【歴史】幕末、福井藩の忍者の姿 史料調査で徐々に解明「皆さんが知っているのは作り上げられた忍者の姿」
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4/15(日) 11:25配信
黒装束姿で高い塀を飛び越え城に忍び込み、手裏剣を放ち、どろんと消える―。
小説や漫画で超人的に描かれる忍者について、史実に基づいた研究が全国で進んでいる。
県内でも福井県立図書館にある幕末期の史料の調査で、福井藩の忍者の姿が分かってきた。
城下町に堂々と住み、名前はいたって平凡。
普段は忍術の稽古や、門番や武器の管理といった地味な仕事をこなし、本業の情報収集では張り紙を書き写していた―。
担当者の解説を基に、幕末期の忍者を描いてみた。
「皆さんが知っているのは作り上げられた忍者の姿」。
県立図書館で開かれている企画展「幕末福井藩の忍者」の解説講座で、司書の長野栄俊さん(46)が切り出した。
長野さんの調査によると、福井藩の忍者は「『忍之者(しのびのもの)』」などと呼ばれ、幕末期は12人いた。
身分は武士で、最下層の足軽に属した。
足軽の身分はお金で買えたため、長野さんは「忍者もお金を払えばなることができたのでは」と推測する。
足軽の中では給料が高く、現在の福井市宝永1丁目・日之出5丁目辺りに約500坪が与えられ、長屋とみられる屋敷に住んでいた。
幕末の城下町を描いた絵図には「忍組」と書かれており「絵図に明記されているぐらいだから、城下の人たちは忍者の屋敷だと分かっていたはずだ」。
名前も史料に記されており「山形隆」や「高橋利助」といった、現代にもありそうな名が並ぶ。
長野さんは「『霧隠才蔵』や『猿飛佐助』といった特徴的な名前なら子孫を探せるのだが…」と残念そう。
福井藩の忍者はどのような仕事をしていたのか。
長野さんは「忍者と聞いてイメージするような心躍る仕事はしていなかった」とする。
普段は忍術の稽古に励みつつ、藩の倉庫に収められた武器の管理や、武芸の道場の門番を務めていたらしい。
忍術の流派は源義経が祖とされる「義経流」。
屋敷の隣には「半弓」と呼ばれる持ち運びやすい短い弓の稽古場があり、手裏剣ではなく弓の上達に努めていたようだ。
忍者のイメージと結びつく仕事が、藩の内外で情報収集する「忍び御用」、すなわちスパイ活動だ。
とはいえ幕末の史料に残っている限りでは、京都で張り紙の内容を書き写したり、他藩に流された藩主のお墓を絵に描いたりといった内容。
義経流忍術の伝書によると商人や山伏に変装するなどして怪しまれないようにしていたようだが、屋根裏で会話を盗み聞くといった仕事をしたとの記述はないという。
幕末は政局の激動期で「情報が藩の命運を左右した」と長野さん。
藩主松平春嶽は黒船来航の2カ月前、忍者2人を江戸に送って情報を集めさせたが、1年後の黒船再来時には「文才ある」上級藩士の家来を向かわせた。
さらに、幕府直轄の学校に通う藩士の息子をスパイ役に命じた。
長野さんは「扱われる情報が高度化し、情報収集のプロであるはずの忍者が対応できなくなっていた」と考える。
そして明治時代に入る2年前に、福井藩が雇う忍者はいなくなった。
三重大国際忍者研究センター副センター長の山田雄司教授は、県立図書館の調査で明らかになってきた福井藩の忍者の姿は「江戸期の典型的な形」としつつ
「忍者研究は戦国から江戸初期が中心で、あまり分かっていなかった幕末の忍者像を示した点で意義がある」と話している。
黒船来航時、幕府の命令を受けた福井藩は忍者3人を含む272人を江戸に向かわせた。
忍者の装備はあらかじめ決められており、黒塗りのかぶとや朱塗りのよろい、小手を身に付け、半弓を腰に差すことになっていた。
ほかに忍者特有の道具として、壁やがけを登るために使う、縄の先に鉄製の鉤(かぎ)がついた「打鉤(うちかぎ)」や、雨天時も使えるたいまつなどを携帯。
武器や道具を運ぶ「荷物持ち」も付き添うことになっていたという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180415-00010001-fukui-l18
http://amd.c.yimg.jp/amd/20180415-00010001-fukui-000-2-view.jpg 忍者・隠密の仕事は情報収集と伝達だけど、そんな恰好でやってたのか 幕府のお抱えにもならなかった弱小の田舎忍者が何だって? + 激しく忍者 +
卍
∠ ̄\∩
|/゚U゚|丿
〜(`二⊃
( ヽ/
ノ>ノ
UU 幕末か
もう太平の世が数百年続いた後だしそりゃ忍者も大したことはしてないだろう
やっぱり戦国ですよ戦国 バジリスクとか見てて
こいつらどうやって生計を立ててるんだろう?と思った 伊賀とか甲賀の話なら分かるが
聞いたこともない福井の忍者の話を出してきて
「これが本当の忍者の姿です(ドヤ」てなぁ・・・
(´・ω・`) >>1
忍者の姿って別に全国統一されてたわけじゃないんだし、地域毎の多様性を否定してなにがしたいんだろう。
そもそも黒装束姿ってもともと農作業のもんぺ姿に頭に布巻いてる姿なだけだし間違いって程でもないだろうに。
伊賀甲賀の忍者なら元々農民なのは有名。 訪日外人喜ばす為に忍者忍者忍者。ハァ〜疲れるわ、そこまで俺らへりくだらなあかんか? 忍者の子孫はおそらく現代もスパイの技を受け継いで諜報活動で生活しているだろうね
その正体が見破られていないだろう
女装趣味とかそういうのは忍者の技だろうね もう朝鮮ニンジャのパターンでYoutuberでも出せよ (´・ω・`) 日本には、北朝鮮の忍者がウジャウジャいます
戦争になったたら放火とかデマを流したりしますよ >忍術の流派は源義経が祖とされる「義経流」。
これですら伝承しらべたら江戸中期くらいにでっちあげられてそう 松尾芭蕉は伊賀の忍者。
「奥の細道」は東北諸藩の諜報のカモフラージュで作ったもの。
芭蕉はまた土木工事の知識を持ち、神田上水の工事は彼が指導した。
英語で"intelligence"は、"知性"も"諜報活動"も意味する。
忍者には知性と知識が必要とされた。 山田風太郎もすっかり落ちぶれた忍者の小説を書いてたな
やっぱり戦国時代がピークだったんだろう
最近なぜかハリウッドで復活してるけどw >>1
思ったよりかっこいいw
ウィザードリィに普通にいそう 時代によるだろと思うが
みんながイメージする忍者は戦国時代にいそう
時代劇みたいな江戸時代にはあんな忍者はもういなかったと思う 江戸初期と幕末の柳生の凋落ぶりを知ればその下の下たる忍びの者のレベルも知れたもの 幕府お抱えの忍者は「成敗ッ」って将軍様が叫ぶと、トドメを刺すのが仕事 島原の乱に参加した甲賀の忍者は、落とし穴に落ちてリタイア
戦国時代の忍者も大した事無さそう 磯田が岡山藩の忍者の研究をしてたな
戦国の頃にお抱えになった忍者の家も、幕府後期になると全く役に立たなかったとか まあ
おれも忍者の末裔だしな
忍びとは現代のネラ−みたいなもんだよ
マジに >>46
風車の弥七が温泉でポロリとかなかったなんて…… >>26
へりくだるの止めたらどうだ、外人相手にNINJAの話題なんて一度もしたこと無い。 1960年代に忍者マンガが流行ったそうで、自分なんかは
ずっと後の世代だが読む機会があったので楽しめたが
後年、当時の世相つまりは労働者の反発や
反体制的な風潮を代弁してる事がわかって
がっかりした
江戸時代は描かれているほど無茶苦茶な圧政を
してるなんてほとんどないとかわかってきてね 忍者の主業務は諜報。普通の人に見せて情報を収集する。武士からすれば特殊能力。 乱太郎って漫画だと結構詳しく解説してるよね。基本口伝だからそんなに史料あると思えないけど アメリカ人の考えるニンジャの、ひたいに鋼板みてえなのつけて
乳首もあらわな網目のあみあみ鎖帷子に身長185で体重80近くはありそうな
マッチョでカンフーの後ろ回し蹴りの使い手はいないんだよ
つったら営業妨害で訴えられるんだよアメリカで >>56
カムイ伝は当時有力な学説だった被差別部落政治起源説に基づいて書かれてるな そいつらは忍者の影武者だろ。
本物のにんjはくぁwせdrftgyふじこlp;@:「」 昔テレビでやってたサスケってアニメがほぼ忠実に忍者の実態を再現してると言われてたな。 しってるよw
あんな格好の「忍び」がいるかってのw 穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は
国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます
法窓夜話私家版 (初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V スパイが目立ったら意味無いだろw
安全安心確実が忍者の仕事だぞ。 諜報関連ってだけで普通の人も多かったってだけでしょ
暗殺業までやるのはほんの一部
スパイと一緒よ、映画のスパイと現実のスパイじゃ違うてのと そういやGPZ900Rも出た当時はこんな派手な忍者なんか居るもんかと笑われてたな
KATANAなんかはもう論外で 例えば、東京の丸の内や新橋のサラリーマン・OLってどんな姿?
