2018年10月3日 19時12分
小説家の川端康成が、日本人で初めてノーベル文学賞を受賞したのは、今から50年前の1968年。その3年前に、賞を選考するスウェーデン・アカデミーが、日本で秘密裏に調査を行い、日本人作家2人に同時に賞を贈る可能性を検討していたことがわかりました。

これは、ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求で開示された1965年の選考資料によって明らかになりました。

このうちの1点は、アカデミーが賞の選考に役立てる目的で、この年に日本で秘密裏に行った異例の聞き取り調査の報告書で、冒頭には「賞を1人、あるいは2人の作家に授与した場合の考えうる反応について調査した」とその目的を記しています。

報告書によりますと、調査は、文芸評論家や大学教授など10人余りを対象に行われ、その結果、川端康成と谷崎潤一郎の評価が高く、「どちらがすぐれているかを決めるのはほとんど不可能である」という大学教授の意見などが紹介されています。

そして、報告のまとめとして「どちらが賞に値するか、限られた資料の中で結論を導き出すことはできない。したがって2人に同時授与する方法が考えられる」と提言しています。

この年の選考では、90人の候補者が選ばれ、日本人では川端と谷崎のほか、三島由紀夫と詩人の西脇順三郎も候補になっていたことがこれまでに公開された資料からわかっていますが、この時期にアカデミーが2人の日本人作家に同時に賞を授与する可能性を検討していたことが初めて明らかになりました。

しかし、谷崎潤一郎は、選考を目前にした7月30日に死亡したため対象から外れ、日本人初のノーベル文学賞は、3年後の1968年に川端康成が1人で受賞することになります。

ノーベル文学賞の選考の歴史を調べている日本大学大学院の秋草俊一郎准教授は、今回明らかになった資料について「2人同時授賞を考えているという情報はこれまで全くなかった。ここでの『2人』は川端と谷崎を念頭に置いていたと思われるが、それだけ2人の評価がアカデミー内できっ抗していたと考えられる」と分析したうえで、「初めて東アジアの国に賞を与えるにあたって、『1人の作家に対して』というよりも『アジアという地域や日本という国に与える』という意識があったのではないか」と指摘しています。

調査の内容は
今回明らかになった日本での調査は、スウェーデン・アカデミーの委託を受けたスウェーデン王立図書館の男性司書が行っていました。

調査報告書は15ページあり、「1965年8月8日」の日付と共に「東京」と記されていることから、翌月・9月に行われる文学賞の選考に間に合うよう東京で報告書をまとめ、本国・スウェーデンへ送ったものと見られます。

聞き取りの対象は10人余りの日本人で、報告書には匿名で肩書だけが記されていますが、文芸評論家や日本文学が専門の大学教授などのほか、文学への関心が高い財界人や国会図書館の司書などさまざまな立場の人から話を聞いていました。

調査自体は小規模なものですが、報告書には「守秘義務が何より重要である」とか「メディア業界の人間は避けた」などと記され、調査を秘密裏に行おうとしていたことがうかがえます。

報告書によりますと、聞き取りを行った日本人からは、川端康成と谷崎潤一郎を評価する声が特に多く聞かれ、三島由紀夫については「比較的若く、日本では候補として真剣に考えられていない」と記しています。

実際の日本人の意見も記されていて、「日本人が生まれながらに持つ、年長者を重んじる文化を鑑みれば、谷崎を追い越して川端が受賞することは難しい」とか「もし川端と谷崎のどちらかを選ばなければならないなら、その心理的な深さと繊細で詩的な文体から、川端を推薦する」などといった声を紹介しています。

また報告書の中では、「日本人作家のノーベル賞受賞に対して数年前から非常に大きな関心を抱いている」と、国内で日本人初受賞への期待が高まっていることに触れ、2人の同時受賞についても、「文学賞が川端と谷崎のうちの1人、または2人に与えられたら、日本で批判が出る可能性は全くないであろう」という大学教授の声を取り上げています。