【兵庫】「関西では小栗の功績があまり身近でない」 幕臣・小栗上野介、群馬の顕彰会が姫路来訪 夫人ゆかりの地めぐる
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敬業館を見学する一行=姫路市林田町林田
https://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201810/img/b_11702636.jpg
幕末の勘定奉行で、後に造船所となる横須賀製鉄所を建造するなど日本の近代化を支えた小栗上野介(1827〜68年)の顕彰会(事務局・群馬県高崎市)が4日、小栗の妻、道子ゆかりの兵庫県姫路市林田町を訪れた。道子の父建部政醇が藩主を務めた林田藩の藩校や陣屋跡を巡り、そのルーツと人物像に思いをはせた。
顕彰会は地元住民ら約300人で構成。明治新政府軍に討たれた小栗の墓が建つ東善寺(高崎市)の住職で、顕彰会理事の村上泰賢さん(77)ら4人が訪れた。
ボランティアスタッフの案内で、藩校「敬業館」を見学。今は梅林が広がる陣屋跡では、復元図をしげしげと見つめ、約260年にわたって一帯を治めた繁栄ぶりに感心していた。
「後光が差すほどの美人らしく、これほどの歴史を背負ったお嬢さんが、(小栗の)奥さんだったのだと再認識した」と、村上さん。「関西では小栗の功績があまり身近でないと思う。お互いにつながっている歴史を広め合えたらいい」と話していた。(井上太郎)
神戸新聞NEXT 2018/10/4 19:57
https://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201810/0011702635.shtml 関西には徳川家康を罵る会があるんやで
幕臣は糞扱いや なんだテロリストを殺したのが群馬県高崎市だから出張ってきてんのか 小栗夫人の妹さんの子孫が
元格闘家の武蔵さん
マメ知識な たしか小栗の妹が一休さんでお馴染みしんえもんさんの子孫に嫁いでてその玄孫がムサシ 林田なんて昔も今も山しかないだろ
一帯を治めた繁栄ぶりとかねーよ >>15
そうなのか。
武蔵と言えば、猫ひろしが親戚で、共に「一休さん」でも有名な蜷川新右衛門の子孫なんだが。 >>5
敗軍の将兵をありがたがる風土が近畿には無いね
幕府は賊軍やし昔なら非人に落とされるようなことだし >>19
小栗の奥さん妹が、新右衛門さんの
子孫のとこへ嫁に行った 小栗さんは、兵庫で商社を立ち上げるところまで行ってたから関西とも縁は有ると思うけどね 小栗は一個の人物だったよ。識見に富み、海外の事情に精通し、精力的でもあった
一言でいうと、彼は先祖の小栗又一そのものの三河武士だったよ。その長所も短所も引き継いでいた
勝義邦 【※警告】夜の神戸三宮繁華街にいるチャイナ女の呼び込みには絶対に引っ掛からない方が良い!!
「飲み屋どーですか?」「私と一緒に飲みに行かない?」
「3000円だけで1時間飲み放題よ〜♪♪」
とか甘く言って誘ってくるが、アレ殆んどがボッタクリだから!
連れて行ったチャイナ女があとでその店から、客より巻き上げた売り上げの半分を貰えるシステムらしい。
◎それに奴等、中国人と言うと警戒されるのが解ってるらしく、必ず国を聞かれたら「ワタシ 台湾人よ」と白々しく嘘をつく!
偽台湾人の悪質チャイナ女に誘われてモテたと勘違いし、鼻の下を長くしてデレデレと一緒に飲みに行ったりすると
マジでおサイフの中身が酷い目に遭うからホント要注意!!
◆それと奴等は金かけて違法密入国してきて不法滞在してるから
お金を稼ぐ為ならどんな汚なく悪どい事も平気でやります!!
◼特に夜の9時頃から明くる日の朝方頃にかけてが超ヤバいらしいので絶対に気を付けて!!! >>20
関西にはあるよ
「残念さん信仰」ってのがあり、
戊辰戦争の佐幕側の墓にお参りすると
功徳があるんだと >>27
祖先はそうみたい。盲者で江戸に出て来て鍼で財を成し、御家人株を買って子供が旗本になったんかな
その子供が子吉で、更にその子供が海舟、て流れらしい >>27
そうだよ、勝の先祖は越後の貧乏百姓の小倅の盲人
ビジネスで大成功して御家人の株を買って武士になった >>26
広島の大野(厳島の対岸)に残念さんが有る(というか古戦場)けど、「信仰」の対象だったのか。 関西は司馬史観に毒されてるからな
小説と史実の区別がついてないヤツが多すぎる 江戸本所の暴れん坊勝子吉&信濃の最強力士雷電「江戸の平山先生最強伝説」
豊後中津の天才剣士島田虎之助「幕臣男谷先生を筆頭に江戸の剣客は強すぎる」
陸奥の大剣豪千葉周作「江戸の高柳先生や男谷先生には生涯勝てない」
江戸の幕臣勝海舟「白井(江戸人)の剣は神の領域」
東京出身の文豪芥川「千葉の山田次郎吉先生が最強」
水戸の高野茂義&岡崎の三橋鑑一郎「天下第一の名人は栃木鹿沼の下江先生」
別府の堀「水戸の門奈正最強」
京都の大日本武徳会「技の水戸人門奈、気の水戸人内藤」
昭和天皇「天覧武道大会全制覇の法神流(群馬)」
▽小栗忠順(江戸神田生まれの旗本)
大隈重信「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」
東郷平八郎「日本海海戦の勝利は、小栗さんが横須賀造船所を造ってくれておいたおかげ」
▽横井小楠(肥後熊本生まれの福井藩士)
勝海舟「俺は天下に恐ろしい者を二人見た。横井小楠と西郷南洲だ」
坂本龍馬「俺の師は勝海舟、その海舟先生の師は横井小楠である」
小栗と横井
日本を代表する天才政治家二人を罪なく殺害したのは『関西人』 どこの馬の骨ともわからん勝と違って小栗は名門旗本の出なんだが人気ないな
顔がよくないからか >>34
しらん
伊藤博文の妻も杉田玄白の妻も加山雄三の妻もしらんわ 日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国碧海郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 テロリストとして処刑されちゃったから人気出ないというか周知されない 最大級の誉め言葉
西郷
「山岡鉄舟=命もいらず、金もいらず、名も要らぬ人は始末に困るもの也。
此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
勝
「高橋泥舟=あれは大馬鹿者だよ。当今の才子ではあんな馬鹿な真似はするものかい。
維新の際、将軍の守護を託したのも、オレは彼れの才子でない所を見取って、之れならばと思うて、あれに託して幸に無事を得たわけだ」
海舟先生は弟子の中でも坂本の事が大好きだったからな。
海舟「俺は天下に恐ろしい者を二人見た。横井小楠と西郷南洲だ」
海舟「坂本竜馬、あれは俺を殺しに来た奴だがなかなか人物さ。なんとなく冒しがたい威権があってよい男だったよ」
海舟「小栗上野介は精力が人に優れて計略に富み世界の大勢にほぼ通じて、しかも誠忠無二の徳川武士で」
小物A
海舟「伊藤は才子」
小物B
海舟「陸奥は小才子」 勝海舟よりもよっぽど幕臣としては功績あると思うんだけど小栗忠順 >>31
司馬遼太郎の「明治という国家」で、小栗忠順が絶賛されてたな。
俺はこの本で小栗の名を知ったわ。 最後が悔やまれる、侍らしいけど。殺した底辺武士は知事とかになってるし。
よしのぶ小栗勝三人で大河とかやってほしかったな。本木よしのぶ不人気だったし 小栗上野介は
幕閣に嫌われ
将軍に嫌われ
最後は罷免
クビになったな そもそも何した人よ?
勝海舟とポジション争いしてた人か? 実は慰安婦に、レイプ以上の残虐行為をしている糞ジャップ軍
(1)韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、
日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、
たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。
さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で
『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』と述べ、死んだ女性の死体を
煮て食べるように強要した。
(2)韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、
そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。
(3)兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。
(4)激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。
(5)多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。
(6)性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。
(7)性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、
乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。
(8)筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、
「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」
と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。
(上記の申立書、ならびにハウスフェルド法律事務所の各種資料は、
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm
:nbkb >>54
郷里に帰ったら官軍に捕縛されて即刻斬首も忘れんといてや 幕末は有為な人がたくさん死んだね、もったいないことだ 埋蔵金の在り処を知っている人か。
官軍が江戸城に踏み込んだ時、金庫すっからかん。
さて、大判小判ざくざくはありえるのだろうか?w 東郷平八郎は小栗上野介の遺族を自宅に招き 「日本海海戦で完全な勝利を得ることができたのは、
小栗上野介さんが横須賀造船所を作っておいてくれたおかげです」 と礼を述べた。 小栗が横須賀製鉄所を作ったことで「これで売り家でも土蔵付きの売り家になった」
つまり幕府が滅んでも次の時代に遺産を残すことができたって栗本鋤雲に話したとかって
司馬遼太郎が書いてたな 幕末はざっくり言ったら小栗が現場で仕切って幕府を回してた
ロッシュと組んで専売公社を作ろうとしたし(他国にばれて潰されたが)
造船所も作ったし、幕府の軍制改革もやったし、外交方も内政も小栗が色々
ただ最後まで強硬論だったから、恭順に決めた慶喜と合わなくて罷免 >>1
あららららら(cv:
群馬と兵庫って結構縁があるのかしら 賊軍江戸城金庫に殺到も、既に他所に運ばれ空っ穴、
上州の田舎で隠遁も、欲に目が眩んだ賊共〜埋蔵金の在り処を吐け!....................幕府重臣で殺されたのは小栗ただ一人やった >>20
幕府が滅ぶ300年前に大坂やられてるからな、家康に。関西で徳川好きな人って基本的におらんわ。 遣米使節団で渡米した小栗は、それまで不公平だったドルと小判の交換比率を是正することに成功。
そのとき、なにごともはっきり言う小栗の交渉態度から 「No と言った最初の日本人」 としてアメリカで
伝えられています。 この時の交渉に関して、アメリカの多くの新聞が絶賛の記事を掲載しました。 >>70
堺は割と家康贔屓やぞ
というか豊臣と大野道犬が嫌い 道徳授業
幕府勘定奉行
フランスの金銭援助断る!
大河→慶喜だが 嘘
慶喜は 金銭には 関知しない!(将軍心得) 正直坂本竜馬よりこの人が
やったことのが凄いと思うけどなぁ
幕府側だったからって過小評価されすぎ
日本で初めて世界一周したのもこの人だっけか >>65
あれだけの才だから小栗は尊王ではなかったのかな?
慶喜は代々尊王で衝突したかもな? 官軍が小栗上野介を斬ったことは日本にとって大きな損失。
同じ幕臣でも榎本武揚は維新以後大臣を務めたりと活躍したのに。 >>57
↑
ひたすら「安倍憎し」のネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がすごい勢いで暴れまくってるな。
日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。
●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm
. >>73
まあ、家康は、敵を味方にするよ。
武田の残党とか、家来にしている。
負け戦の自分の顔を書かせた位の人物て家康以外に
誰が有名?。敵である真田を日本一のつわものと評している。
心底、家来にしたかったと思う。 >>77
当時の武士階級は朱子学の影響で、大体みんな尊皇と言ってもおかしくなかったから
尊皇とそうでない考えのぶつかり合い、て訳では無かったと思う
尊皇はしつつも実権は幕府に委ねる従来の方法を取るか
それとも実権も朝廷に委譲するか、の違いみたいな感じ
小栗自体はフランス大使のロッシュの力を借りて幕府軍を整備し
薩長を叩いた後に徳川を中心にした諸藩連合、そして中央集権へ、という腹案があったて話もある KOEIのゲームに出てきたら全能力高くて義理マックスだろうな >>81
まあ、幕府が小栗トップだったら、
国内戦争で疲弊し植民地だったかも?
鳥羽伏見・東北位で済んだ。幕府・会津・桑名もいずれ新政府に参加させる構想も
あったかもしれない。坂本暗殺には、こういう背景もあるじゃないか?
元将軍の命と天皇命で幕府側領地の放棄と北海道等開拓とすんなり進む。 >>82
天皇中心ではないよね。そこじゃないの?
統治するけど政治に参加せずだったかもしれない。
王政復興構想あったのかな?小栗には? >>1
無理して関西でやる必要なかろうw
そもそも群馬の小栗記念館みたいなのもめっちゃしょぼいよね。まず地元からちゃんとやりなよ
まぁ地元は江戸なんだけどw 小栗家の代々の墓はさいたま市大宮区の大成寺に在る。唯、上野介の墓は罪人とされた為ここには無い。
彼は江戸城から領地へ引き揚げる時、御先祖様を供養するため3日間この寺に留まってから赤城山の麓の領地へ向かった。 >>86
その辺りを小栗がどう考えてたかは分からない
徳川を中心にした集権制度にした後も
朝廷は京都に押し込んで、幕府初期みたいに今まで通り政治にタッチさせなかったかもだし
もしくは薩長を京都から追い払った後は幕府が朝廷を牛耳れるだろうから
(それにどうせ朝廷は政治に不慣れだから)朝廷の名の下で諸藩連合を作り
そこで徳川が実質的なトップの座を占めれる、と考えてたかも知れない
慶喜なんかも最初はそう考えてた節があって、大政奉還した後も
外交権は幕府にある、なんて言ってたりする >>61
官軍隊長:埋蔵金をどこへ隠した?
小栗: この幕府の体たらく見たらわかるでしょ、260年の間に俺達がすっかり呑んじまったのさ… 幕末は、本当に人材・人物潰したな。
小栗と河井とあと琉球の牧志朝忠、明治維新は黒船から始まるが浦賀に来る前に
琉球に寄港し開国せまる。薩摩支配の琉球から始まっていると認識している。片言の日本語だったナカハラ万次郎取り調べたのも
英語堪能な牧志朝忠。その後万次郎とも交流続く、牧志朝忠いわく「琉球・薩摩に交渉してもどうしようもないので我が国の中心は幕府である」
で時間稼ぎ、浦賀へ。英語・中国語・琉球・薩摩・京都と語学の天才でもある。 >>92
どうせ、政治にうといから幕府に戻ること
を計算ずくで大政奉還したと思う。
まさか薩摩のクーデターは予想していなかっただろな? 慰安婦みたいにでかい声出して自分らの都合良く歴史的評価を歪曲する活動ですね、わかります >>95
大政奉還した後も徳川無しの諸藩だけじゃどうもならないだろうし
薩摩は長州と違い、幕府を潰そうとするのは本意ではない(実際、久光は側近にそう言わせて回ってる)し
いずれ大政奉還した後の朝廷はボロボロになって、また幕府に実権が来るだろう、て読みはあったと思う
ただ王政復古の大号令から小御所会議で徳川の領地返上が決まる等、慶喜が思ってた以上に徳川の扱いが悪かったのが誤算だった感じ
会議で薩摩が徳川を弁護しなかったのがある意味誤算だったかも
慶喜自身は当然それに不満で、王政復古について色々文句を言ってたけど
最終的には江戸の薩摩藩邸焼き討ちから鳥羽伏見で幕府の瓦解が大体確定する流れに 気の毒な男だな。
まぁでもこの男の好きにさせて居たら
日本にいくつか租借地が出来たかもしれん。
幕府は勝ったろうが、それでロシアの南下に間に合ったかどうか。 >>70
大塚は割と家具贔屓やぞ
というかIREAと犬が嫌い 明治以降の三井が持ち上げた人だが、
彼程度なら他にも居るよね。 >>87
関係ない。徳川慶喜の謹慎以降は領地暮らしで移動してない。
現地の盗賊団が「あいつ、怪しいぜ」と通報したので、現地の新政府下っ端が拘束し処刑した。
竹中や大多喜みたいにさっさと西郷の所に出頭するか、榎本武揚や大鳥圭介みたいに徹底抗戦してれば助かったのさ。身の振り方が中途半端だった。 幕末動乱だけは何べん読み返してもさっぱり分からん
登場人物が多すぎる >>106
登場人物を把握出来たなと思ったら次にそいつら全員の変節ぶりを全て把握しなきゃならんからね。初期段階で死んだ人以外ほぼ全員変節してるのがまた面倒くさいw
でも興味がないと大変だけどわかっちまえばこれほど面白い時代はないよ 幕府の大阪移転は小栗の政策。このひとが生きてたら東京はなかったと思う。
興味深いのは、坂本と小栗がほぼ同時に惨殺されていること。
江戸城の無血開城の裏取引で殺された可能性が高い。勝海舟とは犬猿。
ちなみに坂本の暗殺も勝海舟が絡んでいた説が注目されてきている。
坂本は日銀のような組織を京都でつくる提案を松平春嶽にしていたところで殺された。
この二人が生きていたら日本の国は現在とは違っただろう。
江戸中心は解消されていた可能性がたかい。
大政奉還後は幕府との融和路線が坂本の方針だったから。
小栗ともどこかで関係を持った可能性が高い。日銀のような組織を作るとか
小栗も画策していたしね。埋蔵金の話しはここから来ている。 船中八策も小栗の影響がもろだし。金と銀の不公平な交換率を主張したのは小栗が最初。
ただ幕府の役人が袖の下をもらってたのがなんともね。こういうのを掃除したければ本社移転が効果的。
結局は維新で整理されたのは幕府上層部だけで、こういう連中はみんな生き残った。
勝海舟も江戸城の無血開城で土地転がしで大もうけしたヤツだし。
維新の上層部も西郷や桂がそこに手を突っ込んで掃除しようとしたら左遷された。
生き残ったのは手を握った山縣有朋のようなやつ。 >>111
社保庁の解体の時も同じだったな
消えた年金の一番の悪である
仕事より自分のことしか考えないやつや
仕事より組合ってやつほとんど残って再雇用 >>70
それ以前に、武将に興味ある人自体が居ないわw
好きな武将は誰ですか?
「はあ?おれヲタ違うから興味ない」
てのが9割と思うぞ >>114
今でも根っこのところでこういう連中が牛耳ってるからな。
勝海舟ってのはこういうグループと関係が深かった(高利貸しで儲けていた)
しかし、なぜ日本の国が黄金の国ジパングでなくなったかといえばこのときに莫大な金が流出したから。
つまり、こいつらは本当の意味での国賊だった。
もし、この金の流出がなければ、金をバックに紙幣発行ができたがそれができない。
よって、坂本や三岡八郎(由利公正)が天皇の権威をバックに紙幣発行(金融緩和)することを考えた。
小栗も同様の紙幣発行を三井と組んでやろうとしていた。埋蔵金てのはそのバックに金があるという発想から。
今となってはかなり進んだ考え方だが当時の世界常識としてはあり得ない。
結局はそれで国際的な力を得たければ領土拡張路線のようなことに走る必要があり。
敗戦へ向かうおおきなきっかけになっている。
小栗の再評価は非常に重要。坂本と勝海舟は最後は明らかに利益相反関係でそのままいけば小栗と近づく可能性が高かった。
坂本がつくった名簿には勝海舟の名前はなかったし。 キモっ!!! ><
小栗なんて無名のゴミ糞、知られてなくて当然なのに。
いちいち他県に乗り込んで大声で喧伝しやがるなんて、
まるで気違いキムチ野郎そのものだね。
恥を知れ!異常者どもが。 >>117
大阪出身の武将て思いつかないからなぁ
探せばいるんだろうけど 凄い病気にかかって廃人になるけど、元カノに
熊野の温泉に連れて行ってもらって治るんだよね。
感動したわ。 上野介っていう役職名と領地が群馬郡ってだけで生まれも育ち関係ないし、領地も見に来たことないんだろ
上毛カルタにも入ってないし(GHQに睨まれないようにだっけ?)群馬人にも正直マイナーなんだよね >>128
とっ捕まる前は群馬の知行地で隠居だけどそれまでは何の関わりもないに等しい
そもそもが知行地をきちんと把握してる旗本なんてのが殆どいないし、ましてや小栗はあの時期の幕重臣。知行地にかまってる暇ないわな
でも領民には相当親切にされたっつーんだから表沙汰にしないだけで色々配慮してたのかもね >>128
大名も江戸育ちが多くて田舎が嫌い
領地に対する愛着は薄い ■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中
【三河県幸田町】三河深溝藩
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)
【三河県田原市】三河田原藩
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)
【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)
【三河県岡崎市】岡崎藩
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)
【三河県刈谷市】三河刈谷藩
・本多忠良(1734年 - 1746年)
【三河県碧南市】三河大浜藩
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)
【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年) 10年くらい前にNHKで正月に
岸谷五郎が小栗役でドラマやってたな 小栗は確かに先進的だったけど、幕府が潰れたから、
そこで終わりなんだよな。
後世に影響はない。 名前知ってる人の半分くらいは昔の埋蔵金番組のおかげかもしれない >道子の父建部政醇が藩主を務めた林田藩
維新時は、新政府側ね
甥の建部政世が藩主 >>120
パクリは無い。
源義経信仰→小栗判官の説話→小栗上野介
足利将軍家→三河の領地を弟に分与→松平に取られて部下になった吉良上野介一族 源義経が良いなら、関を通した富樫一族を見つけて、富樫を滅ぼした本願寺を潰さなきゃ。
それをしてないから小栗上野介の小栗判官信仰は、単に「家が有るから先祖を顕彰した」だけのこと。 だいたい、兵庫県神戸は幕府海軍兵学校で勝海舟や坂本龍馬の顕彰が盛んな場所だ。
行くなら三菱重工長崎に行くべきであった。 >>140
そうやって関東圏民にホルホルさせるためにパン屋の同業者組合が定めたのが「パン祖」だから
土着の関東圏民が「パン祖」を凄い凄いと言ってホルホルするのは「パン祖」発案者の狙い通りではある
しかしその手の「元祖」や「発祥」は関東圏や江戸幕府などの東京利権に忖度し過ぎてて気持ち悪いわ
あらゆる「元祖」や「発祥」が可能な限り関東圏民がオナニーしやすいように忖度して決定されている
「パン」そのものは織田信長も食べていた物だし
「イベリア半島のパン」を日本の長崎で改良したのが「カステラ」や「カスドース」であり
「カステラ」は普通に江戸時代初期から製造販売されてたわけでね
江戸時代にはカステラではない普通のパンの製法を掲載した書籍も流布していて
パン祖の江川ちゃんが焼いた「堅パン」が日本のパンの起源でも元祖でも何でも無いわけよ
むしろ江川ちゃんの「堅パン」は江戸時代の書籍のパンと比べても現在のパンとはかけ離れたパン
関東圏民を元祖っぽく擬装してホルホルさせる道具が江川ちゃんというだけで彼は日本初でも何でもない この「敬業館」って藩校は今はどうなっているんだ?
もし使われてないなら高校の名前として使っちゃえよ 藩校の成功率ときたらw 藩校でバカ学校なんてないだろ? 本当は日本の鉄道発祥も長崎なのに
開業という註釈付きで新橋横浜が盗んだ >>15
割と家柄いいな
小栗の嫁って大名の娘だろ >>155
世界最初も、
世界史で覚えるのはストックトン〜ダーリントン間ではなくて、
マンチェスター〜リヴァプール間の営業運転開始(1830)が優先 蒸気機関車の発明はリチャード・トレビシック
スティーブンソンは改良者 >>158
蒸気機関もニューコメンよりワットが有名。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています