【栃木】「日本刀、意外に重い」 足利の刀剣鑑賞会に女性ら50人
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産経新聞 2/10(日) 7:55配信
足利ゆかりの刀工、堀川国広にスポットを当てた刀剣展「堀川国広とその高弟」に合わせた刀剣鑑賞会が9日、足利商工会議所友愛会館(足利市通)で開かれ、小雪の舞うあいにくの天候の中、市内外から若い女性ら50人が参加し、鑑賞方法を学んだ。
講師を務めた足利郷土刀剣研究会主宰の田部井勇さん(83)は刀剣商歴50年以上。国広作の脇差「布袋(ほてい)国広」をはじめ展示中の日本刀計11本について解説。その後、参加者に日本刀の実物を手にとってもらい、地金、刃文などの見方を教えた。
東京から友達と訪れた会社員女性(32)は「通常はガラス越しの鑑賞しかできないので、初めて日本刀を手にできて参考になった。意外に重いと実感した」と話した。
同展は4日から始まり、連日、ファン300人前後が訪れている。3月3日までで、入場無料。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190209-00000030-san-l09 >>683
戦前の日本にステンレスなんてほとんど普及してないぞ なんでみんなおれのジャンボちゃんをいじめるんだよ… >>748
戦国末期と桶狭間は合戦の進化が全くちげぇんだよ。 竹刀で訓練してもさ日本刀に持ち替えたら重くて別物なんだよな 戦国だと軍役負担してる奴が自分と直臣と徴兵した奴連れて1ユニット
そのユニットが備えに所属して戦う方式
ぶどうの房みたいなもん >>748
通信機も上空から戦況を見渡せるヘリコプターみたいなのも無かったですからね。
乱戦でどうやって統率を取っていたのかすごく不思議 ヨーロッパもそうだが、ゆるゆる封建制の中世の軍隊は、ちゃんとした統制のもとで
戦闘教義を守り、武装の統一や訓練をしていたって訳じゃない
意識高いところは色々工夫してたけど、基本的にはみんなが家から持ち寄った
武器で、とりあえずわーっと敵にぶつかっていって勢い次第、みたいな流れ >>607
それな
あと林業地域の獣肉はまずいのに
そういう所ほど地域おこしをジビエに頼ろうとするのが味で客が逃げる結果として祟ってる >>759
だからかジビエを使った料理が牛肉との合い挽きハンバーガーとかカレーとか、
とにかくネタとして使うジビエの味を消す方消す方に動いているような だから二刀流は実戦的ではなかった盾も発達しなかった >>754
少しでも軽くするために溝を彫ったらしいよね 例えば俺が騎馬武者、槍装備で騎馬隊で突っ込むじゃん?まあ、部隊衝突の時に弓や槍で若干やられても騎馬隊の勢い、高さで敵陣切り裂くじゃん?
でも、平野部で衝突後、乱戦で俺が騎馬武者でスカスカな状況で槍足軽3人に囲まれたら(´・ω・`)だよね? >>758
じゃあ、聞くけどよ。
本来、鉄砲や長槍持って傭兵みたいに雇用されてた足軽が
なんで江戸時代禄貰ってたんだよ。
禄貰ってたって事は足軽が組織的に訓練されてたって証じゃん? >>759
林業が盛んな地域の獣は不味い
というのは
知らんかったな
為になるぜw >>757
ですから、最初に小高い丘を取った方が勝ったようです。例えば、天王山の合戦とか。 映画やドラマやゲームやアニメや漫画のせいやと思う…
木の枝みたいに軽く扱ってるもんな… >>768
そらそうだろうが
そんなもん、お互いに高いところ取り合うがな
片方だけ取りませんとか無いと思うよ >>766
木下藤吉郎は織田家の足軽から出世したんだよな。
足軽が長屋に住まわされてたってさ、太閤記に書かれてあんべ。 >>765
名前が飾ってなかったら皆同じ刀に見えている
その程度のババアばっかやで 八斬刀もけっこう重い
中国の詠春拳で使う刀な
木製やプラ製でその気になってたら、本身の武器は扱えん
俺は打撃武器(鈍器)の方が好きだけどな
十手、なえし、鉄扇、各種武術の棒など 艦これみたいに、ネタが尽きて海外艦、海外剣って出てきてるのかな?
呂布のなんとか?とか
マダガスカル?みたいなのとか
エクスカリバー、天空の剣とか >>766
足軽って意味が二つあるのよ
ちゃんと武家と主従関係結んだ、小規模ながら「武士」でもある足軽と
閑農期の農民や、流民が数あわせの傭兵として雇われた場合の足軽と
二つあって、資料でもどっちも足軽と表記されてる場合があるのね
禄を貰ってるのは前者 >>766
足軽とか全部いれてもな
江戸時代末期の諸藩の動員数は多くて千人単位なんだよ
ところが戦国末期の合戦は万単位の動員が普通
織田軍含めて専任の兵士なんてごく一部で大半は徴兵された雑兵なんだよ
そもそもそうじゃないと大きな合戦がないときは全く役に立たない連中に無駄飯食わせなきゃならねえんだぞw 中国の剣術に日本の剣術真似したのあんのな。横浜中華街の奴から聞いたけどよ。
倭寇が使ってた剣術真似たんだってよ。 以前、米沢の上杉博物館に行ったら、やたらと長い刀が展示されてた。
俺のリーチだと抜刀すら難しい長さ。
刀の詳細は忘れたけど、あんなの振り回して戦ってたなんて最強すぎる。 >>778
苗刀のことか
中国ではありそうでなかった刀剣だからな、日本刀は >>776
万単位なんて嘘にきまってんべ?
でさ、江戸末期の藩はどこも財政難でよ。
散々、武士を郷士にしたりとかしてたのしらねぇの? >>779
長巻は槍の一種と思ってる人が多いが、実は刀の一種だ >>781
なんで嘘に決まってんだ?
戦国末期は動員の様子の資料も細かく残ってるんだが
全部合わせたら大きめの大名は普通に万単位動員していることがわかる >>764
明軍のエリート騎兵軍が日本側に大敗した戦いがあるがそのとき明側に脅威を与えたのは
大陸では「長刀」と呼ばれる日本刀だった
柳成竜(朝鮮の領義政=総理)・著 『懲録』
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。 >>781
つうかお前そもそもおれが書いた文章の意味全く理解してねえな
レスして損した あれぐらいで重いとか女は情けないな
俺は二刀流なので一刀を片腕で容易に振り回せるように筋力付けてる
筋肉もつけてないのに刀に触るべきではない 刀に失礼 >>784
どうやって数えたんだよって話な。
で、その資料って奴は太閤記とか信長公記か?
あんなの嘘だらけだろ? 刀を作る環境には恵まれたけど、鉄砲作るには火薬が作れなかった不幸
カップラーメン作ったらポットのお湯が足りなかった(´・ω・`) >>774
西洋や日本以外の東洋で名前付いてる刀って、超有名だよな
大体は所有者が歴史的偉人
または神話の神々の武器
日本刀はあだ名や伝説など逸話由来もあるけど、制作した職人や工房の名前がそのまま評価に反映されているからな
いまでいうカスタムナイフ職人みたいなもの
それを国単位で行っていた >>785
朝鮮半島北部なんて山地に、女真族用の騎兵軍をそのまま転用する明軍も どうかとは思うけどな >>789
だからさー、合戦前に足軽雇ってた時代ってのさ、
織田家が検地やり始める以前な。しらねぇの?
まあ、すくねえ時はそりゃやってたよ?
信長公が本願寺と対決した理由ってのさ、自国領を完全に支配すんのが目的よ。 >>790
バカみたいに硫黄が取れたから、そこまで不向きでもない
古土法で硝石は取れたしな >>790
世界遺産の五箇山や白川郷でふん尿から煙硝を作っていたわ 江戸幕府は革命を恐れ武器の進化をことごとく抑制したからね。
鉄砲の製造発展の下地は十分にあったのに禁じられてた
しかし長い平和で刀は宝の持ち腐れ、
保存用、観賞用、実用、みたいな
実用つても、抜刀術、刀抜くだけで満足する始末 >>784
でも実際何に拠った数字なのかは気になるぞ
天正三年上杉家軍役帳だって5000人くらいだし武田に至ってはそこまで詳細に軍役の人数を記した史料自体がない
ちょっと俺みたいなバカにもわかるように根拠となる具体的な史料名出してくれないか? >>794
天文学が進まなかったから、物理学が進まなかったのか
月に兎が見えた不幸か(´・ω・`) >>793
議論の本質ではないけど、信長が兵農分離を進めたというのは眉唾らしい
秀吉の時代に遠征や転封が頻繁にあった結果として進んだ部分はあったらしいけど
兵農分離はあったのか
https://s.webry.info/sp/sicambre.at.webry.info/201710/article_29.html >>798
変わりに文化や識字率なんかで世界屈指だったし、権力構造の移行もスムーズに
行えたんだから良いじゃないか
おかげで100年ちょっとで世界一の超大国のイギリスすら追い抜いただろ
アメリカはまあうん 現存してる名刀はほぼすべて献上品や奉納品で家宝として大切にされてきたものだからどうかな
使われてた同県なんて全部破損するか戦中の徴発で召し上げられてるだろ 秀吉は重瞳に6本指だったとか
あと陰陽師に土方をやらせて迫害 >>767
昔は林業が扱う木の種類は多かったのに
近代になって杉や檜ばかり植えるようになったからな
杉や檜の単一林の山に獣を養う豊かさはない
雑木林の方がまだマシ >>801
兵農分離を進めてたのは間違いないと思うぞ
ただ、ノッブは結局天下取ってないから、現実的な自分の権勢に合わせた
小幅な改革を進めていたってのがある
天下人ほど大胆な改革は出来なかったんだ 竹刀剣法だと謎の下段の構えが日本刀を実際に持つと合理的だって納得できるんだっけか >>801
信長に関係なく例えば武田の軍役文書なんかでも
「軍役之補として、百姓、職人、祢宜、又者幼弱之族召連参陣、偏に謀逆之基、不可過之事一、」
というように一部例外を除いて百姓などを軍役の埋め合わせに連れて行くことが禁止されている
勢力拡大した大名は自然と分離志向を強めていったかもね 本当に良いものは持ったとき軽く感じる
新刀、新々刀は重く感じたな >>263
俵には米が入ってると思い込んでる都会人 >>808
重さの問題でってこと?
それはともかく薙刀と剣道の異種試合で脛撃ち防ぎのために下段構えを有効に使ってる人はいたな >>807
間違いなくないよ
なんの根拠もない
徴兵の様子の資料がもっとも豊富に残ってる小田原北条家の動員と織田豊臣系の動員が違う根拠はどこにもない
違わないと思われるのは、その後石高制になった後の動員の仕方が小田原北条と基本的に同じだったから
100石あたり何人動員で弓何本とかいうのは豊臣系それを受け継いだ徳川幕府の動員の仕方だがそれと小田原北条とまったく変わらんから >>807
そうなんだ。
>801の本が書かれた時点(2017年)だと織田家が特別兵農分離を進めた痕跡や史料はないみたいだけど、その後見つかったってことなのかな。
歴史学は日進月歩だね。 >>802
戚継光が自著に「真倭」から得た陰流剣術の伝書を載せていたり
剣術に巧みな日本人がいたことも事実 中段、正眼はド素人か、超絶達人のどちらかだな(´・ω・`) 斬撃特化なのに刀身重くて振り回すと身体持ってかれるから両手持ちで運用してみたら実戦だと使いにくくて
結局小太刀や鎧通しのほうばっか使われて
じゃあこの日本刀ってなんに使うんだよ?って存在意義を疑われるようになって美術路線に走って保身の歴史しかない欠陥武器w 1kg程度の鉄の棒が重いってどんだけ貧弱なんだよおまいらはw
こんなもん余裕で振り回せるわw >>818
太刀は普通に持ち手が長いから振りやすいぞ
護身用の打刀と一緒にしても >>818
その欠陥武器が自国の刀剣より優れているので自軍の装備に取り入れてしまった明軍がかわいそう
戚継光『紀効新書・長刀解』
武士には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。
武士の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を
備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm
隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。 >>818
江戸時代の武士がひ弱なだけだろ
鎌倉武士なんて糞重い刀ブンブン振り回してたんだし >>808
下から振り上げ、払い、振り降ろす!
理にかなってるよな、疲れ難いし >>818のいう欠陥武器を相手にして朝鮮軍は足を翼にしてしまった
ルイス・フロイス『日本史』
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
・双方とも大いに奮戦したが、朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、
ついに征服された。
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。 >>823
江戸時代には実戦がなかったから慣れてないのも当然 一番大事なことを忘れていはいけません
日本刀は9条違反です!
わたしたちは全ての戦力を保持しないことを誓って守られているんだから >>817
正眼も構え方が竹刀と日本刀では構え方が違うって話もあるな。 おじさんの胴田貫を持ってごらん?
どうだ、太いだろう? >>824
途中になってしまった
相手の刃を刀の峰で受けるから刃こぼれしないし >>813
横レスだけど
下段:足きり、踏み込みの牽制による間合いの制御、切り上げのための準備完了状態
八双:頸動脈狙いの斬りつけ、上半身の防御兼攻撃の準備状態
どちらも、現代剣道の有効打突部位や打突方法に対しては不利
しかしどこを切っても切られても決着、または大勢を決めるならそれなりに有効
そんな実感はあるな
日がな一日、荒い試合稽古に明け暮れている田舎剣術家が、高級な形を知らないと侮る剣術家に勝つってのも珍しい話じゃないけどね >>829
江戸以前の古流だと半身で正眼を構えたりするな >足利の刀剣鑑賞会に女性ら50人
ヘぇ、刀剣が女に人気なのか?
浮気した時に、旦那や彼氏のチンポ叩き切る為? 1kgだと木製のバット一本分くらいだな
野球素人がフルスイングしてたら10分でバテバテやな >>811
なるほど!菓子箱の下には小判が入ってるんだなw >>835
刀剣乱舞だろ
やってはないけど乱ちゃんは好きだぞ >>832
八相は複数相手に応じやすいメリットもあると思う
だいたい前後対称だし剣先を後ろに倒すだけで背後の相手への霞の構えに簡単にスイッチできる
横方向においても同様に剣先の向きを変えるだけである程度の防御になる これで、中村玉緒の息子は
芝居のさなか役者を殺めてるからな >>834
受けて払って振り下ろす動作が、利に適っているから、半身構えなんだろうか?
居合い?とかの古武術系だと、切るってより刺す動作に成ってはいるけれども。 >>839
示現流のトンボは別にしても、構えたときの疲労度も違うしね
集団戦で抜き身のまま突撃するときは、全員が右肩に背負って移動することを訓練されたとかいう話もあるよね
その状態から斬りかかるのは、八双(八相)からの斬りつけになるね >>845
「フハハ、たわけめ
後ろを取ったぞ」
(賢明な諸君ならお気づきのことだろう、忍者だから卑怯な真似が許される) >>836
ガチ鉄の塊だから3〜4kgくらいあるんじゃなかろうか?w
剣道部にいた頃、練習用の竹刀は3kgくらいあった気がする。
試合用が1kg弱くらい。 >>816
戚継光が著した兵書、紀效新書きこうしんしょの1584年版に、戚継光が倭寇との戦闘で入手したという、影流目録の断簡の写しが掲載されてるんだよね
内容も日本に現存する陰流の目録とほぼ一致してるらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています