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1167年、平清盛は太政大臣となった。つまり、藤原氏の氏族である伊勢平氏「平家」は、

平安時代後期に平氏政権を打ち立てて天下を取った。

だが、フェニキア人の子孫であり、正統な平氏である「坂東八平氏」の連合はこれに異を唱えた。

ただ、彼らは「反藤原氏」の意志を隠すために、平家と同じ藤原氏の氏族である清和源氏の源頼朝を

自分たちの「顔」に据え、坂東八平氏は「頭脳」を司るために背後に隠れた。

頼朝の影に隠れていた坂東八平氏の面々には、土肥実平の「中村党」を基盤に、

「三浦氏」「千葉氏」「上総氏」「梶原氏」などが控えていた。

つまり、「平家打倒」の意志は頼朝の意志ではなく、坂東八平氏の意志だった。

また、頼朝が土肥実平を兄のように慕っていたことから、実際には坂東八平氏が「鎌倉幕府」の

頂点に君臨していたことが理解できるだろう。