ピウスツキが撮影したバフンケとされる男性
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 樺太(サハリン)のアイヌ墓地から持ち出された地元集落の首長、バフンケ(1855〜1919年ごろ、日本名・木村愛吉)の遺骨が、北海道大から遺族へ返還されることが決まった。アイヌ民族の遺骨は全国の大学などに1600体以上保管されているが、身元が分かる遺骨は38体のみで、生前の写真や逸話の残る人の遺骨返還は初めて。【三股智子】

 バフンケは樺太の東海岸にあった集落「アイ」の首長を務めた。ロシア語や日本語に堪能で漁業で財を成し、樺太に滞在した言語学者の金田一京助(1882〜1971年)の著書「北の人」にも触れられている。ポーランド貴族出身でロシアの政治犯として樺太に流刑されたブロニスワフ・ピウスツキ(1866〜1918年)が寄宿し、バフンケのめいのチュフサンマと結婚した。

 バフンケの遺骨を持ち出したのは、北海道帝国大(現・北海道大)医学部の研究グループとみられる。同大の資料に1936年8月にバフンケの遺骨を発掘した記録が残っている。

 遺骨の返還は、ピウスツキとチュフサンマの孫で、横浜市に住む木村和保(かずやす)さん(63)の請求で決まった。木村さんは北海道で生まれ、三十数年前にピウスツキの研究者からルーツについて教えられ、昨年になって、この研究者から同大に遺骨が保存されていることも知らされた。

 大学側は、持ち去った経緯を明らかにしていない。木村さんは「なぜ遺骨を持ち去ったのか。説明と謝罪を求めたい」と話す。

 【ことば】アイヌの遺骨

 19世紀から人類学が盛んになるにつれアイヌ民族への関心が高まり、北海道や樺太、千島列島のアイヌ墓地などから大量に収集された。国内の12大学と博物館など12施設に1600体以上が保管され、国外にも流出している。昨年7月にはドイツから1体返還されたほか、オーストラリアの3体も返還に向けた交渉が進められている。遺骨は2020年までに北海道白老町に国が建設する慰霊施設に集約される予定で、遺族や地域への返還を求めるアイヌ団体が大学などを訴えている。

毎日新聞 2018年7月21日 15時00分(最終更新 7月21日 15時09分)
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