って聞かれて人々が想像する典型的な例を
「ブー!それは間違いです。正解はコチラ」
って言って、福井の聞いたこともないようなビジネス街の
サラリーマンの姿を出してくるようなもんだよな(´・ω・`)
そして「これがサラリーマンの正しい姿です」って言ってるようなもん >>57
おっぱい触っていい?みたいなやつに捕まったら… 本物のニンジャは平安時代に絶滅した
ショッギョ・ムッジョ… >>56
江戸時代の都会では庶民も比較的まともな生活できてたよね。だけどそれがすべてだと
思い込むのはバカ。 そりゃそうやろ
今の諜報員とかスパイが
見るからにそれと分かる格好で行動してないだろ まあ良くある諜報機関だよね。
撤収覚悟でも実行するために毒殺辺りの暗殺技術は持ってただろうけど、
闇討ちとかは忍び以外で雇ったりしてやらせてたんじゃないかな。 目立ったらアウトだし、戦闘なんか始まったら任務大失敗
記録に残されてるとか何を考えてんの? >>1
朝鮮人のサムライとか朝鮮ニンジャとか存在しないからwww
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【歴史】幕末、福井藩の忍者の姿 史料調査で徐々に解明「皆さんが知っているのは戦国時代の忍者の姿」 ○ 忍者といえば伊賀か甲賀、もしくは御庭番。あとのローカル忍者は知らん。 伊賀、甲賀 諜報員
風魔 特殊部隊
根来 鉄砲技術者
じゃないの?
つか福井の忍者ってなんだ? 現在の日本の諜報能力は、世界的にみて劣悪だと知るべき。 新田義貞、朝倉義景、柴田勝家、結城秀康
地位も石高も高いのに微妙だな つか、昼間っからあんな恰好でウロウロしたら
子どもでも「あ、忍者がいる!」ってわかるよね(´・ω・`)
よく見る格好は、あれは夜間、どこかに忍び込む時の装束だろ?常識的に考えて
当然、昼間は昼間の、合戦に出る時はそれ用の恰好すると考えるのが普通
福井のはどう考えても戦装束だろ? 伊賀や甲賀だって諜報活動もする地侍→雇われて普通に組織の一部になった下級武士、程度のもんだろ 今の中国人のスパイみたいに普通の生活をして
普通の情報を大量に集めると言う仕事だろ。
それでいざという時は放火したりする。 江戸後期から大正時代の時代小説や忍者小説に咲いた壮大な徒花で
江戸しぐさも到達できない境地なのであった 屋根裏はネズミが歩いただけでも下にすごく響くからな。
どんだけ修行を積んだ忍者でも無理だろう。 結局、忍者の祖先は朝鮮人でしょ。福井から奈良のマキムク(邪馬台国)へ行く途中に甲賀も伊賀もある。
昔の敦賀(福井)は、大陸との出入り口だったからね。 >>74
それは日本人が勝手にイメージしただけだw
”敵の攻撃を妨害する鎧の類いを装着していない”
ってだけで
何も着ていないわけじゃないw >>93
記事イラストの説明が 「出陣するときの」 って書いてる時点で、
砦攻めなんかの工作員的な斥候役のことを指してると思われ
攻城の先頭務める部隊を忍者とは一般的には言わんから、チグハグになってる >>93
基本的に、忍者は雇われ。
伊賀か甲賀から雇ったのかもしれないし、地理的には戸隠や飛騨なのかもしれない。
前田家の某四井主馬さんは実在の忍者で、加賀忍軍を作っているように。
そんな人がいたのかもしれない。 忍者ってのはどちらかといえば柳生に近い暗殺部隊だろ。
福井のは工作員 >屋根裏で会話を盗み聞くといった仕事をしたとの記述はないという。
そんな記録残したらまずいんじゃないですかねぇ・・ 西日本って3ヶ月に1回は幕末がどうとか適当な法螺を吹くよな 欧米人の考えるニンジャって、ダンジョンでいきなり不意打ちしてきてこちらの首をはねまくるような連中だよ
裸になるほど(ACが下がるほど)クリティカル率が上がるという 天下泰平の頃のどこぞの忍者って言われてもなぁ
群雄割拠時の風魔、伊賀甲賀などじゃないと
こいつは忍者が嫌いなのか? なんか田舎の藩と田舎侍の話みたいに思ってる人多いけど
この記事に書いてある幕末の領主は松平春嶽だろw >>1
(=^ェ^=) 結構、カッコ良いニャー。このまま時代劇に登場させても良いニャー。 イラストは絵の不自由な素人ではなく
それなりの人にお金を出して描かせたほうが良くないか プーチンが新聞記者に化けてレーガン大統領の目の前に立ってる写真があったけど、
あれこそ真の忍者だな。 基本的に泥棒村の村長が雇われて仕事させてたわけで
戦国大名が由緒正しいヤクザなら忍者は更にその下請けの汚れ仕事 15代目服部半蔵とか作り話はあるが、幕末にも影がいたのだな >>52
俺は服部党の子孫。徳川家臣の久能の血も入っている。 西郷どんも、御庭方、
つまり忍者だよ。
どう見ても目立つww >>18
というより隠密行動なんだから、活動の記録が正確に紙面に残ってるという保証そのものがない 幕末の服部半蔵の従兄弟だから忍者扱いでいい人なんだけど、
桑名藩主松平定敬(会津藩主の実弟)が大政奉還のドサクサ
で藩主なのに追放。
で、兄貴がいる会津で徹底抗戦決定。
桑名藩が連れ戻しに家老とかを送り込んだら、この服部半蔵の
従兄弟、殿様の命令で家老たちを新潟の路上で白昼堂々惨殺。
その後会津藩で新政府軍に徹底抗戦後、捕まるも脱走。
脱走後は函館で土方歳三の部下になって最後の新撰組隊員
として最後まで抗戦。
だけどこんなキリングマシーンが維新後どうなったかといえば、
一橋大の前進の学校で商法教えていたり、とどうやっても
忍者のイメージじゃないよね。 >>38
忍者ってスペック高い人間ってイメージあるな。
例えば大道芸人や虚無僧を装って他国に潜入捜査する場合でも
その芸や尺八を周囲から怪しまれないだけの腕前に短期間で身につけてしまえるような感じで。 >>140
井の頭公園で楽器の大道芸やってるオッサンたちも
某国の隠密だったりすんのかな 今のイメージをそのまま信じてる奴はおらんだろ
今のイメージままなら武士も年がら年中果たし合いだわ >>96
クノイチにとってハニートラップって重要な任務だったかもしれないな。 >>146
ロシアのスパイはそうらしくてセックスでなんでも盗んだそうだが日本はどうなのかね。 他国に侵入するには行商人に化けるのが一番怪しまれない
ちりめん問屋とか そりゃ妖術は使えないだろうけど幕末の忍者と戦国の忍者じゃ違うだろ 出陣時って書いてあるやん…
重い物脱いだらほぼイメージ通りのニンジャやん… >>1
こいつは福井藩の史料で全ての忍者を分かったかのように騙ってんの? 当たり前だろ
あんな頭巾に黒装束のやつがおったら完全にマークされとるわ >>1
ありっちゃありだろw
ニンジャタートルズはこんな感じじゃんw
向こうが正解かよw 史料に残っているようなのは本当の忍者じゃない
まんまとだまされてる
それは忍者の影武者みたいのもの
だますための嘘の史料だな
本当の忍者は記録に残されず闇の中に存在したのである 有名人で御庭番を疑われてるのは
松尾芭蕉、伊能忠敬、天野宗歩とかかね 光あるところに影がある まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった
命をかけて歴史をつくった影の男たち だが人よ 名を問うなかれ
闇に生まれ 闇に消える それが忍者のさだめなのだ 普段は普通の仕事をしてたんだろ。
本当のヤバい仕事は紙も残さず闇から闇へだろ。 まぁ、事務方と暗部は別だろうし
CIAみたいな感じだったんだろうね 三重県や滋賀県の学者だって本当は一次試料だけ相手にしてこういう研究したいけど
忍者で観光政策やってる上に忖度してできないんだと思うw こういう超リアル忍者で映画作れば絶対面白いのに、映画業界にバカしかいないから作れない 素晴しいチンチンもの
金玉の毛ある
その音はサルボボ
いいえ!忍者がいます〜 >>162
そういや伊能忠敬の地図、当時だと軍事機密だよな。 >>54
見て肛門は水戸藩の二代目だからな。
まだまだまともな能力持った忍びがいた時代じゃね。 スパイが普通のスーツ姿なのと同じで
忍者もその辺の一般人と大差ない格好だろう
一目で忍者だとわかる格好してたら忍べねえよ 戦国期の忍者と、幕末の忍者は違う。
だいたい、現代の人で大蝦蟇にのって巻物くわえてドロンなんてイメージを
忍者に持っている人なんていないだろ。
江戸期の忍者は、情報収集の専門家ということで、
陸軍中野学校だと忍者の末裔が講義までやっていた。
いちおう、大東亜戦前までは忍者の系譜があったんだけど、
あの負け戦で何もかもなくなっちゃったね。
そして、黒装束で背中に背負った忍者刀に、
「ケンイチウジ、デリヘルとやらが来たでござるよ」というイメージになってしまった。 そりゃ忍者って言うぐらいだから、人目を忍んでるはずなんだから
一般人は知りようもないわ
今でも人目を忍んで忍術磨いてる人がいたとしても驚かない
正体を隠してこそ忍者 >>168
スパイもだけど、実際の忍者って農民とかとして潜り込んで地道に情報収集する地味な仕事だったみたいだよ?
現代のスパイも政府の機密情報を巡ってとか以上に新聞から情報収集したり潜伏先の世論の調査とかの地味な仕事がメインて言われてるし、
行き付けの居酒屋の常連の気さくなおっさんがスパイの協力者、なんて事もあるみたいだし。
>>179
忍術の〜遁てのはそれ利用した逃走や隠れる術だけど、今だとどんな忍術になるんだろ? 現代の忍者のイメージは白土三平と横山光輝が固めちゃってるから。
なんで、伊賀の影丸はアニメ化されなかったんだろう。 こういう忍者ってこんな姿って固定観念を植え付けられた方が、普通の格好してる諜者は活動しやすそうだな >>1
ニンジャ側の人間としては、そういう事にしておきたいというわけなんでしょう?わかってますよそのくらい 中野学校一期のカリキュラムには忍術があったけど、敵地潜入・諜報活動の意味だったらしいしな 幕末の忍者って狭い部屋で箱入り娘を追い掛け回すやつだろ? 具視「これ、土佐?返答せい!土佐!」
容堂「いかにも…失言!(平伏)
春嶽「…慶喜公をこの会議に参加させてはどうか・・・?」
具視「越前公のお言葉には御座るが、我ら承服いたしかねる!」 >>1
そりゃ平時の勤務で、特別活動なんか記録に残る訳無いだろうよ 西郷どんも忍者だから斉彬公から写真は禁じられてたんだろうな >>192
ロックが流行んなくなってサンプラザ取り壊すらしいから
なんか陸軍中野學校顕賞碑でも建立すべきだろう。 そりゃあれが忍者とは思わんやろ…
忍んでねえよ
ただのスパイだよな忍者って 春嶽は斉彬とならんで世界の名君だったから忍者はいらないよとしてたが
斉彬に西郷どんがいたから後れを取ったんだろうな 俺が見た忍者はアメリカ人の元傭兵で白い忍者だったわ >>1
おつむのネジが弛んでたり手裏剣ピュッピュッピュッピュしたり
名を問うなかれだったり甲賀と伊賀で人別帳を奪いあったり
それらは全て虚構だったとでも言うのか!
どうでもいいけどカムイ伝完結させて下さい
第一部愛蔵版(定価4800円×4)まで買ってるんだからお願いしますよ! 日本版スパイだと思ってたけど違うのかね?
とはいえ、007と実際のMI6で差異があるようなものだとは思うけど。 緊張する極東アジアに
情報を収集する下忍すらいない愚かな国があるらしい
その国は各国の忍者たちの草刈場となり
練習場に使われているらしい
そこに住む愚かな村人は忍者など不要だと・・・ いやでも学のない下級の忍者が幕末では情報収集の役に立たず、
上級武士に取って代わられたってのは説得力ある 忍者って幕末までいたのか。
戦国期のものとばかり思ってた >>1
>三重大国際忍者研究センター
「国際忍者研究センター」って何だよ?
三重大学は国立大学だ。
旧制度では「国立大学1期校」
その国家機関の制式部署が「忍者」?
しかも「国際」などと「こけおどし臭い」名称。
あらためて三重大学のHPを覗いたら、確かに当該研究施設がある。
研究施設である以上、教授/准教授/講師/助教と人員構成があり、
研究紀要を発行するのであろうが、何を論文のテーマにするのか。
半世紀前の子供向けテレビ番組「隠密剣士」を分析して、
「甲賀十三人衆」と「伊賀十人」ではどちらが強いか?
「八方手裏剣」と「十字手裏剣」はどちらが良く飛ぶか?
などとやるのかね。 >>205
> ニンジャは武器を持たず、服を着ない方が強い。
それ変態仮面だろ 昔の絵本や娯楽の為の作り話が史実として今に伝えられてる事って結構ありそう >>212
wizardryネタが通じない世代かw 福井のは偽物だったってだけだろ
しっかり他を調べろよ 見せ掛けジャップ 上辺っ面ジャップ 体裁ジャップ 建前ジャップ 名目ジャップ 舌先ジャップ 腹黒ジャップ 偽善ジャップ
ジャップ社会 ジャップ体質 ジャップ品性 ジャップ因習 ジャップ文化 ジャップ統制 ジャップの正体 ジャップの性分 ジャップジャップ
サイコジャップ ナルシスジャップ マキャベジャップ ダークトライアドジャップ サイナルマキャジャップ ジャップハラスメント >>1
くノ一は居なかったのですか?
プロのくノ一に筆卸して欲しいです…… 俺の知ってる忍者は裸になるとACがLOになるとか、そういうのだったな
でもわかる人なんてもういないんだろうな 太平の世では、現代でいう産業スパイのようなもののほうが重要だったのでは。
他藩の特産品の技術を盗むとか。 伊賀甲賀の親戚が他藩にいるから親戚ルートで情報が入る
こっちも親戚ルートで流す
それが忍者の実情です
そもそも他藩に侵入したら捕まるから当たり前だよ 確か細川家(肥後熊本藩)の古文書か何かに、島原の乱の際に一揆側が籠る原城跡に
忍者を忍び込ませようとしたら、一揆側からの銃弾が激しく怖がってブルブル震えて
役に立たなかったとの記述があった気がする(´・ω・`) >>2
福井はさっさと天守を失ったダサい自治体
堀も内しか残っていない有り様 >>75
むしろオッパイ触らせて安倍政権を終わらせるような情報を手に入れてくるのがくの一の仕事だろう >>219
現代だと文藝春秋とか週間新潮がくノ一飼ってそうな気がする 忍者の実情は江戸時代では、下級武士
なかには郷士と言われるような事実上庄屋クラスのものもいたようだ
主な忍者としての仕事は、警護とか門番である
なぜこの役職かというと警備という名目で参勤交代や他藩への出張などに同道できるからで
要するに他国を視察しても怪しまれない点に意味がある
しかも他藩に行くと、同じ伊賀甲賀の親戚と情報交換していたと言われる
そもそも他国者に藩の内情を教える粗忽な武士はいないので、
結局同じ諜報係どうしで情報交換していたわけだ
こう考えると他藩の内情は、伊賀甲賀のネットワークで丸裸なのだが
太平の世で謀反する藩もないのだから別に困るものではない
それより田舎藩にとっては他藩の実情が解ることのメリットのほうが大きかった
というわけで江戸期の忍者とは情報交換を主とする下級武士で
なにもカッコイイ働きはしていない 忍ともかんとも
神風の術
やきそば走り
ナルトとかいうのは見てない 幕末期と戦国時代の忍者が違うのは当たり前。
幕末の忍者こうだからと、戦国時代の忍者も同様に見るのはおかしい。
武士だって戦国から江戸初期と幕末では違う。時代下がるほどサラリーマン化する。 なぜか不明だが、合気道の原点は忍者と関係ありそうだが。
合気道ってなんでもアリな感じで。 >>1
これって、欧米ゲー「なんちゃらウォリアーズ」とかでめっちゃありそうな出で立ちやんか?
案外外人の方が日本人より忍者のこと詳しいのかww ただ、忍者というとアクロバットな動きを印象するけど、実際に敵の中の下働きになりすまして情報を集めるのが仕事
飛んだり跳ねたりはできない >>80
安倍や小泉も
スパイと分かる格好していなからなぁ >>230
子供の頃から洗脳して白拍子にして売春婦として送り込んでたらしい
酷い話だね >>226
天守の代わりに県庁が石垣上にそびえてる >「皆さんが知っているのは作り上げられた忍者の姿」。
いやそれこそ知らない奴なんていないだろw
まさかニンジャスレイヤーみたいな忍者がいたとみんなが信じてると思ってるのか? >>33
何で宇多田ヒカルがくノ一の格好してんだ? 合気道と忍者が似たようなものではないのか。もしくはほとんど一緒のはじまりだったりしないのか。
手裏剣術
手裏剣は単に、標的に刺さるというだけでは、本来の意味を為(な)さない。
手裏剣は撃ったと同時に、目標媒体に突き刺されば、肉を切り骨を断つ、そうした凄まじい武器でなければならない。
古人が生死を決して修練した手裏剣の「術」は、凄まじさの上にも、精神的な心のあり方が説かれており、
単に的の中心に当たるだけでは駄目で、その命中したものが、更に的の奥に深く食い込むものでなければならなかった。
ここに一打必殺の凄まじさがあった。
http://www.daitouryu.com/japanese/image/photo/rokkakusanryou.jpg
http://www.daitouryu.com/japanese/gihoutaikei/tech_shuriken01.html
杖術
桜の木の原木のままを遣って造られた直刀の仕込杖。見た目は刀剣が仕込まれたように見えない巧妙な造り。
http://www.daitouryu.com/japanese/image/photo/chokutoushikomizue1_02.jpg
http://www.daitouryu.com/japanese/gihoutaikei/tech_jou02.html
腕節棍
西郷派大東流杖術ならびに棒術・槍術を完成させる為に、基礎的な躰術として「大東流腕節棍」がある。
これは「棍法課程」を会得する為の、大事な基礎稽古であり、かつ、棍法を修行する者は必ず会得しなければならない基本修行である。
腕節棍は、一般的には空手等で言う「ヌンチャク」のことであり、西郷派大東流腕節棍と、空手のヌンチャクの違いは、ほぼ同質のものを遣いながらも、その運動法と使用法において違いがある。
http://www.daitouryu.com/japanese/image/photo/ayawansetsukon.jpg
http://www.daitouryu.com/japanese/gihoutaikei/tech_wansetsukon.html 戦国大名は滑稽なくらい用心深い逸話伝わってる人多いし、平和な江戸時代になってから色んな妄想が形になってったんじゃないの 普通の農民みたいな格好してるんだと思ったけどこれは派手だな 忍者といえば「みこすり半劇場」を思い出す(;^ω^) 伊賀と甲賀だけでええよ
福井とかいう乗っかり土人は大人しいしときんなしゃれや 幕末といえば藤堂藩が鳥羽伏見の戦いで寝返ったのも
伊賀忍者の元締めである藤堂采女の進言と工作による >>261
福井藩祖の結城秀康は二代将軍秀忠の兄なんで、
幕府からも「制外の家」として一目置かれてた 日本の忍者のイメージは戦国時代とかではないの?
それに「出陣時」とか >>231
トランプ似の福田うんこ老中は、くのいちにやられたがな 千葉真一と藤子不二雄をdisるとは・・・天魔覆滅ニンともカンとも 何で福井県を話題に上げるのよ、余計なことするなよ
忍びのものなら隠蔽するだろう >足軽の身分はお金で買えたため、長野さんは「忍者もお金を払えばなることができたのでは」と推測する。
↓
>足軽の中では給料が高く、現在の福井市宝永1丁目・日之出5丁目辺りに約500坪が与えられ、長屋とみられる屋敷に住んでいた。
全く論理展開が理解できないんですが、何で金を出して忍者になって高い給料をもらう必要があったんでしょうか?
本当にこの人たちの思考ってバイアスだらけだよね。
情報が大切なのに、金を出せば誰でもなれるんでしょうか? 本当にこいつら朝鮮系の学者は頭がおかしいよ。 >>253
ブルース・リーは日本のヌンチャクをマスターしてあれほどになったから
欧米人が忍者を尊敬するのも もっとものような気もする >忍術の流派は源義経が祖とされる「義経流」
義経が忍者だったことに驚いた
てっきり大陸に渡ってモンゴル人になったのかと思ってた 忍者は”やんごとなき人々”だって言ってるでしょう、だから。
どこの馬の骨かもわからない人間に”密偵”なんか任せられるものかよw
本当にこいつらの思考は少しずれてるよね。
俺の一族は忍者とも関ってたらしいからね、冗談なのかどうなのかは知りませんが、
自分の家柄や私の性格の事を知ったら噓とは思えなくなったね。 甲冑つけて戦場に駆けつける忍者はいただろ
さして脳内イメージと違和感ないが >>271
>同心 - Wikipedia
>同心(どうしん)は、江戸幕府の下級役人のひとつ。
>諸奉行・京都所司代・城代・大番頭・書院番頭・火付盗賊改方などの配下で、与力の下にあって庶務・見回などの警備に就いた。
>また、諸藩においても藩直属の足軽階級の正式名称を同心としているところも少なくない。
>明治維新後は卒族とされた。
>江戸時代も中期を過ぎると、実質上は金銭で「株」を買う(建前上は養子入りする)事によって町人が武士の身分を得る例が見られたが、
>町方同心の場合は当然ながらその職務に通じている必要があり、また同心株を売るほど困窮した者も多いとはいえなかったため、
>事例は多いわけではなかった。有名な例としては樋口一葉の父が挙げられる。
事例は少ないけど足軽身分だった同心株の売買例もあったらしいから
中には売り出されて買われたのもあるかもしれない >>271
せいぜいが、賄賂払って取り立ててもらういう意味の売官やな
金払って身分と門地を買える公制度なんて、武家にはあれへんわ
あてんとこ、足軽ではなれへん旧士族だったから、明らかにおかしいって変わるわ 福井衆の忍びは藩主松平春嶽とブレーンの横井湘南の企てた「挙藩上京計画」で
幕府隠密衆と凄まじい抗争を繰り広げた末全滅した、と爺さんがイマワの際で寝言モグモグ
そのうち映画化されるだろうさ >>281
同心も与力が同意せんと雇われへんからな
金だけじゃ無理 >>272
ヌンチャクって日本語だったの?
「ぬ」が頭につく名詞って少ないよね
塗り壁くらい? 隠密同心、心得の条
死して屍拾うもの無し!
