【佐賀】「筑後」焦点の企画展始まる 吉野ケ里歴史公園 「佐賀平野や筑後地域に邪馬台国があってもおかしくないことが分かってきた」
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特別展の会場=2018年9月20日、佐賀県吉野ケ里町
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180921002660_comm.jpg
会場では73個の土器も展示されている=2018年9月20日、佐賀県吉野ケ里町
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180921002657_comm.jpg
「方格規矩鳥文鏡」を指す森田孝志さん=2018年9月20日、佐賀県吉野ケ里町
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180921002664_comm.jpg
「方格規矩鏡」=福岡県八女市教育委員会提供
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180921002653_comm.jpg
「方格規矩鳥文鏡」=福岡県久留米市教育委員会提供
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180921002656_comm.jpg
筑後地域の遺跡や出土品に焦点をあてた特別企画展「邪馬台国と筑紫の王都 筑後」が22日、佐賀県の吉野ケ里歴史公園(神埼市、吉野ケ里町)「弥生くらし館」などで始まった。「出土品から佐賀平野や筑後地域に邪馬台国があってもおかしくないことが分かってきた。そのことを知ってもらえれば」と歴史専門員の森田孝志さん(63)は話している。
「よみがえる邪馬台国」展の企画シリーズの一環で、今回は銅鏡や土器など約260件を展示する。
筑後地域は、近年の発掘調査で多くの弥生時代の出土品が見つかっている。福岡県八女市の茶ノ木ノ本遺跡の「方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)」は幾何学模様の入った鏡。久留米市の良積(よしづみ)遺跡の甕(かめ)棺から副葬品として出土した「方格規矩鳥文鏡(ちょうもんきょう)」は鳥の模様が入っているのが特徴だ。いずれも中国の後漢時代のもので、多彩な出土品と合わせ、当時、筑後地域に身分の高い有力者がいたことを示しているという。
吉野ケ里遺跡のある佐賀平野と…
(残り:167文字/全文:585文字)
朝日新聞デジタル 2018年9月23日03時00分
https://www.asahi.com/articles/ASL9N6WKTL9NTTHB015.html キータッチが未熟な僕は以前「2get」と入力したつもりなのに
間違って「2gwt」と「e」のとなりの「w」を入力してしまい、みんなからバカにされました
悔しくて悔しくてあの日以来、雨の日も風の日も2getの練習を繰り返し
キーボードは10台買い替え、指の指紋も消えるくらい練習しました
今ここに練習の成果をお見せしたいと思います
2grt! 古代の鏡っていつもこの方向の写真だけど
反対側はどうなってるの?
見たら呪われんの? 「あってもおかしくないこと」ってのは、「普通に考えてない」ってことだろ >>11
カメラマンの顔を見てもしょうがないじゃんw
まあ、実際は錆びてんだろうけど。 吉野ヶ里歴史公園は最近誰もこねえよ
町の名前までかえて… >>13
「あってもおかしくない」と「どう考えてもない」じゃ可能性として全く違うだろ
少なくとも「絶対ここだ!」と強調されるよりは微妙に説得力があるわ 韓国からの道のりものこってんだろ?どう考えても北にはってないんだろ?
畿内説とかめちゃくちゃだろ。 .
