神天皇の子孫だと言いたかったんだろう。
息長氏(敦賀、鈴)、神功皇后、応神天皇。 >>343
おお、そうだったのか!
…って違うよなw
>>344
吉野ヶ里にも、門の上に復元した鳥トーテムがあって、
これがけっこう可愛いw
「鳥居」の語源を文字通り素直に想起してしまう萌え感だ。 武内宿禰と神功皇后の子供が応神天皇ですよ(基本である 日本書紀、続日本紀は、その最終権力者である「天智ー藤原系」の史書で、「九州倭国の存在を隠蔽しています」。
日本書紀編纂の基本方針は、「神武が近畿地方に移動してきて以後、天皇は近畿地方にいて万世一系です
日本書紀の編者(改編者)は、口が裂けても「天智―大友」で一旦断絶したとは記述することが出来ません
そのために天智と天武は兄弟という真っ赤な嘘を造り上げた >>349
徐福集団の中に鳥信仰の苗族がいたんですよ
後に全国に散らばるわけですが 日本書紀や各種の伝統を見ると、鳥トーテムの集団は女系なんだな。
イザナギ、クナト系は男系部族。
どういうことなんだろうな、別の集団なのかな。 アメノタラシヒコは蘇我氏だよな
九州から畿内へ王権をまとめたのもこの一族だろ 光明皇后。
和泉の山中の隠れ里にいた光り輝く鹿の娘という伝承が残る。
鳥トーテムの女系部族と縄文系の父系の娘だったのかもしれない。
光明皇后のエピソードは、竹取物語かぐや姫を連想するんだなぁ。 >>354
苗族といえば、万葉の歌垣と同じ文化の担い手だよな。
即興の定型詩で愛の歌を謳うのだ。韻文の人たちなのだ。 >>351
そのアカ族が渡来したのが>>1の前方後円墳が見つかった赤村だったんだよ!! 本当に修羅王だったんだな
田川のヤンキーどもは卑弥呼の直系だったりして 徐福が日本に来た時は日本は蓬莱の国、邪馬台国じゃなかったからな >>360
苗族は鳥信仰以外もいたとか
田んぼの苗の由来は苗族ですよ >>360
素戔嗚は新羅経由でたどり着いた苗族でしょうか
あ徐福の話か 和合って結婚て意味あるけど
きっとそういうことなんだろうな >>260
北九と下関の両巨頭もお忘れなく(´・ω・`) >>357
その辺りが後世の歴史書で摂政とされてしまった原因かもね。
行動としては大王っぽいんだけど。 神功皇后は遠賀川流域の石神を征伐し、住吉三神の一族を救出したんじゃないかな。
更に、三韓征伐の帰途、住吉明神と共に、瀬戸内海で、頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話が残っている。
敗れた牛鬼に似た塵輪鬼はバラバラになり、島々になるとある。八雷神と似ている。 >>359
新潟の上越市に飛田という地名があって、色々調べたら
どうやら光明皇后が作った悲田院だったらしい。
伝説でもリアルでも美しい人だよなあ。
>>370
まsだに修羅のロードだったかw 筑豊では自転車に乗ってても盗まれるというのは本当なのか? >>373
糟屋郡の粕屋とか笹栗とか志免とか須恵とか宇美とかあたり。
応神の胞衣は福岡市東区の筥崎宮。 >>372
ピコーンときた
なんで各地を考えてると全部出雲になるのか
てまじか
国宝系図に徐福がいるとか胸あつすぎる >>357
蘇我入鹿を暗殺した中大兄皇子と藤原鎌足らが今の天皇家か。
蘇我氏は卑弥呼から繋がりのある王族やな 天皇は、明治になるまで伊勢神宮に一人も参拝したことがないはず 天皇が京都から江戸へ移った時には、大宮の氷川神社(祭神・須佐之男命他)に参拝 >>378
俺の地元小郡の大保イオンの近くでは仲哀が討たれた伝説と
土蜘蛛が東野に逃げたという伝説がある 東野(あずまの)という地名残ってる。 >>346
竹内文書でウガヤ朝があったとされる御皇城神社。富山市金屋の金屋神社の祭神は姉倉姫。
奴奈川姫なら翡翠だが姉倉姫は機織の女神だからな。 九州説は何で根拠もないのにいつも断言ばかりやってんだろ?
ヤマタイは後の大和で問題なし。 生駒、生馬は火の神、火信仰。
石神、物部は石信仰。
殷系、猪は河伯、龍信仰。
蛇信仰の縄文系勢力もある。 蘇我と物部は本当に争ったのかね
蘇我という姓がまるで物部神道みたいで気になる >>383
卑弥呼には後ろめたさがあるんやな。蘇我氏から王政を奪ってしまったから
しかも祟りを恐れて伊勢神宮に祀った( -_・)?だろ
スサノオは卑弥呼と仲悪かったんだっけ? 総合的にみて神功の拠点は篠栗、粕屋より東である事は間違いない。その点で田川はまさにドンピシャ。
飯塚に大分という地名があるがおそらくそこがかつての大和朝廷側と熊襲との境界線だったと思う。
夜須は神功が熊鷹白鷲を討って我が心安しから夜須という地名になったと言われる。 >>387
俺は畿内説論者だけど九州の大和朝廷の拠点(田川、宇佐等の豊前地域)の
九州の大和朝廷の拠点が邪馬台国と呼ばれていたと思ってるよ >>383
明治ニッポンの天皇は伊勢神宮ニッポンに参拝しましたね(つまり南朝はニッポンである >>384
九州北部(というか福岡県)は、なぜか仲哀・神功・応神の伝説が濃厚なんだよね。
もっと南の熊本鹿児島宮崎では、景行天皇が無双してるしw
なんつーか、上古の歴史は畿内で完結していたという認識は
根本的に間違っていることを強く言いたいのだった。 愛媛県の有名な姫だるまは神功皇后らしいね
神功皇后の伝説は北部九州だけでなく松山にもあるんだね >>383
明治天皇が特別でその後がまた特別なのでは
氷川神社については明治天皇はあらゆる皇室への祟り神を慰霊して難を払ったと聞いた >>395
幕府(北朝、幕府の傀儡)から政権奪おうとしたのが南朝(身分制度に準じて、天皇を第一義で考える朱子学)
しかしながらその朱子学は江戸時代では徳川政権の正統性の維持に利用された。
明治以降、昭和20年以降も朱子学身分制度は残っており
最高無責任裁判所、最高丸暗記裁判所も公共の福祉、合理的差別という名で封建制度を維持してる。 蘇我氏が鳥の格好をして祭祀を行い、それを見ていた物部氏が笑う。
蘇我氏「鈴がなれば、もっと上手くできるんだけどね」
みたいなエピソードがあったな。
鳥、井戸の神々の真似事をしていたんだろう。
鳥トーテムの部族と鈴(銅鐸)部族が一緒に祭祀を行っていた過去を知っていたんだろうな。
現代でも宮司が烏帽子を被り、巫女は鳥の格好で舞い、神に祈る際には鐸(鈴)を鳴らす。 北部九州はニホン
南部九州はニッポン
狗奴国の東征ですかね、伊勢神宮は熊本の八代からの移築ですし >>396
いやあんたの勝手な思い込み、畿内中心で描いてあるのは事実だし。
大体神功皇后が葛城出身なのを何故にスルー? >>403
大化の改新時に烏帽子をかぶりたがらない右大臣左大臣もいたみたいやね。 >>401
北朝はニホン
南朝はニッポン
源氏はニホン
平家はニッポン 魏志倭人伝当時の狗奴国は邪馬台国の南。
ヤマトの南の和泉と河内だな。
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦だな。 >>400
伊都と奴国はな。戸数と日数の問題がある限りは
北部九州の可能性なんて北海道より低いよ。
ヤマタイはヤマト、隋書ではそうなってるだろ。 >>405
事跡が強烈だから、出自はどうでもいい気がするw
重要なのは、
オキナガの姫が新羅を従え、八幡を産んで住吉の神のもとに凱旋する
というストーリーなのだ。 確かにファッションの変化って微妙だよな
埴輪みたいな髪型とか急になくなる 福永先生は万葉語も解読できる貴重な学者さんらしいね
福永先生に1票入れたいけど伊都だろう >>211
30年ほどで滅んだ国の年号が記載されてる銅鏡の方が魏の鏡でしょ。後漢は後漢の年号が
書いてあるんだから。
わざわざ贋作作る必要もないし、当時にそんなの作る余裕ないでしょ。たった1年ずれた年号
書いてあるだけで偽物呼ばわりするくせに
魏の鏡が後漢の鏡って、九州論者は自己に都合のいいように解釈しすぎなんだよね。一貫性がないよ。 >>396
大和朝廷(畿内中心)が九州に勢力を広めたのは
ヤマトタケルノミコト、景行、神功の時代 順番もこの通り
http://www.geocities.jp/somanoho/rekidai.htm
ヤマトタケルは熊襲の川上尊とあるがこれ筑後川の川上の佐賀だからね。
薩摩隼人ははよから大和朝廷に従属的だったとあるから景行の時代は
南の方から固めていったんだろう。
福岡に経済力のある熊襲が居たわけで。
だいたい欠史八代とか熊襲=鹿児島県大隅半島ってのは戦前の権威的な発想 イヨとトヨのどっちなんだろうか?
イヨとトヨでイトになるけど >>403
それ興味深いな、いつ頃の話?
出典元教えて! ヤマタノオロチは、元々は丹後半島だろう。
王が殺されて、一族が畿内で逃げ延びた。
その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。
ヤマタノオロチ族と伊勢神宮外宮の風宮の神との関係が気になるな。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。
伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。
畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた勢力に恩義を感じていたのかもな。
伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。 >>390
二礼四拍手一礼の拝礼作法(封じ込め)があるのは宇佐八幡と出雲大社だけ
出雲が怖かった。伊勢は怖くないから参拝しなかったのだと思う >>353
その為、宮内庁は古墳の発掘を許さない
天皇記や国記の写本等が出てきては困る >>415
伊都は伊都、弥生時代、現代も伊都で変わりなしだアホ >>413
都合悪い部分からめを反らすのは九州説の悪い癖だな。
だから信用度が低い。ヤマタイとは後のヤマトの事。
母親の葛城高額姫と言えば二上山の麓の集落だからな。
和名抄にある山直、ヤマダィ郷のすぐ近所だし、
そういう事実を無視してはダメだな。 >>410
魏志倭人伝からの経路をみれば朝鮮半島→対馬→壱岐島→九州北部で間違いないだろ? >>396
九州で伝えられていても他でそんなに知られていない逸話も多いから
そこからのすれ違いもある気がする 最高ですは、福永法源と福永晋三を意識したんだろ、わかったよw まぁヤマトに行くにしても距離がありすぎるな。
上陸して国にたどり着くのってどのぐらいかかったっけ? 氷河期にマンモスを追ってきた民族が、流れ着いたのが 縄文人@。
南方の古モンゴロイドの海洋民族が、流れ着いたのが 縄文人A。
夏王朝の末裔が漢民族に追いやられ、流れ着いたのが 縄文人B
春秋戦国時代の難民が、流れ着いたのが 弥生人@
三國志時代の難民が、流れ着いたのが 弥生人A
朝鮮半島でエベンキに追われた民族が、流れ着いたのが 渡来人
因みにタイ北部の少数民族のアカ族はムラの入口に鳥居があったり、かつて倭人と呼ばれていたり、縄文人Bと良く似ている。
縄文人AとB、弥生人@とAが交配して倭人となり、北部九州と朝鮮に倭国のムラを作った。
こんな流れじゃ? 田川が邪馬台国であっても
景行、神功も畿内出身でおかしくない。
なぜ、九州に来たかも記紀には書いてるじゃないか
なぜそこを否定する?
もう景行の二代前の崇神の時代(邪馬台国の時代)には
九州北部は大和朝廷に支配されていた。
伊都の帥升は退陣したんだ。 >>430
どうでもいい話だが、「都合が悪い部分」というのがよくわからん。
神功ママが二上山の麓出身だと、なにか良いことがあるのだろうか。 >>439
神功は福岡各地に伝説あるから間違いなく実在 ふと思うのですが、肥前と肥後、なぜ筑紫国に遮られているのでしょうか?
どなたか教えてください。 三輪 能
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し大和朝廷を作ったんだな。
出雲も伊勢も、元大和朝廷。
日本書紀にある飛騨の顔が二つ胴が一つの怪物。
二つの顔は倒した勢力から奪った仮面、
アマテラスとスサノオ。
胴は国常立神(カグツチ)、天香久山の山頂に祀られている神。
飛騨の口碑。飛騨の勢力が出雲を作り、大和朝廷を作ったとある。 >>415
福永なんて解釈見てるかぎりは全く憶測ばかりだぞ。
以前いた朝鮮語で解釈出来ると妄想してた奴と
大差ないから。 >>434
父が琵琶湖沿岸の豪族なんだよな
継体ともつながる息長
でも母方で育つか だいたい一匹になんだよな
マウント取りはさ
なぜか消費税スレでもこうなる 仲哀とのジョイントはヤマトタケルとか
系譜のジョイントが信用性が低すぎるだろw
ここら辺の連中w >>427
日本書記には天皇記、国記がつくられたとは書かれているが、その内容については何も書かれていない
大化の改新をおこなうためにまず最初に天皇記、国記を焼いたのはなぜでしょうか
おそらくその内容が改革派にとっては大変都合が悪いこと…つまり朝廷と蘇我氏が連立して政治をおこなうことの正当性が書かれていたからではないでしょうか >>442
ヤマトタケルが実在かと言えば幾人かのキャラの総合だとも言うし
そういうキャラが実在して逸話が後付けかもしれないけど
それを根拠にするのはどうかな
自分もいる派だけど
実在しなければわざわざあの妊娠期間を設定する必要が無い 応神とそれ以前は全く別の王朝。
むしろ敵対していた。 ご意見を聞かせてください。
氷河期にマンモスを追ってきた民族が、流れ着いたのが 縄文人@。
南方の古モンゴロイドの海洋民族が、流れ着いたのが 縄文人A。
夏王朝の末裔が漢民族に追いやられ、流れ着いたのが 縄文人B
春秋戦国時代の難民が、流れ着いたのが 弥生人@
三國志時代の難民が、流れ着いたのが 弥生人A
朝鮮半島でエベンキに追われた民族が、流れ着いたのが 渡来人
因みにタイ北部の少数民族のアカ族はムラの入口に鳥居があったり、かつて倭人と呼ばれていたり、縄文人Bと良く似ている。
縄文人AとB、弥生人@とAが交配して倭人となり、北部九州と朝鮮に倭国のムラを作った。 >>440
神功皇后は元々畿内方面から西の九州を成敗する立場のはずだが。
大倭の国、そこの二上山の麓にヤマダィがあるなら
そこは元々ヤマタイのエリアの名残だろ。
また二上山の麓は竹内の集落だからな。 纒向遺跡の外来系土器は、
尾張など東海と、出雲など山陰が中心なんだな。
尾張と出雲が大和朝廷を作ったのだ。 日本書紀原理主義なったかと思えば神武東征は否定したり
畿内説のが行き当たりばったりだよ >>457
考古学では無いが神無月に神々が出雲に集まるのが非常にそれ風に感じる >>460
戦前世代の妄想は殆どその時の権威とかサヨク権威が作った妄想だから
全てリセットして考えるのが良い。 尾張出雲の外来系勢力による大和朝廷に虐げられていた畿内の元々の勢力と九州北部の渡来人系勢力(住吉明神)、関東の先住民(鹿島の鹿)が手を結び、
神功皇后応神を旗頭にして旧大和朝廷に反旗を翻すんだな。
応神からは別の王朝。 たしか、イザナミも火の神を産んで、ホトの火傷で亡くなったが。 >>447
息長の一族が信貴山から二上山西に移動したという
話を聞いたことがあるからな。
金山彦、金山姫神社もこの辺りにある。 >>461
いや、邪馬台国時代は既に畿内大和朝廷は田川に一大拠点持ってたのは間違いがないからアホ >>443
肥前(長崎県)の島原半島などの海沿いの集落は筑後よりも
対岸の肥後(熊本県)の方が結び付きが濃かったからじゃないかな
熊本県と佐賀県を歩いて移動するより
水上交通の方がかなり、速く移動でき大量の物流も可能だった まさに邪馬台国の時代の倭国大乱は
帥升などの九州政権が畿内邪馬台国に併呑される流れを描いてるんだよあほ >>451
九州王朝の存在を消したかったんじゃないの?
天皇家の血筋をより一層神格化させるために
天皇家のご先祖様は江南から来た難民ですなんて言えないしな
まぁ、天皇記にはそんな事は書いてないだろうけど、日本国を制定して新体制になったと同時に旧体制の記録をなんとしても消したかったのは間違いない >>471
なぜ唐津佐世保が肥前かって疑問があるな。
筑紫でも良い気がするが 文字がないほうが文字のあるほうを遠隔操作してたとかありうるかよ
そんな謎の中央集権論
それより狗奴国は名古屋は投げっぱなしだしさ
アホバカとかでマウント取りしかしてねえ
クズ化ひでえな >>472
古代史詳しい人ならみんな知ってる。
だいたい神功が拠点にしたのは田川のあたりだと確定してるし >>465
取り敢えず諡号に神がついてたら創始者ですな(以前とは系列が変わったと) >>455
でも、伝説の中での畿内の神功皇后は「薄い」んだよね。
ところが九州では実に生き生きしている。
馬で川を渡っている時、鞍に跳び上がった魚に名をを付けたり、
船が干潮で止まったら悪態をついたり、天真爛漫に楽しそうだ。 古代エジプト王国(邪馬台国)、揚子江文明、夏王朝を作ったのは縄文人(シュメール人) 遠賀川流域は神功皇后に征伐された側。
遠賀川流域の石神勢力が住吉三神など九州北部の渡来人系勢力を征伐した報いだろう。 アマテラスは男性説もあるし。
女性で一番の人気は木花咲耶姫だしなー。 >>443
一つは奴国、伊都国の流れだろう。
筑後が筑紫になった敬意はその奴国、伊都国に併呑されたからだろう。
肥前の中心は島原、長崎等の熊本寄りのエリアで、佐世保、唐津はおまけだろう。 ただでさえややこしいわけだから専門家が認める専門家の対決を聞きたいね >>316
↑
ひたすら「安倍憎し」のネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がすごい勢いで暴れまくってるな。
日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。
●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm
. >>477
国内に対してもだけど対中国的に消したい歴史があったのかも
周辺で圧倒されてる民族繋がりだったり
中国の前の政権の援助者だったりとか
あと少しでも長い歴史があって国が固まってるように見せないと舐められるとか 縄文人とエジプト人の足の短さはパナいらしいね。
DNA嘘つかない。 >>488
遠賀流域ははよから田川と同じ神功側の勢力だった筈だけど?
神功と対立したソースあるの? >>490
佐世保はおまけだってか、うったたくぞ! 木花散る姫もいるからな。
木花咲耶姫も何らかの意図を持った創作だろう。
天武の時代に作られた記紀。
天武系、磐余系の正当性を捏造するための創作の可能性が高い。 北九州が邪馬台国
近畿が日本。
この「日本」とは漢訳名で、元の語はナラ(後に奈良)。
ナラ(nar)とは、今でもモンゴル語で太陽のこと。
要するに近畿勢力は、北九州(倭人=元祖日本語話者)と別系統の半島経由?の入植者。
当時日本は、歴史的に倭人の影響力が強く日本語が広まったが、
近畿入植者は、その地名に、自らの言葉でナラと付けた。 >>497
肥前の肥えるは筑紫平野と火の国だろう
唐津、佐世保はいずれも値しない >>478
福岡と佐賀の境い目で平坦なところは筑紫野あたりの一部だけで、他は完全に脊振山系で分断されてるから分かれたと思われます 難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
神功皇后応神系は、敦賀〜伊吹山に逃げ延びて冬(大和朝廷の時代)を耐え忍んだのだろう。 >>496
俺はそこが気になっている。
豊前jから宗像に「かけては早くからヤマト勢力に取り込まれた
ところだけど(たとえば石塚山古墳)、逆に神功皇后が反ヤマト政権
だたtんじゃないかと。
たとえば神功が三韓征伐に行くルートは、ヤマト政権御用達の宗像ではなく、
魏志倭人伝と同じ末盧経由だよね。 流石に神功皇后の伝承が全て現実のように思うのは
各地の行者や聖人伝説を信じるような感じだな
所縁の何かはあったかも知れないけど 神功皇后応神が反大和朝廷なのは明らか。
忍熊皇子など大和朝廷の勢力を次々に倒していくからな。
考古学的にも、4世紀後半以降畿内の勢力図は一変する。 >>506
筑前夜須は神功が成敗した隈鷹白鷲だし
仲哀が熊襲に討たれたのは小郡だぞ
御笠川は南に戦闘の向かう時に御笠が宙に舞うという伝説から
飯塚の大分で安堵したと言われてるし >>1
大阪府の百舌鳥古市古墳群なんかと違って
あの場所に前方後円墳を築く理由が薄いんだよな
海から来る海外の使節に見せつけられる場所でもないし
敢えて言えば奴国と宗像と宇佐神宮の中間点付近という程度 >>507
そこは単に距離の問題だから、ファンダメンタルな立場も当然ある
俺はそのへんは大丈夫だけど。
たぶん大丈夫だと思う。
大丈夫なんじゃないかな。
まちょと覚悟はしておけ。 田川も行った事無いくせに。何か不思議な空気が漂ってるぞ。 >>477
そうですね。とりあえず天皇記・国記を後世に残さないことが目的です >>509
神功は畿内出身で九州征伐に向かった一行だけど
九州に土着化しそうになって畿内に引き戻された一派だよ。 神功皇后は多分にキャラ設定がされてると思う
竹内宿禰もだが >>485
そりゃ完全にあんたの個人的感想、畿内でも逸話なら普通に有るだろ。 >>99
それ自分のことでしょ
彼は(彼女かもしれんが)韓伝も見てるよ 文字がない時代だと足利尊氏と源頼朝は習合されてたな ヤマトタケルは八幡と鞍手に伝説がある。
香月ってところにヤマトタケルの伝説があるよ。 >>515
もちろん繰り返すことが前提だよ。
そして、この手の韻文は繰り返すことを前提に創作される。
>>520
うふふ。 すごくカルトっぽい集まりだけど
卑弥呼九州説は正しいよ たいそう高いってなんだよww
どのくらいの可能性なのか
根拠はなんなのかちゃんと言えよww 田川って昔ナベツネが言ってた集落丸ごと代々泥棒稼業のところだろ >>471
なるほど。
当初、福岡佐賀長崎熊本が「肥の国」で、その後「筑紫国」が勃興して肥前肥後が分断されたのでは?
