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ノンフィクション作家の足立倫行氏が選んだ“今週の一冊”は『古代氏族の研究(13) 天皇氏族 天孫族の来た道』(宝賀寿男著、青垣出版 2000円※税別)。

*  *  *

日本国の成立は天皇家の歴史と切り離せない。従って、代替わりを機に天皇家のルーツを振り返ることにはそれなりの意味があるはずだ。

多くの説があるが、氏族研究に基づいた本書の結論をまず示す。

天皇家の父系源流は殷王朝の流れを汲むツングース系で、鳥トーテミズム・太陽神信仰・鍛冶技術などを持ち、
平壌あたりの箕子(きし)朝鮮、半島南部の洛東江流域を経て、紀元1世紀前半頃に九州北部に渡来した。

『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』や『斎部宿祢本系帳(いんべのすくねほんけいちょう)』など古今の系図類を参考にすると、
始祖・五十猛(いたける)神(スサノヲに相当)以降の動向も追うことができる。

松浦半島から筑後川中流域の御井(みい)郡(福岡県久留米市)に移り、そこが高天原(邪馬台国の前身)。
4代目のニニギは筑前怡土(いと)郡(福岡県糸島市)に移り支分国を作る(天孫降臨)。その孫・神武は庶子だったので、
2世紀後半に新天地を求めて小部隊と大和へ向かう(神武東征)……。

と、ここまで書くと「待った」の声が聞こえてきそうだ。「左翼なのか」とか、「皇国史観か」とか。

著者も断っている通り、この仮説は左右のイデオロギーとは無縁だ。

ついでに言えば、現代の国家や政治とも直接関係はない。古代の東アジアで多数の王朝が興亡盛衰していた頃の倭地(日本)の状況を、
あくまで歴史検証の立場で合理的・総合的に再構成しようとしたものだ。

私が著者の説に注目したのは、取材で伊都(いと)国(糸島市)を訪れたからだ。そこには日の出の方角に日向(ひなた)峠や日向山、クジフル山があった。

峠の向こうの福岡市西区には、吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡があり、その中の「最古の王墓」から日本で最初の三種の神器(鏡・剣・玉)が出土していた。

ということは、記紀の天孫降臨(北東アジアでは始祖の地域移遷を指す)の地「日向」は、南九州の日向(ひゅうが=宮崎県)ではなく、
北九州の日向(ひなた=福岡県)ではないかと思った。

著者の説に従って神武を伊都国王家出身とし、本書が強調するトーテム(祖霊の動植物)に改めて目を向けると、
これまでの「神話」の謎や奇異な記述も理解可能となる。

基盤は3層の集団である。倭地に最初に定着した犬狼トーテム種族(山祇=やまづみ族)。次に稲作・青銅器を伴った竜蛇トーテム種族
(海神族)。最後に鉄器を持ち太陽神祭祀の鳥トーテム種族(天孫族=天皇家一族)。

伊都国が天孫族なら、「国譲り」した葦原中(あしはらなかつ)国は隣接の奴国になるが、奴国王は後漢から金印を授与され印鈕(いんちゅう)は蛇(竜蛇トーテム)だった。

神話では、神武の母・祖母とも海神の娘。祖母は父を産む時に「鰐(わに)」の姿になったと伝える。トーテム動物は一族の神話に頻出し、このワニ(サメ)も海神族のトーテムだ。

そして神武は大和にやって来る。

古代史界の大勢は、「(神武東征などの)神話自体が天皇の権威の正当化で信用できない」とする。

しかしそうなら、なぜ正史『日本書紀』は、神武の前に同じ天孫族のニギハヤヒがすでに大和にいたと記したのか。しかも神武は緒戦で破れ、兄(五瀬命)を亡くし、
ニギハヤヒが敵将長髄(ながすね)彦を裏切った末の薄氷の勝利(八咫烏=やたがらす・金鵄=きんしは天孫族の鳥トーテム)だった。

この話に本当に史実はないのか。

他に、神武など初期天皇の異常な長寿や長期在位は4倍暦や2倍暦で解消すること▽三種の神器の習俗は朝鮮半島・中国東北部を経て
黒海沿岸のスキタイ族まで続くこと▽応仁の乱頃まで宮中に「帝王鎮護の神」として韓神(からかみ)と園神(そのかみ)が祭られていたこと
(両神は始祖神の五十猛神夫婦)──なども加えよう。

すると、一見荒唐無稽に見えていた冒頭の本書の結論部分が、次第に信憑性を帯びてこないだろうか。

本書は、著者の古代氏族研究50年の集大成。私はこの一石が、斯界に波紋を広げるような気がする。