神功皇后の実子・応神天皇の父親は天皇ではない(女系天皇)。
また、物部神社には神武天皇が養子であられた記録あり。 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読む奴は馬鹿。
「邪馬台国」は中国の史書に出てきた単語。
だから中国語で読むのが当然。
中国語としてこれを「ヤマタイコク」と読む根拠は無い。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。
この程度のことはその辺の漢和辞典にもついてる。
言っとくがジャップが勝手に「漢音」w なんて呼んでるものは
何の根拠にもならんからな。
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読む奴は馬鹿。
「邪馬台国」は中国の史書に出てきた単語。
だから中国語で読むのが当然。
中国語としてこれを「ヤマタイコク」と読む根拠は無い。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。
この程度のことはその辺の漢和辞典にもついてる。
言っとくがジャップが勝手に「漢音」w なんて呼んでるものは
何の根拠にもならんからな。
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。
っw 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読む奴は馬鹿。
「邪馬台国」は中国の史書に出てきた単語。
だから中国語で読むのが当然。
中国語としてこれを「ヤマタイコク」と読む根拠は無い。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。
この程度のことはその辺の漢和辞典にもついてる。
言っとくがジャップが勝手に「漢音」w なんて呼んでるものは
何の根拠にもならんからな。
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。
。、m まあこの時代は洪水に対する治水がないので、
平野で米がとれるからあったというのも安易な考え。 アホ馬鹿ジャップは、
「天皇が昔からジャップを統一支配していた」
という嘘を信じたい。
しかし邪馬台国が九州にあっては、
それが嘘であることになってしまう。
だから、あらゆる嘘を使って
「邪馬台国は近畿にあった」
と主張する。
5chの邪馬台国スレは、この手の嘘で毎回うまる。
あたかも「畿内説」が大昔に学会で決定された
ゆるぎない定説であり、
「九州説」を唱える学者はキチガイ、
みたいな嘘を毎回、毎回、こりずにばらまく。
死ね 有明海もあるんだわ、安易な考えは平野だけ考えるよな。 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読む奴は馬鹿。
「邪馬台国」は中国の史書に出てきた単語。
だから中国語で読むのが当然。
中国語としてこれを「ヤマタイコク」と読む根拠は無い。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。
この程度のことはその辺の漢和辞典にもついてる。
言っとくがジャップが勝手に「漢音」w なんて呼んでるものは
何の根拠にもならんからな。
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。
、。・・ 統一教会入りたいよな?ボコッ!
入りたいよな?ボコッ!
よし!年収600万円あげよう! レオパレス住みたいよな?ボコッ!
住みたいよな?ボコッ!
なんだと!お前はクビだ!クビ! 邪馬台国は九州にあったことが濃厚になってきたかな。
邪馬台国とヤマト王権は全くの別物。 >>37
たしかに最初期の水田は水のコントロールが容易な山際(=野尻)に
造られたけど、すぐに沖積平野がメインになる。
日本列島の美称である「豊葦原瑞穂の国」というのは、
葦と稲とが可換だからついた名前だもんね。 >>1
邪馬台国は宮崎県西都市で卑弥呼の墓の古墳もある >>18
羽の生えた犬とかありえんだろ!!
秀吉の耄碌は九州にきたときから始まってたんやな >>40
劣等民族がが遥か上位の民族である日本人様をジャップと呼んでも
欧米人になって日本人と対等になれるわけじゃないよw アホ馬鹿ジャップは、
「天皇が昔からジャップを統一支配していた」
という嘘を信じたい。
しかし邪馬台国が九州にあっては、
それが嘘であることになってしまう。
だから、あらゆる嘘を使って
「邪馬台国は近畿にあった」
と主張する。
5chの邪馬台国スレは、この手の嘘で毎回うまる。
あたかも「畿内説」が大昔に学会で決定された
ゆるぎない定説であり、
