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878年、藤原氏が君臨する朝廷の過酷な支配により夷浮が決起し「夷浮の乱」が起きた。
彼らは秋田城を襲撃し、官軍は大敗を喫した。

その後、3人の俘囚が侵略者である藤原氏の陣地を訪ね、秋田川以北を朝廷の支配が及ばない
「己地」とすることを要求した。だが、藤原保則が懐柔策として不動穀の配給を提示した。

これにより俘囚は次々と投降したという。ただ、これに不満を示した一部の「夷浮」は西方に
新天地を求めて船出したと考えられる。この「夷浮」とは「陸奥安倍氏」と「出羽清原氏」のことである。