【歴史】古代出雲と吉備の関係性探るフォーラム 額田部、刑部氏ら各氏族の関係性 国内初の鉄生産、渡来技術者の存在など解説
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古代出雲と吉備の交流をテーマに開かれたフォーラム
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古代の出雲と吉備の交流をテーマにした「古代出雲文化フォーラム」(島根大主催、山陽新聞社後援)が3日、岡山市北区柳町の同社さん太ホールで開かれた。島根、岡山県の研究者が王墓や製鉄、氏族など幅広い分野で結びつく両地域の関係性を探った。
島根大の大日方克己法文学部教授、同大総合博物館の会下和宏副館長、角田徳幸島根県埋蔵文化財調査センター課長、岡山県古代吉備文化財センターの石田為成主任の4人が講演、座談会を行った。
会下副館長と石田主任はそれぞれ弥生墳丘墓に焦点を当て、出雲に出現する四隅突出型墳丘墓や、当時の日本最大だった楯築(たてつき)墳丘墓(倉敷市)などの調査、研究成果を紹介。吉備で生まれた祭祀土器・特殊器台が出雲に広がっていく想定ルートなどを示した。
角田課長は6世紀後半、国内最初に吉備で始まった鉄生産に言及。良質の鉄鉱石が採れたことや渡来技術者の存在を要因に挙げ、「原料が砂鉄に変わり、古代末には中心は吉備から出雲などに移った」と解説した。大日方教授は文献史から、両地域に共通する額田部(ぬかたべ)、刑部(おさかべ)氏ら各氏族の関係性などについて私見を披露した。
公務員男性(60)=岡山市北区=は「古くから交流があったことが分かった上、日本の鉄生産が吉備で始まるなど初めて知り、興味深かった」と話した。
同フォーラムは島根大が大学のPRや島根県への誘客を狙いに2013年から東京、大阪などで開催。今回は初の岡山開催で、約300人が聴講した。
2019年03月04日 21時14分
https://www.sanyonews.jp/article/876698 また渡来人スゲーかよ、昔がそんなに立派だったのなら、なぜいまソイツラは、
人類のカス、どん底のクズにまで落ちぶれているんだ。現実とつじつまがあわないだろ。 桃太郎伝説は伯耆日野川流域発祥w
鬼が島は吉備穴海地方w >両地域に共通する額田部(ぬかたべ)、刑部(おさかべ)氏ら各氏族の関係性
両氏族とも5世紀後半に成立した部民制によるもので、古くから人の住んでいた場所なら全国各地にみられる
関連性もなにも、必然的にそうなっただけ
製鉄文化を「渡来人が伝えた」で解決してしまっては、何も分かっていことになる
日本海両岸を一つの地域として眺め、中央の挙動とすり合わせすることが必要では? >>出雲に出現する四隅突出型墳丘墓
四隅突出型墳丘墓は元々は吉備発祥w
其の後、出雲に伝わったw
というか当時、吉備も出雲も一つの国=投馬国だったw >>3
中東で生まれた製鉄技術が日本に伝わったから「渡来人」が持ち上げられて、今の支那朝鮮との関係かと誤解されているだけだ。 >国内最初に吉備で始まった鉄生産に言及
これで、なんで渡来人が出てくるんだかね >>11
最後に「渡来人が来て伝えたんです」
と言っとけば反論無くても丸く収まる
最近流行りの「知らんけど」と酷似で思考の放棄です
ちなみに、発見された日本最古の製鉄は小丸遺跡(広島、3世紀)
半島から伝わったとは考えにくいのが現状 辰韓や加耶からの移民が中国地方の鍛冶師の祖だから「渡来人」で間違っていないw
但し辰韓人も伽耶人も現在の朝鮮人とは余り関係がないw
(辰韓人の方は多少関係が有るw)
伽耶人と倭人は大差なかっただろうw ちなみに、日本海側は大国主の命との関連も言われる宗像氏系
瀬戸内から太平洋岸は安曇系、吉備も例外じゃない
これらの海人族が全国津々浦々に拠点を持ち、物流や中央との連携を支えていた >>16
辰韓人とか伽耶人って何?
もし本当に製鉄技術のような画期的な技術を日本に持ってきたんだったら、
それこそ歴史教科書に載っててもいいような気がするけど、全然認知されてないよね? 渡来人にやらせたのなら、記録が残ってるはず
6世紀後半の話だろ
額田部(ぬかたべ)、刑部(おさかべ)氏なんて、部民制に基づくもので日本全国にいる 国譲りで負けて出雲から諏訪に逃げた建御名方伝説も全くその痕跡が無くて
出雲と諏訪の関係がわからないそうだ 倭人は縄文人+華夏人や羌人だろうw
伽耶人もw
辰韓人は華夏人や羌人の配分が濃いw 建御名方は山陰じゃなくて美濃かもね
タケ美濃方
飛騨の両面宿禰 >>16
日本に製鉄が伝わった時代
弁韓、馬韓、辰韓がありその北には帯方郡や楽浪郡が存在した
卑弥呼の時代の魏志倭人伝から人の往来があったことが伺えるため
なにも渡来人に限定する必然性は今のところ無い 日本だの朝鮮だのという国も日本人や朝鮮人も居なかった時代の話にネトウヨは入って来るなw
鬱陶しいw 「額田」という地名は全国にあるんだな。
現在の愛知県東部が一時期「額田県」だったらしい。 完全に 中国系。農耕を日本より 4000年以上も前から やっていた。
その道具として 鉄を使った道具が 開発された。
日本は まだ 農耕はじめたばかり。ご愁傷様。 中国でも、鉄器は戦国時代末期
統一した秦は、青銅器だったからね ・
そして
すでに
日本全国に 中国系の人が 日本に流入していたってこと。
また
日本書記みたいな 改ざんして 公的資料じゃなければ。 4000年前の中原に漢民族が居たかどうかは分からんw
今の越南人や西蔵人の先祖が居たかも知れないw 製鉄技術が海外から入ってきたのはほぼ間違いないだろうけど
「誰が」っていう肝心な情報がないよね 漢が成立して、初めて「漢民族」という概念ができるんだが 現在の国家像や民族分布で古代の世界地図を視るのは馬鹿のやる事w ・
中国(漢民族)の場合のみは、すでに戦国時代(紀元前400ー200年頃)に、鍛鉄とならんで銑鉄(鋳造用の鉄)を生産し、各種の鋳鉄製品を製作していた。 どうやら製鉄技術の発祥は中東(トルコ))あたりみたいだから、
もしかしたら中国人や朝鮮人経由じゃなくて、直接ペルシャ人が持ってきた可能性も >>1
魏志倭人伝には鏃の先に鐵鏃を用いていると記されており、実際に弥生後期から鐵鏃が出土している
帯方郡、楽浪郡があった頃とちょうど重なるんだなぁ
伝わった時代と、量産し大量に武具を作った時代は分けて考えた方がいいと思う 吉備は宇佐と同族という伝承が残ってるし、出雲と宗像も親類という系図が残っている
海の民同士だし、色々と関係はあったんだろう 神武天皇の頃にすでに「たたら」という言葉がある
皇后が媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)
伝承を信じれば、大物主の娘で出雲系になる
製鉄についてはかなり昔から伝わってて、一々伝来について書く必要もなかったんだろう >>27
山陰と東海はセットみたいなものかもな
朝日遺跡の変遷は興味深い
元々は木棺、玉作り勢力だったが、銅鐸の埋葬を経て弥生時代後期には、日本海側と共通点が見られる勢力に変わっている >>3
朝鮮半島、特に南朝鮮はほとんど、エベンキ族・ワイ族が占めている >>25
倭人が大陸から技術を持ち帰ったのかもわからんね
かなり早い時期から半島南部には倭人の根拠地があったようだし まとまった渡来民の集団が来たんだね
砂鉄ぐらいならけっこうあちこちで採れてただろう 初期の頃は鉄材は持ち込み
朝鮮半島南部が鉄の産地として知られていたのは異論がないからね 出雲と吉備、山陰と山陽、出雲と天孫、尼子と毛利
落武者が大量発生してきた土地だ 日本は褐鉄鉱による鉄器から青銅器、そしてたたらによる鉄器の順 纒向遺跡の外来系土器、当初は東海系山陰系吉備系が中心だった
この三大勢力が近畿地方をフルボッコにして打ち立てた政権がヤマト政権と言えるだろう
卑弥呼亡き後男王が立つも内乱
個人的にはこの男王は吉備系のニギハヤヒと考えている
この内乱で吉備系が中枢から排除されたみたいだな
その後台与以降、纒向遺跡の外来系土器から吉備系がフェイドアウトしてしまう
これが吉備津彦による温羅退治に繋がるんだな >>19
鉄器製造はどこから伝わってきたのかっていうと、やっぱり
ツヌガアラシトとかアメノヒボコとかの古朝鮮からの渡来系
としか考えられないってことなのではないか。 日本の美称として豊葦原瑞穂国ってのがあるが葦や稲の根から褐鉄鉱を採取してたから
古代から中世にかけて日本の歴史は製鉄の歴史でもある 鉄鉱石と砂鉄では採取のための技術力が桁違い
鉄の原料が砂鉄に移った時点で知識技術的後退があったゎだろうね 鉄器生産は、鉄鉱石・砂鉄が算出することが前提で、
外人がやって来ていきなりできる話でもないだろう 良質な砂鉄が取れたから鉄鉱石の必要がなくなっただけの話 東海、山陰は他の地方に先立って弥生時代後期から、縄文系による渡来系勢力の乗っ取りが進んでいたようだ
渡来系の姫、コロニーを乗っ取った縄文系勢力を裏付ける結果が、青谷上寺地遺跡で出ている
古墳時代の始まりに温羅の渡来系勢力も退治されたんだろう >>44
うん
人と設備と流通を統合できるのは、国家に準ずる
大きな組織じゃないと難しいと考えた
昔の日本には鉄鉱石の産地がほぼ皆無だたったので
製鉄をしにワザワザ日本に渡来することもないだろう
では、どうするか? 技術者とネタを貰い受けにいく
できれば!技術者も派遣してもらおう
呉服(絹織物の技術)の例だと
第15代応神天皇は中国の呉に使者を派遣して機織裁縫の工匠を求めた
呉服(クレハトリ)・綾織(アヤハトリ)が遣わされ、機織・裁縫・染色の技術を伝えた
そして後世に神社が建てられ祀られた(呉服神社 社伝)
製鉄は? ねえ製鉄の神様の神社は無いの?? 抑々最初期の前方後円墳も埴輪に変化した特殊器台も吉備から大和に持ち込まれたものw
投馬国勢力の東遷が邪馬台国w
楯築→纒向 半島南部の任那日本府は鉄鉱石を取る為に倭人が占拠していた。それを製鉄し、インゴットにして国内に運んで加工した。倭人でやれることだったのに、何故か渡来人に教わる話にすり替えられている。 中国人は、「たたら製鉄」は日本固有のものだという認識
中国との関連性については言及がない
吹踏鞴
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B9%E8%B8%8F%E9%9E%B4
這種方法是日本古代傳統制鋼的方法,也是日本獨有的制鋼法。 >>60
そこは、無差別大量虐殺の跡なんですが
なんかアレな理由で 金屋子という半島由来の女神を祀る金屋子神社が鍛冶師の崇拝対象だなw
かなりマイナーなので余り知られてないw 鉄鉱石から作る鉄と砂鉄から作る鉄の違いわかってるのかねぇ。 農業神と鍛冶神、武神が製鉄神でしょ
古代の神様なんかほとんど鉄ありきだし
神社の鈴はすず、褐鉄鉱そのものだしね
稲、葦は鉄を指すことが多いわけだし 鉄の武器や道具もないやつらがどうやって海渡って先進地域を占領するんだ
丸木舟レベルだぞ >金屋子という半島由来
半島由来がどこから湧いて出てくるんだか
東から西の方(播磨や出雲)にやって来たとある
製鉄は神代の時代からあるつー話
総本山の金屋子神社は、島根県
http://www.yasugi-kankou.com/index.php?view=5220 鉄を押さえた朝鮮南部の集団が海を渡って
居住エリアを広げたというのがまだ自然 日本最多の神社は稲荷、次が八幡
両方とも秦氏の神社
農業と武の神様
秦氏は機織、土木、そして製鉄技術も持ち込んだ >>73
なかなか雰囲気あっていいところだぞ
何度かいったが好きだ 製鉄技術に関してはヒッタイトの特許でいいよ
特許切れてから数百年でユーラシア中に
広まっただろう >>73
調べたけど神話すぎて、どうも史実としての片鱗があるのか無いのか
鳥に乗って飛んでいってこの地に着いたというのも
日本各地に伝わる仏教の縁起話にいかにも似ている 記紀ファンタジーに出て来る神々の殆どは半島由来w
正確には満州由来半島経由w
ネトウヨの好きなエヴェンキと同根の扶余族由来w >秦氏は機織、土木
ここまで理解できる。記録がある
>そして製鉄技術も持ち込んだ
意味不明
渡来人を万能にし過ぎ >>71
ヤマタノオロチも、治水の話を元にあの神話があるが、
一説にはたたら製鉄の技術を渡したという説もあるしね
(オロチの描写、尾から出てきたアメノムラクモの剣とか) 洛東江付近にある2世紀の鉄鉱石採掘跡。
日本列島の土器しか出ない採掘跡が見つかっている。
当時の朝鮮半島は、中国本土や日本列島から様々な勢力が進出していたみたいだな
当時は朝鮮半島で製鉄し、インゴットの形で日本列島に運ばれていたらしい
山陰→加古川→播磨→淡路島のルート
倭国大乱でこの流通ルートが滅茶苦茶になったんだろう スサノオは須佐之男であり朱砂の王であり素戔嗚尊
朱は水銀、砂は砂鉄
素は白で真金、鉄
戔は失うとか欠ける
水銀と鉄を抑えていた王が神逐いにより鉄を奪われ鳴いているということになる >>81
それはマジですか?
>日本列島の土器しか出ない採掘跡
ソースちょうだい!ちょうだい!ちょうだい! なにをイライラしてるのか思ったら要は朝鮮人にものを教えてもらったというのが気に入らないということか
しょうもな 古代に朝鮮人も日本人も存在しないのになw
ネトウヨは朝鮮人と同様にファンタジストw ヤマタノオロチは風宮の神さん
何故か記紀では悪者にされているが
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子のことやろな
気多大社の謂れは興味深い
孝元天皇の時代(台与の頃かな)オオナムチが化鳥、大蛇を退治して海路が開けたとある
伊吹山〜敦賀の話やろな
ヤマト政権に最後まで抗った伊吹山の荒ぶる神
伊吹山の麓に鉄工房のあった稲部遺跡が見つかっている
伊吹山はヤマタノオロチの神霊が眠ると言われている >>84
「渡来人が伝えた」と言えば全て解決してしまう
風潮を憂いている
渡来人がつたえたんじゃね?=よく知らんけどw
ってことなんだよ
異国の民や異民族が絶えず流入し続け
国が出来ては消えしていた古代半島を過大評価しすぎじゃね?
と思うわけ 朝鮮人・韓国人はホモサピエンスではない
※現代人と約900万個の遺伝子相違 >>86
縄文人から遺伝子的繋がり日本人は存在するが
朝鮮人は存在しないからな 孝元=クニクルが最初に大和に移った大王だろうなw
倭人伝で卑弥呼のアシストをしてたとされる子w
父親のフトニがヤマタノオロチを退治して鬼ヶ島を征服した桃太郎w 製鉄については、渡来系と日本固有が完全に区別されてる
鍛冶部(かぬちべ)には、韓(から)鍛冶部と倭(やまと)鍛冶部の2系統あった
大化の改新で鍛冶司に統合されてる
韓鍛冶部は、応神天皇時代に百済から献上された卓素(たくそ)が祖になってる
近江、丹波、播磨、紀伊、讃岐あたりに所在 「渡来」を「とらい」と読まずに「わたらい」と読んでみる。 >>95
日本人の遺伝子の9割は渡来人由来
君も渡来人の血を多く引いているということ
残りが縄文人由来、これが日本人を日本人たらしめている要素やろな 海から来たからワタライかw
伊勢神宮も外国から来たから度会だなw >>88
つまり先進的な技術を持ってた大陸の文明のおかげで発展したって歴史が気に入らないんだろ
古代から大陸との人と物の移動は活発だった事実も無視して
優れた資質をもつ日本人の力だけで国が栄えたと歴史を歪曲したい >>100
逆だね
渡来人の力だけで国が栄えたニダという歴史を修正したいだけ >>100
君w 書き込み読んでないね?
そんなことは言ってない
しかし、人の往来は双方向だし
進的な技術を持ってた大陸の文明というのも
土地土地によって変わってくるぞ
鉄がいい例 >>97
「渡来人」と「帰化人」の違いについてだよ。
ちなみに、俺の先祖は百済からの帰化人らしい。
俺の故郷には古代中国・朝鮮からの帰化人の子孫が多いから気にならない。 古事記や日本書紀で崇神天皇以降、吉備も出雲もあまり出てこない印象があって・・・
北陸や東海は出てくるのにね。 渡来人だけども、人種的には倭人と同じなんでしょ?
渡来人イコール朝鮮民族と考えるのは早計
百済や新羅や任那の民は倭人です
(´・ω・`) 秦氏が製鉄、金属加工に優れていたのは松尾三社の櫟谷宗像神社が鋳銭の神社であることからも明らか
そもそも軍事や農業に鉄が付き物であるのと同じく土木にも鉄は必須
伏見稲荷にある眼力社は目の
薬力社は本来は足の病に効くとされた
ひとつ目とひとつ足は製鉄民の特徴
秦氏は渡来してから穴師山の側に居を構えた
穴師山は製鉄神である兵主神を祀る社もある産鉄地 奈良・高取の遺跡で発見 最古の大壁建物跡か 渡来人入植は5世紀より前?
https://www.sankei.com/region/news/181128/rgn1811280029-n1.html
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、
大幅に早まる可能性が出てきた。
大壁建物は、方形状の溝の中に多くの柱を立て、
土などを塗って壁をつくり建築した住居。
同町では、朝鮮半島式の床暖房装置「オンドル」を持つものを含めて
約40棟見つかっている。
4世紀末に明日香郊外の山奥に土地を与えて住まわしたのは
初期大和朝廷で半島人を使役していたと考えるのが自然 大伴氏が磐井の乱で失脚
仏教を取り入れたい蘇我氏と争った物部氏が弱体化
蘇我氏は(東国系の?)後発の豪族だったけど渡来人を受け入れて
先進技術や思想を取り入れてうまくやった >>108
そいや、『出雲国風土記』に「飯石郡の波多の小川や飯石の小川からは鉄が出る」
という記述があって、これに関して小林道憲「古代日本海文明交流圏」では
> また、波多の小川の「波多」は秦を意味し、渡来系工人が移住して
> 製鉄を始めた事実を暗示している。
てな推測をしているな。出雲に秦さんが来て鉄を作ってたと。 秦氏と櫟谷宗像神社は、全く関係ない
祀ってるのは、宗像三女神
付近にある神社まとめて「松尾三社」と称してるだけだろ
ウンコもぐもぐは死ねよ 秦氏は、応神天皇時代に来たとされてるのに
ウンコもぐもぐは死ねよ
キチガイが活動し始めたかな 嵐山って秦氏の領地やろ
秦氏無視してどうやって神社建てたんや? 嵐山って秦氏の領地ニダ
松尾三社だけじゃなくて、松尾七社もある
全部秦氏なわけねえだろ
IDコロコロ、ウンコころころ ネトウヨはwikiを信用しないんじゃなかったのかw
wiki利権が左翼に有るとか何とかでw そんなことより出雲を語ろうぜ。
>>111の引用の続き(小林道憲「古代日本海文明交流圏」)
> 飯石郡には、左比売山という山があったとも言われ、それは現在の三瓶山のことである。
> 左比売山の左比も小刀または鋤を意味し、製鉄との関係を示している。
> 大原郡阿用郷にも、目一つの鬼が来て、田を作る人の男を食らったという言い伝えがある。
> ここに出てくる目一つの鬼は、おそら天目一箇神と同一視してよいであろう。
> 天目一箇神は作金者の神であり、刀や斧を作る鍛冶者の神であり、これも鉄生産と
> 深いかかわりがある。これらの記事は新しい時代の記事ではあるが、この隆盛を
> 極めた出雲の製鉄産業の源泉は、少なくとも、古墳時代前期ごろまでには遡ることができるであろう。 「さんべさん」よか「さひめやま」の方が名前が綺麗w
伯耆大山も「火神岳 ほのかみだけ」の方が良いw 渡来してきた末裔って今の朝鮮人じゃないんだろ
それの子孫って今の中国と北朝鮮の国境あたりにいる少数民族なんだろ?
今も残ってるかは不明だが 渡来してきた末裔は日本人になったw
満州にも沿海州にも末裔は残っているだろうw
ミックスジュースの配合素材が異なるだけでw >>107
百済や新羅は穢や穢貊族と扶余族との交雑民族
倭人とは関係ない
習俗自体が何の近縁性もない 何でもかんでも渡来人のお蔭ってそれ本当か?
動かぬ証拠があるなら納得するけど、現状推測だらけでまともな論証になっていない。
考古学って本当レベルが低いから、今一信用ならんのよ。
また、日本から独自の技術や発見は生まれないという変なイデオロギーに凝り固まってるから話にならない。
世界最古の土器が発掘されたのは実は日本なのだが(ほぼ一万年前)、日本からそんな古いものが出るわけがないって、考古学者連中が最初は全員黙殺。
製鉄技術なんて大陸とは技法が違うんだから(タタラ製鉄は日本独自)、日本で独自開発されたと考えるのが自然。
しかし、肝心の日本の学者連中がその可能性すらも考えようとしない。
結局、自分のイデオロギーの方が大事なんだよ。 ★最新:日本人のまとめ
〔日本人のDNAは朝鮮人や中国の東北部人とは異なっており琉球人やアイヌ人のDNAと共通点が多い〕
Y染色体の80種類ほどの遺伝子のうち
日本人は「D2 (D1b)」を持っているが
Y染色体の中でも非常に古くからある系統。
日本人のD系統はほぼ100%が「D2 (D1b)」系統。
同じD系統であってもチベットや東南アジア が
D1とD3系統。
もちろん同じD系統だから近縁であることは
間違いないがD2 (D1b)系統は世界の中で日本人
にしか存在しない固有の系統。
さらに大きな意味な持つのが、日本の隣の
【韓国にはY染色体D系統が存在しないこと】。
この系統を持っているのは世界的にも珍しく
【圧倒的に日本人に多く存在し韓国人には先ず
見られない】。
核DNAというのパターンを網羅的に解析した
結果、【日本人は韓国人と大きく異なることが
判明した】。その【「D2 (D1b)」をいちばん多量に
持っているのがアイヌ人と沖縄人である】。
[現代の科学がアイヌ人と沖縄人が日本人の源流であると証明してしまったのである。]
DNAでわかった東アジア人は大きく分けて
「4集団」ある。
・東南アジア集団
・中国集団 (北京、ソウル(韓国)を含む)
・モンゴル集団
・日本列島集団(ヤマト人、オキナワ人、アイヌ人) [現代の科学がアイヌ人と沖縄人が日本人の源流であると証明してしまったのである。]
DNAでわかった東アジア人は大きく分けて
「4集団」ある。
・東南アジア集団
・中国集団 (北京、ソウル(韓国)を含む)
・モンゴル集団
・日本列島集団(ヤマト人、オキナワ人、アイヌ人)
であり、4つの集団は、各々DNA上離れて存在する。
【ソウル(韓国人)は中国集団に分類され】、DNA上、
華北人と韓国人とはそれほどの違いはなく、
【韓国人は日本人よりも中国東北部の人間に近い】。
またこのD系統は、アジア人種のみならず地中海沿岸や
中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の
中でも非常に古い系統である。
東アジアの地域全体には南方系O系統が広く分布し、
島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと
考えられる。
D2 (D1b)系統は
【アイヌ人88%】、【沖縄人56%】、
【本土日本42〜56%】
チベット33%で、【韓国ほぼ0〜3%】である。
韓国人と日本人は大きく異なる。
アイヌには南方系O系統は殆んど無い完全なD系統
であり、本土日本人と沖縄人には南方系のOが混ざり、
つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、
アイヌに南方系を足したのが本土日本人となる。 >>97
まーた何をデタラメ吹いてんだ無知バカ糞チョンw
その逆だろ
在日韓国人と日本人は遠いんだよ >>130
D2 (D1b)系統は
【アイヌ人88%】、【沖縄人56%】、
【本土日本42〜56%】
チベット33%で、【韓国ほぼ0〜3%】である。
韓国人と日本人は大きく異なる。
韓国人と日本人、人間としてメチャクチャ違いすぎじゃん 火縄銃とポルトガル人の関係を否定するのは難しいニダ
とか言ってるようなもん 在日が必死に暗躍しているね。
この手の話題は。
( ̄ー ̄) 朝鮮人・韓国人はホモサピエンスではない
※現代人と約900万個の遺伝子相違
>>129
科学は残酷までに真実を突きつける。
歴史学者や考古学者や在日が
あーだ こーだ 喚いても
人ゲノム解読で判明してしまう。
( ̄ー ̄) D2 (D1b)系統
↑
これが日本人。
チベットに同じD系統いるんだよね。
朝鮮や中国とは違う。 何で多元的可逆を思考から排除するのが居るのかわからん 2世紀後半〜3世紀前半の倉敷の楯築遺跡は
直径43mの円形に方形の突出部が2つあるんだよな
前方後円墳の原型かもしれない
箸墓の埴輪は吉備製だし 出雲集落の男系は縄文人で女性は渡来人だという事が分かったみたいだ。
つまり支配者は縄文人である可能性が出てきた。
これは天津神は縄文で国つ神は渡来系を表すと考えていいのではないか?
つまり、高天原は東国であり
だから日本書紀の大八洲には九州、四国、吉備、隠岐、佐渡、越、大和、大洲
と西日本と越の渡来人地域が指定されており
東日本が外されている。
高天原だから大八洲から外されたと考えられる。 これらの西日本の渡来人地域を支配するために東日本から縄文人が降臨した事績を記したのが記紀ではないか? 姓を名乗れるのは豪族レベルで
初期の姓は総じて地名姓であったと言われる
蘇我氏や葛城氏が関東からきたって話はあるよね
地名が残ってるから 大伴氏は摂津河内から
物部氏は神武に仕えた饒速日命の子孫だけど
物部は役職姓だから飛鳥時代くらいに改姓したんじゃないかな >>1
「6世紀後半」というと、中国は南北朝〜隋、朝鮮は高句麗・百済・伽耶(〜562年)・新羅、という時代だね。
それで、その「渡来技術者」とやらは、どこの国から来たの? >>145
普通に考えれば百済の遺臣だろうなあ。
雄略帝の頃にやってきた今来才伎(いまきのあやひと)は5世紀末だっけか。
さておき、「6世紀後半」というと磐井の乱だよね。
その結果ヤマト王権が得た糟屋の屯倉を貫流するのが、多々良川。
河口で砂鉄を産し、支流の宇美川の上流には「炭焼」の地名も残る
タタラ製鉄民の川だ。ここがもともと磐井の土地だったということは、
新羅の技術者もいたのかしらん。 そしておそらく早いんじゃないかと言われている。
未確定だけど、弥生時代中期に遡るといわれている。 んで、日本は鉄が出ないから任那日本府で鉄鉱石を採掘してた可能性が極めて高いとか。 たたら製鉄も早かったんじゃないかと言われてる
実際、鍛冶部には、韓鍛冶部と倭鍛冶部の2系統あった >>147
「魏志韓伝」にでてくる
> 国には鉄が出て、韓、ワイ、倭がみな、従ってこれを取っている。
てのは何なのよ? これが鉄鉱石ではなく半製品の鉄テイであることは、これに続く
> 諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
という記述でもわかるよね。 >>146
工人が遺臣てどういうことなのチョン婆? 出雲と吉備は遠いし中国山地越えになるから古代人じゃ交流は無理だろ >>151
それはそれで事実だろ
辰韓の説明ね
倭でやってないなんて話にはならない >>152
たしかに遺臣と書くと官僚や官吏っぽいよな。
要は、国がすっころんだゴタゴタで、半島に住んでいられなくなった
技術者たちということでどうじゃろ? 縄文海進で海岸線がずーっと山際に合ったから、地形が想像しにくい >>141
出雲は特殊だからな。
律令制度下でも出雲だけは国造は中央からの派遣ではなく、地元出雲からの選出だった。
これは出雲だけの特別扱い。
何かがあったんだろうね。
大和朝廷と出雲との間には。 >>154
もちろん鉄テイから製品を作る「鍛冶」はやっていただろうけど、
鉄鉱石あるいは砂鉄、湖成鉄などから鉄を得る「製鉄」は
どうなんじゃろ。 神話もそうだろ?
因幡の宇佐氏と朝鮮半島の和邇氏の戦争を動物化した「因幡の白兎」伝説でも、出雲の大国主命が登場して白兎を助ける。
この大国主命が謎の人物で、神話に突然登場する出自不明の人物だ。
そして、出雲大社の巨大な社。
謎だらけなんだよな出雲は。 >>158
大和朝廷のほうが新興の成り上がり者だったからね 本当の天皇家は物部氏
日本には天皇になる資格がある人はたくさんいる ようするにヤマタノオロチ退治は縄文人のスサノヲが渡来人を退治して鉄剣を強奪した話の可能性が出てきたわけだろ。
スサノオなんかひげぼうぼうでいかにも縄文人ぽいもんな言われてみれば 古代史関係ですぐに渡来人とか言い出す奴は大抵何にも分かってない奴 >>160
大国主が義父のスサノヲにいびられたときにスセリヒメが使って助けた
特殊バリア(蛇の比礼、呉公と蜂の比礼)が、なぜかニギハヤイが
天下りした時に持って来た十種の神器に入っている件。
もう何がなにやらw >>144
これ逆なんだよね
ニギハヤヒが本当の天皇なんだよ
神武ことイワレヒコは成り上がり者で皇位簒奪者 >>161
そんな雰囲気だよね。
だから、青谷上寺地遺跡で出土した人骨の遺伝子となんとなく一致するように思うね。
渡来系が縄文系に嫁いでいたという出雲の事実。 >>167
渡来人否定するならY遺伝子のO系統はなんだって話になるよ 天皇である物部氏の二ギハヤヒに神武ことイワレヒコは仕えていた >>168
そのあたりの謎を解明できたら日本史に名が残るねwww >>173
ホントは天下りしてきたのは饒速日じゃなくてアメノホアカリでニニギの兄貴なんだと思う。
それだと大国主と世代があう。蜂のひれも手渡せたと思う。
饒速日はニニギの子のホアカリの子なので名前がホアカリで同じなのでごっちゃになったと思う。 考古学や歴史ってその時の気候が重要と思うけどね(´・ω・`)
俺達のたった一年も気候や災害に振り回されるのに >>177
6世紀くらいに世界規模で災害や気候変動があったみたいだからね
そのころに隆盛を極めた古代帝国が完全に滅びたりイスラムやキリスト教が広まったりしたよね
日本でも仏教が伝来したり物部氏から蘇我氏へ権力が移ったり天皇制ができたんだよ
気候変動からの社会不安が政権を転覆させたり宗教を広めたんだね >>179, >>177
いわゆる古墳寒冷期だよね。
人々が狂ったように巨大な古墳を造り始めたのは、
生産性が上がって社会に余裕が生じたからではなくて、
逆に自然の恩恵から見放された状況を打破するための
止むに止まれぬ祈りだったと。
ちなみにこの頃、大阪湾岸のタコ壺漁が激減する。
タコは濃い塩分の海水を好むから、それが居なくなるのは
この時代は雨が多かったということだよね。 >>179
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ!(´・ω・`)
うらーらーらーら〜 >>181
すげぇ〜
そういう話を聞くと楽しくなるね(´・ω・`) ウンコキーワード: 気候変動
話をすり替えてるわけね この手の話題になると必ず「日本のルーツは朝鮮」みたいに騒ぐ輩が現れるが、もちろん誤りである。なぜなら、その時代に「朝鮮人」なるものは影も形も存在していないからだ。
世界史において、半島というものはどこも民族の興亡が激しい。
例えば現在のギリシャ人はオスマントルコの支配以降に流入したトルコ系であり、ギリシャ文明の担い手であった古代ギリシャ人とは無関係である。
また、ローマ人は黒い瞳、黒髪、褐色の肌、低身長で現在のヨーロッパ人とはかけ離れた外見であった。
同様に、現在に繋がる「朝鮮人」が形成されるのは中世以降のことであり、古代の国家群と直接の繋がりはない。半島経由で日本に稲作が伝わったにせよ、多くの百済人が日本へ渡来したにせよ、そのずっと後に誕生する朝鮮人とは無関係の話である >例えば現在のギリシャ人はオスマントルコの支配以降に流入したトルコ系
ウンコはデタラメばっか
正しくは、現在のトルコ人にギリシャ系が流入してる
イエニチェリとか、イスラムの婚姻制度知ってたらわかる話 今や加計系の無駄な大学や専門学校の為に国が無駄な金出してるイメージしかないわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています