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 リストカットという言葉をご存知だろうか。手首をカッターなどで傷つける自傷行為の一種だ。自殺のために使う人は少なく、やり場のない怒りや悲しみをどうにか発散しようと「極端なストレス解消」として選ぶ人も多い。当然ながらリストカットは危険な行為であり、20年ほど前に「メンヘラのカリスマ」とされた南条あやさんは、リストカットを遠因として亡くなっている。

 そんな過去の遺物と化したはずだった自傷行為が、ふたたび流行の兆しを見せている。

■当たり前の単語として復活したリストカット

 リストカット流行の兆しが見えたのは、2017年の座間連続殺人事件だ。犯人は精神的に病んだ人間に対し、一緒に死ぬようほのめかし、自宅へおびき寄せた。犯人はその際に自分もリストカットの痕を見せたなどと証言。リストカットが精神的に病んだ人にとって「当たり前の自傷行為」という印象が広まった。

 それまでもメンヘラと通称される、精神的に病んだ人に自傷行為は見られた。だが、手段は薬の過剰摂取や無謀な性行為などであり、リストカットという単語はあまり登場しなかった。しかし、ここ数年でリストカットがまた議題に上り始めた。昨年、「リストカットをしていないか学校で抜き打ち検査があった」というのが話題となり、議論を呼んだ。情報の発信源の信頼性に疑問は残るものの、「ピアスを友達と開けるように、連れリストカットをするのがはやっている」という表記には、筆者も信憑性を感じている。というのも、15年前のリストカットもまた、友人間で伝染していたからだ。

■流行になる自傷行為

 もともと若者が流行に乗って自傷行為をするのは、今に始まったことではない。ツッパリ、根性焼き、学生運動、援助交際、未成年の喫煙、ダイエットからの摂食障害など、「そうしているほうがカッコいい、むしろできないとダサい」という感覚さえ生まれれば、どの時代も10代は簡単に「自傷」を選ぶ。

 なぜなら、学校という強制的に生まれる人間関係で「ダサい」という烙印を押されることは、社会的な死を意味するからだ。筆者だって「軽く手首を切りさえすれば、クラスから無視されずにすむ」という立場にあったら、間違いなく手首を切っただろう。あるいは、手首を切ることで「オシャレ、度胸がある、イケてる」と言われるなら、やはり手首を切っただろう。だから、ある学校でリストカットがはやったとして、ダサいと思われないために手首を切る子が急増しても驚きはしない。

 同様に15年前、精神的に病んだ者同士の間で「より病んでいるほうがカッコいい」という風潮があった。当時、「病院で診断を受けていないやつはニワカ」「入院歴もないなんて」「閉鎖病棟を経験してようやくメンヘラ」と、病めば病むほど箔がついた。

 冒頭の南条あやさんは生前から人気があったが、その理由にも「本当に死んでしまいそうなほど病んでいるから」という理由はあっただろう。そして、彼女は自殺で短い生涯を終えてしまった。

 自傷行為は簡単に流行となる。そして、リストカットを含めた自傷行為は、そのなかでもリスクが高い行為だ。実際に死のリスクが高まるだけでなく、深く切れば痕が残る。手首に残るリストカット痕は就職や結婚で障害となり得る。そして、痕が残るからこそ、10代は「のちのことまで考えられないほど病んだ自分」として手首を切りたがってしまう。

■リストカットを止めるには

 もし、あなたの身近にリストカットをする10代がいるなら、その子が病んでいるのか、「ただ流行に乗ったのか」を把握してほしい。学校ではやっているのであれば、一斉調査で禁止しても問題ない。

 だが、もしその子の自己愛が傷ついているなら――リストカットを止めたところで、ほかのより過激な行為におよびかねない。今は「リストカットをすることで、それ以上激しい自傷行為をせずにすんでいる」状態かもしれないからだ。もし傷つきが見られるならば、まずはほかの発散方法を一緒にやってみる。たとえば好きなものを思い切り食べてもいい、高級なコスメをプレゼントして「消費の喜び」へ逃がしてもいい。

 そういうメンタリティのときに、筋トレやカラオケのように健全な手段は選ばれにくいので、多少発散方法が偏っていても認めるくらいがよい。筋トレでどうにかなるくらいなら、そもそも手首は切っていないからだ。

■愛ある言葉で、リストカットから卒業してもらう

(以下ソース)

Business Journal 2019.01.28
https://biz-journal.jp/2019/01/post_26441.html