0001アルカリ性寝屋川市民 ★
2018/05/19(土) 23:50:20.86ID:CAP_USER9プロジェクトは2016年11月に同市伊香立生津(なまづ)町の生津城遺跡から、16世紀中ごろの石垣の基礎部分が見つかったことを機に企画された。
プロジェクトに関わる丸山竜平・元名古屋女子大教授(考古学)=京都市山科区=は「(生津城遺跡の石は)確認されている穴太衆積みの中で最古と推定できる」と話す。この石材を活用するため、17年2月に穴太地区の住民有志が中心になって復元委員会を結成。復元作業を体験し、穴太衆積みの石垣を見学できる場所をつくることにした。
復元委員会は会員数が26人。石垣の奥に多量の石を使うなど穴太衆積みの定義を決め、復元図も作成した。
復元する石垣は延長20メートル、高さ1・2〜1・5メートル、奥行き1メートルで、今月から本格的な復元作業が始まった。発掘された石を含め、近くで採れた40〜70センチ大の石約240個と、石垣の裏や隙間に詰める小石約1500個で石積みを行う。粟田さんは石垣の角に使う角(すみ)石などの選別準備に訪れ、「この石なら大丈夫」と復元にお墨付きを与えた。
石積み作業は19日から毎月第1、3土曜に行う。復元委員会代表の生嶋正義さん(68)=大津市穴太2丁目=は「地元で手軽に穴太衆積みを見られる場所がなく、石垣を復元することで発祥の地を全国にPRしたい」と意気込む。
京都新聞 2018年05月19日 17時30分
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180519000064