https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-01-31/PM4KH46S972801?srnd=cojp-v2

ゴーン被告が知る由もなかった転落への序章、側近が準備した筋書き

Matthew Campbell、井上加恵、馬杰、Ania Nussbaum
2019年1月31日 18:06 JST
→内部調査のきっかけは日産が提供した住宅に対する側近の疑問
→世界を飛び回るゴーン元会長、逮捕へのシナリオ関知できず

昨年11月、日産自動車の西川広人社長(65)は在日フランス商工会議所100周年記念イベントで基調講演した。約20年に及ぶ仏ルノーとのパートナーシップのおかげで日産は主要ライバルとの競争が可能になったと語り、ルノー・日産連合の具体的な成果を挙げた。共同生産など業務統合による巨額のコスト削減、電気自動車(EV)分野での強い立場、2017年の販売台数1000万台突破などだ。

  日産の社章を濃紺の背広のえりにつけた西川社長のスピーチは洒落た表現に欠け、平凡で退屈ですらあった。しかし講演する同社長は、少数の日産経営陣と東京地検特捜部の担当チームしか知らない秘密を胸に秘めていた。ちょうどそのころ、ルノー・日産連合の生みの親、カルロス・ゴーン会長(当時)が社用ジェット機のガルフストリームG650に乗って東京に向かっていた。あと6時間弱で羽田空港に到着し、取締役会に日本の当局者との会合、そして中国訪問と、忙しい1週間を過ごす予定になっていた。だが、この予定が全く実現しないことを西川社長は知っていた。


  11月19日午後3時半ごろ、ゴーン氏を乗せたジェット機は羽田に着陸した。いつものように空港を後にするはずが、この日は同機から降りるタラップを埋め尽くした黒いスーツの検察当局者らから、金融商品取引法違反の疑いで逮捕すると告げられた。激怒し戸惑うゴーン氏は当初、同行を拒否し容疑の説明と証拠を求めたと事情に詳しい関係者2人は述べた。押し問答が続いたが、拒否できないと悟ると、着陸から約1時間後、同行することに合意したという。


  そのころ、もう1人の日産幹部、グレッグ・ケリー代表取締役(当時)は成田空港から車で東京に向かっていた。ゴーン氏の右腕で会長室をかつて牛耳ったケリー氏を、検察はゴーン氏とほぼ同時に拘束しようと計画していた。警告し合ったり文書を破棄、あるいは逃亡するのを防ぐためだ。東京のホテルに着いたところで逮捕する予定だったが、事情に詳しい関係者3人によると、道路渋滞が邪魔をした。ゴーン容疑者逮捕を知られるリスクが高まり、ケリー容疑者は途中の高速道路のパーキングエリアで逮捕となった。

  両容疑者はその夜、東京拘置所の独房でそれぞれ過ごした。ゴーン容疑者ほどの大企業トップには、前例のない措置だった。起訴後、ケリー被告は保釈されたが、報酬の過少記載や特別背任罪で起訴されたゴーン被告(64)は今も勾留されている。日産はゴーン被告を解任、刑事告訴もしているが、同被告は逮捕後1度だけ公に姿を現した今月8日の出廷で「私は無実」と主張するなど、全面否定している。ケリー被告も同様だ。
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