と勘ぐってましたw 俺の説を批判的にみるなら
卑弥呼が大和朝廷側の人物であったにも関わらず
対外的に重要人物だったにも関わらず、記紀では扱いが無い事だ。
これに対する答えはいまのところ無い! >>500つづき
3世紀、女王卑弥呼を頂く邪馬台(やまと)国が倭人の盟主だった。
4世紀、東アジア激動の最中、近畿のナラ(日本)が、邪馬台国を
滅ぼし、和人盟主の座を奪取。
邪馬台国の権威を引き継ぐために、国名を大和(やまと)に変え、
邪馬台国の卑弥呼を天照に祭り上げ東遷神話を作り出した。 >>508
遮光器土偶は無脳児土偶ですよ(検索は自己責任ですよ >>121
横だが
わしは最近レヴィ=ブリュルの『未開社会の思惟』を読んだ だから守人の一族である筑豊民は外敵に対してあそこまで過剰な威嚇をするのか 九州は南北朝時代に邪馬台国と狗奴国闘争が再燃した訳よ
ただ当時は北朝も藤原(少弐)、南朝も藤原(菊地)でしたが 神功って九州征伐より半島征伐しろよと
わざわざ言いに来た設定じゃなかったか? >>524
婆さんは筑前の人間だから
筑後エリアで神功が地元民と敵対してたの知らないんだろう。 >>477今ならばらしても良さそうなのにな
100年後に日本は1000年前から中国の一部でしたになる前にw じゃあ何で仲哀を諌めるような占いすんだよ
神功は盛りすぎだわ 海幸彦山幸彦。色々伝承があるが例えば、
潮嶽神社
ヒコホホデミノミコト(山幸)に追われたホデリノミコト(海幸)がこの地にたどり着き、居を構えたと伝えらています。
神話、海幸彦、山幸彦では山幸彦の影に隠れ、山幸彦ほど有名ではありませんが、海幸彦は隼人(南九州に居住する氏族)の祖といわれております。
隼人の祖は海幸彦。
海幸彦と山幸彦は対立していた。
海幸彦は内陸へ追いやられたとある。
山幸彦系磐余系の天武の時代に隼人が乱を起こしたのは当然と言える。 >>529
それで合ってるけどね
筑紫は古代九州の総称、古事記で九州を筑紫 豊(とよ)肥(ひ)熊曾(くまそ)の4国に分けたように後の筑前国,筑後国(現福岡県)を中心とする北九州を指す場合もある
古代 >>193
卑弥呼は当て字なら
そっちはさかしらってやつ ぶっちゃけ、卑弥呼って魏志倭人伝に書いていた以上の価値ってあんのかね?
只の1部族の女王でしかないような気がしてしょうがないのだが 卑弥呼が田川じゃ全国民ががっかりするだろ!
大和、京都、伊勢とかにしろよ 武内宿禰が隼人だろ?
神功と武内宿禰とか一族の代表ネームで
その間に生まれたのが応神なんじゃないの? >>547
おそらくそうだと思うよ。
でも当時、宗教大改革があったのだと思う。
吉野ケ里は鳥トーテムなので卑弥呼側の勢力だったと思う。
周囲を囲ってたと言われるし、田道間守っていうのも畿内から派遣されてるし 北部九州では魏志倭人伝の時代
壮絶なサヨクウヨク論争があってどっちに付くかの闘争があった。
結果として卑弥呼側が勝つ訳だけど そういや卑弥呼サマーの奴消えたな
どうでもいいけど >>547
3世紀当時、「邪馬台国」が倭人の盟主の座にあったらしい、ということ。
4世紀?、近畿のナラ(=太陽の意、漢名「日本」)に滅ぼされ(?)た後、
その権威は神格化され、天照大御神となったようだな。 今、あなたは、筑紫の香椎の宮にいます。
目の前には、仲哀天皇(夫)、神功皇后(妻)、建内宿禰の三人がいます
これから、神がかりの儀式を行うところで、部屋は真っ暗にしました
神が神功皇后に乗り移ります。
このとき、仲哀天皇は熊襲を討ちたいと思っていました
そこで、神の言葉を乞い求めました。
神が神功皇后に乗り移って言った言葉は、
海を渡った西のところに魅力的な国がある。九州南部の国じゃなくて、海外の国に行きなさい
それに対して、天皇は答えます。
高いところに登ってみましたが、陸地なんて見えないですよ?海が広がっているだけです
天皇は、「嘘つきな神だ」と思って、手元にあった琴を押し退けて黙っていました。
すると、神(神功皇后)はかなり怒って恐ろしいことを言います。
「すべてのこの国はお前の治めるべき国ではない。死ね。」
慌てる建内宿禰が
天皇に「琴を弾いてください。」とお願いします。
天皇はしぶしぶ、いい加減に琴を弾きました。
間もなくすると、琴の音が聞こえなくなりました。
真っ暗な部屋に火をともしてみると、天皇は亡くなっていました。
コトの一部始終は以上です。
登場人物は三人です。
仲哀天皇(夫)―死亡
神功皇后(妻)
建内宿禰(天皇に仕える人)
犯人は誰だと考えるのが妥当なんでしょうか? >>539
ぶっちゃけ知らんし、知ったとしても態度を変えるつもりはない。
筑後なんかは可愛いもので、新羅での神功の嫌われっぷりは、
まさに蛇蝎扱いだw でも、俺らは彼女の事跡を語ってあげないといけない。
それが身重の皇后を駕籠に乗せて担いで運んだ地元民の末裔の義務なのだ。 蜀の滅亡時の戸数が28万だっけ。
邪馬台国7万戸余は1/4と考えるといっぱしの人口のある国だよね。他に小国29と対立する狗奴国があると考えると、面積比的に北九州に収まるのかな。
まぁ司馬氏ヨイショのための誇張もあるだろうが。 >>559
今は同じ福岡県民だけど
南北朝時代、邪馬台国時代、神功時代と
血なまぐさい戦争した間柄だもんなー >>553
とても参考になります。Thank You 松田聖子は福岡出身
なんかあるで巫女シャーマン的なのw 魏志倭人伝を噛み砕くな
「鉄のやじり」を使ったと記述してんだから、
鉄のやじりが出土せにゃ証拠にならんだろう
鉄の剣ではw卑弥呼のゆるキャラ作るのまだまだ先よ >>568
蒲池さんは清和源氏かなんかで北朝だろう 松田聖子の本名って蒲池法子だけど
これ古代だとノリピーと混同されたな
ビシっと言うたよw 日本の古代史などどうとでも言える話に夢中になるのは時間の無駄ですし不幸な人生だと思うんですよね(;^_^A・・・
余程、退屈な人生を過ごしていない限りそうはならないと思うのです。
by かもめ党(鼎 梯仁・・・σ原理開祖) 卑弥呼の時代、田川近辺に畿内大和朝廷の一大拠点があったんだよ。
それのモニメントが宇佐神宮。
畿内大和朝廷は筑前の大部分を治めて、一大率を伊都に置いたと魏志倭人伝にあるだろう。
そのままだ。 >>311
必死だねえ
>>387
断言ばかりしてたのは畿内特に箸墓論者
>>410
隋書は
阿蘇山があるとは言ってるが
奈良だとは言っていないな >>569
蒲池武久★南朝 松浦党蒲池氏。多々良浜の戦いで討ち死に。
蒲池久憲★北朝 宇都宮貞泰の子。蒲池武久娘と結婚、蒲池家を継ぐ後蒲池家の初代当主
蒲池義久★北朝 蒲池久憲の子。後蒲池家の第2代当主
うーん。どちらだろう 何かに夢中になれるのは
幸せの否決ニダ!
ウリは反日に夢中ニダ!
<*`∀´> 伊都に置いた一大率は鎮西探題とか天領とかっていうものと同じよ。
一大率により奴国は貿易の拠点を絶たれ完全に畿内ヤマトに従属する事になる。 魏志倭人伝の最大の出来事は卑弥呼以上に
一大率だという事、これにより筑前が畿内ヤマトに併呑された歴史の大きな転換点。 >>524
いくら作ったときは繰り返すつもりで作ったって
後の時代の人が受け継がなければ仕方ない
今の俺たち、教育勅語なんて暗唱してないだろ 卑弥呼はウチの庭で遊んでいる
明日になったら帰るだろう
心配するな 一大率を置いた伊都国が邪馬台国な訳が無いだろうという事 大和朝廷と対立していた筑後が邪馬台国な訳が無いだろうという事。 福智町には、城山横穴群「222基」があり、この古墳タイプは、北九州発祥といわれ、その後8〜9世紀まで東北まで拡がった。魏志倭人伝には、鉄製がでてくるが、この横穴古墳は、製鉄するための横穴とみている。城山横穴群には、鉄刀片もでている。 はっきり言おう。
歴史や伝統に熱中するなど負け犬の人生であり、ロマンなどありはしない。と。
如何でしょうか(;^_^A?
by かもめ党(鼎 梯仁) >>545
>>553
ご返答ありがとうございます。
とても参考になります。
トンデモ論がない議論は、歴史板では見れないのでw >>560
補足だが、投馬国5万戸、奴国2万戸とあるみたいだね。狗奴国は記載ないようだが。
当時の戸数の統計の正確性は当てにならないが、魏王朝としては、邪馬台国連合を蜀の半分くらいの勢力と扱っていたのかね。王号を与えるのも分かるような気がする。
ちなみに馬韓が55国で10万戸、弁韓辰韓が合わせて24国くらいで4、5万戸と書かれているらしい。
邪馬台国が1国で7万戸なのはかなりの強国扱いだな。 >>301
アベシは乱を起こし壊滅させられ、安陪を名乗るのが憚れて中央程、姓を変えている
ところでヨタのレクサスは羽田織部のエンブレムをまんまそれグリルに
ヨタの大口開けたフロントフェイスの印象は甲冑の面当ての様だ http://mononobe.webcrow.jp/kujihongi/tenjin/tousen.html
ただ物部は出雲ではなく北九州発祥ぽいよな。
だが物部は銅鐸(鈴)祭祀の中心人物。
そして物部の子孫(スズキ)が一番広がったのは東日本、浜松という不思議 またまた質問です。
磐井の最後が八女だったと言うのは偶然なのか、もともと八女が筑紫の中枢だったのか?
志賀島の阿曇族の唄が、君が代の原型になっているのは何故か?
博識の皆さまご教授ください。 >>571
じゃあヨーコ・オノはどういうことか理解できるか?斧を振り回す一族の末裔なんだが >>591
貴様のなんたらスパイラル
あれは両界曼荼羅の技法を只猿真似したにすぎん
どうせやるなら、曼陀羅図(ダイアグラム)の本質をなぞって理解すべし >>593
倭人伝を信用するなら絶対その戸数で九州に収まる訳がないんだよ。
海人だと基本的に海や河川、湖沿いに住むだろうからな。 嘘はっ百と罵られてるホツマツタヱでもさらっと読んでくるとつじつまが合ったりなかったり
俺の見解では、口伝・伝承に詰まった一族が
でええい、文章化してしまへってんで、あることないこと嘘も交えながら江戸期に書き起こしてしまったんだろうな ちなみに、本宮ひろしが今連載してるあの漫画は、ホツマツタヱのパロディだなw >>596
蘇我氏の先祖は海人族の安曇氏
天皇という言い方が定着したのは700年前後です。
「君」はもっと古い時代に九州島に九州倭国という政治集団があった時の、最高指導者の称号です。
例えば、筑紫君磐井とか、筑紫君薩野馬(天武)というように九州倭国の王者の呼び名
九州倭国王筑紫君磐井が大和政権に抵抗したのではなく、継体ー大伴が、当時の本国(九州)に対して反乱を起こした事件だと思う >>604
出雲族の大神とかと北九州に居た物部との関係ってどうなんでしょう?
畿内で融合して行ったんでしょうか? 藤原の子孫も物部の子孫も今東日本に一番多いって皮肉だな。 本州と九州の勢力が別と見做すと、
本州側から考えるとそれまで大陸とのツ(港)は出雲であったが
なんか九州も取り込めたのでつくしんぼーのが都合がよいなとなる
地名も関西風に置き換えておくと捗るなとw http://kitabatake.world.coocan.jp/tennouichiran.html
出雲が本州全体を治めて居たのだろう。
九州は帥升が治めていた。
僻地の大分の物部と藤原が勃興してきて畿内で勢力持ったんだろう。
九州のはその他にも出雲系とも仲良しの宗像とか安曇とかが居たんで
こいつらも本州一体に広がった。
でも畿内で勢力持った天皇一族は出雲族との融合を図った。 邪馬台国はさておき、
福永さんの万葉集解説は
どの説よりも納得したよ。
あぁ、これがますらおって意味か、と。
畿内じゃ、全くつまらなくて、ガッコじゃ、
意味のないことを無理やり、暗記させられていたんだなっと。 クシミカタマはサキタマから出て亡くなったらワニヒコになっちゃった それはむずかしいでしょう
ロマンチックな話はないですねえ 北朝鮮人と日本人の顔が凄い似てるから日本人は北朝鮮系の人が多い
おそらく出雲系も天孫系も北朝鮮系 >>609
わかるわ〜万葉集の解釈にグーンと深みが増すのは確か 「方城町(ほうじょうまち)は、福岡県の中央部に位置し、田川郡に属していた町。
2006年3月6日、金田町・赤池町と合併(新設合併)し、福智町(ふくちまち)となり、自治体としての方城町は消滅した。」
こういうことすると地名からの印象が消え失せて困るな 佐藤、鈴木 ニホン古代史の末裔が北海道の先端まで広がってるわけだから凄いな >>620
北海道はどうでもいいが、お前のその感動が逆の意味まんまだよ このセンセの話、普通に面白いよな
つべに動画結構ある。
國學院大學中国文学科卒だそう 律令国家の成立などと勝手に区分けしてるが、
もっと古くから国体の体として、お使い(をしか)を各地に送り出してる現実 あまりにぴょんぴょんと嘘を書き連ねるとわにさんにがぶりとされて身ぐるみはがれるぞ?w >>622
福岡出身らしいな
大学はいまいちだけど
高校どこなんだろう? ニワカの痴呆者である毛唐の西から東へ文化が伝わるって印象の大間違いを
しれーっと洗脳された状態のまま太古の話に当てはめることなかれ じゃあダメリカはどうだ?って云うと、ほれみたことか
東から西へ移動したのだw
では、アメリカの過去はどうよ?
むしろアジアンこそが西から東にかつて移動したがループバックしてるわけだよ 著名な先生のようなので田川を掘ってほしい気がする。 >>524あなたは何者?学者さん?
めちゃくちゃ多岐にくわしいね
しかも女性の感じ?するし 東京になご居っても福岡弁なんやね。
鞍手って北九州弁に近いって思いよっったけど
結構筑前弁なんやね。 こういうやつが偽金印つくるぞ 邪馬台国の金印でたーって言い出すぞ 騙されるなよ >>550
むしろ逆で埋葬品があるから頂戴しちゃったんじゃね >>639
台与=トヨ=豊 つまり大分あたり(豊前豊後の総称)
筑豊は筑前と豊前の境界あたり? 今までよく騙してこれたな乗っ取りヤマト王権は
畿内が日本の中心のように嘘吐いてきたけど
物証と中国の書は消せなかったな 竹田恒泰によると霧島は天孫降臨の日本の最も重要な要らしい
2011年の噴火の時と同じ悪いものを感じているとか
日本国が安泰である事をを祈ります >>646
物証なんか、何も出ていないが、頭は大丈夫か? >>648
魏志倭人伝でしか照明のしようがないのよ
物証でしょ ピコーン!日本が畿内から始まったことにしちゃえ
九州神話はウリナラの先祖ニダ 疫病になって今は孤島で埋葬されてるよ
香港から船でいけるけど
帰り道が大変 故人になったとんでも内藤の東と西を間違えた論説は通用しない 都合が悪いから、「絶対通用させたくない」の間違いだろw 福岡筑豊田川は世紀末リーダー伝たけしにでてくる和田ドロップ町のモデルになった本気で恐ろしい場所。
一般人が暮らしていける土地ではない。 田川の観光協会に呼ばれて
適当に後援したんだろ
っていうか、田川にも文化施設があって
そういうのを楽しむ人達が居るって初めて知った 姫ミー子を中国人が聞くと卑弥呼なんだろ、ミー子で猫だな。 曹操の墓の面積が380u(10m×38m)だから
直径150mの円形の卑弥呼の墓は曹操よりもはるかに規模が大きい事に
魏の使者もそれを見て驚いただろうな >>1 倭人伝の著者が日本に行ったという証拠が無いんだよな、事実に基づいてかかれてるなら日本で書かれた書物にも卑弥呼についての記述があるはずなのに何故か日本で卑弥呼という名前が出てくるのはかなり後の話
朝鮮人が想像で書いた日本の歴史が日本に持ち込まれ日本人が信じたという歴史 >>668
天智天皇が蘇我氏を焼き討ちしたときに燃えちゃったのだろう 魏志倭人伝に書かれてるのは近畿勢に押されて慌てて全財産を集めて中国に後ろ盾を依頼した九州の雑魚精力 筑豊地方の古墳せき室内の壁画って特徴的だよね
船の壁画とか 九州の縄文卑弥呼倭国が滅んで奈良に弥生渡来大和国ができたと見てよさそうだな >>669
本家は断絶したけど
傍流は残ってるし、焼き討ち側にも居るよ
何か1か0しか考えないバカが居るけど >>673
蘇我本家の重要資料が焼き討ちで燃えちゃったのは事実だよ 太陽信仰がある都市を形成する場合南側がひらけたとこに作るよな。当時の有明海の海岸線からして鳥栖市とか久留米とかが妥当じゃないかと。 >>665
仁徳陵他、巨大な古墳は国際的に見栄張るために海岸線から見える位置に作った
7世紀に鉄の国産化に成功して朝鮮半島の鉄が必要なくなる
天皇制を発明して中華皇帝の権威が必要なくなる
白村江で負けて、もうどうでもいいやってことになる >>547
大乱続きの国で道教的天体との擬人化を用いて秩序を作り出した権力者としては優れた人物だったんじゃね。外交も達者だったし >>665
仁徳陵他、巨大な古墳は国際的に見栄張るために海岸線から見える位置に作った
7世紀に鉄の国産化に成功して朝鮮半島の鉄が必要なくなる
天皇制を発明して中華皇帝の権威が必要なくなる
国内統一にほぼ成功して大規模な土木工事も完了
白村江で負けて、もうどうでもいいやってことになって古墳作るのやめる 田川ってヤバい場所じゃなかったっけ?
普通に銃がコンビニ辺りに売ってて子供が使ってるってばっちゃんから聞いたことあるけど >>670
九州の勢力が外国の助けを求めたとなると南北朝時代の懐良新皇とか大友宗麟みたいな感じかな?
聖徳太子の国書の感じからすると大和朝廷は中国と張り合おうとする意識が強いから案外狗奴国の方が天皇の祖先だったかも >>667
弥生時代が始まった地域だからな
当時は他より進んでても当然 宗像が松浦だったというのはもしやとは思うんだが
その後、伊都、奴国が直方とか飯塚とかそこ辺がどうも強引。
でも邪馬台国が田川ってのは同意するんだよな。。 奴国ってのは九州最大の古代都市国家で春日市近辺で間違いない筈
奴国が飯塚ってのはありえないんだよな。 >>683
魏志倭人伝では邪馬台国の南と書かれ
隋書倭国伝では邪馬台国の東と書かれてる
また唐書では倭国伝・日本伝と分けて書かれて
日本が倭国を併合したとある
九州南部にあった狗奴国が大和に移り
後に九州北・中部の倭国を併合したと考えると
中国の史書にも記紀にも合うように思う 狗奴国の東征で畿内ヤマト
これには孫呉の2万の大軍が協力した そして日本の王になるべき人物が田川に誕生していることを誰も知らない >>694
伊勢神宮は熊本、八代からの移築
ベニバナは和名、呉藍、呉だよ >>689
唐書ヤバいな
せっかく書き換えたのにバレてるじゃん
>>691
むしろ各地の個性的な土器が奈良〜平安時代にそこまで差が無くなってくだろ
祭祀だって延喜式で統一されるし
唐書が書かれたのは記紀から100年後ぐらいか
記紀成立で国家が固まったんだろう >>696
「考古学の証拠」をお願いします
それらは考古学の範疇ではありません
それと、両社が移築されたことを示す確たる証拠または論文をお願いします >>665
つまり、150メートルはありえないということね 1600年前に使用された製鉄炉跡が、太宰府にある。その製鉄技術は、山の中腹に横穴を作るタイプ。その当時、田川にて、製鉄技術があるとしたら、遠賀川の川床に、砂鉄がとれ、津屋崎までいけば、砂鉄砂浜。遠賀川の水。福智山山系の豊かな薪の燃料。城山横穴群の横穴。など 明確な史料が残ってないんだから、言ったもの勝ちだよな? 親魏倭王の印綬が出てくるまで続きそう
ただ出てくると各地の邪馬台国ビジネスが 田川とか当然のように言われてもどこだか分からんわ
まずは何県のどの辺にあるのかを記事の最初一行目に書けよ
まともな記者なら広さや簡単な概要まで書くだろ
田川市の県立大?なんだそりゃ
ただでさえ分かりにくいのになんで学校名まで伏せるんだよ
田川市立県立大学とかいう名前なのか?
情報を伝えるセンスが皆無だな
死ねばいいのに
朝っぱらからイライラさせんなクソボケ死ね >>678
書いたの蘇我氏だろ
普通に蘇我滅亡時でいいだろ
そして甘樫丘に本当に焼けた蘇我入鹿の館跡らしいのが出た >>699
考古学者の論文とか捏造、隠蔽だらけなんですよ
伊勢神宮や奈良の法隆寺の移築とかタブーなんですね
考古学者、歴史学者の仕事は時の権力者に都合のいいように改竄、隠蔽することです
ベニバナ(呉藍)の花粉は纏向からでたんだろ >>668
後世の人が過去の情報を元に書くもんだから著者が行ってないのは当たり前 >>678
別に一族全て滅んだ訳じゃないし
本家が断絶したけど
傍流は、滅ぼした側にも居る
何でこう老人はバカなんだろ? >>679
安倍晋三よりは卑弥呼の方が外交センスがあったのは確か 滅んだのは九州王家 倭国
皆殺しになって滅んだふりして
逃げたのが大化の改新
大和 ヤマトのフリしたのが天武天皇 >>686
奴国はなんで倭国の都になれなかったんだろうな >>710
もうすぐ纒向から硯が出るはず
ゴッドハンドいるらしいから >>710
考古学と、言語学、古建築学の区別もつかない程度の人間が
都合が悪くなると、まったく知りもしないくせに考古学や歴史学の批判ですか?
君は嘘しかつけない、つくづく情けない人間だな 卑弥呼は中国との位置関係上、九州で間違いないだろうけど、九州のどこかが分からなあー 司馬懿が(帯方郡を押さえていた)遼東の公孫淵を滅ぼす直前の
238年6月に、卑弥呼は魏に使者を送ってる
機を見るに敏だったのは間違いないだろな トンデモが幅を利かせるUFOレベルの分野なんかな? 卑弥呼と聖徳太子は400年離れてる
ごっちゃにしない方がいい 卑弥呼の墓はもう平原遺跡で確定してるよ
鏡の数、三種の神器が揃ってる埋葬状況、立地条件
全てが卑弥呼の墓だと証明してる >>726
あなたは邪馬台国はどこにあったと思いますか?
答えられないなら歴史を語る資格などありませんよ >>731
桃の種である程度の時代を特定できる
でも特定すると纏向遺跡が3世紀ではないとバレるからやらない
今上天皇が奈良を視察された際に「この種は分析したのですか?」と問いかけたため
説明してた考古学者は捏造が天皇陛下に見破られたと顔面蒼白になった 卑弥呼か? あいつなら仁徳天皇陵に一緒に入れられているぞ >>739
桃園跡見つけてから言ってくれという話でもあるな
明仁さんは高卒だが研究もしてるから鋭い >>733
割りとは不要ですよ
私の過去レスを読んで遠慮なく質問どうぞ 平原遺跡は卑弥呼の墓にするには、時代が少し古いのが残念
卑弥呼が女王になったと思われる2世紀末〜3世紀頭あたりの遺跡では、と言われてる
ただ、時代比定は科学的というよりも、出てきた鏡やらで判断してるから
何かの発見があれば時代が下る事もあるかも
出てきた鏡には、八咫鏡と言ってもいい大型内行花文鏡や、国内唯一と言われる
女性用の耳飾りが出てたりするから、規模を別にすれば卑弥呼の墓でもおかしくないけど 八女津媛神社辺りは、如何にも菊池との戦いの前線基地っぽくていい。
菊池との戦争中に死んだ後、どこに墓を作ったかは別の話だろう。 >>678
聖徳太子って架空で、あれぜんぶ蘇我馬子の業績じゃん 矢部川を挟んで邪馬台国と狗奴国が激しく戦っていたんでしょうね >>745
墓自体は生きてる頃から造営するだろうし鏡は卑弥呼の在位が180年頃から
日食のあった247年頃と考えるとある程度幅を持った年代の物が出ても不思議はない
前漢鏡が古墳時代の墓から出ることもあるわけだし
平原がヤマトの源流であることは間違いなく発見された舶来鏡の一部が魏の皇帝から下賜された
銅鏡100枚の一部と考えて差し支えないと思う 万世一系に異議をもつと不敬罪で刑務所に入るので
インチキ礼賛学問だった
不敬罪作ったのが長州朝鮮人伊藤博文 まぁ平原遺跡が卑弥呼と特定できないという指摘は適正ではあるが
考古学は今判明してる文献や遺跡で判断せざるを得ないわけで
現状では平原遺跡が最有力というのは妥当 聖徳太子と言えば、隋書倭国伝の記述が興味深い。
俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌
聖徳太子
アマタリシヒコアハ君
阿輩は、阿波、淡、嗚呼、烏かな。
アマタラシヒコ烏君
聖徳太子は初代天皇だろうな。
四天王寺は元々天皇寺と呼ばれていたらしいし。 >>745
卑弥呼の前にもそんな権威者が誰かいたのか
台与という少女の前に卑弥呼1号機
卑弥呼2号機と居たのかもしれないな
大乱はその前か もし平原だとすると
魏志倭人伝の文章はいったい何をどう切り貼りしたら
ああいう文章になったのか 聖徳太子&中臣&天智派
vs蘇我氏&天武派(鴨&磐余系) >>706
修羅の国ぐらい知っておかないと寿命を縮めるぞ 多分高度経済成長期に掘り返されてしまっていると思う >>746
なるほど、八女津媛=ヤマト媛=卑弥呼だな 狗奴国vs邪馬台国
卑弥弓呼vs卑弥呼
ミミ無しvsミミ
同じ構図の争いが600年間繰り返されたんだな。
中大兄皇子の歌
「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」
原文「高山波雲根火雄男志等耳梨與相諍競伎神代従如此尓有良之古昔母然尓有許曽虚蝉毛嬬乎相挌良思吉」 >>752
卑弥呼以外も九州以外も気になるね
記録に残っていなくてもそれに匹敵する政治を行っていた他国は
どこでどんなものだろうと イト国凄いじゃん
倭国本土の玄関グチだけのことはある >>754
まだ発見されてない弥生遺跡も多いと思うし
邪馬台国は他国の歴史書に残ってるから象徴的だけど
あまたある列島の小国のうちのひとまとまりでしょ >>750
卑弥呼は後漢書からすると、190年以降に即位した(倭が乱れていたのは桓・霊の間で、140年代から189年なので)と考えてる
平原遺跡は上にも挙げたように卑弥呼の墓と考えてもいい条件はあると思う
他の古墳にはまず見られない、殉死者があったと思われる跡もあるし(倭人伝に殉死者の存在が記載されてる)
ただ、明確な年代比定が難しいのと、親魏倭王印みたいな決定的な証拠が無い事
伊都国は邪馬台国と別であり、結構離れた位置にありそうな事
その辺りもあるから、確定は難しい気はする
ただ調べたら、再発掘で2号墳から出た土器が三世紀初頭から中頃という事らしいので
卑弥呼の墓の可能性は若干上がったかも >>756
卑弥呼は邪馬台国連合の豪族たちが共立した人物
これは魏志倭人伝に書いてある
卑弥呼は倭国大乱で邪馬台国内の有力豪族同士が争っていたのを収めるために
豪族同士の話し合いで共立した人物なので平原のある伊都国から邪馬台国の王都に召し出されて
無くなった後は実家の伊都国で葬られたという可能性も十分にある サルタヒコの遺言。倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立、阿波咋
国底立神。
国常立神、天香山の山頂に祀られている神。 鬼門に封じ込まれた神。
天岩戸の向こう側に追いやられた神。
&阿波咋。 >>759
九州とか平地なら豪雨と氾濫で形が無くなった古墳とかかなりあるようだし
稲作に適した地域だけに >>748
矢部川なんて小さい川やろあんなの境界線にならん >>763
岡山はもっと注目されていいと思う
でも素材が少ない
九州より風水害が少ないし漁も安全だし防衛上も良い場所だ >>763
当時の倭国内でも
邪馬台国
狗奴国 九州南部?
出雲
吉備
大和
尾張
のような豪族連合があったのは間違いないね
ただ魏志倭人伝に出てくる鉄器や絹を持った豪族連合は北部九州を抑えていた邪馬台国連合だろうなと言う話で
あくまで魏志倭人伝の邪馬台国がどこかと言われれば北部九州だけど
だからと言って他の豪族連合が無意味なわけでは全くない
問題は邪馬台国と煽らないとこの時代の遺跡の調査発掘研究に予算が付かないシステム
だから明らかに4世紀の纏向遺跡を平気で3世紀末などと捏造する輩が出てくる
旧石器ゴッドハンドと同じことが現在進行形で起きてる 安倍チョンよりバカでクズの天皇いたら
どんな歴史を偽造するかわからない
のでバカらしい >>9
キリスト教より前のギリシャ文明みたいなもんだからだろ 鳥居神社文化より前の弥生人 2点提供する
@奈良の語源
ナラ(nar)とは、モンゴル語で太陽の意味だと!
A日本とは
新唐書(『唐書』)、旧唐書(『舊唐書』)に「倭という名称をきらって日本へ改称した」という
内容の記述が残されている。また、両書には「元々小国だった日本が倭国を併合した」
という内容の記述もあり・・・ from 倭国@wikipedia
この二点を考えると、ナラに居たのは、半島から列島に入った日本語話者「倭人」とは別の、
モンゴル系の入植集団で、自分らの言葉で太陽の国ナラという地名をつけた。漢訳が日本。
最終的に、北部九州の邪馬台国をナラが飲み込んだ、と考えられるかな。 個人的には倭国王スイショウが誰かの方が興味あるけどな まぁ倭人伝以前の資料が殆どないのが、日本の歴史の謎を深めてしまってる原因だよな…
どっちにしても邪馬台国以前にも歴史があったのは確かだろうし、
何か解るきっかけがあればいいね。 >>738
考古学者を誹謗中傷し、歴史学者を批判しておいて、語る資格がない? 自分にはあると?
歴史学は、君のようなど素人ではなく、歴史関係の各学者、研究者たちによって構築されてきたものだよ?
それにしても言葉が薄っぺらいねぇ(呆)、人としての厚みがない
真摯に一から勉強をして、出直してきなさいよ >>779
纏向の発掘調査に必要な予算が付かなくなるから
桜井市の橋本さんだったと思うが発掘責任者してた人も
最初は「安易に卑弥呼と結び付けるのはどうか」と慎重姿勢だったけど
最近は政治的な感覚も身に付けたらしく平気で邪馬台国だと煽ってるね >>781
縄文時代に東北の山から切り出された黒曜石(ヤジりに最適の石)が
遠くシベリアで発見されてるくらいだから大昔から日本列島と大陸の交流は盛んだったんだろうね
残念ながら記録に残るのは当時のアジアだと中華帝国に朝貢した場合に記されるのみで
奴国が金印貰ったのが最初になるけど
それ以前の春秋戦国時代から大陸との交流はあっただろうね >>782
だからー邪馬台国はどこにあったの?