死して屍拾うもの無し! 忍者ほど史実を曲げて誤解を招いたものはないよな
8000石の旗本の服部半蔵が忍者とかさ
半蔵門線乗ってると、たまに思い出すよ >>262
この突然の寝返りは敵味方双方から、「藤堂の犬侍」と侮られた
関ケ原での小早川みたいに >>286
>ヌンチャクは、琉球古武術やフィリピン武術などで用いられる武器の一つ。
>フィリピン出身の武術家ダン・イノサントからフィリピン武術カリのタバク・トヨクを学んだ
>ブルース・リーの映画によって世界に広く知られるようになった。
>沖縄古武術に伝わるムーゲー起源説では、琉球王国時代、御殿、殿内といった貴族、またある程度以上の上級士族は、
>乗馬用に馬を飼育しており、日常的に馬術の稽古も怠らなかった。
>こうした上流階級の貴士族は、不意の襲撃などに備えて隠し武器(いわゆる暗器)を携帯したり、
>また身近にある道具を隠し武器として利用するように心がけていた。
>例えば、簪(ジーファー)の活用などがそうである。
>ムーゲーとは、木製の轡(くつわ)の一種で、普段は馬の顔に装着されているが、
>不意の襲撃に遭った時などには、これを外して武器として活用できるように工夫されていたと説もある。
>これがヌンチャクの起源であるという[1]。
沖縄とかフィリピンとかにあって、沖縄のは馬のクツワだったらしい
ブルース・リーのはフィリピン武術らしい 王桜とソメイヨシノみたいなもんかな
おれたちが忍者と認識してるのはソメイヨシノな 分身の術とか絶対に無理だろ
超スピードで残像を見せるとかwあり得んw
サスケみたいに六つ子でしたのが説得力ある >>283
小楠の名は大楠公に対する小楠公にちなんでいるらしいが
大楠公ばりに誰も考え付かない奇策を連発し、
天下国家を論じるので勝海舟らがころりと惚れたんだよな
ただ大楠公とちがい、友を見捨てて逃走したり酒癖が悪かったりで
ほどなく歴史の表舞台から降ろされた >>291
>義経流忍術の伝書によると商人や山伏に変装するなどして怪しまれないようにしていたようだが
ここらへんがどんどん肥大化していったんじゃないかね
他の普段の仕事には何のドラマ性もないから `滋賀,すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. 皆が思っている忍者は一部の特殊部隊のエリート忍者
大多数が>>1の言っているサラリーマン型忍者 鹿撃ち帽にパイプくわえた探偵やほっかむりに唐草模様の風呂敷背負った泥棒もいない 裏でやってることがばれないよう口伝が多いのに
忍者はこれこれこうでしたみたいな確かな記述が残ってるわけ無いだろ >>1
そりゃそうだろ、てかお前は007が諜報員の真の姿だと思ってるのか? 太平の世の間にすっかり忍者も忍法忘れてしまったんだろうな
古文書で忍者のアクション学んだり >>293
熊本の見掛け倒しはいつものこと。
明治以降は、西郷隆盛を騙して西南戦争を誘発し、
西郷が負けたら「薩摩が戦争した」と被害者を装った。
以後はマスコミで好戦を煽った。代表は徳富蘇峰。 実家が生駒で柳生の里には行ったな。
甲賀の里にも行った事がある。博物館が出来たばかりの頃なので35年前か。
お土産に撒き菱を買った覚えが。菱の実そのものだった。
旧藤村家のからくり屋敷も見たな。 >>292
重ね着してる着物を脱いでひらひらやると暗闇なんかでは複数人数いるみたいにちょっとごまかせるだろ >>291
そうやってどさくさにデタラメを重ね合わせてデタラメを真実化する情報操作っておまエラの常套手段だもんなw 忍者って農村の人のアルバイトだし
そこまで期待されてもねぇ >>29NINJA好きの外国人に言ったら本気で信じそうだ >>278
攻撃力は戦士用の剣が使える盗賊ってとこであんま強くはない
ただクリティカルが出せるのは高得点 明治の講談師があおったやつを、
のちの無声映画が更に煽り立て、
それを時代小説家がしっちゃかにし、
現代の作家がむちゃくちゃにしたうえで、
ナルトが異次元にふっとばしたのが忍者 塀から飛び降りる映像を逆回転しないと忍者映画は作れない。 かとんの術やすいとんの術は何となく分かるけど
らいじんの術がよく分からない 「忍者」という言葉自体が小説家村山知義の造語
『忍びの者』(しのびのもの)は、村山知義の歴史・時代小説。
戦国時代を舞台に、権力者たちに利用される下忍たちの悲哀と反抗を描いた作品。
1960年11月から1962年5月まで『赤旗』の日曜版に連載され、後に映画化、戯曲化、テレビドラマ化もされた。
『忍びの者』理論社(小説国民文庫)、1962年、のち角川文庫、光文社時代小説文庫、岩波現代文庫、理論社オン・デマンド版
続編
『五右衛門釜煎り 続・忍びの者』理論社(小説国民文庫)、1965年、のち光文社時代小説文庫、岩波現代文庫、理論社オン・デマンド版
『真田忍者群 忍びの者 第3部』理論社(小説国民文庫)、1967年、のち光文社時代小説文庫、岩波現代文庫、理論社オン・デマンド版
『忍びの陣 忍びの者 第4部』理論社(小説国民文庫)、1968年、のち光文社時代小説文庫、岩波現代文庫、理論社オン・デマンド版
『忍びの者 忍び砦のたたかい』光文社時代小説文庫、1990年、のち岩波現代文庫、理論社オン・デマンド版 戦前は「忍術使い」といった呼称が一般的だったが、戦後は村山知義、白土三平、司馬遼太郎らの作品を通して、「忍者」「忍びの者」「忍び」という呼称が一般化した。 >>279
福井
749年、東大寺が越前国の豪族から土地の寄進を受け、また墾田を買収して、福井平野に
多くの荘園を獲得する。この頃には条里制が布かれる。現在でも福井平野には条里遺構が存在する。
8世紀になると渤海との交流が盛んになり、若狭国や越前国は渤海使の来航や遣渤海使の派遣の拠点となる。
8世紀後半には交易が中心になる。
10世紀末に宋人が来航し交易が行われるようになる。特に院政期以降は敦賀津などを中心に貿易が盛んに行われるようになる。
11世紀末より主に院分国となり、保元・平治の乱以降は平氏の知行国となる。
鎌倉時代
島津氏・後藤氏等が守護職に任ぜられる。
この頃になると廻船業が発達し、敦賀津や小浜津、三国湊などが整備され、海上交易が盛んになる。
また、それらの港は年貢を京に輸送するための拠点ともなる。
江戸時代
1600年の関ヶ原の戦いの後、戦功第一の恩賞として結城秀康に越前一国および
下野国結城郡75万石が与えられる(北ノ庄藩)。
越前松平家は、将軍家徳川秀忠の兄の家ということから、制外の家(各種特権が許された家)または、御三家に次ぐ家という意味で四家などともよばれる。
江戸時代前期は上方と北国を結ぶ年貢米などの中継地として、小浜や敦賀の湊が多用された。
江戸時代中頃以降は北前船が三国や敦賀に寄港し、蝦夷地や大坂を結んでいた。
小浜の古河、越前河野浦の右近などの北前船主が活躍した。
1774年、小浜藩医である杉田玄白と中川淳庵が前野良沢らとともに「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、
「解体新書」を刊行する。
幕末期には福井藩主である松平春嶽や福井藩士橋本左内、元小浜藩士の梅田雲浜らが活躍する。
また、丸岡藩や小浜藩などが台場を建設する。
1896年(明治29年):敦賀港が対外貿易港に指定される。
1899年(明治32年)7月、敦賀港は外国貿易港に指定され、1902年(明治35年)には敦賀〜ウラジオストク直通航路が開設。日露戦争後はシベリア鉄道と接続(連絡運輸)した。
第一次世界大戦以降は人絹(レーヨン)の生産が活発になり、主にアジアやオセアニア、アフリカなどに輸出された。
第二次世界大戦中は、アメリカ軍により、敦賀市と福井市が空襲を受け、敦賀市は約70%、福井市は約95%の市街が焼失した。 >>178
ジェームス・ボンドも実際はチームワーク 忍者ってのは影武者みたいに
決してその正体を知られてはならない存在のことを言う 時にはスリーパーセルだったり
時にはねずみ小僧だったり
時には北町奉行だったりする >>16
石高ひくいし弱小やろ
まだ初代の頃は力あっだろうが、幕末で徳川の権威が落ちてるころからなおさら酷い >>49
そりゃ汚れ仕事はエタ非人の役回りだろww 忍者てのはお色気でパイ乙ポロリさせて
乳首から含み針飛ばすやつだろ かげろう忍法帖にてでくるような女忍者て実在したの?