「九州説」を唱える学者はキチガイ、
みたいな嘘を毎回、毎回、こりずにばらまく。
死ね
、 昔の日本は海岸部は堆積が少ないので海が海岸奥まで入り込み
内陸は水がたまって湿地だらけ
条件の良い土地は多くなかった 邪馬台国前の倭国大乱を解明する重要な地域になるけど、
奴国から南五百里程度の地域が邪馬台国になるわけ無いよ w >>37
>平野で米がとれるからあったというのも安易な考え。
昔の教科書や子供向けの本には
腰までたわわに実った稲を石包丁や金属製の鎌で
刈り取るイラストとかあったがw
そういう
弥生時代=稲作
という単純な図式が色々間違った解釈を生んだんだろうな
例えば「高地性集落」
水田稲作に向かない立地にわざわざ集落を作るわけがない
→ 緊急避難的な場所
・・・としてこれを倭国大乱や神武東遷に考える人間がいた
(九州説じゃあいまだにそんな馬鹿がゴロゴロいる)
が実際には数世紀に渡り営まれた集落が多数あったというのが
分かってきた・・・と まあつまり九州より北は不毛の地だったんだよ。
行けねぇんだから。 >>53
縄文海進が終わって海岸線が引き始めると、
海中に堆積した沖積平野が顔を出して、ラグーン地帯が
出現するのよ。そんで、塩分濃度が下がったラグーンから徐々に
葦原が広がり始める。そこが水田になっていったのだ。
関係ないが、そのころのラグーンの大きな奴が、宍道湖や霞ケ浦や
サロマ湖や十三湖や浜名湖や八郎潟みたいな潟湖で、現在ではどれも皆
砂州が発達して海から切り離されつつある。 邪馬台国は敗者なんだよね、歴史は勝者が作るんだから卑弥呼の歴史を抹消しようが自由なんだねえ 吉野ヶ里は徐福の子孫即ちタカムスビの神の一族がいた国だよ。 国立歴史民俗博物館FAQ
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
もう決着済みです 日本史の教科書の記述もかつては中立だったが、現在では畿内説寄りに変わってる
・考古学的な成果を踏まえて、畿内説が有力になりつつあることを示唆する記述が増えている
・纒向遺跡の建物群跡が「魏志倭人伝」の記述と似通っていることに言及する教科書が多い
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/17987 タカムスビは神武天皇を担いで大和に入り政権を取った。 邪馬台国の所在地について各教科書の記述
山川出版社『詳説日本史B』2016年
「奈良県の纒向遺跡では、2009(平成21)年に3世紀前半頃の整然と配置された大型建物跡が発見され、
邪馬台国との関係で注目されている」
東京書籍『新選日本史B』2018年
「最近では、大型建物跡や大溝が見つかった奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘結果や、漢の鏡の出土分布などから、
大和盆地南東部がその候補地として有力になりつつある」
清水書院『高等学校日本史B』2017年
「初期の前方後円墳の一つである箸墓古墳の築造時期の見直しや、奈良県の纒向遺跡で
魏志倭人伝にいう「宮室」にあたるとも考えられる遺構が出土するなど、この問題に関する新たな発見が続いている」 プロ野球と重なるな、3世紀の歴史はセ・リーグの広島と阪神の戦いで作られ、パ・リーグのソフトバンクは蚊帳の外だったのさ。 >>32
>ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。
でも隋書には大和国は魏史の邪馬台国だとあるんだよな 普通に考えて
やまとと邪馬台国の音の一致が偶然とは考えにくい 筑後にはせいぜい邪馬大王国くらいしかないだろうな… >>45
沖積平野がメインになるのは戦国時代末から江戸時代前半にかけて 韓国に邪馬台国があったのは歴史的史実ですよ?
なんせあっちには証拠の記念碑が大学構内にあるからです >>77
それは微妙なミスリードで、戦国末から近世にかけて新田開発が盛んになり、
その多くが沖積平野だった、ということだよね。したがって、今の沖積平野の水田の
多くが中世末〜近世に開発されたというのは事実だが、だからといって、
古代の水田が沖積平野を避けていたわけではないのだ。 いまさら何の役に立つのか分からないけど地域が町おこしなんなりで賑わうのは良いな 仮に九州にあったとして、そのあと大和政権に服属したの?記録はあるの?何でその後発展してないのか。とか疑問が多い。
広範囲な政治連合説を唱える学者もいるけど、やっぱり畿内説が自然だと思う。 学者がみんな畿内と言ってるのにいまだに九州だと言い張ってるやつ何なの?
倭人伝に書かれてるのが南国っぽいから九州って思ってるだけだろ?
ペラペラな知識しかないくせに >>85
> 倭人伝に書かれてるのが南国っぽいから九州って思ってるだけだろ?
いやいや、これは重要だぞ。
もし事実に反した記録を残したのなら、今度はその意図を検討することになる。 畿内説もない
河内山背和泉摂津は邪馬台国ではない
ヤマト説が正しい
生駒葛城山系の東側
邪馬台国は普通にヤマト国 >>86
倭国についての当時の地理観だからだよ
南国とはとても言えない北部九州の風土を前提にして倭人伝が書かれてるとは読めないでしょ 景行記の九州征伐では、日向から上陸して久米方向に向かうが、その道で女酋長や女性シャマンの抵抗が描かれている。
これを女王卑弥呼や倭人伝の風、台与とか男女の割合が1対4とかあると見てもいいけどね。
抵抗の対応がバラバラで組織立った高い政治文化性を持っていたかというと難しいな。 >>81
貝とか魚とるだろうしね、漁もあるんだよね。 >>85
根拠がないから、道がないのよ
そここまで行くなら途中にもっと大規模な何かがあるってことだわ。
変な場所にあると何の経過もないところに突然都市が現れることになる。 >>88
そこはそれ、男が潜水漁をするのは海が暖かい証拠らしい
(三陸あたりだと、皮下脂肪の厚い女性しか潜れない)。
さておき、武光誠「邪馬台国と大和朝廷」(平凡社新書)のまとめによると、
たとえば刺青の有無、服装、弓の形、履物の有無、食事方法、お墓、持衰などで
邪馬台国とヤマト王権とで風俗の不連続があるんだそうな。 >>65
>「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。(元館長・佐原真)
三角縁wwwwwwww
しかもこのアホ、元館長wwwwwwww
さすがアホで知られる歴博だぜ、期待を裏切らないwww 初期のヤマト政権、邪馬台国は分かりやすく言えば蝦夷による征服王朝
4世紀以降、初期のヤマト政権に征服された近畿や関東の元々の勢力が手を結び巻き返したんだろう 隋書俀国伝
『都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里在會稽之東與儋耳相近』
邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である。
古には、楽浪郡境及び帯方郡から一万二千里離れていて、會稽の東にあり、儋耳に近いと言われていた。
隋書が書かれた当時、大和は邪馬台だという認識だったんだな 西暦220年頃から400年まで気温は下がりっぱなし
九州では由布九重火山も250年?ころ噴火してる
九州でも近畿でもじっとしていられる状態は無かったろう >>100
倭国大乱か。
中原では黄巾の乱起きて漢帝国が左前になり、
タガがはずれた冊封国で首長が勝手に大規模墳墓を造り始めた流れの末に、
日本独自の前方後円墳がある。
しょっぱなからガラパゴスだよな日本人w 魏志倭人伝当時の狗奴国は、邪馬台国、ヤマトの南の南河内と和泉だろう
倭国大乱前の狗奴国の版図は畿内くらいあったんじゃないかな >>94
魏志倭人伝を魏志邪馬台国伝だと思い込んでる初心者発見
それ倭国一般、倭人一般のことを書いたもんだけど >>106
倭国では一般的に海に潜って漁をしていたんだね
魏使は邪馬台国まで行って卑弥呼の墓も見てるから邪馬台国の文化も倭国の他地域と変わらなかったんだね
じゃあやっぱり畿内じゃないね >>109
反論できずに罵倒だけとは、絵に描いたような負け犬の遠吠えですねw
邪馬台国は倭国の首都なんだからそこの風俗が他と違えば特記するに決まってるわけでね
それがないってことは他と大差なかったんだよ無知くん
勉強になったなw 邪馬台国は土佐にあったって本見たときは噴いた
なんでもありかよ 邪馬台国はヤマト国
ヤマトは山外、生駒葛城山系の東側
河内、山背などと同じく、地形に基づいた地名 結論が出たら、商売上がったりの人も多いんでしょ。
こいつら色々言ってるけど、
本音では解決したくないんだなとガキの頃思った。
謎のままがいいんだろ。 邪馬台国は九州だけど、大和政権と同じではない。別物だろう
ヤマトは関西だな 毎年耕すたんぼからなぜあの時にでてきたんだろうな? >>113
てめーの先入観のゴリ押しに反論しろだと?
決まってると勝手に断定するアホ
脳みそカチカチに固まったジジイかよ
雑魚を相手にするつもりはない >>116
まあ、纏向と似たようなのが九州か若しくは瀬戸内辺りで見つかったら
また曖昧になるだけだしなぁ。
まともな学者なら、遺跡があること自体のみが確定的事実と認めて
本当に確定的な証拠でも出ない限り、その辺とは距離置きそうな気が。 幾何学模様の入った鏡なんて量産品だろ
需要が増えてから大量生産した。 遺跡も量産品。
九州の邪馬台国で流行って関西でコピー品が出た。 邪馬台国自体が存在しないのにある訳ねーじゃん
どうでもいい事ばかり考えてないで畑耕せや
アホ農民共が >>133
そこに行けば どんな夢も叶うというよ
誰もみな行きたがるが 遥かな世界
その国の名はヤマタイコク どこかにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう 教えて欲しい 邪馬台国は支那が適当に妄想で書いたもの
金印は江戸時代以降に作られた偽物
みんな薄々わかってんだろ?
タダ飯食う為の利権みたいなになってるやん >>20
そうなんだ、子供が好きだから今度遊びに行くわ
広すぎて親は疲れるんだけど >>20, >>137
吉野ヶ里歴史公園って、公園の中から周囲の建物が見えないんだよね。
だから本当に弥生の村の中を歩いている気分になれる。
ディズニーランドもそうだけど、これって優れたテーマパークのポイントだ。 今のご時世さすがに九州説は苦しい
スレが閑散としてるのはもう勝ち目なしと自覚してるからだろう >>114
エジプト説とか、インドネシア説もあるぞ。 ヤマタイ国ではなくヤマト国な
ヤマタイなんて間違った読み方してるからおかしくなる >>1-139
クイズ 邪馬台国への道
邪馬台国に、たどりつけるかな?
http://yamatai.cside.com/miti/mitinori01.htm
・・・・・ここのページで、自分の説なら、邪馬台国が、どこにあったかシミュレーションできるお。 >>109
>魏使は邪馬台国まで行って卑弥呼の墓も見てるから
邪馬台国までいってない。
途中(伊都国付近)で、バトンタッチした倭国人の使者が、邪馬台国から帰ってくるのを待ってた。 .
邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。 >>13
畿内説のほうは「前方後円墳」など物的証拠がそろってるからな。
ほとんどすべての学者は畿内説と言われている。 >>145
前は斉殿原だったんだろう
斉藤殿の領地なら有り難みが薄れるね 吉野ヶ里は伊都国の首都だったが半島南部の倭国が九州へ攻め込み占領したのが邪馬台国の始まり。
因みに邪馬台はヤマイツ国が正式名で女王国は博多の山際に近い平野部にあり後の太宰府になる。
元々伊都国は伊勢と言い敗北し逃亡した王族こそ神武
そして卑弥呼は半島弁辰国にあった卑弥国の流人で名を呼と言う
この説が確信に近い >>67
>元教科書調査官・高橋秀樹
>「聖徳太子」ではなく「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」。いわゆる聖徳太子について、
>以前の教科書では、冠位十二階を定め、憲法十七条を作り、遣隋使を派遣した政治の中心人物と説明してきた。ところが現在では、
>厩戸皇子の表記を優先し、推古朝(すいこちょう)において蘇我馬子(そがのうまこ)とともに共同で執政した指導者と位置づけている。
>聖徳太子は死後の呼び名です。今の教科書では実名とされる「厩戸皇子」(『日本書紀』による)を併記しています。
元教科書調査官のレベルが低くてビックリした。
「厩戸皇子」を実名だと思ってるとは。『日本書紀』にも実名とは書いてないぞ。 >>139
相手(畿内説)が来ないから論争できないだけじゃ…w
>>149
> この説が確信に近い
マジなのか誤字なのか微妙だw アマタラシ系はどうなったんだろう
少なくとも聖徳太子の時代迄は存在したはずだが
隋書倭国伝
俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌
オキナガタラシ系もどうなったんだろう そういえば歯医者で読んだビッグコミックオリジナルに卑弥呼という新連載があった
なんか女性兵士の話のようだが九州説を採るようだ
個人的には地図にあった「くま」と「つま」(漢字忘れた)の間の無記入の土地は隼人族がいるのか気になる >>152
王姓がアマ氏なのは「天」ではなく「海人」だと思うね
謁見して当人に確認しているのにそんな勘違いが起きたというのはおかしいし
天皇は賜姓側で自身は姓を持たないというのはもっと後付けで、当時は普通に海人の出自であると名乗っていたのだろう
恐らく天皇家、当時のオオキミは安曇族の出身 弥生時代鉄鏃出土数
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
対シナチョン防衛前線=福岡
邪馬台国=佐賀
狗奴国=熊本 >>20
一昔前は小学校か中学校の遠足や修学旅行では聖地巡礼のように定番になっていたらしいが
原点みたいなもんだから一度行って体感すべきだね 見たことはないが矢が数十本刺さった状態で埋葬された遺体もあるそうだな
弁慶かよと 邪馬台国は佐渡島だとか房総半島とか、とんでも説が好きなのに。 >>16
そ、それは流石にギャグでいってんだよな・・・ガチで言ってんじゃないよな?www 邪馬台国の中に女王国があるという説とか、
女王国の首都が邪馬台国であるという説とか、
色々な説があるんだよな。 卑弥呼から連想する神と言えば天照大御神
伊勢内宮神前祝詞
天照大御神、又の名は
撞賢木厳之御魂天疏向津比賣命とある
天から遠ざかった向津姫
伊勢の向かい側は熱田台地
何か関係あるのかな
また、『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』においては、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」であると記述される。
瀬織津姫を祀る槻神社のある三河と何か関係あるのかな?
纒向遺跡の外来系土器の主体は、東海系だし、何か関係がありそうだ 伊勢の向かい側は知多半島か渥美半島だな。
昔は、渥美半島は伊勢国の一部だったらしい。 >>170
渥美半島が伊勢国?
知らんかった
東渡海千里にまた倭人の国があるってのとも合致するな 八女だよ
実は今も中韓のBBAの支配下に…おっと、誰か来たようだ 鎮魂歌
卑弥呼→台与の頃を歌ったものかな
繰り返し歌われる「アチメ」
大和言葉では意味がわからないが、朝鮮語では「朝日」という意味になる
尾張には、古くから朝日という地名がある
何か関係あるのかな? 大友文書上つ文によれば
概ね福岡県を白日、概ね大分県を豊日、宮崎県を奇日(くしひ)、
鹿児島県を建日(たけひ)、概ね熊本佐賀長崎県を速日、と言った >>1
よくある「短里」と「放射読み」は矛盾点や無理やりな部分がある。
しかし、「朝鮮半島南部(韓伝と倭人伝)だけ短里」
と、
「日数表記の国だけ帯方郡治起点」という説なら、
全てを矛盾も無理も無く説明できる。
地理的に言うと、末廬国→伊都国のルート(唐津市→小城市)は、
国道203号や唐津線が通る古い街道と一致し、
伊都国→奴国→不弥国のルート(小城市→佐賀市→大川市)は、
当時の佐賀平野の海岸線と一致する。
邪馬台国はそこから南にずっと歩いた所にある大国という情報しかないが、
該当するのは熊本平野しかないので、まあ当確だろう。
ちなみに、遺跡の多い福岡平野にも超重要な大国はあったはずだが、
軍事機密とされて使者は案内せず、情報も伏せられたのだろう。 >>173
そのころの畿内はドンドコウホウホやってた村だろう
銅鐸をありがたや〜って拝んでた
九州は戦争をしていた >>176
古代の朝鮮語と現代の朝鮮語は違うだろ。
朝鮮人(韓国人)の妄想に付き合うなよ。 邪馬台国は、九州の北岸と半島の南岸一体を領域とする海洋国家だった。
近畿地方などであるわけがない。 近畿に纏向以前から存在する青銅器文明は淡路からなる半島人勢力
纏向を建てた山陰勢力も半島渡来人 筑後は九州説の大本命の一つなのに盛り上がらないね
女山を囲む神籠石とか興味深い
ずっと奥の方には磐座があるんだと
見てみたいね 今までも吉野ヶ里が盛り上がったときでも教科書は常に中立だった
それが畿内説が有力と書かれるようになったのはもう実質的には確定ということ >>186
アメリカ人がトマトのことを「トメィトゥ」と言う感じかw >>189
邪馬台の台を壹(イツ)として読むと北九州でそれなりの規模があった伊都国と不気味なくらい綺麗に繋がっちまうんだよな。
そら難升米もなしめよりナンシャオメイの方が大陸人らしい発音だろうし >>191
こいつみたいに「現在残ってる倭人伝は後世に改ざんしたもので、オリジナルはこうなってたはず」とやるなら
全国どこでも自由に比定できるわ 邪馬台国もそうだが、大化の改新とかもヤベえ
あと継体天皇も 近畿の古墳埋葬者は記紀伝承に基づく比定をされてるが考古学見地で一致する確証ある比定地はまずないからな。
5世紀位の埋葬物ばかりで出土するのは王冠と大刀と馬具と朝鮮人ばかり。 問題は国力の差だな。
近畿の倭人の国>>>九州の倭人の国 >>206
倭人伝には「女王国(卑弥呼連合国)+狗奴国」の文化圏の他に、
女王国の東に海を越えた所に「倭種の国々」があると書かれており、
どちらが大きいかという比較はされていない。
つまり、畿内にどれだけ強大な国があっても、
それが邪馬台国だと言う事はできないわな。 つまり、九州の地方国家「邪馬台国」の女王「卑弥呼」が倭国王を自称して魏に朝貢したわけだ。 >>207>>208
3世紀前半には畿内勢は北部九州に進出していたことが確実になったんだよ
だから邪馬台国論争は決着したんだ
そういう知識のない九州説信者がいまだに九州だと喚いてるだけ
もう教科書も書き換わってきてる状況で、今さら九州説はないわ >>11
これ装飾面じゃないかね?
裏はツルツルで鏡になってるかと思ってた やまと(邪馬台)=山戸=山手の邑
古代国家で地域の覇権を握れるのは、港を支配できる位置にある、
天然の要塞たる盆地の国家。
これを満たすのは、古代日本に二つしかない。
@飯塚・田川の盆地 ・・・初代やまと(邪馬台)
A奈良盆地 ・・・二台目やまと(大和)=初代やまと(邪馬台)を亡ぼしその名を奪う。 >>209
畿内勢力が北部九州全体を支配した証拠なんて無いし、
畿内説を唱える人ですらそんな事言ってない。
お前の脳内では確実なのかもしれないが、
脳内ではなくきちんと示してもらわないとなあ。 正直、他国の史料にしかない「邪馬台国」や「卑弥呼」なんて教科書に載せんでもいいと思うわ。 >>213
>畿内勢力が北部九州全体を支配した
こんなこと言ってないが
捏造すんな 理論上は可能です ⇒ 実現する手段は現実にはありません
技術的には可能です ⇒ お金と時間に制限がなければできないことはないが、事実上無理
「あってもおかしくないことが分かってきた」
⇒ おかしくはないけれど現実にはそんなこたぁないww 盆地民族なんていないぞ?
またすぐに捏造する
人間の言葉を使って話すことができないのかね? >>216
卑弥呼は南にある狗奴国以外は完全に支配してるから、
卑弥呼は畿内勢力ではないという主張なのかね? >>220
ほー、九州説だと伊都国や奴国を邪馬台国が完全支配と解釈してるのか
畿内説ではそんな解釈はしてない
中央集権国家など先の先
あくまでも別の国で、一大率を置いているだけ
で、伊都国や奴国を邪馬台国が完全支配としてしまうと九州説はますます苦しくなる
というか完全否定と言っていいくらいの致命的弱点
物証と矛盾するからだ >>221
中央集権国家なんて誰も言ってない。
それぞれの国が一大率に従っていれば、それが支配しているという事。
物証を重視して文献を軽視するのは典型的な畿内派だなあ。
文献と異なる物証がどれだけあったって意味無いのにね。 >>222
>それぞれの国が一大率に従っていれば、それが支配しているという事。
そう書いただけでは事実にならん
物証を提示できて初めて事実になる
逆に何も物証がないなら、九州にあるという邪馬台国が伊都国や奴国を支配したという主張は間違っていたということだよ >>223
九州には物証が無いと完璧に証明できれば君の言う通りだが、
九州全土をほじくり返さないと証明した事にはならない。
「無い事を証明する」というのは不可能なんだよ。
吉野ヶ里遺跡だってつい最近(32年前)発見されたもので、
それまでは九州にこれほど大規模な弥生遺跡は無いと思われていたんだ。
「無い」と思われていたものが発見されて覆るという事は時々ある。
そして、文献と何から何まで合致する物証というのはどこにも無いから、
物証だけで断定しようとする事が間違い。 「伊都」という地名は紀伊国にもあったんだね。
「伊都」の意味はなんだろう?
天之尾羽張の別名の「伊都之尾羽張」とか、厳島神社の古名の「伊都岐島神社」とか、地名以外にも使われているね。 畿内(橿原)が実質的な覇権を握るのは倭国大乱。
それまでは、北部九州のやまと(邪馬台)が覇権国だった。
東アジアの政治状況を考えれば自明のこと。
やまと(邪馬台)が半島南部の倭人経由で大陸との交易・
朝貢貿易を独占して覇権を握っていたが、半島の異民族
新羅・百済の台頭で、それらと交易を始めた出雲(⇔新羅)・
橿原(⇔百済)が力を付け、やまと(邪馬台)の覇権が弱まる。
ついに3世紀初頭の倭国大乱で、橿原に覇権を奪われる。
やまと(邪馬台)の王を女(ヒメコ=日女子=卑弥呼)にする
ことを条件に、権力無き権威として、やまと(邪馬台)は倭国の
盟主の座にとどまった。
高句麗が台頭し華北も混乱した3世紀末から4世紀初頭、
やまと(邪馬台)は橿原の力の前に滅ぼされ、倭国の盟主の
権威を表す「やまと」の名を奪われる。 >>226
で、その橿原はどこから来た?w
自然と生えてきたのか?w >>226
>北部九州のやまと(邪馬台)が覇権国だった。
その「北部九州のやまと」って、どこのこと? 畿内は「しらす」で、九州は「うしはく」っぽいと思う。 筑後はガキの頃育った地だけど
どこ掘っても土器やら何やらが出てでて開発遅れてたな。
いまでものどかな田園地帯で、住んでるのは土人だらけですwww 2択だと思ってるやつが馬鹿
九州説も畿内説もどっちも成立しない。 倭国大乱の時代に京都、滋賀、奈良は半島系渡来人と九州経由の中国系渡来人に乗っ取られ畿内政権が発足。
銅鐸文化は滅ぼされた。
やがて日本列島全体に勢力を広め、出雲勢力や九州の邪馬台国も滅ぼされた。
半島系渡来人に乗っ取られた事実を隠滅するため、神武東征神話を作った。
この神話が事実だとしても大和王朝は中国系渡来人の末裔ということにしかならない。
どっちがマシ? そりゃまぁ面土国とか中国まで行ってた国がこの辺りにあったとしても不思議ではないだろうけど、邪馬台国となると初期ヤマト王権だから微妙 >>235
少なくとも九州は春秋時代の呉の末裔。
詳細は太宰府の翰苑でクグッてくれ。 >>237
そんなん言い出したらキリがないよ
中国系と朝鮮系を分けるなんて妄想でしか出来ない >>225
日本書紀によれば、「五十迹手(いとて)」が船で仲哀天皇を迎え、
天皇は五十迹手に「伊蘇志(いそし)」と名付けた。
すると世間の人が五十迹手のいる国を「伊蘇(いそ)」と呼ぶようになり、
それが訛って「伊覩(いと)」となった事に由来する。
魏志倭人伝の伊都国とは関係無いんじゃないの? 邪馬台国奈良説弱点は多数あるが1番の弱点は鉄製品が殆ど出土しない事
鉄を作る炉は出土しているが肝心の製品が出土しないと言う事は
鉄を作る技術者はいたが原料の鉄は朝鮮半島にあったから北部九州を通らないと
鉄が入手出来ない、要するに九州勢力が妨害したから鉄を手に入れる事が出来なかった
訳だ。 >>241
そもそもヤマイチ国もしくはヤマタイ国という地方自治区の話なのに、無理矢理ヤマト王朝と関連付けようと必死なだけ。
そんな昔からヤマト王朝が存在したなら文字による記録が皆無な訳がない。 >>225
紀伊国の「伊都」は魏志倭人伝の「伊都」と同じく「いと」と読むみたい。
「伊都之尾羽張」と「伊都岐島神社」の「伊都」は「いつ」と読むみたいだから、
「伊都(いと)」とは関係ないのかも? >>233
>素直に読めよ。倭人伝は伊都国の話ばかり
普通に読めば、邪馬台国から派遣された一大率の話ばかりだぞ
伊都国は邪馬台国から一大率を派遣される側 邪馬台国が奈良にあったとして奈良から鉄製品の出土が少ない理由の1つに
邪馬台国では鉄は重要な物では無いと思っていたからなのか?と考えたが、
現代でも鉄は重要だから古代人は現代人以上に重要視したはずだな。
つまり奈良の人間は鉄という存在を知ってはいたが欲しくても朝鮮半島に行く手段が
無かったから鉄の原料を手に入れる事が出来なかったと言う事になる。 >>240とか>>243とか
同じ場面、筑前国風土記では、五十迹手は怡土の県主(あがたぬし)で、
「自分はアメノヒボコ末裔だ」と名乗るんだよね。
怡土の地名が昔の伊都国を指しているのは間違いないが、
アメノヒボコだったら但馬の「出石(いずし)」の地名がまず浮かぶ。
つまり、風土記が編纂された当時は怡土が「いづち」と読まれており、
その連想で、五十迹手出石のヒボコの末裔になった可能性もある。
とすれば、そもそもの「伊都」も「いづ」ではなかったのかという
疑念も湧いて来るのだった。
まあ、本筋には全く関係ない話だがw 7世紀までは朝鮮半島に権益があるし九州の方が真ん中って思うけどなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています