都久夫須麻(つくぶすま)神社が鎮座する竹生島(ちくぶじま)は、琵琶湖に浮かぶ周囲約2キロの小島。「近江国風土記」逸文(いつぶん)が伝えるには、伊吹(いぶき)山と浅井(あざい)山とが高さを競った際、浅井山が一晩のうちに高さを増した。これに伊吹山が怒って浅井山の頭を切り落とした。この頭が琵琶湖に落ちてできたのが竹生島という。 

 竹生島の北側の湖底からおびただしい数の古代の土器が引き揚げられており、古来より竹生島と周辺の水域が、信仰の対象となっていたことがうかがえる。

 社伝によれば、雄略天皇3年(5世紀後半)浅井姫命(あざいひめのみこと)を祀(まつ)る祠(ほこら)ができたのが神社の始まりとされる。

 都久夫須麻神社の本殿は伏見城の御殿、あるいは豊臣秀吉の墓所である豊国廟(ほうこくびょう)の一部を移築したといわれる。豪壮華麗な桃山時代の建築様式を伝えており、国宝に指定されている。

 神社に隣接する宝厳寺(ほうごんじ)は、奈良時代の僧・行基(ぎょうき)が開いたという。福徳や財宝を授ける女神である弁才天が御本尊(ごほんぞん)。厳島(広島県)、江の島(神奈川県)とともに「日本三大弁才天」のひとつである。慶応4(1868)年の「神仏分離令」により危機に直面したが、全国の信者の強い要望によって廃寺は免れた。

 今でもたくさんの人が船に乗って、竹生島を訪れている。

メモ 竹生島へは長浜港、今津港、彦根港から定期船が運航されている。



産経WEST 2018.7.22 09:00
http://www.sankei.com/west/news/180722/wst1807220007-n1.html