曲げ物の棺が見つかった墓=金沢市千田町の千田北遺跡で、久木田照子撮影
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 金沢市千田町の千田北遺跡で今年6月、薄い板を円筒形に丸めた「曲(ま)げ物(もの)」に13世紀後半〜14世紀初頭(鎌倉時代)の人骨が埋葬されているのが見つかった。現代では弁当箱としておなじみの曲げ物だが、棺(ひつぎ)としての使用はまれ。また、北陸地方で中世の全身骨格が残っていることも珍しい。市は約700年ぶりに外界に触れた被葬者の謎の解明を進める。【久木田照子】

 市は千田北遺跡で2015〜今年度、道路建設工事に伴う発掘調査を実施。弥生時代から中世までの遺構を確認した。現地は地下水が豊富で、粘土質の土が遺物を酸素から遮断。有機物を傷めるバクテリアの作用が抑えられ、木製品もよく残っているという。

 ■異例の埋葬

 土中から曲げ物(直径60〜70センチ、高さ約40センチ)が現れた時、市文化財保護課の担当者、向井裕知さんは「井戸の木枠かな」と思ったという。だが、中から大人とみられる人骨が見つかり、墓と判明した。当時一般的だった伸展葬(体全体を伸ばした状態での埋葬)とは異なり、ひざを曲げて座った姿勢だった。また、曲げ物は本来の底板をふたに転用。その上に台を置き、椀(わん)と皿を並べて葬送儀礼を行ったとみられる。

 供物などは伝統的な作法を踏襲しているのに、被葬者の納め方は異例−−。中世墓研究の第一人者、元興寺文化財研究所(奈良市)の狭川真一副所長の協力で市が調べたところ、曲げ物を棺に使った前例は、15世紀後半(室町時代)の鳥取市・宮長竹ケ鼻遺跡のみ。曲げ物は千田北のものより小さく、中の骨は少なかった。桶(おけ)の棺が一般的になった時代で、たまたま曲げ物で代用したと考えられている。

 岩手などで曲げ物に首が納められた例もあるが、金沢市は「千田北はこれらとは意味合いが異なり、埋葬方法の多様化を示す」とみる。向井さんは「過去に井戸などと判断された例が、実は墓だったと判明する可能性も出てくる」と指摘する。

 ■骨から多彩な情報

 千田北は全身骨格が見つかった点も注目される。当時は埋葬されるのは限られた有力者だけで、墓自体が少ない上、環境が整わなければ骨は朽ちてしまう。

 金沢市は、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)解読などを手がけてきた金沢大の覚張隆史・特任助教(生命科学)に骨の分析を依頼。覚張さんは「DNAを採取し解読できたら、国内の中世人骨では初めて。研究の基礎資料になる」。骨からコラーゲンを抽出して食生活も探る予定だ。また、歯には成長期に飲んだ水の情報が残り、出身地などのヒントにもなる。覚張さんは「多彩な情報から死者の人生に迫れたら、『この人が生きていた』という実感を私たちにもたらすのではないか」と語る。

 金沢市は今月、棺や人骨の取り上げ作業を終えた。向井さんは「被葬者は『未来に公の目にさらされる』とは思っていなかったはず。大切に調べさせてもらう」と意気込んだ。

毎日新聞 2018年7月23日
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