恥かしくて答えられないのかなw
あんたは素直な気持ちで歴史から学びましょうね(いいかいトンデモ畿内厨くんwww 畿内勢力が九州に入ってきた象徴と思われる前方後円墳の時代比定をどうするかで
色々変わりそう
九州のあちこちにある、初期の前方円墳を三世紀末あたりに比定すれば
卑弥呼の後に畿内勢力が入ってきて九州を押さえた、て事になるだろうし
畿内の土器である庄内式も年代が下がるにつれて九州を席巻するけど
これの時代比定によっても色々変わりそう
個人的には、卑弥呼は九州内の連合国家の長で、その後を継いだ台与あたりの時代に
畿内勢力によって滅ぼされた、て見るのがいいかな、という気もするが
神功皇后が九州の女酋長を滅ぼした(田油津媛)なんて話もあるし
実際はどうだったのか。。 >>784
日本書紀には神武天皇は日向から東征したとはっきり書いてるw
九州で困る理由は何もない
むしろ天皇家は邪馬台国=ヤマトという立場すら取ってない >>779
九州は有力で欠かせないけど
他にも有力な国があったのが現実でそれそれ場所も政治もばっちりはわからない
魏志倭人伝や記紀ベースで物証を当てはめてしまうのが厳しい
まあ自分もやってるけどw
町おこし的にはどこも大いにやるのがいい そもそも三国志がソースとかギャグ
陳寿は蜀の家臣で西晋にも仕えたが曹叡とは面識もない
ちなみにマルコポーロの黄金の国ジパングは東北地方だからな 東方見聞録のジパングは、人は礼節があるが食人の風習あり、だからなあ。。 >>782
>歴史関係の各学者、研究者たちによって構築されてきたものだよ?
?wwwwwwww あいたたーーーーwww >>787
四道将軍ってのが崇神の頃に派遣されたことになってるけど
これは九州勢力の征伐が目的ではないんだよなぁ
あとはヤマトタケルの熊襲征伐か
でもこの時代の熊襲は今の九州南部だしなぁ >>784
ファンタジーはどうにでもなる
>>785
そうなんだよ
文字を持たない勢力もそれなりに活発だったんだろうなと
自分は縄文勢力も舟を駆使して他国と繋がった可能性もあると思うよ
鉄もあったり後年も大和人の刀より強い蕨手刀持ってたり独特で
ただ卑弥呼のような外交はしなかったとかさ >>771
大川市とか八女市からはなんも出てないんだよな
あの深く掘ればクサイとこ有りそうに思うが
あと朝鮮の歴史書によれば玉名市のあたりに玉名と似たような名前のクニがあったようだな 結局近畿説も北部九州説もって邪馬台国=ヤマト朝廷って認識がベースなんだよね
近畿説 邪馬台国がそのままヤマト朝廷になった
北部九州説 邪馬台国が東遷してヤマト朝廷になった
場所以外は大した問題ではない 食人の風習きたね
生口かな、まあベジタリアンは美味しいというしな >>792
その時代じゃないけど古代に東シナ海行き来してた海人は
途中の島のグルメにそこの地域の人間を上げてたりあるんでしょ
しゃれにならんけど >>788
だから九州に奈良ヤマトより立派な王国があったらまずいじゃん 邪馬台国九州説なんて5年くらい前に破綻しとるがな…
それとも研究名目で国から補助金でも出てるのか? >>157
コメント欄に地図が貼られてるけど
よく残ってたなこの地形
だいぶ削られてるけど >>787
北部九州の発掘調査報告書を読むと、北部九州に庄内式が入るのは、布留0式と同じくらいで、
このころに近畿的な周溝墓が作られるようになり、すこしおいて前方後円墳が作られるイメージがあるね
だから、現状では四世紀に入ってからじゃないかと思う >>794
西の四道将軍は吉備、出雲までだったっけ
崇神の二代後の日本書紀で九州征伐をやった景行天皇は、北九州から大分、宮崎、筑紫に抜ける感じだったか
古事記のヤマトタケルは熊襲征伐だけだけど
その後も仲哀天皇が九州征伐に来て、逆襲を食らって福岡市東の香椎で死んだり
嫁の神功皇后がリベンジしたり、色々畿内勢力がやってるね >>778つづき
三世紀の倭国大乱、女王”卑弥呼”(邪馬台(やまと)国)を、”倭国の王”に頂く
という妥協で収束。その後の平和で、国内経済が伸び、倭国の地理的中心地、
近畿ナラの力が増大していく。
4世紀の入る頃、高句麗が半島を大陸から遮断、華北が混乱、朝貢貿易が消失!
この東アジア情勢の激変で、日本や半島で地域の統一が進むのだが、日本では
朝貢(政治)・朝貢貿易(経済)に依存した邪馬台国が衰退、ナラと力関係が逆転!
ついには、ナラが倭国のリーダーとなり、大和朝廷の全国支配が確立していく。
そして、このナラ(太陽)の漢訳「日本」が、倭国の新たな国名になっていく。
(ちなみに、朝鮮語のナラが「国」の意味なのは、この概念の輸入。) パプアニューギニアの原住部族によれば一番美味しいのは日本人だとか
案内人が取材記者は日本人ですといったらよだれを垂らして日本人記者を見たとか >>794
ヤマトタケルが拠点構えたのは鞍手だよ。物部の居た場所。
川上健(熊襲健)は佐賀なんです。
南九州には行ってない。 >>796
本当に初期に勢力が芽生えてたとこは絶対に川が蛇行して氾濫する場所だったはずで
もしかしたら尾根とかに築かれた可能性もあるけど
もしかしたら平地に築かれた重要な古墳が古い時代に耕作地になっててもおかしくないので
今目に見えてる古墳は全てその中で残ったものだけだと思うので >>813
それがまずいんだよ君
邪馬台国はなかった魏志倭人伝は信用できない >>795
村、国程度の交流は昔からあったが
豪族連合みたいなある程度の大きさの国が中華帝国という冊封体制にすり寄り出したのが
奴国の朝貢なんだろうね
民間レベルの交流は物々交換の時代から盛んだっただろうけど
こうなると北部九州が地理的にも中華帝国へのアクセスは容易で中国の史書に名前が出るのも当然と言えば当然
国力的には邪馬台国と出雲や吉備に決定的な違いがあったとは思わない(墓制でいろんな地域の特徴が取り込まれた結果が前方後円墳
国力差が圧倒的なら自国の墓制を押し付けるはず)
倭国王スイショウが邪馬台国の100年以上前に奴隷100人以上を洛陽の皇帝に献上した話があるけど
今でも100人以上引き連れて洛陽まで行くなんて相当な大仕事なわけで
これができるのは大陸の情勢を常に情報収集してた北部九州の有力国だけだったろうね >>781
以前よりもその後の4世紀の情報がないのが痛い
おかげでヤマト政権が産まれた経緯がよくわからない 帥升だけはむず痒いな、何一つわからん。
でも確実に存在してるんだよな。2000年前に! そういう意味で九州では古墳より居住の遺跡を考えた方が真実に近づくかもと
ただ古墳はタイムカプセルだからワクワクはするけどさ >>804
破綻はしてない
3世紀の日本各地にあった大国の実相を知ろうというスタンスが大事
纒向はヤマト王権最初の発祥の地だろうなというのが有力になってるだけ >>805
そうよ
ただ最初は絶対九州〜本土日本海側だと思う
但し本当に邪馬台国のみが最初なのかとも思うし
外交努力が秀でていた古代勢力の最初の方のが邪馬台国だというのは確か 邪馬台国は存在しないからどこからも何も出てこないだけ。
卑弥呼がいたのは伊都国。これが一番簡潔 >>808
日向から北九州経由で東征してヤマトを建国した神武天皇の子孫が
その後また九州を征伐するというのが色々謎だよね
そもそも崇神は3世紀末から4世紀初めの人物とされており神武と同一人物との説も
東征した神武(崇神)が畿内の覇権を確立して周辺諸国を本格的に取り込もうとしたのが四道将軍
出身地の北部九州勢力が征伐されずに熊襲を征伐したりするのもつじつまが合う
ただ北部九州勢力が厳然たる力を持ったままでヤマトとしても度々命令に逆らう北部九州勢力をそのままにしておけなくなったのが
磐井の乱かなと見てる .
邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。 今から1000年後ナマポ族の遺骨が大量に発見されるよ。 金印も出てることだし福岡の奴国をもっと研究した方が良いんではないかと思う
纒向みたいな古墳しかない田舎に注目するよりも 九州の古墳がありそうなところはゴルフ場になったり高速道路になったりで古墳は消滅してるよ。当時の有明海の海岸線からして高速道路があるところに古墳が存在していたはずなんだよ。
あと九州にかなり徐福伝説あるから中国から人来てた可能性ある。 >>788
日向は別の民族集団で北九州とは関係ない 卑弥呼なんて言う名の支配者が居るわけないんで、同時代に、どの天皇がいたか。
これが答だよな。
それが難しいんだろうけど、歴代天皇の誰かであることは間違いないわけでしょ。 >>818
一言倭は邪馬台国の末裔なり
とでも中国の史書に書いてくれてればはっきりするのにな
中華帝国の認識する邪馬台国が北部九州で
この時代の倭が奈良盆地のヤマトだから継続性を認めなかったのかな
そもそも神武の東征にしても日向から出発してたり必ずしも邪馬台国の本流って雰囲気がない >>827
太宰府の竈門神社は神武の母親祀ってるんだよ確か。 >>816
北部九州は絶対に重要だけど
志賀島のアヅミ族はそこから京都北部に行ってるでしょ
そこと出雲と吉野ケ里やもろもろの九州の部族は
どう繋がって離れてたのか非常にわかりにくい
畿内の前にその辺があると思う 邪馬台国だけがその当時の
日本じゃないんだから、
北部九州以外も、
自分とこの王国を大事にしろよ、っと。 >>819
あくまで個人的な解釈だが帥升は倭国王ではなく
倭国王の将帥であったショウさんが倭国王の代理で洛陽に行っただけだと思う
今みたいに飛行機で日帰りできる時代じゃなくたぶん早くて往復半年レベルの訪問だから
その間国内を空けて洛陽に行けるような王はいないだろうし
奴国王の金印も奴国王の派遣した外交使節に後漢が与えたものだろうし
だから倭国王帥升という人物は存在しない >>832
徐福は3千人の若者を連れて佐賀の諸富に上陸したよ
邪馬台国の開祖ですね >>817
それは色々ある異説の一つだろう。リンク先にもあるが、下関で亡くなった、という話もあるし
古事記では香椎宮で琴の音が聞こえなくなったから見てみたら死んでいた、てなってるし
日本書紀では熊襲と戦って勝てずに戻って、その後病気になって死んだ、となってる
(亡くなった場所は書いてないが、穴門(関門海峡)を渡って遺骸を送ってるから、仮宮の香椎の可能性が高い) 宗像は壱岐対馬から朝鮮半島、瀬戸内通って大阪、豊後水道通って伊勢、日本海通って出雲
当時の鳥栖ジャンクション的な交通の要衝だったのは間違いないな まぁ、畿内はないってバカでもわかってたし、田川辺りで落ち着くかもね。
ゴッドハンド畿内、、お疲れ様でした。 >>838
国譲りとかの神話は出雲の勢力が北部九州勢力に臣従したということなのかなぁ >>844
九州でも宗像は独特だと思う
そして卑弥呼勢力かもしれないけど隣の機動力のある強敵ではとも思う
北九州が一つの勢力だけでずっと収まってるのかな >>843
埋葬したのが下関とかって話で
殺害(もしくは致命傷)されたのは小郡市大保で確定してるんだが まぁ邪馬台国がこれだけ論争になったのも宮崎康平の『まぼろしの邪馬台国』って本が火付け役だし
>>1はその何十番煎じで受け狙ってる民間歴史家でしょ >>807
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf
によると
庄内式の纒向の3,4類の時期に、比恵・那珂遺跡群(前方後円墳の那珂八幡古墳の周辺),博多遺跡で
急速に在来の土器が衰え、内式系土器群から北部九州型ともいうべき布留式類似土器群が成立する。
とあるので、庄内式の様式を持つ人々がこの時期から勢力を拡大してきたのでは、という気はする。
纒向編年に従って庄内式の時代比定は3世紀頭から3世紀末とすれば、3世紀中頃から
畿内勢力が九州で勢力を拡大したのでは?なんて思えてくる。 >>847
縄文だけで済まなくなってくスタートは九州と日本海沿岸だと思うので
そこから紆余曲折後の政治の適地が畿内なんかなと
岡山よりより奥地で大陸や半島勢力からの防衛上より安全だし 奈良、機内が統一国家発祥地だよ
そもそも強国が発祥地、生地を捨てることなんてしない、必要ない。 多分九州なんだろうけど、九州説が言ってるやつらはデタラメな説を真実のようにしゃべる。
この構造が混乱を生み続けてる。
九州←有力
九州説←デタラメが多い
の構図 >>田川>その他の筑豊>>北九>>大牟田=久留米>>>>>>福岡
田川怖い >>854
日本書紀や古事記ではそうなってないしな
古事記なんて、それまで元気だったのが香椎でいきなり死んでる(神意に逆らったのが原因となってるが、暗殺かも)
色々ある異説の一つ、と捉えるのがいいのでは 誰もその姿を見た事が無いと言われる卑弥呼って、小さな集落のはずなのに、そんなことはありえない。
実在せず、その権威を借りた弟がのちの天皇。
その後の朝廷だって、天皇の姿を見ると目が潰れるから、見たらダメとかなわけじゃん。
発想が似てる。
その伝説が、天照とスサノオ、その後の天皇の先祖になったんだろと考えるとスッキリする。 単純に大和朝廷と邪馬台国は別物
なのに意地でも同じにしたい人達が歴史を踏みにじっているって
隣のおじさんが言ってた >>858
私は嘘はつきませんよ
徐福はイザナギ、お辰はイザナミ(きたね、これ 近畿地方じゃないけど邪馬台国は
奈良の大和で決まりだよ >>867
え?俺そんなこと言ってないし
でも、別物は事実 >>868
それはお前の願望
徐福伝説はそこら中散らばってるからな
これもハタオリベの仕業w >>860
卑弥呼の時代はあんまり生産の痕跡に乏しいらしいぞ
合議祭祀の場所で水運で全て整う大都会としては連合国の中枢ともいえると思うけど
邪馬台国の風俗の描写があまりに海人国家っぽく
その地域の食も国で賄えてるかのようなので違うのでは
奈良はもっと洗練されてる
あと卑弥呼は籠ってるようだけど、異郷には出なかったのだろうかとかも思う 島原だって
石器、土器はごろごろでてくるし
かなり早い時期から稲作をやってた形跡がある
人が早い段階から定住して発展させた可能性は高い
というのを島原の人間でごく一部が信じているw 遺跡からの出土品が九州と奈良では話しにならんほど差がありすぎる
白村江の戦い(AD663)までは九州>>>奈良 と言う事だ。
奈良が九州まで支配をしていたとすると九州以上の鉄製品や貴金属が出土するはず
だが実際はそうなってはいない。 >>698
唐書を読むと倭国と大和の関係がスッキリするよね
逆に言うと天武が抹殺しちまった歴史なんだろうな 北海道の佐藤も鈴木も大分出身だと思うよ面白いヨナ
日本人の大本はだいたい大分近辺田川付近で爆誕してる事になる 邪馬台国は有力で外交に長けていたとしても
列島内各地の勢力の中で本当に抜きんでた大国家だったかどうかが怪しい 伊邪那岐の伊は伊都国の伊
邪は邪馬台国の邪
つまり伊都国、邪馬台国の開祖は徐福なんですよ、甕棺墓は徐福一族の墓ですね >>857
纏向編年自体コロコロ変わって研究者から批判されまくってるぞ
278ページには畿内の影響というよりも各地から外来系の土器が
搬入されてると書いてるあるからあの辺は大きな貿易拠点だったんだろう 当時の海路っってコリオリ力使って北上はいいけど
南下するのどうやって来てたの? 邪馬台の当時の中国語の発音では「ヤマドゥ」らしい
なので邪馬台国の後に大和に変化した
それにNHKでやってたけど大和に日本中の土器の破片があり
今の東京のように地方からの駐在員が暮らしてた跡らしい 邪馬台国より時代が新しいからね。そりゃそうだろうね 卑弥呼の時代何らかの祭祀のとある政治の中心は確かに奈良にあり箸墓もある
ただ魏志倭人伝の邪馬台国の描写は奈良感が薄い
奈良は邪馬台国も参加した会議場か、別勢力の内的な政治都市国家で
邪馬台国の卑弥呼は外に向けて力を求めた、大陸への水運に有利な地の祭祀系政治家でしょ >>100
俺は邪馬台国は宮崎派
記紀の元になったものは全部福岡の伝承だよ
記紀に口伝の元は筑紫の某氏集団って書いてる >>877
やっぱ白村江の戦いで九州が衰退して実権を握られた感じなのかねえ
それならそれで九州の資料が残ってても良さそうだけど。なんかもっと古い感じがするな 上で戸数について書き込んだ者だが、親魏大月氏王の印を下賜されているクシャーナ朝が戸10万、口40万、勝兵10万余とあるみたい。
倭人伝を信用して邪馬台国連合の戸数を合算すると戸数15万over
同様に兵力15万とすれば、対呉戦線での戦略的パートナーとして十分。少なくともそう認識したからこそ金印や親魏という破格の待遇なんだろうね。
弥生時代の日本列島の人口がどれくらいか知らんが、4割くらいは占めているのかね。
単純にクシャーナ朝の版図の面積を見ると、九州おろか日本全体でも収まりきるかどうか分からないな... なんで弥生時代の記憶さえ曖昧なのに
徐福伝説は全国各地にあるんだろう?
なんかおかしいやろ? イトコクって呼んでるけど伊都は
いずもではないかな・・・。 とか
なんたって4割もいるハプロDが
縄文人を名乗りながら
アホノコを貫くから
この国の歴史は 何もなかった。
大量のアホノコが 残っているだけだった。 >>894
関東からつれてった兵隊が異常に強すぎたってのがあってね
やはり麻の実の力よw 田川は宗像三神の関連で古い伝承が残ってるのが面白い
福岡が海神の元なのは間違いないんだけど
スサノオやオオクニヌシとの関連も深い >>882
纏向自体が初期ヤマト王権の王都だということは間違いないんだけど
それを邪馬台国に結び付けて予算獲得しようという輩が
先輩たちが何十年もかけて積み上げてきた纏向編年を
都合のいいように改変してグチャグチャになってるんだよね
纏向が初期ヤマトの王都という当たり前の解釈なら各地の土器に各地の王が朝貢的に貢物を入れて
纏向に持ち込んだと考えれば各地の土器が出土するのは自然だわな
倭の五王である雄略天皇に熊本の江田舩山古墳、埼玉の稲荷山古墳の豪族が出仕してた事実が
古墳の鉄剣から明らかになってるんだし
4世紀末ごろには完全にヤマトが九州から関東までを従えてる >>882
交易もあったろうし、外来系も入っているだろうけど、庄内式(徐々布留式に)は那珂八幡古墳という最古級の前方後円墳の周りから
広まっている点を重視したい
前方後円墳は恐らく畿内政権の権力の象徴のようなものだろうから、それの周りには
畿内から進出してきた人間が多数居たと考えるのが自然だろうし
比恵・那珂遺跡については
IIA期は,庄内甕も残るものの,布留甕が出現する段階である。比恵6次調査SE46井戸[czr−20],
比恵50次調査SE52井戸[czr−24],比恵53次調査SE27井戸中層[czr−24],那珂21次調査SC60住居
[czr−25]出土資料が該当する。比恵50次SE52井戸では,搬入品の庄内大和型甕1点,布留系甕口縁
部破片1点が報告されている。その他の器種もすべて畿内系で,在地の土器を一切含まない,比恵・
那珂遺跡群に特徴的な特殊な遺構である(中略)
布留系甕はなで肩を呈しT在地での製作と考えられる。庄内甕2点は技術的には庄内大和型甕であるが,胎土は在地と報告者はいう。
IIA期(纒向3、4類)にはこういう状況だから、かなり畿内の勢力が入ってきていると考える。
そもそもそうでないと、那珂八幡古墳みたいなものは作れないだろうし
纒向編年自体の怪しさはあると思う。本来なら熱ルミネッセンス法やらで、土器自体の時代特定をして欲しいが。。 >>896
そりゃ便利なモノを持ってきてくれたら徐福印をありがたく思うからだよw 纏向は年代があわな過ぎて邪馬台国とは違うわw
卑弥呼を主張してるのは発掘予算をねん出しようとする捏造 >>900
俺なんかの話を聞くより
冗談だとおもってホツマツタヱ(伝承)でも触ったほうがスッキリすると思われ
ただ鵜呑みはだめ >>804
この地域は補助金ジャンキー一族が支配してるからしゃーない ヤマタノオロチっていうと、八岐大蛇で、八つの頭のある大きな蛇だが、ヤマタ・・から始まる言葉。
言うまでもなくスサノオが倒した。
邪馬台国もヤマタイコクで、ヤマタから始まる言葉。
大和朝廷は、ヤマト。
古代の人は、一般的に漢字を元に伝承したり、話をするとは思えんから、単純なカナに直してみるべきで、
すると、ヤマというカナが共通するわけで、文字のない時代に、話し言葉で同じカナは混乱するから、同じ意味と考えるべき。
すると、八岐大蛇は実はヤマトのオロチ。
大蛇をシンボリックに描いただけで、山の深い奈良の地をヤマトと呼んでいて、八か国ほどの連合国があって、スサノオが倒した。
そこで統一した王になって、ヤマトを名乗って天皇を名乗っていく。
なんて話じゃなかろかと思うけどね。 >>804
え?
むしろここ数年の新発掘で九州説の方が盛り上がってるんだが…
近畿説はもう死んでるだろ >>902
纏向編年を捏造してる連中の根拠は
土器の煮炊きで着いた炭素なんだよね
これ煮炊きすると吹きこぼれとか色々な要素が絡まって
正しい年代が出ないのはもう統計上明らかになってるんだが
しかも炭素年代法自体が100年単位で幅がある
一番重要な3世紀後半から4世紀末の100年ちょいで時代を特定するのは不可能 >>894
福岡市(と糸島まで?)くらいの領土しか無かった奴国も金印を貰ってるし
基準が結構曖昧なのかも
雲南かどっかで出た金印も、恐らくそこまででかい国ではなかったろうし
遠い、しかも今まで余り交流が無い処から来た、ってだけでバイアスがかかって
金印をホイホイくれたのかもしれない >>896
弥生時代の記録はほぼ無いけど徐福は中国側で実在が確認されたらしいからな
後付けの伝説とかもあるかもしれないけれども
船団の全てが難破して沈んだとは言えないので実際それなりにあったんでは
新しい技術が突然もたらされたなら多少は伝承になるのかも ハッキリ確実言えるのは魏志倭人伝邪馬台国の時代は
記紀における四道将軍(崇神前後)ということ。
吉野ケ里はそれより少し前と言われてるよね。
帥升の時代はそれより皿に少し前 >>913
正直、C14は言われる通り幅がありすぎて、1000年単位の年代比定には余り適してないと思う。
熱ルミネッセンス法なら(補正は必要だけど)そこまで大きなずれは無いし
適切なんだろうけど、何故か昭和40年代かそこらにやった記録しか見つけれない >>909
山の深い奈良の地をヤマトってとこだけ物凄く説得力ある
ヤマト=山門
三輪山の前に川港があって木を組んだ門がある図が浮かんだ >>905
でも邪馬台国を九州にしてはいけない理由がある >>914
砂金を持って行ってちょっと印鑑つくっといてってことかもしれんw >>923
春秋戦国時に流行ってた書に書いてあること >>914
奴国は領土と言うより領海なんじゃないか
航海や商売や漁が主産業でそんなに土地が必要ないとか
あるいは出先の別の土地に巨大生産地があるとか >>928
では中島先生に見てもらうという事で。。 >>919
富士古代王朝しらずして古代史は語れんしな 山口って地名だけど、これって
ヤマへの入り口 = ヤマトへの入り口
って意味だと臭わせる書き込みがネットゲリラにあって、なるほどと思った> 「半島から見ればヤマの入り口」 伊勢はイシターだし
須賀はアレだし
ワニはマニだし
もうなんでもありだなw 全国の佐藤とか鈴木とか志垣太郎とか海部俊樹とか
2000年前に九州に居たかもしれないって事
どう考えてるの? >>914
奴国も戸数2万とあるから、それなりの大国扱いなんだよな。壱岐の3000戸の7倍だし。
気になるのは「遠くて戸数が分からない」という記載の国があること。
逆を言えば、記載がある国は何らかの根拠があったのかな、と。
邪馬台国に至るまでの三韓地方の戸数は、漢代の帯方郡の戸数などと面積比的に妥当に見えるから、それなりに調べて記録してるように感じるんだよな。
倭国に入ってからいきなり10倍増しで書いてるとも思えないし。 >>917
日本では年輪年代法が一番精度高いんじゃないかな
もちろん木材は再利用や使用までの保管期間もあるのでそこらは考慮が必要だけど
土器編年は邪馬台国みたいな変なバイアスかかる前はそれなりに発掘した地層等を考慮して
時代の特定でそれなりの信用があったけど、これは逆に都合のあるい奴らが徹底的に改竄してるのが現状
纏向みたいな初期ヤマト王権の重要な遺跡が邪馬台国扱いで訳の分からん扱いになってるのは考古学上かなりまずい >>941
そんだけ?
あと絹なんて高級官僚しか着てないんでは >>827
ちゃんと記紀を読んだ?
東征といってもやってることは漂白だし
だいたい陸路じゃなく船旅だぞ
また崇神天皇との同一説なんて奈良時代についたふりがなを元にして無意味だぞ >>937
言われるように、年輪測定は多分一番精度が高いと思う
ただ、日本だと木が腐りやすく、サンプルが少なすぎるのが問題と思う
平原遺跡の1号墳も割竹式木棺ってのは分かってるけど
腐ってしまってるので年代測定すら出来ないという。。
纒向が見つかった事でみんなに変なバイアスがかかってしまったのは確か
中々虚心には見れないもんだなあ、て思ってしまう。しょうがないのかもだけど >>942
諸子百家が書き記した書物も持ち込んでるよ 巻向は基本的に出雲に恭順してるから
九州がん中にないんだよね 雅楽の楽の書は日本に伝わってたわけだが
あまりに楽しすぎてまた消されたw そういや金印を下賜することはあっても、親◯という封号は大月氏と倭以外にあるのだろうか。
中華内でいえば県レベルの勢力には渡さないだろうし、少なくとも郡〜州クラスの勢力であると表面上は扱っていることになる。 北九州の巨大な農耕勢力は北九州の海運勢力と同じなのだろうか
天皇家の祖は宮崎だと思ってるけどそれが卑弥呼の末裔だとは思っていない
別勢力だろう 田川は、最近こそ「修羅の国」の代表みたいに言われているけど
江戸時代以前はのどかな田園地帯だった。
天孫降臨の地はとなりの宮崎。大宰府、吉野ヶ里、大和町、日本最初
の八幡宮である宇佐八幡宮、に囲まれた甘木から筑豊にかけての
丘陵地帯、当時の海岸線をみれば筑後川に育まれた豊かな場所たった
のがよくわかる。 鳴門海峡を通過するってのは当時の船でも陸沿いに通っても厳しかったのだろうな
太平洋方面のクニにいくにはぐるりと九州をなんか南下しないとならんかったのだ >>951
宮崎は根拠が勘違いだからな
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>954
なんか英文みてるみたいに単語の意味わかるけど内容入らないw >>954
でもな、テンプレ通りに倭国をを取ったら火の元から地名を移植したかもしれんのだ 甘木から三輪山にかけて集落農地が広がり、墓地や神社が
その後背地の田川、納得できるなあ。 >【古代ロマン】「卑弥呼が○○に眠っている可能性はたいそう高い」
この○○に自由にお気に入りの地名を入れて楽しむのが九州説の遊び方w
無論否定するのは「悪魔の証明」だからできないが
ブームから半世紀経とうが一向に候補地は収斂しそうになく
出ては消えの繰り返し・・・ まあ卑弥呼ちゃんは徐福の末裔でいいよ
だいたいあってる 王仁博士がオニのように書物をもってきちゃったんだな
世界事情をかく乱する論客として火の元にやってきたか >>935
奴国が貰った時は光武帝の時だから、卑弥呼より170年位前だし、百余国に別れてる時だから
1国単位でみれば、卑弥呼の時代よりは少なかったりするかも
それでも使者を送れるくらいだから、結構でかかったのは確かだと思う。
倭人伝を見る限りだと、記載がある国(斯馬国あり、次に巳百支国あり、次に都支国あり、、、次に奴国あり。これ女王の境界の尽きる処なり)は
女王の連合国家に参加している国で
(略載されてる国家は21。これに朝鮮南部にあったと思われる狗邪韓国、対馬国、一大(壱岐)国、末蘆国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、そして邪馬台国を
加えると丁度30国になる
これが、邪馬台国を中心とした連合国家なのでは、と思ったりする。
遠くて詳細が判らない、という国は連合国家に参加していない他の倭の国々なのでは、なんて思ったりもする。 ヒコはまだまだ半人前
ヒトになってここのーとーってなるんだってさw
ほんとかよ
いつむーなーをすっとばしてるよな 前方後円墳に卑弥呼を求める段階で九州は箸墓コンプレックスを抜け出てない
卑弥呼は円墳だよ
そして古墳が残ってなくても雨水の豊かな九州では仕方のない事だ 仮に邪馬台国が奈良にあったとしたら戸数わずか三千戸の壱岐より鉄の出土数が
遙かに少ない七万戸もある邪馬台国と言う非常に矛盾した事になる。 >>975
邪馬台国が奈良だとは思ってないけど
奈良は単なる政治都市で周辺の適地で全て生産してるから
当時の奈良は琵琶湖や大和川などで物が運び込まれて消費するだけの大都会 >>857
久住1B期が庄内式が増えてくる時期
庄内式の実年代は久済編年がベースになってる
1B期の実年代は3世紀前半 >>768
いや行程の書き方
東南陸行もたいがいだが
伊都国奴国不弥国投馬国邪馬台国と書かれりゃ
順々に辿ったと思うじゃん >>894
稲作地帯の人口密度はシャレにならない
>>944
そのへんの年輪見てみたけど
同じ年でも方角によって広かったり狭かったりする
同じ方角なら一貫して同じ割合で広いかというと
そうでもない 卑弥呼は民衆を虐殺した悪霊
日本は邪悪な女神の卑弥呼が始まり
その悪霊は中国領尖閣諸島に眠ってる
と今やってるアメリカ映画トゥームレイダーでやってた
もう手遅れだな、世界中で上映されてる映画でそう描かれてしまったからな >>987
ゲームの映画化かな
そのトゥームは卑弥呼の時代に戦国時代風の甲冑があるというとんでもジャパンだったりするw 映画『トゥームレイダー ファースト・ミッション』(原題: Tomb Raider)
墓荒らしのイギリス女と支那人船乗りが
触れるものすべてを腐らす邪悪な女王「卑弥呼」が眠る島「ヤマタイ」の謎に挑む・・・
卑弥呼=天照大神説もある日本神話の主神、太陽の女神、天皇の祖先、すべての日本人の総氏神
この映画ではおぞましい化物のような存在 = 日本人は邪悪な化物という刷り込み
https://i.imgur.com/v9pbnor.jpg
https://i.imgur.com/BfCDyJu.jpg
https://i.imgur.com/ZH8ZWPw.jpg
「ヤマタイ」なる島は尖閣諸島の魚釣島そっくり
https://i.imgur.com/M6hzxBW.jpg
実際の魚釣島
https://www.cnn.co.jp/storage/2017/02/07/5c35cf4b81b56b476e86822de26773b4/senkaku-islands-japanstory-top.jpg
日本を無視して支那から直行する描写 =自国領アピール
地図を広げると「中華人民共和国」の文字が飛び込んでくる
https://i.imgur.com/svSaWSQ.png
日本やフィリピンの領海や日中中間線、南シナ海のスカボロー礁、スプラトリー諸島が支那のもののように色分けされてる = 海洋覇権アピール
https://i.imgur.com/4yuKyn0.jpg それなりの人口もいて巨大な墓、宮殿もあったのに
何の遺跡も見つからないところなんぞ論外
戸数が七万戸ってかなりの規模の都市だぞww ヤマタノ大蛇とか
ヤマタノ=山田野でいいんじゃね?
どこの地方でも使う便利な言葉だったのでは?
よく埋蔵金伝説で、朝日さす〜とか南天の〜と同じ利用頻度
言葉が少ない漢字もない時代なら尚更ありえると思うわ 卑弥呼は魏の国に使者を送っている
倭の女王の卑彌呼と狗奴國の男王の卑彌弓呼は元より不和で、倭は載斯・烏越たちを郡に遣わし、互いに攻撃している状態を説明した。
そして魏の国を使って日本にクーデターを起こそうとしているように見える
実際 魏の国の使者が着たときは卑弥呼は死んでいた
どうみてもこのクーデターが死因だろう
卑弥呼が日本書紀であまり取り扱われないのは卑弥呼が罪人だったからだろうよ 古墳時代から飛鳥時代、奈良時代、平安時代と、近畿圏が中心じゃん。
途中、将門や頼朝が関東に政権を潰そうとしたら、朝廷は必死に潰そうとする。
これは単に他の政権を認めないって言うより、首都を制圧した者が王様だという意識だと思うんだよな。
現代なら、首都は誰もが東京だと思ってるから、政治家じゃなくても東京で成功しようとする。
遷都は話には出ても、誰も認めないだろう。
土地ってそれほど重要なモノで、近畿内で遷都はあっても、外れた所に都(みやこ)は置かない。
そういう理由で、九州に都があったとは考えられない。
九州に邪馬台国があったら、その後もずっと九州に都があるよ。 魏志倭人伝も全部正しいわけではない
日本書紀も全部正しいわけではない このスレッドは1000を超えました。
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