皇太子ご夫妻は9日、結婚から25年を迎えられました。

皇太子ご夫妻は9日、結婚から25年の「銀婚」を迎えるにあたって、記者団からの質問に文書で回答を寄せられました。

この中で皇太子さまは冒頭、「結婚してから、25年が経つのかと思うと、時の流れの速さを感じるとともに、感慨深いものがあります」と記されました。

そして、お互いに付ける点数についての質問に「雅子はこの25年間、大変なこともある中で、色々な努力を続け、また、私と愛子をしっかりと支えてくれており、ありがたく思うとともに、心から感謝しています。点数を付けるのは難しいですが、今回は結婚10年の折の『努力賞』と『感謝賞』のダブル受賞に加えて、銀婚式に因んで銀メダルも贈りたいと思います」とつづられました。

雅子さまは体調を崩してからも皇太子さまが優しく細やかな心遣いで雅子さまを助けられてきたことに感謝の気持ちをあらわし、「天皇皇后両陛下のご成婚25周年の折に、陛下に皇后様が差し上げられた『感謝状』という言葉以上に私の気持ちに相応しい答えが見つかりません」などと述べられました。

また、皇太子さまは来年5月1日に新たな天皇として即位したあとの活動などについて「私たち自身、両陛下のお導きの下で、お互いに協力しながら様々な経験を積んできましたので、今回の25年という一つの節目を契機に、気持ちを新たにし、今までの経験を糧にしつつ、引き続き、お互いに協力しながら、国民の幸せを願い、一つ一つの公務に取り組んでまいりたいと思います」と述べられました。

雅子さまは東日本大震災などの被災地の復興を願う気持ちをあらわすとともに「これからの日本や世界の人々にとって何が大切になってくるのかということについて、皇太子殿下とご相談しながら考え、世の中のことに関わっていくことができればと思っております」とつづられました。

■25年の歩み

皇太子ご夫妻は25年前の平成5年6月9日に結婚されました。皇居で行われた「結婚の儀」に続いて、お住まいのある赤坂御用地までオープンカーでパレードされ、沿道には20万人近くが詰めかけました。

1か月後の宮中晩さん会で皇族として国際舞台にデビューした雅子さまは、元外交官のキャリアをいかし、外国の首脳と懇談されました。

翌年、ご夫妻は初めてお二人での外国公式訪問に臨み、中東4か国を回って国際親善に努められました。

平成7年に阪神・淡路大震災が発生した際には、外国訪問の日程を繰り上げて帰国し、初めて被災地を見舞われました。

機会あるごとに国民とともに歩む姿勢をあらわされてきた皇太子さま。全国障害者スポーツ大会への出席など、両陛下からさまざまな公務を受け継がれてきました。

平成10年の長野パラリンピックでは、雅子さまとともに開会式に臨み、大会の名誉総裁として開会を宣言されました。

結婚から8年が経った平成13年12月、ご夫妻は待望のお子さまを授かり、長女の愛子さまが誕生されました。

しかし、その2年後、雅子さまが体調を崩し療養生活に入られます。慣れない環境と大きなプレッシャーの中で、公務と子育てによる心身の疲れがたまっていたのです。

宮内庁は「適応障害」という診断結果を公表。皇太子さまは、記者会見で雅子さまに寄り添い支え続ける決意を述べられました。

皇太子さまお一人での公務が日常化する中、平成17年に愛知県で開かれた「愛・地球博」では、雅子さまも会場を視察し、1年8か月ぶりに地方での公務に臨まれました。

一方で、雅子さまは母親として愛子さまの成長を支え続けられました。愛子さまが通学に不安感を抱かれていた頃には、連日学校に付き添うなど対応に尽くされました。

雅子さまは体調に波があり、公務を重ねられるのが難しい状況が続きますが、平成23年に東日本大震災が発生すると、ご夫妻で大きな被害を受けた東北3県を相次いで訪れ、避難生活を続ける被災者を励まされました。

そして、平成25年4月、雅子さまにとって、11年ぶりの外国公式訪問となったオランダへの訪問が実現し、雅子さまは、回復に向けた大きな一歩を踏み出されました。

皇太子さまが温かく見守られる中、雅子さまは少しずつ活動の幅を広げられていて、去年秋にはお二人で5度にわたって公務で地方を訪れ、先月、滋賀県で開催された行事にもご夫妻で出席されています。

2018年6月9日 5時29分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180609/k10011470021000.html