【長野】平安時代の武将「木曽義仲」に思いはせ 木曽、伝統のたいまつ行列
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たいまつを手に歩く祭り参加者=木曽町で
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20180815/images/PK2018081402100233_size0.jpg
木曽町で十三、十四の両日、木曽地域で育ったといわれる平安時代の武将木曽義仲にちなんだ行事が開かれ、たいまつ行列や木曽踊りなどで義仲をしのんだ。
十三日夜は、同町福島の城山地区で「向城(むかいじょう)たいまつ祭り」があり、住民ら約四十人がたいまつを持ち、義仲の墓がある興禅寺そばの御料館(旧帝室林野局木曽支局)まで約五百メートルを練り歩いた。
一帯の六地区でつくる「向城六区」の実行委員会(上小路武司委員長)が主催。御料館駐車場では、木曽踊保存会員とともに踊りの輪もつくった。
木曽踊りは、義仲の戦勝をたたえた霊祭で踊られた武者踊りが起源とされ、興禅寺境内には木曽踊りの発祥を記念する石碑がある。たいまつ祭りの直前には、木曽踊保存会員が例年のように、興禅寺境内にある石碑前で踊った。
十四日は、同町日義で「木曽義仲旗挙げまつり」(祭り実行委主催)もあった。夕方から、義仲に関する資料を展示している「義仲館」前の舞台で、住民らの太鼓演奏や民謡披露などが行われた。
夜には、子どもや住民がちょうちんを持って約一キロを歩く伝統行事「らっぽしょ」があった。約七十人が行列し義仲館近くの徳音寺にある義仲の墓に参拝した。田中茂実行委員長は「これからも長く伝統を大切にしていきたい」と話した。(近藤隆尚)
中日新聞 2018年8月15日
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20180815/CK2018081502000014.html >>25
木曽から京都は簡単だよ
なんかタブーがあるんじゃないの >>32
www
やってる事がたちの悪いユーチューバーみたいw 徳川家康が秀吉に関東に移された時、
家康の家臣になっていた木曽義仲の子孫
木曽義昌も木曽から上総国(千葉県)の
ある地域に移った。そこは今は千葉県旭市と
なっている。
豆 >>9
本来なら河内棟梁筋だから源でいいんだけどね
当時は強いものが継いじゃうから簒奪とかいう話でもないけど >>39
違うよ木曽とクソの類似を指摘しただけだよ この時代の人ってすげーよな
敵将の首を噛んでひきちぎったり
風呂に入ってる時に外に若い女が通っているのを見て勃起して
風呂の水を溢れさせて無くしたり 木曽は福島だったのか
知らなかったな
福島あたりに強い馬がたくさんいたということか。
京都人(平家含む)にしてみると木曽の馬をみる機会なんてないものな。
だけど江戸時代になると、木曽の馬なんて珍しくもなんてもないんじゃないかな。
それに江戸の馬も木曽とか東北の馬もかわらないかもしれないな。
ところで木を燃やしてもいいほど福島、回復したのか。 確かに「木曽の最期」は燃えるし泣ける
今井四郎の最後の奮戦と潔い自刃ぶりは言葉に出来ない 真っ先に思いつくのは木曽、小山田、穴山の裏切りトリオだな
まあ武田家自体がたいがいな賊だからどうでもいいがw >>48
そんなにイメージ悪いかな?俺の中では楠木正成とかぶるんだけど 武田に潰されないために軍門に下ったように
織田に潰されないように下る
なにもおかしくない
一貫してる >>48
京都で食料を農民から奪い調達したから
頼朝に討伐してと朝廷が頼んで、義経を
討伐軍として派遣して、宇治まで逃げるけど
そこで斬り殺されてしまったんでしょ?
それだけだから、そんなにイメージ悪くないんだけど「 猫間て名前の公家を屋敷に招いて饗応したがあまり手をつけないのを見て、
「猫殿は猫みたいに少食でござるな!ウハハハハッ!」
ていう公家をも畏れない豪快ぶりが面白い
それらが仇となって京から追われる展開もドラマチック
大河ドラマ向き人物 >>25
兵站武具とくに鉄砲火薬を海運で運べる
福井県から琵琶湖とおって京都まで川伝いに運べるトラック道があるようなもの 祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響あり
沙羅双樹の華の色
盛者必衰の理を現す
驕れる人も久しからず
只春の夜の夢の如し
長けき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
小学生の頃に平家物語を図書室で借りて、この部分に情緒を感じて大好きになったな
挿絵も馬を駆る平家の武者に無数の弓矢が射られ、馬もろとも海中に沈んでいくような様だった
その後に源氏物語を読んだけど、こっちは暢気であまり好まなかった >>48
俺は義経も大好きなんだが、木曽義仲は一番好きだな
というのも、以仁王がめちゃくちゃ好きで紙幣にしてほしいぐらい
驕り高ぶった平家討伐のきっかけを以仁王が出して、それに呼応した木曽義仲という側面では凄い好感持てるんだ
特に倶利伽羅峠の名シーンを想像すると、田楽狭間の織田対今川より熱いものを感じる
だが皮肉にも義経主眼で見ると、義仲は邪魔者扱いな上に、最期が脆すぎて最初の勢いを相殺してしまうんだろうな
俺の中では義仲と義経のタッグが見たかったよ
で、頼朝が未だに悪役だわw そういや、いわゆる戦国時代(天正あたり)の武田家臣にも木曽がいたよね
木曽義康、義昌父子だが木曽義仲の末裔を自称していた
当時は信長も家康も秀吉もやれ平家だ藤原だと自称していたが、立地的事情から木曽姓を名乗っただけなんだろうな
それでも信長の野望に出てくると優遇してしまう 頼朝、義仲の両方と一戦構えて両方に負けた維盛くんの事もたまには思い出して上げて下さい 歴史の負け組だからめちゃくちゃな人物にされてしまった 義経軍に追いつめられて手勢数騎にまでなった時、
「今日の鎧は重く感じるぞ・・」
て悲哀を感じさせる台詞もいい
旭日将軍、劇的だわ 義仲,義貞、義経・・・∞京(上方)に馳せて活躍天下に轟き一族国元誉の極み................恩賞紙切れ一枚結局馬鹿見るはめに
遠来奥〜高〇〇球なんとなく似てる気がする >>9
朝廷にお目通りした時は「源義仲」ですよ。
源義経とかにあっさり負けて傍系扱いになったから、ローカル名前「木曾義仲」で表記が定まった。 朝日将軍は、その名の由来たる平氏だけでなく、自らもやっぱり朝露の様に消えた。 >>38
関西人だからそちらの知識がうすいけど、関東もすごい歴史があるね 悪女キャラの北条政子が
巴御前には同情的だったのが印象的。
大姫は純情すぎたなあ・・・ 木曽ってこいつくらいしか歴史的な偉人がいないからね >>71
人のいい田舎者が権力者に翻弄されたとこに
何か感じるものがあるんじゃない? >>23
今までの大河だと義経、頼朝の脇役でしかなかったからな。 アメリカでもっとも有名な侍
Tomoe Gozen - Riverworld
http://www.youtube.com/watch?v=BFyCo5NByaQ
Tomoe Gozen the Legendary Female Samurai Champion
https://www.youtube.com/watch?v=qurNlwYLXBg ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています