【福岡】「畿内説と違って九州説は“おらが町の邪馬台国”的に百花繚乱」 豪族「筑紫の君」に焦点、「邪馬台国八女説」持論の高校教諭
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邪馬台国研究をライフワークとする福岡市早良区、県立博多青松高校教諭、宮島正人さん(61)が「『倭(わ)』の神々と邪馬台国 志賀島・宗像・八女」(海鳥社)を出版した。邪馬台国八女(八女市)説が持論の宮島さんは「歴史のダイナミズムが感じられる劇的なストーリー展開を意図した」と話す。
国語を教える宮島さんは、遺跡・遺物から研究する考古学的手法でなく、日本の神話や地域の伝説、民族文化などから研究を重ねている。本著では、古事記や日本書紀に登場する北九州を拠点とした海人氏族の一つ「阿曇(あづみ)族」と抗争したとみられる古代九州を代表する豪族「筑紫(つくし)の君」に焦点を当てた。さまざまな文献の解釈、地方の神社の祭事や伝承などの検証に基づき、この抗争が邪馬台国の成立に至ったとする「邪馬台国八女説」を説いている。
学会では邪馬台国は畿内説が有力とされるが、「畿内説と違って九州説は『おらが町の邪馬台国』的に百花繚乱(りょうらん)。そもそも3世紀半ばに近畿から九州に及ぶ統一国家が成立していたかどうかは原点に返る必要がある。所在地論争は二の次」と意に介さない。
今後は新書版のような書籍を出版したいという宮島さん。「ゆくゆくは八女市をはじめ九州各県が参加する邪馬台国フォーラムを開き、市町村の町おこしにつながれば」と、さらなる展望を描く。
税込み2376円。全国の主要書店またはインターネット通販で。【綿貫洋】
毎日新聞 2018年11月29日
https://mainichi.jp/articles/20181129/ddl/k40/040/405000c?inb=ra 俺の仮説
カササギは外来種として北九州に留鳥として居る
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
生物学的なDNAの解析によって、鵲のルーツを特定できるのではないか
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
鵲が現在まで生き継いだ魏の使者ならば
邪馬台国の生きた物証としてロマンがある >>2
歯医者もないから、虫歯になったら苦しみ抜く人生がまってるで・・・ 大陸人「お前どっから来たんだよ?www」
???「あの海の向こうの山たい!」
大陸人「海の向こうのヤマタイから来たのかwww」
歴史に隠された真実とはこういうものだ! 吉野ヶ里が発見された時に町おこしに利用して成功したのが諸悪の根源
のちに邪馬台国となんの関係もないクニの遺跡だとわかったのに >>5
縄文人も栗とか甘いものも食べるようになったから抜歯するようになったのだろうし
虫歯辛かっただろうな、弥生時代になってもそれは解決されないしね 卑弥呼「魏に行ってきちゃらんね」
部下「よかよ」
〜魏に到着〜
魏の使者「お前はどこの国から来たのか?」
部下「八女たい」
魏の使者「ヤメタイという国か。ならば邪馬台国と表記しておこう」
邪馬台国八女説を裏付けるこの論理が一番説得力あるわ 親魏倭王の印綬がどっかの古墳から出てこない限り続くだろ >>11
あんまり聞かないね。 「わし」、も聞かないかな。
自分の事を、「おい」という方言はあると思う。 「おっ」と詰まるケースもあるかな。
「オレたち」のことを、「おっどん」というのは、聞いたことがあるかな。 日本本来の日本民族の真実の歴史
邪馬台国の歴史の真実は別に九州説や近畿説でもない
本来の日本民族の歴史は古くからヘブライ文化で神道と神代文字など全てが弥生人ヘブライ人からのもの
例えば邪馬台国自体ヤマタイとは読まずヘブライ語でマタイ即ちマタイコクと読む
大和王権と邪馬台国はそもそもルーツが違う
元は同じ民族でありながら別れた同じヘブライ人達
メソポタミアから別れ西アジアに移ってエジプト文明に関わったりイスラエル王国を築いたユダヤ民族
そのユダヤ民族のユダ族こそ邪馬台国の民
そして大和王権の民こそメソポタミアシュメールの末裔
邪馬台国の民のユダ族が先に海ルートで日本へ沖縄を経て渡来
だから今も沖縄の人達はユダ族の末裔で地名もユダ族に因んで残っている
また物部氏の末裔であり物部のニギハヤヒが沖縄の人達の神武天皇であり
ニギハヤヒの兄ニニギの子イワレピコが神武天皇でないことを知ってるのはその為
その沖縄のユダ族こそ九州や四国へ渡った邪馬台国の民達で彼らが遊牧民であるからこそ移住する
今の四国剣山にはユダ族の儀式やゆかりのイエスキリストのものがあるとされ
現在アメリカのGHQによりアメリカ博物館へ保管されている
また大和王権の民でシュメールの末裔である大和の民は中央アジアからチベット四川を経て中国で秦を建国
始皇帝自体がヘブライ人でありメソポタミア文明そのままに中国へ文化を持ち込む
その後15年で秦を捨て中国東北部から朝鮮半島を経て日本へ陸ルートで渡来
その頃には中国東北部から朝鮮半島に多くのヘブライ人達が住み着き日本との関係が深くなる
その彼らシュメールの民の兄ニニギの子イワレピコ達こそ大和王権の現在言われているイワレピコの神武天皇
先に海ルートで日本へ渡来したニギハヤヒ達と陸ルートの兄ニニギの子イワレピコ
それぞれ出雲の戦いで大和王権が誕生する
そもそも邪馬台国は馬台と書きマタイと読みヘブライ語でマタイの国という意味で
邪馬台のヤマタイをヤマトとは言わないでマタイという
マタイ自体がキリストの十二使徒の一族という意味
すなわち邪馬台国の民はキリストの十二使徒の一族で海ルートから日本へ渡来したユダ族の末裔たちのこと
邪馬台国の民は言わばキリストの十二使徒の一族の国という意味でユダ族の国ということがわかる
だからこそ四国剣山のイエスキリスト伝来の話につながっているわけで中国の魏志倭人伝で漢字で邪馬台国と記す
これが事実
ちなみに大和のヤマトゥはヘブライ語で神の民という意味はよく知られいるが
ヤマトとマタイは全く意味が違う
もし邪馬台国が大和の民なら中国の魏志倭人伝に大和国と記すはず
それが邪馬台国と記している以上邪馬台国と大和王権は別もの
だから魏志倭人伝の邪馬台国の場所の案内が記すように何度も海を渡り四国ほどの大きさの島
すなわち九州の大きさではない四国に邪馬台国がありと記す
そこは魏志倭人伝の記す邪馬台国の周辺には四国のほか九州や中国地方近畿地方など100余りの国に囲まれている
それこそ九州説や近畿奈良説とは別もの
何故なら大和王権ではないから 筑後川を下って有明海〜八代海に水行したとして
一日の行動範囲を水行陸行共に約6q(土佐日記を参考)と仮定すると
久留米から玉名までが水行約60q(10日)となり
玉名から陸行180q(30日)で宮崎県西都付近
久留米から水行約120q(20日)で八代の南方あたりになる しかし、あの金印都合よく道端に転がってたよな、今考える胡散臭くは有る
倭が魏に朝貢していたのは実際そうだから史の設定に異論があるわけじゃないが
金印自体はなんか胡散臭い気がする 貴乃花親方は相撲はヘブライ語とか言い出して
周りは「あーあ」ってなってるらしいな >>4
カササギは朝鮮征伐のときに連れてきたんだから、魏志倭人伝の頃にはいないね >>13
辛かっただろうな。想像しただけでも、かわいそうになる。
歯だけじゃなく、医療技術や医療機関ってのは大事だなと思うね。 磐井の子の葛子が朝廷に献上した糟屋の屯倉は現在の糟屋郡。地元の人によると、昔から糟屋で取れる米は美味しくないと言われているそうだ。これって手放しても惜しくない土地を献上したってことかな?嫌がらせかもw >>14
ワロたw
この辺 猿来ませんか? の話を思い出した・・・ うーん、山深い場所に祭られた八女姫の神社。そこを訪れた時に思ったのが卑弥呼の血縁かな?ぐらいかな >>19
江戸時代当時は漢の印綬のサイズが不明だし、蛇の紐(つまみ)も知られてなかった
蛇の紐は前漢時代のが出てきたし、別にほぼ同時期の金印が中国からも出てて(あっちは紐が亀だが)
サイズがほぼ同じで、丸い模様を印刻する等、似た特徴を持ってる
偽物の可能性はかなり低いだろな ◆卑弥呼は何者? 総合的に説明を
九州か近畿か。中国の史書、三国志魏志倭人伝に記された「邪馬台国」の所在地論争は、古くは江戸時代から続き現代に至るが、諸説入り乱れて決着がつきそうにもない。
その中で最新の統計論を駆使して九州北部と推定し、卑弥呼=天照大御神(あまてらすおおみかみ)伝説へと論理を進める安本美典・産業能率大元教授(84)。
「邪馬台国の会」を主宰し、関連する著書は九十冊を超える。邪馬台国を熱く語った。
−邪馬台国問題を考えるうえで大切なことは?
古代史の全体を見て議論することです。私は九州説ですが、畿内説には部分的な事実をとりあげ、マスコミを誘導して世論をつくればいいといった雰囲気があります。
「長江はある岸辺で見ると南や北に流れ、別の場所では東や西に流れたりしている。しかし、全体としては西から東に流れている」。
これは毛沢東の言葉ですが、学問も同じです。ある特定の岸辺に立って観察して得られた事実が全体として正しいとはかぎりません。
「全体をうまく説明できるのか」が大事です。
−具体的には?
考古学的な議論では「魏志倭人伝」の記述から出発し、データ全体を総合的に公平に比較すべきです。
「倭人は、鉄の鏃(ぞく)(矢尻)を使った」と魏志倭人伝にあります。「鉄の鏃」の福岡県からの出土数は奈良県からの出土数の約百倍です。
弥生期の「絹」は九州からは出土するけど畿内からはほとんど出土していない。
「鏡」や「勾玉(まがたま)」でも同じ傾向が認められます。
全都道府県について、出土数を調べ、その傾向を公平に比較すべきです。
最近はビッグデータ処理の技術が、進歩してきています。
私は便利な確率計算法であるベイズ統計学によって確率計算をしました。その結果、邪馬台国が福岡県にあった確率は、99・9%以上となり、
奈良県である確率は、ほとんど完全にゼロです。畿内説の方に議論の出発点として検討していただきたいものです。
−纏向(まきむく)古墳群の箸墓(はしはか)古墳が卑弥呼の墓ではないかと言う人もいますが。
纏向の大きな建物の近くからモモの種が出土して放射性炭素(C14)年代測定で分析すると、卑弥呼の時代を含む西暦一三五〜二三〇年代という結果が出たと報道されたことがあります。
しかし、この方法による場合、箸墓古墳から出土したモモの種で測定すると、四世紀を中心とする年代が出てきます。箸墓古墳では年代の古く出がちな土器付着物で測ると、三世紀という年代が出てくるのです。
C14年代測定法というと科学的な印象を与えますが、何を測定するかで年代がかなり変わってくるし、年代推定の誤差の幅も広いのです。
畿内説に都合の良い測定値はマスコミに持ち込み、都合の悪いデータは報道されていないのです。
またモモの種や大型建物のことは倭人伝に記載がありません。古事記・日本書紀(記紀)の記述と倭人伝の記述の擦り合わせも必要です。
−卑弥呼の鏡と騒がれた三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)はどうみるべきでしょう?
これは古墳時代になってからしか出土していませんし、わが国からは五百面以上出ているのに中国からは一面も出ていません。
日本国内でつくられたとみるのが妥当です。三世紀後半から四世紀はじめごろの、いわゆる「西晋鏡」でさえ、おもに福岡県を中心に分布しています。
「庄内様式」といわれる弥生時代の土器の時期が卑弥呼の時代と重なるといわれていて、この時期の鏡は奈良県からの出土は三面のみなのに対し、福岡県からは三十面も出ています。
もうひとつ、倭人伝に「棺(ひつぎ)あって槨(かく)なし」と墓制が記されています。
おもに三世紀ごろ福岡県を中心に分布する箱式石棺は、これにあてはまります。奈良県のホケノ山古墳からは、木槨が出土していて、倭人伝の記述に合いません。
−里程の問題からは?
帯方郡(現在のソウル周辺)から一万二千余里のところに邪馬台国があると倭人伝に記されています。一里が現在の尺度で何メートルになるかは議論がありますが、
同じ三国志韓伝には現在の韓国あたりを四千里四方としており、これから一里の距離が割り出せます。
記述では帯方郡から一万里で九州に着きます。残りは二千里ですから、これまでの行程からすぐ想像はつきますよね。
とても畿内まで行ける距離ではありません。九州しか有り得ません。
全文ソース
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018072002000264.html もし奈良にあったなら
その当時すでに奈良〜九州すべて支配していた奴がいなきゃならないけど
邪馬台国がそんな大帝国を作っていた国とも思えないし
朝鮮から海を渡ってすぐの九州あたりにいた地方の豪族だろ いつまでも続く論争
邪馬台国って看板でも出土しないと終わらんのか 前方後円墳がいつ頃広まったか、によるかも
奈良のが大元だろうけど、九州じゃそれらより少し新しい時期の前方後円墳が
福岡市や福岡の行橋市、宇美町、宇佐市、宮崎市にあったりする
景行天皇の九州征伐の跡かもだが >>11
長崎市では、
おい=俺
わい=お前
だね >>14
これも好き
邪馬台国の場所はハッキリしないが、魏で皇帝に会った使者は九州の人。そして邪馬台国の本当の名前は「やまと」。
皇帝に謁見の時にあまりに緊張しすぎたか長く待たされてイラついていたのかわからないが、「何処から来た」の問いに、つい方言が出てしまって「やまとタイ!」と。
しかも早口だったので「やまっタイ!」にしか聞こえなかった。 西暦57年 倭の奴国(筑紫)の王が金印「漢委奴国王」を授かる。(支配地域は九州北部から朝鮮半島南部まで)『後漢書』
西暦107年 倭国王師升等(歴史書に登場する初の倭国王。初代・倭国王か?)が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
西暦107〜187年 70〜80年間、倭国で男性の王の時代が続いた。『三国志』
西暦178〜184年 倭国大乱 『梁書』
西暦181年 ニュージーランドの超巨大火山「タウポ火山」の大噴火
西暦181年 「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」 『後漢書』
西暦182年 「井戸の中が凍ってしまった。」異常気象を示す記述は2年続く。 『後漢書』
西暦193年(183年の間違いと思われる) 倭国が大飢饉となり1000人以上が食料を求めて朝鮮半島に渡る。『新羅本記』
西暦184年 飢饉の影響などによって「黄巾の乱」が勃発(漢の衰退)
西暦184年頃 漢が衰退したことによって「漢委奴国王印」の権威喪失。
西暦184年頃 大飢饉によって人々が神頼みになり巫女の卑弥呼が女王になる。(ここまでの間に首都が筑紫から大和に移ったと思われる。)
西暦238年 卑弥呼が魏から金印「親魏倭王」を授かる。『三国志』
西暦247年頃 卑弥呼が亡くなった。『三国志』 >>19
転がってない
石の箱に上手いこと隠してあった
そんなこと知らんの? 亡命秦系邪馬台国は滅んで
名前をパクったのが大和朝廷 おらが町にこだわるわりには
この国はどこも似たような安っぽいビルに安っぽいプレハブ住宅 BS-TBSの歴史番組の邪馬台国特集でも畿内説支持は学者が出てきたけど、
九州説側は郷土史家だったしな 学問的裏付けが薄いのかも >>1
よくこんな記事を見つけてくるな
九州説について書かれたものだと、こんなどうでもいいような記事しかないことを
改めて証明してしまったようなもの >>5
>>13
>>26
ところがどっこい。
これも歴史の教科書に出てくるが縄文人はアクセサリーじゃらじゃらのデコ趣味や
黥面文身、すなわち全身タトゥーにあきたらず、成人儀式として歯を抜いたり(抜歯)
想像するのも怖気をふるうが、前歯をフォーク状に削るとか、尖らせるとかやってるわけでw
まあ歯をいじる専門家はいたんだろうw 抜歯専門でも歯医者といっていいかもしれないネwww >>44
関西のTV番組で学者の99%は畿内説って言ってたから
九州説の学者はほとんどいないんだろうね。
九州説の候補地が乱立するの九州に有力な候補地がないから。 小さな国邪馬台国
は朝鮮半島も持ってて交易してた
が小国 九州だと七万戸が厳しいな
福岡の奴国でも二万戸
ただ当時に、九州から奈良までの西日本を抑えた
邪馬台国を中心にした連合国が本当に存在しえたかは判らんけど 邪馬台国なんてどこでもいいんだけど
中国の歴史書にテキトーに書かれてるどっか地方の豪族だろ >>47
それいうと機内も記紀と全く整合しないし、ヤマト王権側に記憶がないのがイタイ 畿内の古墳から出てくる銅鏡に魏の年号が書かれてる時点で畿内と魏は関係持ってるでしょ。 奈良は色々とあるんだから邪馬台国くらい譲ってやれよ >>56
事実は変えることはできんよ。事実を捻じ曲げると安倍と同じように捏造虚偽となってしまう。 >九州説は『おらが町の邪馬台国』的に百花繚乱
>所在地論争は二の次
>市町村の町おこしにつながれば
発言に本音が見え隠れしてるな
九州説は所詮こんなもん 古事記ではニニギの息子が尾張に派遣されてる
北九州〜中国地方〜滋賀を除く近畿地方〜愛知は
ニニギ一族の勢力化じゃないか
ただ何らかの要因で権力の中心が北九州から奈良に移る >>23
そうそう、オレもカササギは秀吉の朝鮮出兵の時に連れてきたと聞いたことがある。
土地の人は「カササギ」とは呼ばずに、「コチガラス」だったか「カチガラス」とか呼んでたと思う。おぼろげな記憶だが。 >>52
西暦181年のタウポ火山の大噴火(過去100万年で最大級の噴火)は
日本側にも記録が残ってるはずなので調べてみたんだが
一番当てはまりそうなのは『崇神紀』だった。
西暦181年 タウポ火山の大噴火
西暦181年 「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」 『後漢書』
西暦182年 倭国の人口の半分が死に至った。『崇神紀』
西暦182年 「井戸の中が凍ってしまった。」異常気象を示す記述は2年続く。 『後漢書』
・倭国の人口の半分が死に至った。『崇神紀』
・渟名城入姫の髪が抜け落ち身体が痩せ細ったので神を祀れなくなった(崇神天皇の娘も餓死寸前)『崇神紀』
・モモソ姫に大物主神を祀らせたら五穀豊穣になった。
モモソ姫が卑弥呼と言われているのでピタリと一致する。 >>46
魏志倭人伝だったか、黥面文身の記述があるという話は聞いたことがあったが、歯をそこまでいじくってたとは知らなんだ。
「やめろよ、痛いだろ?」って感じがするけどな。痛覚なんか、現代人と同じだったろうに。 不思議やね、大切な歯を削るなんてね。 >>54
年号付きのは京都大阪兵庫が多い(何枚かのレベルだけど)
山口や宮崎、群馬や山梨でも出てるし、出てるのは年号に比べて
新しい古墳なイメージだから、伝世品として扱われてたのかも
意外に奈良はまだ無い。天皇陵を掘ってないから、かなり何かは出そうな気はするけど 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読む奴は馬鹿。
「邪馬台国」は中国の史書に出てきた単語。
だから中国語で読むのが当然。
中国語としてこれを「ヤマタイコク」と読む根拠は無い。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。
この程度のことはその辺の漢和辞典にもついてる。
言っとくがジャップが勝手に「漢音」w なんて呼んでるものは
何の根拠にもならんからな。
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。 昔から不思議なんだけど、卑弥呼の後継の台与(壱与という説もあり)はトヨと読むのに
邪馬台はなんでやまタイって読むのかね?
同じ読みだとすれば、普通にヤマトで、大和で、奈良なんじゃないかと思うんだが。 >>1
なかなか面白い説だ
八女の茶畑は古代には棚田だと考えてみたことがある
そう思わさせる壮大な景色だから一度は観に行ってみるといい 畿内説は畿内説で発掘費が欲しい学者のおもちゃでしかないし 論争に決着はいらん
邪馬台国は町おこし
全国津々浦々に邪馬台国 奈良移転の原因として考えられるのは
魏の朝鮮半島進出で北九州が戦乱になる可能性があったのと
東海や滋賀や野尻湖の反ヤマト勢力を成敗するための拠点移動 畿内説の奴らは金印の偽物説まで流してるのか
もはや朝鮮なみだな >>65
今の日本の漢字の読みは中国からきてる(呉音と漢音)から、ある程度は当時の中国の発音と連動してるからだろ。
特に万葉仮名は音だけ借りてるんだから、同じ文字は同じ音の可能性が高い。
現代中国語はさらに発展してるから、むしろ日本の漢字読みの方が古い時代の中国の発音を残してたりする。 九州説ってまさにこういうおっさんだよなw
「俺の歴史的大発見を発表させろ!」地方の博物館に急増する“歴史的新発見おじさん”たち
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20180527/Cyzo_201805_post_163508.html
「突然やってきて、展示物などに持論を語った上で
『自分がやってきた研究成果を発表する機会をつくってほしい』という人が、最近多いんですよね」
そう話すのは、近畿地方にある郷土資料館の職員だ。
すでに10年あまり資料館で働いているが、最近になり、リタイアした団塊の世代による独自研究の「持ち込み」が増加しているという。
「ちゃんと、これまでの歴史を学んだ上で新たな視点を提示するような研究なら聞く価値があります。
でも、だいたいはトンデモ論。
原典になる史料や基本文献、学術論文をあたることもなく、一般読者向けの軽めの本だけをたくさん読んで
『これまでにない発見をした』という人が多いんですよ」(同)
その「発見」の内容もさまざまだ。
長らく論争になっている、邪馬台国がどこにあったのかについて持論を述べる人もいれば、本能寺の変の真相を語る人もいる。
だが、もっとも多いのは、その地域に関わるものだ。
「どこの地域でも在野の郷土史家という人はいます。
でも、持ち込みをするようなタイプの人は、そうした人々にも拒否されています。
なにせ、地域の古い神社の由緒をもとにオカルトを論じたりとかするんです」 考古学的には畿内勢力が北九州に伸長してるのは明白だから
後はその時期だけな気はする
最近は古墳の年代が繰り上がって来てるから、畿内説がだいぶ強くなったな 遺跡を発掘して比定するならともかく
書物の知識をこねくり回したって解決しないだろ 天孫降臨で降りてきたニニギを迎えたのはツチグモなんだよね
ニニギは南九州を抑えていた可能性がある
ただ後に南九州は反乱を起こす 奈良説は韓国人の工作でしょうに
倭国が南部を支配したと明記する日中韓朝の古文献に抵抗したいのはわかるけど 町おこしのために日本の歴史を歪めるな
ゴミ糞九州チョン こういう話大好きなんだけど、絶対にもう答え出ないよとも思う やまと(邪馬台)を考える時、地政学で考えないと駄目だ。
やまと(山+戸(門))は、みなと(水+戸(門))とセットだ。
大陸との交易拠点のみなと(博多=奴国=「那珂川」(=奴ケ川)」に名を留める)
を支配できる山手のくに=守りの固い盆地を探さないと駄目だ。 安倍理論だと意見が9:1に偏っていても報道量は1:1にしないといけないらしいからな
畿内説が9でも九州説の教授とかがこうして何度も出てきて拮抗してるような印象を与える 何回バカみたいなスレ立てるんだよ
ゴミ糞九州チョン 金印自体は後漢頭の時代だし、あれを倭の奴の国王と読もうが
委奴(いと)国王と読もうが、北九州の王な訳だし、時代も100年は違うし
邪馬台国とはあんま関連付けなくてもいい気はする >>33
充分に有り得る話だな。田舎のパチ屋の巨大さは、驚くべき規模だからな。
>>43
たしかに。「日本人の歴史は」とか「日本文化は」とか言うくせに、簡単にそういう宝物を捨ててきたのもまた事実。分裂気味だよね。
山の土手っ腹に穴を開けてトンネルつくったり、古くからの村を潰してダムにしたり、京都の町家を保護せずに壊したり、日本人の文化破壊は枚挙にいとまがない・・・ もう、学者一人が主張すれば邪馬台国名乗れる感じだな 倭国大乱は弥生の神殺しだったんじゃないかな
各地の神=王が倒された
応神辺りで、弥生の神の勢力が盛り返したのかもしれない
仁徳天皇
大雀命
オオ【サザ】キのミコト
鳥の王様はミソ【サザ】イ
日本書紀によれば、応神が生まれて喜んだのは、神産巣日の子スクナヒコナとある
スクナヒコナは鳥の服を着ていたという日本書紀の記述もあるな
神産巣日、サザキで思い出すのは、
布都主、武甕槌の件で、櫛八玉神が料理をする話
水戸神の子櫛八玉神って何者なんだろう
この、私のつくる【火】は、大空高く【神産巣霊】(かみむすひ)の御祖尊の、命の富み栄える【新しい宮居】の煤の長く垂れ下がるように【焼き上げ】、
地の下は底岩に堅く焼き固まらせて、
緒の長い綱を延ばして釣りをする海人の釣り上げた大きな鱸(【すず】き)をさらさらと引き寄せあげて、
割り竹でたわむほど打って捕らえた、立派な魚料理を献上します 魏志倭人伝は成立が西暦280年以降で
晋の時代に過去の資料を集めてまとめたもの
卑弥呼の死から30年ちょっと経ってる
ヤマト国を知る当事者から直接聞いた話ではないだろうし
年代や書いた人がバラバラの可能性がある
魏志倭人伝はあいまいなものとしてみたほうがいい 九州は九州で記紀には女の長が結構出てくるから、女性が上に立つことで収まってた
邪馬台国とその連合国家ぽい処はあるかも 今の天皇家に連なる畿内は邪馬台国の存在を消してるのがなあ
ワシの先祖に卑弥呼いたって書いてあればなるほどって感じだけど >>70
邪馬台国を、ツチノコやカッパ伝説レベルに語るのは止めてくれよ。もったいない。 >>85
実質的にもう答えが出たから教科書が書き換えられたんだよ >>27
磐井は八女やろ? 八女が本部の組織が、糟屋まで支配しとったとなると、かなり強大な組織だったと推測できるね。
今のように通信機器も車もない時代に、それだけの範囲を統治していたとなると、磐井の権力イメージがかなり大きなものになる。
まあ、大和朝廷と戦争したくらいだから、それなりにデカい組織だったんだろうけど、糟屋まで支配下にあったというのは意外だった。 >>100
神功皇后の所で倭人伝を引用したりしてるし、消したというより
伝わってなかったか、あったけど無くなったか、ではと思う
ただ神功皇后の事跡は120年繰り上げるのが正しいと言われてるので
そうだとすると四世紀後半あたりになってしまうけと
ただそうした方が朝鮮の好太王碑文にも合う気はする
卑弥呼はアマテラスかモモソヒメあたりになるんだろうか 確かに畿内説は政治的ななんかだよなぁ
宮内庁とかちらちらしてるし
いきなり日ユ同祖論者が乱入するしさ >>96
張政の一団は倭国に長期滞在(247〜266年頃)してたので
280年なら邪馬台国に住んだことある人が生きてたと思うよ。
張政って偉い軍人だから邪馬台国にそれなりの人数を連れてきてたはずだし。 邪馬台国は連合王国だから。
ある程度地域の幅があり、誰も否定できないんだよ。 日本の考古学会まとめ
日本各地で「〜原人」ブームを巻き起こした日本の旧石器時代の遺物や遺跡とされていたものが、考古学研究家の藤村新一によって事前に埋設された石器を自ら発見した捏造だったとことが発覚した。
藤村は1970年代半ばから各地の遺跡で捏造による「旧石器発見」を続けていたが、石器を事前に埋めている姿を2000年11月5日の毎日新聞朝刊にスクープされ、不正が発覚。
これにより日本の旧石器時代研究に疑義が生じ、中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響が及んだ日本考古学界最大の醜聞となり、海外でも報じられた。
彼のかかわった全ての遺跡について再点検が行われ、上高森遺跡をはじめ多くの遺跡が旧石器時代の史跡としての認定を取り消された。
また、中国、韓国、北朝鮮といった歴史教科書問題で日本と対立している国々では「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」
「一研究家だけの問題ではなく、日本人の歴史認識そのものに原因がある」と大々的に報道された。
藤村の一連の発見に考古愛好家の一部から疑問の声も出ていたが、一介のアマチュアが疑義を唱えることすら憚られる状況となっており反証・反論を行うにはリスクの大きい規模になっていた。
また政府も関連遺跡を史跡に指定するなど事件を助長させ、地域住民も観光資源の観点に偏り商業的な効果を優先させてきた実態が浮き彫りとなった。
考古学界は捏造発覚以前の25年間、捏造を批判した学者や研究者を排斥したり圧力を加える事によって、事実上の学会八分(村八分)にして、捏造批判の声が噴出する気運を押さえつけた。 >>106
倭人伝を読む限りじゃ、長政は台与が即位してからすぐに中国に帰ってるように見える
台与は部下に送らせて、部下は魏の首都まで行ってるとあるし
266年は晋書の記事だからまた別では(265年12月に魏から晋に代わってるから、その慶賀の使者だと思われる) 近畿説の皇室にムリクリつなげようとする強引さには呆れる >>1
大化の改新でそれ以前の歴史が消されたか書き換えられたからなぁ
どうしても邪馬台国残党の存在が邪魔だったらしい >>99
魏志の記述を見るに、もっとシビアに考える必要があるかな。
卑弥呼の時代以降、邪馬台は、男の王を立てることを許されなかった、
と見るべき。
要するに、列島内の権力を志向することを許されなかった。
権力無き権威としてのみ、存続することが許された、ということ。
逆い言えば、邪馬台は、かつて(漢の時代?)権力を欲しい儘にして、
列島における歴史的権威としての地位を確立していたということ。
その後、邪馬台が権力を失う倭国大乱に至る力の変化が起きたということ。 >>111
仮に張政の帰国が250年だとしても
280年ならまだ邪馬台国に行ったことある人が生きてただろうし。 畿内説派の人も松浦市から糸島市、宗像大社、飯塚、小郡、久留米、八女、みやま、和泉、熊本と
車でゆっくり回ってみるとなかなか面白いよ
古代に何かあったと思わせる
わたしは邪馬壹国は九州島そのものだと思いますね
邪馬壹国の中に小国があった連合国の名前だと 邪馬台国って百済か高句麗の人が畿内につくった国だろ 日向から東征して畿内に遷移したと史書にもはっきり書かれている。
ヤマト朝廷が編纂した自分に都合の良い史書でわざわざ出自は九州ですと断言している。
論争になる余地すらないな。邪馬台国(ヤマト国)は九州。おそらく最終的な九州での位置は西都原だろう。 >>66
本来は邪馬壱国、それが邪馬台国と勝手に変えられてる ないわ
九州と関東で「ワカタケルのみこと」鉄剣が出ている時点で、
中国の漢代には日本には統一王権が確立していた。
九州の地方政権なんて漢代より遥か前なんだよ。 >>114
男の王を立てる事はやってるけど、それだとすぐに反乱が起きて
結局女性の長が上に立つことになるから、男を立てれない訳ではない気はする
ただ、魏は内々に男が立つことを嫌っていたかも知れない
卑弥呼にしても、長政が檄を以て(難升米に)告諭す。卑弥呼以て死すだから
邪馬台国の後継者争いに長政が絡んでる可能性はあるし
台与が立ったのにもその意思が働いてる可能性はあるかも 大和をヤマトと読ませる意図は、
邪馬台(ヤマトと読む、ヤマタイではない)国が倭国を統一しましたと示すことだ。
邪馬台国が東征過程で有力な吉備国その他を従えながら、
最終目的地である畿内豪族を討伐して遷移したということだ。
おそらく外的である大陸に備えるためにも、
内部の敵である他の有力豪族を支配するためにも、
西に偏った九州では地政学的に都合が悪かったのだろう。 >>117
それはあるかも。陳寿が聞き取りをした可能性もあるかも知れないね あと、今のチョンは中世にシベリアから侵入したエヴェンキが強制ミックス(要するに女はレイプ&男は虐殺)
して出来上がったもので、古代朝鮮王朝とはかけ離れているから日本と直接的な関係はほとんどないな。 >>122
日本の史書だと邪馬台国は奈良だよ。
奈良の神功皇后が266年に普に使者を送ったことになってるだろう。 >>12
吉野ケ里は魏志倭人伝で邪馬台国連合に加入してる国のどこかなんだろうか? 畿内って狗奴国なんじゃないか?
記紀では、ヤマトが征伐されてヤマト政権が始まるとある。
魏志倭人伝の邪馬台国、狗奴国の記述は、狗奴国(畿内)のヤマト部分が征服された状況なのかもしれない
邪馬台国=ヤマトの南の狗奴国は、南河内と和泉なのかも 邪馬台国は筑紫から西都原に遷移して東征して畿内大和王権になった。おわり。
ちなみにヤマトは隼人族と近い。日本人の習俗が特に西日本で南方系寄りなのはそのためだ。 邪馬台国周辺の国の記述では、国と呼ばれる集団はおおよそ5000人の集落。
それらが北九州に点在していたが、それを統括する邪馬台国がなぜ近畿になるのか?
そもそも、北九州の国家集団と、出雲を中心とする国家集団、さらに四国徳島、岡山、そして奈良ヤマト。
邪馬台国は出雲や岡山の地方国と同じように、近畿ヤマト政権に都合されていったというのがふつうのかんがえじゃないの。 筑紫から日向に遷移してさらに海路瀬戸内海周辺を制圧しながら、
最終的に紀伊半島を制圧して大和朝廷は成立した。おわり。 >>125
神聖皇帝であられる則天武后…はい、ロムパ
…これくらいはなんぼなんでも常識であろうに
ってか中原からみれば化外の東夷のチョッパリ国の一部族の族長なんて
女がやろうと猿がやろうとネトウヨがやろうとオタサーの姫がやろうとどうでもいいよ
それいったら巫女ってなんすかw その700年前に孔夫子は「怪力乱神を語らず」っていってるよw >>122
ただ、西都原にしても、有名じゃないが宮崎市の生目にある古墳群も
畿内型の前方後円墳が主体になってるのが。
時期も三世紀末からと言われてて、邪馬台国にするには新しい感じ
何故か前方後円墳は景行天皇の事跡に関わる所に古い前方後円墳がある感じ
畿内勢力による九州進出の跡って感じはする 古代の渡来人と今のチョンは遠く離れてしまっている。
その原因はアリランや気持ち悪いトーテムポールもどきを見ても明白なように、
エヴェンキの侵入&強制合体。強制合体。わかった?w >>1
スレタイにおらが町の邪馬台国、とあるが
本当に九州説は一定じゃないよな。
福岡平野、筑紫平野、中津平野、熊本平野、宮崎平野など。 >>137
漢代の「倭の五王」記事を見れば統一王権があったとなる。
で、漢が終わって三国志、魏志倭人伝だよね。九州説は時代が合わないのさ。 畿内説は出土したものを邪馬台国の年代に決めつけるだけの簡単なお仕事です。 向の浜から東征に出発して東征完了しましたって明記されてるので議論の余地なし。おわり。 >>140
天皇家を渡来人にすると、渡来した故郷の地の占領権の正統性を示す事になるからね。
半島とか大陸は元々は天皇家の土地だから侵略戦争ではなくて。
失地回復だ正当な行為だになって外交的に難しいことになる。 >>79
やっぱりね。
たしか土地の人は、「カササギ」とは言わんもんね。
>>86
今は、みやま市 かな。
旧町名では、山門(やまと)郡 瀬高町に、女山(ぞやま)という山があるそう。(昔は、女王山と呼んでいたらしい)
そのへんが邪馬台国があった土地だろう、と言ってる人がいた。 有明海をのぞみ、山も平野も川もあるような土地みたい。 もう教科書も書き換わって、邪馬台国は畿内だと示唆するような記述、
あるいは畿内説が有力という記述に変わってきている
未だに九州とか言ってると、高校生に笑われるぞ
山川出版社『詳説日本史B』2016年
「奈良県の纒向遺跡では、2009(平成21)年に3世紀前半頃の整然と配置された大型建物跡が発見され、
邪馬台国との関係で注目されている」
東京書籍『新選日本史B』2018年
「最近では、大型建物跡や大溝が見つかった奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘結果や、漢の鏡の出土分布などから、
大和盆地南東部がその候補地として有力になりつつある」
清水書院『高等学校日本史B』2017年
「初期の前方後円墳の一つである箸墓古墳の築造時期の見直しや、奈良県の纒向遺跡で
魏志倭人伝にいう「宮室」にあたるとも考えられる遺構が出土するなど、この問題に関する新たな発見が続いている」 邪馬台国は球磨国に
大阪ナニワ京は福井県出身に滅ぼされてる
明治維新で長州チョンに乗っ取られたのが王家 >>139
倭人伝で邪馬台国の勢力圏と書かれてる国が北九州確定とされてるのに
畿内にあるとしたら瀬戸内海も勢力圏じゃないとダメだし、
倭人伝の行程に瀬戸内海沿岸の国々について記述がないとおかしいわな。 隼人と習俗に共通性が多過ぎる。どうみても九州出身だ。
西日本の習俗は総じて南方系。どうみても九州が元。 >>144
>何故か前方後円墳は景行天皇の事跡に関わる所に古い前方後円墳がある感じ
景行天皇の時代にヤマトタケルがクマソを討伐したことになってるから
西都原もクマソで、ヤマトタケルが占領した場所かもね。 >>143
自分で皇后って書いてて矛盾に気付かないのかなバカなのかな? >>153
纒向は邪馬台国には思えないんだよな。
本当に大和朝廷の遺跡なの?
もしかして東征でいえば神武と戦った大和国の先行政権の遺跡? >>147
歴史がずれてねーか?
倭の五王は宋の時代 こじつけに近いやり方をすれば、方角を45度半時計周りに回すと
方角がうまいこと九州に収まる感じ(なんとなく距離も)
対馬から南に一大、を南東にすると大体壱岐になり
末盧(唐津か)から南東に伊都国、を東にすると大体伊都国(糸島半島の付け根)
伊都国から南東に奴国、を東にすると奴国(福岡市)に
奴国から東に不弥国、を北東にすると古賀あたりに
不弥国から南に投馬国、を南東にすると(ぐるっと関門海峡を越えるけど)宇佐あたりに
投馬国から南に邪馬台国、を南東にすると大分(ただ陸行が短い)か
宮崎あたりに邪馬台国ががが(大分あたりから上陸して陸行一月?)
女王国より北、は北西に、女王国の東に別の倭は東北に(四国?)
まあこじつけだけどw 九州土人は確たる証拠もないのに願望だけで邪馬台国の所在を主張するから
こんな町々で言い分がブレるんだわ
邪馬台国は畿内にあった。
しかし当時から瀬戸内も九州も地方の豪族と交流があったので
倭国大乱で皆が争った時に調停役として邪馬台国が九州にも出張所を設けて争いを鎮めたの >>151
いやいやあんたが言ってるの全て5世紀の話だし
時代が合ってないのはあんただ >>157
景行天皇の九州遠征で大分の女猶が従ったなんて記述があるけど邪馬台国は大和朝廷に降伏したのかもね。 >>159
仮に3世紀の遺跡だったとしても、邪馬台国とは別のクニ(勢力)だと思うけどね。
もしかしたら纏向の方が先進的だったり、邪馬台国とは全く違う文化だったかもしれないし。 熊本に山都町ってあるんだけど
これって昔からの地名なの? 畿内は邪馬台どころか天皇の古墳も確証ないからな。
7世紀に書かれた記紀の内容は時代考証も無い寄せ集めの口伝を一連のストーリーに書き換えてるだけだしそんな物をまともに信じてる方も基地外じみてる。
纏向は4世紀以降の遺跡でそれ以前の近畿弥生遺跡は邪馬台規模には程遠い地方集落だよ。 2004年7月14日 第9回協議会において、全国公募の中から町名を「山都町(やまとちょう)」に決定。
応募理由は「山の都として栄えるように。山を三と読替え、3町村が栄えるという意味も含む。大和朝廷の「やまと」と同じ響きなので。」 >>166
ウィキペによれば
2004年7月14日 第9回協議会において、全国公募の中から町名を「山都町(やまとちょう)」に決定。
応募理由は「山の都として栄えるように。山を三と読替え、3町村が栄えるという意味も含む。大和朝廷の「やまと」と同じ響きなので。」
「山都町」「九央町(くおうまち)」「美山町(みやまちょう)」の3候補から選ばれた。 >>166
2004年7月14日に決められた地名。
元々は
上益城郡浜町村・下矢部村・白糸村・御岳村・中島村・名連川村・朝日村、
阿蘇郡馬見原町・菅尾村・柏村・小峰村
という別々の集落が平成の大合併したときに全国公募で決めた。 ヤマトって只の地形由来の地名だと思うけどね
ヤマシロ山背、山の後ろにある地
カワチ河内、河の内にある地
ヤマト山外、山の向こう側の地 >>171
半島系の亡命者は全部関東送りになった歴史を知らんのかな 関西にある6世紀までのご陵墓を発掘調査したら日本の古代史がハッキリとわかるのにな… 益城の山都町はこじつけだが、筑後には昔から山門(ヤマト)の地名がある。 >>160
漢代だな。
つまりあなたは日本の成立を後にずらそうとした。 九州説のヤツ等の欠点は、絶対的物的証拠の桃の種が無いからなんだよ
いくら、九州の方が宝剣、鏡、勾玉なんかの価値のある物が多くて出土していても
桃の種か出なきゃ何の意味も無い主張だよ
ジャマダイ国がヤマト王権国の前身ではないのは確かだけどね >>128
東征は架空のストーリー。
列島が広く倭人化、つまり日本語を話すようになって、倭人経済圏が
出来てくると、当然地理的中心が力を付けてくる。
また、百済と奈良の結びつきも重要。
それで、力関係が変化し、4世紀、華北の混乱で朝貢秩序崩壊の折、
九州北部の邪馬台は奈良に滅ぼされ、権威を簒奪された。
その際に生まれたのが、東征神話。権威簒奪を正当化する架空の物語。 >>163
ほら、漢代の話を宋(南朝)と言い換えた。 >>161
鷲崎氏の本がずばりそういう内容だった。
日本列島を傾いて認識していたため倭人伝で言う東は東南方向。
北九州の不弥国から倭人伝記述では南にある宇佐(現実は東南)に邪馬台国。
邪馬台国の北にあるとされてる投馬国は周防灘を越えた山口県防府と推定されてた。
周防灘を船で南下(現実は東南)したら邪馬台国と投馬国は反対側に見えると。 >>179
お前がワカタケルとか倭の五王とか5世紀の話してんじゃねーか >>183
お前がそう思い込みたいならそう思っとけば >>153
この書き方は全部証明されてないと書いてるのと一緒 近畿唯一の比定の砦は纏向しかないし
その纏向から出土するものは5世紀の代物。
全く論争に値しないのにな。 >>175
百済王家は日本の中級貴族として叙位されましたよ。(平安末期には行方不明となった)
山上憶良(旧百済貴族の一人)もいない訳ではない。 >>182
勝ったやつが自由に歴史書けるのになんでわざわざ逆のこと書くのか意味不明
近畿から全国に広がったなら素直にそう書くのが普通 >>188
九州説には根拠が無いわけ。分かるかな? >>62
崇神記を出すアホw
行灯山は箸墓より後の時代なのにそれを2世紀後半にもってきてどうするよ >>180
畿内説に対する皮肉を言おうとしてるようだが、実際はおまえが畿内説を捏造して中傷してるだけだ
桃の種があるから邪馬台国は畿内だなどと主張してる学者はいない キチガイキャラって、とりあえず気持ち悪いから黙っちゃう(黙らせる)という効果があんだよな
カルト系の連中が使う手口だな >>180
勾玉は畿内じゃないか?
大阪の池上曽根遺跡で弥生時代最大級の勾玉が出土している
奈良の唐古・鍵遺跡では、鉄鉱に納められた巨大勾玉が出土している >>166 熊本に江田船山古墳てあるの知ってる?
この時代の刀なんかが出土して、高校の歴史の教科書にも
載ってるんだけど
古墳があるのは間違いないみたい >>191
百済は直接大和朝廷とつながってたからね
高句麗亡命者はまとめて関東に強制移住 神武天皇が畿内に行ったのは弥生時代中期あたりだったりして
この頃なら北九州の力は強かっただろうし >>173
山の入口がやまと、水の入り口がみなとじゃないの >>192
ほら、議論でウソがバレたら「弱者の歴史は隠蔽された」連呼だし。
そういえば、九州説の爺さんは東日流外三郡誌の福島県出身者だったよね。 九州説は村おこしだからな
ありえないところまで卑弥呼の里とか名乗ってるw >>203
こいつ邪馬台国スレで暴れてるじいさんか?
昔と性格や論調がコロコロ変わるんだよな 宮島正人さんってこのスレにもいるのかな?
邪馬台国八女説には賛成だけど 律令時代からある山門郡やら八女を邪馬台国に比定したがる傾向があるが、おそらくあれは邪馬台国じゃなくて邪馬国 >>195
桃の種は卑弥呼の鬼道との関連を学者が指摘していたぞ
マジでどうでもいいけどな >>186
宇佐は神宮の立ってる亀山が怪しい
石棺が出た事もあるし、掘ったら何かはありそう
神宮自体の建立はそう古くはないけど、古墳の上に神社ってのは結構あるし
宇佐には結構大きな古墳群もあるし、掘ってみたい気はする
ただ投馬国の位置はなんか無理がある気はする >>211
宇佐は吉備と同族と言われているし、東九州は早い時期から畿内との関係が深い >>210
あくまで桃の説明をしただけな
だが根拠にはなってない
土器付着物でないモノを使って科学的に年代測定をした
その年代測定の結果が根拠だ >>210
どうでも良くないわ馬鹿
チョンにとってはどうでもいいんだろうけど いわゆる「九州説」は一つの説と呼べるような代物じゃないんだよな
「九州の○○にあったと主張する雑多な諸説群」とでも呼ぶべき何か 今度はレッテル粘着か
これを出すのが、どんどん早まってるな
それだけ畿内説は劣化してんだな >>29
卑弥呼というより天照だな。
八女津媛神社 福岡県八女市矢部村北矢部4015
日本書紀に景行天皇が八女の県に巡幸の折、「東の山々は幾重にも重なってまことに美しい。あの山にだれか住んでいるか」と尋ねられた。
そのとき、水沼(ぬむま)の県主 猿大海(さるおをみ)が「山中に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と答えたことが記録され、これから“八女”の地名が起こったといわれています。
景行も北九州は巻向邪馬台国の祖と感じていたと思う w 桃の種ねぇ・・・
あれも無理やり3世紀前半ってことにしているよな。
C14は畿内説にとって、纏向から出るものならなんでも3世紀に比定する魔法の杖具だよなw 邪馬台国と大和国?
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-29c7.html
>邪馬台国の「台」は「と」とも読むらしい。そういえば卑弥呼の後継者の名前は台与(とよ)だ。
>多分、邪馬台国は大和国になったんじゃないか?
>というか、当て字が違うだけで同じ国じゃないか? >>212
宇佐の赤塚古墳は最初期の前方後円墳だしね
ただ景行記だと、宇佐の豪族は天皇に逆らってたりするし
一枚岩って感じでもないかな 熱ルミネッセンス測定をやって、土器自体の生成年代を推定していけばいいのにな
資料はたんまりあるんだからやれない事もないだろうに 決定的な出土品ないし 中国の文献見ても距離とか訳わからんし
奈良かな〜と思ったら風俗習俗が南方系だし
まあ誰でも言い出すわな オラが町に邪馬台国あったと 俺が市長町長になっても言うと思うわw >>54>>55
そもそも畿内説の捏造学者が唯一の根拠にするその銅鏡自体が
中国では一枚も発見されてないという不思議なものw
日本国内で作って全国にばらまいたと考えた方が一番しっくりくるし
のちに権力握ったやつが過去に中国に朝貢して贈られたものを
コピーして権威づけに使ったと考えたほうがいい
魏志倭人伝の記述を根拠にするなら全く一致しない墓を
卑弥呼の墓とか言い出す捏造畿内説の学者は恥を知るべき >>213
年輪年代法が追試されてない以上炭素年代測定法を担保してる根拠がないけどな
植物間の同位体選別のデータもないからマジで意味ない 畿内は大和朝廷
邪馬台国は無関係
魏志倭人伝ではガン無視されてます
九州から南西諸島の事しか書かれてません >>216
まとめるから、おかしいんだよ
畿内説、宇佐説、八女説、西都原説、島原説など
別々にすればいいだけ 自分の故郷が邪馬台国であると言っている奴の研究は相手にするだけ無駄。 >>16
久留米あたりのツレが一人称でおっどんって言ってた
熊本の菊池出身のも言ってた
鹿児島だとおいどんになる
福岡はオレだったけど、女子はウチって言う娘もいた 箸墓古墳の上には道が有ったし 茶屋も有ったらしい
なんか掘ってもいいんじゃないかな って思う >>229
何も分かってなくてイチャモン付けてるのバレバレ
この前のC14はIntcalで年代較正してる
日本の年輪年代とか無関係
世界中のC14の関係者にイチャモンつけてるのと一緒 >>231
有力なのが無いから抱き合わせ販売してるわけだが >>236
ちなみにこの前の桃の種のデータはかなり高い確率で後漢代の年代示してたけどね
3世紀中頃はほとんど示さなかったよな?
無知がすぎるぞ、せっかくINTCALとは整合性がとれないからせっかく作ったJCALとは何だったんだよ?
炭素年代測定法で測定した結果と日本の絶対年代が年輪年代法で証明されている木材の炭素年代測定法のデータをすり合わせないと意味ないの
なおかつ植物間の同位体選別のデータもないから同じような数値が出てもどれぐらい年代が一致するかも不明 >>237
どれも割とありえそうな可能性を持ってる
持ってないのが畿内
畿内の描写も吉備・出雲・越・尾張など無視
壱岐対馬は書いてるのに宮島淡路は無視
対して九州は小国の事を細々書いてる
畿内は眼中に無い 使者は九州までしか行ってないからな
何回言ったら分かるんだバカチョンは >>243
そりゃゴールが九州だからでしょ
畿内関係無いもん つうか、歴史オタクで畿内説を信じてる人っているの?
畿内説の著書を読んでると「恥知らず」としか思えない内容が多すぎる
昔テレビでやってたアンケートでも9割以上九州説だったし ちょうど邪馬台国の時代はC14の濃度が一定で、測定してもかなり年代幅が広がってしまうんだとか
だから桃の種の結果も、135年から230年とかなり幅があるんだそうで
名古屋大学宇宙地球環境研究所年代測定研究部の 中村 俊夫の測定結果にはあったな
後、
>最近の研究によると、日本産の試料では暦年換算が国際的に一般に用いられている方法に比
>べて数十年程度古い暦年代が得られる可能性があるとして、現在研究が進められているところ
>ですが、残念ながらまだ最終的な換算データは求められていません。
なんて載ってたりする。
まだ最終的にはどうなるか判らんかも 渡来人が臭いジャップに文明を恵んでやったのだから、いい過言その恥ずかしい真実を直視しろよ、クソジャップ(笑) >>246
考古学研究の予算欲しいせんせだけが毎年暮れ近くになると
畿内で新発見だと言い始めるわけですわ 春の予算編成に間に合うように >>学会では邪馬台国は畿内説が有力とされるが
はあ? 何故かネットだけでは元気な九州説
学会でちゃんと証拠示して論理的に説明すればいいだろうに(´・ω・`) 考古学ってやっぱり資金が潤沢な国か投資してる富豪が多い国じゃないと進展しない
家建てるときに地下に遺跡が出てきたら、自費で調査費用出さされて調査終わるまで建設お預けだぜ
そら遺跡潰すわ
>>251
学会で邪馬台国を証明した学説なんかない 箸墓は発掘されるべきである
つか目ぼしい古墳はみんな発掘しちまえ 近畿式銅鐸と三遠式銅鐸と広形銅矛と銅戈の鉛同位体比が全く一緒
これらが同時代となると邪馬台国の時代の畿内はまだ銅鐸時代になる
庄内式土器もその後になるわけで、纏向遺跡も纏向型前方後円墳も邪馬台国より後の時代 風土記読むと面白いのは、王が巫女の土蜘蛛がかなり多いんだよな
肥前風土記で全体の3割くらい。
当時は祭祀が一番重要だから、倭国全体に巫女が王を務める国が多かったんだろう 九州に王朝なんかが有ったことにするわけにはいかんのです
仮に邪馬台国が九州にあったとしても、それは畿内に大和王朝が
すでに存在し、九州をすでに傘下にいれていたということに
しないとまずいのです 日本の王は常に天皇系譜の中でないと
ぜ〜〜〜ったいいけないのです >>257
最近の説は飛鳥時代あたりまで割と大王家が交代してるというのが主流だが… 纒向も北九州の文物が出てこないのは微妙かも
伊都国と言われてる糸島あたりの前方後円墳も四世紀という判断で
畿内勢力が福岡から浸透するのに時間が掛かってるようにも見えるし
記紀でも糸島が従ったのは仲哀の時期で、景行より後の時代になってる
景行の事跡が畿内勢力の進出を意味しているなら、糸島は若干遅れたのかも
まあ判らんけど
それでもなお、箸墓は発掘せらるべきである 誤読だらけの邪馬台国―中国人が記紀と倭人伝を読めば… 1992年
すでにこの時に畿内か九州かの決着は付いてる
九州のどこかまでは賛否有り どこの馬の骨か分からんようなのが天皇を名乗って
次の馬の骨が(以下繰り返し >>5
それは怖ろしいな
人生最大の痛みは歯痛だった どっちの説でもいいからファンタジー入れてくるのやめろよ
検証したいのか神話を語りたいのか片方だけにしろ 邪馬台国と天皇とは何の繋がりもないな。渡来系は兎に角侵略好き >>192
ここは昔から俺の領土だぞって認識させるために土地を移動してるストーリーを作るんだよ、
伊勢神宮もこの手で日本中に伊勢神宮の土地を確保してる。 誰もが思う通り近畿に邪馬台国は無いさ
でも今更有りませんとか言う訳ないでしょ >>267
そんなことはどうでもいいんだよ
卑弥呼って言えば予算が下りる
穴が掘りたいだけ いくら掘っても桃の種しか出ないってのも辛いよな
予算獲得のためにマスコミ使ってキャンペーンやらなくちゃ!w 元伊勢は畿内征伐の兵站の跡
東海と山陰の勢力が攻めて来たんだよ
杵築と伊勢
出雲国造神賀詞から抜粋
【己命の和魂】を【八咫の鏡】に取り託けて、倭の【大物主】くしみかたまの命と名を称へて、【大御和】の神奈備に坐せ、
三輪 能
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し邪馬台国、ヤマト政権を作ったんだろう。 >>252
俺が通ってた大学の考古学の先生は
一回目の講義でいきなり「考古学は金持ちの道楽」と言い切り
考古学を志す新入生たちに先制攻撃をしかけてきたw 邪馬台国は一生見つからないよ
だから予算確保や募金のための道具になったのさ 中国の正史である隋書によると
倭国王のいた都は邪靡堆といい、火を吹く阿蘇山とかいう山があったらしいね
さて、畿内に火山はありましたかな? >>277
畿内説ってそもそも関東から九州までが大和っていう説だぞ
何言ってるの >>7
現代朝鮮語で万葉集の難訓歌は読み解けると
1980年代に類似の本がブームになったことがある。
宮廷女官チャングムの誓い」にチラッとカセット・ガスコンロが映ったこともある。
それと同じ時代錯誤の論法。 >>277
邪馬台国の話に隋書を持ち出すのも馬鹿馬鹿しい話だが
その上、その隋書倭国伝さえまともに読まずに語っているのだからお話にならない
隋書倭国伝はたしかに阿蘇山の話が出てくるが
あくまで倭国にある火山の話として出てくるだけで
それが邪靡堆だの邪馬台国だのの近くにあったとかいうことは一切書いてない
邪馬台国問題で阿蘇山の話を出す意味は全く無い ネ卜ウヨ爺が畿内説に固執する理由がわからん
九州でもええやんか 隋書に阿蘇山が出てくるのはホントなんだ
初めて知ったよ
じゃあやっぱり九州なんじゃないか 九州のが自然ではある。
ただ九州説を主張してる人間の9割はユダヤ同祖説論者並に胡散臭い連中で信用できない。
九州説を支持するが、九州説の研究家は信用できない。 隋書の記述が正しいとなると
当時の倭国王は男王タリシヒコとなる
タリシヒコは冠位十二階を制定し、遣隋使を派遣し、日出ずる国云々の親書で隋帝を怒らせた、と隋書に記載されている
あれれー?古事記にも日本書紀にもタリシヒコの記載はないよねぇ? 畿内説の大半もおらが村の町おこしやん?
ヒント 箸墓所在地 >>19
勿論、偽物
福岡に九大を誘致するめにねつ造で拍をつけただけ >>281
かつての学者は、中国の権威を嫌い九州説をとなえ
今の学者は、中国の権威をありがたがり畿内説を唱える
方向性は逆になったとはいえ
「親魏倭王」という称号にとらわれ、「かくあるべきだ」という結論ありきの主張であることにはなんら変わりはない >>281
古代中国の歴史書に出てくるくらい巨大勢力の邪馬台国
これは大和国であり女王卑弥呼は皇室関係者に違いない!
という結論ありきのネトウヨ爺の暴走なんやで>畿内説 >>275
でもまあ考古学者は大事よ。
歴史を決定づけるのは考古学者。
歴史家の天敵は考古学者と言われるくらい影響力がでかい。
一個の発見でそれまでの真実とされてきた定説通説がいと
もあっさり覆される。
信長の比叡山がなかったことを発見したのも考古学者。 >>282
なんで馬鹿はそういう結論に行き着くのか… 政治的な畿内説と馬鹿の九州説の戦い
別に邪馬台国がなくても日本は成立してるから、ただの道楽 >>290
歴史学者も考古学者も似たようなもんで
仮説という結論ありきの証拠探しが多いんやで
古代朝鮮から日本に文化やら言語やら全て渡ってきたいう
昔からの考古学会の設定に風穴を開けたのは科学 >>293
その科学の恩恵を受けるのが考古学じゃない。 >>233
倭人伝の「好古都國」が熊本の菊池の可能性はある。
平安時代の倭名類聚抄(930年代に完成)に西海道 肥後 菊池を
久々知(くゝち)と万葉仮名で書いてある。
1)東北の会津弁でイとウの区別が曖昧であること
2)万葉集で「暁アカツキ」をアカトキと書いていて
ウとトの書き分けが現代と違っていること
3)本州中央部より東北や九州など田舎や辺境に縄文系の血が濃い
などから
好古都國=肥後熊本の「菊池(くゝち)」の可能性は十分にある。 >>290
今時その手の文献史学と考古学とのマウントの取り合いしたがる人とか珍しいなw >>256
隋唐宋の科挙受験用の漢字発音字典=韻書を見ると
「倭」は「東海中女王國」と書いてあるから
巫女が王のような役割を務める地方が多かったことが伺える。 学会ではとっくに畿内説で決まった話
5%ぐらいの変わり者の学者が民間での議論の盛り上がりの為にあえて九州説に付いている
ない話なんだから色々伝説的な話も作れるわな 畿内推しの人には残念だろうけど、魏志倭人伝に記載された倭国の文物の出土状況をビッグデータ解析した結果、
邪馬台国は99.9%以上の確率で福岡だって結論が出ちゃってるんだよね
https://ironna.jp/article/4548?p=7
> ◆邪馬台国が、福岡県にあった確率
>
> 広島大学名誉教授であった川越哲志氏のまとめた本に、『弥生時代鉄器総覧』(広島大学文学部考古学研究室、2000年刊)がある。
> 弥生時代の鉄器の出土地名表をまとめたものである。鉄器についての、膨大なデータが整理されている。
>
> 『魏志倭人伝』には、倭人は、「鉄鏃(てつぞく)」を用いる、などとある。『弥生時代鉄器総覧』の鉄器出土地名表を見ると、
> 福岡県には49ページ割かれている。これに対し、奈良県には1ページも割かれていない。
> 「邪馬台国=奈良県存在説」を説く人々には、この愕然とするほどの圧倒的な違いが目に入らないのだろうか。
>
> 例えば、弥生時代の鉄鏃の出土数をみれば、図5のようになる。『魏志倭人伝』に記されている事物(鎧・絹・勾玉など)で、
> 遺跡・遺物を残し得るものはすべて、出土数において福岡県が奈良県を圧倒している。
> https://ironna.jp/file/d4c399889c0b962f241b7957292bbe0d.jpg
>
> 図5のような分布を示すいくつかのデータから、邪馬台国が福岡県にあった確率や、奈良県にあった確率を計算によって求めることができる。
> 県ごとの確率は、表1のようになる。
> https://ironna.jp/file/b918d0f424991e886db129418cce67d2.jpg
>
> これについて詳しくは、拙著『邪馬台国は99.9%福岡県にあった』(勉誠出版、2015年刊)を、ご参照いただきたい。
> この確率計算にあたってご指導、ご協力をいただいた現代を代表する統計学者、松原望氏(東京大学名誉教授、聖学院大学教授)は述べている。
>
> 「統計学者が『鉄の鏃』の各県出土データを見ると、もう邪馬台国についての結論は出ています」 畿内説の権威が金印は偽物だと言ってくれたら畿内説を支持する >>298
ゴッドハンドの発掘成果も、考古学会が全面的に支持して
ごく少数の人間が疑問視するのを完全に黙殺してたよね >>299
そりゃ伊都国は機内じゃないからな
邪馬台国と伊都国を混同してない? >>1
八女?
この宮島ってカスは地元しか目が行ってないアフォ
筑後川流域と博多湾沿岸が主体 当時の有明海の海岸線が八女にあったなら、八女の可能性が高いと思うが、
今の海岸線に近いなら、もう少し南西にあったはずだと思うけどな。 ジャップが韓国への嫉妬から捏造とかしないか心配だ。
ゴッドハンド(笑) 大和はそもそも大倭(だいわ)の変換字だろ
これをヤマトと無理矢理読んでるのは邪馬台国を意識してのバレバレ
大倭も倭国より上を主張したくて名乗ったんじゃね
大韓民国みたいな >>285
タリシヒコは、聖徳太子のモデルになった人で
日本の歴史からは抹消されてる。
『古事記』と『日本書紀』は中国と日本が同格であることをアピールするために書かれたものなので
中国から影響を受けてた漢委奴国王、倭国王師升等、卑弥呼、タリシヒコなどは
日本の歴史からは抹消されてる。 >>303
ゴッドハンドと違って古墳とかあるからな
お前もゴッドハンドが古墳を作ったとは思わないだろうw >>48
九州説は邪馬台国を小さく、日本の歴史を短く、大陸や半島の影響下にあったと
言いたがる人たちの支持する説 >>100
ワシの先祖の神功皇后が卑弥呼だって体で日本書紀は書かれてるじゃん? >>1 邪馬台国自体が創作された物だから、場所なんて特定できるわけない >>97みたいなのが九州説擁護の典型
実際は逆で、パヨク、半島系が九州説の立場で工作しているのが現実
>>65 ID:O1MxNsUS0を見れば分かるだろ? >>312
むしろ畿内説こそ
邪馬台国=大和朝廷でその神祖が親魏倭王、親晋倭王として中国に従属したとする説では? >>316
元々、別冊として出してる資料で
その中に数行記述されてるだけだから
しかも、西暦300年頃
本人が正しく書こうと思っていても、間違う可能性があるのに
作者は天才だから間違わない。キリッとかバカかとwww
今の時代でも論文に嘘や捏造があるのに >>194
『日本書紀』では神功皇后は西暦266年に
普に使者を送ったことになってるので
崇神天皇は2世紀後半〜3世紀後半の人だよ
西暦181年のタウポ火山の噴火は崇神の時代に起きた >>143
>神聖皇帝であられる則天武后…はい、ロムパ
最近の用語では武則天な
で、それが黒歴史でなかったこと扱いにしているのが唐朝だよ
武則天は周朝を名乗った(武周)が、>>143も周王朝の成立だとは思ってないだろうに
武威の禍って言葉もあるだろ? 吉野ケ里の最盛期は1世紀
福岡市の漢委奴国王の西暦57年と同じ時期
吉野ヶ里と奴国が戦争してたとか
周辺を奴国の王支配してて吉野ヶ里に遷都して
107年の倭国王の師升がいたとかいろいろ説があるけど
海抜下降とともに吉野ヶ里は衰退する
当初吉野ヶ里は港の近くにあって交易があって
最盛期は海まで2kmだったのが
邪馬台国の頃には10kmまで海岸線が離れる
当時の奴国は2万戸だけど
吉野ヶ里は最盛期で5000人くらい
邪馬台国時代はもっと少ない 西暦181年 タウポ火山の大噴火
西暦184年 黄巾の乱
西暦184〜189年 卑弥呼が女王になった。
西暦248年 卑弥呼が死亡
卑弥呼が女王になったのは、タウポ火山の大噴火がきっかけなのは間違いないけどな。
黄巾の乱も噴煙によって天が青から黄色に変わったから
黄色をイメージカラーにしてるわけ。 >>314
「邪馬台国」の字が当てられたらのは江戸時代だと何度言えば。
もとは「邪馬壹國」。 >>312
天皇の男系による万世一系が崩れるので保守派の反対も強い。 >>315
そうでもないと思うよ。
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守ケ夏、遣吏將送詣京都也。」
魏志こう書いてます。
明帝の景初3年6月に倭の女王が大夫の難斗米などを派遣して
帯方郡に詣で、明帝への朝献を求めてきました。
太守のケ夏は役人を送って、洛陽に詣でました。
日本書紀の仲哀天皇の段にこう書いてある。
神功皇后を卑弥呼に当てることはできないこともないけど
大和王権で最初に女王の地位に着くのは推古天皇。
それまでは全て男子が大王の地位にあった。
神功皇后自体が記紀の中では、中々のトリックスターではあるけど
魏志倭人伝の引用が書いてあるだけなので、なんとも言い難い。
寧ろ引用が書いてあるだけで、自らの記録として書かれてない点で
邪馬台国と大和王権は別種の統治体制だった=邪馬台国九州説とも取れなくはない。 筑紫平野の低地部は海だったけど
大量の淡水で洗い流せば塩分を除去できる
だから川の近くだけは稲作が可能だったと思われる
実際に低地でも川の近くに遺構があるけどどれも小さい
塩分が含まれる土地で当時の技術や人数では
稲作の拡大は難しかったんだろう >>324
もとは邪馬「臺」國
宋代に三国志の版木を彫る時の原稿が間違ってた。
一「大」国も一「丈」國の「丈」が「支」の隷書体と知らずに「大」と彫ってしまった。
岩波文庫版で数多くの誤字が指摘されてる 同時多発的に各地で女帝が居た
てことでええやん
猿も各地で同時多発的に芋を洗い出したし >>330
女帝ってかシャーマンだな。
卑弥呼も呪いや吉兆の担当であって、政治面は弟に補佐させてたわけだし
当時はまだ政教一致体制だったんだろうね。
土蜘蛛の首魁の多くは女だったわけだし、その辺を匂わせてるんだろう。 飢餓と倭国大乱で九州勢力は2世紀に衰退したと思うけどね 八女は上妻下妻だから、
投馬国に入っている可能性が高い。 古代は肥料が無かったんで、
川の氾濫が貴重な肥料の供給源になった。
人口を養う作物を作る上で、
湿地の存在は欠かせない。 根本的に、マキムクは、
3世紀の馬具と槨が出た時点で詰んだ。
これを認められないのは、
往生際が悪いだけ。 2〜5世紀の考古学の成果では九州説は完全にボロ負け状態だから
ゴッドハンドゴッドハンドと必死に叫び続けるしかない
でも自説に都合のよい成果は平気で使う
学問ごっこは楽しいでちゅか?w 九州は候補地が多すぎなんだよ。
まずは文献に書いてあるとおりに徹底的に調査しろよ。
「至る伊都国、又、南至る邪馬台国」
時代とともに首都が移動している可能性もあるがな。 重要な事は、
北部九州から奈良までを邪馬台国の支配下とすると、
邪馬台国vs狗奴国のパワーバランスが、
3世紀の日本列島に再現できない事だ。
当時の鉄鏃の発掘状況から見ても、
邪馬台国vs狗奴国は福岡県vs熊本県の構図で間違いないだろう。 >>299
はいはい、弥生時代全期間を合計した数で比較してる、いつものやつな
紀元前にまで遡って、九州優位だと見せかけるのだから、詐欺師の手口と一緒
公平に比較するなら、邪馬台国が魏と交流していた239年〜247年にどれだけ入手できていたか、で見なければならない
鉄器では入手年代はわからないし、入手してから投棄されるまでの年数に相当のギャップがある
だが、型式でだいたいの製作年代がわかる中国鏡の分布から明らかであるが、
九州勢は3世紀以降、大陸交易での主導権を失っている 奈良盆地にしても京都盆地にして明らかに天然の要害
強大な勢力から逃げ隠れしてる。
九州から離れてる事から九州の強大な勢力に対してだと思う。
邪馬台国をルーツにした勢力が八女の巨大古墳の主だろう。
国指定岩戸山古墳は170mもある巨大古墳
古事記には岩井の反乱とか記してあるが、それは勝利者の記事。 この系のスレってもの知らない人間の見当違いの妄想が乱舞してて面白いよな
あー何にも知らないとこういうアホな事を平気で言えるんだなぁとある意味参考になる 九州説は候補地と呼べるような遺跡がない
まだ見つかってないだけだと言い訳をする
それなら最低限、存在を裏付ける根拠を示すべき
イメージだけで語ってても説得力はない >>342 全国的にみたら40番台の大きさだけどな
あと前方後円墳だったり年代から
ヤマト支配下に入ってから作られたと考えられる >>336
奈良の纒向遺跡は邪馬台国とは全く様子が違うが、東海との関わりの深さが気になるところ。 >>345
君は全然関係ない仮説ばかり追ってるようだが、何を根拠に何を探しているのかを見失ってるんじゃないの? どうせ九州説に本当の事教えたって妄想を信じ込んでるだけなんだから言うだけ無駄だって 当時は地方ごとに小国連合があった。
邪馬台国は北九州の小国連合の中のちっぽけな国だった。
しかも祭祀のためのお飾り国家で実権は他の国にあった。
要するに、どうでもいいちっぽけな国。 >>320
記紀の年代なんかそのまま信じる人いない
神功皇后は5世紀前後がほぼ確定の応神天皇の母じゃないか
崇神が2世紀末なら纏向や箸墓古墳は2世紀初頭になるぞ 九州説って例えて言うなら「1+1=2と言う数式をその数式の存在を知らない人に見せた時の反応」みたいなことを言うから面白いな
「これは神秘の神との交信の為の記号なのだ!」とか「古代の象形文字なのだ!」
とか言い出すみたいなもんで
で、中には本当の事を知った後も「実は神秘の文字だった事実を隠ぺいするために数式だと言う嘘情報を流した陰謀なのだ!」とか言い出したりね
なんて言うかこの無知でしかも真実になんて全く関心のない人間の珍妙な思考回路を見てるととても面白いなと >>344
魏志倭人伝の書き方見ると、魏の役人は常駐先の伊都国の先は
奴国と不弥国くらいにしか行って無さそう思えるんだよな。
邪馬台国は狗奴国もしくはその勢力圏と隣接する所にある案外小国だったりして。 >>331
>その辺を匂わせてるんだろう
生理臭かwww >>352
畿内説の100%、九州説の80%は文盲だと言える。
前方後円墳だとか稲作が盛んだとか何を根拠に言ってるんだろう?
勝手な妄想でしかないでしょうよ。 >>106
張政の倭国に関するレポートって文献資料として残ってないのかな?
一度の使者じゃなくて20年も倭国にいたというのに。 >>353
実際に邪馬台国まで魏の使者は行ってるけど
陳寿が倭人伝まとめたときにその資料を入手できず、
途中までしか行ってない人物のそれしか使えなかったように感じる。 百花繚乱って、田舎町がそれぞれ思いつきで勝手に主張してるだけってことでしょ >>358
物は言いようだよな
そもそも論争なんて存在しないわけで
九州説が無茶苦茶な妄想を並べ立てて「論争」とか勝手に言ってるだけだしな
素人が見てわかるくらいの差があるなら誰だってわかるだろうに
なぜか「自分だけが真実に気が付いたのだ!」みたいな変な連中が勝手に騒いでる
まぁその系の連中がいようがいまいが学問的に何の問題も無いからシカトされてるだけだけどね >>359
どちらかというとそれは畿内説の方が当てはまるよ。
とにかく根拠自体が仮想じゃ話にならんから。
まずは何故方向が南じゃなくて東なのかという仮想を現実的にする為の、アカシを探さなきゃ。 >>355
>南至る邪馬台国
>纒向遺跡は邪馬台国とは全く様子が違う
水行十日陸行一月を省いて、南だけを絶対視してるが、そこには根拠はない
纒向が邪馬台国とは全く様子が違うと決め付けているが、邪馬台国の都を見たことがあるのかよ
ただの先入観の塊 邪馬台国の会とか言うサイトの珍妙な情報をそのまま信じてるような人が次々と出てくるからなぁ
話しても無駄だとよく分かる >>362
邪馬台国の様子は魏志倭人伝に書いてあるじゃないか?
さては読んでないのかな? >>341
現在は青銅器の鉛同位体比率で青銅器の順番まである程度わかるぞ
小型彷製鏡第A→広形銅矛=近畿・三遠式銅鐸
広形銅矛の時代はまだ銅鐸時代
>>247の結果の通り炭素年代測定法は古く出るんだから、それに合わせて補正したらいいだけ
纏向が後漢代でもいいんだと言うのなら何も言わないけど >>363
具体的な批判が一切ないゴミみたいなやつだな また畿内説捏造記者所属の毎日新聞の記事かよw
奈良説なんて捏造があからさま過ぎて研究者らも興ざめだw 畿内説はいわば日本の首都は東京だから平安京は東京にあったというようなもんだな >>362
距離の話なら魏志韓伝も含めて相当誇大に書かれているから、それを念頭に置いておく必要がある。
この縮尺度において、一万二千里で奈良に到達出来ないという問題はどう考えるのかな?
もともと畿内説には無理があるんじゃない?
先にそこを解決してくれ。 九州説の卑弥呼の墓からは後漢鏡が出てくる。これは魏の時代の前のもの。
大和式の前方後円墳からは全国から魏鏡が出てくる。 九州説と会話したってどうせ訳の分からん妄想の断言聞かされるだけだしな
会話するだけ無駄だと分かる >>371
九州説が文献や出土品を照合しているのに対し、畿内説はそれを妄想とか言い出す池沼にしか見えねえぜw 畿内説は魏の使者が方向を間違えたとかトンデモ説言ってるからなw
大昔は星や太陽の位置で方向見るから間違えないよ。
方向間違えたら、そもそも海洋航海で死ぬって―の。 >>350
はっきり年が判明してるもの。
『日本書紀』によると
266年、神功皇后が晋に使者を送った。
392年、応神天皇3年に百済王が死去
100年間くらいは「空白期間」
専門家の間でも応神天皇は新王朝説は有力な説 >>373 こんな印象だけど
近畿の卑弥呼時代 180〜248年
九州の卑弥呼時代 1〜3世紀
観光客を集めるためか多少のズレを許容するいい加減な九州 歴史に真実を求めることは大事だと思う
定説を設定して異論を妄想と切る行為はほんとくだらない
町おこしなんて候補地住民の自己満足なだけでどうでもいいわ
邪馬台国の跡地に決まると町が栄えるとかそれこそ妄想の世界 >>350
あと崇神紀にモモソ姫(卑弥呼)が登場するので
崇神が2世紀後半なら、卑弥呼も2世紀後半になる。
181年のタウポ火山の噴火と組み合わせると
モモソ姫(卑弥呼)が大物主神を祀ったのは184年になるから
『日本書紀』と中国の歴史書の記述が完全に一致する 古代の日本語に「ん」という発音は無かった。
遠賀川の「遠賀」も「男鹿半島」の「男鹿」も同じ語源だ >>299
やっぱり科学的視点から見ると九州なんだよな wikiには無いけど魏史倭人伝の後の部分に、女王国から四千里、東南に船で一年でつく所に
裸国、黒歯国がある、と書かかれていて、こちらの方が機内か中国四国の勢力っぽいよな。 >>378
そのタウポ火山とやらが、日本に影響をもたらした形跡は確認されたかな? >>166
九州では大昔から山の麓の地域をやまとって地名で読んでるところが沢山ある
おそらく九州地方だと当たり前に使われてた地名じゃないかな >>376
>近畿の卑弥呼時代 180〜248年
そんな細かい年代測定が出来るとか信じてる時点で中卒以下だなw
何処の星から来たんだよ?w 北九州って半島からの鉄材の独占輸入販売で一時潤ったにわか成金なんだろう。 金印に関しては糸島の細石神社に元々あったって説もあるらしいけどね。 日本における鉄資源 鉄鉱石と蹉跌
http://www.geocities.jp/tyuou59/image103.gif
鉄器出土場所
http://infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron00.jpg
北九州は砂浜から蹉跌が取れて
さらにタタラ技術が入ってきて日本一の鉄生産地となった
鉄の発見量から北九州に対抗できそうなのは出雲くらいだが
国譲りで北九州の支配を受け入れた
その結果北九州の勢力拡大がすすんだんじゃないか
そして北九州の勢力は奈良に本拠意を移転するが
移転直後は安全な地で鉄の武器は必要なかった
ただ古墳時代になると鉄の武器を使うようになる
http://infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg >>386
それは漢委奴国王印の伝承だよ。
邪馬台国に伝わったのは、親魏倭王印だから金印違いだね。 >>380
>科学的視点から見ると九州
外野からみるとまさにその通りなんだけど古代史学は科学じゃないから
自分らでそういってるし >>1
これのどこが速報性のあるニュースですか?>樽悶 ★ 倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫が女王になった経緯
西暦181年 ニュージーランドのタウポ火山の大噴火(過去100万年で最大級の大噴火)
西暦181年 『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
西暦182年 『後漢書』 によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く。
西暦182年(崇神5年) 『日本書紀』によると「倭国の人口の半分が死んだ。」
西暦183年(崇神6年) 『日本書紀』によると「崇神天皇の徳でも国を治める事が困難になった。」
西暦183年(崇神6年) 『日本書紀』によると「渟名城入姫の髪が抜け落ち身体が痩せ細ったので神を祀れなくなった。(崇神天皇の娘も餓死寸前)」
西暦184年 黄巾の乱が勃発
西暦184年(崇神7年) 『日本書紀』によると「モモソ姫(卑弥呼)が奈良で大物主神を祀ったら、五穀豊穣になった。民百姓は喜んだ。」
西暦184年 『梁書』によると「卑彌呼という一人の女性を共立して王とした。」 >>383
ヤマトは多分山門で山が戸になっているみたいに立ちはだかって
いるところだと思うんで、多分日本全国どこにでもあるんだろうけど、
まあ九州発祥でもおかしくはないかな。 >>389
九州説のどこにも科学的な根拠はないよ。
全部希望的観測ってやつだ。 >>390
ν速名物デイリー邪馬台国スレをなんとこころえるか 1+1=2を知らないレベルの人間の妄想って本当に面白いな
あーそう言う風に思い込むんだぁ
バカは凄いなぁと感心さえする
バカは無敵だよな 畿内説も北九州から支配体制が始まったことについては否定してない
そして邪馬台国について一番重要なのが
卑弥呼が魏に使いを送った238年から台与の260年くらいまでの遺構
支配発祥の地であった北九州は遺構が多く点在するが
だからこそ年代特定が大事になってくる 邪馬台国が九州北部なら水行20日陸行一月なんて書くはずがないんだよな >>397
方角間違えてるやん…
日数も間違えてるだろ 九州説はギャグなら笑えるけど本気で言ってるのがまた凄いよね
あーこいつ本気で言ってたんだ
釣りとかじゃなくてマジとかやっぱり本物は桁が違うなと驚かされる
邪馬台国の会とか信じ込んでなにも調べたことないんだろうなと 数字はいくらでも盛れるしむしろ盛るもんだと正史に書かれてるけど方角は盛りようがないからな >>397
「水行二十日陸行一月」は帯方郡を出てから邪馬台国までの
道程だという説もあったりする。 >>391
三国史紀によると、193年6月に倭人が飢饉に見舞われ、千人余りの難民が半島に押し寄せたとある。
年代はともかく6月というのが合っているね。
しかし、それ以前の173年に女王卑弥呼の使者が半島を訪れているよ。
順序が合わないね。
各勢力圏にそれぞれの女王がいたんじゃないかな? 九州説と会話したって無駄だからな
幾ら本当のことを教えてもどうせ関係ないから
まぁまともに考える脳ミソがあればこんなアホ話信じるわけないからな
九州説と言う時点でもう相手しても無駄だと分かる
逆に分かりやすくていい
だから学者は誰も相手しない
で、九州説は陰謀論を喚き散らして思考停止
いつものパターン >>400
『魏志倭人伝』には倭国は、会稽東治の東にあるとはっきり書かれてる。
『魏志倭人伝』の方角を信じるなら倭国は沖縄県付近にあったということになる。 邪馬台国論争はいつ見ても畿内説を無理矢理押してる奴がいて笑うわ すごいよな
国家的な巨大な陰謀で九州説は隠蔽されてるんだとか真顔で言うからな
だれが何の得すんだろうな
アホの脳内の宇宙の広大さに驚愕するよ 瀬戸内海を通過する描写が出てこない時点で邪馬台国畿内説はありえないな
魏の使者は北九州までしか来てないだろ >>402
えってかそうじゃないの?
最近出版された日本史の論点でも、専門家じゃそう見てるという紹介だったよ >>406
文盲かな?
>>1くらい努力して読めよ
>学会では邪馬台国は畿内説が有力とされるが
郷土史家(笑)が必死に盛り上げようとしてるのが「九州説」と称する得体の知れないもの >>405
それをいうなら会稽東「冶」
だが実は会稽東「治」と書かれてるんで
>>409
通説では博多湾から先の日程というトンデモ解釈がまかり通ってきた
素朴に考えてそれでは道案内にならないという大問題が
>>411
学会は2大帝大が九州対近畿やってるんでね >>411
考古学会が文盲で思考停止の集まりだという世間の認識が深まる一方だなw
こう書いてあれば畿内説も発言権を得られるのになw
「東至投馬國 水行二十日 〜可五萬餘戸」
「東南至邪馬壹國 水行十日又陸行一月 〜可七萬餘戸 女王之所都」 >>412
>学会は2大帝大が九州対近畿やってるんでね
いつの時代の人かな? >>409
邪馬台国だけならいいんだけど、投馬国もそれで書いてるから
全体日数だと矛盾 水行二十日でアメリカ西海岸
陸行一月でブエノスアイレス 九州説は倭国大乱など3世紀以前のことに話を持っていこうとするが、
重要なのは魏との交流があった239年から247年の状況
晋書に書かれている266年の朝貢の時期まで広げると、もう九州説は完全に詰みだよな
北部九州での畿内系土器浸透が博多以外の周辺部にも拡大し、纒向型前方後円墳が全国に展開される
黒塚古墳の年代がここに入るか微妙ではあるが、三角縁神獣鏡が出土する >>413
奈良へと導くならそういう書き方になるね。
文法的にも。 弘前の神社の老人によるとヤンマ(トンボのでかいやつ)の国が邪馬台国で後に半島を経由してきた民に併合されて蜻蛉のトナメ(交尾)といわれるようになった
亀の顔をした宇宙人とも関係があるとも >>414
九州説はレスの一つ一つがもう全開で笑いを取りに来てるとしか思えない珠玉のギャグだからな
これが素で正気の脳ミソから出てきてるっていうんだから世界の広さを感じるわ >>418
纏向も箸墓も否定されつつあるがゆえに、古い畿内説を持ち出すしかないのかw
畿内説はオワットルw
というか始まってなかったw うーん畿内ではもう邪馬台国という忌み字を混ぜたような政権ではなかったと思ったりしてる
九州から畿内に何らかの移動(遷都あるいは戦争の敗北による闘争)があったと思っている
なんとなく邪馬台国と熊襲に似た何かを感じるのよね ・九州と近畿は別の文化だったから、邪馬台国は九州
・神武天皇が奈良に東征した
これが馬鹿の主張あるある
別の文化と言ったくせになんで同じ文化の国にするんだよ。
整合性持たせるならどちらかは捨てろよ >>409
そうじゃないよ。
南至投馬國 水行二十日
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
魏志倭人伝にはこう書いてある。
本来これを帯方郡からと書くのであれば
自郡南至投馬國 水行二十日
自郡南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
こう書く。
これは伊都国からの放射説でも同じことで
自伊都国南至投馬國 水行二十日
自伊都国南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
こう書かないと、文法的に間違っている。
これが放射説の間違いで、原文通りに読むと
行程は連続説で読むのが正しい。 どこでもいいんだが九州が証拠を並べているのに対し
畿内が他人のあらをつついて証拠出さずに学会では畿内で確定といってるだけ >>429
伊都国が九州であるという証拠しか出てきてないよ
あ魏志倭人伝読んだことなかったかゴメン >>397
魏史倭人伝には女王国から船で一年で裸国、黒歯国につく、と書かかれている。
畿内まで水行20日陸行一月だと、船で一年かかる場所なんて日本のどこにも存在しなくなる。
水行20日陸行一月が北九州内だと畿内ぐらいまで一年で丁度いいかなって思う。 まぁチンパンジーとまともに会話しようとしてる奴がいたらそっちの方がバカに見えるからな
九州説とか言う連中と会話しようとするのがそもそも無意味 伊都国の描写が九州と合致してる→だから邪馬台国は九州
アホじゃない?
そうかも知れないけどそうじゃないかもしれないの粋を出ない >>421
進歩が無いんだよね
変わる事は絶対に許されないって感じ
年とるとそんなもんなのかな? >>434
って言うか事実になんて興味ないんだろ
何一つ調べない、考えないで珍説サイトのアホ丸出しのネタを信じこんで妄想喚いてるだけなんだし
証拠とやらがどれもこれも「1+1=2は古代の象形文字だ!これが証拠だ!」とか言うようなレベルの珍文だからな
話すだけ無駄 結局誰にも分からんことが確定してる
国から予算を取るための道具だよ >>433
それと似たようなことが、九州の出土品はこんなに凄いだぞーってやつだな
出土したのは伊都国や奴国だろうに
この前、西新町遺跡で硯が見つかったときも同じような自慢してたw 九州は神武東征の出発点だから、祖先とか本家とかは、有ったかもしらん 伊都国があったであろう糸島半島は、当時の畿内の土器である庄内式が殆ど出ない
(甕が一つだけ出てる)
北九州の土器である西新式は出るけど
恐らく糸島で最古の前方後円墳(端山古墳)も四世紀で
三世紀半ば以降と言われてる福岡市の那珂八幡古墳より半世紀近く新しい
福岡市も、御笠川に近い東側が畿内(那珂遺跡など)、西のあたりは西新式(藤崎遺跡など)
糸島の辺りは畿内に取り込まれるまで時間がかかったように見える
倭人伝だと、伊都国には一大率が置かれていたはずだから
もう少し畿内のものが出てもいい気はするが
むしろ、伊都国は久留米にある祇園山古墳との繋がりが示唆されたりしてるし
畿内との繋がりが薄いようにも見える
福岡市(奴国)は一種の自由交易場所で、九州と畿内の勢力の境にあり、互いに
交わってたのでは、なんて思ったりする 機内にも九州にも、縁もゆかりもない東京の人間だが、機内に決まってるだろ。
その後の古墳時代、奈良時代に続く権力を見ても。
もしも、九州にあったとしたら、その九州から機内に引越する理由は何なの。
日本人は土地を権力の中心と見るから、今でも1000年の歴史がある京都が朝廷の権力の場と見るほど、土地に執着があって、
江戸時代以来の東京を認めないのに。 >>418
その年代論の根拠が年輪年代法の担保がない炭素年代測定法だろ?
今回の桃の種も想定より100年ぐらい古い年代が出たから
測定者も畿内の資料は古く出るから根拠に乏しいと言っていた
なら今まで3世紀末の炭素の谷に入るとか入らんとかで議論してた結果も全て4世紀後半の話になる 歴史ロマンとよく言うが、中国人がいい加減な記述をしただけじゃん なんて言うか九州説の奴と話してるとさ
全裸で平気な顔で街中を歩きまわってる奴に「お前のネクタイは曲がってる!ケシカラン!」とか言われる気分だな
「お前が何を言うの?」とか毎度思わされる
そんなこと平気でやってる奴に何言ったって無駄だろうからな >>409
日本史の論点ざっくり読んだだけだが、邪馬台国を九州に持っていこうとするために、相当無理した解釈をしてる
帯方郡から水行二十日で投馬国、同じく帯方郡から水行十日陸行一月で邪馬台国という解釈
帯方郡から九州上陸まで1000km以上の距離を10日で航行するんだから驚き
倭人伝の冒頭には倭人は「東南」だとあるのに、日数表記での方角は「南」のみの矛盾もある
あと、九州に7万戸の大きな国を想定することが不可能だからか分らんが、
邪馬台国は、倭国連合の中でさえ、最有力の国ではなく、宗教的聖地として存在していて、
政治軍事は伊都国が担っていたという、倭人伝を無視した理解不能な見解
九州説のやつらは考古学者が文献を読めないと中傷してるが、
九州説を唱えてる文献史学の学者がこういう曲芸読みをやってるのが現実
著者である倉本氏は平安時代を専門に研究してるから、そもそも邪馬台国の時代は専門外だけど 青森の三内丸山遺跡が4−5000年前なんだから大陸に近い九州が日本の中心だったなんてのは安易すぎる >>428
いやいや、至る国名のすぐ後に距離を記載するのが正しくて、女王之所都は最後に記述するのが正しいという意味。
魏志倭人伝をそのまま中国人が読むとこうなるよ。
不弥国のすぐ南に女王が住む邪馬台国がある。
ここまで水行十日、陸行だと一ヶ月かかった。 卑弥呼って「火、病み、子」が語源だから、
「火病子」
そう、文字の通り邪馬台国は半島に決まってるじゃん。 >>445
ほれきたw
>邪馬台国は、倭国連合の中でさえ、最有力の国ではなく、宗教的聖地として存在していて、
政治軍事は伊都国が担っていたという、
これが100%想像なのに気付かず考古学者を気取るバカwww 考えられるのは3パターンだよ
1,邪馬台国は伊都国の別称。国を大きく見せようとしただけ
2.伊都国が大和の名前を借りた(別に繋がりはない)
3.邪馬台国自体が完全創作 >>450
お前の文書読解力の無さはホンマ進歩無いよなw
前方後円墳祭祀統一による宗教的聖地w 纏向が否定されつつあるとか書いてる世間知らずの爺さんがいるのが面白いw
否定されつつあると勝手に主張してるのは、邪馬台国の会とその信者だけだろうにw >>452
お前が勝手に勘違いしてるだけ
九州説の倉本氏が本の中で書いてるんだよ
邪馬台国は倭国連合の中でも最有力の国ではない、宗教的聖地であっただけだと >>453
纏向が有力視された時代は15年ぐらい前の話なんだよ。
それ以降、調査で可能性が薄いことがわかってきた。
最近では、箸墓は吉備との関わり、纏向は東海・伊勢との関わりを調査している段階だ。
[箸墓古墳]
白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの可能性は低い、というよりは証明しがたい。」
と述べるのに対し、石野博信は3世紀後半とすれば台与の墓、また、箸墓を寿陵と考える寺沢薫
は壹与の墓説やミマキイリヒコ(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。
[纏向遺跡]
銅鏡、刀剣類、勾玉な、鉄製品などが出土していないなど年代を決定する決定的な出土物は乏しく、
ここに邪馬台国であったと決定的なことは言えない。
日本全国で作られたと見なされる遺物が出土しているが、中でも大和国に隣接し、古代から交流が
盛んで関係が深かった伊勢国で造られた物と、伊勢湾を挟んで東側に位置する尾張国で造られた
物が多い。また、搬入品のほか、ヤマトで製作されたものの各地の特色を持つとされる土器が多く、
祭祀関連遺構ではその比率が高くなる(多い地点では出土土器全体の3割を占める)。
また、これら外来系の土器・遺物は九州から関東にかけて、および日本海側を含むものの、
「九州由来もしくは朝鮮由来の土器は非常に少なく、この遺跡が大陸との交易は乏しかったと推定される。」 【重要】 天皇はなぜ生前退位を言い出したか
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1539139688/275
即位の礼
http://bbs4-imgs.fc2.com//bbs/img/_64500/64468/full/64468_1543315506.jpg
天皇の起源は、古代日本国の九州日向、今の宮崎県高千穂辺りに住んだ、特別な才能を持った巫女が発祥。
その占術での政が倭国に拡大した。 だが渡来豪族がその貢献と信仰を奪取して、今の天皇制に変質した。
邪馬台国畿内説は、九州日向から勃興した占術での政を、渡来豪族が奪取したことを覆い隠す偽装の説。
.
別に巻向が日本発祥の地であることは変わらんしな。卑弥呼とこじつける必要が全くないだけ 九州説はもう本当に腹がよじれるくらいアホ丸出しの事を平気で言うよなw
ずっと見てて本当に笑い過ぎて死にそうだ
よくこんなにバカ丸出しの事いってておかしいと思わないよな
全裸が恥だと知らないから平気で全裸で歩けるんだろうなと思う
ちゃんとしたことを知ってる方からしたら恥ずかしすぎて死にたくなるようなことを堂々と言い切るからな
無知は無敵だとつくづく思う >>457
こういうチェリーピッキングとどっかのトンデモサイトからのコピペ貼り付けて
デマ流すのは九州説の得意技だよな
Wikiなんかも九州説に荒らされて酷いことになってる どのスレでも畿内派は証拠より論って感じだわなぁ
年齢よりもちょっとおつむが足りない感じよね >>456
土器編年は形式の変遷によって、各土器同士の相対的な年代は判るけど
絶対的な年代はわからんからなー
(土器そのものの生成年代を知る方法は無くはないけど、殆どやってない)
だから土器に付着した有機物(もしくは土器に入っている有機物)のC14測定をする訳だけど
この頃のC14の濃度は数十年程変わらなかったらしく
(つまり、結果が百年近く大体同じになる)
較正曲線を用いて補正しても年代幅が広くなってしまう
(だから桃の種の比定も100年近くの幅がある)
また、C14の結果が補正した後でも全般的に古く出ているのでは、という疑いもあったりする
だから、土器の編年のみでは絶対年代は分からんと思う 天武が古代の都“邪靡堆”にあやかって奈良をヤマトに改名したのさ
その際に大和を強引にヤマトと読ませた 最新の情報じゃないやつが暴れてる。
1990年から情報更新されてないやつ多すぎ 九州説とか、未だに信じてる人いるの?
どう考えも畿内でしょ。 学会ではほぼ絶滅したのにネットでは九州派頑張りすぎだろw
おまえらよりずっと詳しい学者が九州説を捨てたのは九州説では無理だからなんだよ
それぐらい察せよ
ちなみに俺はニワカ以下で知識ほとんど無いがなw >>15
出てくる筈がない。
魏の滅亡後、台与が西晋に返却したから無いの。 >>445
専門外というか、史学じゃあんま専門は意味ないけど
倉本の解説も特におかしくはない、まあ俺自身は九州説じゃないが >>467
ほんとうにな
九州説ってこの系のスレに「ぜったいだ!」「かくていした!」「まちがいない!」とか連呼し続けてる
で、持ち出すネタがもうなんて言うか笑い取りに来てるとしか思えないようなバカネタか妄想だからな
そりゃ誰も相手しないよな >>466
畿内だと畿内から九州北部まで支配圏にある事実上の統一国家になるけど
大和朝廷より前に統一してたということになるよ >>441
九州説は邪馬台国と大和朝廷を別物として扱っている。
卑弥呼は畿内の大和朝廷を騙って朝貢した九州の女酋長なんだとか。 九州説はテメーで持ち出したネタがそのネタの中で盛大に自爆してるのに気が付きもしないんだよな
邪馬台国の会とかの表を出してくる奴とかいるけどさ
お前それ見て何にも思わないんだと
出してる方はアレ釣りでやってるレベルの内容だろうに
そんなもんを嬉しそうに持ってくる姿を見てるとなんて言うか哀れみさえ感じるレベル >>472
大和朝廷は邪馬台国の後身なんだよ。
どちらもヤマトと読む。
つまり、弥生時代後期には畿内から北九州へ跨る広域の連合体が出来ていたのだろう。
畿内から出土する土器や青銅器を見ても、畿内より広い地域との結び付きを示している。 >>465
[箸墓古墳]
白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの可能性は低い、というよりは証明しがたい。」
と述べるのに対し、石野博信は3世紀後半とすれば台与の墓、また、箸墓を寿陵と考える寺沢薫
は壹与の墓説やミマキイリヒコ(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。
2018年4月、奈良県立橿原考古学研究所が前方部出土の壺形土器と壺形埴輪26点、後円部頂上から
出土した葬送儀礼用の土器の破片54点を調査した結果、前方部の土器は地元の土であるのに対し、
後円部は吉備地方の土の特徴と酷似していることが分かった。
このことから吉備地方で製造された完成品を後円部に並べたこと、吉備地方の勢力が大きな力を
持っており、箸墓古墳の造営に重要な役割を果たしたことが推測される。 アレだな
九州説って本当に知能が低いんだな
ドヤ顔で見当違いのバカコピペ続ける奴とか見てるとよく分かる
なんか凄い事を見つけた気になってるんだろうな
その張り付けてる物の意味も理解せずに 畿内説がどれほど盲目的に歴史を捏造しようとしているのかよく分かるだろ?
[前方後円墳発祥の地]
遺跡内に所在する箸墓古墳は、一般的に、定型化した前方後円墳の始まりとする説がある。
寺沢薫は、纒向石塚古墳など箸墓古墳に先立つ纒向古墳群に属する墳丘墓を「纒向型前方後円墳」の
概念を用いて捉え、これらを出現期古墳に位置づけている。
しかし全国的には、徳島県の萩原一号墳や鳥取県南部町の浅井11号墳、福岡市博多区那珂1丁目の
那珂八幡古墳など3世紀の前方後円墳が多数ある。近藤義郎によれば、全国の前方後円墳を築造された
時期別に畿内編年の1期から10期の10段階に分けて整理すると、最も古い1期でもっとも多いのは
筑前(福岡県北部)で9基、第二位が播磨(兵庫県)で8 基、第三位が大和で6基、以下備前、美作
、備中(岡山県)、讃岐(徳島県)となっている。
さらに朝鮮には3世紀に石積みながら前方後円墳が多数ある。
以上から、この地が前方後円墳の発祥地とは言えない。 >>477
確かにね、中国の研究だったかな?
畿内は吉備政権の一部だと結論づけていたよ。
その後は聞いていないけど。 >>479
これ元ソースから部分引用して、切り貼りし、
元の文献と180度逆の意味になるよう編集してるだろ
Wikiでもこういう悪質な編集いっぱいある 九州説は、伊都国や奴国の王様が魏使に嘘をついた、という陰謀論なんだよ
畿内勢は3世紀前半には伊都国や奴国の王都(貿易地ではなく王都)にいる
この状況で、
魏使が帯方郡からやってきて、伊都国や奴国の王様に「倭国と国交を結びたい。倭国の盟主はどこの国だ?」と尋ねる
「倭国の盟主はヤマト国です」と正直に答えたと考えるのが畿内説
「倭国の盟主は九州の小国です」と嘘をついたと考えるのが九州説 ↑
という夢を見ました。
根拠は夢で想像が事実ですwww
他スレでも畿内説の日常だよなw んなことどうでもいいじゃん、何時もながらの限界集落同士のミジメったらしい争い(笑) >>474
>>476
江戸時代までは邪馬台国を、やまと国って読んでたんでしょ。
それをやまたいこくと読んだのが新井白石だとか。
で、混乱させたんだよな。
中国は当時、三国志の時代だから、周辺は敵ばかり。
ゆえ、大和国と戦争はしなくても、ふざけた当て字を付けただけだと思う。
普通に邪馬台国は大和国、つまり、機内だと考えりゃいいだけじゃねえの。 >>1
九州だよ。
最後の九州から飛び出すと言われてる
長距離移動は総行程だわな。 畿内説の工作員は奈良で絹の出土がないことはどう考えてんの? >>485
原文だと漢字が違うから読み方違うんじゃね?て白石が考えたて習った 魏志倭人伝の時代の「台」「壹」は「イ」と読む。
ここではこういう初歩的な事も知らんレベルなのか。 >>487
脳内では出てるらしい。脳汁がw
工作員なら、九州の絹の質は悪いとかどうとかイチャモン付けてくるパターンが多いw >>490
いとたいは別の字なんだけど字形が似てて
途中で写し間違えがあったようで交錯してるんだよ
たいをいと読むわけじゃない 九州説は本当に面白いよな
巨大な陰謀と妨害工作を受けてると本気で思いこんでるのが驚き
自分達がバカ丸出しだから相手されてないと思わない辺り、本当にバカのバカゆえの無敵さに感動さえするな
何を教えてやっても巨大な陰謀と妨害工作のかく乱情報だ!とか言うんだから大したもんだ
めくら蛇におじずと言うが本当だな
何にも見えてないんだから怖い物なんてないわな 考古学者はどいつもこいつもバカだし捏造やってる
邪馬台国の会は考古学者の捏造を暴く正義の味方だ
これがこのスレに常駐してる九州説の思考 延々九州説への憎まれ口かw
よっぽどこっ酷くやられたんだねぇw 魏志倭人伝
其國本亦以男子為王 住七八十年
倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王
名日卑弥呼
その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。
倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。
名は卑弥呼と曰う。
すでに男子の王がいたが卑弥呼が共立する
軍事は男子の王が行い卑弥呼は鬼道をつかった
纒向に軍事施設はなく宗教都市であった可能性は
魏志倭人伝から読み取れる 上古音だと、臺はデュ?ドゥ?(duu)て感じらしい
ヤマデュ、もしくはヤマドゥか >>446
定説とされていることが、実は事実ではなく、妄想レベルだったということも多そうだな。
世界四大文明と言われている、インダス、メソポタミア、エジプト、黄河は、定説として有名だが。
四大文明以外にも、大きな文明はあったんじゃないか?とかね。
日本の縄文時代も、四大文明と同じくらいのものだったという新説?珍説?もあるようだし。 歴史の検証って、正確にやって欲しいよ・・・ >>494
藤村一人に罪を着せて事なきを得た連中=現考古学会w
なお、日本考古学協会前・中期旧石器問題調査特別委員会最終報告後に、藤村の
捏造の範囲は旧石器時代を越え、縄文時代にも及ぶことが明らかにされた。
以降、日本は近隣諸国から歴史捏造国家と罵られることとなった。 >学会では邪馬台国は畿内説が有力とされるが
はあ?何学会よ。学会っていろいろあるんだぞ。
少なくともまともな話で畿内説なんか言ったら笑われる 九州説村でアホ同士で「まちがいない!」とか適当なホラ付き続けてるとそれが本当だと思い込んじゃうからな
バカすぎて誰も相手しないからシカトされてるだけなのに毎度こういうスレでしょうもない妄想を叫び続けてる
まぁネットならともなく現実でこんなこと本気で言うようになったらおしまいだからな
たまにはバカにバカですよとちゃんと教えてあげないとな
本当の優しさって奴だな >>496
城柵嚴設 常有人持兵守衞
無防備じゃアカンわな。 東南陸行 五百里 到伊都國 (略)
丗有王 皆統屬女王國
東南に陸上を五百里行くと伊都国に到着する。
王が有り、みな女王国に従属している。
自女王國以北 特置一大率檢察
諸國畏憚之 常治伊都國
女王国より以北には、特に一人の大率を置いて検察し、
諸国はこれを恐れはばかっている。常に伊都国で政務を執っている。
卑弥呼と共立した軍事担当の男子王の所在は普通に考えれば
王族が住み一大率が駐留する伊都国 >>428
伊都国からの放射説やったら、たぶん自然やと思うで。
バスに乗って4つ目のバス停で降りて、
南東に向かう道を500m歩いたらお客さんのアパートあるさけ。
南東に向かう道を100m歩いたらコンビニあるよ。
東に向かう道を100m歩いたらマクドあるし。
南に向かうバスに乗って2つ目のバス停で降りたら有名な火山見れる。
南に向かうバスに乗って1つ目のバス停で降りて、1時間歩いたら×××あるで。
若干無理があるとしたら、1時間歩くことかな。 まぁなんて言うか九州説にイチイチ本当の事教えてやるのは、UFO信者同士の低能な陰謀論議にイチイチ訂正入れてるようなもんだから無粋と言えば無粋だがなw
バカがバカ同士底辺の妄想で盛り上がってるところに水差すのも気が引けるが
リアルでこんな事言い出したら恥かくのは自分だからな
思いやりみたいなもんだな >>504
放射説って中国の学者が採用しないから基本的にありえないよ。 遺伝子の分布を見れば明らか。
日本語は、北方系アルタイ語族崩れの言語で、言語接触により生まれたようだ。
なので、北方系遺伝子(C2・旧称C3)の分布がカギとなる。
この遺伝子は、半島には存在するが、列島では、九州とその周辺に限定される。
つまり、日本語は、半島から九州に渡来し、列島の他の地域は、九州に君臨した
強力な国の政治的・経済的影響で、日本語を話すようになったとわかる。
日本語話者が遺伝的に列島に広がったのではない。
要するに、最初、九州に列島に君臨した国家があったということだ。 >>505
江戸時代に命名された耶馬溪を、邪馬台国関連だと言ってみたり
冬には野菜や果物は食えないと言ってみたり
九州にはスキー場もない位に雪は降らないと思っていたり
どうしようもないレベルなのが笑えるww >>504
それまで連続読みなのに、何の注意書きもなく、突然放射読みになったら、
読み手は一人も正しく理解できないと思うが >>505
予算削られた逆恨みというか、その憎悪精神こそが畿内説捏造の原動力なんだよなw >>509
資料とか作った経験が無いんだろうな
だから、単位の変更とか簡単に考える >>507
科学的には朝鮮人が日本列島で爆発的に増えたことはないことが判明してる。
ハプログループD1b
日本人の約30〜40%がハプログループD1b
中国や朝鮮半島には存在しない遺伝子。
皇族もこれなので皇族は朝鮮系ではないことが明らかになってる。
O1b2a1(O-47z)
日本人の約30%がO1b2a1(O-47z) 。
8000年前に「日本列島で発生した」と考えられている遺伝子。
4000年前に「日本列島で爆発的に増えた」。
日本人に多く。近隣の満州民族、朝鮮民族にはあまり見られない。 >>479
一応、徳島はうどんで有名なとこじゃなく、踊りで有名なとこやど。 日本で発生したO1b2a1(O-47z) の分布を見ると
倭人が高句麗に住み着いて、高句麗で倭人が増えたことがわかる。
高句麗人が倭国で増えた形跡は見られない。
朝鮮は倭国の属国だった時代が長いから当然かも知れないが 畿内説の遠吠えw
効いてる効いてるw
ちなみに、UFOとか言うとる奴は自演厨w >>487
絹は邪馬台国の出先機関である北九州の彼方此方から出てきているので、何ら問題ない。 >>498
和田家文書、東日流外三郡誌か。
古田信者か? 瀬戸内海を渡ったっていうのも無理がありすぎ
普通に近場の九州に行ったという方が自然だわ
近畿のヤマトとは別の国が九州北部にありましたって事だと思う 倭人伝には壹とあるが、他の書物(後漢書やら隋書やら)は臺だから、臺である蓋然性が高い気はする
(倭人伝も一番古いのは北宋の時代のものだし、書き損じがあったかもしれない) >>433
これが九州説のロジックを的確に表してるわ
あと南方系の描写を強引に九州に結びつけるとこも >>523
いやWikipediaにも
伊都国(いとこく)は、『魏志倭人伝』にみえる倭国内の国の一つである。『魏志倭人伝』によれば、末廬国から陸を東南に500里進んだ地に所在するとされ、福岡県糸島市、福岡市西区(旧怡土郡)付近に比定している研究者が多い。
とあるからそこは九州でいいんじゃないの 畿内説は狗奴国の存在が完全なネック
日本列島の過半を領有する邪馬台国と互角以上の勢力が三重南部にあったとか完全におかしい
これを畿内論者はどう説明する気だね? 不弥国までは九州なのは確か
どれも方向が若干ずれてるけど
後は海沿いに瀬戸内海か日本海沿いに投馬国→邪馬台国か
御笠川を遡って行ったか、有明海を南に行ったか
ひねった見方だと、海からぐるっと宇佐まで行って、そこから南下したかも
まあ箸墓掘ろうぜ箸墓 さすがに箸墓古墳はあり得ないよね。
奈良は記紀との関連を確かめながら調査した方が無難じゃないかな?
一旦は邪馬台国の事は忘れて。 >>525
方角間違えたんやて。
間違ったね…
二度も間違った…!!
親父にも間違われたことないのに!!! 一般的には1箇所間違ったら、他にも間違いあると思われるよ
なんで1箇所しかミスはないと思うんだ? >>392
>山が戸になっているみたいに立ちはだかって
それは平成のオマイ流九州的解釈だろ。
東北地方に残る「八戸」「三戸」などの「戸へ」の方がオマイ流解釈に近い。
「門(と)」は立ち塞がるものではなく
万葉集巻3-254 留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見
留火(ともしび)の明石(あかし)大門(おほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
【明大門】は明石海峡のこと。本州と淡路島の間に架けられた明石海峡大橋は約3.9kmある。
柿本朝臣人麻呂が筑紫国に下れる時、海路(うみつぢ)にてよめる歌二首のうちのひとつ
万葉集巻3-304 大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 【嶋門】乎見者 神代之所念
大王(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通ふ【島門(しまと)】を見れば神代(かみよ)し念(おも)ほゆ
「遠の朝廷」は、「地方出向の朝廷」を意味し筑紫にある大宰府のこと
「みかど」の「かど」は庭のこと。
【蟻通・有り通ふ】は通いつづける、又はしきりに通うこと。
【島門(しまと)】は島と島、または島と陸地の間の狭い航路
のように航路や道路が山や島によって周りよりも狭くなった地点だ。 >>524
だ・か・ら・「伊都国が九州にある」ことからどういう理屈で「邪馬台国が九州にある」につながるんだよ? 普通に考えたら九州説だよな。
畿内説って精神を病んでいるw >>4
カササギ、北九州に居ねーよ。飯塚や福岡にもおらん。
太宰府にまだ無い。
駅でいうと二日市と朝倉街道の間くらいから基山、甘木、久留米ら辺にだけ居る。 >>525
後漢書では方角が東に修正されてるけどな 方向で行けば九州になるんだがな
一大率の記述から見れば伊都国は明らかに女王国の北側だし
道のりの記述からも通って来た国々は女王国の北側になる
距離は合わない(もしくは合わないように見える)が
それはともかく、箸墓は発掘するべきである なんか九州って、昔火山が噴火して、全部灰に埋まったんでしょ?
なんでいま植物とか生えてんの? >>525
狗奴国は九州南部だろ。
後の時代でいう熊襲の事。
邪馬台国の出先機関である北九州から見て、南方に位置しているので矛盾はない。 >>536
後漢書の拘奴国は、女王国より東、海を渡って一千里だから
女王国が九州なら山口か四国辺りが比定出来る
(書き方から見ても、海自体の幅が一千里ではない)
畿内だと伊勢湾を渡って岡崎か豊田辺りになるかもだが、陸づたいに行けるのが弱いかも ええ?ID真っ赤にしてまだ畿内説なんて唱えてるニワカ居るんw
恥ずかしくないのかね >>537
アトランティスとかムーとか存在してたと思う? >>544
昔は草や木の枝を鉈でハチながら進まんとあかんかったはずやから、
大勢で歩いて行くんは結構時間かかるから、船で行くんちゃうか? 後漢書では拘奴国、倭人伝では狗奴国で微妙に漢字が違う
ただ発音は(上古音だと)同じだとか
書き損ないか、別の国かは知らん
箸墓掘ろう >>397
魏史倭人伝には女王国からさらに南東に船で一年で裸国、黒歯国につく、と書かかれているけど、
これがふつうに瀬戸内海を進む行程なんじゃないの? >>548
末盧国から伊都国に行く途中はそんな道中だったけど、しっかり道を歩いてるから
(実際、唐津から糸島半島までは海岸まで山が迫ってて厳しい地形)
行こうと思えば行けた気はする
後、倭人伝には道で偉い人に会った時の作法が載ってるから
ある程度開けた処なら道はあったと思う >>397
土佐日記だと水行陸行共に日に6km程度しか移動していない
それを参考にすると筑後川を下って有明海、八代海方面に向かって
水行十日で久留米から熊本の玉名までが約60km
玉名から延岡を経由して陸行一月(30日)で宮崎の西都あたりで約180km
水行二十日で久留米から八代の南あたりまでで約120km
くらいよ >>3
中国の皇帝が使ってた印は翡翠(ネフライト)・金・銀・銅の順だったらしいね >>551
末盧国ー伊都国間はそれなりに通行人多いやろからそれなりに道できてるやろし。
福岡県の平野部に邪馬台国を否定した場合、
見渡す限りの水田が広がってて比較的歩きやすかったはずやと思うから、
陸行1月がネックになるんよな。
どんだけ変なとこへ上陸して変な道通ってったんよって。 >>11
九州ではおっさんが「あたい」と言ったりおばさんが「おい(おれ)」と言ったりする >>555
末盧国の描写がこれだしね
又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前人
正確には伊都国までの道というより、末盧国の描写かもだが。ただ今でも険しいから、道があったかは微妙
陸行一月を解釈するとすれば、畿内の場合なら水行は瀬戸内海ではなく
日本海にとり(この場合、投馬国は出雲あたりか)天橋立あたりで再上陸して
そこから奈良まで下ったのかも知れない
(瀬戸内海だと流石に大阪から奈良まで一月はかかりすぎだし)
九州だと、南の宮崎(西都原か宮崎市あたり)まで陸を行ったかも知れない
(九州山地を横断したか、大分あたりから南下したか) >>430
小人國が種子島も出てるだろ
本当に小人の遺跡が >>559
久留米だと、、流石に背振山脈を越えた、って事は無いかなあ、、近すぎやんなー >>544
なんで? 一千里なら、ハワイのちょい手前くらいじゃん。 畿内派=ナラは朝鮮語のクニであり、朝鮮からの侵略移民が作ったクニ
騎馬民族がヤマト王権を作り、日王は朝鮮人
つまり天皇家は朝鮮人で朝廷の支配層も朝鮮人、縄文人を奴隷として現代まで支配している
日本を作ったのも朝鮮人
九州派=九州島内の小国30あまりの連合国が邪馬壹国を名乗り、各国には王がいる
九州とは、古代中国の言葉で周囲を支配する大国の意味
邪馬壹国の政治は各王から選ばれる合議制、卑弥呼が選出された時代もあった
戦乱期を乗り越え平和国家樹立を果たした、鉄製品を使い、養蚕を行い、シルクを織り、魏に献上もしているが、日本の歴史書には全く記録が無い
南に狗奴国あり、男王は卑弥弓呼、邪馬壹国と国境で紛争が絶えない
記紀に天皇家は宮崎県出身とあるため、狗奴国が畿内勢力を攻略し、後の天皇家とヤマト朝廷樹立、ヤマト朝廷は後に九州の邪馬壹国も攻略したと主張 >>559
1日1人誰かが通ってたら、まあ、そんなに鉈でハチながら進む必要がなくなるから、
交通量次第やろな。
道が悪いんなら、確かに田畑の平野部を歩くよりは時間かかるだろうけど。 >>566
大乱してるから道はあまり整備されていないはず
国が乱立してる状態だと道の整備は難しい >>563
当時の中国の里だと(短里は考えない)400キロくらい
ハワイは流石に >>552
お公家さんって、そんなにノロマいん?
菅原道真が太宰府に赴任する途中、淀川を下って西中島(新大阪駅付近)で一休みしたときに、淡路島に着いたものと勘違いしたとかいうのも、本当なのかな? >>569
馬に乗らず体力に余裕を持たせてゆっくり歩いて案内したらそんなもんかもな
使者を急がせるはずも無いし >>555
筑後平野ってずいぶん遅い時代に陸になったところだよ。
昔の筑後・筑前・肥前の国境のせってるところの筑前側に「四三嶋」っていうところがあるけれど、唐やら新羅が攻めてくるかもしれんと太宰府に水城を
こさえた時分、そのあたりまで海で、本当に島だったというし。
福岡の方も、たとえば、空港のあたり、軍が飛行場にしたのは、河川敷〜干潟の湿地帯で耕す人が居なかったからだし。 >>525
九州南部の熊襲か東海以東の毛野とかのことらしい
女王国は畿内から北九州が版図 日本の大和国(纒向)の最初の王であるは三河県豊橋市出身の可能性が高い
三河→熊野→河内→大和(纒向)なのだ
大神神社と伊勢神宮(伊勢と三輪の神。一体分身の御事。)の主祭神、大物主(ニギハヤヒ?)
豊橋市にある石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある
昔は石巻山を神山(ミワヤマ)と呼んでいて、そこから三輪山になったらしい
神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、豊橋の石巻山(神山)に向いているわけだな
三種の神器の剣と鏡は、大和国最初の王の神宝なのだよ >>569
1日で10km移動しても次の日雨で休んだら平均で日に5kmの移動とか
そんなのんびり旅 >>567
倭の大乱の時期は(後漢書の桓霊の間から)167年から168年辺りで、その後に卑弥呼が即位
倭人伝には歴年とあるから、もう少し長かったかも
卑弥呼が使者を送って、魏の使者が来たのが237年か238年だから
まあある程度平和?な時期は続いてるんじゃないだろか
卑弥呼が死んだのが248年あたりだから、80年くらい女王やってた事に 日本の考古学って、厳密に科学的な検証で決定されてきたというより、
学説、派閥、学閥、思想との兼ね合い、勘違い、妄想、功名心、出世欲、利権なんかによって、大きく歪められてきたんだな?ってことが、スレを見ててなんとなく分かったよ・・・ >>512
D1bは、氷河期に地続きのシベリアから樺太経由で入った
縄文人の最初のグループ。
O1b2は、氷河期が終り、スンダランド(東南アジア)大陸が沈み、
そこから船で渡ってきた縄文人の第二のグループ >>552
末盧国から不弥国は里なのにそこからは日にちなのは何だろうね
畿内説なら不弥国からはすごく遠いから、で何となく分かるけど、九州内なら普通に里程のままでもいいような >>578
倭人からの伝聞で実際には行ってないんじゃない?
里を知らない倭人なら邪馬台国まで何日かかる、投馬国まで何日かかると
日数で距離を把握してるかも 奴(な)国が「みなと」。博多の那珂川(=「な」ヶ川)にその名を留める。
ここを支配し、自らは漢に朝貢せず、配下の奴国を朝貢させて列島に君臨したのが
「やまと」(邪馬台)。当然、九州北部。
地政学からして、「やまと」(=山・戸(門))=山手の国=守りの固い盆地の国だわな。 >>578
水行の場合、目的地が見えない場合、測りようがないからな。 一昨日のニッポンドリル、
林修が
「お歯黒は1700年前の弥生時代からやっていた。
倭人伝には黒歯国と書かれている」
と解説 東京のマスゴミはそろそろ地方同士でいがみ合わせるの止めろよ
できないなら首都返上しろ
チョンの思う壺だぞ >>578
一応、帯方郡(朝鮮)から邪馬台国まで1万2千里とは書いてある。
これだと北九州かその周縁になる。 邪馬台国ネタは2ちゃんでも一定の伸びがあるよな
2ちゃんねる利用者は意外とインテリなのか? >>578
1ヶ月どこにも上陸しないのはおかしい
もし本当に水行してるなら、途中の国を今まで通り記述するはず >>581
違う。
大和朝廷=非日本語系の先代渡来弥生人
邪馬台(やまと)国=倭人=最後の渡来系弥生人(=日本語話者)
(当然、先代の非日本語系弥生人、縄文人と混血していった。)
奈良は、倭人化、つまり日本語を話すようになった後、
半島の百済と通じることで、邪馬台の覇権を切り崩した。 隋書に阿蘇山の横に邪馬台があるよと書いてあるのに
なんで近畿なんだよ馬鹿じゃね >>5
あの時代の虫歯治療ってトンカチと犬釘で歯を抜くんだっけ >>573
福岡県の中央部にも、旧町名だけど 三輪町 って土地があったみたいだよ。
古墳や古い遺跡も多い土地のようだ・・・ >>588
重要な国だけ書いたんでしょ
対海国、一大国から末盧国、邪馬台国まで、どうでもいい国は書いて無い。
どれも魏の使者には大事な国だよ
ひとつひとつの国の意味を考えたら分かる >>589
違う。
邪馬台国と百済は白村江の戦いで敗戦した後に大和朝廷に吸収される形で滅んだ。 畿内とか言ってるヤツは庭師
優秀な識者は九州と口を揃えて言ってる >>593
奴国、投馬国は比較的どうでもいい通過点だけどデカイ国だから一応書いたのかも >>584
お歯黒の由来って何だろ?
・衛生? 雑菌予防、殺菌などのため?
・呪術的なことから来てる?
・化粧みたいな、装飾的意味?
・狩猟時や戦闘時に徹底的に闇に紛れるように?
・その他?
不思議な風習やな・・・ >>552
議論になる水行や陸行での一日あたりの移動距離。
唐の時代の基準だと陸は28キロ、海は25キロだそうだけどこれって絶対に整備された道の話だよね。
だって江戸時代の街道で30キロ、健脚で40キロだったのだから。
よって道路事情が良いやうに思えない古代において一日数キロは不自然に思えないな。 >>504
いや、そんな雰囲気で書くもんじゃないからさ。
伊都国からの放射で表記する場合の例も書いてるでしょ? >>586
釜山から南米マゼラン海峡のフェゴ島までで4500里くらいなのに? >>599
当の支配層は拓跋人で騎馬民族だから、陸行はお馬さんに乗っての感覚だろ。
ペルシャやアラビアやインドから帆船でやってきたりもしてたから、船もその感覚だろうし。 在日韓国・朝鮮人は単なる「不法入国犯罪者」です。
戦後の混乱で強制送還できず、しかたなく「朝鮮戦争の難民」という扱いで
特別に在留を法的に許可してる状態です。
つまり、朝鮮戦争が終結すると祖国へ帰らなければならないのです。
日本政府「「在日61万人中、徴用者は245人、あとは勝手に来て住み着いた者」で間違いない」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1525094153/
在日韓国人3世に「永住権」なし 日韓基本条約で受け入れ義務なし
http://www.thutmosev.com/archives/57555487.html >>588
だから、一般外交として邪馬台国に行ってないんでしょ。
外交的に伊都国が代表すると書いてある。
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國,皆臨津搜露,傳送文書賜遺之物詣女王,不得差錯.
特殊な場合=女王に謁見した場合などは通過の国々の様子は関係ないから省く。
政治的には大海之中がどんな地勢なのかが重要になるだけ。 >>599
1719年の朝鮮通信使が対馬から大阪まで移動するのに約620qを45日かけてる
一日平均13.8qほどの移動距離だったみたいだ
瀬戸内海の難所では何そうもの小型船でえい航したりしてたぽい 魏志倭人伝に書いてある倭人は、
顔面に入墨、裸足で歩いて、生肉を手掴みで食べ、一夫多妻でマジ土人
中国とか朝鮮はこれを倭奴と呼んで向こうの差別用語にもなっている
邪馬台国が畿内にあったとか頭イかれてるトンデモ説
しかも大和朝廷と一緒にするのは何かの陰謀すら感じるわ >>606
邪馬台国サイドは中国の使節を伊都国どまりにして外交交渉してたのか、
本国まで行って卑弥呼に会ってるのかどちらなんだろ? 松浦から東へ順に国が書かれてるし方角は狂ってない。女王国から海上1000里先にある倭種国が近畿。
でそこから東へ行くと伊良子の侏儒国に行き当たる >>590
火山のことを全て阿蘇山と呼んでいた
日本は火山国なので畿内にも火山はあるから邪馬台国は畿内でおかしくない
とかいってた畿内派がおったなァ >>587
九州説の一日100レス基地外がいないとあっという間にdat落ちする >>578
あとさらに魏史倭人伝に、
女王国の東、海を渡って千里、その南に朱儒国あり、
女王国から四千里、水行一年で裸国・黒歯国があり
と書かれてる。
感覚的にはこちらの方が出雲や吉備、畿内のイメージではないかな。 >>615
水行1年って、黒潮に乗ったらアメリカにでも着きそうやな。 磐井の乱の本拠地で、でかい古墳もあるので、ここに古代の超有力国家が有ったのは事実だろうね。 Wikipediaによると、黒潮の速さは7.4km/h。
九州からアメリカ西海岸やったら9000kmくらいかな。
最短で9000/7.4/24≒50日ってとこか。 >>609
奈良つうか畿内〜紀伊半島にも原住民はいたからさ
畿内説の人らはその末裔に違いない >>617
でも当時は二倍暦なのでここでいう1年は180日だとな。
それで1日で数キロというから北海道や東北の独立国のことなのかも。 >>611
東じゃなく南東ね
末盧国から伊都国、奴国は実際は北東だけど倭人伝では南東 >>623
北海道でも日本海流あるからもっと早く着くでしょ。
最短なら、1500(km)/2(km/h)/24(h)=30日くらいかな? >>625
確かに東北はむりだな。
これこそ沖縄や小笠原? 太子は卑弥呼について語ってたのか調べてくれ
ヒント
医療大麻オイル@一部レビュー付き
https://plaza.rakuten.co.jp/denkyupikaso/diary/201811250000/
癌に効くとは言いませんが韓国で解禁しました
国際法上は日本人でも治療を受けに行くことができ、隣の国ではがん緩和レベルのものまで解禁しました
このオイルが様々な治療のきっかけになればと思います 紀元前107年
・倭は100余国からなる。
57年
・倭の奴国は中国の後漢に朝貢し、皇帝から金印を授かる。
107年
・倭王 帥升が中国の後漢に朝貢。
107〜180年頃
・奴国で男の王が70〜80年間、倭を支配する。
178〜184年
・奴国の支配が終わり、内乱がはじまる。倭国大乱
〜189年
・倭の内乱をおさめるため、女王 卑弥呼の統治が始まる
以上、全て倭=九州内での出来事です
畿内は一切関係ございません >>208
八女って古墳はあるけど
伊都国以上のレベルの弥生遺跡あったけ? ≫1
そもそも「邪馬台国」なる国は存在しませんでした。
魏志倭人伝の表記は「邪馬壹国」であり、
この読みは「ヤマトコク」であって、
断じて「ヤマタイコク」ではありません。 豊総耳と言われたおさつの太子は
大麻を使ってその能力を発したと言われてます
卑弥呼も大麻を使ってシャーマンやってました >>627
沖縄・小笠原は危険やな。
下手すると大事な魏の役人と一緒にアメリカまで流されることになりかねん。 あの時代に近畿から敵の勢力圏を突破して大陸までアクセスできるんかね
邪馬台国は九州北部沿岸を治めていた有力勢力って考えるほうが合理的だと思うが >>636
ということは、邪馬台国は畿内だと認めたようなもんだな >>636
日本書紀の仲哀天皇の部分を読んだら、穴戸(山口)までは完全な大和の勢力下だが、
筑紫(大宰府周辺?)とは敵対関係ではないが、微妙な関係を感じたな。
死んじゃったから、毒殺されたんかもしれんけど。
でも、神功皇后は朝鮮行ってたからな。
1年を2年で数える方法なら、もっと後ってことになるけど、
大和政権の勢力が衰えてるってことはないんじゃなかな。 >>640
九州の勢力が東進して奈良に移ったと考えたほうが自然だな >>639 の訂正
間違えた。
1年を2年で数える方法なら、もっと前になるから、
その場合はひょっとすると無理かもしれんな。 >>498
エジプトとメソポタミアの黒曜石交易を調べ比較するとわかりやすいよ。
さすがに180万年前のエチオピアの黒曜石加工を比べるわけには行かんけどね w >>638
学問的には、畿内勢の北部九州への到達時期がいつ頃かという点が邪馬台国論争の争点だった
3世紀前半には到達していたことが確実になったので、論争は畿内説で決着した
ざっくり言うと、魏使の目の前にナンバー1がいるのだから、九州の雑魚など出る幕ではないということ >>639
仲哀天皇は北九州の邪馬台国に戦争をしかけて戦死したのかも。
同じく日本書紀の景行天皇の遠征では九州全土を回っているが福岡平野だけは通ってない。 >>640を見ると畿内説がしたり顔で述べてることが全部ウソだって丸わかりで面白いな >>644
更に超摩訶不思議理論キターーーーー
笑わせようとしてんのか? >>645
いや、御神託を無視したから死んでん。
でもこのパターンって、毒殺っぽない? >>552
九州北部だけはありえないと思うので九州南部なら有りっすわ
12000里にしても九州北部じゃ近すぎるし 矢部川流域(八女地方)で正解だろうな
天照大神の天岩戸は日向神ダムのあたりの話だろう >>647
どこが摩訶不思議?
お前が最低限の知識さえないだけなんだが >>644
魏史倭人伝によると、当時の倭は百カ国余り、魏と交流があるのは30国だよ。 山口組が正式にケツ持ちについてる企業を、短期間で、単独に上回る暴力企業が現れますか?
九州説は無理がある >>652
だから何?
その30ヶ国にヤマト国も入ってるんだが 今の筑紫平野の殆どが海だったからな。その中でまとまった広がりのある土地は
八女くらいだな。
おおきく迂回するから行程もそれなりに要しただろう。 >>649
伊都国から諫早辺りまで水行十日、そっから八女まで陸行一月やったらギリありかなと思うけど。
ただ、なんでそんな効率の悪い行き方をしたんだろうという問題は残るが。 >>651
ではご教授願おう
貴方の言う邪馬台国は畿内に在ったのか九州に在ったのか
それともそれ以外の地?
そしてその論拠をよろしく そのうちタイムマシンが完成して邪馬台国がどこにあったか確認しに行けるから
その時この不毛な論争は終わりを告げる >>648
火曜サスペンス的には竹内某と神功奥さんの共謀だなw 邪馬台国など九州の国が東征して大和朝廷を建てたって話と
邪馬台国は西進してくる大和朝廷に征服されたって話、どちらが正しいんだろうか? >>4
矢羽を作る時に重要なのは、当たり前だが鏃の起こす後方乱気流にバタつかない鳥の羽
鵲が居ないなら、矢による遠距離狙撃は警戒しなくてもよく、鎧も装甲厚を薄くできて
野戦時の突撃速度が増してくる、それほど矢羽の質は重要なのだよ
たった今考えついた法螺だけど、信じる者は掬われるから >>660
あのなチャットしてんじゃねぇんだからさ その論拠も同時に書いてくれや フジテレビのなんだこれミステリー見てると、直線距離2〜3qくらいの山道で3時間かかったとかあるじゃん
整備されてない山道なら今じゃ考えられないような労力がかかってしまうのかもな >>663
お前が高校の教科書レベルの最低限の知識を持っていることが前提になる
最低限の知識はあるのか? 最近邪馬台国ネタが多いなぁ
遺跡なんて高度成長期に土建屋にさんざん壊されただろうし
今更古すぎてどこだかわからないだろw >>666
もうええわ 能書きながい奴でまともなことレスしてきたやついねぇからな
俺が上で書いてる台湾人の先生が解説した魏志倭人伝以上の
説有ったらどこの先生でもいいから教えろや、おまえの解説はもう必要ねぇから >>668
高校の教科書レベルの知識もないと白状したようなものだなwww
ド素人のトンデモ説でも信じてればいい >>653
その山口組がすぐに滅んじゃったんだよ
おかげで張政は帰国できなくなっちゃった でました勝利宣言 恥ずかしくねぇのかな
やっぱ畿内説スレで乳繰り合ってるような奴は頭とろけてるんやな
もうpart400ぐらい行ったか?w >>661
高地性集落は畿内を守るように作られてる
という事は、東からの脅威に対処していた
つまり東遷が史実 さてとつまらん低レベルの畿内野郎だったから時間余ったなw 上の方にあったな
トンデモに走るやつの典型的なパターン
教科書や学術書を読まず、ド素人が書いたトンデモ本ばっかり読んで、どんどん脱線して行くって
まさにここの九州説のやつらそのまんまwww >>661
・倭国は古の倭奴国なり
・日本国は倭国の別種なり
・其の国、日の辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す
・倭国自ら其の名の雅ならざるを惡み、改めて日本と為す
・日本は舊小国にして倭国の地を併せたり がんばれやー つうか俺以外おまえかまってもらえてないみたいやけどなw 罵倒も負け惜しみもどっちもウザいけど、
まだ罵倒の方が必死さが伝わって好感がもてる。 >>675
新唐書のほうやったっけその記述 その日本の発音がすげー興味あんだよな ここの九州説は学者を信用せず、ド素人のトンデモ本やトンデモサイトは信用する
だが、そういうトンデモ本やトンデモサイトのソースは、元はと言えば、学者が書いた論文や学術書だ
ド素人は自分で調査、研究してるわけではないので、独自の資料は一切ない
学者が書いた論文や学術書をもとに、トンデモ本を書いている
だがその際、チェリーピッキングをしたり、歪曲したりで、全く逆の結論に持って行こうとする
学者は信用できないと言いながら、ド素人の歪曲は信用できると言うんだから、ほんと面白いやつらだわ 宮崎南部に限定すると水銀やらが出ないので東九州一帯を勢力範囲にしていると考えたらいいかもしれないな
ただ、そうなると伊都国から日田を超えていけばいいので、水行20日と10日と陸行1月の理由を思いつかないといけない
例えば、中枢部は宮崎市から西都市のあたりなので
有明海や八代を船で来た方が速いとか楽とかそういう理由があったとすればいいかな >>345
>全国的にみたら40番台の大きさだけどな
岩戸山古墳は全国80位だよ >>682
大分県や熊本県は中央構造線があるので水銀の鉱床がある、又はあった
宮崎にもあったのかな? >>683
丹の論争でいろいろ調べたとき宮崎もかかってたような記憶が、、
曖昧で済まん >>664
>>640の地図を見ると前者しかあり得なくね?
動機はさらに東日本まで攻めるには九州は遠すぎたんだろ >>685
安曇族の動きは、「拡散」という言葉がふさわしい気がするんだよな。
拡散した結果、各地に居ついただけで、面としての版図を拡大したわけじゃないと。 大和朝廷(大和民族)には入墨をする風習はない
なので魏志倭人伝に出てくる倭人はすべて一地方(九州地方)だけの縄文系土人だという事 >>680
グーグルマップで九州を地形表示で見てみ
日田の東側は巨大な山塊で陸行は限りなく厳しいから >>592
文句は大神神社に言えよ
日本の大和国(纒向)の最初の王であるは三河県豊橋市出身の可能性が高い
三河→熊野→河内→大和(纒向)なのだ
大神神社と伊勢神宮(伊勢と三輪の神。一体分身の御事。)の主祭神、大物主(ニギハヤヒ?)
豊橋市にある石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある
昔は石巻山を神山(ミワヤマ)と呼んでいて、そこから三輪山になったらしい
神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、豊橋の石巻山(神山)に向いているわけだな
三種の神器の剣と鏡は、大和国最初の王の神宝なのだよ 九州説ってかつて盛んだった写楽別人説によく似てるんだよね
「写楽は有名な絵師○○の秘密の変名なのだ!」という数十年前に流行った話なんだけども
まともな学者は寄り付かなかったが自称研究家たちが好き勝手に自説を展開して盛り上がってた
こっちはほぼ絶滅したけど九州説は過去の遺物たちがまだ頑張ってるな >>688
なるほど、そういう事になるんだ
もっと北回りで宇佐からならいけるだろうけど
そうなると遠回りになるからやっぱり八代あたりから上陸した方が早くなるだろうしね >>689
いわゆる三種の神器(剣・鏡・玉)は、もともと九州諸国の首長たちのレガリアだよね。 もう近畿パーは勝利宣言するだけになっちゃったね。
サハフタソみたい。 >>686
いや北部九州に分布していた破鏡の移動とかと連動してるから
鏡を割って分配し割符のように使ったらしい
卑弥呼時代の弥生末期には北部九州が分布の中心で、本州は>>640の安曇分布地くらいにしかなかったのが、
古墳時代に入ると瀬戸内海〜畿内に大移動が起きてる
明らかな民族大移動の痕跡だよ
166 :ホワイトケープ :2018/10/06(土) 18:57:54.78
破鏡をご存知ですか。銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に後加工したものや穿孔したものが、墳墓からだけでなく住居跡や田んぼからも見つかります。
弥生後期の遺跡から出土する、神武東征由来の遺物です。
次は破鏡の分布図で、図40は弥生後期〜終末期の分布、図41は古墳時代前期の分布図です。「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎から借りています。
図40(http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu40.jpg
図41(http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu41.jpg
熊本平野、大分大野川流域の状況が特徴的です。
ほとんどが集落域からの出土ですが、弥生終末期にのみ見られ、古墳時代には全く見られなくなります。
当然なことで、神武東征が九州を発つ前に狗奴国や大分の従わないクニとの決着の戦いの痕跡だからです。
福岡平野で募られた兵は、家族との長い別れに、親子兄弟、妻とも家族の絆として鏡を分け持って出発したのです。
家族の証明はこの割れた鏡が合わさることでしか、確認できない時代です。
出征兵の親は、待てど帰らぬなか亡くなっていき、鏡とともに副葬されました。
兵たちは落とさないよう穴をあけ首にかけていたが、戦闘の中で田んぼに落とすこともありました。
突然の出立に、置き忘れることもあったでしょう。
妻や子は、小さなかけらをもって後を追いかけました。
鏡種を調べると、内行花文鏡と方格規矩神獣鏡が多く、三角縁神獣鏡は一面もありませんでした。
三角縁が東征後の鏡であることは明らかです。
東征を卑弥呼の前とする説がありますが、その時代にはこのような痕跡は全く見つかりません。
九州の三角縁神獣鏡は古墳から出土し、奈良から帰還した兵が持ち帰ったものと思われます。 これまた畿内説が痛々しいなw
魏志倭人伝と全く関係ない仮説で邪馬台国を名乗ろうと試みる畿内説w
魏志倭人伝に関連する出土品ゼロの畿内説www
大都市宣言してる纏向遺跡も住居跡ゼロwwww
もう畿内説やめて脳内説って呼ぼうぜwww >>664
動機はあるだろw
単に間違ってるだけ。 >>696
勝利宣言ねえ
>学会では邪馬台国は畿内説が有力とされるが
毎日新聞はこう言ってるけど
これもお前さんの言う勝利宣言に入るの? >>687
九州にも畿内にも倭人はいるよ
倭国=邪馬台国じゃない 以下はもう常識として弁えるように。
1. 邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗してしまっており、学説として成立していない。ただのファンタジー。
2. 東征も東遷も無い。考古学的に否定されている。
卑弥呼はヤマトタケルのおばさんの倭姫命でいいと思う >>702
そういう話になると
水銀が出なくても問題ないということになる
倭人の国のどこかで出てればいいからね >>697
割符なら、移動先で出土した破片に対応するものが本拠地からも
出るはずだが、そういう例はあるのん?
> 古墳時代に入ると瀬戸内海〜畿内に大移動が起きてる
こっちは主に、ヤマト王権と仲良くなった宗像族の勢力拡大だよね。
安芸の宮島の厳島神社とかもlこれ。 >>705
九州説派にとっては学会もメディアも全部敵かw 九州説が週末の休日に入って反転攻勢にw
毎回、このパターンなんだよなw 倭人は養蚕をしていたと魏志倭人伝に記述があり、吉野ヶ里遺跡からその痕跡が大量に出土されている
また古墳時代に入るまで畿内では養蚕が行われていなかった
畿内説は絶対にありえない >>698
サンキュ 最近記憶が雑多になってきたなw
またしっかり筋道立てて読み直さんといかんな 伊勢あたりは相当強大な海洋系集落があっただろうし
大阪も然り
奈良から紀伊の山奥にも縄文系の原住民はいただろう
そこら辺の議論が全部邪馬台国に持ってかれてて
研究が進まないってのが問題だと思うよ ないものがある
あるべきものがない
それが畿内説!
はい桃の種w 奴国ってどこ?末盧国からずっと東南でしょ?
奴国の東の不彌国って?そこから水行なら港町だけど南の方角に行けるってことは九州東海岸?
20日かかる投馬国は奴国の倍以上の大国だが九州のどこ?
そこから水行10日、七万戸の邪馬台国は九州のどこか、九州派に統一見解ある? テレビ番組で邪馬台国関連の特集をやるときも、今は畿内説前提で番組が作られてる
NHKもそうだし、民放のバラエティー番組でもそう
TBSの世界ふしぎ発見でさえ畿内説だった
そんな状況でも、九州説にスポットライトを当てた番組が1つだけあった
BSでやってた「諸説あり!」という歴史番組だ >>709
>>703
攻勢も何も、お前らはこの世に存在してないのwwwww そもそも邪馬台国を大和政権の発祥だという先入観が問題
人種レベルで違うから、そこを認めればいいだけのこと >>713
風の神、伊勢津彦か。
抹殺されてのほほんとした太陽女神の国になっちゃった伊勢。 いつもの煽り屋か
でも2ちゃんで常駐して粘着してるんだよな
全く余裕がないww >>715
写楽別人説にもまだ生き残りがいて
「私の説が正しいのは明らかなのに学者達は闇に葬ろうとしているのだ!」
と頑張ってる絶滅危惧種の爺さんがいるんだよ
お前みたいな九州説派にそっくりだろ >>724
なんかよく知らないけど
伊勢は海洋系で邪馬台国と似たような統治体系でしょう
沖縄に近いというかな
女性シャーマンと男の王、ていう組み合わせでの統治 狗奴国の地位を餌にして
いろんな地域に狗奴国として頑張ってくれとプレゼンしてたけど
まるで他所は乗り気じゃないんだよなw >>729
皮肉なことに、上書きする存在のアマテラスの言葉
「神風の伊勢国は、即ち常世の波の重波(しきなみ)帰する国なり」
が正に、沖縄同様のニライカナイの世界観だよね。
アマテラス自身は(出自はともかく)垂直の神話である高天原の
主宰神のくせに、なにを寝言ぬかしてんだとも思うがw >>675
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、
改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、
故中國疑焉。
(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は
自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だっ
たが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれ
を疑う。
(わかりやすくまとめ)
日本の使者は異なる3つの説明をした。
A 倭国と日本は完全に別の国である。
B 倭国と日本は同じ国である。
C 日本は小国だったが倭国を併合した。
日本の使者はウソをついているようなので、
中国は日本の使者の話を信用しなかった。 邪馬台国・・・・ヤマタイ・・・・やまた・・・・・山田・・・・・伊勢山田 >>731
ともかく渡来系の大和政権が先住民の民俗風習を取り入れて
それを日本と日本人のルーツだと仕立て上げたってことだね
そしていまだにそのフィクションは真実として語られている >>707
地図を見ればわかるだろ
http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu40.jpg
http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu41.jpg
九州に残った家族の分は九州で出土してる
>こっちは主に、ヤマト王権と仲良くなった宗像族の勢力拡大だよね。
いやだから、そのヤマト王権を立てたのが東進した海人を中心とする北部九州なの
仲良くなったんじゃなくてそのもの
この伝安曇居住地(水色の丸印)を見れば、安曇が奈良を北から包囲したのがはっきり分かる
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1559278/18/54429718/img_3
そうして北に注意を向けさせてから、伝承どおり熊野川を遡上して背後を突き陥落させたのだろう
だから古墳期の破鏡は奈良盆地まで分布が広がっている >>550
>魏史倭人伝には女王国からさらに南東に船で一年で裸国、黒歯国につく、と書かかれているけど、
その辺は倭国に行った人からの情報じゃなくて、淮南子からの転載
黒齒國は山海經にも出てくる伝説上の国だし、裸國も淮南子に出てくる世界の端の国
淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「黒齒民」、玄股民、毛民、勞民;
そして、前にも挙げた淮南子:時則訓を再掲すると
東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,東至日出之次,木之地,青土樹木之野,太?、句芒之所司者,萬二千里。
魏志倭人伝の世界観では、
淮南子:墬形訓の大人國、時則訓の大人之國を倭國に当てているように見える
だからこそ「倭」國なのかもしれない
墬形訓の自「東南」至東北方だから、倭國は倭人在帶方「東南」大海之中だし、
時則訓の世界の端だから「萬二千里」
そして東の端を南へ下っていくと「黒齒民」がいて、
墬形訓の自西南至東南方の段落にある「裸國民」はさらに遠くの扱いになる
こうして見ると、魏使の報告書になかった部分は、
淮南子を参照して書いているのは明らかだな >>733
↑
これな。
現物を挙げてウソをつく。
これが近畿パーな。
真面目な議論は頭からする気が無い。 キチガイのフリして許してもらおうとか
もうなんかそんな感じになりつつある近畿パーであった。 俺の提唱する邪馬台国の新説は
「中華の貴族階級が作った高給風俗パラダイス=邪馬台国」 >>734
その程度のダジャレが根拠なんて邪馬台国関連では珍しくも無いぞ
「八女大国!(やめたいこく)」ドヤッ
とか「邪馬台」は当時の発音で「サバイ」と呼んだはずだから鯖江市だとかな >>725
島原がどこにあるか分かってないやつwwww 畿内、畿内というが古代から山背国、闘鶏国、葛城国、凡河内国の四畿・四畿内の事を言う
奴国やら狗奴国やらそんな下賎な名前の国は畿内には無い >>736
だよね。
まあ、たぶん俺は渡来側の子孫な気がするので、
あんまり悪く言う気もないけどw
>>737
> 九州に残った家族の分は九州で出土してる
それらには、出先に持って行った破片と噛み合うものがあるのか?
という質問なのよ。割符ってのはそういうもんだよね。 コロンブスがカリブ海の土人の島をインドと勘違いしたように
中国人が九州の小国連合を倭を代表する国家と勘違いした
だから当時の大国の名前が出てこない 高麗は出自、扶余の別種なり
百済国の本も亦た、扶余の別種
両方とも旧唐書からの引用 日本の表記もこれと同じ
日本(大和朝廷と思われる)は「倭人」の国だが「倭国」とは別
隋書には日本という固有名詞は出てこないので
唐の時代で大和朝廷の片鱗が出て来たんだと思う >>697
日本語下手すぎて何を言ってるのかよくわからない >>754
そりゃだって誤魔化すのが目的だからww 東遷も東征も無い。
これを考古学的に証明したのが、実は纏向遺跡。
纏向には西日本全域から土器が集まっているのに
九州からのものは僅かしか無い。
征服者としての九州勢の面影は全く見ることが無い。
東征・東遷の息の根を止めたのが纏向だった。 >>706
>水銀が出なくても問題ないということになる
>倭人の国のどこかで出てればいいからね
「日本にはニホンカモシカがいる」これは正しい
しかし、「大阪にニホンカモシカはいないから大阪は日本ではない」というのは正しくない
九州説の論法はこれと同じ
一方で「日本にはニホンカモシカがいる」が正しい以上は
「ニホンカモシカがいない国は日本ではない」が正しい
九州説が、四国や本州を渡海千里の国で倭国ではないとするなら、
つまり九州だけの倭国を主張するなら、弥生時代には九州には丹の存在が知られていないから
「九州だけの倭国」は、魏志倭人伝に記された倭ではない
其山有丹だけで九州説は破綻する 以下はもう常識として弁えるように。
1. 邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗してしまっており、学説として成立していない。ただのファンタジー。
2. 東征も東遷も無い。考古学的に否定されている。
3. 日本の古代史に深刻な謎などない。
九州倭国と近畿日本の二つの国があり、後者が強大化して前者を併呑し、名前も騙った。
旧唐書にある通り。
事実を認めたくない近畿パーみたいなウソつき野郎が
「ここは誰?私はどこ?」とほざいて謎があるかのようにミスリードしているだけ。
>>759
2はおかしくないか?
応神朝とか、どう見ても東遷じゃないの? >>716
中国語ネイティブの中国人が魏志倭人伝を読むと、水行十日、陸行一月は水行ならば10日、陸行ならば一月、の意味だと
また距離の起点は全て末盧国になるそうだ
ソースは「誤読だらけの邪馬台国―中国人が記紀と倭人伝を読めば… 張 明澄」 >>757
唐古・鍵遺跡からは九州の土器が出ていて交流の痕跡があるのよね
あと、纏向からは北部九州式の製鉄跡が出てる >>760
邪馬台国群馬説は聞いた事ないな
千葉説なら一応本当にあるからそっちで我慢してくれ >>764
東遷も東征も無い。
これを考古学的に証明したのが、実は纏向遺跡。
纏向には西日本全域から土器が集まっているのに
九州からのものは僅かしか無い。
征服者としての九州勢の面影は全く見ることが無い。
東征・東遷の息の根を止めたのが纏向だった。 >>761
東遷も東征も無い。
これを考古学的に証明したのが、実は纏向遺跡。
纏向には西日本全域から土器が集まっているのに
九州からのものは僅かしか無い。
征服者としての九州勢の面影は全く見ることが無い。
東征・東遷の息の根を止めたのが纏向だった。 先にクマソからクマノへの東遷が既にあったんじゃないの? 隋書倭国伝
俀国在百済新羅東南水陸三千里 (中略)
都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
倭国は百済、新羅の東南、水陸三千里の大海の中に在る。中略
邪靡堆を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺である。
これで終わってた。論争も何も無い。 >>748
渡来系も来てる時期がいろいろだからね
大まかに大和政権前、奈良時代、平安末期〜室町時代等
それもだいたい江戸期にまんべんなく混ざってるし >>767
コピペじゃなくて反論しろよw
九州東部や瀬戸内はかなり早くから畿内との関係が深いようだぜ >>761
東遷は、やまと(邪馬台)を亡ぼし、その名を勝手に継いで
権威簒奪したことを正統化する為の、虚構の神話。 >>773
お前が反論しろ猿w
関係くらいあるわボケが >>761
応神と諸県君の関係は非常に興味深い
西都原なんか大和とそっくりな古い古墳が大量にあるからな >>776
だから応神朝の東遷でいいじゃん
神武は先行してた武内宿禰だろ?
近畿パーとか言ってる奴も怪しいな
ここだけぶっ込んでるな 邪馬台国は中華の上流階級が出資して作った高級風俗クラブって説はダメ? >>768
それ逆に九州と近畿は別の王朝って根拠じゃね 東遷は無理がありすぎるわw
邪馬台国は宗教で統治、女王国
大和朝廷は武力で統治、男王国
全く別物ww ・・・九州の村落はこと細かく書いてるのに、周防・安芸・吉備・播磨・河内ぜーんぶ記述なしとかある?
壱岐対馬に南西諸島、とくに種子島まで書いてるのに、宮島淡路無視とかどうなの? 中央集権になるのははるか後の時代だからなぁ
国造とか、要はヤマト王権に参加してる地方の王だからな やっぱさ源氏将軍から足利将軍の二段階理論と同じだよ
源氏将軍は征夷大将軍という官位だけで畿内入りはしてない
足利将軍は源氏後継者として官位を貰い畿内入りして名実ともに最高権力者に
古代にも同じことがあったんだよ >>762
ってことは邪馬台国は海沿いなんだな
かつ末盧国から陸路でも行けないことはないと >>784
ヤマト王権の初期は、実は斎王の方が大王より力を持っていたのかもしれない 「神武」ていうのもいわゆる東征の史実を示すものだけど
これもフィクションと史実がごちゃ混ぜだからね
けど西都原と仁徳天皇陵との関連性とか考えるヒントはあると思う >>784
それはそれでいいと思うんだけど、神武の東征をあえて正史とした意味 こういう証拠も何も要らない話とか素人は好きだね==
妄想が炸裂するんだろうな。
八女が
やまたいってよくある語呂合わせ。
好きなんだなこいうの >>784
統治が出来てないから狗奴国に圧されてたんだろw >>792
わざわざ阿蘇の石を運んで使うくらいだから、血縁的に九州と関係があったのかもね >>786
そこなんだよw
畿内には大昔から山代(山背)国があったがこれが入ってないのはありえない
つまり畿内には来てないという事になる >>793
中国が九州倭国を正統としていたからだよ。 畿内が天下を取ったことは間違いないとして、神武の東征を正史とし、
あまつさえ神武の御陵まであったことも確か 奈良盆地に勢力があったのは事実だから神武東征はあっただろけど
神武が倭国の中心だったかはわからんしな
繁栄してるとこからわざわざ移動なんかせんやろし 魏志倭人伝がなけりゃ、我々はこの社会・民族について永遠に知ることはなかったろうな。
文字文化は大切だな。 >>786
こと細かく書いてる九州の村落って?
魏の使者にとって邪馬台国への行程上、重要なとこしか書いて無いと思うけど。
末盧国から邪馬台国の間の重要じゃ無い国は、行程説明省いて名前だけ羅列してる >>786
畿内説曰く、「魏使が途中で飽きて記録するのをやめた」
だってさwwwww
こんなアホアホ理論が畿内説ですわ
さすが大阪モンが唱えるだけあってアホアホですわ 大和朝廷は邪馬台国の背乗りってことでしょ
言い方悪いけど >>807
期間が開きすぎてるよ。
間に5王時代もあるし。 >>805
で、周防安芸吉備宮島吉備播磨淡路河内はどうしたの?
来島も大事よね? 神武東征を史実として、確か紀元前600年だっけ。
邪馬台国とはまるっきり時代が違うけどなんか関係あるん? >>808
期間があいても神武の東征を入れる必然性があったんでしょ? 鏡の配布元が北部九州から、漢末や魏の頃は畿内に移動するんだよな
それとともに高地性集落が西からだんだん消滅していくのが面白い 普通に考えたらヤマトタケルみたいな描写で九州制圧しましたでいいよね>神武 >>1
村おこしなのは畿内説のほうだと思う
桃の種だけでどこまでお金を引っ張って来れるか朝鮮みたいな?w >>810
九州から東遷後の大和国が邪馬台国ということだから関係無くはない 神武のポイントは鉄器の使用と大型前方後円墳
これ邪馬台国オリジナルつうよりやっぱ外来勢力が
「どっか」から来たと自分は思うのね ようするに畿内はいったん征服されてるんだよ
どっかの勢力にさ
その勢力が正当性を主張するには九州から来たよってことが必要だったんでしょ?
じっさいに九州から来たかどうかは別としても
じゃあなんで九州に正当性があるのよ? >>793
そりゃ正史を書かせた天武天皇が九州からクーデターを起こした人だからな。
天武天皇の子孫は朝廷内で馬鹿にされてた記録が残ってるから
天武天皇は正当な後継者ではなかったんだろうね
それで九州からのクーデターを正当化したかった タケルってクマソの将軍職みたいなもんだからな
征夷大将軍も語弊を恐れずに言うと
蝦夷将軍みたいなもんだからな
それを拝借して敵の強さを我が物にするって風習は古今東西あるんだよ
だからヤマトも拝借した可能性はあるな >>817続き
魏志倭人伝で九州の事しか書いてないからでしょ >>817
征服された痕跡はないのよね
技術が九州より劣っていたことは確かだけど 何で記紀は古墳について、あまり語らないんだろうか? >>817
征服された痕跡はないのよね
魏志倭人伝では伊都国に邪馬台国の使者(一大率)を置いて
邪馬台国が九州北部を支配してるけど 以下はもう常識として弁えるように。
1. 邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗してしまっており、学説として成立していない。ただのファンタジー。
2. 東征も東遷も無い。考古学的に否定されている。
3. 日本の古代史に深刻な謎などない。
九州倭国と近畿日本の二つの国があり、後者が強大化して前者を併呑し、名前も騙った。
旧唐書にある通り。
事実を認めたくない近畿パーみたいなウソつき野郎が
「ここは誰?私はどこ?」とほざいて謎があるかのようにミスリードしているだけ。
>>821
それ
ふつうに考えたら神武の東征があったかどうかって言うたら、無い方が可能性は高いよね
吉備とか纏向の中心勢力のひとつだし
でもどこかの日向から宇佐経由吉備経由ってかかなきゃいけない必然性があったんでしょ?
それも正史として >>822
天皇についての記述もあいまいなくらいだから、古墳についての記録が残ってなかったんだろうね。 >>821
しかも、まるきりの中国や朝鮮のコピーでもないようだ。
そもそも大陸の仏典以外の文化にはまったく関心示してないしな。 >>821
そこは日本土着の母系社会に上手く順応してて
有力者の娘を娶って、、てことかと
平安貴族もこのスタイルを引き継いでる
違ったのは天皇家と平安末期に流入した武家文化 大阪城ってさ
秀吉が大阪を征服した痕跡なんだけどw
先に石山本願寺を滅ぼした信長は語られても秀吉が最終的に征服したとは語られない
二段階理論になるとこうなるんだなw >>824
ですよね
畿内九州だけじゃなく越も尾張も関東も独立勢力だよね
たまたま九州が中国と付き合ってて、最初の連合王国が纏向、後の大和朝廷
これが一番すっきりするんだけど 東遷も東征も無い。
これを考古学的に証明したのが、実は纏向遺跡。
纏向は古代近畿における最重要遺跡。
その纏向には、西日本全域から土器が集まっているのに
九州からのものは僅かしか無い。
征服者としての
征服者としての
征服者としての
征服者としての
征服者としての
征服者としての
九州勢の面影を、この古代近畿の最重要遺跡である纏向で全く見ることが出来ない。
東征・東遷の息の根を止めたのが実は纏向だった。 >>13
弥生人の抜歯は中国起源
渡来系弥生人の中国江南起源に関する人類学的研究
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-08041152/
>劉王城遺跡出土の春秋時代末期の人骨2体から抽出されたミトコンドリアDNAの塩基配列が、
>北部九州弥生人のそれと一致することも判明した。
>また、この劉王城人骨では、2体に上顎両側の側切歯を対象とした風習的抜歯痕が確認され、
>この風習でも日本の弥生人集団との共通性が認められた。
下戸遺伝子 有 : 弥生人 中国南部(稲作民)
下戸遺伝子 無 : 縄文人 中国北部(畑作民、遊牧民) 朝鮮人
この地図は酒を飲むと顔が赤くなる下戸の人口分布図(アセトアルデヒドの分解能力が低い下戸遺伝子保持者の分布図)
http://i.imgur.com/jAMWVLN.jpg
呉の故地、福建省広東省山東省台湾と近畿地方に集中している (華北満州朝鮮半島は低頻度)
http://blazingcatfur.blogspot.jp/2013/12/a-gene-mutation-for-excessive-alcohol.html
下戸遺伝子(ALDH2 * 504Lyの対立遺伝子)の分布図 アジア
http://4.bp.blogspot.com/-wxCW4nPx1qk/Up-j4li9mLI/AAAAAAAAa6M/JLmGan26ogk/s1600/nihms-114463-f0001.jpg 騎馬民族征服王朝説懐かしいなw
日本には海があるから国家レベルの軍隊持ってきても征服できるかどうか疑問すぎる
そもそもそんなに多くの武器や人間を運べる船がない
あるとしたら唐辺りの時代の軍隊に征服させられるかだがそんな記述はない >>824
そもそもに戻るけど投馬国、邪馬台国はどこなんだろ
九州って言っても広すぎて >>830
中国を舐め過ぎ。
倭国に金印を与えてるんだから
倭国の国力は調査してるよ。 >>834
まあそれが「神武」だとする説があるんだよね
時代的に唐ではなく呉だけど >>828
夜這いとか、男尊女卑みたいなイメージだけど、実際には女に男を指名する権利があった
だから夜這いされないと困ったわけで、妊娠したらセックスした男全員からすきなの選べた
天皇家は・・・あえて女性上位を覆す、革命、的な意義があったかも
シャーマンの介入を排除するみたいな
武家のほうは別文化だよね
とくに関東 いやいや
応神朝が別系統で畿内入りしてるようにしか見えんなぁ >>833
根拠が無くてお笑いなのは、
お・ま・え
wwwwwwwwww
>>835
投馬国はtuma国で西都原の妻のこと。 >>834
そもそも山だらけの日本で騎馬民族は無理 >>838
大王(おおきみ)が天皇という呼称になったときに
本来の祭司から神に定義が変わったんだよね >>843
まさに天皇の代替わりに直面してるんだけど、女性が影も形もないのが凄い
かろうじて伊勢に残るくらい
おんなは怖いよね >>841
投馬国が宮崎なら邪馬台国も宮崎か鹿児島あたりってことか
なるほど >>837
だったらもっと早くに漢字が伝わってそうだが 宮崎わるくないんだけど、現代においてもそうだけど
宮崎行くのけっこうタイヘン
まだ大分の方がいいかも
心情的には福岡だけど >>847
全然違う。
邪馬台国は筑紫平野。
特に卑弥呼の時代は御井で、卑弥呼の墓は祇園山古墳。
邪馬台はヤマトで山門のこと。 >>848
確かにそれはそうだね
ところがこの呉の軍団ていうのが敗軍だったらしく
敗走した軍勢の学力レベルは高くなかったかと
だからこの人らが皇統に繋がってるとは考えてはないけど
「神武の東征」という史実に関連してるという話 >>836
福島みずほが中国訪問したら大歓迎して、
共産党は、親魏倭王の印を与えた
後にその記録を見て、「当時の日本は福島みずほが支配していた」 安曇って志賀島ネイティブかと思ったら、和白糟屋発祥っぽいね
そりゃそうか >>851
神武の東征は正史なんだよ
事実化どうか別
問題はありもしなかった神武の東征を正史とした理由なのよ 神武の東征の捏造に渡来人が絡んでるとしたら、百済か新羅だと思うな >>857
だから当時の畿内も邪馬台国は九州だって認識してるってことでしょ >>853
お前は、魏志の行間が読めないのか?
倭国大乱で権力を失って、パシリとして朝貢させられた
みじめなヤマト(邪馬台)の実像が、読み取れないのか? >>850
不彌国から投馬国を経て邪馬台国なのに投馬国は宮崎で邪馬台国は福岡なのか
難しいな >>858
イミフ。
(なんで直ぐ発狂始めるかなwww) >>831
それって中国とも交易が無くて
纏向は邪馬台国と無関係って事じゃん 天皇陵掘り起こして過去の天皇のDNA調べれば一発で分かるんだが
まあ絶対無理だろなw 纏向は出てくるものことごとく魏志倭人伝から離れていく
だから神武の東征を捏造するはめになった >>843
カソリックと同じだけど、権威構造の詔=言代で中身は変わらん。
国内的な必然性は、律令の本格化と仏教との整合性かな?
神の祭司じゃ仏門の方は収まらんでしょ。 魏志倭人伝は放射読みが正しい。
至がどうの到がどうのは全くの俗説で根拠の無いデタラメ。
そもそもそんな使い分けをした例が全く無い。
放射読みが正しい理由はそんなことでは全く無くて、
伊都国の後、魏からの使いは全部ここに留まると明確に書いてあること。
留まったのだから、それ以降を伊都国を基点として放射読みするのは、
あ っ た り ま え 。
ある種の宗教…つうか神道の根幹でもあるし
今はまだファンタジーとして残してあってもいいと思う
人類レベルで「処女懐妊なんて単に誤訳」「キリスト復活
なんて単なるイリュージョン」て時代になれば話は別 オレは、邪馬台国論争に熱くなる日本人が好きだよw
専門家、セミプロ、シロート、全部ひっくるめてね。
歴史のロマンに酔えるのは、良いことだ・・・ (但し、魏からの使いは二度と来ている。伊都国に留まったのは一度目で、二度目は御井の邪馬台国まで行っている。) >>867
まあそこらへんのプロデュースつうかフィクサーつうか
聖徳太子て人に集約されると思う
当時流入したであろうキリスト教の影響含めてね >>859
パシリも何も、格が違いすぎるだろ。
こっちが骨を焼いて祈祷してた土人だったときに
向こうではローマ帝国並みの国歌を築いてたんだぞ。
屁の突っ張りをしてどうする。
それで今の日本がどうなるってわけでもないしな。 以下はもう常識として弁えるように。
1. 邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗してしまっており、学説として成立していない。ただのファンタジー。
2. 東征も東遷も無い。考古学的に否定されている。
3. 日本の古代史に深刻な謎などない。
九州倭国と近畿日本の二つの国があり、後者が強大化して前者を併呑し、名前も騙った。
旧唐書にある通り。
事実を認めたくない近畿パーみたいなウソつき野郎が
「ここは誰?私はどこ?」とほざいて謎があるかのようにミスリードしているだけ。
どこかでハゲが幾内で決定的だとかホラ吹いてたの思い出した。
そいつは平気で普段から見え透いた嘘を吐く奴だった。
よくわかるわ。 >>868
原文を正しく読むのが根拠がない?
期待値混じりに、正しくない解釈をする方がいかんだろ。
至や到ではなく、起点がどこなのか「自」を使うのが正しい。
魏志倭人伝中でも「自女王國以北」という使われ方をしてる。
逆に言えば、伊都国に続く数カ国は自伊都国〜と書いてないので
放射読みではなく、連続読みで良いという証拠。
「郡使往來常所駐」
にしても、「駐」の意味を誤読している。
帯方郡の役人が行き来して、いつも「しばらくとどまる」
伊都国に滞在する理由も魏志倭人伝中にある。
伊都国に大率を常駐させ、諸国の検察や使者が来た場合の
文書や贈り物の確認と女王へ送る役割をさせてる。
ここで大率の確認や女王への連絡をするわけだから
やってきた使者はその返事が来るまで待つことになる。
返事を確認してそのまま帰るか、直接招かれるかになる。
流石に皇帝の使いが金印まで持ってきてるのに
直接邪馬台国まで通さないわけにはいかんわな。 >>878
魏志倭人伝は放射読みが正しい。
至がどうの到がどうのは全くの俗説で根拠の無いデタラメ。
そもそもそんな使い分けをした例が全く無い。
放射読みが正しい理由はそんなことでは全く無くて、
伊都国の後、魏からの使いは全部ここに留まると明確に書いてあること。
留まったのだから、それ以降を伊都国を基点として放射読みするのは、
あ っ た り ま え 。
>>880
少なくとも同じ魏志倭人伝中に書いてることや書き方は否定しちゃダメだろ。
そんな事をしだすと、邪馬台国すら否定せにゃならんくなるよ? >>884
放射読みで納得できる方がイミフだよ。
郡使が二回来てるのはそうだが、それで放射読みの根拠になる訳でもなんでもないや? >>885
魏志倭人伝は放射読みが正しい。
至がどうの到がどうのは全くの俗説で根拠の無いデタラメ。
そもそもそんな使い分けをした例が全く無い。
放射読みが正しい理由はそんなことでは全く無くて、
伊都国の後、魏からの使いは全部ここに留まると明確に書いてあること。
留まったのだから、それ以降を伊都国を基点として放射読みするのは、
あ っ た り ま え 。
以下はもう常識として弁えるように。
1. 邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗してしまっており、学説として成立していない。ただのファンタジー。
2. 東征も東遷も無い。考古学的に否定されている。
3. 日本の古代史に深刻な謎などない。
九州倭国と近畿日本の二つの国があり、後者が強大化して前者を併呑し、名前も騙った。
旧唐書にある通り。
事実を認めたくない近畿パーみたいなウソつき野郎が
「ここは誰?私はどこ?」とほざいて謎があるかのようにミスリードしているだけ。
>>887
あ、おれ3だけ同意だわ。
邪馬台国は九州で、畿内勢力は別にあったと思ってる。
それで神武東征は実際にあったと思う。
神代の天皇について、一番の問題はその年齢なんだろうけど
魏志倭人伝からも、微かにではあるけどヒントがある。
魏志倭人伝では、2世紀後半の日本には暦がまだ無かったと書かれてる。
また、邪馬台国の住人は100歳とか80、90歳とかえらい長生き
に書かれてる。
暦も無いのに年齢が分かるとはこれ如何に?となるが
何歳ではなく、何年生きているか?を聞かれてたとすると
春に稲を植えて一年
秋に稲を刈って一年
実年齢の二倍で答えた可能性がある。
だから邪馬台国住人はみんなご長寿。
生きた年を半年で一年と数える風習が邪馬台国にもあったのかもしれない。
なので実際には邪馬台国は、ご長寿超大国でもなんでもなく
平均寿命が40〜50歳くらいだったんだろうと思う。
これが当時の日本の風習であったなら、神代の天皇のご長寿も解釈の余地があると思う。
日向国高千穂にいた集団は、恐らく倭国大乱より前に九州を抜け出してると思う。 金印って九州で発掘されたんだろ?
説を唱えるなら九州だと思うが
でも事実はそんな国はない、ヤマトコク(大和国)の誤訳だよ
中国が発音から当て字にしただけだろう >>891
それは漢委奴国王印であって、親魏倭王印じゃないよ。 >>892
だいじな物的証拠は九州からでてるのは事実に違いはないのでは
近畿は参考にできるのはファンタジー小説だけで物的証拠が無いんだから
文字は都合よく書き換えられるから説得力が無い >>817
畿内の銅鐸文化が消えたのは東征と関係あり? 廣志逸文だと「邪馬嘉國」なんだよな
山鹿市だろ
隣は菊池市だし狗古智卑狗とやりあってたんだろ 偉大なる九州
・鏡は5〜6期の古い鏡を打ち割った破鏡か欠損鏡、小型仿製鏡が殆ど。古墳出土鏡を待つまで完形鏡がほぼ出ない
(西日本各地では完形鏡が出土するので既に九州に中心地など存在しない)
・平原の鏡も古い鏡を鋳つぶして作った仿製鏡だらけ
・絹は中期の13遺跡から激減の1遺跡。しかも麻布よりも粗悪な糸くず片が一かけら出るのみ
・祭祀遺跡は柱を2本立てただけの小さなものくらいしかない
・当時採掘されていた丹山は存在しない
・宮殿など影も形もない
・全域が畿内の土器に塗り替えられ在地土器が変容(一方的に畿内の影響が入り込み九州から広まる様子はない)
・大型墳墓の歴史が無い状況で突然この時期に大型墳墓が持ち込まれる ある時期、九州と畿内に二つの「ヤマト」が同時に存在したのは間違いない。
はじめは九州⇒畿内へと移行。
白村江の戦い以降は完全に畿内へ移管されているのだが、、、
何で並列に存在する事になったのか?経緯がよく分からない。
お陰で卑弥呼(邪馬台国)論争にも終止符が打てないw 中国の文献では聞いたまんまの発音に漢字を当てはめる
ちゃんとワコクとなっている
倭国と書いてヤマトと読むことはない ワ、ダイワがいつの時点でヤマトと
読み替えられたかが問題だな。
平安初期くらいに、和、大和を
ヤマトと読むんだと記紀に
注釈入れたそうだけど。 倭の邪馬台国
やまとのやまとこく
まぁこりゃおかしいよね 1000年後、ホッカイドウのキタヒロシマに古代やきう遺跡が見つかれば
伝説の球団ヒロシマカアプの本拠地はホッカイドウにあった、となる
畿内派が言ってるのはこれと似たようなもんや 記紀成立時には和、大和をヤマトとよむ意図は
なかったと思うよ。 倭人の連合国家を大倭国と書いて
ダイワと読んだんだろう
大倭、大和は最初はダイワだった
途中からヤマトと読むようになった >>899
>>640の引用資料なんかにある、海人の動向を見ればその辺は理解できるよ
玄界灘を本拠地とする海人が東へどんどん勢力を伸ばしていったのが弥生後期〜古墳前期頃の出来事
そしてその勢力拡張は畿内に留まっていない
九州海人の権力の証である有鉤銅釧は畿内をはるかに飛び越して関東沿岸にまで分布している(下図の黒丸)
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
実はこの東方の有鉤銅釧出土地をよく見ると、ヤマトタケルの東征伝承の地と多く重なっている
草薙剣で火難を逃れた焼津、海上で波浪に遭って后が入水した横須賀、その后を思って過ごしたという木更津、
白い鹿を討ったという足柄峠など、これらがいずれも有鉤銅釧の出土地になっている
つまり九州海人にとって畿内征服は最終目標ではなく、そのさらに東の地域を征服するための通過点に過ぎなかったわけだ
東海以東をも視野に入れていた彼らにとって、本拠地が九州のままでは遠すぎて指令を出すのに不都合だったため
新たに手に入れた畿内に前線司令部を作ったのがヤマト政権の起こり
しかし東西に広い日本を広範囲に支配するには畿内のほうが地理的に好都合だったため、やがてそちらが中心となっていった
旧都の九州は白村江の敗戦で完全に衰退したのはそちらの指摘どおり 江戸時代とか、もっと前の時代の人も邪馬台国はどこにあったか論争していたのだろうか >>911
過去の事とはいえ偉大な大和朝廷の祖が下等な中国ごときに朝貢するはずがない
邪馬台国とやらは大和朝廷とは無関係
まじでこんな論調だったよ >>908
倭も和も大倭も大和も、、、全て「ヤマト」と読むべきもの。
「倭」は中国(魏)が勝手に当てた漢字で当時の中国人は「ワ」と発音してんいたんだろうけど。 ヒナモリとかオホキミとかはそのまんま漢字が当てられてたやん
ヤマトと読んでたなら夜魔途とか野真斗とか、それっぽい当て字になってるはずだわな >>913
なんで大和をヤマトと読むの?
普通は読めない
完全にあて字 隋書に“倭国王タリシヒコがいる都が邪靡堆”って書いてあるし
倭=邪靡堆ではないのは明らか >>507
数世代で完全に入れ替わる可能性のある言語と遺伝子はあんまり関係ないから
英語を話す黒人奴隷はアングロサクソンの血を引いている
と言ってるのと同じくらいアホな主張 邪馬台にしろ邪靡堆にしろ
やまと
じゃなくて
やまてぃ
やまてょ
みたいな感じだな 普通に海流使って中国から日本を目指すと北九州に着くんだし、
そこに中国と縁のある文明が出来るのは当然な気がする
中国属の国が出来るならそこじゃないかな?
中国から来るのは直通、行くのは朝鮮経由になるけどそれも朝鮮が近いわけだし >>909-910
こういう歴史のダイナミズムを感じられる説はワクワクするな >>915
分かんないヤツだな。
国名を日本国から大日本帝国を改めても日本は「日本」なんだよ。
イギリスが「グレートブリテン」「大英帝国」と名乗ろうが英国は英国なのと同じ。
古代日本は未だ文字を持っていなかった。
そして自分たちの国を「ヤマト」と言っていた。
そんな状況で古代中国が勝手に「倭」と命名した。
日本人は「倭」を「ヤマト」と読む事にした、、、
だが漢字が日本に入り「倭」があまり良い意味の漢字では無いので「和」に変え、ついでに大を
加え「大和」にした。
更に「日本」と国号を改めた。
因みに日本と書いても読みは「ヤマト」だw 昔のネ卜ウヨは中国由来すらも拒絶してたよな
日本人は日本固有!米も文字も日本が作った!的な
馬鹿丸出しだったな はてさて異な事を…
旧唐書には「倭国を日本が吸収した」とあるがね
ヤマトをヤマトが吸収した?
ハハハこりゃ愉快だわい ネトウヨ爺の珍説がさっそくまとめられてるなw
懲戒請求以降、ネトウヨを笑いものにするのが流行ってるようだ 九州説三大荒らし
安曇族、銅釧コピペ荒らし
・安本信者であり、東遷厨と呼ばれていたこともある
・同じコピペを繰り返す
・邪馬台国の会からのコピペもある
・複数IDで自演
俺は分類すれば理2タイプ荒らし
・捏造常習犯であり、嘘を平気で書く
・邪馬台国の会や九州王朝説のサイトをメインソースにしてる初心者
・隋書に阿蘇が出てくるから九州だ、精霊流しが書かれてるから九州だ、など非論理的主張が多い
・汚い言葉で罵ったり中傷が異常に多い
近畿パー荒らし
・コピペで100レスする
・根拠も示さず連呼するのみ
・会話をするつもりはないようなので、NGすればいい >>924
だから、、、それは>>899に繋がる話なんだよ。
九州のヤマトが畿内のヤマトに吸収合併だw >>912
それは国学者の本居宣長の主張な
新井白石なんかはもっと冷静に考察している
まあ、どちらにせよ学者さんが自著の中で見解述べる程度で
「論争」となるほどのことはなかった
本格的に論争となるほど、邪馬台国問題への関心が高まるのは明治も後半くらい
内藤湖南と白鳥庫吉あたりからじゃないかな 調べれば調べるほど畿内には物証がないんだよね
だから桃の種なんぞに頼らざるをえなくなる 本居宣長が邪馬台国は九州だと書いて、
新井白石が九州の女酋長が倭国になりすましたと書いてある。
どちらにせよ、倭人伝が九州のことを
書いてあるという意味では同じ。 むむむ
それでは邪馬台国が畿内だと言い始めたのは誰なんだろう 九州邪馬台国は3世紀に畿内の大和連合勢力に蹂躙されたと見るのが妥当じゃなイカ 磐井さん一族が本物の邪馬台国の中の人だったのかもしれんね >>924
>旧唐書には「倭国を日本が吸収した」とあるがね
それは「或いは〜」で並べられてる説のひとつにすぎないんだがね
他にも「或いは」で「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた。」って話が先に紹介されてる
要は旧唐書編纂した奴は、日本と倭、ふたつの国名の関係についてよく理解できず混乱している
混乱したまま色々書いているから、現代の古代史マニアにはもってこいの妄想の種になって
珍説、奇説の題材としてまことに重宝されているというわけ >>921
中国が勝手にというか、多分国名を聞かれた時に「ワ」と答えたのだろう。
で、もともと「ヤマト」という国名(地名)もあって、後世で統合した。 >>934
ないね 朝廷の敵だからねw
吉野ヶ里周辺(三根、メタ、神埼、夜須、筑紫)が綿々と最大の関係を保っているのをみると
吉野ヶ里を含む、筑後川流域そして伊都、博多が邪馬台国の中心、核心で
それがヤマト朝廷になったのが真実の歴史だろう >>938
例えば邪馬台国が二つに分かれて争っていて、一方が離れて近畿地方で大和朝廷となり、
もう片方は残って磐井になったと考えるのはどうだろう。 南と東が似てる漢字だから
機内だろうと言う基地外がのさばってから
邪馬台国はそこいら中に誕生した。
学問に基地外が口出しすると
村おこし、我田引水で政治になって、
学問でなくなり、収拾つかなくなる典型だなw >>931
新井白石は「九州の女酋長が倭国になりすました」なんて書いてないはずだが、ソースは?
先に指摘したように、本居宣長なら、国学者の立場からそういう主張をしている
白石は最初は畿内説を主張している
なぜ後の著作で九州説に転向したかはよくわかってない 白村江大敗後に天智天皇が
太宰府から近江大津京に疎開する
天武天皇がクーデターを起こして乗っ取る。
大和朝廷発足。 >>939
こうなったからには
その説も十分に説得力があるよ。 >>941
あ、本居宣長と新井白石が逆だったかな。 天智の倭国を天武の日本が吸収したのかな
そうなれば中国側の記録と一致する… >>945
天智と天武は兄弟じゃなくて、あそこで朝廷が変わってるって説もあるしな。 九州倭国は白村江大敗で弱体化してたからね。
逆に言えば、そういう大敗でもないと
乗っ取るのは不可能だ。 >>937
我が国 われらの国 わしの国 わたくしの国 わらわの国 わーわーわー
よし、おまえら全員「ワ人」だな >>591
70年代のギャグ漫画にはペンチで歯を引っこ抜くシーンがよくあったんやで 他にも似たような例があれば面白いんだけどな
一人称がワ→ワの国
一人称がア→アの国
一人称がナ→ナの国
みたいに >>942,945
>>909の言うように畿内に作られた東部方面司令部のトップが天武で、白村江の敗戦で九州本国から天智が撤退してきたのを
権力奪取の好機と見てクーデターを起こした?
そういえば天武の即位前の名は大海人皇子だな >>951
どうやら海人が日本の古代史の謎を解くキーワードになりそうだな >>950
ちと違うけど、古代日本語の人称はワ、ソ、カだよね。
一人称は「ワ」(ワレ)
二人称は「ソ」(ソチ・ソナタ)
三人称は「カ」(カレ・カナタ) >>921
> 因みに日本と書いても読みは「ヤマト」だw
この部分だけはダウト。「ひのもと」ちゃうの? >>922
そんな事言ってる奴は極一部だろ
ウリナラファンタジーなんかと一緒にすんなよ 邪馬台国はただの1つの国にすぎない。
ハンチング禿 >>958
「ひのもと」とか「じっぽん」とか「にっぽん」とか
どこかで読み方が増えたんだろう
ただ、大日本とかいてオオヤマトと読むのは結構昔からの話だそうだ >>960
結構おったよ
渡来人とは、日本から大陸半島に行って文字と米を広めてからまた日本に戻ってきた人、とかいってたやつ >>958
日本武尊(ヤマトタケル)って読み方があるからなあ >>963
ううむ、検索してみたがよくわからんな。
wikipeiaは「大日本という表記は「オオヤマト」としては古来から用いられており、
明治時代に国名として初めて使用されたという訳ではない。」と書いているが、
肝心の出典がないし。
>>965
なるほど。確かに日本書紀では「日本武尊」表記だ。 天皇は天武が始めて名乗った
その前は作り話
インチキ教えたのが長州チョン
朝鮮人と同じ >>919
朝鮮半島の西側は海流が逆流してるはずやから、
それを使って九州北部から中国まで直接行けるはずやと思うけどな。
遠回りやし、海流も弱いやろから、倍以上の日数はかかるやろけど。 『日本書紀』では『魏志倭人伝』を
奈良の神功皇后記で引用してるから
『日本書紀』の作者は奈良が邪馬台国なのは当たり前だと思ってた。 日本を名乗ったのは天武
天皇を名乗ったのは天武
記紀をまとめたのは天武
混乱はすべてこいつ一人のせいでは… 大倭と書いてヤマト
大和と書いてヤマト
日本と書いてヤマト
大日本と書いてオオヤマト
?
じゃあ倭と書いてヤマトだし和と書いてヤマトと読まないと
大日本と書いてオオヤマトと読むことの整合性が取れない >>963
アナタの仰る通りです。
日本建命、倭建尊、、、何れも「ヤマトタケルノミコト」と読むジョーシキ >>973
倭建命でヤマトタケルと読むのは古事記の時代の話で
もっと前の時代でも倭をヤマトと呼んでたのかは分からないんじゃないかな? >>970
なんか神功皇后が奈良にいた印象がないw
旦那の仲哀が九州から呼び寄せた時は敦賀にいたし、
畿内に凱旋した後は息子の応神と一緒に河内に住んでたんじゃ
なかろうか。
>>973
たぶん、倭建尊(ヤマトタケル)が元々の表記で、
国号を「日本」に変えたから漢字表記のみを替えたという話かと。 天武天皇の子孫(真人)は朝廷内で馬鹿にされて
皇族はみんな朝臣(モモソ姫の子孫)と呼ばれたがったという記録が残ってるから
モモソ姫(卑弥呼)の家系が本物で
天武天皇はクーデターってみんな知ってたんだろうな
天武天皇が初めて名乗った「天皇」は廃れて
1000年間くらい使われてなかったしね 記紀の成立は奈良が大和国(やまとのくに)になったのとほぼ同時期だし
あんましあてにならんかも 自称秦氏は邪馬台国渡来系で
邪馬台国滅んでも生き残ってた
稲荷神社は渡来秦系 キツネ神らしい 卑弥呼は伊都国に居た
北部九州全域が邪馬台国で全て解決。
畿内説は南と東を間違えたとか幼稚過ぎる説だから問題外だな。 スサノオが「すがすがしい」と言ったから須賀。
神功皇后が「わびしい」と言ったから旅石。
文句あんのかコラw >>926
うまいことまとめたな
というか、こいつらがいなければ邪馬台国スレはあっという間にdat落ちするけどw 一晩でスレがのびててびびったw
熊本北部(八女からは近い)にトンカラリンっていう謎の遺跡がある
松本清張はトンカラリンは邪馬台国に関係あると推理してたみたいだけど
近くの古墳で頭蓋骨を縦長変形させたシャーマンの遺体も見つかってる >>986
>>987
畿内説は南と東を間違えたとか幼稚過ぎる説だから問題外 もともとは火の下でヒモトだったんだよ
でも古代中国人には(h)が抜けてイムトみたいに聞こえちゃったんだ
邪馬台、大和、日本、全部イムト=ヒモトの国
で、火の国ってのが日本にはあるわけで
つまりそこがヒモトの国なのよ 九州説だったら熊襲討伐の話とかおかしくならないか? とりあえず最近の研究動向は
・畿内は吉備や尾張との交流が盛んだった形跡。少なくとも瀬戸内と畿内の関係は良好で、これに九州が加わった可能性あり
・最初の頃は北部九州が鏡の配布元だったが、漢末期や魏の頃は畿内が中心に遷移
・高地性集落は西から徐々に衰退している
・土器の分布から北部九州は畿内瀬戸内勢力に飲み込まれたと言われていたが、技術等の衰退がみられず最近は異説が多い
あたりだと思ったが、どうなのかね >>989
トンカラリンに似た信仰が古代朝鮮半島にあったという話もある
渡来系の産道信仰の一つかもね >>992
卑弥呼死後、近畿勢がどこぞから少女を連れて来て
うちのトップは卑弥呼の血筋よと触れて回る
北部九州勢が雪崩を打って近畿連合に参加する
狗奴國が残って抵抗し続ける→近畿勢が征伐 >>295
熊本はもともと隈本
菊池はもともとの呼び名は隈府
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