技術革新が極限まで進むと理論的には共産主義にならざるを得ない。
つまるところ共産主義社会とは何もかもが機械化されて人間がそれほど働かなくてもよくなった社会のことであり、
これは資本主義だろうが社会主義だろうが(生産設備を資本が持っていようが社会が持っていようが)、
技術革新が進んでいけばいずれ到達していく。

だが、現代の打出の小づちである生産設備が生み出した付加価値を国民が享受できるか否かは、為政者による。政府が分配を妨げようとすれば、機械が何もかも生み出せるようになっても国民は恩恵を受けることは出来ない。

そして、そのバロメーターは法人税率や付加価値税率。日本が低成長の本当の原因は生産手段を所有する者に対する税率の低さにある。
これは借金がなく、国民の預金1000兆円が直接間接問わず市場で躍動した場合を想像すれば明らか。

実は世界の真の為政者たちはこのことをわかっている。
知性の乏しい人間に王侯貴族のような生活をさせても害悪しかもたらさないし、
既成階級を覆してしまう危険性がある。アメリカでも格差が拡大しているがこれはわざと。
人々が暴発しない程度まで分配を減らし、人間を取捨選択(家畜化)しているだけ。
世界中の人々はすでに飼いならされているに過ぎない。

このような社会を打破するためには、自給自足経済を取り入れるしかなく、技術革新が極限まで進み、
世界のすべての人々が自給自足(特にエネルギーと食料)できるようになれば、
過度な資本主義(大資本による寡占)は崩壊し、その権化であるアメリカも崩壊する。

ただ、このようなことはアメリカのパワーエリートたちは百も承知であり、人々が自給自足できないよう、
古くは英の囲い込みに始まり、最近では日本の農業大規模化などで国民を農地(自給自足)から引き離し、
都市へ半ば強制的に住まわせ自給自足出来ないようにしている(資本主義が成熟していった国から順番に)。
公共インフラなどの民営化もすべて国民が自給自足できないことを目的に行われているもの。
公共インフラを官営し、それを運営するための費用の出所を生産手段を持つ者に対する税で賄えば無料で提供することができる。

とはいえ、このような逆境に屈することなく、真に自由主義、民主主義、自尊心の保持を希求しようとする者は、
持ち得る限りの知恵を用いて自給自足経済の確立を目指し(最新の技術を取り入れ、都市生活とそん色ない形での自給自足)、
かつ、周囲の人々を善導(精神的にも経済的にも)し、資本主義のくびき(利権による従属関係)を断ち切らなければならない。

そして、人々はその最高善(幸福)、すなわち、人生の究極目標を快楽ではなく知的探求に求めるべく変わるべきだろう。
なぜなら、強い快楽を得るためには多くのお金が必要であるわけだが、世界の真の為政者たちは低層階級の人々へ
回るお金を出来るだけ少なくしようとしている。それ故、低層階級の人々は低劣で質の低い快楽
(ビールではなく発泡酒だとか、三星レストランではなくファストフードだとか、AKBだとかスポーツだとか)しか
享受できず、このような愚劣な快楽を追い求めるために身体を犠牲にしてまで必死に働くというのは馬鹿げているからである。
しかしながら、人生の究極目標を知的探求に求めるならば、それを行うのに大したお金もかからず、人々に真の美を得させてくれる
(真の美とは女性の身体ようなものではなく知識、女性を美しいと感じるのは目鼻立ちや身体が数的法則(比)に従って秩序だっているから、そして、数的法則(比)は知識)。
しかも人々を崇高かつ優れた人間にし、さらに理性も鍛え、くだらない嫉妬や妬みなどからも解放してくれる。