あの全身鎖かたびらみたいなの興奮するんですが >>340
一族の資金を稼ぐ、という意味での女忍者は存在しただろうけど所謂傭兵としての仕事はしなかったんじゃね
暗殺は請け負ったかもしれんけど暗殺なら鎖帷子なぞ着る必要ないし 由美かおるや羽田恵里香、中野みゆきのほか、京本政樹まで出てやんの 「皆さんが知っているのは作り上げられた忍者の姿」
つまんねーこと言うな、時代や地域によって違うんですとかなんとか他に説明の仕方があるだろう
だいたい忍術をなめすぎなんだよ
忍者を語るなら、微塵隠れや影分身を使えるようになってからにしろ >>337
初代の時は60万石超えだったが、二代目が乱行とかで半分の30万石ほどに減らされた
それでも国持ち大名で石高低いとは言えない
多くの松平家(会津、出雲、讃岐など)の中で一番石高は高い 初めは68万石。騒動で45万石に減らされ、さらに32万石にまで減り、仕舞には養子ばかり押しつけられ、結城秀康の血筋は福井から弾かれてしまった 黒脛巾組のこともたまには思い出してやってください… 幕末の福井藩といえば松平春嶽!
その下で忍者が暗躍していたのかー…でも大したことしてなさそーだなw ガーディス ★ sage New! 2018/04/15(日) 13:20:48.06 ID:CAP_USER9
4/15(日) 11:25配信
黒装束姿で高い塀を飛び越え城に忍び込み、手裏剣を放ち、どろんと消える―。
小説や漫画で超人的に描かれる忍者について、史実に基づいた研究 そんなの解ってたことだろ
あんな格好をしてれば怪しまれる、盗人も同じ。 >>56
じじいのくせに若ぶるなよw
お前はただの無知な高卒 >>347
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころと関白になったころではぜんぜん違うだろ
刀狩りと太閤検地で国人衆や土豪、地侍を骨抜きにしたんだから大名組下になるか浪人になるか
だいたいが大名自体出自がうさんくさい連中ばかりじゃないかw下克上ってならっただろ?
蜂須賀小六(実質夜盗)なら影分身くらいつかえたろなw村上水軍(実質海賊)は焙烙玉つかってたし
倒幕した長州藩なんて山賊の出だぞwwまあまともなところは薩摩藩の島津家くらいのもんだろ?
そもそも徳川家にしったて・・・
そんな連中と御庭番をいっしょくたにするなよってなはなしだわ 幕末なんて武士も貴族化してるんだから、それで全てを語るなよ。 >>151
薬売りとか兼務してたやつ多かったんだろうなって思うわ 赤影のアニメ観て飛騨に忍者がいたのかと思っていたな 伊賀は大したこと無かったらしいな
半蔵正成が傑出して凄かっただけっていう
一人の功績で、あんなに有名になり取り立てられ門にもなった 今でも影に生きてるぜ。
とある俺はとあるスーパー銭湯に勤めてる。 >>360
そもそも飛騨は天領なので、いわゆる藩はない(江戸初期にはあったがなくなった)
だから忍者がいるのは不自然なのだが・・
まあ戦国時代に飛騨忍者がいて、それが職業として江戸期も残っていたと考えれば辻褄合わせはできる
しかし飛騨に忍者がいた記録はないようだ 外国人「あなた方日本人は忍者の本質を全く理解していない」 鞭や蝋燭で責められても苦痛を感じない忍者なら現代にもいる >>365
三田村鳶魚さんによれば、江戸期の盗賊の一部と、戦国自体のらっぱ(忍者の別名)などは実は同じものらしいね
戦国時代に夜討ち・焼き討ちを専門とする夜襲部隊がいて
その生き残りで各藩に召し抱えられたものがいわゆる忍びの者で、
仕官しないで夜討ち・焼き討ちで稼ぐようになったものが盗賊(火盗)だという
実在した鬼平も火盗改という役職名だが、
やはり特殊な強盗方法を用いる凶悪な盗賊組織があったということであろう ちなみに火付盗賊改とは、もともとあった火付改、博徒改、盗賊改をまとめて火付盗賊改に改組したものであるが
どうも三田村鳶魚さんによるとそもそも火付けが盗賊の一種だったようである
これは乱ぼうという強盗の手法で、夜中に放火して家人や近所の人が逃げ出してから金品を強奪するという
きわめて残忍かつ荒っぽい強盗のことである
つまり強盗と放火が一体の犯罪手法なわけである >>1
間宮林蔵みたいなザニンジャオブニンジャズみたいなのが実際いたわけだから
江戸時代の忍者ていってもそれこそ現代人がイメージする忍者らしいのから
そうじゃないものまでいろんなのがいたと思うよ 回避盾しつつヘイスト装備で身を固めてアタッカーやってたんでしょ 幕末水戸の天狗党の乱、鎮圧に部落民を使った
これが結構強かった
普段は皮剥いだり武具の製造、トビや治水関係に従事
特殊能力を藩も関与して育成していた
同級生にお庭番の子孫が居た
学業優秀スポーツ万能
どっちかと言うと秘書なんだろうね
警察で例えるとお庭番がキャリアで部落民が現場、一部公安業務 そら007だってガチ戦場に行くことになれば
迷彩服に防弾チョッキにヘルメットだろうよ
戦場にあの黒服姿に覆面で行ったら忍びようがねえだろ。アホか >>381
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、信長の命で飛騨の里から仮面の忍者を呼んだ
その名は ”赤影参上!” >>7
三姉妹で手裏剣代わりに南蛮渡来の札を投げるのですね・・ 前に「インテリジェンス」と言う本を読んだが、諜報員が普段何をやっているかと言うと、新聞やニュースをひたすら見て情報を集める、
夜に官庁の窓の明かりがどれくらい点いているか(深夜まで沢山点いていると何かあったと推測)調べるとか、地味なのばかりだったよ。
昔も今も大して変わらないんだな。 >>388
そういう仕事は新聞に募集広告出して集めてる 草と呼ばれる忍びも敵国の城下町に町人として寝起きし、噂を集めたり交通量を調べたりと地味なもんさ 今では廃品の無料回収車やさお竹屋に替わってきているんだよね 今朝、奥があなた私ニンニン云々とか
言ってたから、多分
忍者の血をひいてるんだろ 現代でも本物の忍者は一子相伝の秘術を受け継いで街中に潜んで任務にいそしんでるんだよ。 末端でもその辺の武家より血統家系に五月蝿そう
よそ者入れたら危険だもん 江戸時代の忍びといっても武士の家格を持つ御庭番(服部半蔵配下)もいるが
あまり知られていないが、幕府に協力することを約束して別の職業についているものもいる
後者の例として、三田村鳶魚さんは新宿牛込町の古着屋集団は、
もともとは幕府に逆らう野武士(徳川に負けた側の武士であろうか)であり
幕府をひどく悩ませたので、話し合いにより帰順させ
牛込町に土地を与え古着商を営ませたとなかなか面白いエピソードを紹介する
当時古着商は現代でいえば衣服の流通を引き受ける重要な商売で
もちろん仕入れ販売のために広域に移動できるわけである
これは忍びとはちょっとイメージが異なるが、情報収集にはうってつけの隠れ蓑であったことだろう 忍者部隊「月光」こそが忍者の理想。
「拳銃は最後の武器だ。我々は忍者部隊だ!」 加賀のぬすみ組は敵に紛れて敵城内に火つけてきたとかあったな 結城秀康を暗殺したのは、弟秀忠の命令を受けた服部半蔵であった!
理由は、父家康が秀康を可愛がることへの嫉妬。
御三家よりも上位の「制外の家」扱い
福井城の縄張りを家康自らが行う
豊臣秀頼の義理の兄・・西軍にも人望
三河以来の家臣の人望
梅毒で死亡と言われているが、毒殺の説もあり。
秀忠側と秀康側で忍びの争いがあったのでは無いか?
みたいな小説があったような。 '
スパイ養成学校の
朝鮮学校や 朝鮮大学校が 堂々とやってんだから
忍者も城下に堂々と住んでいても おかしくない
. >>243
適当な事抜かすな
彼らは愛国者
見てすぐわかるスパイはミンス議員連中のこと言うんだよ
なお自民支持者大多数の若者はスパイ見る目養われてるし、洗脳マスゴミにも騙されない モンスターの首をはね飛ばすニンジャこそ真のニンジャ >>1
> 城下町に堂々と住み、名前はいたって平凡
そらー言ってみりゃスパイだろ?
目だった格好して、明らかに怪しい処に隠れ住んでたら
意味なくね? >>406
>今やってるベッキーがくノ一のやつエロい?
かぼちゃの馬車で詐欺の片棒担いだ次はそんな事やってんの?
シレッと良くやるもんだよね、不倫に何の罪悪感も無いヤリマンは。 今サンデーでやってる忍者漫画、あれ、本当に実在した忍びで、
実際に黒船に潜入してるんだけど、持って帰ってきたのは
「どこそこの港の娼館の女が良い」とかいう船員のメモ書きだったらしい。
英語わかんないから仕方ないよねーw。
もっとも「黒船に秘密裏に潜入して無事に生還した」のは真実らしいから
凄いと云えば凄いのか? こんなの着てたら、動くたびにカチャカチャ音がするだろ とりあえず、忍者を知りたかったら、「正忍伝」を読め。クソ賢いぞ。
忍者の奥義書で、おれ、三万円出して中古で買ったけど、ぜんぜん後悔してないから。
お金のない人は、「正忍伝」の文庫化、kindle化をどんどん意見して。 日本の文化(女をいちばん抱けた文化)
45年代(占領時代)
50年代(独立戦争)
任侠文化:犯罪をいとわない仁義の文化。占領下では英雄たちだった。
55年代
60年代
テレビ文化:男優や女優がモテた。テレビにみんなくぎ付け。
65年代
野球文化:巨人の九年連続日本一、野球はGHQの推進した洗脳スポーツだったけど日本では大人気、
70年代
パチンコ文化:在日朝鮮人の賭博詐欺だが、この頃は日本のパチプロはモテた。機械仕掛けじゃない。
75年代
東南アジア移住文化:物価の安い東南アジアに移住した人たちが王侯貴族の暮らし、
80年代
エリート文化:一流企業の総合職の文化。ゴルフ、お洒落なディナー、ドライブ、
85年代
ツッパリ文化:軽犯罪、暴走族、関東連合全盛期、漫画ワンピース尾田栄一郎の青春時代
90年代
音楽文化:カラオケ、ライブ会場、バンド、
95年代
お笑い文化:お笑い芸人、ヴァラエティ番組、 00年代
インターネットアンダーグラウンド文化:セクハラノウハウ、出会い系、英雄決定戦、
05年代
漫画文化:コミケ会場、同人誌製作(女子高生文化やアングラ文化の再現漫画製作現場)、
10年代
正規ネット文化:ニコ生主、ボカロ、電王戦、ネット小説、アフィリエイト
15年代(推測)
秘密研究所文化:研究所、秘密の楽園、
20年代
予測不能
補足。
日本の格闘技文化がしらけて終わったのは、本当に強い格闘家は、本気出すと素手で相手を殺せてしまうからである。
日本のお笑い文化が強制終了させられたのは、日本の子供たちが笑い死にしてどんどん死んじゃうからである。
日本のお笑いはもはや殺人兵器だ。
現在、いちばんモテてるのは美少女のクローン人間をロリで抱いている生命工学研究所の予定だったけど、結果聞かないとわからない。
野球部とかパチプロはもう伝統芸能だからどんどんつぶすわ。規模大幅縮小。
日本独立運動。
任侠文化は、日本の独立戦争なので重要なので書く。
「忍術(盗賊団)は王朝を滅ぼす術である」と伝わってる忍者がアメリカ占領司令部GHQを襲撃。
それが効果的とわかって、任侠ものがGHQやアメリカ兵を攻撃。
任侠ものには、退役軍人や日本の貴族、坂口安吾の堕落論を読んだ若者が多かった。
そして、日本の政治家吉田茂が公式に独立を勝ち取ったことによって日本は独立した。 忍者なんて絶滅してる物に正しい正しくないとか意味無い 「正忍伝」の内容をちょっと教えてあげる。
まず、忍者でいちばん偉いのは「唐間」であって、中国の忍者。
忍者の歴史は、
夏王朝を滅ぼした伊尹、孫武、聖徳太子、源義経、楠木正成、徳川吉宗、なんかがよく忍者を使って勝った英雄だと紀州忍者には伝わってる。 【歴史】戦国、加賀藩の忍者の姿 史料調査で徐々に解明「皆さんが知っているのは作り上げられた忍者の姿」
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r´ :::うヽ:: 彡" 彡ヽ;マ i⌒´}::::::/ /::::::::;、 '´ _|ヽ| あ .|
{ン二,,/ ´ ,,彡彡''" ..::: :::::/'"V'、'、,r/::::/ /::::;、 '"_,, 、-| |
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`t'ー 、、-''´,、 '" / '" '" u' / /:: : : ヽ と |
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ノ| ',. } ',. l ,- , ̄ ` ''ー 、:::::''ー了 |
r'.イニ i 〈" l| l| {. '、 ー 、 ` ''' 、/ // |
} l| l|. | ゙'、ヽ '、__,ヽ 、 `''ー-、 ̄|. ・・. .|
r-,. l,, i、- ゙'、',゙'' ヽ、;l| l| ``、'''''' ー― /_ |
| l. ゙' 、 ヽ ゙i "'ヽ、 } `'''''''''''' ヽ |
ヽ `'' ー'、 `、 ゙ーii リ、 ,,,、-ー'''彡三|,r、,____|
゙' ` ゙'' ゙ " あと、忍者は武士の中の盗賊団だから、普通に身分は低い。
忍者は、仕事をするには好都合というが、武士は超怖いと言い伝えている。 「正忍伝」は1760年頃の書物だから、
現在は、忍者でいちばん偉い上忍は、「人に知られず巧者なるもの」とされている。 忍者らしい(?)活躍をしたので知ってるのは、毛利元就が使ってたという井上源五郎っていう忍び
敵の城に忍び込んで城を落とす手筈をやって、城を五つか六つ落としたが、最期は重傷を負って帰ってきて死んだとか おれの解釈で悪いが、
忍者は、本来、武装盗賊団のことで、
忍者が諜報機関となったのは江戸時代の「隠密」からだから。 白土三平の代表作、漫画「サスケ」を電子書籍化してもらおう。
アマゾンが邪魔しているぞ、あれ読むの。
織田信長の忍者が根来衆。
織田信長の護衛兵は、薙刀を持った女人兵で、信長は手をだしていないけど、日本刀じゃ勝てない。
まあ、焼き討ちで負けたけど。
豊臣秀吉は、根来衆が従わなかったので、くのいちを組織して自分を護衛させていた。
くのいちの元祖は、いまのところ、さかのぼると秀吉の忍者にたどりつく。
徳川家康は、幕府を開いてから、隠密の各地を諜報させた。 これ、バラしちゃっていいのかな。
富山県は、薬売りの国だけど、全国の家に薬箱を年2000円で貸し出すことで、
その時の宅地訪問で全国諜報をしていたよ、インターネットで正体がバレるまで。
この薬売りの忍者は、根来衆だ。
あと、戸隠流は、天皇家の子孫の忍者。全国から軍人や警察が忍術を学びに来ている。
伊賀、甲賀は、徳川家じゃなくて、天皇家の忍者だ。
これが徳川家康に奪われてから江戸時代だ。
風魔は、後北条家の忍者だけど、鎌倉時代の北条氏に仕える忍者の可能性があり、
侍の忍者でいちばん偉い可能性がある。 服部家が、自分たちが高麗王の子孫だって気づいてから、日本や天皇家に逆らいまくってて困る。 忍者ってB層じゃなかったっけ?
根来衆は紀州じゃないの? 金で買えるぐらいなら
甲賀の人たちが忍法帖拵えて、薬売りながら江戸に来て、就職活動なんぞ行わないと思う
秀吉のせいで、いわゆる甲賀衆以外の大多数は平民にされたんだとなw >>431
根来衆って紀州忍者かよ。
忍者は平気で箔付けに歴史改竄するんでやだ。よくわからない。
織田信長は、岐阜を領土にして「天下布武」を目指してから、
首都を攻め落としている。
天皇家の隠れ里、伊賀を攻めたが、超苦戦したし、甲賀には気づかなかった。
仏教の総本山の天台宗を鬼のように攻めて攻略したけど、足利将軍家の寺社領である延暦寺はクソ強かった。
そして、京都を攻めとると、太政大臣になって、
安土城を築いて、日本の国王となったけど、四年で滅んだ。
豊臣秀吉は、信長が四年で滅んだのが、全国の諸侯が織田信長が実力で新しい日本の君主になったことを、
知らなかっただけだと知っていたので、
「首都陥落」だけでなく、「全国統一」までした。そして天下人となった。 >>434
甲賀だって秘伝の書を幕府に騙されて取られたべ。
風魔も後北条氏滅亡後は関東で盗賊やって捕らえて首チョンパ。
江戸期以降は忍者ってのは有って無いようなモンなんだろうな。
ただの諜報員って感じでさ。 福井にも忍者がいたのか
すると俺の町にも忍者がいたのかも >>429
風魔って箱根の山に住んでる住人、サンカだろ? ちなみに、日本史上、大蔵経という仏典巻物三万巻(現在はハードカバー150冊)を全部読破した有名人は、
最澄、法然、南方熊楠、小谷野敦がいる。
みんなモテないのはたぶん読書ばかりしているから。
空海は、ぜんぶの仏典を呼んでないけど、重要な仏典は読んでるし、
解釈の仕方が超賢いので、超偉い。 >>436
取られるどころか相手にされなかったんで無いの?
だから今に残っている訳でw 空海と最澄の書簡集、文庫でも電子書籍でも出して。
いろいろ誤解が多そうだ。
早く、大蔵経を現代語訳してアマゾンで売ってよ。仏典いる。 百日回峰行をした天台宗と、高野山の学侶の三割くらいは大蔵経をぜんぶ読んでる。 空海は、大蔵経をぜんぶ読まずに、サンスクリット語の研究に行ってしまった。 あ、なんか、平成の天皇も大蔵経ぜんぶ読んでるらしい。
そんで、こんな重要なもの、海外の会社で売れるかといったので、アマゾンで売れないらしい。 鞍馬天狗のイカみたいな三角頭巾はどうしても再現できない
ソースはうちの親父 ずっと天井裏とか縁の下とか池の中に潜んでるんだろ? 忍びの仕事もない時代の、福井藩の話で、忍者はウソ!って言われてもな 本場の甲賀と伊賀ならいざしらず
胡散臭い流派の地方の忍者じゃな >>407
オマエ 完全に洗脳されてるな
社会復帰 きびしいだろ >>7
「形態は機能に従う」
機能美的に当然あったはず 日本[編集]
D1bの祖 D1b 中国戦国時代の覇者呉の王家の名軍師孫武(孫子の兵法の孫武)にまでさかのぼる。D1bは渡来系であり、偵察と生殖しかしない。
伊邪那岐 D1b1a 日本の西暦712年の歴史書である古事記にある日本最初の男。イザナギの息子ヒルコ(昼子)の男系子孫蛭川家がD1b1aなことから確定。
高御産巣日神 ? 日本書紀における日本最初の男。忌部氏、大伴氏などの祖先にあたる神。
出雲王朝(Okuninushi dynasty) C2c1a(C-Z1300) [2] スサノオの子孫とされるが、スサノオがD1bなのに、オオクニヌシがC2なんで、古事記がまちがってる。
諏訪神党(Takeminakata party) C2c1a(C-Z1300) [3][4]
物部王権(Nigihayahi dynasty) D1b1d1(D-CTS1897)[5][6][7] 古代大和王権。鈴木氏が有名。イザナギの子孫の可能性はあり、要検討。
皇室(Imperial House of Japan/Tenno) D1b1a2(D-IMS-JST022457)[8][9] 縄文の大王家D1b1aに神武天皇で起きた突然変異を指してD1b1a2としている。
源氏 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093)[10] 八幡太郎源義家の子孫。
西園寺家 O1b2a1a1 鎌倉将軍家をのっとった第四代鎌倉将軍、第五代鎌倉将軍家。九条家の藤原氏。摂家将軍。
北条氏 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093) 桓武平氏―北条氏。
足利氏 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093)[11] 八幡太郎義家―足利氏。
織田信長 ? 忌部氏。安土城を築いて日本を統治したが四年で滅んだ。
明智光秀 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093) 源氏―土岐氏―明智氏。
豊臣秀吉(太閤) C1a1(C-M8) [12]
徳川氏 D1b1a 伊邪那岐―賀茂氏―松平氏―徳川氏 なんちゃって源氏です。
安倍晋三 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093) 桓武平氏―平知忠―安倍知任―長門安倍氏―椋木氏―長門安倍氏
ずいぶん、天皇家に有利な解釈となったけど、 今ある情報を素直にまとめると、これがいちばん自然な解釈です。
「古事記」はしょせん、天皇家に関する口伝集であると。
孫武仮説。孫悟空も孫文もD1bのことから、天皇家は呉の名軍師孫武の子孫の可能性がある。
忍者と伝えられる孫武の国日本が忍者の国でもおかしくない。
日本の先住民は出雲だ。
天孫降臨とは、中国の戦国の覇者の軍師孫武が東の海を渡り日本列島の大王となったことを意味する。 橋本佐内も松平春嶽の間者をやっていて井伊直弼らに捕まり首落とされたんだろ その点、チェスト関ケ原とかチェスト種子島が実在した薩摩って凄いな >>13
福井県民はその像に文句をつけなかったのか 孫武仮説。
日本[編集]
D1bの祖 D1b 中国戦国時代の覇者呉の王家の名軍師孫武(孫子の兵法の孫武)にまでさかのぼる。D1bは渡来系であり、偵察と生殖しかしない。
伊邪那岐 D1b1a 日本の西暦712年の歴史書である古事記にある日本最初の男。イザナギの息子ヒルコ(昼子)の男系子孫蛭川家がD1b1aなことから確定。
出雲王朝(Okuninushi dynasty) C2c1a(C-Z1300) [2] 日本を偵察に来ていた中国の呉の軍師孫武の部下ヤマタノオロチという忍者(盗賊団)を倒した日本先住民の王家。
諏訪神党(Takeminakata party) C2c1a(C-Z1300) [3][4]
ニニギノ D1b 天孫降臨したとされる。つまり、日本の王となるために九州に来た孫武の子孫である。古事記によれば、孫武の偵察兵団ヤマタノオロチが負けてから日本に来た。
高御産巣日神 ? 日本書紀における日本最初の男。忌部氏、大伴氏などの祖先にあたる神。
物部王権(Nigihayahi dynasty) D1b1d1(D-CTS1897)[5][6][7] 古代大和王権。鈴木氏が有名。イザナギの子孫の可能性はあり、要検討。
皇室(Imperial House of Japan/Tenno) D1b1a2(D-IMS-JST022457)[8][9] 縄文の大王家D1b1aに神武天皇で起きた突然変異を指してD1b1a2としている。
源氏 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093)[10] 八幡太郎源義家の子孫。
西園寺家 O1b2a1a1 鎌倉将軍家をのっとった第四代鎌倉将軍、第五代鎌倉将軍家。九条家の藤原氏。摂家将軍。
北条氏 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093) 桓武平氏―北条氏。
足利氏 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093)[11] 八幡太郎義家―足利氏。
織田信長 ? 忌部氏。安土城を築いて日本を統治したが四年で滅んだ。
明智光秀 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093) 源氏―土岐氏―明智氏。
豊臣秀吉(太閤) C1a1(C-M8) [12]
徳川氏 D1b1a 伊邪那岐―賀茂氏―松平氏―徳川氏 なんちゃって源氏です。
安倍晋三 D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093) 桓武平氏―平知忠―安倍知任―長門安倍氏―椋木氏―長門安倍氏 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています