【歴史】徳川家茂・慶喜の使用した銀印、実物が見つかる。「経文緯武」と彫られ日米修好通商条約の批准書などに押印
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180820/k10011582511000.html
今から150年余り前、幕末の将軍、徳川家茂と慶喜が西洋諸国との間に取り交わした外交文書に使用した印の実物が確認されました。
調査にあたった専門家は「江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。
見つかったのは、「文武両道の政治を行う」という意味の「経文緯武」と彫られた縦・横9.2センチ、重さ2.7キロの銀印で、
徳川家に伝わる資料などを管理する徳川記念財団が蔵を整理した際に、漆塗りの箱の中に残されていました。
東京大学史料編纂所の保谷徹所長などが調べたところ、幕末に西洋諸国との外交が始まったあと、14代将軍の徳川家茂と
15代将軍の慶喜が国の代表として外交文書などに使用していた印の実物と確認されました。
この印は安政5年、西暦1858年に結ばれた日米修好通商条約の批准書などに将軍の署名とともに押されたことが、
残された書面から確認できますが、実物がどこにあるのかわかっていませんでした。
保谷所長は「今回見つかった印は、将軍が当時の日本の主権者であることを明らかにするために使われた。
江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。
この印は、来月15日から新潟県立歴史博物館で開かれる「徳川の栄華」展で、来月30日までの期間限定で公開される予定です。
外交迫られ 正式な印を製作
東京大学史料編纂所の保谷徹所長によりますと、今回見つかった印は、安政4年、西暦1857年に幕府が製作を指示した記録が残されています。
その翌年の安政5年にアメリカやイギリスなど5か国との間に修好通商条約が結ばれ、翌安政6年に取り交わした批准書のうち、
少なくとも日米、日英、日仏の書面には、将軍・家茂の署名とともにこの印が押されていることが確認できたということです。
また、文久遣欧使節を派遣した際の信任状にも使われているということです。次の慶喜の時期には、慶応3年(西暦1867年)に
デンマークとの間に取り交わした条約の批准書や、同じ年に弟の徳川昭武を将軍の名代としてパリ万国博覧会に派遣した際の
信任状などに使用されています。
この印が作られる3年前には、アメリカとの間で日米和親条約が結ばれていますが、印は使用しておらず、当時の老中の署名があるだけでした。
しかし、その後、西洋諸国とのさらなる外交を迫られたことから、外交諮問役だった林復斎の進言により、文書に使う正式な印を
製作することになったということです。
保谷所長は「幕末に和親条約を結び、外国とのつきあいが始まるということで、外国の書簡に一定の印を押したほうがいいだろうと
幕府が諮問をして印章を作らせました。作られて以降は、将軍が相手国に送る国書にはこの印が押されていると思います」と話しています。
https://nordot-res.cloudinary.com/t_size_l/ch/images/404006538773021793/origin_1.jpg >>3
徳川幕府とか鎌倉幕府とか言うけど幕府という言葉自体後世の造語 大日本帝国になってる
大英帝国から取ったんだろうな >>1
源氏の子孫でもないくせに、源を名乗る徳川氏
恥知らず >>1
徳川って書かず源家って書いてあるな
三河源氏やっぱパない勢力なんだな しかし皇室と違って、保存がいい加減でガサツ、大政奉還の後、編纂資料心得係つくっとけ >>7
江戸後期になると、当時の文献にも幕府という名称は出てくる 面白いがなんて書体なんだろう
「文」の字がラピュタのロボット兵に見え >江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。
保管のきく材質なのにそんなに簡単になくなるのかよ 銀印ってメッキかな
純銀だったら盗難されて鋳潰されてるだろう こういうものが残されているなんて。
先の大戦の時に徴収もされず良かったねと思うけど。
やっぱり、旧徳川家って、大東亜戦争時に、優遇措置を受けられたりしたん?? >>22
国宝級の刀剣だって残ってるんだしそりゃ優遇はされたんだろ >>6 ほんとだわ、黒船とかくんなよ アメリカって歴史もない国の癖に
力でねじ伏せようだなんて野蛮な国だわ >>8 基本的に違うよ日本はインペリアル、つまりエンペラーの国
イングランドはロイヤル、女王または王様の国 >>10
征夷大将軍は自動的に源なんでしょ
のび太さんのエッチ >>22 徳川家じゃ無いけど、徳川家の親戚んちに、邸宅内に
米軍の兵隊さんが遊びにきてた
つう話はきいたことあるよ。華族だからでかーい屋敷だよ。 >>11
公式文書では姓を使う。姓が源で、名字が徳川。
姓と名字は明治以降統一・混同されたが、それ以前は厳密に区分されていた。 今頃見つかるなんて財団の連中は遊んでるんだろ
どこかのテレビ局に頼んでお宝探しをやってもらえよ。 13代と14代はめちゃ早死になんだよね
もし彼らがもうちょっと長生きしてれば
政権を奪われて田舎の過激派テロリストが近代化を担うこともなかっただろう >>26
すんまそん
>>32
昔の日本は銀本位制じゃないの? >>39
和宮が子をなしていれば、明治政府はなかったかも? 幕府なんて所詮、委託だしな
鎌倉時代から政府を委託してて朝廷ワロス >>36
そんな素人でも知ってるようなことドヤ顔で書いてるけど、老中の脇坂安宅は本姓記してないけどな >>36
創価のスパイもちゃんと創価学会を名乗れや まぁ一万円くらいの価値だね、贋作だし
5000円で良ければオレが買い取るよ 現在の国号は占領期にそうさせらた日本国とあるのみである。
大日本帝国に戻すべきではないか? カススレあげんな、老害共
こんなもん、ウチの倉に山ほどある >>33
殷時代の銅器にも値段はついたから、つかないことはないだろう。
国宝級と評したものでも二千万くらいだったりするし。国璽級の印の
取引は例が少ないだろうから値段付けづらいだろうが。 >>54
相続の対象になると値段を付けざるを得ないのでは 将軍家のものは散逸してるのが多いらしいな。
15代は江戸城に入ったことがなく、幕府の最後は例の無血開城。
多くは残したままで、明け渡したんだろうな。
盆栽は皇室が受け継ぎ、今もあるとかないとか。 明治天皇と薩長の方が偉くなったから
徳川は重視されなくなった証拠 新元号が決まったぞ。
経文緯武→「文武」・・・文武両道につながる・・・これからの日本を表す。 そりゃ国を代表する銀印だもの、逆にたった150年前なのに所在不明だったのかと この文書の大日本帝国の「帝」って天皇という認識?
とすると、実質的には徳川将軍が権力を握っていても
形式的には天皇が最高権威者というのが、幕府の公式見解なのか。 はんこに使われてる銀の成分を調べろ。
鉄みたいに放射性物質含んでるかもしれん > 徳川記念財団が蔵を整理した際に、漆塗りの箱の中に残されていました。
今まで蔵の中のもの全部調べてなかったんかいっ!!! >>64
だって、征夷大将軍って天皇が任ずるんだから当然だろう 印の発見よりも、江戸時代の時点で「大日本帝国外国事務老中」って肩書名乗ってる方に興味ある >>73
あれだな
こういうのも薩長政府がパクったんだな
薩長が自分達が作ったみたいに言ってるのが幕府のパクリばかりだからな >>28
そりゃあ武家政権でも国のトップは天皇だからな この記事のイライラの原因は発見された場所や発見者が書かれてないからだな 大阪城から落ちて新政府軍がくるまでは江戸城にいたんじゃないの? 重さ2.7キロ...て、結構な重さだなw 筋トレに使えそう。 >>64
勅許問題が持ち上がるのも朝廷権威の高まりがあってこそな。
幕府の権威はペリー来航前からがた落ちだった。末端とはいえ幕臣の
大塩平八郎が反乱するくらいだし。
余談だが、大塩は将軍の介入による大坂統治の改善を期待していたらしい。
幕臣として将軍への忠誠はあったよう。 時代的に残っていても不思議じゃないが
驚くことなのか >>79
江戸城で勅使と面会するときも、ずっと将軍が上座だったのに、
幕末には逆に勅使が上座になったらしいしな >>74
国家の連続性を鮮明にするのと理屈としても断絶はしてないから、
国号変更する理由がなかった。幕府が「大日本帝国」としてのも大政委任論
で主権は天皇にあると考えたからだ。
新井白石はこの論理が幕府にとって災いすると気付いて修正を試みようとしたが
果たせなかった。 >>67
税金の関係からゴニョゴニョ・・
徳川家の財団といえば、尾張徳川家のが戦前から設立されていて
有名だが、宗家の財団設立は最近だったはず。 へえー凄いな 縁の下の舞だった勝海舟が配慮したっていうことなのかな? ちなみに日本の現在の国璽は明治7(1874)年に制作され「大日本国璽」と刻印されている。
お隣の韓国では初代は行方不明、3代は10年でひび割れ、4代は制作過程で不正発覚で
中止、で現代は5代目。 >>87
四代目の奴ひでーよな。
伝統工法の技術がないのにあると吹聴して制作請け負ったり、国から支給された
材料の金を抜いてネコババしたり、印字部分に隠し文字で自分の名前掘りこんだり。
こんなゴミみたいな人間はどこにでもいるが、選定するにあたって他におらんかったん
かいと。他国のことながら(ましてや彼の国な)憤慨してしまうw それより4歳で将軍就任8歳で死去した徳川家継の大河ドラマはよ 蔵を整理って目録も作ってないのか
何十年放置してんだろ 徳川宗家って誰だ?
慶喜はしってるが。
むねいえ?しゅうか? 敗戦後の財産税と、相続税で多くの華族が財産を手放し、文化財も散逸したらしい。
尾張徳川家は、財団を作ってたからたくさん残ってるとか。
紀伊徳川家は、先々代が大散財をして財産を使い果たした。 >>92
徳川の本家のこと
慶喜の後に田安亀之助(のちの家達)が継いでる
慶喜は別家を建ててる >>94
え?
徳川ですらない?
>>95
すみません。オレが頭悪いのかな?
何言ってんのか全く理解できない。
歴史は苦手なんで理解できないです。 和族( 族名は、我々と言う意味の言か、人間と言う意味の言かで呼ばれる。
青森県人は自称がワだから、和は自称だったのだろう) >>96
御三家とか徳川の家いろいろあるけど
代々、将軍になる徳川一族の中心の家のこと
田安亀之助は暴れん坊将軍徳川吉宗が作った御三卿田安家(これも徳川一族)から
本家に養子になって後継いだ 銀と言う事は手入れをしていないと真っ黒になってるな これは中々面白い発見じゃね
国交を持たざるを得なかった当時の日本が外交下手なのはしょうがないとしても、出来るだけ国際社会の常識を学ぼうとしていた証拠でもある
そして国号が変わっていないのだから明治維新で対外的に国体は変わってないよっていうことにもなる
まぁ「維新」だからそもそもそうなんだけど、当時の日本の指導者層がこの辺の流儀をしっかり身に着けてるってことだもんね >>3
国号は日本。
外交文書に書かれる国名は日本国、大日本国、日本帝国、大日本帝国と揺らぎがあった。
大は天子(皇帝)がいる国であることを示すもの(例 大漢、大唐)。
帝国という言葉は西洋諸国の国名表記(英語のkingdamなど)にならったものだろう。 >>8
イギリスの国名を大英帝国と表記するようになるのはもっと後だよ。 卑弥呼の金印も邪馬台国が滅びた時に略奪されて溶かされて、
金貨になったり、誰かの金歯にその一部分が散らばって入っているかと
思えばロマンがあるだろ。 >>10
記録と過去の事例を踏まえて、朝廷が藤原流松平家康が源氏の徳川に『復帰』することを公認した。
それ以上でも以下でもない。 >>18
明治維新と廃藩置県の混乱で大名家の文物が流出したり紛失したりはよくあった。 >>42
いわゆる鎌倉幕府は頼朝が右近衛大将権大納言になって開いた個人事務所。
高位の殿上人は仕事を補佐するための事務所を開設する特権があった。
これを利用して配下の御家人を統括し土地争いなどの裁判を行う仕組みを作った。
さらに頼朝は義経追捕を理由としてそのための兵糧を徴収する権利を得た。
これを利用して御家人らに恩賞を与える仕組みを作った。
朝廷はすべてを委託したわけではない。 明治維新150年なのに、タイミングよく見つかるもんだな こういうものの管理や捜索って案外いい加減で(´・ω・`)
亡失したとされているものもちゃんと探せば結構出てくるのかもしれないね 安政六巳未年二月十五日
大日本帝國 外国事務老中 脇坂中務大輔
源家持 【経文緯武】
※江戸時代から大日本帝国名乗ってたんだね 安政六巳未年二月十五日
大日本帝國 外國事務老中 脇坂中務大輔
源家茂 【経文緯武】 >>26
宗家と慶喜家が同格公爵、
水戸家は昭和になって水戸黄門から始めた
「大日本史」が完成、この功績で侯爵から公爵に陞爵 >>109
「150周年だし、昔、見つけていたアレを出すか」 来月からはじまる展覧会の客寄せの為にタイミングよく公表したんだね。 徳川慶喜はチキンと言うイメージしか無い。部下を残して大阪城からトンズラとか >>10
徳川家康の正式な名前は
徳川次郎三郎源朝臣家康 >>1
私は知事を恨んでいる訳では無いし、新潟県を嫌っていると言う事も無い。
ただ、新潟県のカルト教団と暴力団は大嫌いなだけ。
それに私が言論を止めたら、私の偽物が直ぐにでもテレビ等に出たりして、私は直ぐに殺されて終うだけだから。
故に私は死ぬまで生き続けようとするだけなのだ。 >>117
そりゃ何もない時に発表しても3日で忘れられるやろ >>96
宗家→家康から続く本家
御三家→秀忠の兄弟
御三卿→吉宗の子どもたち
下2つは本家が途絶えた時用の血統予備 銀じゃなくて金はどした?
TBSは赤城山を平地にするまで探せよ 徳川埋蔵金とM資金とGHQが東京湾から引き揚げた海軍の金塊をまとめて再調査しよう!ってか? >>96
徳川宗家=征夷大将軍家だった家 のこと。
徳川家康-(略)-徳川家定→徳川家茂(紀州から養子)→徳川慶喜(一橋から養子)→徳川家達(田安亀之助)
徳川慶喜は幕府崩壊の責任を取って一旦引退した。そのため当主の座は徳川家達が継いだ。
後で赦免となったが徳川家達が既にいたので、徳川慶喜は別家扱いになった。(徳川慶喜家) >>105
金印は朝貢する時の通行手形を発行するための原版なので、その朝貢の政権が滅亡したら、次の政権に提出して、新たな金印を下賜される必要があった。
つまり、卑弥呼が魏から貰った金印は壱与が西晋へ提出したので何処にも残ってない。 >>129
現代の価値で200兆円の埋蔵金とか言ってたけど、そんな大金を幕府が持ってたら、薩長に負けてない。
金が尽きたので幕府は崩壊した。
因みに家康が溜め込んだ金は家光が東照宮造営で大半を浪費し、残りも振袖火事など度重なる火災の度に江戸城再建に消えた。
実質的に殆ど貯金を使い果たしていたんだよ。 幕末から「大日本帝国」の名称がつかわれていた事が、
極めて重要。 天皇が金印だから格下の将軍は分を弁えて銀印を使っていたんだなw NHKは、記事本文では、「大日本帝国」が使われていた事には、
何故か、触れないw。 >>92
>>96
徳川宗家をむねいえって読むとはw
家康以降、確かに居そうだけど。 よく見たらシャチハタスタンプだった。特に問題はない。 >>138
貰ってないよ。
琉球王国が清から下賜された印を返却してないからね。
シナの政権変わったので効力ないけど。 徳川家基は早世しなければ将軍だったはず。犯人としては松平定信が怪しい。 >>103
大の意味はじめて知りました。
なら大韓民国って、全く意味のない国号ですねww 徳川家レベルでもまだ把握できてないものがあるんだな 江戸時代は清の皇帝から将軍職を任命されたんだろ
日本は太古の昔から中国の皇帝に認められて一人前
卑弥呼もそうだしな
立場が逆転したのは明治に入ってから >>146
阿呆か
聖徳太子の「太陽の昇る側の皇帝が太陽の沈む側の皇帝に手紙を出す。元気かな。」を知らぬのか。
日本の天皇は中国皇帝と対等なのであり、何処かの王は格下なのだ。 >>125
次郎三郎は松平家当主が代々受け継ぐ名前らしい
だから家康自身にとって太郎に相当する人物はいない >>96
宗家(そうけ)っていうのは人の名前ではなくて、簡単にいうと本家と同じ意味
名門の家系は先祖からいろいろ枝分かれしていることが多くて、徳川家にもいろいろある
既にたくさん説明されているけど、徳川慶喜は最終的には独立して、本家(徳川宗家)とは別の徳川慶喜家の当主となった >>2
偽物ということにして、あとから安く買い取りますw >>153
将軍は皇帝の任命する現地軍事司令官に過ぎない。 >>3
ウィキペ
万延元年遣米使節の正使新見正興、副使村垣範正、監察小栗忠順は
1860年、日米修好通商条約を批准した安政五年条約批准条約交換証書上で、
日本側を「大日本帝国 大君の全権」と記した。 >>144
日清戦争の結果、李氏朝鮮が清朝から独立して大韓帝国になった(漢字圏の古い価値観では王は帝の臣扱いになるからね)。
日韓併合を経て第二次大戦後に連合国占領下から独立する際に南朝鮮側の有力者に大韓という呼称にこだわった者がいて
大韓民国という意味不明な国名になった。 >>160補足
第二次大戦後に朝鮮が連合国の軍政下にあったが、これは信託統治。
日本がGHQの占領下にありつつ議会を運営していたのとは違う。 >84
北条義時泰時親子がいけない 天皇公家の首を全部はねなかったから >>13
江戸時代末期にはじめて武家政権の意味で幕府が使われたんだよね
だから江戸幕府を開いたってのは
当時は言わなかった >>106
藤原氏を名乗ってたらしいね
清和源氏である新田の子孫を自称して源氏を名乗り朝廷にも認めてもらった
本当のところは賀茂氏とも言われている
葵紋繋がりか? >>108
高位の公卿のみが許される政所の設置
+
当時は単なる名誉職の征夷大将軍
+
義経追捕を理由とした守護地頭の設置
こういう積み重ねでできたのが今でいう幕府だもんね
これらが後の時代に征夷大将軍という地位に付随するものと認識されただけにすぎない
だから鎌倉幕府の成立年が変わったわけで
当時の将軍は名誉職だから、実質的に武家政権が誕生したのはもっと前だろうということ
執権なんかは将軍の家政機関の長官でしかないから、実質的に幕府のトップであるにも関わらず官位は低かった
朝廷からしたら高位の貴族である将軍の単なる執事だろということだからね 河内源氏だと源範頼の例があるが、そこまで遡らなかったんだろうな
藤原ばかりだから、藤原にしておけつー話だろ
三河国主、三河守について
1184年06月:源範頼(三河守)
1191年07年:九条兼実(知行国主)
1193年08年:吉田資経(三河守)、吉田経房(初代関東申次)の孫、室に藤原範季の娘
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守)
1200年02年:藤原親輔(三河守)、藤原顕季の息、姉妹に九条兼実室
1200年03月:七条院(分国主)
1207年01月:忠輔(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1212年12月:実茂(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1225年01月:藤原為綱(三河守)
1227年11月:七条院(分国主)
1228年12月:藤原経季(三河守)
1229年10月:藤原範房(三河守)、藤原範季の孫、叔母は吉田資経(三河守)室、姉妹に四条隆親室、忠成王(母親は三河の藤姓熱田大宮司、藤原清季の娘)妃
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1235年01年:藤原隆朝(三河守)、藤原隆季(四条家の祖)の曾孫、息が四条房名(三河守)に養子入り
1238年10年:卜部兼直(三河守)、兄弟の孫に吉田兼好
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の5世孫
1240年12月:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1200年12月:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息
1241年03月:清原教隆(三河守)、九条頼嗣の侍講
1242年03年:藤原定親(三河守)
1244年08年:世良田頼氏(三河守)、室は足利義氏(三河守護)の娘)
1248年01年:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息 慶喜さんはなんだかんだ優雅に余生を過ごしてんだよなあ >>163
白石は儒学者、その中でも朱子学者だから
この手の名分論は専門だよ 世の中1人くらい徳川宗家の事を人の名前と思って勘違いするバカ居そうw 徳川家康は源頼朝に憧れていたらしいね。(´・ω・`) >>174
古いだけで値打ちならその辺の石ころの方が古い。 >>28
将軍(征夷大将軍)って朝廷から頂く官職だもん
総理大臣みたいなもんだよ 江戸時代の日本は、チャイナのケ小平時代の中国が近いな。
ケ小平は国防委員長の肩書だけで実質政府の全権を掌握していて主席や総理より
政治的決定権を実質握っていた。
マスコミも公式肩書だけじゃ説明が不完全と判断したのか「中国最高実力者」なんて
表現してたな。 >>166
愛知の大学の先生が、徳川氏の先祖は放浪の芸人か職人じゃないか、とNHKの番組で言ってたな >>147
そうみたい
幕末に小栗上野介たちがアメリカに行った時とかも大日本帝国を使ってる
ウィキペディアの大日本帝国の項目に書いてあった >>170
田布施システムは嘘がバレて失敗した反日デマだよ >>64>>68
日米修好通商条約では、将軍は「帝國大日本大君」として、「亞米利加合衆國大統領」とのカウンターパートになっている。
なので将軍が国家元首という前提。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787948/285
「帝国大日本」なのは表記ゆれがあったから。
下記前野氏の考察によると、将軍は対外的に元首として振る舞おうとしたものの、
「カロンやケンペルが実見したかつての絶対的な権力を失って、西洋から既に承認されていた
宗教的「皇帝」と並ぶ世俗的「皇帝」(Kaiser / Emperor)を名のり、新しく眼前に開けた
世界外交の舞台に登場する自信も全く持てなかったのだろう。」
としている。
前野みち子「国号に見る「日本」の自己意識」
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=6504&file_id=17&file_no=1 >>52
日本国という国号は、江戸以前から対外的にはずっと使っていてだな。 >>122
国号としては「日本国」。
義満は明に日本国王と認めてもらった。 >>63
縁起の良い元号候補の二文字の漢字はもう出尽くした気がする
(((;゜Д゜)))ガクガクブルブル 徳川宗家をつぐにあたって三種の神器的な物はないの? 五輪委員会「ちょうど銀が不足していたところだったんだよ 神器? 無いね。
血統が全て、と言いながら尾張徳川に回ってくることは一度もなかった。
時の幕府内の農村的な談合で優柔無碍なものだった。(森喜朗元首相の首相選出と同じ。) >>55
財団が所有している限りは相続は有り得ないよ 徳川美術館ってあるじゃん
あれ徳川本家じゃなく尾張徳川家の宝がある美術館なんだよね
んで徳川本家の宝や古文書はどこに行ったかというと
みんな燃えちゃったんでしょ
幕末の失火や放火、関東大震災でさ
ほんともったいないよね >>166
まあ、朝廷に源氏ですと名乗っても源氏の家系図をもっていなくて、
一回、拒否られて、
慌てて吉良が、家康に献上したくらいだからな。 >>179
例として総理大臣は誤解を招くだろw
それは太政大臣とか左府とかだもん。
摂関は、基本臨時食なんだけど、
平安末期に恒久化したから、いいかなあ。 >>175
そのくらいは大したことではない
「結局、日本のサブカルは、映画は黒澤、
アニメは宮崎、漫画は手塚で言い尽くせる。
それだけのものです。」
>徳川家広(徳川宗家次期当主) 帝国大日本って首都大学東京みたいな石原慎太郎センスだよなw
英語並びをそのまま用いたんだろうか。 >>73
脇坂安宅。先祖は関ヶ原で寝返った脇坂安治
てか外国船が来るようになって老中の中でも外国担当という職務が出来るのも当然の経緯だろ >>206
老中の職務分担の話より、興味の対象は「大日本帝国」のほうだと思うけど。
そりゃ大日本帝国って概念がもともとあるから大日本帝国になったんだろうけどさ。 蔵の中をいままで探し尽くしてなかったって、どんなぼんくらだよ。
もつまと貴重なものが出てくるかもしれないってことだろ?今から全部洗いなおせ。 >>155
これはですねー
江戸時代末期に徳川家茂と慶喜が使用した印 の模造品ですね。 >>173
新井白石の時代は徳川政権が疑いないし、一般人は気に止めなかったんだろうな。でも一度何かあれば顕在化する。
一見役に立たなそうにも見える抽象論も舐めちゃいけないってことだな この銀印は本物だろうか。それとも印影を元にして模造・偽造されたものだったり
しないだろうか?
この手の印章があれば、それを使って歴史的な契約調印文書を
偽造するやつが出たら、とんでもないことになりそうだが。
(尖閣列島が中国の領土であることを認めた内容の幕末の外交文書が
新発見されたなどのように)。 >>207
幕末に幕府が日本のことを「大日本帝国」「帝国日本」などと称したのはそんなに珍しいことかね?
条約の批准書の英文もEmpire of Japanだし、阿部正弘の方針転換からは対外的に「帝国」という表現を用いるのが普通になったはず >>196
財団ホームページにある報道機関向けのリリースには「個人蔵」とあるので、銀印は財団の所有ではないようだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています