「浦和のうなぎを育てる会」がPR活動を続ける
 ウナギのかば焼き発祥の地は浦和−−。江戸時代から続くとされる、かば焼きの伝統を守ろうと、さいたま市浦和区などのウナギ料理店などが「ウナギのかば焼き発祥の地」としてPR活動に力を入れている。発祥地には諸説あるが、関係者は「ウナギに興味を持つきっかけになれば」と意気込んでいる。【畠山嵩】

 PR活動を続けているのは「浦和のうなぎを育てる会」。代表理事でウナギ料理専門店「中村家」の大森好治さん(76)らによると、浦和周辺にはかつてウナギの生息に適した川や沼地が多くあり、1950年代ごろまでたくさんの天然ウナギが取れたという。当時、旧浦和市(現さいたま市浦和区など)には約50軒の専門店があったが、その後、後継者不足などで徐々に減少し、現在は十数軒ほどしかない。
 「このままでは伝統が途絶えてしまう」。危機感を抱いた大森さんたちは93年に育てる会を発足させ、江戸時代の文献などを基に「かば焼き発祥の地」を宣言した。
 同会は2002年から毎年5月に「浦和うなぎまつり」を開催し、かば焼きを浦和名物としてPRしている。ウナギの養殖が盛んな浜松市の業者も参加しており、今年出店した浜名商工会の吉田新吾事務局長(57)は「浜松は養鰻(ようまん)(ウナギの養殖)、浦和はかば焼きの発祥の地としてそれぞれアピールしてきた。価格の高騰でウナギ離れが進む中、協力してウナギを食べる機運を盛り上げたい」と歓迎する。
 大森さんは「加工者と生産者が手を携え、客足を呼び込む取り組みを考えることが必要だ。浦和に足を運んでもらえるよう活動を続けたい」と意気込む。
発祥の地に諸説あるも「交通の要衝の浦和、的外れではない」
 ウナギのかば焼き発祥の地については諸説ある。「日本の伝統産業 物産編」(1978年、通産企画調査会刊)には、浦和のかば焼きについて「宝永年間(一七〇四)、旅人に提供し好評を得たのがはじまりで、蒲焼(かばやき)発祥の地といわれる」との記述がある。中山道・浦和宿を行き交う旅人に提供し、消費地と生産地が直結していたためウナギ店が増えたとみられる。埼玉県立文書館所蔵の古文書「会田真言家文書」(1827年)にも、江戸時代に浦和から江戸・紀州藩邸にかば焼きを献上していたと記されている。
 一方、世界各地の珍しいウナギを展示する堺市の「うなぎミュージアム」の亀井哲夫館長(70)によると、社会風俗を題材にした小説「好色産毛」(1692〜97年)の京都の路上を描いた挿絵に「うなぎさきうり同かばやき」と書かれており、上方が発祥の可能性もあるという。ただ、亀井館長は「浦和には川も沼地もあり、交通の要衝だった。かば焼き発祥の地というのは的外れではない」と話している。

https://mainichi.jp/articles/20180630/k00/00e/040/238000c