牛川人骨を「化石人骨」と説明していた地元市民館の当時のプレート。奥は発見された骨片のレプリカ=愛知県豊橋市牛川町で
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豊橋市美術博物館のホームページ。「牛川人骨レプリカ」から「牛川人骨とされる化石骨(複製品)」と変更された
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牛川人骨出土の地
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 愛知県豊橋市牛川町で発見され、国内最古の化石人骨とうたわれた「牛川人骨」の発見から六十一年。かつては教科書でも紹介された人骨だが、現在では「動物の骨」説が有力視され、ナウマンゾウの脚ともいわれている。しかし、確たる証拠はない。果たしてヒトなのか、ゾウなのか−。

 「市美術博物館のサイトでは、現在も『現存する化石人骨では日本最古』と記されている」

 九月上旬、豊橋市議会定例会で長坂尚登議員(豊橋だいすき会)が指摘した。「子どもたちが時代にふさわしくない認識を持ったまま大人になってしまう」。市側は「今後は少なくとも両論併記し、市民に学術的な評価を示していく必要がある」と答弁した。

 「牛川人骨」は一九五七年と五九年、市内の採石場から一片ずつ発見された。当時、専門家はいずれも人骨と推定。約十万年前の国内最古の人骨として高校の歴史教科書にも掲載された。しかし、二〇〇一年、国立科学博物館人類研究部の馬場悠男部長(当時)が人骨説を否定。同館で開かれた日本人のルーツをたどる企画展の解説冊子でも、長さの割に太いことなどから「ヒトの骨と判定できる特徴を備えていない」と一蹴され、懐疑的な考えが広まった。片方の骨については、大きさと形から「ナウマンゾウの子どもの腓骨(ひこつ)(脚)では」とした。

 ただ、明確に否定した論文はいまだなく、現物を所蔵する東京大総合研究博物館の諏訪元・館長は「見解は確定していない」。市文化財センターも「『牛川人骨』に強い思い入れのある人もいる」と、対応を先送りしてきた。

 市は市議の指摘を受け、「牛川人骨」の説明に動物の骨の可能性もあることを併記することを決定。市民館や博物館で展示用レプリカに添えるプレートの記載を「牛川人骨」から「牛川人骨とされる化石骨」と差し替えた。市内の発掘地に設置している案内板についても、「牛川原人之碑案内」から「牛川洞穴遺跡」に書き換えるよう地元に提案している。地元からは「人骨という希望を胸にしている」との声も漏れる。

 発見当時、「牛川人骨」をヒトの骨と主張した元東京大教授の故鈴木尚(ひさし)氏はその後、一九六一年、イスラエルでネアンデルタール人の一種「アムッド人」の全身骨格を発見する歴史的な功績を残している。これは、鈴木氏が「牛川人骨」に刺激を受け、日本人の起源を求めて大陸に目を向けた結果だという。諏訪館長は「(たとえヒトの骨でなくとも)学史的な意義は依然としてあるのでは」と語る。(高橋雪花)

 <牛川人骨> 1957(昭和32)年、豊橋市牛川町の採石場で、石灰岩壁の裂け目に出現した赤土から作業員が発見。鈴木尚氏が鑑定し、身長134・8センチの成人女性の左上腕骨破片と推定した。さらに59年、考古学者紅村弘氏が同じ場所で骨の破片を発見し、鈴木氏が身長149・2センチの成人男性の左大腿(だいたい)骨の破片とした。更新世後期(約10万年前)のものとされていたが、現在はいずれも動物の骨との説が有力視されている。

中日新聞 2018年10月19日
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