>>257
ただの偶然。
偶然と言っても、いくつか積み重なった要因があるが。

まず古代においては日本は平定が済んでおらず、武断的な男の方が求められた。
平定が進むと女性天皇が増えてきたが、同時期にシナ影響の男尊女卑が濃くなり(シナの律令制を参考にして導入したことにより、律令制を通して男尊女卑が普遍化していった)、女性天皇が現れなくなった。
このとき、女系天皇が生まれなかったのは偶然。というか、元正天皇は厳密にいえば女系天皇だ。女性天皇の多くのケースが、既婚者で天皇の配偶者だったというのもある。
以後、男尊女卑は完全に風習と化し明治にいたる。
明治に至って、初めて男系男子限定のルールが明記されるが。
その理由も、ルールを決める会議で女性・女系天皇を認める意見と拮抗していたのを、井上毅が
「男尊女卑の風習にそぐわない」
と主張して、女性・女系天皇論を退けたのが理由だ。
参加者16名。女性・女系天皇に賛成8名、反対8名。議長の決により、女性・女系天皇論を退けた。その程度のものだ。