■「規制緩和=善」という単純な刷り込みは危険

 本来、こうした最悪のシナリオを避け社会を安定的に維持していくために、各国は企業の経済活動を一定程度縛る規制措置を講ずる。自動車の排ガス規制も、食の安全基準も、私たちの命を守るためにつくられた合理的な規制だ。

2008年のリーマン・ショック以降、金融システムの混乱を避けるため政府が金融機関に対し行う規制・監督措置もある。さらに、規制の方向だけでなく、中小企業への支援措置もある。

近年、日本の地方自治体で制定されている中小企業振興基本条例や公契約条例などは、地元企業への公共事業の発注を優先させている。地域経済を活性化し、地域に雇用を生み出すためだ。

 そもそもこれらの規制を含む一国の制度とは、一部の人たちだけに利益が集中しすぎないよう公平・公正を保つためにつくられているものだ。
しかしメガFTA交渉の中では、これらは「不合理な規制だ」「外国企業への差別的待遇だ」と批判され撤廃することが求められている。

 自由化や規制緩和を推進する側は、いつも「既得権益によって不必要な規制が温存されている」と言うが、規制緩和こそが特定の利益集団のための「富のさらなる集中のための制度改変」なのである。

 徹底した規制緩和を行った末に生じる「見えないコスト」は、当然各国政府が負担することになり、その財源は国民の税金である。

問題は、そのコストがいったいいくらになるのか容易に見通せないことであり、またそこにどれだけ財源を割けるのかを確約することなど極めて困難であるということだ。

それほど危険なギャンブルに多くの国の政府は乗り出しているのである。私たちはまず、「規制緩和=善」という単純な刷り込みから脱し、本当に必要な規制とは何かを特定し、守る必要があるだろう