【砂漠の狐】「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」 将軍ロンメル率いるドイツ軍がノルマンディー上陸を許したワケ
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190425-00010000-voice-000-1-view.jpg
<<現代史家であり、陸上自衛隊幹部学校の講師も務めた大木毅氏が上梓した一冊の書籍が注目を集めている。それが『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』である。
※省略
なぜ、ロンメル率いるドイツ軍はノルマンディーへの上陸を防げなかったのか。ドイツが犯した「失敗の本質」を語る。(聞き手:編集部・中西史也)>>
※省略
■アウトサイダーの軍人としてのロンメル
※省略
【大木】 ロンメルは一般的に「名将」と称えられますが、まず、何をもって名将といえるのかを考える必要があります。軍人を評価する際は、「統率」と「指揮」の2つの観点から見るべきです。
「統率」とは、すなわち部下をいかに掌握し、管理するか。ロンメルは兵士には人気があった一方、直属の師団長のなかには敬遠する者もいた。統率力を1つの指標から評価するのは難しい面があります。
もう1つの「指揮」は、いかに味方の損害や物資の消費を抑えて勝つかが問われます。これは高次元の概念から順に、「戦略」「作戦」「戦術」の3つに分けられます。
ロンメルはそもそも、戦争に勝つためのリソース(資源)をどう配分するかという「戦略」を立案する立場には置かれませんでした。たとえば第2次世界大戦時のアメリカでいえば、日本とドイツのどちらを先に叩くか、という次元です。
ロンメルは連邦国家だったドイツ帝国の主流だったプロイセンではなく、ヴュルテンベルク王国に生まれ、しかも陸軍幼年・士官学校や陸軍大学校の出身ではなかった。
いわばアウトサイダー(部外者)だったのです。専門的な教育を受けていなかったこともあり、「作戦」では一定の優秀さにとどまったといえます。
最後の「戦術」は、作戦のなかで戦闘をいかに指揮していくかということですが、ロンメルは率先垂範に努め、卓越した能力を発揮します。危険をものともせず、勇猛果敢に陣頭に立ち続けました。
※省略
■ロンメル「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」
――第1次世界大戦、第2次世界大戦共に敗北したドイツにあっても、ロンメルは幾多の戦闘で勝利を収めました。砂漠が広がる北アフリカ戦線(1940年9月〜1943年5月)は彼の生涯における華といえますが、どういった点が優れていたのでしょうか。
【大木】 ロンメルが「砂漠の戦争は海戦のようなものだ」と捉えていたことは、戦術面で優れた認識をもっていたことを象徴しています。
欧州本土における戦線では通常、交通の結節点や補給物資の集積場を狙って要衝を押さえ、重要都市を占領しようと試みます。しかしその戦術は、敵軍の機能を麻痺させられる地点が限られている砂漠では難しいため、相手の戦力そのものをどう潰すかが主眼になる。
そこでロンメルは、前方指揮と奇襲攻撃を遺憾なく駆使し、敵対勢力の装備品や補給物資を奪う「鹵獲」を進めていきます。
――第1次大戦以降、ロンメルが得意とした戦術ですね。
【大木】 ところが、戦術面では奏功したこの手法は、作戦・戦略次元では大きな損害を出しかねませんでした。
前方指揮はロンメル自身が戦死、もしくは捕虜となる危険を孕むと同時に、部隊との連絡が途絶えてしまうこともあった。ロンメルの戦法は、作戦遂行においてそのようなデメリットをもち合わせていました。
――英米を中心とする連合軍からの猛攻を受けてアフリカから退却したロンメルは、欧州西方の指揮を任されます。しかし1944年6月には、ドイツ占領下のフランス・ノルマンディーへの連合軍の上陸を許してしまう。なぜロンメル率いるドイツ軍は、ノルマンディー上陸作戦を防げなかったのでしょうか。
【大木】 ロンメル個人についていえば、ここでもやはり、作戦・戦略次元での問題が露呈します。
連合軍の侵攻が予想された1944年6月6日の天気予報が大荒れだと知ったロンメルは、この日の上陸は不可能だと判断し、担当戦域のフランスからドイツ本国へ戻って妻ルチー・マリアの誕生日を祝っていました。
しかし、のちにアメリカの大統領となるドワイト・アイゼンハワー連合国遠征軍最高司令官は、一時的に天候が好転するとの予報を受けて、リスクを承知で作戦を実行したのです。
現場を留守にしていたロンメルは連合軍上陸の一報を聞き、「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」と呟いたといいます。(続きはソース)
4/25(木) 11:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190425-00010000-voice-pol アウトサイダーって、そこは外様と言えば分かりやすいと思うが ロンメルは偉大な戦術家ではあったけど戦略家ではなかったというのはけっこう前から言われてるな >ところが、ポーランドへの侵攻を知った英仏は断固たる態度を示した
ブレグジットもこの調子で頼むよイギリスさん 戦略のラインハルト
戦術のヤン
立場も同じだな、やろうと思えば戦略も立てられたのに ヒトラー「ムッソリーニのアホがアフリカでやらかしたから適当に援軍送っとくか」
ヒトラー「じゃあロンメル、おまえ行けや」
ヒトラー「戦車?自分でなんとかするんだよ」 >>1
■ヘレロ・ナマクア虐殺
(ヘレロ・ナマクアぎゃくさつ、ドイツ語: Völkermord an den Herero und Nama)は、ドイツ領南西アフリカ(現・ナミビア)においてドイツ帝国が先住民族に対して行った虐殺。アフリカ分割の動きの中の1904年から1907年にかけて行われ、20世紀最初のジェノサイドと考えられている。
■ドイツの本性
隠れている歴史を見てみよう。ドイツの醜悪な顔が一つ一つ見えてくる。1904年、ドイツは植民地のナミビアから土地を奪うためにヘレロ族・ナマ族を無惨に殺害した。
井戸に毒をまいたという話もある。
20世紀初めの人種虐殺だった。ヘレロ族8万人のうち6万5000人、ナマ族2万人の半分の1万人が死亡した。これだけでなくドイツは生存者2000人を強制収容所に入れて人体実験もした。その後、ドイツは遺体を本国で運んで研究用として使用し、2011年に20人の遺骨を本国に返した。 TIMEの表紙に載った
マンシュタインの方が
上だろw >>1
■マルメディ虐殺事件(マルメディぎゃくさつじけん、Malmédy massacre)は、1944年のバルジの戦いの最中に発生した武装親衛隊による戦争犯罪。
1944年12月16日、ドイツ軍は「ラインの守り」作戦を発動、ベルギー南部からフランス東部に展開した連合軍に対し、ルントシュテット攻勢(連合国側の呼称「バルジの戦い」)として知られる大攻勢を開始した。
その翌日の12月17日、攻勢の主力を務める第6SS装甲軍の先鋒、ヨアヒム・パイパー親衛隊中佐率いるパイパー戦闘団がベルギーのマルメディとリヌーヴィルの間で米第285砲兵観測大隊に遭遇した。
短時間の戦闘の後にアメリカ軍部隊は降伏し、パイパーら部隊主力は進撃を再開した。あとには監視を命ぜられた独軍兵士たちと共に捕虜150人が十字路の近くの野原に集められ、武装解除され後方に送られるのを待つばかりとなっていた。 >>1
■アスクの虐殺は、第二次世界大戦中の事件である。
1944年4月1日、ナチスドイツの武装親衛隊がアスクで無実の民間人86人を殺害した。
■オラドゥール=シュル=グラヌの虐殺
オラドゥール・シュル・グラヌ(フランス語: Oradour-sur-Glane)とは、フランス・ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県の村である。1944年6月10日、ドイツの占領下であったこの村でナチス武装親衛隊による大規模な虐殺が行われた。当時村にいた村民のほぼ全員が殺され、村は一日にしてゴーストタウンと化した。 >>1
■ゲルニカ爆撃(ゲルニカばくげき、バスク語: Gernikako bonbardaketa, スペイン語: Bombardeo de Guernica, 英語: Bombing of Guernica)またはゲルニカ空爆(ゲルニカくうばく)は、スペイン内戦中の1937年4月26日、ドイツ空軍のコンドル軍団がスペイン・ビスカヤ県・ゲルニカに対して行った都市無差別爆撃である。当時、戦争に新たに加わった無差別攻撃が空爆であり、ゲルニカ爆撃が最初であった。
■タンネンベルク作戦(タンネンベルクさくせん、ドイツ語: Unternehmen Tannenberg)は、ナチス・ドイツの東方植民地化計画の一部で、第二次世界大戦におけるポーランド人の絶滅計画の秘匿名称。
ポーランド人逮捕者リスト (Sonderfahndungsbuch Polen) には約61,000人のポーランド人活動家、知識人、俳優、元将校が収載され、これらの人々は逮捕・抑留、あるいは銃殺された。逮捕者リストはドイツ系ポーランド人(民族ドイツ人)の支援によって作成されたものである。 秋の日の ヴィオロンのため息の
身に染みて ひたぶるに うら悲し >>1
■T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4)は、ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策である。
1939年10月から開始され、1941年8月に中止されたが、安楽死政策自体は継続された。「T4」は安楽死管理局の所在地、ベルリンの「ティーアガルテン通り4番地[# 1]」(現在同地にはベルリン・フィルハーモニーがある)を短縮したもので、第二次世界大戦後に付けられた組織の名称である。
一次資料にはE-Aktion(エー・アクツィオーン)〔E作戦〕、もしくはEu-Aktion(オイ・アクツィオン) の名称が残されている。この作戦の期間中の犠牲者は、公式な資料に残されているだけでも7万273人に達し、その後も継続された安楽死政策により、後述の「野生化した安楽死」や14f13作戦によるものも含めると15万人から20万人以上が犠牲になったと見積もられている。
■ハティニ虐殺(ハティニぎゃくさつ、英:Khatyn massacre)は、1943年3月22日にベラルーシのハティニ村で発生した虐殺事件。
ナチス・ドイツによる戦争犯罪の一つ。ベラルーシではハティニ虐殺の記念施設はブレスト要塞、ミンスクの大祖国戦争博物館(英語版)と並び独ソ戦の記念施設の代表例として知られている。 このインタビューでは触れられていないけどロンメルは1940年5月のフランス戦で第7装甲師団を率いての電撃戦が特に有名
他の装甲師団指揮官達の多くが包囲を警戒して前進をためらう中、上官のグデーリアンと共にほぼ独断専行で敵戦線後方への突進を続けてフランス軍の指揮系統を混乱させた
これで一気にヒトラーの覚えめでたくなり、その後北アフリカに派遣されることになる
東部戦線やバルカン半島に派遣されなかったことで泥沼のパルチザン掃討戦やユダヤ人虐殺に関与せず汚名も負わずに済んだし >>1
■ビドゴシチ住民殺害事件(ビドゴシチじゅうみんさつがいじけん)は、1939年9月のナチス・ドイツによるポーランド侵攻開始から10日間のうちにポーランド西北部の都市ビドゴシチ(Bydgoszcz)とその周辺で発生した住民殺害事件。大きく分けて次の2つの事件から成る:
9月3日に起こった、ポーランド軍およびポーランド系ポーランド人住民と、ドイツ系ポーランド人住民の間で起こった戦闘・殺害事件。戦時中のナチスの執拗なプロパガンダにより一般にブロンベルク血の日曜日事件として知られる(第1の事件)。
9月9日から9月10日にかけて起こった、ドイツのさまざまな組織によるポーランド系ポーランド人住民虐殺事件(第2の事件)。
第1の事件よりはるかに規模が大きい。
■ザ・ブリッツ(英語: The Blitz、ロンドン大空襲[1])とは、第二次世界大戦中にドイツがイギリスに対して1940年9月7日から1941年5月10日まで行った大規模な空襲のことである。「ブリッツ(ドイツ語: Blitz)」とは、ドイツ語で稲妻を意味する。
空襲がイギリス中の多くの都市や町に行われる間、ロンドンの連続57日間に及ぶ夜間空襲から始まった。
1941年5月末までに43,000名以上の民間人(半分がロンドン市民)が爆撃で死亡、100万以上の家屋が損害を受けた。ロンドン市民は空襲を避け地下へ潜り込んだ。地下鉄の駅の構内が人々の避難所となった。 >>1
■ポライモス(Porajmos、Porrajmos、Pharrajimosとも)とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツやクロアチア独立国、ハンガリー王国など枢軸国が実行した、ロマ絶滅政策を指す。ロマ語の複数の方言で「絶滅」ないしは「破壊」の意。
ヒトラー政権下、ロマ及びユダヤ人は何れもニュルンベルク法により、「人種に基づく国家の敵」と定義。ナチス占領下の国家においても同様の絶滅政策が採られた。
第二次世界大戦におけるロマの犠牲者数は、推計で22万人から150万人に上るとされる。 >>1
■ホロコースト
1933年の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の権力掌握以降、反ユダヤ主義が国是となったドイツにおいては様々なユダヤ人、共産主義者に対する迫害が行われていた。
第二次世界大戦の勃発後、ナチス内部には「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決」を行おうとする動きが強まり、ドイツ国内や占領地のユダヤ人を拘束し、強制収容所に送った。
収容所では強制労働を課すことで労働を通じた絶滅を行い、また、占領地に設置された絶滅収容所においては銃殺、人体実験、ガス室などの直接的な殺害も行われ、1943年以降は絶滅収容所の導入など、殺害の手段を次第にエスカレートさせていったとされる。親衛隊は強制収容所の管理を担うとともに各地でユダヤ人狩りを行い、東部戦線ではアインザッツグルッペンが活動した。
ドイツ国防軍は、親衛隊や中央官庁の要請に従ってユダヤ人狩りへの協力を行った。軍需省や四カ年計画庁、一部の企業は工場において強制労働を行わせた。また、ヴィシー政権下のフランスをはじめとする占領地での「ユダヤ人狩り」は現地の治安機関によっても実施された。 ドイツも結構現場の努力で何とかする軍だったのか
その戦略を決めるドイツ最高司令官がどうも基地外っぽいからな Feierliches Gelöbnis der Bundeswehr 14. Juni 2018 Dillingen an der Donau Einmarsch
https://youtu.be/UWaR0t_Id2E
Königgrätzer Marsch - Schloss Bellevue 21.09.2018
https://youtu.be/ndQAT_zs-Bw ロンメルと言えばパットン
パットンと言えばロンメル まぁ、現実的には上陸阻止なんてほぼ無理だったけどね。 >>24
ヒトラーにとってはロシアの征服(生存圏の確立)の方が重要で、北アフリカ戦線はイタリアの支援と地中海を抑えることでイギリス〜インド間の通商路の切断ができたらいいなくらいの比重だったから Red Alert 3 OST - Soviet March [Sub Thai and lyrics]
https://youtu.be/LGScVdCXp84 俺は何かの漫画でこの人を知ったはずなんだが、その漫画が全然思い出せない 防衛線長すぎ、薄すぎなんだから
前線に本人が居ようと居まいとあんまり変わらない気がする >>33
のために装甲師団を後方に配置して柔軟に上陸に対処できるようにしたはずなんだけど、その装甲師団をロンメルが直接指揮できなかったという問題が・・・ ノルマンディー上陸の成否にロンメル関係ねえよ
そもそもOKWの予測でも上陸地点の本命はカレーでそこを重点的に固めてたし
というか上陸作戦では攻撃側に選択の自由がある以上手薄なところが狙われるのは当たり前
仮にノルマンディーがガチガチに固められてたとしたらブルターニュにでも上陸すればいいだけの話 上陸作戦が立案・実行に持ってける状況になった時点で終了。 多方面からやってきてるから
疲弊したドイツ軍じゃもう無理だろ ノルマンディーの件は
ロンメル一人の力でどうこうできる次元を
はるかに超えてると思うんだが... つーと、天気予報の差でアイゼンハワーが狩ったわけか? >>39
連合軍側もイギリスに潜入したスパイを全員転向させて偽情報送らせたり、パットンを存在しない部隊の司令官にするなど大規模な欺瞞作戦しかけて上陸地点がカレーだと思い込ませたからな
あのパンジャンドラムでさえその欺瞞作戦の一環という説があるくらいで 要するに天候予想の成否だったと
もうこの本買わなくても分かった 連合軍はドイツがどう対応しようが押し切れるだけの圧倒的な戦力でブッ込んできたわけで
何をどうしようが結果はたいして変わらんのだけどね シミュレーションゲームでも戦略級・戦術級と色々あるが
俺は戦闘級が一番好きだな
3万でも良いからガルパンの戦闘級シミュレーションゲームまだー 早くしてくれ! 有名な話なのにw ドイツのせいじゃねぇか。
荒天化で上陸作戦を行えば運良く地点に到着しても船酔いが酷い。
数日間、下手をすれば数週間は移動もままならない。人や馬、
戦車やバイク等も使い物にならないというのが当時の常識だった。
ドイツが開発したスコポラミン、ベラドンナエキスが自白剤と
してだけではなく「乗り物酔い」の薬として使えると知った
連合軍が大量に用意して。乗船時、兵たちに配ったんだよ。
上陸が不可能ではなく「上陸に成功しても対処するだけの時間的
な余裕がある」と思われていたことがノルマンディ作戦成功の
鍵となっている。
ちなみにロート製薬も日本の軍事産業だったんだぞw 兵庫県の
ゴルフ場は昔はロートエキスを抽出するための広大な栽培地だった。
ベラドンナ、ロートエキスは大量ならせん妄を引き起こすので
自白剤となるが少量なら三半規管に働きかけて乗り物酔いの薬
となる。戦後、需要が減ったので目薬に改良されている。
ブレイクスルー、技術的な飛躍が戦局を一変する。薬学、火薬、
戦術、画期的な武器、地雷や機関銃、狙撃銃などがそうだ。
ジェット戦闘機の量産が間に合っていたら。ドイツは戦争に勝ってる。
スコポラミン、ベラドンナエキスが自白剤だけではなく乗り物酔いに
効くってことを発見していなければ。連合軍が上陸戦でも負けてる。 >>44
アイゼンハワーも盤石の自信を持っていたわけでなく作戦が失敗した場合の声明も用意してたそうだ
実際上陸が始まって数日後に大嵐が来て、ノルマンディ海岸沖合に設置したマルベリー人工埠頭が壊れたりしてるし 興味も知識もなく開いたが案の定マニアックすぎて笑ってしまった >>3
外様だと意味が違う。そもそも正確な意味での外様という概念は日本でしか通用しない
中津藩士だった福沢諭吉が幕臣になったから外様かと言えば当然違う。れっきとした直参。外様とはあくまで直参ではない人間に対してしか当てはまらない
ロンメルの場合も通常の将校への昇進ルートから外れて中央の作戦に関与出来なかっただけで外様ではない 当時、スコポラミンやロートエキスが「乗り物酔いに効く」ことは
軍事機密とされてきた。成分表なんて教えてもらえるわけがないw
「数時間前からこれを飲んどけ」と言われるだけ。
日本でも水軍が活躍してたが。海賊には乗り物酔いの秘薬がある
と噂されていた。信長や秀吉は水軍の強さや移動速度の速さに
驚いて。姻戚を結んでまでその秘密を知りたがっていた。
植物性のアルカロイドは少量で効くから分析や合成が難しいの。
ほぼ経験則だ。飲みすぎると口から泡吹いて死んでしまう。
ベラドンナやスコポラミンの抽出、分離合成に成功したドイツの
技術は凄かったが「運用や量産」は連合軍、アメリカのほうが巧かった。
軍事機密扱いだったから表に出てきたのは戦後、ずーっと時間が
経ってからだよw ドイツを占領したアメリカ軍が真っ先にやった
のはバイエルなどの製薬会社を抑えることだった。
技術者や研究者の多くがソ連やアメリカに連れ去られてる。その後の
冷戦時代に両国が大国となったのは。技術的な飛躍、多くの研究開発
を独占したから。 上陸作戦の演習のための実戦を英米でいくつか行われたわけで 東大卒が社長になっても、優秀な経営者になれるとは限らない。 >>35
なんで指揮できなかったん?
というか海岸固定だったのでは >>58
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E6%BC%94%E7%BF%92_(1944%E5%B9%B4)
有名なのがディエップだけど、あれの他に英本土で行われたタイガー演習が友軍誤射するわ偶然居合わせたドイツ軍の魚雷艇の攻撃受けるわで多数の死傷者出してる
NHKが今放送してる刑事フォイルでも戦中編でこれがエピソードの一つになってるな 既存の戦車の砲だとフランスやイギリス戦車の重装甲を貫けないことで
とっさに88mm砲高射砲(航空機撃墜用)を水平射撃して対地用に使う柔軟性はロンメルだからこそ 仮にノルマンディー上陸は防げても第二第三の上陸作戦があって
結局防げなかっただろ >>65
まぁゆっくりしてたら結果的にソ連がベルリンを単独で落として
歴史はもっと違ってただろうが >>62
あー勘違いしてた
ロンメルが水際防御論でルントシュテットが上陸後に反撃論だった >>64
別に咄嗟じゃないよ
最初からそういう設計 騙されている人が多いので強調しておきます。
独は対ソに180個師団(1個師団は約2万人)を投入しています。
それに比べてアフリカ戦線など三個師団レベル。桁が2つ違う。
つまりろくに戦っていない、というかどうでもいい枝葉の戦い。
それで勝った気になっている。こうゆう嘘を英米は平然とつきます。
注意が必要です。
ロンメルがどうのノルマンディ上陸がどうのなど
どうでもいい枝葉の戦いを持ち上げてるだけ
★★ドイツ師団の配備状況推移★★
国家名 1941 1942 1943 1944
ソ連 34 171 179 157
仏蘭他 38 27 42 56
フィンランド他 13 16 16 16
バルカン半島 7 8 17 20
イタリア 0 0 0 22
デンマーク 1 1 2 3
北アフリカ 2 3 0 0 >>53
いや、「外様」の概念はそうではない
島津、毛利は外様大名だが、将軍家の直臣であることには変わりない
しかし、老中になるなど幕閣には絶対に入れない家柄でもある
幕府は不思議な職制で、万石以下なら外様的、つまり三河以来でない家柄でも役職につけたが
万石以上だと外様のレッテルがついてしまい
いかなる役職にもつけなくなってしまう
さらに奇妙なのは外様大名の親族が分知で直参旗本になった場合、
その旗本は幕府の役職につけるあたりで
外様大名はその手法で幕府内の情報を手に入れていた > 連合軍の侵攻が予想された1944年6月6日の天気予報が大荒れだと知ったロンメルは、この日の上陸は不可能だと判断し、
> 担当戦域のフランスからドイツ本国へ戻って妻ルチー・マリアの誕生日を祝っていました。
> しかし、のちにアメリカの大統領となるドワイト・アイゼンハワー連合国遠征軍最高司令官は、
> 一時的に天候が好転するとの予報を受けて、リスクを承知で作戦を実行したのです。
> 現場を留守にしていたロンメルは連合軍上陸の一報を聞き、「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」と呟いたといいます。
へー 寝ていた総統閣下を叩き起こすせる度胸のある奴がいればワンチャンスあったのけ? >>72
スペイン内乱に派兵した時にはトーチカ潰し用に88用の徹甲弾を使ってた 後の猫目錠、フェニルメチルアミノプロパンである キリっ >>76
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
なおノルマンディ海岸に一番近かった第21装甲師団師団長のフォイヒティンガーは当日愛人と共にパリにしけこんでいたので司令部には数時間遅れで現れた
フォイヒティンガーは海岸部への進撃を命じたもののすでに橋頭堡を築いていた連合軍の反撃と爆撃で攻撃は失敗し、ドイツ軍は初期の撃退に失敗することになる
その後もフォイヒティンガーは無気力な指揮と汚職を続け、秋にはとうとう逮捕されて一兵卒に降格されるがうまく脱走して戦争を生き延びた
戦後の人生も東ドイツに情報流してたりまあよくぞここまでというくらい汚れてたりするんだよね 近頃、開戦直前に発表された「米英蘭蒋戦に対する服案」通りにやっていたら、日本は勝っていたとか言っている輩がいますが、
日本が開戦する1941年12月8日以前に、ドイツ空軍は英国本土作戦に敗退しており、イタリア軍もギリシャ戦につまづいていて、
1941年には、北アフリカの英国が反撃に転じてイタリア軍を圧倒、ドイツはテコ入れのため、ロンメル将軍のアフリカ軍団を派遣しました。
4月には、東アフリカの植民地が英軍に侵攻され、イタリア軍は敗戦に追い込まれました。
さらに5月には、イラクの反英勢力も独伊の支援にもかかわらず鎮圧されました。
バルカン半島の同盟国ユーゴスラビアで反ファシズム反乱が発生し、枢軸陣営離脱の騒ぎが起こり、その鎮圧のためドイツ軍が出動しました。
これは予想外にドイツの活動に影響を与え、対ソ開戦「バルバロッサ作戦」の発動を遅らせることになりました。
また、バルカン・中東での失敗により、トルコは参戦を思いとどまることになりました。 1940年の夏くらいにマルタを落として、
イタリアの首根っこをもっとしっかり押さえて勝手を許さず、
1940年秋からドイツのリーダーシップで数個軍による攻勢を仕掛ければエジプト落ちてたんじゃないかなあ
仏領シリアを使うのもいい >>1
二正面作戦の時点で失敗
ナポレオン同様ロシア侵攻の失敗 ドイツは1941年12月のモスクワ攻略失敗で終了
その後はもう勝ち目は無くなっていた
他を無視して1本の矢のようにモスクワに突進すべきだった 枢軸陣営の足並みが揃っていないにもかかわらず、
ヒトラーは「バルバロッサ作戦」を発動して墓穴を掘りました。
これにより英国は米軍の反抗基地となり、米国は堂々とソ連に対するレンドリースが行われるようになりました。
日本が参戦して、一寸ばかしインド洋作戦をやった所で、英帝国は揺さぶられたものの、米国の支援を受けている本土は痛くも痒くもありませんでした。 >>80
幸運が重なったんだなあ
そりゃ誰も大シケ予想の日に前線なんて行きたくないだろうけど 仮に日本側が危険を圧してインド洋、セイロン作戦を重点的に行っても、
それは、ペルシャ湾に向けた米国のソ連向け物資を攻撃することになり、
対米英戦に加えて、対ソ戦にも兵力を割くことになって、状況はさらに悪くなったでしょう。 >>85
モスクワ落とすことに成功してても冬季装備が間に合ってない時点で終了
ソ連側に冬季反撃喰らってナポレオンの二の舞
結局作戦自体に無理があった バトル・オブ・ブリテンに勝利することがドイツ勝利の絶対条件だった。
これに敗北した時点でドイツに勝機はなかった。 ヒトラーにせよ、ゲッベルス以下取り巻きの幹部にせよ、その最後に謎が多過ぎる
ロンメルも軍人ならワルサーで眉間に一発で楽に死ねるのに、ワザワザ苦しむ服毒自殺を選ぶのは違和感がある D-Day勝者イギリスもEU離脱とかゆう大自爆を演じ
ふたたびドーバーの向こうへ去っていこうとしている >>75
的外れなレスほど長文になるよな
元のレスを読んで何が論点なのか考えろよ 機雷とか地雷を埋めたりもしてたが、ノルマンディーよりも違う地域に重点を置いてた
連合軍が来た時に無理だと半分以上は引き下がり、上陸地点の5つのビーチの中のオマハビーチだけ強い部隊で固められてた
アメリカ、イギリス、カナダの部隊で構成、オマハはアメリカ軍、上陸を開始するとほとんどが殺傷され、数は忘れたが50%ほどと言われる
反撃が凄くビーチから離れて兵を降ろし溺死、ずぶ濡れで走れない、戦車のほとんどは沈没、イギリスが使ったDD戦車の提案を断り使わなかったなどで被害が拡大
艦砲射撃、空からの爆撃も海岸上の基地に被害はほとんど無かった
ドイツ軍の機銃手は、撃っても撃っても次から次に上陸してくるから怖かったと語り、居残りを命じられたドイツ兵も悲惨なことになった ロンメルの日記を見ると。ノルマンディ上陸後、ドイツ軍は連合軍を追い返すチャンスは
幾らでもあった。
でも。機甲部隊はヒトラー直属の機甲部隊が多く、ロンメルの指揮ができなかったという。
しかも、ロンメルの指揮にヒトラーが介入。脆弱な橋頭保を攻略すべきとしたロンメルに
対して、強大な橋頭保を攻略すべきと言うヒトラーの介入により、ロンメルは充分な反撃が
出来なかったと言われる。その点では将に「悲運の将軍」でもある。 >>95
眠りにつくように死んでしまう毒薬もあったり >>1
記者失格。
二度とスレ立てるな、樽悶
ヘ
ッ
ド
ラ
イ
ン
を
壊
す
な 改めてノルマンディーやレニングラードの動きを見るとはたして作戦一つでどうにかなるようなもんなのかと
度を越した物量の前じゃ小手先一つ変えたぃらいじゃ結果は同じだったんじゃ >>97
WW2のイギリスは自由主義を守るための戦いに勝っただけ
帝国維持も経済力も目的じゃないからな アフリカでは前半は優位に立ったが、
後半でイギリスにボロ負けしてる。
あとは電撃戦でも突出しすぎて、孤立する場面がしばしば。
まあ、結果よければすべて良しなのかもしれんが。 米も強行し不意打ちの判断の割には爆撃地点はずしまくってるし
無駄に損害増やしてしまったというのを知ると
なんかお互い間抜けなことになってて笑ってしまった
お互い手札がみえないからこその面白さだな 総統にのし上がったヒトラーはある意味天才だが
癇癪もちで独善的な戦略は馬鹿げた発想が多く連合軍はずいぶん助かった
もしも早くに暗殺されていたらロンメルのような優秀な部下たちが指揮を執り
相当苦戦しただろう you tube の動画で情報戦に敗れたとか言ってた。
偽情報を信じただけでしょ。 源文漫画で読んだけど、敵の野戦病院に間違えて立ち寄って、ここは占領済だから視察来たんだよの体で去っていく話が好きすぎる
あと敵の司令部が自軍の兵士にロンメルを神格化すんなの伝令とかw オマハビーチの苦戦で再度艦砲射撃、これで味方にも死傷者が増えた
地雷撤去に向かったブルドーザーなどはすぐに破壊され、オマハビーチを走るアメリカ兵は地雷群を走ることになった
上陸した戦車は3台、水没した戦車は30台近く、障害物の無い砂浜で兵はパニックになった
迫撃砲や機関銃の玉が雨のように降り注ぎ、指揮官などほとんどは死傷、命令系統は寸断
ドイツ軍は後方には沼地を作り、パラシュートで降下した隊員の多くが溺死、反撃が凄く目的地よりズレ、バラバラに降下、ドイツ軍の真っ只中に降下もあった
あちこちに連合軍にいたのでドイツ軍は混乱を招いたともある
説によるとドイツ兵はアメリカ兵より1.25倍以上は強かったとあるし、
初期シャーマン戦車はドイツのティガー戦車1台を破壊するのに4台必要で、ティガーの後方に付けて撃ち抜くしか破壊出来なかった
連合軍は圧倒的な人員と物量でドイツ軍を後退させた 全方向からフルボッコにされかかってるんだから、しょうがないだろ。 むしろ、ロンメルがヘッポコだから
西部戦線にいたんじゃね?
東部戦線は絶賛、敗走中だったんだし。
(´・ω・`) ドイツ魔術師「悪天候になれー」
英国魔術師「晴れろ!晴れろ」 >>50
マ・クベに核を使うと言われても無言で前進を指示したレビル将軍みたいだな アポか。
グーデリアンが偶像化を拒んだためにロンメルにお鉢が回ってきただけさ。 ちなにノルマンディに上陸したのは身内が多かったからさ。 >>10
ロンメル本人に近いのはストライクウィッチーズOVA2のロンメル元帥
ttps://i.imgur.com/B96wGe1.jpg >>ロンメル
Q)ロンメルって名将なの?
A)それは疑問です。名将なら対ソ連正面の指揮を執らせたはずです。
ロンメルが活躍したといわれるアフリカ戦線は3個師団レベルの
どうでもいい枝葉の戦い。ソ連正面は180個師団であることを
忘れてなりません。
----
★★ドイツ師団の配備状況推移★★
国家名 1941 1942 1943 1944
ソ連 34 171 179 157
仏蘭他 38 27 42 56
フィンランド他 13 16 16 16
バルカン半島 7 8 17 20
イタリア 0 0 0 22
デンマーク 1 1 2 3
北アフリカ 2 3 0 0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html ロンメルはカメラ好きで、戦場にライカ製カメラを持ち込んで撮影していた
従軍カメラマンの写真とはまた違う迫力に満ちた写真は、宣伝省の格好の
プロパガンダの材料になり、ロンメルの名声を一段と高めることになった
宣伝上手な将軍が出世する、これは米軍も同じ >>102
「追い返すチャンス」なんて、局地戦だけの話でしかない。
上陸した連合軍全体を殲滅する力はなかった。 >>1
毎回ヘッドラ壊すなバカ タヒね
ヘ
ッ
ド
ラ
イ
ン
壊
す
な ロンメルって英雄だけど名将ってイメージはないでしょ
ドイツの名将といえばやはりマンシュタイン >>128
少なくとも軍団レベルの運用は水際立った実績持ってるから名将でいいと思うけど >>130
ロンメルの副官だったシュパイデル西独軍大将が、戦後虚実取り混ぜて「ロンメル神話」をでっち上げたので
シュパイデル大将の証言をどこまで信用して良いのかによる
少なくともヒトラーはロンメルが暗殺にかんでいたと信じこんでいた ノルマンディーではドイツ軍はそれでも随分長期間支えたよ
同時期の東部戦線は見るも哀れな大敗北 >>134 ヒトラーはロンメルが暗殺にかんでいたと信じこんでいた
だから自殺に追い込まれたんだよな タラワ、サイパン守備隊「水際での攻撃で敵を阻止する」
→米軍にやられてあっさり全滅
硫黄島、沖縄守備隊「内陸部で敵を順次攻撃する」
→米軍に大打撃を与える 日本にしてみれば、ミッドウェイ海戦
かな?ドイツがソ連侵攻、春を待って侵攻していれば、無条件降伏せず和平工作で終戦だったかも? 距離的に近いカレーに上陸すると思ってたら不意を付かれたんだろ
今なら衛生とかでバレバレだろうな やる気のある相手だと、孤立した島嶼戦は絶対に防衛側が負ける >>142
でも金門島はどうだろう?
中国対台湾。 欧米に近いせいかノルマンディとか西部戦線のほうが有名だけど
独露の東方戦線の方が投入戦力、戦死者や捕虜、悲惨さが圧倒的に上だよね >>142
>>143
2度目の元寇、弘安の役。
元寇の、15万人の大軍が、
日本軍の迎撃での持久戦と、台風で壊滅した。 >>76
さすがに後の大統領ともなると役者が違う感じだね >>35
装甲師団はヒトラーの許可がないと勝手に移動出来なかったとか。
で、火急の報告時にはヒトラーは就寝中で取り巻きが報告を留めて、投入時期消失らしい。
後、ヒトラー統制のドイツ軍は作戦に必要だけの局所情報しか、該当将軍に情報を教えなかったらしい。 どちらにせよ独ソ戦は冬になる前に決着付けないとナポレオンの二の舞になるのは明白だったし、モスクワを落とせたとしてもレニングラードとか要所は守れないでしょ エニグマ解読された時点でもう何やっても勝ち目ないだろ >>115
アフリカ戦線終盤で過労死寸前の健康状態だったからもう最前線に出せなかった。
肝機能障害と高血圧だったかな? >本国へ戻って妻ルチー・マリアの誕生日を祝っていました。
愛妻家のマイホーム主義の人じゃないか。
開戦予想されてるのに、賭けトランプやって酒を浴びるほど飲んで
二日酔いで宣戦布告を通告するのを遅れた外務省よりマシ 日本で言うと石原莞爾だねえ
兵士に人気があるけど、将官たちには疎まれる
どちらかというと、寡兵と奇襲と夜襲ばかり教える日本の陸大教育に批判的
本筋外れているのにやることは度外れている ベルリン攻防の頃の戦記を読むとハインリツィ マントイフェル ブッセ ヴェンク等敗北必至の戦いでなお努力する姿が名将とも思える そういや日本兵ってどこで死んだのが一番多いんだろか
ヨーロッパだと何十万単位の衝突で大量に死者が出るけど、日本は島嶼戦や
海戦メインだからそんなに人数は多くないよね >>7
田宮のおかげで俺も長い間そうだと思っていた、違うと知ったのは割と最近の話だったw インド洋作戦を重点的に実施して、北アフリカの枢軸陣営を側方から支援したからといって、
イタリア軍が強くなければ、最終的な勝利は得られなかったでしょう。
こうした研究が欠けて、思いつきに等しい論を勝手に進めても無駄ですね。 >>159
1.フィリピン 49万人
2.中国大陸 45万人
3.中部太平洋 24万人
4.ビルマ(インド) 16万人
5.ニューギニア 12万人
6.日本本土 10万人 ロンメルにその権限が無かっただけだろ
戦争屋が戦争屋であることで不当な非難を浴びる必要はない 制空権がなかったから、Dデイの日にロンメルが何処にいようが、ヒトラーが眠らず起きていて機甲師団の移動命令が
即時に出せようが、連合軍の損害が多少増えた程度で大勢に影響はない。 ヴィシー政権にフランス全土を返還し永世中立を宣言させとけばあるいは >>26
モントゴメリーだろ。
砂漠の狐 vs. 砂漠の鼠 上陸する相手には歩兵中心の内陸持久が効果的だがドイツはそういう編成でもなかったし 100 Greatest Generals
https://www.historynet.com/100-greatest-generals.htm
第二次大戦
ドイツ デーニッツ、グデーリアン、マンシュタイン、ロンメル
日本 山本、山下
ソ連 チュイコフ、コーネフ、ロコソフスキー、ジューコフ
アメリカ アイゼンハワー、ハルゼー、ルメイ、ニミッツ、パットン、スミス、スプルーアンス
イギリス ダウディング、ハリス、モントゴメリー、スリム
フィンランド マンネルハイム https://youtu.be/Kn3whADEu4M
↑ヒトラーユーゲントのような少年兵たちが1943年の末には前線で戦わなければいけなくなった時点で
戦争に勝つ負ける関係なくドイツは終わっていた。
子どもを徴兵し戦場に連れて行く国に未来なし。 枢軸国の敗因はイタリアにあるというおかしなフェイクニュースがネトウヨの間で蔓延してるが、
https://youtu.be/uKDGUHcdpzs
↑1932年にこんなアニメ作成できて
https://youtu.be/9xp1m5AQMx4
↑1941年にこんなアニメ作成できる国と戦争して勝てると思うか?
それこそ、ドイツも日本も終戦直前にカラーで長編アニメ作成できても勝てなかったな。 最悪の指揮官もあったので、スレに関係しそうなのを
The Worst World War II Generals
https://www.ranker.com/list/worst-world-war-ii-generals/mike-rothschild?page=5
1.Lloyd Fredendall カセリーヌ峠でロンメルに敗北
8.Bill Rupertus ペリリュー島で日本軍相手に大損害
17.Isamu Cho 参謀なのに入ってる。沖縄戦での反撃失敗 将軍ロンメル率いるドイツ軍がノルマンディー上陸を許したワケ
要約
ソ連やアメリカと戦争を始めた時点でそうなるしかなかった。 ゴルゴ13が枢軸国にいても勝てなかったし、13人いても勝てたかどうかさえ怪しい。
実際ゴルゴ13だって超人ではあるけど神様じゃないし、国連や協力者が助けてくれなきゃすでに10回以上は死んでたし。 フォン・マルクス中将?だったかは確実にノルマンディーと予期してたんだけど、運悪く爆撃されて死んじゃったんだよな。
まあ、生きててもロンメルが具申を受け入れたかは疑問だが。 枢軸国が連合軍に勝つには
原爆を開戦時作成できてたか、音速越えのジェット機か、航続距離1万キロ以上の爆撃機か射程2000キロ超えのミサイルを量産してないと無理。 ピーターの法則そのまんまだな人は無能になるところまで出世する 物量で勝っている方は、何度かミスを犯しても挽回できるが
物量で劣勢な方は、一度ミスを犯すと致命傷になる ルントシュテットとロンメルに指揮系統分割したからだろ。
一本化していれば中途半端はなかった・・・かも・ ロンメルが一番凄いのは友軍のイタリア軍を率いてあの糞みたいな状況から挽回してエジプトまで攻め混んだ事だ。パットンもモントゴメリー、ジューコフでもこれは無理だろ >>75
富がある→武力がある→幕府に反逆する潜在力がある
なので権力は与えない
親藩の尾張紀州にも幕政には参加させてない https://www.youtube.com/watch?v=JsSLPLc93Gk
↑セリョーシュカのような少年兵たちが1942年の夏には前線で戦わなければいけなくなった時点で
戦争に勝つ負ける関係なくソ連は勝っていた。
子どもを徴兵し戦場に連れて行く国に未来があったニダ。
セルゲイ・アリョーシコフ軍曹、記録上、最年少6歳(1942)
スターリングラードの戦いで武勲に対するメダルを授与
https://russian7.ru/wp-content/uploads/2018/04/2-768x553.jpg >>49
ドイツのジェット戦闘機の量産が間に合ってたとして、
一時的に状況が好転するかもしれないが、
それでアメリカに勝てたとは思えないな
やがてアメリカもジェット戦闘機を完成させ
大量生産してドイツを圧倒しただろう >>196
アメリカは民主国家なので人的損害の許容範囲が独ソとは段違いに低いので、
武器弾薬は作れても地上戦の大規模化長期化は難しい。 >>53
慶安の変(けいあんのへん)(由井正雪の乱)とか
紀州が絡んでいる噂があったが
まともに幕府に反抗するのは幕末までなかったのは
幕府の統治能力の高さを誇るよなw >>45
アメリカは欺瞞好きだからね。
ミッドウエー前の暗号解読のための偽の水不足の打電とかね。
大規模なこともいとわない。
無線量とかの客観的指標からも察知されないように、小手先、ポーズだけじゃなくて、偽の作戦に全力投入する。
有り体には、味方もだますよね。
インチョンも、朝鮮半島東岸に引きつけ
しかも、一か八かの賭けばかりじゃない。
D-dayも天候が問題だったそうだけど、気象学者に波高を予想させた。
その時点で波高の予報方法はなかったらしいけど、学者さんは計算式からつくったらしい。
(何かの歴史番組の受け売り)。
一般論として、上陸する側が船で移動と戦力集中させやすいから、というのはあるけど、それだけじゃない。
第二次大戦でこのレベル。
いまはどうなってるんだろうね。 最高司令官が昼過ぎまで寝てて、勝手に軍を動かすと
殺されるとか言うバカ体勢じゃ負けるだろ。 機動部隊を無線で有機的に指揮・統制する
この発想は、米軍のC3Iに引き継がれた。
これはロンメルたち異端の思想
ロンメルは異端児。ヒトラーが引き上げなければ、少将止まり、または中佐で退役。
山本の航空戦と同じ境遇、南雲に「死ね」と言われている。
真珠のとき、無線封止を勝手に破られている。
こういう連中を部下に持たされた山本の悲劇。
海軍乙事件を起こして、機密作戦書を奪われたミスを隠蔽した連合艦隊参謀長なんてのいもいた
後にマッカーサー元帥の副官となったボナー・フェラーズ米陸軍大佐がカイロ武官として視察した時の偵察報告を
(旧式な暗号無線だったので)解読した情報を受け取っていたが、暗号解読班が壊滅して、急激におかしくなった。
エニグマ暗号も米英に破られてしまい、無線指揮が崩壊した。 >>200
そりゃネイティブアメリカン騙し続けて作った国だから 上陸関係なく惨敗だったろ。
こんな国と同盟結んだなれの果てが今の日本。 五十六は戦争をしかけた後に
和平交渉しか頭になかった敗北主義者(笑) ロンメルは家に帰って嫁サービスしてるしヒトラーは寝てるし。
現場はやってられんかっただろうな。 当時ドイツ参謀本部はプロイセンのユンカー層出身者が主流。
名前にフォンがつくのが当然で、マンシュタイン等が典型。
ロンメルは平民出身で、なんとなく主流派参謀達にいつも小馬鹿にされている気分だったヒトラーが対抗馬として引き上げた。
部隊指揮能力は高かったが補給に関する造詣は浅かったとか。 作戦部は本気でカレーに上陸してくると思ってたんだから
ノルマンディーの大西洋岸を要塞化したロンメルは卓識と
言える、といえば言える。 >>197 死傷者(数字は資料により相当異なる)
第2次世界大戦 アメリカ人の死者 43万人(日本200万人)
第1次世界大戦 アメリカ人の死者 12万人(日本415人、80万人動員)
朝鮮戦争 アメリカ人の死者 4万人
ベトナム戦争 アメリカ人の死者 6万人 敵の襲撃リスク見誤って嫁の誕生日会のために現場を離れるてバカすぎだろ ロンメル将軍の北アフリカ戦最大の失敗は、
イタリア軍がやる気になっていた
マルタ島攻略「ヘラクレス作戦」を
アレキサンドリア攻略にかまけて
「無期限延期→キャンセル」にした事です。(´Д`)ザンネン >>146
ノルマンディー成功しなかったら
ソ連が欧州占領してたかもね 快速な機械化部隊で補給線無視して突き進ませたり
戦域クラスの防御計画担わせたりするより
誰かの隷下で勲章貰ったWW1の時と同じ歩兵部隊の将軍やってた方が性に合っていたと思う 明治期の殊に日露戦争を戦った名将とされる
陸軍の大山巌や海軍の東郷平八郎は幼年学校や士官学校・兵学校を
卒業したわけではなく、ロンメルと同じ。
それに反し、昭和期の戦争を戦った士官は必ず士官学校・兵学校を出ているエリート
である、それゆえ関東軍のように中央政府のボンクラの命令なぞ聞かないで
勝手にやったともいえるのだが・・・
ノモンハン事件やガタルカナルの最高責任者の辻政信なぞはそれこそ幼年学校・士官学校
首席卒業、陸軍大学で恩賜の軍刀組であった。 >>208
補給が大事だと軍全体が考えるのは、第2次大戦後と、その前のアメリカだけ。
牟田口の補給完全無視のインパール作戦なんて、当時の常識。
補給持久戦を重視した今村均大将は、例外中の例外。
ヒトラーのモスクワ攻略も、雪だけではなく、現地調達の失敗(冬だもの)
「補給戦: 何が勝敗を決定するのか」マーチン・ファン・クレフェルト(文庫本だから安い) マッキンダーの著作では
ビスマルクをナポレオンと並び称して警戒し
ユダヤ人の欧州からの追放も計画している 「砂漠の狐」、タイトルが可愛いから動物ゲームを想像して買ったんだけど戦争ゲームだった。(´・ω・`) >>217
ノルマンディー上陸作戦は、ソ連軍との先陣争いでもある。
ナチスドイツの負けは決まっていた。
ベルリンでぎりぎり間に合ったが、ソ連に大きくとられた上に、東欧諸国は完全にとられた。 この上陸には色々分からない点が。
・なぜわざわざトーチカの前に上陸したのか(映画:プライベートライアンより)
・なぜ上陸前に攻撃機でトーチカなど施設をピンポイントで破壊しなかったのか。艦砲射撃はしたようだけど。
・そもそも上陸地点をB17あたりで連日爆撃すれば済んだ話では ダンケルクで逃がしたのが悪い
だいたいチョビ髭のせい >>219
ロンメルは非主流派だから普通なら出世が望めなかっただけで
士官学校はでているけどな。 >>3
外様はまた違うけど
アウトサイダーは要らんな。
そのまま部外者で十分。 >>225
やったけど、全部外してた。
あの頃の爆撃照準器は平気で500メートル
くらいズレる。そして無傷のまま、上陸戦。
地上構築部を制圧したのは結局、艦砲だったろ。 ヒトラーが軍事に出張らずにデキる人に任せてたらどうなってた? >>226
宋襄の仁というか、発想がホモなんだな
偉大なる欧州への郷愁からイギリスに甘かった >>226
モントゴメリーが大活躍してたからな
マチルダ2は、当時バカにできない性能 >>231
どの段階で?英仏に宣戦布告された時点でまず取り返しがつかないんだが。 >>234
イタリアと日本と組んだことが既に終了のお知らせだったな
イギリスと組まないと >>220
英軍も、豪軍も補給重視やってたやん
ニューギニアでは豪軍は補給できるまで進撃しなかったが
その代わり物資不足のはずなのに猛弾幕を日本軍に浴びせて勝った。 >>2
イギリスの歩兵戦車を対空砲の平射で撃ち抜いた名将
戦術的には有能な指揮官 イスラエル占領してホロコーストする気なかったのかね >>100
>>113
おもしろかった
戦争はどこの国も無駄死にさせられる人がいてほんとうにかわいそう 旧ドイツ軍の縛りのせいで、ロンメルやルーデルが大活躍する映画とかが全く作られないのが残念 独ソ戦は地獄もいいところだったんだろね
ノモンハンでソ連と戦った日本軍兵士や青年将校の手記を見ると、
「厳しい予想をしていたとはいえ、その想像を遥かに越えた凄まじく苛烈な戦闘の現実が待っていました」と書いてた
これを無茶苦茶スケールアップしたのが独ソ戦 アフリカ戦線で派手に大暴れしたけど
少ないドイツの資源を消耗しただけだったしな。
一般受けはするだろうけど指揮官としては無能だろ。
資源で劣るドイツで一番やってはいけない事やったのがこいつ >>247
物資ないので帰っていいですか?ってヒトラーに電報うったら
死ねって帰ってきたのにか? どんなに優秀だったとしてもアメリカの物量作戦に負けてただろノルマンディー
それ以前のソ連侵攻で戦力使い果たしてるし >>249
ヒトラーは弾薬があるうちは撤退するなと言ってるはずだが
逆に言えば弾薬がなくなれば後退は許される。
イタリアにおけるケッセルリンクの防御戦こそ評価されるべきだと
思うけど素人の一般人にはロンメルが魅力的なのは仕方ない >>200
てか日本の失敗の要因は、珊瑚海海戦とミッドウェイ海戦で奇襲なのに
なぜか都合よく米機動部隊が対艦装備を装備して待ち受けていたこと
ここに疑問を持っていればその後の話は変わっていたかもしれない >>250
流石に大規模上陸作戦を何回もやり直すには時間も金もかかる。
第一波で撃退できていたら歴史も変わっていた可能性はある。 弾薬が尽きたら撤退も許されるナチスドイツ
弾薬が尽きたら銃剣突撃による玉砕をさせられる大日本帝国軍… ノルマンディーで有利に戦って連合軍を多少足止めできても、ソ連軍にボコられるだけなんですよ
ソ連のドイツ入りが早くなったら戦後はもっと悲惨だったかもしれんぞ
ロンメルに落ち度はあったかもしれないが、大活躍した所で大勢には何の影響も無い >>9
ヤンは大した情報も無いのにラインハルトの戦略読みまくるチートですからなあ
実権握ってたら勝ってたわ ヒトラーはあちこちで現実無視の死守命令ばかり出して、撤退の機会逃して全滅するとこだらけになったけどな。 >>255
ソ連は人と戦車と航空機と火砲はたくさん作ってたが、
トラックや一般軍需品等はレンドリース頼りだったからなぁ。 >>215
イタリアのやる気なんて、普通は信じない ロンメルといえど、モントゴメリーに「いつものやつ」を
完全に読まれて、迂回を遮断されてほぼ全滅してるんだけどな。 >>255
ソ連軍ってスターリンに粛清されまくったわりに
立ち直り早かったよな 兵隊送るの遅くて後方ががら空きだったからじゃないの ドイツ元帥Best10
https://www.thetoptens.com/wwii-german-field-marshals/
1.Erich von Manstein
2.Erwin Rommel
3.Heinz Guderian
4.Gerd von Rundstedt
5.Albert Kesselring
6.Fedor von Bock
7.Walter Model
8.Wilhelm Ritter von Leeb
9.Gunther von Kluge
10.Wolfram Freiherr von Richthofen >>49
薬品で言えば、ペニシリンの有無がでかかったと思うが
>>238
ラーメンっぽいw
>>254
銃剣突撃をしてたのは、中盤まででは
>>222
フェネックギツネかよw 大西洋防衛に失敗した後は、何故か総統爆殺未遂事件に
連座して、自死させられる。 >>279
レンドリースによる優秀な装備と
政治局員による督戦の成果
督戦は成果は大きくなるが犠牲も凄いことになるので
東部戦線ではドイツの戦術的勝利とソ連の戦略的勝利が一般的な局地戦の結果だった >>268
ボドゲのタイトルでロンメル以外に良く耳にする
マンシュタインとグデーリアンとクライスト
すぐごちゃごちゃになる 日本も、余裕がある時は撤退させてたけどね
ガダルカナルやキスカ
ウンコを食べる韓国人は、民間人を撤退させないように橋を爆破する >>263
大量に死なせた結果生き残りはアホほど経験値吸ったw
戦死者は総人口の1割を超えて
戦後にベビーブームどころか少子化したほど
シベリア抑留された日本兵も
「ロシア女には勝てなかったよ」で残る人が大勢いたぐらいに
男が大量死したw アフリカ作戦ははっきり言って不要な作戦
当時のドイツとしてはイギリスを落として、アメリカによる反攻の足掛かりを無くすのと、
ロシア南部の油田地帯を確保すれば勝ちだった
イタリアの変なやる気に引っぱられた挙句、タダでさえ充分とはいえない戦力をアフリカに
割くことで、ドイツは敗北した Karl Dönitzも優秀な元帥ではあったが海軍は装備整える前に戦争に突入したからどうにもならんかった >>262
イタリアの将校が英軍の女スパイのハニトラに引っかかって
セックスの後で爆睡しているすきに重要書類を小型カメラで
撮影されたせいで第21装甲師団は裏の裏をかかれて
壊滅したな。 ヤークトパンターがなぜロンメル戦車に。
タミヤが悪い。 >>265
ジューコフ回顧録面白いよね
ドイツが侵攻してきたときのスターリンのドタバタぶりとか >>220
ソ連軍も補給をメチャクチャ重視してたぞ
ジューコフ将軍とか補給と兵站の鬼 北アフリカ作戦は、イタリア軍が緒戦から負けていたので、
仕方なく増援の兵力を割いてやったものだ余。
(´■`) <4月30日には思い出しておくれ余。 >>283
ほんのちょっぴり侵攻したろw
グラツァーニさんがさw いっぽうで硫黄島の狐は自宅の台所の修繕を気にしていた >>276
アフリカ戦線はイタリア支援以上の意味は無かったので
イタリア→オーストリア経由でドイツが危険にならない速度で遅滞していればよかった
中途半端に勝って「スエズまで落として英・印間の連絡絶てるかも」って言いだすのは
無能で勤勉な行動だったかも 枢軸陣営が、エルアラメインで勝っていたとしても、
1942年11月初旬には、米軍が北西アフリカに上陸していたので、
結局の話、勝ち目はありませんでした。(´Д`)ザンネン 上層部はカレーが上陸地点だと誤認して、ロンメルの意見が十分反映されなかったんじゃなかったのか 妄想だけど、ソ連陸軍とアメリカ陸軍が真っ正面から戦ったらソ連陸軍が勝ちそう
ソ連のカチューシャの雨嵐でアメリカ兵は発狂して戦線放棄するんじゃないかなと >>294
前提条件ってものが様々だから一概には言えんが、
45年中に激突するなら長期的にはソ連に勝ち目はない。 >>294
戦勝パレードでIS-3を見た西側諸国首脳は度肝を抜かれた。
ドイツとガチで地上戦を続けてきた国は伊達ではない。
でもソ連はアメリカのレンドリース含めての戦力だったから
そのまんま全面戦争したら局地勝利した後に全壊だろうね。 もともと防備の薄いところに上陸する予定だったが潮で流されて、一番守りの堅いところにあがった
事前の爆撃は天候が悪くて全然ドイツ軍陣地にあたらなかった
揚陸艇に載せた戦車は艇が浸水して大半が水没
作戦前に豪勢な食事振る舞ったらみんな船酔い
結局、物量で押し切った(`・ω・´)シャキーン 別に最高責任者じゃないのにこういうセリフがでるってのが違うね〜 >>294
軍の機械化が一番進んでたのはアメリカ陸軍
あとソ連は米英のレンドリース(主にトラック、ジープ等の大半)で
機械化部隊の不足分を補完してたので
それ差っ引けばソ連は人馬輸送に依存して機動作戦が機能不全に陥る >>300
牟田口閣下なら「俺は悪くない」だろうからな〜 >>274
今のロシアに過去の痛みがたまってないはずない >>276
おっと、砂漠でパスタ茹でる水がなく負けたイタリアの悪口はそこまでだ! >>262
>>202
ロンメルは、暗号解読部隊の壊滅と
暗号解読電文を英軍に奪取されて、フェラーズ大佐を移動されてしまい、相手の手の内を読めなくなった。 ロンメルは連合軍の上陸地点をノルマンディーと予想して、連合国空軍力を考えて配下の装甲師団の戦略機動を諦めなるべく前進配備しようとしたんだよな。
だが、西方総司令官のルントシュテットは敵の出方を確認した後に装甲師団群を戦略機動させて叩く保守的な方針だった。
ヒトラーにはロンメル同様に上陸地点はノルマンディーとの予感があったが、ルントシュテットに対しても尊崇の念があり、両者の折衷案として史実の部隊配置となった。
徹底してロンメル案通りなら、連合軍は橋頭堡の拡大が出来ず、狭い地域に閉じ込められいくつかの上陸拠点は奪回され戦線膠着してしまっただろうと言われている。 単純に物量の差。
連合軍はオマハとユタの2つの上陸地点を同時に侵攻した。
オマハビーチでは、待ち構えていたドイツ軍に損耗率80%を超える大敗北を喫したが
ユタでは、ほとんど無抵抗で上陸。 >>282 >>220
結局補給戦を重視した米英ソの勝ちか。納得。
後進国の日独にはそれだけの資源と工業力がなかったし、
発想もなかった(無いなりに工夫するのではなく「大和魂」で解決しようとした)
(ドイツには工業力はあった。日本には両方無かった)
満州国の工業力(と麻薬力)は貴重だったが、ソ連の侵攻でアウト。
パラオのアルミは爆撃でアウト、南方の石油は輸送船団が無かった。 北アフリカに送った前線兵力は数個師団でしかないが、そのために必要とされた兵站力は東部戦線の一個軍集団用に匹敵したそうな。 北アフリカは東部戦線より遠いからね。
海もあるし。
マルタの英空軍に散々やられた。 >>313
ドイツには東部戦線を戦略的引き分けに持ち込めるだけのチャンスはあった。
日本にはハワイを攻略する実力さえなく、いずれアメリカが講和を乞うてくるだろうという
アホな思い込みで開戦した。 日本にしろドイツにしろなんであんなに軍事力、軍事予算あったんですか?
世界の列強相手に数年持つ強大な軍事力が不思議。
やたら巨大な艦船、潜水艦、戦車、戦闘機開発して、何百万の大軍を戦闘させている。 >>317
日本の昭和初期でも国家予算の半分、戦時には八割近い予算を使っていたから。 ドイツは無駄な侵攻多かった気がする。
北欧、ユーゴスラヴィア、ギリシャ、北アフリカ戦線なんて攻める必要ないのに敵増やした。
そのくせ、モスクワ直前で侵攻停止。ドイツ人の老人の多くは「あれが不思議だった」と言っている。
ちなみに第1次大戦でもドイツ軍はパリ直前で侵攻停止。先鋒部隊はエッフェル塔が見えていた。 >ドイツには東部戦線を戦略的引き分けに持ち込めるだけのチャンスはあった。
一応1943年の春にトルコ仲介で独ソの停戦交渉があった
(第三次ハリコフ攻防戦でドイツがソ連を押し返して戦線膠着の頃)
だが、ヒトラーが占領地からの撤退を受け入れなかったので
丸っきり交渉にならずご破算
あと、米英がソ連の単独講和を嫌がって横槍入れたのも影響 >>317
日本は北朝鮮みたいな先軍政治やってたからね
国内のリソースを軍に全振り
でも技術力と工業力で米英独ソに大きく負けていたから、
銃、銃弾、砲、砲弾、戦車、航空機用エンジン、輸送用トラックのクオリティが低い上に数も少なくしか作れなかった 戦場でいくら連戦連勝しても、米英ソに同盟組まれたら勝ちようがない。 >>319
マイナス40度の極寒で、エンジンオイルも潤滑油も凍り付いて
戦車やトラックが全く使えなくなり、前線の精鋭部隊が壊滅した
一言でいえば運が悪かったんだよ ドイツが勝てる可能性はあったと思う。
@モスクワ占領したら、ソ連軍の指揮系統崩壊、戦意喪失。
A最新ロケット開発の成功。
Bジェット戦闘機開発の成功。
Cダンケルクの捕虜捕獲に成功。
D真珠湾攻撃後に、米国に宣戦布告しない。これが一番重要。
ドイツ人の科学技術、戦闘能力なら、ソ連、英国は同時に打倒できた。 >>323
何十年に一度かっていう冬将軍だったらしいし、
極東師団の移送も冬には間に合ったしね。 https://www.youtube.com/watch?v=OFzdleJarI0
その日の朝、ノルマンディーに建つ監視所で何時ものように海を見ると、
水平線を埋め尽くす船、船、船、船、船…
見渡す限り広がる連合軍の大艦隊。
こんな化け物相手に誰が何をしようが勝ち目は無い。
とは言え、ブレグジットでホンダがイギリスを撤退するだのしないだのと騒ぎになったのも
遠因はこれ。
敗北した枢軸国側は軍事産業、特に航空機の研究開発が禁じられて
優秀な技術者が皆自動車産業に流れた。
その結果、戦後の枢軸国では自動車産業が爆発的に発展して、
質量ともに連合国側を圧倒するようになった。
皮肉なもんだ。 連合軍はアーヘン越えた辺りで息切れ起こしてしまった >>324
ダンケルクで素直に英兵を殺すか捕虜にすれば連合としての英なんて無くなっていたかと。
独英同盟なんて甘い考えで止めたヒットラーの失策だわさ。 >>319
シベリアのソ連軍が大規模支援。
ドイツ首脳は日本が何らかの裏取引をしたのかと疑い日本に問い合わせた。
尾崎ゾルゲのスパイ活動の成果。 >>329
チェンバレンとチャーチルの違いを分かってなかったんだろうねぇ。 >>324
モスクワを落としただけでロシアに勝てるなら、ナポレオンだって勝ったことでことになるわな
スターリンらソ連首脳は政府の疎開の準備も進めてたし、工業の疎開も進んでいた
どうやったってドイツはソ連に勝てないよ
国としての基礎体力が全然違うもん
ソ連もT-34とか前線のドイツ軍を驚愕させるような兵器を作れるような技術と、それを大量に生産できる工業力があるんだもん
例えばドイツのティーガー戦車が強いと言っても数が少ないからどうしようもない >>329
ただ、ヒトラーの人種論から言えば
アングロサクソンはドイツ人と同系統に位置する民族なので
根幹部分でイギリスとの戦争はあり得なかった
その逆が東方への生存権拡大、つまりスラブ民族(ロシア)の絶滅、殖民思想 >>332
疎開は進めていたが、当時は色々な機能がモスクワに集中していたのも事実。
スターリンと閣僚だけ逃げ出しても官僚機構が全滅したら国は動かんし。 >>332
>前線のドイツ軍を驚愕させるような兵器
カチューシャのことか?
https://jp-rbth-com.cdn.ampproject.org/v/s/jp.rbth.com/document/5af188e085600a13120e1bc1/amp?amp_js_v=a2&amp_gsa=1&usqp=mq331AQCCAE%3D#referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fjp.rbth.com%2Fhistory%2F80158-katyusha
>「ソ連軍のロケットランチャーの火を見て気が狂う者が続出した。」1941年の赤軍の反撃に際して書かれた報告書で、捕虜となったドイツ軍のある伍長はそう述べている。恐怖の「カチューシャ」のことだ。 有力な工業地帯のウクライナの占領に失敗してんのにドイツに勝ち目ないだろ まあ、いずれにしてもだ。
第一次世界大戦で負けたドイツを欧州はいじめ過ぎた。だから逆ギレした。 そもそもヒトラーも軍人歴は長かったけど
美術学校を希望してたから文系だったし
プロパカンダの父は元証券マンで
そこでクビにされた恨みからユダヤ嫌いになったとか
ナチスっていま総括すると色々笑えるんだよな >何でスターリングラードじゃなくてモスクワにまた攻撃しなかったの?
二年目のモスクワはもはやガチガチに固められてて
電撃戦の衝力が失われた段階じゃ攻め切れないって判断
ではその赤軍の補給線を寸断し締め上げようって考えから
南方のスターリングラードからコーカサスへの戦力集中 つーかそもそもドイツは金持ってないんだよ
最初の方に併合したオーストリアとチェコの
隠し資金と金塊を使って自国の軍事企業を稼働させていただけで
最後の方は資金が尽きて原爆の開発も頓挫してたからな
ロシアも金が無くてロマノフ時代の抑えた美術品とか宝飾品を海外に売ってた
この段階でアメリカが国民に戦時国債を売って遅れて参加してきた時
ロシアがヤルタ会談を経て戦後の話を付けて連合に加わって来たし
まあロンメルどうこう抜きにしてもドイツは何れ負けてたよ ドーバー海峡を挟んで、対岸が目で見えるくらになのに
今日は天気が悪いから仕掛けてこないって、なんでそんな事思ったんだろう。
天下の名称が。 ヨーロッパのことはよくわからんな
だからあれほど山の上に陣取ってはいけないと諸葛亮先生が ドイツ軍が負けたのはイタリア、日本と同盟組んだせい。
@北欧、ユーゴスラヴィア、ギリシャ、気アフリカに侵攻しない。
A日本を見捨てて米国に宣戦布告しない。
これだったらソ連に勝てたと思う。 付け加えると
今のAIIBとか中露とかのことも同じだよ
AIIBは貧乏借りて倶楽部つーのはそこなんだ
借り手が多すぎて中国みたいな為替の歪な市場が嘘んこの国では維持出来ない
結局中華の東インド会社状態になって焼き畑になっているだろ
だから中国と米国がガチで戦って長引けば借り手軍団はチリジリの焼き豚なのだよ
中国には貧民が多過ぎるからな
人口が多いけど総中流では無く、田舎のど貧民食わせないと内乱が起きる
そんな中国が米国に対抗するのはまあ無理なんだよ
それが戦争という物の現実だ 日本でも世紀の替わり目くらいまでパウル・カレルの「バルバロッサ作戦」や「焦土作戦」などの第二次大戦物は軍オタのバイブル扱いだった
その後カレル(本名パウル・カール・シュミット)が元親衛隊員で戦時中に外務省のホロコースト隠蔽に関わっているという後ろ暗い過去を持ち、戦後も右翼の大物や軍の再建を目指す旧国防軍軍人とつながりがある胡散臭い人物だったということがわかってきた
旧軍関係者の広めたいわゆる「白い国防軍」神話にもカレルが協力していたとも言われてる
肝心の著作についてもドイツ軍の蛮行についてほぼ沈黙してたり、そもそも資料の出典がない信頼性のかける内容だという批判があって、現在のドイツでは資料価値のない通俗読み物みたいな扱いになってる
こうした事実を日本で紹介したのが>>1の大木毅氏で、論考の発表当初はカレルの評価が厳しすぎるという論争もあった
まあ今では「パウル・カレルの本好きです」と軍オタに言っても生暖かい笑みを浮かべられることになる お前ら無知な田舎者に教えといたるけど
宇宙戦艦ヤマトのドメルはロンメル将軍がモデルやからな
よう覚えとけや >>332
ソ連政府は「ジグリ」の巨大地下壕に疎開していた。冷戦時代も準備は整っていた。
地下鉄を通っていける、秘密の飛行場も、モスクワ郊外にあった。
ジグリ・・当時近くのの地名としてはクイビシェフ、現在はサマーラ。モスクワの東南東700kmで安全。
ジグリ山塊・・巨大な一枚岩(ウルルみたいなもの)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%B0%E3%83%AA%E5%B1%B1%E5%A1%8A
WIKIなど、ネットでは情報を探せなかった。
(もしかして初めて? 日本語の公刊れている本からの記述です。暗殺者を送り込まないでね) >>339
水木しげるの「劇画ヒットラー」おすすめ
立志伝としては面白いんだよね。国自体めちゃくちゃな状態だったし 独参謀本部に、ハイルヒトラー!の敬礼を持ち込んだのがロンメルだと言われている。
国防軍幹部の間では、ケッ、ババリアの伍長風情が偉そうに、みたいな空気があったが
親ナチ派として頭角を現した。
≫1にもあるが、ハッタリが好きな人だったんだろう。 >>317
「ヒトラーの財政的魔法使い」HGヤルマー・シャハト博士が新思考のケインズ政策(の先取り)をやって
資金を作った(ルーズベルトはとケインズは後追い)。
(金塊の品位を落とすという馬鹿な真似もした)
日本は、イギリスの三角貿易みたいなものと、軍票を利用した。
第2次大戦では英米を敵に回したから、資金援助が得られなかった。 ロンメルはヒトラー暗殺計画関与を疑われた
彼は独のみならずイタリア機甲軍団にも慕われているよ おれの中では食堂車でビーフカツレツを食べるだけの人 ロンメルは軍人でヒトラーは政治家
アフリカ戦線でのロンメルの活躍は神 >一時的に天候が好転するとの予報を受けて
こんないい加減な理由で兵士突っ込ませたのかよw 硫黄島の戦いとかも
日本兵は食料弾薬の兵站もなく、飲まず食わずで籠城
取り囲むアメリカ兵は、淡水化装置でお風呂にも入れる
コーラも支給されるお菓子も食べれる。休憩もあるしなんでもある
戦うならアメリカ軍で働きたいな >>359
敵前上陸なんて、そんな乾坤一擲の丁半博打。
仁川みたいに上手くいく事もあれば、タワラみたく大被害が出すこともある。 >>359
アメ公は数に物をいわせてわりとそういう無茶するイメージある >>360
米軍とソ連軍だけ慰安所を設けなかったので駐屯地周辺の性犯罪率が高かった。 >>361
潮の満ち引きがあるから一回延期すると半月、1か月後まで待機になる。
ドイツのソ連侵攻同様に冬までは1日でも日数がある方がいい。 >>357
神ならば負けない、軍ヲタをしていれば理解出来るがロンメルは戦術家であり大戦略を担う将軍ではない。 >>359
キスカ島撤退作戦では、木村昌福少将が,
帝大生だった橋本恭一少尉の進言で突っ込んだ >>365
戦術家が下で、戦略家が上というのはすこしひっかっかる。
「神は細部に宿る」
エニグマ暗号は「最初に、鍵を2回繰り返してつける」という馬鹿な設定(実装)のせいで解読されてしまった。
1回だったら、今のPCでも解読できないだろう(2回なら何とかなる)
「戦略の失敗は、先述では取り返せない」という事は承知している。
「失敗の本質」は、戦術の失敗に焦点を当てている。 >>346
大木評も反動的なバイアスがかかりすぎ
>「白い国防軍」神話にもカレルが協力していた
西ドイツの国策に従っただけじゃん何が問題なんだか(欧州価値観では)
他にも「プロホロフカでは戦車戦などなかった」とかの極論とか
山崎共々片付いてもらいたい >>365
ヒトラー伍長の部下にはちょうどいい。
俺は電撃戦の概念と実戦をほぼ一人で作り上げたロンメルを尊敬する。
(ドイツ語が不得意なので、日英語情報数冊だけだけど) >>370
でかい釣り針だな
電撃戦の祖と実践者はグデーリアン
ロンメルは歩兵将校だったがポーランド戦=最初の電撃戦後に望んで装甲部隊に転進 戦略は正しいから勝つのだが、戦術は勝つから正しいのだ
だから、まっとうな頭脳を持った軍人なら戦術的勝利によって戦略的劣勢を挽回しようとは思わない
いや、正確にはそういった要素を計算に入れて戦争を始めたりしないだろうよ ロンメルは貴族の出でもなかったし、国防軍主流のプロシャ人ですらなかった。
言わば叩き上げで、それ故ヒトラーに可愛がられ警護部隊を任された。
先に言ったように、国防軍にはヒトラー嫌いが多かったから。
北アフリカのロンメルの活躍も、ナチの宣伝の要素も多かった。
最後は、ヒトラー暗殺未遂の責任を取らされて自殺するが。 ヒトラーは守護霊?の忠告でことごとく暗殺回避したって見たんだけどこれはマジのオカルト?プロパガンダ?
ルーデルやシモヘイヘみたいに異常に生存したのを見ると世界に加護されてるのかと時々思う >>361
仁川上陸作戦の時のLSTの操船に日本人船員がたくさん参加してたんだっけ >>99
変な用語を使わない方がよいことだけはわかる あり得る。
海岸の状態を米兵以上に熟知していた。
何しろ、数年前まで日本だったんだから。
旧海軍の掃海部隊が活躍して戦死者まで出しているが
地上戦でも、参加した旧日本兵がいたかもしれない。
同じころ、ベトナムでも旧ドイツ軍兵士が外人部隊として参戦していたから。
日独とも、50年代は貧しい敗戦国だった。 >>308
一方、ジャングル地帯に潜んだはずの我が日本陸軍は、米を炊く煙で敵に存在を捕捉されていたorz
まあ、その時点ではまだ食料があったということにはなるが。。。 ドイツの先頭車両という以外、本人と何も関わりない
ヤークトパンターにロンメルの名をつけて売ってた田宮模型
ロンメル将軍の組み立てプラモや
ロンメル将軍と部下のフィギュアがセットになったV号戦車とかも売ってたな >>1
上陸作戦は上陸する側が場所を選べるし上陸しても失敗しにように兵力も集中する
だから上陸作戦は普通失敗しないんだよ
ロンメルがどうとか関係無い >>385
九十九里浜みたいな広―い遠浅の砂浜があれば、好きなところを選べばいい。
実際は、上陸作戦が可能な場所は限られている。
それに天候や海象、季節や時刻など諸々の条件が加わる。
守備側はポイントを絞れる。
事実、オマハビーチは大被害出した。 >>386
ポイントといっても1カ所だけには絞れないから必ず兵力が分散する
よって確実に上陸される
大被害は計算の上ですよ 大日本帝国と中華民国の戦争は最終的に、中華民国の国家主権が完全否定される形で終結した。
日華平和条約を結んだ中華民国はその時点で国家主権無き亡命政権だったからだ。
この点、戦時の一時期は亡命政権でも、終戦時には主権国家となっていた自由フランス政権とも異なる。
対日戦争では聯合国の一員である中華民国が国家主権を失った状態で終戦したのである。
アジアの“歴史の政治”
アジアの状況も、それに劣らず興味深い。そこにも、ニュルンベルク裁判に似た裁判があったが、
欧州のように道義的政治的一義性が獲得されることは、決してなかった。
https://jp.rbth.com/opinion/2015/09/02/394013
連合国vsナチスドイツ+枢軸諸国→ポツダム協定で完全決着
連合国vs大日本帝国→未決(そうでないなら台湾の帰属先は?)
1945年9月2日を『無条件降伏』と呼ぼうが何と呼ぼうが、戦勝国合意が全く形成されなかった。
聯合国が勝利したとのことなら戦後の世界秩序も勝利した聯合国が決めて然るべきであろう。
しかしながら台湾の帰属先は未定のまま、つまり聯合国は国際法上、大日本帝国に勝利していない。
大日本帝国と中華民国の戦争は、大日本帝国が中華民国のチンピラゴロツキ3500万を斃し、
その国家主権を丸ごと剥奪して亡命政権にした状態で、1952年に日華講和条約を成立させて終結した。
異論があるなら何なりと! >>387
ノルマンジーの2年前のディエップ、ww1のガリポリの戦い
我が国の元寇も上陸作戦を阻止した例といえる。
特に、弘安の役は少ない軍勢で守備と奇襲で反撃して勝利した好例。 ヒトラーのお気に入りで元帥になっただけでカイテルと同じようなもん >>346
でも『バルバロッサ作戦は祖国防衛戦争』とか『アウシュビッツはソ連の捏造』とかは書いてないぞ? そもそも何故英仏はドイツに宣戦布告したのだろう?
ヒトラーは元々東への領土拡大を言っていたわけで、両国の脅威はない
世界の警察官なんて考えもなかっただろうに >>383
世界で一番プラモになった回数多い人物はロンメル将軍説 >>324
>ドイツが勝てる可能性はあったと思う。
>@モスクワ占領したら、ソ連軍の指揮系統崩壊、戦意喪失。
劣等スラブ人種を根絶しとくべきだったのか? >>1
自分を大バカ者だと反省するだけマシ。
売国奴自民党の政治家どもを見てみろ。
失政をまったく認めないから未だに失政を繰り返す。
さすが旧日本軍の子孫だ。 ウィンナ・シェニッツェルが好物だったことを村上春樹の本で知った。
関西行って初めて牛カツ食った時はロンメル将軍になれた気がしてプチ感動した。 1943年のタラワの戦い
太平洋戦争で、ギルバート諸島上陸を図った米軍3万5千に対し、日本軍は5千。
結果的に上陸作戦は成功し日本軍はほぼ全滅したが
米海兵隊は日本軍の奮闘で1000以上の戦死者を出し、タラワの悲劇と語り継がれている。 >>392
ポーランドと同盟関係だったから
ポーランドに侵攻したことで、自動的に英仏とも戦争状態になった ロンメルは、クーデター計画に誘われたんだが、断った。
だけども、関与を疑われて自決させられた。
失敗しても参加しておけばもっと名声を得ることができたんだよ。
この点が最大の大馬鹿もの。 率先垂範って自分が先頭で戦ったってこと?ゴミ野郎じゃんそれ
そんなことしたら全体をコントロールする仕事自体を自分から放棄してることになるから
どんな仕事でも統制するやつが一番やっちゃいけないことじゃん そうだったのかー
ポーランドを攻めたら英仏が参戦して
日本が真珠湾攻撃してアメリカが参戦
計画が狂いまくりだな >>401
でも牟田口閣下みたいに後方で芸者遊びばかりじゃあ部下の士気は最低になるぞ キツネ「全軍、突入せよ」
ttp://image.blog.livedoor.jp/laba_q/imgs/6/0/607e7997.jpg なんだかんだいって優秀だったから名前が残ってるんだなぁ >>400
あれはもうヒトラーが強運だったとしか
爆弾の位置が偶然ずれたため助かった
間一髪だった 交代できるアメリカ兵と違いドイツ兵に休みは無かった、皆が消耗し憔悴してた、重厚で強い戦車も故障すると部品調達が難しくなった
あのビーチの崖上には巨大な大砲がいくつもあると懸念した連合軍、だが大砲の建設は遅れていた
ドイツ軍は上陸作戦の少し前に精鋭部隊を配置、そこがオマハビーチで連合軍は弱い部隊しか配置してないと考えてた
それを現地の仲間が伝書鳩を使い連合軍に知らせようとしたが、二羽とも撃ち落とされたとある
上陸作戦には大被害を被ったアメリカ軍だが、あれ以上の被害を想定していたとあるし想定内、死傷者は実際もっと多かったとする説もある
フランスでは女性を襲い、現地の人から警戒もされた
ドイツは空軍が虚弱だったのも痛かった
イギリス本土を攻撃されたチャーチルが、アメリカさん今回も頼むよとなり、ユダヤ人も迫害されアメリカにいるユダヤ人達もそれを後押し
日本の方は満州鉄道絡みでアメリカが割って入り日英同盟は解消、インドシナのイギリス領に日本軍が侵攻するかもとなり石油の輸入などもストップ
このまま飢え死にするか戦うかの二択を迫られ戦う方を選択、日本が真珠湾を攻撃してくるのは分かり切っていた
島を守る日本兵は食料も無くなりガリガリに痩せ、その多くが病気で亡くなった、中には人肉を食べて生き延びた話も残ってる >>206
陸軍主体の大本営の馬鹿どもの手前、開戦後半年間は有利に戦うからその間に和睦しろと言ったんだよ。
国力が20倍ある国に勝てるわけがない。 >>400
ぶっちゃけ、クーデターに参加してたら「裏切ったあげく暗殺失敗した悲劇の無能」って評価になってた気がするぞ... >>401
別に無駄に前に出ていたわけじゃなくて一番状況が良くわかるからなんだけどな。
とりあえず戦死してないんだから上手くやりおおせたということでいい。 >>401
ロンメルは戦場がどういうものか実戦によって熟知してたんでしょう
率先垂範は相手が構える前に飛び出すとかえって攻撃を躱せる
実戦で培った勘のようなものが働く人だったんでしょう アイゼンハワーは父方がユダヤ系だから情報が集まったんだろう D-DAYの上陸部隊ビッグレッドワンも率先垂範じゃなかったのかな 陽動作戦であることを理解できずに大はしゃぎして本作戦を遅らせてしまい、ドイツ参謀本本部からは「あの馬鹿早く戦○しろよ」と言われていたヒトラーの腰巾着 牟田口を見よ
作戦指揮官として現地には全く疎かったやつだ >ロンメルは率先垂範に努め
ロンメルの場合は最前線付近で指揮を執ったということ、あくまでも指揮官としてふるまった
それじゃ将官のくせに兵士と一緒に部隊の先頭に立って突撃しまくった人物はというと
日本軍は牟田口廉也、マレー作戦のとき師団長(中将)だったが、銀輪部隊の先頭に立って突撃を繰り返した
アメリカ軍はダグラス・マッカーサー、第一次世界大戦のとき旅団長(准将)だったが部隊の先頭に立って戦い
旗手が倒れると自分が旗を掲げて突撃した >「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」
とはいえロンメルが強行した水際要塞での決戦戦略は、参謀本部の貴族軍人たちが考えてた
装甲部隊による内陸での機動防御戦略よりは正しかったと思うがね
防御資材の不足を知恵で補う工夫の数々も中々のものだった
1万機を投入する連合軍の圧倒的な制空権下では、装甲部隊による機動戦など悪天候を神に祈るしか
成算が無いのだと、後の作戦でハッキリ証明されたしね インド洋作戦を重点的に実施したら、
ドイツ・アフリカ軍団を支援できて
枢軸陣営が勝てたというのは
少なくとも、
この板に書き込む戦史知識があれば、
不可能だったと瞬殺されるレベルの話です。 一説には
失敗に終わったヒトラー暗殺計画の
陰の首謀者の一人とも言われてるんだよな >>417
日米のその二人のせいで余りにも多くの人が亡くなっている。
二人とも大馬鹿者としか言えない。 >>417
牟田口は、敵軍がろくに反撃しないときは前線に出ていばり散らし、敵が手ごわいときは遠く後方で女遊びしてただけだろ。ロンメルと並べていい存在じゃない。 ロンメルが100人いても、
・石油がない点で、無理ゲー
・ゴムがない点で、無理ゲー
・畑から取れる兵隊がいない点で、無理ゲー
・オッペンハイマーがいない点で、無理ゲー >>176
イギリスが勝てた相手を誇大に称揚してるだけ。
スペイン艦隊を勝手に無敵艦隊と名付けたのと同じ。
負けを食らった山下奉文は絞首刑でやり返した。 ドイツの主戦場はヨーロッパ戦線だからな。アフリカでどんだけ勝っても意味がない。
日本だって中国で連勝しても、太平洋で負けたら意味なかっただろ。 >>428
いや中国で連勝して決着がつくようならそもそもアメリカと事を構える必要もなかったんだけど >>89
モスクワ落としても意味ないのは
ナポレオンのときと一緒でしょ >>44
バクチの要素が大きいな
そこにロンメルがいないと能力を発揮できないドイツ側のシステムが上手く噛み合った ロシア人が領土の広さに異常にこだわるのは、侵略された時に広大な国土のおかげで助かった歴史があるから説 >>429
対米戦は石油止められたから対中戦は領土拡大 >>430
意味ないことはないでしょ。交通の要衝だし。
もちろんモスクワを陥としただけでは終わらないけれども。
問題はモスクワを落とすために何を代償とするか。
キエフ包囲戦の戦果を失うのであれば、モスクワを一時的に占領できたとしても奪回されてしまうかもしれない。
冬季装備の準備を頑張るだけでいいならやりくり次第で戦果を史実に対して純増できるかもしれない。 『補給戦』(中公文庫/ヘブライ大学教授クレフェルト"supplying war")
■1941年6月独逸軍350万人はソ連領に侵攻を開始した。3軍に分け
北方軍はレニングラードを、中央軍はモスクワを、南方軍はウクライナを目指した。
それぞれ600マイル、700マイル、900マイル離れていた。
人数はナポレオンのモスクワ遠征の5倍。補給をどうするかが問題だった。
■300マイル進んだ所で弾薬燃料が不足して前進が難しくなった。
ヒトラーは自動車を活用しようとしたが、トラックの数が全く足りなかった。
鉄道は1本あればトラック1600台分の輸送能力があったが柔軟性にかけた。
100個師団以上あるうち自動車化されていたのはわずか16個師団で
他は徒歩で進撃した。歩兵師団は馬車を使って輸送した。
このためすぐに距離が開いてしまいこれを待つ必要があった。
■自動車輸送連隊はわずか3つしかなく約2万トンの輸送力しかなかった。
連合軍は47万の部隊に7万トンの輸送能力があったがこれでも足りなかった。
■ロシアは悪路で有名であり雨が降るとすぐに泥沼となり輸送ができなくなった。
ロシア軍の抵抗のため損耗率も数割に達した。
■ロシアの鉄道を活用する予定だったが規格が独逸と異なりあまり活用できなかった。 『補給戦』(中公文庫/ヘブライ大学教授クレフェルト"supplying war") part2
■食料は50%現地調達できたが、燃料なども規格がことなり使えなかった。
■レニングラード近くまでいった北方軍は補給困難で必要な弾薬量の数分の1しかなく
作戦開始を何度も延期した。このためレニングラード市は防衛を固めることができた。
8月8日に攻撃開始したが遅かった。
■モスクワを目指す中央軍は歩兵部隊が追随できず停止した。燃料消費は少なくなったが
弾薬使用量が激増した。
■11月になると冬がきて零下20度になり泥沼が凍土となった。はまった車両を
引き上げることができず、進むことも退くこともできなくなった。
■鉄道も停止した。独逸の汽車はパイプが外側にあり凍り付いて破損したためだ。
■結果饒舌につくしがたい物資不足が生じた。
■戦争の仕事の9割は兵站(補給)の問題と言われる。独逸軍の作戦はこの欠如のため失敗した。
>>436>>437を見れば分かるとおり、最重要の対ソ連戦で
補給で失敗して大勢は決していました。
アフリカ戦線など枝葉です゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー ドイツ軍のデザイン力は他の追従を許さない、シャーマンなんて超ダサい。 >>438
と言うか「大勢」は史実に見る通りで、
補給に欠陥があったにもかかわらず緒戦で大勝利、冬季反攻にも何とか踏みとどまった、
というのが現実の「大勢」だが。 >>436
その本引用するならロンメルのいるアフリカ戦線のとこやってくれよ
うろ覚えだけど
・アフリカ軍団(2個師団、のちに3個師団)への物資輸送能力は十分だった。
むしろ地中海でイギリス海軍が活躍してもなお、補給物資は十分アフリカに運べた。
・アフリカに運んでからの輸送が問題だった。
・前線はエジプトに向けて動いているのに、荷揚げはトリポリのままでトブルクやベンガジ
といった東の港を利用できなかった。
ノルマンディー上陸なんかねーよwと高をくくって老人や再編成部隊や
未熟な兵士で形ばかりの警備してたのを立て直して
頑強な要塞に仕上げたのはロンメルだって聞いてたけどな
ヤンキーがオマハで壊滅しそうになったのもそのせいだって
天候判断での行動と戦略眼を結びつけるとか適当な論理展開だな >>294
WW2末期にはソ連陸軍の戦術ドクトリンはあまりに洗練され過ぎてて、米軍は1970年代までこれに追いつけなかったんだよ >>442
ナショジオだかディスカバリーの番組でそう言ってたな
ロンメルが着任してみたらあんまりだらけてて驚いたとか >>443
と言うか大前提としてソ連軍の方が数が多いと言う点に注意。
ソ連のドクトリンはその数的優位を生かすという点で洗練されていたのは事実だが、
米軍は数的劣勢をはね返さないといけないのでハンデがあったことも事実。 英仏の対独参戦がなければソ連は単独でドイツと戦うことになっていたが、
ドイツはどこまで領土を拡大するつもりだったのだろう
モスクワを攻略した後のプランあったのかな? 内陸に引き込んで機動戦力で叩くルントシュタットの作戦が100%正しい >>446
>英仏の対独参戦がなければソ連は単独でドイツと戦うことになっていたが、
>ドイツはどこまで領土を拡大するつもりだったのだろう
>モスクワを攻略した後のプランあったのかな?
A-Aラインまで。
アルハンゲリスクと
アストラハンを
結ぶラインまで占領するつもりだった。
地図を見て線を引いてみれば、無理ゲーなのわかるから 元々カレーにくると思ってたし偵察機飛ばして偽装も上手かった >>447
海岸で撃滅するのが、我が皇軍の精華。
そこで玉砕して、悠久不滅の功績を残すべし。
(その前に捕虜は沈黙するの措置を求む)
稲田正純作戦課長、辻政信大本営参謀、朝枝繁春大本営参謀
牟田口廉也中将 >>435
南京も交通の要衝だったけど
あのザマですよ・・・(´・ω・`) ノルマンディー上陸作戦する前に
ドイツに空襲しまくって
制空権は取ってたの?
uボートは何もできなかったの? ドイツがイギリスと戦う時に
日本の空母とゼロ戦を護衛させて
戦えばよかったのに モスクワの戦、1941年10月2日から1942年1月7日
特に寒かったと思う。
参考?
稚内の最低気温記録(1938-2019の81年間)は
1944年1月30日 最低気温−19.4℃ 俺は東部戦線の方が好きだから、ロンメルは割と興味ない >>454
ドイツのめっさーシュミットではだめなの? ドイツ軍にとっちゃ水際完全撃滅は土台無理だったから
史実の連合軍の内陸への進出を遅らせたのが妥当の戦果じゃないかな 9条を守ればよかった大バカ者だ。って反省したんだね >>457
あれは足が短すぎる
イギリス本土に渡って空戦5分で帰らないと燃料切れでドーバー海峡墜落コースと言う超短距離ランナーだからな ロンメルってノリマンディまでやってたっけ。粛正されたのはその後か。 >>457
航続距離が短すぎる
ドイツがイギリス爆撃した時に
爆撃機の護衛したけど
航続距離が短くイギリス上空で
20分ぐらいしか守れなかったとか ドイツと日本が共同でソ連に攻め込んでも勝てなかったの? ドイツ軍が秘密にしていたドーバー海峡の防備に関しては、
現場視察した日本の大島駐在武官が詳細な電報を発信したため、
連合軍に解読されてしまいました。
(´-`).。o○<どうしてソンナ電報打ったのだろう?) U-110が1941年5月9日に捕獲され、対戦戦術に大きな変化が起こった後。
逆に言うと、Uボートが活躍していれば、ノルマンジーはあり得なかった。 >>453
とっくに連合軍側が制空権とってた。
ドイツは飛ばす飛行機があれば東部戦線に回したかったからロクな要撃ができなかった。
あと潜水艦はWW1の新兵器でWW2の音波・電波の時代には単なるヤラレ役だった。
活躍できたとしても米英間を動く商船の数からいえば焼け石に水。戦略に影響なし。 >>468
大島浩中将は1938年に駐独大使。
武官や大使の役目は「詳細な報告を本国に送る」こと。
ボナー・フェラーズ米陸軍大佐が、カイロ武官として英軍の情報を詳細に報告し
それをロンメルが活用したのと同じ。
暗号当局は「絶対に解読されるはずがない」という「安全神話」にこだわるから、無駄な対策を使う
フェラーズの没落は、ドイツの解読文を英軍が入手した後。
(解読は秘密にされ、フェラーズはマッカーサーの副官として准将になる。
寺崎の「昭和天皇独白録」の作成にも深く関わる。) >>456
陸戦好きはやっぱ東部戦線だよな
東部戦線戦ったドイツ戦車兵にしてみたら
米英戦車部隊は子供の遊びレベルに感じるらしいし 『日米潜水艦戦』(光人社NS文庫/伊58艦長橋本。米巡洋艦撃沈した)
■日独の間は敵国ばかりなので潜水艦を使って行き来したが、
スエズ運河は米英が確保していたのでアフリカ南部周りであり、
露西亜のバルチック艦隊と同じコースだった。
5回実施されたが成功したのは1回だけだった。
ドイツにはゴムやキニーネが不足していたのでそれを持っていった。
>>474にあるとおり、スエズ運河が独逸の手中に落ちれば、
日独間で技術交流や貿易もかなり拡大しただろう。
アフリカ作戦が成功していれば、零戦が英国上空を飛んだり、
ジェット戦闘機がB-29を落とすことなったのだが(´・ω・`) 米海軍がマフィアのマイヤー・ランスキーと組んで、イタリア南部から侵攻していった。
未だに米伊はマフィア国家。
ムッソリーニがマフィアつぶしに熱心だったので。
ドイツは、フランスは米英、東欧はソ連、イタリアは米軍+マフィアで囲まれた。
頼りになるのは、フランコのスペインだけ。 ノルマンディー上陸作戦のとき連合軍は、フォーティテュード作戦という欺瞞作戦を行い
上陸地点をノルマンディーではなくパ・ド・カレーだと信じこませた
二重スパイを使ってニセ情報を流すなんていうのは序の口で
兵士に暴行を働いて干されていたパットンをニセ部隊の「米第一軍集団」の司令官に任命し
あちこちでパ・ド・カレーに上陸することを吹聴させたり(パットンはなかなかの役者ぶりだったとか)
モントゴメリーのそっくりさんを影武者にして、スペインでニセ情報を流したり
映画産業の大道具係を動員して、ダミーの飛行機、戦車、兵舎を量産し、ドイツの偵察機を騙したりとか
ずいぶんと手の込んだことをやりにやりまくった
おかげでロンメルもすっかり騙されてしまった アラン・ムーアヘッドの砂漠の戦いで、
砂漠は海であり占領という概念は通用しないというのを読んだ。ロンメル元ネタというのは今知った
これは歩兵科軽視そのものだから軍の中で長生き出来ないよ
欧州の戦いでこれをやったのもいたな >>92
アフリカがなければ、対ロシア戦発動の時期が早まったんじゃなかったか?
であれば、占領がもう少し早くなるので、
若干補給やらに余裕が出来た可能性も? >>475
牟田口+東条のインパールみたいだ。
インパール占領の効果に目がくらんで、白骨街道を建設した。
英軍が築いたエジプトを攻略するのは不可能。
エジプトは強大な潜在力を持つ。 それでもロンメルは名将だと思うけどな
フランスーアフリカでロンメルが名を上げたのは当初は疑問視されていた機動戦の名手としてだった
ところがノルマンディーではうって変わって水際ラインでの迎撃を徹底させようとする
ドイツの将官の中で英米軍の航空優勢下での経験があるのはロンメルだけだったからだ
”まったくあの頃は機動戦などダメだと否定していた連中がそれができなくなった今になって機動戦をやれやれ
とせっついてくる”とうんざりした言葉を残している
凡将は一度成功した体験に縛られてその型を繰り返そうとして最後には敗北する
人間にとって一番難しのは自己の成功体験を否定することでロンメルはそれをあっさりやってのけてる 一応書いておく
フェルディナンド・ポルシェ博士が、空冷エンジンのVW(ワーゲン、国民車)を作り
水のない砂漠で活躍できた。
VW(カブトムシ)は、1970年代まで日本のあこがれでもあった。
VWは今でもドイツ最大の自動車コンツェルン。
(今はトヨタ、VW、ルノーが世界一争い) どっちかと言うと東部戦線の
ヒトラーの死守命令以上の
愚策はないかと >>480
そもそもイタリアがギリシャに戦争しかけてボロ負けしたので
対ロシア戦争を準備中だったドイツ軍が手助けに部隊を派遣することになった
そのあとイタリア領リビア経由でお隣とケンカし始めたのがアフリカ戦線の始まり。
いずれにせよイタリアのせいで独ソ開戦のタイミングを逃してしまった。 湾岸戦争のときアメリカの機甲師団がイラク機甲師団を撃滅した「73イースティングの戦い」のときの指揮官で
トランプ政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めていたハーバート・マクマスター陸軍中将は
「ロンメルから多くのことを学んだ」といって、指揮車の室内にロンメルの写真を張っていたとか >>482
命令の絶対性
神>あべちゃん>>>ヒトラー>金さん>>習さん>トラさん>>>メイちゃん >>488
全くその通りだわ
物量が圧倒的すぎる
子供と大人以上だわ >>474
原爆の設計図か材料か部品を運ぶはずが失敗した話を思い出した。 ドイツはカレーダンケルク上陸を第一に予想していたし、ノルマンディーは陸路が長くなるとか半島打通に手間取りかねないという重大問題があった。
実際には強襲上陸の二の矢も用意出来る相手だったことと。サンナゼールとかボルドーの制圧を重視してたってのがあるな。
カレーから言ってたらベルリン穫れてたかも 東部戦線と違って英独だと双方に人種的蔑視が無い
戦場に犠牲になる住民が居ない(少し居たとしてもどうせアラブ人だろ)
ってことで砂漠の戦いは英独にとって騎士物語か命を懸けたスポーツみたいな捉えられ方
だったから名前が汚れなかったんだよね >>488
では中国が負けるか?
ベトナム(ホー・チ・ミン)は勝った(当時は国力絶大Pax Americana)が?
パーレビ王朝は倒れたが?
キューバはまだ負けていないが? >>481
エジプトにいた英軍はたいした規模じゃない。
それ以上に枢軸軍の戦力(特に補給能力)が低かっただけで。 >>492
カレーは近すぎて、防備がしっかりし、対策もできていた。
応援部隊も送りやすい。
すべての選択は「カレー以外のどこか」 >>495
正面だけ見てると背後のインドやオーストラリアから続々援軍が来るのが
イギリスの怖いところ。ノルマンディー後もカナダとか有力な戦力だったし。 いくら戦術で勝利を得ても、大戦略で敗北すれば意味はないということ。 >>494
ホーチミンも蒋介石もカストロも外交だけはしっかりやって支援する国を得ていたからな
完全孤立無援で全方位戦争仕掛けた糞外国してたのは日本くらい
ナチスに土下座降伏したフランスも外交一本でいつの間にか戦勝国の仲間入り
戦争は外交の一手段に過ぎない 港湾のないところを確保しても
補給が続かないからノルマンディーはないと思ってたんだろーな >>501
牟田口閣下だって、師団長の頃はまだましだった
その上にいったのがまずかった >>448
ウラル山脈までもいかないのか
ドイツ人を移住させるならそんなに広い土地は要らないんだな
ソ連の反撃がなければバルト三国とベラルーシ、ウクライナで十分か >>505
コーカサスまで行かないと油田が無いのだよ
第三帝国はすべての資源を帝国内で自給できなければ成り立たない ロンメルは戦術的には大した奴だが戦略眼とか全くないし、評価は低いよ ノルマンディーにたくさん地雷埋めて
戦車部隊もたくさん配置してても
上陸阻止できなかったの?
ノルマンディーの前に、ダンケルクで英仏軍を壊滅していればこんなことには・・(´・ω・`)
−−−−−−−
『第二次大戦回顧録』(中公文庫/チャーチル元首相(Winston Churchill)) part1
■米は、日英同盟の継続は英米関係の障害になると告げた。このため消滅さざるを得なかった。
この同盟廃棄は日本に深刻な印象を与え、西欧世界のアジア国排斥とみなされた。
かくして戦争再開の道を開く条件が急速に作られた。
■英は日本と敵対関係にはいることを好まなかった。むしろ極東に権益を多く持っていたので
その立場が悪くなったことに対して一部では日英同盟喪失に後悔の念を抱くものもあった。
■ダンケルク撤退では漁船などあらゆる船を総動員して33万人の撤退に成功した。
■独逸空軍はフランスとの戦いでかなりの飛行機を失った。しかしロンドン爆撃は行われ
1940年9月7日から11月3日にかけて毎夜平均200機の爆撃機がロンドンをおそった。
サイレンが鳴り通しだった。
■1939年独逸とソ連は不可侵条約を結ぶ。今後10年間はいかなることがあろうとも攻撃しない
という内容だった。しかし1940年春ヒトラーはソ連攻撃を決意した。ウクライナには
穀倉地帯があり、コーカサスの地下には無限にわき出る石油があったためだ。
ヒトラーは、ソ連兵にはどんな残酷な仕打ちをしてもよい、と命令した。
侵攻作戦は2ヶ月で終了の予定だった。
■ソ連は焦土作戦で抵抗した。撤退するときに建物を破壊し、井戸には毒を入れる。
そのため独逸兵は水も飲めなかった。8月末モスクワにもコーカサスにも到達できず失敗に
終わった。撤退を意見した将軍は全て解任され、前進を続けた。モスクワまで130kmの
地点まで来たが冬が来て停止となった。 小中学生時代に信長の野望をやってれば、防衛線が広がるのは愚策でしかないと理解できたんだ
攻める側はどこからでも攻められるんだから >>509
戦艦や巡洋艦が砂浜を掘り起こすから、無意味。
カレーはイギリスから近いが大兵団を揚陸するのは不向きと聞いた。
逆にカレーだと袋小路だから来てもなんとでもなる。
ノルマンディーみたいな南西東にも行けるよな所がヤバイ >>511
わかる〜、領土が広がっても楽にならないし。
領土の中に非武装地帯出来てからだね。楽になるの >>95
信仰というか、死体が損壊(首を切られるとか)してると、天国に行けないっていう言い伝えみたいなのが
北欧に有った気がする。 >>506 おお!
例の石炭を石油化する技術か。
ドイツでは、ドイツ産の石炭を使って、当時かなりそれが実現できてたそうだ。
そして枢軸国としての日本もそれを真似ようとしたのだが、
ドイツから直接その技術を教わっても、日本の炭鉱の炭質が異なっていたので、
それは、かなわぬ夢。であったそうだ。
>>7
タミヤはなぜそうしたんだろう?ヤークトパンターってそんな悪い語呂でも無いよね >>508
元々そういう立場のおっさんだから問題ないだろう。
いくら戦術的勝利を重ねたとしても、最初から負けると決まっている戦いだから何も変わらない。 ゲルマン人はもとより野蛮で勇猛な民族でローマ帝国を滅ぼす一因となった
金髪碧眼の彼らは結構残忍
ドイツの科学は世界一ィィィというのは間違いではないけどちょっと違うよね >>519
ドイツは戦争に勝ったことないからな。
ドイツは。 上陸地はパ・ド・カレーかも知れんし、ディエップで捲土重来かも知れんし・・・
どんまい、ロンメル >>480
いつかは冬がくる。
進軍距離が何百キロ変わったところで結果は変わらない。
日本で例えるならミッドウェーで勝利したとしても、数年以内にミッドウェー的な戦いで負ける。 >>131
ZZにデザート・ロンメルというジオン残党がいて、
一年戦争時代のMSでZZガンダムに挑んで負けた ドイツ最大の失敗はスペインと同盟を組めなかったこと イタリアってアフリカ戦線で何やってたんだ、戦場は欧州だろ >>526 砂漠で無駄に水使って、パスタゆがいてた。
やれやれ、 ついでに僕は砂漠で射精してしまったよ・・・・ ヒトラーが睡眠薬を飲んで寝てたのを
側近が起こせなかったからやろ
起きた時にど叱られたやろな >>524
最大の失敗はバトル・オブ・ブリテンに敗北したことだ >>526
地中海の制空権制海権は連合軍に掌握され
北アフリカの油田から原油を運び出す手段がなかった >>531
護衛の戦闘機としてゼロ戦を100機輸入していれば勝てたらしい。 ロンメルも参加していたヒトラー暗殺計画でも殺せなかったヒトラーを結果的に自殺させるきっかけになったのだから成功だろ ロンメルはもうこの頃ヒトラーの信頼なかったろ
結局自殺するし >>425
だったらルーデル100人だ!
…本人の戦果的に割とどうにかなるのかw? 第一次世界大戦も第二次世界大戦も二正面作戦で大失敗 中国で何年も戦争してる最中にアメリカと戦争おっぱじめた国もありましてね >>540
中国と戦うのはほとんど陸軍で
アメリカと戦うのは主に海軍だから 潜水艦しかまともな海軍を持たないドイツが挟み撃ちにされて勝利できるわけもなく
敗北したフランス海軍はツーロン港で自沈しちゃうしイタリア海軍は役に立たないし
立派な海軍を持ってるスペインは仲間になってくれないしで
ソ連が参戦した時点で勝ち目なし 毎回後先考えずに予備戦力までつっこんで博打やるから師団長クラスからは反感買うだろ >>541
無理があるだろ
戦争音痴の典型ってこんな感じで補給の概念が皆無 >>542 >ソ連が参戦した時点で勝ち目なし
モスクワ手前10kmという目先で、ドイツ軍が停止してロシアの冬を迎えなければ・・・・・
それで、かなり違ってきたのではないのかな。
ソ連が巻き返すにも、それならずっと手間がかかったろうに。 スペイン、ポルトガル、アイルランド、中南米諸国の大半を枢軸国側に引き込めればなあ 大戦略じゃないんだから、首都を落としたら終わりという事はない。
それを占領するために、補給線が必要だが
やっとこさモスクワにたどり着けたドイツにそんな事は無理ゲー。
ドイツ軍は、短期的な戦闘の繰り返ししかできなかった。 【砂漠の狐】「私はどうかしていた。」
ヤラナイカの戦いで亀甲脂男を率いてた頃だな。
マニアックすぎて敵も味方もあきれ返ったという・・・ >>541
日本海軍が主に戦ってたのは日本陸軍です イタリアのハゲは戦艦4隻でマルタ島を木っ端微塵にしろ。
日本のハゲは使い道の無い山城扶桑日向伊勢プラス
龍鳳祥鳳あたりで機動部隊組んでインド洋、紅海あたりを砲撃して廻れ。 >>549 いや象徴的意味合いと、そして曲がりなりにも首都機能掌握ってのは、
かなりの差が出てもおかしくなかったと思うよ。
しかし何故かモスクワ目前において留まった。
冬に突入すれば、ロシアの冬に負けて当たり前なのに。
それならそれで、モスクワを取って、ロシアの冬という最大の敵に備えたほうが遥かによかったであろう。 >>533
日本の零戦には防弾板が一切無いので、
機体やコクピットの防御力が一切無かったので、
それに乗るパイロットの死傷率がより高くなって、
ルーデルの様に何度でも落とされても生き残るパイロットが理論上存在しないので、
よりパイロット不足が深刻化してより早くドイツ空軍の航空戦力が事実上一旦壊滅していただろう また本の宣伝スレかw
新聞やめてくだらねえ本の広告見なくなって良くなったのに
本の宣伝スレ立てるのやめてくんねえかな
どうせ1カ月後にはゴミになるのに >>553
イラク戦争を見れば判るが、戦車は市街戦にメチャ弱い。
消耗戦を避けたんだろう。 >>555
本がゴミになるってのはそれを自分が吸い取って成長したって事だぞ
そこに気づかない本読みはまだ若葉 >>558
ばーかw
誰も読まなくてタダのゴミになるということだ
こんな本書店だと棚に並べず即返品だ >>556 本当かいな。
そんなに簡単に戦車を、市街戦で倒せるなら、
戦後のプラハの春の大健闘は、そんなにも讃えられなかったのではないのか。 太平洋の地図用意して日本が占領した領域に
チェスの駒白黒置いていくと戦慄するで、
アメリカ軍側がソロモン方面とインドシナ方面で二つの集団構成してるのに
日本軍側は広い太平洋で分散配置になって、各個撃破されちゃう形にしかならない
これ勝ち目ないわって、誰もが判る感じ
下手な反戦教育やるよかすぐ理解できる >>560
実際、米軍がイラクで苦労してるじゃん。
死角が多いのと上からの攻撃に弱いから。
プラハの春って1968年のソ連のチェコ侵攻の事?
市民が戦車と渡り合ったんだから、天安門のタンクマンと同様
讃えられて然るべき。 >>559
ごめんな、お前がそれに1か月もかかる程の知恵遅れとは思ってなかったんだよw こんな名将でも、臍を?むことがあるんだな。
もう少し長生きして、バルジの戦いで指揮を取ったら
どんな戦闘を見せてくれただろう。 >>565
日本語になってないぞw
お前、本も読めないだろ
こんなくだらん本読むんならガリア戦記でも図書館で借りて読め >>526
イタリアの欧州戦線はムッソリーニが戦争をしたがらなかったしやっても負けた
のちにドイツ軍に協力してバルバロッサ作戦に参加はしたが
ただ北アフリカ戦線のイタリア軍機甲師団(FIAT製)は勇猛果敢で知られイギリス軍に手強いと言わしめた 数年前NHKBSでやってた番組でケルン大学協力の元ノルマンディー上陸作戦を
3Dで再現したヤツ見た。
列車砲の砲台を真っ直ぐ敵船に向けるのではなく斜めにクロスさせる形にして十字砲火
上陸船対策に満潮になったら隠れる位置に機雷を設置
上陸して来たら鉄骨のテトラポットみたいなやつで障害物をつくりマシンガンを十字砲火
よくこんな事思いつくな。優秀だわロンメル
まあ、「勝てば官軍」の世界だから評価されない面もあるんだろうけど。 >>480
さらにバルカン半島やギリシャにも寄り道してる 電撃戦と称してラムちゃんのコスプレ姿で捕虜の亀甲脂男に通電を繰り返していたところ、
これには流石に総統も放置できなくなり、自決と引き換えに英雄の名誉を守り通したのが真相。
なお、亀脂獣事症仲間に好苛両併の裸剥大差がいた。
「俺のマーク4スペシャルの味はどうだ?」
「い、いグいグいグ」
「じゃあこれならどうだ?」
「ひい、タイガーだけは、タイガーだけは勘弁して」 >>568
いやいや、むしろ戦争したがってた。
だから、敗北寸前のフランスに宣戦布告したり、リビアでエジプトに攻めこんでスエズ運河占領しようとしたりした。
軍の参謀達は装備や士気から自殺行為だと止めたんだが、あっけなく返り討ちにあい、ドイツの足を引っ張る事に。 >>573
敗北寸前のフランスに攻め込んで撃退されるって、離れ業だわw >>524 フランコが煮え切らなかった理由は?
王族を押さえ損ねたから?
ジブラルタル?
ソ連の刺客が怖かった?
カナリアやメキシコやアルゼンチン?
何でだろうね? >>44
こういう天来の機を掴むみたいなことも将器の要素の一つだよね
博打ではあるけどそのことの怖さを熟知してる人でないと
なかなか成功しないもんだね 歴史をみると >>575
賢かったから勝てないような戦争に参加しなかった
スペイン軍が参戦してもイタリア軍みたいな評価しかされなかっだろうね >>515
技術自体はもうこなれていたし、留萌の陸自は人造石油工場の跡地だよ
一旦炭素一個にしてから繋いでゆく反応だから
変な原油より良いくらいだ
平時なら産油国の価格操作であっという間に潰されるが >>447
1万機の敵航空機に頭上を押さえられていて日中の移動は自殺行為
鉄道も寸断されて補給も増援も大混乱
そんな無理を押して内陸で反攻を企図した結果がファレーズ・ポケットでの
装甲予備戦力の壊滅だったろ
海岸で追い落とせなかったら我々の負けだ、最初の24時間が勝負だと語って
着任当初手薄だったノルマンディーの海岸陣地づくりに全てを傾けたロンメルのほうが正しいわ ヨーロッパ戦線の方が太平洋戦争に比べて大分激しかったのかね? >>553
「何故か停止した」のではなく、補給が不足を通り越して停止してしまったため、
物理的に前進できなくなったんだと後年の分析で判明しとるやん
モスクワ攻略なんて無理だったんだよ >>581 そのことは鉄道工兵が手薄だったといえるのかな? >>581
「補給が停止」するような状況ではそもそもタイフーン作戦を発起することすらできないでしょ。
少なくとも補給は届いてはいた。非常に細くなっていたとしても。 >>532
英領マルタを落とせなかった。
十字軍/マルタ騎士団(ロードス騎士団)/バレッタに感謝。
ドイツがフランスのツーロン軍港を押さえていたので、何とかならないのか? >>582 欧州はナポレオン時代のフランスの影響で線路幅はほぼ統一されてたが
ロシアは祖国戦争での教訓から、欧州よりも広い線路幅を採用していたと聞く
パルチザンやゲリラや赤軍が攻撃してくる中で
ソビエト領内で鉄道利用しようとすると荷物を載せ替えるとか
いちいち台車を交換する必要に迫られたというわけだ >>581-583
俺の理解では、牟田口並みの現地調達予定ではないか?
ドイツの補給線は弱い。
米軍は現在事前備蓄基地(POMCUS)を世界中に展開している。
映画「バルジの戦い」では、石油備蓄基地(しょぼい)が攻防の中心だった。
旧ソ連は、シベリアに数十万tの軽油備蓄を持っていたという
(軽油の長い期間の保存は難しいが、どうやっているのだろう?) 日本はオランダ領東インドの油田を確保したが
原油を採取し精製し無事に日本まで運べて初めて石油を手に入れたことになるが
ドイツはバクー油田を獲得できなかったし
確保できたとしてドイツの安全圏まで運べたか?という疑問
枢軸国だったハンガリーにも油田はあったようだが
同盟国のものゆえ、すべてドイツの自由に使えたわけでもないからな >>585 少しずれるが、補給戦としての基礎知識なので
ロシアとモンゴルなど近隣諸国:広軌1520mm(元は1524mm=5フィート)
フィンランド:1524mm(5フィート)
欧州各国のほとんど(例外はスペインなど)標準軌 1,435 mm (4 ft 8.5 in)
日本は
通常線は狭軌1,067 mm3フィート6インチ
新幹線は標準軌 1,435 mm (4 ft 8.5 in)
京浜急行、丸ノ内線、銀座線、大江戸線:標準軌 ロンメルに戻る
ロンメルはプレーイングマネージャーとしての自分を規定したのではないか
(日本の例で言えば中西太、戦史で言えばリチャード獅子心王(捕虜になる)。)
自分がいないドイツ軍は、話にならない。
後ろから指揮・鼓舞できる能力(本人の問題とは限らない)が制約されていたのではないか?
おそらくナチの政治委員(親衛隊?)みたいなのが指揮してめちゃくちゃにするのではないか? >>517
シャーマンとかパットンとかタイガーとか愛称あったから
パットンシリーズや愛称ないやつに適当にでっち上げた 昔は知らんが最近なら愚将軍・ロンメルという評価で一定しているだろう
人間トータルとしては牟田口より全然上 >>556
弱い(多少K/Dレートが落ちる)
ttps://www.nicogame.info/watch/sm21053443
1分50秒
戦車にロケラン直撃
兵士「アッラーアクバル!」
爆風の中から無傷の戦車がこんにちわ >>584
マルタは、1940年の段階で本気で取る気があれば
イタリアにドイツ軍を進出させて空挺作戦で行けたと思う。 >>595
愚将なんて評価はひねくれた一部の人が言ってるだけだね。
戦術家としては間違いなく優秀、
戦略家としても、後知恵で批判はいくらでもできるが無能と言えるような決定打はない。 >>569
真っ直ぐでなく斜めに砲撃するのは急降下爆撃と似たようなもんだろう
俺でも思い付くのだからロンメルなら朝飯前だろう >>595
牟田口さんと辻さんは「現場では」評判良かったような?
参謀やる分には有能だけど将軍させちゃいけない馬謖みたいなものではないかw?
イチロー「指導者とか無理!」 >>1
英雄は一瞬のカンとヒラメキのみで、他のことはまわりのブレインが優秀かどうかで決まる
日本人も変に一人の英雄好きだが、ぼちぼち目覚めても良いんじゃね?
ウルトラマンだけじゃ何にも出来ないタダの巨人だ >>585 1939年の時点でソ連はポーランド中部までを広軌にしてなかったってことか?
(ま、あたりまえだわな)
逆に、有力な鉄道工兵がいたら、一日10キロくらいの速度で標準軌にできたと思う。
単線区間は、貨車を廃棄するくらいの覚悟がないと戦時急速輸送はできないけどね。
つい昨日東急世田谷線に乗ったら、路面電車あがりのくせに標準軌だった。阪堺に乗りなれてると、目に見えて軌道が狭く感じる。
(すんません。鉄オタじゃないです。軍オタの教養科目です) ドイツ軍がきっちり守らにないから、米軍がひゃっほーで、フランス娘400人を強姦しちゃったんだぞ
それもウエルカムで出迎えたのにな >>580
映画バルジ大作戦の燃料集積地の話は誇張。
パイパーの進撃路近辺で、ブリンゲンとスパー近辺に燃料集積所があったが、 ブリンゲンの燃料は確保してる。スパーの方は見向きもしてない。
パイパー戦隊が燃料切れになったのは、他部隊が追いつけず単に包囲孤立したから。
アルデンヌ攻勢作戦全体では、ライン川の対岸に攻勢用燃料を確保してはいたものの、連合国空軍力の妨害で前線には十分に届けられなかった。 >>597
どうして、マルタを取らなかったの?
海の中にある不沈空母、中曽根さん大好き。 マンシュタインを讃えてロンメルを貶せば一人前の軍オタだと思い込んでいる人たちがいるね
故佐藤大輔などが広めた、故人の悪口をいうのはアレだが佐藤大輔はかなりのひねくれ者だった >>607
クレタ島で降下猟兵が大損害受けたからじゃね? しかもマルタ島は狭く、守備兵力の密度はクレタとは比較にならんほど >>599
戦略家としてはベルリンから再三
「補給線がヤバくなるから止まれ」と言われたのに無視して突っ走って
東部戦線に影響出るくらい砂漠にトラック溶かしたのは評価の決定打になると思う >>610
戦術的にもさしてやる気のない英国軍相手にイキってただけだろ >>603
毎分7m?毎時400m?
仮に枕木と砂利を再利用するとしても、無理だと思う。
転轍機などを再利用できないし、検査も面倒。 >>435
ウラル山脈あたりまで往復できる戦略爆撃機が2,000機ほどあればな。 当初予定通りバルバロッサ開始が1カ月早ければ良かっただけ。 北アフリカ戦線で英軍が真面目に反撃してくるとすぐへこたれて帰りたいとか泣き言を抜かす甘えん坊の熊ちゃん >>610
砂漠とはそもそも途中で立ち止まったからってその地点を維持できるような戦場ではない
っことをベルリンが理解しなかっただけ
どうせ命じるなら攻撃発起点まで後退せよとすべきだった >>613
ルーデルが100人いたら
とどっちが無茶かなw? 工業都市ボルゴグラード
政治中心ジグリ(クイビシェフ郊外)
大都市エカテリンブルグ
各油田地帯
プリピャチ大湿原
攻略しなければいけないところが広すぎる。
現在の米軍の核戦略でも倒しきれないのでは? イタリアが暢気にパスタなんか作ってたから、
大丈夫だと思ったんだろw >>582
>鉄道輸送の危機
>機甲部隊の進撃する道路と鉄道の路線の進路が違っていたため路線上の敵の掃討ができず
>鉄道修理部隊は新たに敵掃討が必要になり大損害を出した...
>
>鉄道修理部隊は冷遇されていたため数も少なく自動車の割り当ても少なかった。
>
>ロシアの鉄道はいいかげんな作りで本格的な使用に耐えるようにするには
>かなりの手間がかかり、ドイツ式軌間に変更してもレールの重量も軽く枕木も1/3しかないため
>大型機関車を走らせることができず、旧式車両を使わなければならなかった。
>
>捕獲した機関車は軌間変更が不可能なため使えず、フィンランドに譲渡されたロシア製の石炭は
>ガソリンを添加しなければ使えなかったし、給水施設も機関車のサイズの違いから設置間隔が大きすぎた
>(大半は信号や通信施設と同じく破壊されていた。)
>
>鉄道輸送の混乱...
>7月初めには合計300マイルが修理され、ドイツ式軌間に変更されていたが、前線はさらに数百マイル先でした...
>前線へはロシアの鹵獲貨車を利用して輸送されたのですが、ロシア軌間からドイツ軌間への変換ポイント基地での
>ドイツ貨車からソ連の貨車への積み替えがてまどり、規定の3時間でできず12時間から80時間もかかり、
>壊滅的な混雑を発生させ、列車が消えて無くなる?という異常事態が多発し...
>補給組織は崩壊寸前になった...
>(列車は一日34両の予定が半分も到着しなかった...)
>混乱の様子...
>第4戦車軍司令官のヘブナーは補給部隊を怠惰であり柔軟性に欠けると非難し、自分の部隊に割り当てられた
>列車は第16、18軍に「ハイジャック」されたと主張した...
>
>補給局長ゲルゲは列車からの荷降ろしが遅れていることを指摘して自分には責任が無いと逃げた...
>
>論争は陸軍を越えてさらに発展し各軍相互の問題にまで...
>(空軍は合意した数字以上に大きな鉄道貨車を占拠し、機関銃で武装した将校を列車に乗り込ませていた)
>
>消えた列車は...こうして各部隊、方面軍、空、陸軍の間で勝手にハイジャックしあったためでした。
>
>寒気が最悪の影響を与えたのは鉄道に対してでした。
>ドイツ製機関車はソ連の寒気に耐えられるように作られておらず(ほとんどは軽い旧式機関車)
>給水パイプの7、80%が凍結して破裂した...
>そのため11月初めから1ヶ月近く一両も到着せず
>モスクワ攻撃部隊は筆舌に尽くしがたいほど重大な物資不足になった...
>(これがモスクワ攻撃失敗の真の理由の一つ?...)
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02uz.htm >>437
ソ連のジューコフ元帥だったらこんなミスはしないだろうな
ノモンハン事件の時、関東軍作戦参謀たちの想像を遥かに超越する一大兵站線を作り上げた
その結果、帝国陸軍第23師団は消滅してしまった
作戦計画の緻密さではジューコフの右に出る者がいなかった カレーへの上陸との連合側のデマに総統府がまんまと乗せられたからでしょ
ノルマンディーへ十二分に兵力を差し向けてなかった >>466
無理無理
1939年のノモンハンで手痛い打撃を喰らって陸軍中央内で北進論が後退したくらいだもん
帝国陸軍がノモンハンの時よりも増強されたソ連軍に勝てるイメージが湧かない
BT戦車にも苦戦した帝国陸軍がT-34やKV-2に立ち向かうところを想像するだけで胸が痛くなる… >>625
第一次世界大戦で地上戦体験しなかったからな日本は。 >>603
つか
ロシアは地盤がよわかったので
おもうように、線路引けなかった >>473
ソ連相手の東部戦線はまさに地獄だったけど、
米英相手の西部戦線はスポーツのようなものだったと言われてるね >>626
第一次の地上戦とノモンハンは全く別もんだろ。
日本の戦車はフランスと同じで第一次レベルの歩兵直協戦車じゃん。 >>628
んなことないと思う
ただ、捕虜になれば
ロシアよりマシとの安心感はあったとおもう
(まあ、米軍もドイツ人捕虜、虐殺してるけど) >>508
むしろ
戦術的に功績上げた軍人をやたら持ち上げておいて
戦略的に大したことない奴とか言ってシッタカする連中が滑稽w >>610
北アフリカに回した戦力なんてドイツ軍全体から見たら微々たるものでしかないんだけど?
東部戦線に影響なんかないよ。 >>629
近代戦経験しなかったからその分遅れたんじゃないのか?日露戦争で実質進歩が止まったままで。
>>624
カレー守ってないとカレーが狙われただろ? ロシアにおける最大の自然障害は春の雪解けと秋の長雨による泥濘期で泥濘期には移動も戦闘も不可能になる
冬場は地面が凍るからむしろ移動に適した時期で東部戦線は
春と秋の停止期間を挟んで夏と冬に戦闘が行われた
モスクワ戦の年にはドイツ軍はまだこれに気が付いていなかった
開戦があと2か月早かったら1941年の戦いはどう転んでいたか判らない なんで連合軍はベルギーから上陸やらんかったんだろ?
ベルギーならアントワープやオステンドという港湾施設もあったわけだし。オランダは低地帯だから堤防決壊させて水攻めされる可能性はあったが >>632
北アフリカのドイツ軍前線兵力はわずか数個師団・・軍団規模だけど、
それを支えた兵站力は軍集団規模・・・軍団より二段階大きい規模・・5~10倍 >>618
そもそも派遣時の取り決めが起点トリポリ攻勢限界スルトだから
ベルリンからしたら後退するのは大前提だったと思う >>632
いやー
ドイツ本国で家計が四苦八苦の万年赤字で
遠い砂場から、ステーキくれー!お小遣いあげろ!!
とギャンギャン言われたら
本国の連中も”あの木違いが!”といいたくなるだろうなW
Q)よく「XX戦車は○○戦車よりも強いニダ!」とかいうのが出てくるけど
A)戦車の性能を生かせるほどの「補給」があるかどうかです。
戦車は戦闘力は強力ですが、燃費が極めて悪い乗り物です。
だいたい燃料1リットル500mといったところ。燃料をうわばみのように
消費します。一方で>>437にある通り、補給というのは結構難しいもの。
大量の戦車が動かすには結構条件があります。
Q)帝国陸軍で戦車があまり重視されなかったのは石油の問題もあったんだ
A)最大の問題といっていいでしょう。元々石油の争奪で始まった戦争です。
独ソ戦でも大量の戦車が燃料が無いために、がらくたと化しています。
ソ連は南部に油田がありましたが、ノモンハン(モンゴル)まで
持ってくるのは難しいでしょう。
>>633
英仏も戦術が第一次の戦訓で止まっていて電撃戦に対応できなかった。
日本はそもそも貧乏すぎて兵器がいきわたらない。
師団増設問題でも持たす鉄砲も撃つ弾も揃えられないと陸軍内部で反対されるぐらい。 >>625
単にロシアと航空撃滅戦をやるだけで良かったんだ。
しかも勝つ必要すらない。
史実で対独戦に回した空軍を食い潰すことができれば冬季反攻の勢いも落ちるし、
1942年の夏季攻勢でソ連軍の抵抗力を著しく低下させることができる。
付け加えるなら対ソ支援の太平洋ルートも封じることができる。 >>635
フランスにドイツ軍の大部隊が健在なんだから挟み撃ちされるやろ
上陸後の戦いだって考慮せなならん、西部戦線だってそう楽な戦いではなかったんだから もしこの出来事が1つだけ違っていたらナチスが全世界を支配できたルートはあるのだろうか? >>635
ドイツ本土に近づけば、防御が厚くなって当然じゃね?
しかもドイツ側は補充・補給・増援が容易になる。
そんなとこでガリポリの再現になったらシャレにならんよ。 >>643
ダンケルクで
大勝利 くらいかな・・
後、電気Uボートを1942後半から
大量に量産 こちらはさすがに無理か >>643
後知恵に基づいて何十か所も修正したらそんなルートもあるかもね パ・ド・カレー地区は大西洋の壁の建設がかなり進捗してた地区で防御が厚かった。
終戦まで孤立しつつドイツ軍が確保してたはず。 ちなギリシャをはじめとしてバルカン半島への上陸も検討されたが
危険すぎるのとソ連との確執を恐れて実施されなかった
戦後に東欧全体がソ連圏になるのは覚悟の上だった >>643
日本がヘタレて真珠湾をやらずに這いつくばってアメリカ参戦の芽を潰す >>641
石油がもたない
日本側の試算では、全く何もせず臥薪嘗胆していても2年半が限界だった
故にどうあっても石油の確保が最優先の国家的課題なのであり、ソ連と遊んでいるような余裕は皆無
↑このように述べて詰め寄る南進派に対して、北進派も懸命に理論武装して対抗しようとしたが
どうソロバンを弾いても無理なことは明らかで、諦めた者から順に南進論へ転向していき、
日本の国策は南進へと統一された >>590
ルーマニアのプロエシュチにも油田があった。
こちらは、戦争末期に連合軍の爆撃にあった。
補給の難しさを考えれば、米からソ連への支援の重要さが理解できます
−−−−−−−
★米武器貸与法(LendLeaseAct1941/03)
■1941年03月から1945年9月30日まで米→ソ連に対して出荷された軍需物資
■約7兆円相当
■輸送は北極海の輸送船団、ペルシア回廊、太平洋ルートで行われた。太平洋ルートはレンドリース援助の
およそ半分が運ばれ、アメリカ西海岸からソ連極東へ輸送船団で、ウラジオストクからはシベリア鉄道で
運ばれた。[1]を参照。アメリカの参戦後、ソ連の船舶のみがこのルートでは使われた。
日本はソ連とは友好国だったので攻撃できなかった。
■内訳は以下の通り:
航空機 14,795
戦車 7,056
ジープ 51,503
トラック 375,883
オートバイ 35,170
トラクター 8,071
銃 8,218
機関銃 131,633
爆発物 345,735 トン
建物設備 10,910,000 ドル
鉄道貨車 11,155
機関車 1,981
輸送船 90
対潜艦 105 >>651
まあ「ソ連をドイツが倒してくれるに違いない」と言う前提で戦略を立てるとか
無責任にもほどがあるからな。
現実に可能性があったとしても取れない戦略だ。
もしソ連を打倒できると仮定すればシベリア経由で最低限の石油を供給することも可能だけど― 北信論とか言うけど日本はソ連の南下を防ぎたいのであってソ連を倒したい訳じゃないから ドイツの水際作戦は難しいよ
艦砲射撃の餌食にしかならん ユタビーチをストビューで見てみたら
グンマーよりも田舎でガッカリしたw >>656
艦砲で陣地を吹っ飛ばすまでに上陸部隊はMG42でバタバタ殺されるけどな。
巨砲と機銃でどっこいの損害。素晴らしい交換比率だ。 機甲部隊に戦力の大半を依存してたからなかなかどうしようもない 向上心のない奴はバカだ!とニートの分際で下宿の美少女の
寝取りを狙うボンボンのダチ
に言われたら豆腐メンタルせんせいは生きてく希望もなくなる >>10
>>123
>>290
アニメとか気持ち悪いんだよ。
アニメオタクが一番嫌いだわ・・ >>656
そうでもない
まず連合軍は上陸方面を欺瞞する必要性から、ノルマンディー方面には十分な準備砲爆撃をすることができないという作戦上の制約がある
例えば硫黄島戦では上陸3日前から大規模な艦砲射撃が開始された(ちなみに海兵隊の要求は1週間以上であったが、諸般の事情で切り詰められた)が
オーバーロード作戦ではそうはいかない
これが太平洋の島嶼作戦と欧州の大陸反攻作戦の大きな違いの一つで、よく準備された陣地に十分な兵力が布陣していた場合、勝敗は読めないだろう 陸上に対する艦砲射撃の命中精度ってどれくらいだったんだろう?
海岸からせいぜい数百メートルの幅の陣地に正確に着弾できたんだろうか? >>663
損害は読めないけど勝敗は…
史実よりもより大きな出血を強いることができる可能性はあるけど撃退は無理じゃない?
全ての上陸海岸を完全に守りきるには戦力が足りない。 日本がアメリカと戦争してなかったら、どうなってただろね。結局米ソは対立してただろうけど。 >>664
昼間で制空権あるなら狙った場所に
結構正確に着弾するみたいんだね。
でも硫黄島や沖縄みたいにしっかり穴掘られちゃうと
見かけの派手な爆発の割にはあまり被害が無いつー みんなどんなにか怖かっただろうねえ
20歳かそこらで ロンメルが英雄であるかのように称えられるのは
ヒトラー暗殺未遂事件のせいじゃないのか? >>664
アッツ・キスカ奪回作戦のころは十数kmの距離から砲撃していた
これでは効果が薄いとわかったので、ペリュリュー等の戦いでは数kmにまで接近して撃つようになった
だがこれでも効果十分とは言えないとわかったので、硫黄島戦では僅か数百mまで接近して撃つようになった
米戦艦艦長たちは「日本軍の陣地が強固なので、目標を肉眼で観測できる距離まで近づいた」とか「40mm機関砲も攻撃に使用した」とか
報告書に書き残している 海岸の防御拠点を突破しても、次はボカージュ地帯で一進一退がある。
上陸後にある程度奥行きを確保できないと後続部隊の揚陸がままならなくなる。
無駄に兵力密度が高くなると損害が増えるし。
当初ロンメルが計画したように、装甲師団群(21PzDiv、SS12PzDiv、PzLehrDiv)が海岸近くに配備されると、この段階での突破が著しく困難になる。
装甲師団だけじゃなくてそれを支援するネーベルヴェルファー旅団、空軍高射砲連隊(含む88mm)数個が加わるだろうし。 >>670
砲弾の威力は変わらんし命中精度も静止目標なら外さないと思うが…
まあ相手の反撃がないなら近い方がいいか。
弾着観測も早いし。 >>669
イギリス軍からはアフリカで戦ってる最中から既に英雄視されるようになっていた
アフリカのイギリス兵はドイツ軍のことをいつからかロンメル軍と呼ぶようになっていたが
兵が過剰に敵軍のことをリスペクトすることを危惧して全軍に敵をロンメル軍と呼ぶことを禁じる
通達を出してるくらい >>665
そう、だから「十分な兵力が陣地に入っていれば」と前提を付けた
逆説的だけど、ドイツ軍の兵力不足を見越し、その効率的配備を阻止するためにも
上陸方面の欺瞞に特に力が入れられたわけだ
十分な制圧艦砲射撃をすることよりも重視されたんだね >>628
スポーツ的だったのは北アフリカぐらいじゃね?
ドイツ軍のギリシヤ侵攻も比較的フェアな戦い方だったみたいだけど。
ノルマンディー戦だと連合軍も結構えぐいことやってる。
戦車に捕虜のドイツ兵を縛り付けて楯にしたりとか。 >>672
>前略)そのような防衛に対しては、長距離、中距離の砲撃は単に効果がなく、 非常に多くの貴重な爆薬が大量に一般的なエリア砲爆に浪費されたのである。
>理由は 2 つある : 第一には、上で言及した隠蔽やカモフラージュは 標的の位置が非常に近距離で初めてわかることであり、 上で述べた標的偵察の計画が、
>この目的には大いに効果があったわけでないのである。
>第二に、発見された場合にも、標的は大量の土塁で補強されていたため、 標的を暴露するために極端に重い至近距離からの砲火が必要となり、 そこで始めて本質的な破壊作業が始まるのであった。
>この点に関してエリア砲撃は非常に限られた効果しかないように思われる。
> 一般エリア砲撃は敵を揺さぶり接近を可能とするために、初期段階では必要ではあるが、 制圧砲火に信条的な信頼を置くことは見直す必要がある。
>
>困難で不愉快な事実であるが、直撃を何度も繰り返さなければならない点は認めなければならない。
>これにより至近距離からの砲撃と精密な観測が必要となるのである。
>自然に、これにより海岸防衛の大砲の脅威にさらされることとなるが、 任務のためには敵の砲火を被弾する危険は甘受せざるを得ない。
>硫黄島においては、我々の重船に対しての敵の砲火は意外なくらいに軽度なものであった。
>しかしながら岸から 2000 ヤード以内からの砲撃には D マイナス 3 以後しばしば遭遇した。
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4H/iwojima-2j.htm オランダとベルギーは上陸地として適していたと思うけど
むしろブルターニュ半島とかノルマンディー半島の方が、ガリポリに似た海から上陸して陸路進軍が圧倒的不利な地形だ。
ディエップ上陸でこれら低地三国上陸が難しい戦訓が得られたと思うが詳しくはわからない。
住民の犠牲を抑えつつ上陸軍の被害も抑えるのは不可能って辺りに行き着くのかな。
ベルギーは反攻上陸地となることを好まずドゴール政権は進んで手を挙げたってのもあるな
ノルマンディーを選んだ事でパリ経由は確定
ベルリンは取りこぼした ノルマンディーでは無線傍受して、そこに戦艦の砲撃を加えたんだよな
司令部が吹っ飛んで司令官が戦死
ロンメルはヤーボの脅威は知ってたが、
艦砲射撃は計算してなかった。
知るわけないから仕方ない話だが、海岸貼り付け部隊はほぼ機能しなかった >>677
要するに、個艦ごとに勝手に観測して勝手に撃てってやり方だったと。
その場合は確かに自分で見える位置まで寄る必要があるな。 バルジ大作戦の映画は勉強のおさらいには良かったって高評価だった 幹部学校で教えてた人
それにしてもM47の凶悪な面 ゴルゴによると
チャーチルとロンメルには密約があったと >>681 榴弾曳火射撃みたいな火力が効きにくかったってことかと >>683
「バルジ大作戦」は映画としては糞だったけどな。
「パットン」の方がずっと良かった。最高は「Das Boot」だが。 >>685
ですな
日本陸軍による試験でも、重掩蓋陣地に対しては戦艦主砲のそれも含めて榴弾では効果が少なく
完全破壊するには徹甲弾の直撃が必要としてる
大口径の艦砲を小さな目標に直撃させるには、ほぼ水平弾道の直射、つまり至近距離からの射撃になる、っと 大木先生って昔シミュレーターって雑誌にドイツ軍の記事を連載してたな
ロンメルの記事も確か読んだわ
師団長としては文句なく有能だが、軍団長としてはちょっと疑問、軍司令官としては無能って評価だった気がする >>687 アートとしてはパットンがはるかに上
Uボートは不出来だと思った。ナイーヴな厭戦調味料ふりかけないと映画も作れないのかっていう軽侮 60年代は戦争映画のビンテージ期
サンパブロ
レマゲン
戦略大作戦
アリステアマクリーンシリーズもありかな
空軍大戦略
寅
この次にこれこそ映画って感動したのはライトスタッフ
お口直しにプライベートベンジャミン
地獄の黙示録は金返せ >>682
日本は太平洋で漁師が漁船で米軍艦船を監視する「黒潮部隊」を配置していたが、発見して無線連絡すると
米軍に位置が分かって攻撃された。木造船で装備も貧弱なので無線連絡は同時に撃沈・死を意味した。 >>688
ただまぁ機銃座を潰すような歩兵砲レベルの直接標準の水平射ならともかく、中大口径砲の直接射は日本陸軍は積極的ではなかったわけで・・・
どうしても日露戦やww1の塹壕戦の影響で、掩体壕への大口径臼砲とかの攻撃力が目を引いちゃってたからなぁ ロンメルを描いた最初の映画は、砂漠の鬼将軍だろうな。 親衛隊が実は外国人しかも劣等民族と見下してたスラブやイスラム系まで入れてて途中から外国人の割合の方が多いとか
映画や小説で描かれる精強なドイツ軍とは実態は乖離してたり中々面白い
まあロシアは勿論フランスあたりのSSに参加した奴の末路とか調べると大概悲惨だけども >>694 電信に使うような短波って
昼と夜とで伝播特性違うし、直接波が同時に複数局に傍受されたとしても、精々幅20度の扇形程度しかわからない。下手すりゃ後ろと前がわからなかったりする
それに、電波出したか出してないか尋ねるまでもなく見つけ次第余った弾を浴びせてくれる。
そんなに高精度の発信源探知手段は今でもないよ >>699
ところが英海軍が使ってたハフダフのような電波源探査機は、10MHz帯のような比較的安定してる伝播の周波数帯の探知も得意だったりして・・・
この辺りの周波数は比較的伝播が把握しやすいので、広洋に進出する帝国海軍も多用してたりするっす 20kHz位の幅で周波数軸に分割してた時代の無線通信
高速スキャンもまだないから、無線略号とかで手際よく送信して切られると、2局以上で方向を同定出来ないんです。割と強かったです程度ではねえ 日本人が開発したアンテナ!?それを日本軍は使わずにアメリカ軍が使ってた話もある
ノルマンディー上陸もイギリスが提案したDD戦車をアメリカは使わず被害拡大
昔の人は、やんわり頭を持ってなかったし上下関係の力関係が凄かった 対してパットンだったら絶対に犯さなそうなミスだな。
その分、部下の受けは非常に問題だったと聞くが。 近代戦以降にまともな将軍をほとんど輩出できていない日本人が
ロンメルの評価をつけるというのも滑稽というしか イギリスが第一次世界大戦参戦したのはドイツがベルギー侵攻したから、ナポレオンとイギリス軍がぶつかったのはベルギーとベルギーとの利害関係大きい。
それ考えるとベルギーから上陸してドイツをひきつけ、フランス南部から上陸作戦やって挟み撃ちとかやれたのでは? >>699
GCCSのRSSがThrusoで方位測定の較正を行っている写真があるが、
finding station was calibrated with greataccuracとある。
コの字型アンテナが4本たっている不思議なアンテナだが
精度数度くらいはあったらしい。
今のアマチュアが数万円以下で使える全方位探知機でさえ、10-20度だ。
八木、ロンビック、CQ、カーテンを使えば数度以内でいける。
ついでいうと、当時の技術で10Mc(MHz)は、超高級。
長距離通信には10−20M(アマチュアの14MHz)がいいが、大変。
どこかに米軍傍受周波数の資料があったから、探してみる(探せないかも)
ついでにいうと、:Culmheadの傍受局のアンテナは、8エレ八木(・宇多)の変形3段スタックだ。
(LPA風)
ついでに、ユトランド半島のツエッペリンをフランスからHF/DFした図があるが、
精度は数km未満、おそらく2kmくらいだと思われる。 >>706
現在の技術−−−裏恵庭とか喜界島とかみたいなのは別格官弊大社ということで
傍受局を複数設置(3つ以上が望ましい)
原子時計(JJYでも)で同期。
同じ周波数を受信
位相差をはかる
ロランやオメガのような双曲線航法を使う。
線が2本以上できるから、その交点が場所。
常に基準となる送信所で校正をかければ、伝播の違いは吸収できる
(すばるみたいな天体望遠鏡が使うAdaptive Opticsと同じ原理。
すばるは、宇宙にあるハッブルより解像度が上がってしまった) >>709
短波帯なら、数m離したアンテナで精密に位相差をはかって
基準局で較正すれば、線が一本引ける。
友達と同じことをやれば、アマチュアでもOK。
位相差は簡単に(精度は低いが)表示することもできる。 >>324
>ドイツが勝てる可能性はあったと思う。
>@モスクワ占領したら、ソ連軍の指揮系統崩壊、戦意喪失。
???
【全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる】
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201 >>494
アメリカが国内の厭戦ムード
に押されて手を引いただけで
北は北爆のせいで主要都市は
焼け野原にされて
補給ルートのホーチミン・ルートも
B52の爆撃が激しすぎて
アメリカ軍機が進入禁止の
カンボジア領内に逃げる始末 >>324
ソ連の要人は、東南東700kmのジグリの地下壕に移動した。
ソ連政府は十分維持できる。
じっくりと反攻すればいい。
肝心なのは黒海、カスピ海などの油田・炭坑地帯・工業地帯・農業地帯を維持すること。
逆に言えば、ドイツはモスクワではなく、南部を取るべきだった。
政治的な効果だけをねらうから負ける。南部なら温かいし。 >>712
大統領直属(非公式)のエスタブリッシュであるメントワイズメンの報告でも「勝てない」と言うことになっていた。
クリフォード国防長官も「勝てない」と
CIAも勝てないと言い続けていた。
南ベトナム維持のために、予備役動員が必要だったが、政治的に不可能だった。
東南アジアの地域紛争に予備役動員を考えるまでに追い詰められた。
動員したら、欧州正面でソ連に、朝鮮半島で中ソに対抗できなくなる。
厭戦論は重要だが、上の要素が大事。
「北ベトナムは負けたが南ベトナムでは勝った」というべきか。 >>577
でもスペイン義勇兵部隊は、フツーにドイツ軍の一部として活躍してたぞ
むしろ非ドイツ人部隊としてはやる気あふれてた部類
ドイツ製の兵器装備してたおかげもあるが >>713
確かに、どうせ冬季装備間に合わないし
1941年は中央はスモレンスクまでにしておいて防御体制とって、南部に集中するのも手だったかも。 >>698
ドイツは猛烈な人手不足になったけど、国防軍が外人使うわけいかなかったから
「純粋アーリア人のみ」とか言ってた親衛隊が外人部隊だらけになったんだよね。
最後国会議事堂守ってたのもみんな外国人。 >>712 わかってたらいいんだけど、初心者の誤解を防ぐため指摘します
解放戦線支援の補給路が無数に存在した中で、シアヌーク 中共への配慮から攻撃が出来ないカンボジアを軍事的に恫喝して使用した同領内のを(これも無数)ホーチミン・トレールと呼びます
定義の問題 ヒトラー暗殺しようとして亡くなった人だから
名誉は回復してる
ドイツの偉大な元帥 ネトウヨ「我が日本陸軍が守備隊に加わっていたならば上陸は阻止できた」 別にドイツ帰国してなかったとしてもヒトラーがおねむで機甲師団も動かせないなら同じことよ >>693
↓ ワイが好きで、>>692が嫌いかもしれない戦争映画
博士の異常な愛情、M★A★S★H、プラトゥーン、
トロイ、レッドクリフ、太陽の帝国、硫黄島からの手紙
スパルタカス、ワルキューレ、父親たちの星条旗、チェ
ライトスタッフ、大脱走
ダンケルク、ナバロンの嵐、誰が為に鐘は鳴る、
地獄の黙示録、プライベートベンジャミン、
遠すぎた橋、フルメタルジャケット、
西部戦線異状なし、戦場のメリークリスマス、
史上最大の作戦、眼下の敵、パリは燃えているか、
は気になるが未だ見ていない でも リビアからカイロまで自走させたら
オーバーホール行き 多分走破率1割
トロイ軍曹の勝ちは鉄板 カセリーンの会戦にロンメルいたっけ?
パットン映画にはそれっぽいのが出てたけど >>727
いませんよ
映画でもパットン!おまえの本は読んだぞー!て叫んだが結局本人はいなかった、みたいなくだりがちょっとあったはず >>720
ロンメルは暗殺計画には関わっていないよ
本当に関わっていたら、計画実行時にあんな場所にはいない
ただ常々反ヒトラーグループ含む親しい者たちに、この勝ち目のなくなった戦争を止めるためには
ヒトラーを何とかしなくてはならぬと口にしていたのは確かで、それが事件後から今日に至るまでの誤解の種になった
ロンメルにとってヒトラーは、軍部にあって非主流派だった自分に元帥杖をはじめとして数々の勲章と名誉を授けてくれた恩人でもあり
また実直な性格から総統への忠誠宣誓にも心を束縛されていた
よってそのスタンスは「誰もやらないのなら、最後に私が手を下す」という消極的なものだった
これはロンメルに限らず、反ヒトラー派で括られる当時のドイツ軍高級将官達の多くが同様であった
要するにヒトラー排除の必要性を認めながらも「誰かがやってくれないかなあ」とボンヤリ願っているに過ぎなかった >>727 >>728 カセリーヌ峠
フォン・シュタウフェンベルクは居た? 「ソ連は兵士の数が多いだけで、戦略や戦術、兵器の質が劣っていた」みたいなこと言う奴がいるけど、
トゥハチェフスキー、ジューコフ、チュイコフ、ロコソフスキー、コーネフ、ヴァしレフスキーを筆頭に頭の切れる戦略家や戦術家が沢山いた件 >>731
元帥=終身+兵科を超えた存在
だが
ソ連軍には、兵科元帥の上に「連邦元帥」がいた
アメリカ軍は、統合軍(昔の名前)総司令官は各軍の大将で、4軍を指揮下に持つ。
日本は、東郷元帥と山県元帥が、日本全体を動かしてしまった。
その呪縛から逃れられなかった悲劇。
(正月に東郷神社に行くと、ただで甘酒を飲ませてもらえた) >>725
現在でも、戦車の長距離走行は厳しいと思っている。
アメリカ軍はよくバグダッドまで行けたと感心した。 そう、演技で叫んだだけだ、
ロンメルは西とコンタクトを取っていたし、
ロンメルも、
ヒトラーを殺したかったのだ。
以上 モスクワは首都だが首都陥落という心理効果の他にはモスクワ取ったってさしたる意味は無いのにな
首都が落ちたって続けるつもりで準備もしていたし ロンメルは西とコンタクトを取っていたし、
だから、
Dデイに
フランスから離れたのだ。 >>727
カセリーヌ峠の戦い(2月19日〜25日)の時は、まだロンメル
敗北により、3月6日にパットン任命
経歴に傷をつけさせないために、3月9日にロンメル解任
パットンが指揮を執る頃には、ロンメルはいない
すれ違い
Patton (3/5) Movie CLIP - Rommel, You Magnificent Bastard
https://www.youtube.com/watch?v=dObTXYa-_n4 だが、
ヒトラーって、
「失敗は許さん」とかの、、、
馬鹿な、
高校野球かの鬼監督とか、、、、
日本のプロ野球の監督で例えると、
星野仙一とか、野村克也みたいな奴なのかもしれん。。。
だったら、戦争しなければ良かったのに。。 >>734
ヴァシレフスキーは
46歳の大佐として参謀本部作戦局長(戦時中)、その5年後に極東軍総司令官として関東軍を撃破。 星野仙一とか、野村克也みたいな奴なのかもしれん。。。
俺が神
俺は神
そして、
俺は神
俺が神
ミッドウェーにしろノルマンディーにしろ
運良くそこを凌いだところで戦争が長引くだけでどうやっても敗戦しかない 戦争中に妻の誕生日に戻るとかそんな大馬鹿の話されてもな。
天気予報がどうとか関係なくない?
いや、もちろん休息は大事だけどさぁ。 >>733
徹甲弾が存在する=実戦配備の時点で想定済みなので
疑問視するものでも無いしロンメルが発案者でも無い 米国=にわかの、小心者のキリスト教
ロシア=老舗のキリスト教
中国=「チョメリバ」とか言わない、、 あたかも日本人からしたら歴史 >>747
まあ魔がさしたのかもしれないが
天気予報を信じてたら、戦史でも悪天候下で強行した奇襲とかいくらでもあるわけでうかつだわな
おそらく一貫としてカレーではなくあそこが上陸地点と思ってたのはさすがだとは思うが >>733
下向きだって撃てますぜ
先米じゃないし >>752
「マスターキートン」に、イラク軍の将軍が
自軍の(人が入った)戦車を次々に川に沈めて、その上を通って相手を撃破したというのがあった。 例えるなら神風は当時のアメリカに吹いたとでも言うべきなんでしょうね。
ミッドウェーでも神はアメリカに味方したと言ってもいいくらいアメリカがうまく
先制攻撃を決めてるからね。あれがなかったら激戦間違いなしでした。
日本人は誤解している一面がありますが、一旦戦うと決めた時のアメリカの兵士たちの
精神力は並大抵のものではないからね。
当時のアメリカの司令官の方々には思い切りの良さがあったからね。
それがことごとく好結果に繋がっているのです。アメリカ人の精神力が強いから
そういう相手がじっくり待ち構えている状況でも先制攻撃が可能になるのであってね。
ただ、一言だけ言える事は、機銃掃射の中で突っ込むような、
あんな自殺行為は関係者のみなさんは二度とごめんだと思ってるでしょうね。 >>541
陸軍はマッカーサー相手に百万人が死ぬほど負けたんだが? ロンメルなりに海岸の防御を強化する努力はしてたようだが、
上官のルントシュテットは内陸に誘い込んで撃滅する方針だったから噛み合わず
戦力の配分が中途半端だったというのもある 何をどう足掻いても西部の殆ど二線級の碌に充足してない軍で連合軍の物量祭りに抵抗できるわけねえだろ どんなに強力なパンチを持っていても、それをふりかざすタイミングがつかめなければ
そのパンチは宝の持ち腐れですからね。
どんなパンチでも、そのパンチを出す前に拳を痛めたら意味がないのであってね。
何度も言ってますが、当時の連合海軍は無駄に勝ちを積み重ねすぎたにも関わらず
その慢心を自戒しなかったのでしょう。その時点で神から見放されても仕方がないのです。
そして、一度の敗戦が取り返しのつかない事になる事も学んでなかった。
マッカーサー氏は一度負けるべくして負けたんだと思いますね。
そのおかげで慢心する事無く、日本を軽んじる事なく再戦での勝利を果たし、面目躍如できたのです。 88ミリ水平射撃と少しは関係あると思うが
北アフリカは曲射が当たらないという
米国砲兵に未経験の事実が突き付けられた
この続きはみんな知ってるよね >>757
米英軍の境界から突破してマルベリーを破壊
地図みてれば当然の発想
そしてそれを実行するには引いていてはできないし
機動戦力を集中する必要がある 連合海軍と言ったら誤解されるので帝国連合艦隊と言うべきですね。
どちらも先手必勝という言葉そのものになったのが皮肉だね。
そして、先制攻撃の思い切りのよさというのは機動戦術を重んじた
当時の大日本帝国軍の十八番だったのだから皮肉もいい所です。
ミッドウェーが本当の意味でのアメリカと日本の”開戦”だったからね。
どちらも準備万端で戦力的には日本の方が有利だと思えるレベルでの完敗なので
当時のアメリカのインテリジェンスが上回っていたと認めるべきですね、何度も言ってますが。
マッカーサー元帥は負けるべくして負け、そしてその負けを活かして一番大事な戦いで勝利したという事でね。
敗北こそが最大の教科書なのでしょうね。真剣勝負においては一勝というのは生きるか死ぬかだからね。
慢心などあってはならないのが普通なんですけどね。 >>756
ちょうど今月のナショジオで特集してるわ
そもそもヒトラーが大西洋の壁構想の中でもカレーだのチャンネル諸島だのに上陸を予想し、そして最後まで固執し
防備建設資材も人的資源も集中的にそこに投じていたのが問題、ロンメル以外の幕僚達も呆れるしかなかったという。
特に要塞化までされたチャンネル諸島の将兵らは、自分らのとこに来ると思っていた連合軍の爆撃隊が素通りし友軍に空襲しに行くのを
黙って見送る(ホッとした)しかなかったとういう喜劇。 ヒトラー暗殺に成功したと仮定して、その後政府首班に据えられる人物となると
ロンメルしかいない、ロンメルは野戦型の軍人で政治なんかできないけど
ドイツ国内と何よりも西側での人気を考えればロンメル一択になる
そして新制ドイツ政府は、対西側は講和して対ソ戦続行という可能性が高かった
つまりヒトラー暗殺が絶対に成功して欲しくない国はソ連なんだって
ヒトラー暗殺がことごとく失敗し続けてゆくのはもしかしたらソ連の工作員が絡んでるのかもしれん >>763
「ミッドウェー=AF偽電報」は伝説。
本当かもしれないが、戦後70年たった今でも、実物(コピー、写真)を見たことがない。
だれか、ここで見た人がいるか?
おそらく日本の最高レベルからの情報漏れを隠すためのカバーストーリーだろう。 確かチリだったかに亡命した人も、奥さんの誕生日に花買って帰って御用になってたよな
ドイツ人は、そんなに奥さんの誕生日好きなんか >>763
マッカーサーの I SHALL RETURN.には機密の裏事情がある。
マッカーサーは大統領を狙っていた
最後はトルーマンが解任する。大統領問題だけではなく、中国との泥ぬま地上戦もソ連との核戦争もいとわなかったから。
フィリピンでの裏事情を捕まれたら、退役するしかないだろう。 >>765
ロンメルはあくまで「ヒトラーに引き上げられた人」
ドイツ国内で、政府を引っ張る力はない。
あえて言えば、OSSのスパイといわれているカナリスか、CIAの配下になったゲーレンで、アメリカと組む。
(ソ連のスパイはホワイトハウスにもOSSなどにもいたから、つぶされかも) >>755
赤軍のジューコフ元帥がベルリン入りした後も、米軍のマッカーサー元帥はフィリピンでサボってたからなw アメリカは1944年6月にノルマンディー上陸作戦とマリア沖海戦同時にやってんだよな
日本もドイツもこの時敗北が決定的になった
アメリカ凄すぎ >>765
>ヒトラー暗殺に成功したと仮定して、
>その後政府首班に据えられる人物となるとロンメルしかいない
実際はマンシュタイン元帥を臨時政府の軍事首班に考えてた
(マンシュタインは参加拒否したが)
ロンメルは反乱グループから一応は話があったものの
反乱グループは貴族将校が中心で(姓にフォンが付くプロイセン貴族)
中産階級の出であるロンメルとは最初から考えに差が有った >>766
情報漏れがあったとしても、後は現地での戦術が全てだからね。
だから、負けた言い訳の可能性はありますね。
当時の帝国海軍の政治はかなりどろどろしてたらしいからね。
誰がミッドウェーの決定的敗北の責任を取るんだという話になって大揉めしたらしいですね。
まあミッドウェーは海戦だからマッカーサー氏は直接は関係ないけどね。
ロンメルの戦術については語れるほど情報整理も思考実験もしてないから何とも言えないねw
まあ、ナチスの興亡のような軍記物は結構好きなので今度じっくりネットあさって読んでみるかな。 >>734ヒトラーは伍長までしか昇進しなかった、ノンキャリアのひがみが戦争を歪ませた ロンメルの責任というより、気象観測する方の責任じゃねぇかよ。 戦術レベルでは優秀でも、本邦の誇る辻政信みたいな戦略家ではなかったんだな 辻は無茶な作戦を立てただけだろうが。
牟田口と変わらん。
この二人のせいでどれだけの兵隊さんが亡くなった事か… >>774
ヒトラーは一種の天才、官僚制度の枠に収まるような才能でも性格でもない。
あの過酷な賠償と、スパルタカス団の脅威が産んだ。
ムッソリーニの宣伝技術に目をつけて学ぶという才能もあった。
(フランスには機械を徹底的に奪われている)
(賠償金額は後から相当減額されたが、当時のドイツ人も今の日本人も気にしていない)
最後には、戦争指導が天才ではなく、思いつきになった。
ノルマンジーの失敗もその一環。
プロイセン貴族・・「ユンカー」がより正確。カナリスもゲーレンもそう。 (音声は加工してあります)
Signalの表紙になってからですかね 人が変わってしまったっていうの? 天狗とも
このままうだつの上がらない一般幹候コースじゃ藝がないとか、どっかでかいところに負けない事務所に入らないととか
勝手に装備品に自分の名前付けちゃうしもうアボガド >>770
ジューコフは大戦前にノモンハンでも日本軍に勝ってるからね。 >>777
辻は(大本営の派遣参謀だから)大本営命令をでっち上げて、捕虜の処刑を命じたという。
これで戦後に何人が戦犯として絞首刑になったことか(「私は貝になりたい」だらけ)
本人は生き延びて国会議員にまでなった。
稲田、辻、牟田口、福留など、戦後長生きして天命を全うした。 >>775
ここは年寄りが多いから
「気象台と3回唱えれば、食あたりしない」というまじないがあった(人口に膾炙した)のを知っている
(実際に流行したのは後期高齢者以降)
気象予報官の言うことを真に受けて作戦や準備をする指揮者は無能。
大失敗例としては
洞爺丸事故、八甲田山、米海軍の大量沈没(台風につっこんだ) ロンメルはヒトラーに気に入られて、上にあげてもらったけれど
ヒトラーを軽蔑していた。 >>784
国賊辻が天命をまっとうしたという証拠はないよw
いまだにビルマの竪琴ごっこでもしてるなら別だがw >>787
「潜行三千里」を夢中になって読んだあの頃(東風ちゃん5歳でした) >>779
ヒトラーのどこが連勝に貢献したんだろうな?
悪魔のように強かったよね。ソビエトに
負けるまで負け知らずだったしな なんかこんなファミコンのカセットもってた記憶がある・・・ >>790
とにかく早かったと聞いている。
他国がぐずぐずと会議している間にどんどん攻めてきたと。 >>784
辻や服部らノモンハンで作戦計画を立案した参謀はまったく責任を取らなかったんだよね
自分達の拙い作戦指導を棚に上げて、補給の無い、弾薬も食糧も欠乏して苦しむ現場で、
最後まで死闘を繰り広げた井置支隊の井置中佐に自決を強要したんだよな
須見大佐を予備役に追いやったり
関東軍の参謀たちは前線の指揮官にすべての責任を被せた
やるせない >>757
ノルマンディー戦区には、第21装甲師団、戦車教導師団、第12SS装甲師団といった
十分強力な機甲兵力が居たぞ。あと幾つかの独立重戦車大隊も。
天候次第では、海岸堡に突入して連合軍を大混乱に陥れていた可能性も十分にあった。 アングロは数十年の戦略で動く。
相手が経済成長の段階では戦わずに金儲けし、経済成長のピークを過ぎたら叩く。 >>792
それはドイツ軍の戦略と独裁者ってことの利点だからなぁ。
ヒトラー自身は戦争から装備にまで口出しして軍の足を引っ張ってた >>779
>プロイセン貴族・・「ユンカー」がより正確。カナリスもゲーレンもそう。
大嘘というか無知を晒けだすな
カナリスもゲーレンも貴族ではない
ユンカーというのはドイツ東地方の地主貴族を指す言葉で
プロイセン貴族とも言う(姓にフォンが付いてるそれ)
ドイツ軍本流の参謀将校を多数輩出してる >>795
空軍部隊も置いてあって英軍が上陸した海岸にFW190で銃撃したエースがいる。 >>763
ミッドウェー海戦はインテリジェンス以前の問題。
黒島亀人は「南雲艦隊は無敵」を前提にしてる。リスクテイクとして根本的にオカシイ。
で、自己陶酔で敵を侮り戦力分散の愚を犯してる。
大和の南雲艦隊配備や角田艦隊を随行させるなど、勝つための努力を集中してればあんな敗北にはならなかった。 >>799
映画「史上最大の作戦」では、あの時点で出撃可能な2機だけで
連合軍上陸地点に機銃掃射浴びせていたな。
空軍部隊というと、空挺師団や高射砲連隊が地上戦で活躍した
イメージがあるわ。 >>795
一部有力な部隊がいたと言っても少な過ぎだし
如何せん航空優勢が相手にあるのが厳しい。
天候次第って言うけど、本当に航空支援が全く行えないほどひどい天候なら作戦中止では? >>781
ソ連は日ソ中立条約で満州帝国を公式承認した。連合国の中ではソ連が一番マトモな国だった。 6月の英仏海峡の悪天候ってのは
温暖前線の長雨かな
俺が単発戦闘爆撃機のパイロットなら発進するけど
計器飛行資格なくても離陸して雲の上には出られるし、上陸部隊が野戦NDBでも出してくれたら海側で降下して見るまではできるだろう
編隊じゃない方がいいね ノルマンディー戦でどうしても理解できないのは
あんな狭い海峡に大艦隊が押し寄せてくるんだろ
航空哨戒をしていれば少なくとも海岸に接する前に発見できるだろうに
ドイツ側は何でそれをやらなかったんだろう? ロンメル率いるというのが既におかしくないか?この方面軍はロンメルより上級の指揮官がトップにいたはずだが… >>802
曇天が続くだけでも、近接航空支援や阻止攻撃の効率は大幅に低下する。
ある程度まとった機甲兵力が昼間に移動できれば、上陸直後の混乱から回復し切れていない
連合軍海岸堡に痛撃を与えることも決して不可能ではない。 でも、ヒトラーじゃなければ、グーデリアンもロンメルも上に引き上げられてないんだよな。
古い官僚組織に埋もれていた有能な若手抜擢に関しては評価されて良いのでは。 >>802
作戦中止って海岸堡を放棄してイングランドに引き上げんのか? ドイツ情報部のマイヤー大佐はイギリスBBC放送からフランスに流れるものを分析
ある曲に着目し、これが流れて云々だと24時間以内に連合軍の攻撃が始まると予測したが、曲だけでは何も出来ないと元帥に言われる
そしてその曲の云々が流れ連絡するが、警戒警報を出す程度だった
その頃フランスにいたレジスタンスは動き始め、上陸作戦を遂行させるために情報網を破壊
連合軍空挺部隊は降下位置がズレると沼地や街中に降下するのを懸念してたが、ドイツ軍の真っ只中や街の中に降下した者は多かった
丁度街中の教会が火事になっていて、そこにドイツ軍が集まっており、降下してきた空挺隊員は即射殺され火事の中に降下した者もいて、教会付近は悲惨なことになった
ある空挺隊員は教会に引っかかり死んだふりをして助かったとあるが、確かそのモニュメントがそこに作られたはず 長い日本の歴史の中で優れた戦略家は源義経、大村益次郎、秋山真之の3人しかいない by司馬遼太郎 独のロンメル、米のパットン、ソのジューコフ
戦車のプラモデルで知った 近代日本の優れた戦略家といえば大村益次郎、川上操六、山本権兵衛、佐藤鉄太郎、石原莞爾、小畑敏四郎、小沢治三郎あたりか ヒゲとその一党が全部悪いで日本の旧軍と違ってドイツ国防軍は敗戦後も解体されてないから、
今でもユンカーにルーツもつ将校が大勢いんだろ
なかには先祖がドイツ騎士団とかそんなのも あんだけの船団の出航を伝えないスパイは何をしてたんだ?
しかも戦闘機が2機しか迎撃してないなんてワロタ >>1
こういうこと?
統率 武勇 戦略 作戦 戦術 魅力 野心 義理
75 90 42 64 91 94 62 85 >>805
カレーへの上陸作戦にずっと見せかけてドイツ軍の主力をカレーに向けさせ更に何度も擬装の上陸作戦流してドイツ軍にまたかと思わせ続けた 戦略と戦術の両方で天才なんて滅多にいないよ
戦術の天才ってだけでもすごい人だよ
ロンメルは間違いなくドイツの名将だ ロンメルって次のドイツを担う人だったのにな
ガバガバ暗殺計画に参加するというね 陣頭指揮駄目なのか。
でも英軍は何度もロンメル暗殺部隊を送り込んでたけど失敗してたよな。 >>821
野心あるならクーデターできるくらい魅力ある人だぞ
野心は強くないはず
暗殺計画もあの大佐が次のドイツを担うつもりだったわけだしな ロンメルは暗殺計画を知ってたかもだけど参加しなかったでしょう
貴族の考えた暗殺計画では難しいと思ったでしょう >>810
すごいな、何歳?
1944年に死んでいるから、0歳なら75歳、10歳でも85歳、あり得る。
俺は外国人ノーベル賞受賞者数人(握手2人)、知事5人(握手2人)、国会議員数人くらいだ(演説会は数十人) >>828
ヒトラーは偶然、助かっただけだが。
会議室にいた人物のうち、4名死亡したわけだし。 >>819
ダブルクロス委員会という超秘密組織があって、2重スパイを使って、偽情報を流しまくった。
(MI5やMI6とは別組織)
ノルマンジーなら、その後どうなってもいいから、ひどいウソを流しまくり。
二重スパイを何人か捕まえれば、元から来たスパイも、後から来るスパイも捕まえ放題。
ドイツでも感づいたのはいるが、例によって無視された。
ウッド(本名フリッツ・コルベ)という独外務省もいたし。
カナリスAbwhr長官がOSSスパイだったという情報には根拠があるらしい。 >>826
ハイドリッヒ暗殺は大成功だった
(報復で何百人、何千人と住民が死んだけど) >>817
小畑
陸大校長としての小畑は、徹底した戦機の看破と好機の捕捉による積極攻勢思想を持論としており、
防勢のみによって敵を屈服することは絶対にあり得ず、攻勢!攻勢!ただ攻勢あるのみ。
たとえ防勢にたっても攻勢に転ずる機会を待つべきである、と陸大で教えていた。 WIKI がちで日本に戦術家なんていねえよ
ヨーロッパはww1からww2経験してる
日本はww1みたいな人海戦術はww2でやってる
成功した例はたまたま >>835
赤軍のドクトリン、攻勢の間は相手は攻撃してこないから
どんどん即席の兵士を突撃させる。後退する奴は射殺。 WW1で近代戦を経験しなかったのは痛かったね
1939年のノモンハンで機械化されたソ連軍大部隊を相手に初めて本格的な近代戦を帝国陸軍は経験するんだけど、
戦訓がいくつもあったのにそれが生かされなかった&生かせなかったのが痛かった
中国大陸で戦っていた相手とはまるで違う火力と機動力に我が方のいくつもの部隊が包囲殲滅の憂き目にあった
連隊長や軍医すらほとんど全員戦死するような激しい戦闘の現実があった >>517
当時の子供達は知ってる名前のイメージから商品を選ぶって傾向だったので、分かり易い愛称を付ける事が売上に繋がったとかって話だったと思う >>838
>>840
よく読んどけよそういうことよ
ww1はバンザイ突撃や特攻みたいなの連続だから
結局20年遅れの戦術に兵器だけはまともなんて効率的に運用できるわけないわ ペリリューや硫黄島で行われた日本軍の戦術は、
歩兵の防御戦術としては完成されていた。
米軍海兵隊は大損害を受け、
硫黄島戦に参加した部隊は沖縄戦に参加できないほどの
損害を受けてしまった。 >>831
戦場に偶然はないことを貴族のお飾り将校は知らない >>840
日露戦争で近代戦の一端は経験してるはず
ドイツの観戦武官が詳細な記録を送っていたからこそ、西部戦線での塹壕戦が起きる
アメリカの観戦武官が簡単な記録を送っていたのとは対照的
当事者として戦場にいた太平洋戦争で軍隊全てを指揮するようになった人間が、目の前での出来事が戦争の全てだと考えていたし
一番の弊害は日本軍自身にあった。御座なりな参謀教育と教育期間中の席順で司令官になるのが間違い
朝礼に顔を出せば全てが理解出来る人間もいるけどね。凡人が集まって天才に対抗する参謀システムの弊害だな
日本人の組織力の弱さは今の経済状況を見てれば分かる。みんな力を合わせて頑張ろうって言ってるんだぜwww バグラチオン作戦の成功の方が影響は大きいけどな。
実際にベルリンを落としたのはソ連だからな。
↑願望と現実の区別がつかない土人の妄想が続きます↓ >>843
ペりリューと硫黄島な 他の島ではほぼ一方的にやられている。 >>848
日本の実力では小笠原諸島かフィリピンの南までの確保がやっとだった。ってだけのこと
ペリリュー島なんてアメリカ軍にとってどうでもいい島。パラオ諸島の日本軍を過大評価したから起きた戦い
アメリカ軍にもいい加減な司令官がいたってことだな。マッカーサーなんてアホの代表格だろう 欧州戦史関係のスレは、よく知らなくても読んでて楽しい
日本絡みになると変なのがいっぱい来るから
戦国史はマウント合戦がウザいし室町以前はすぐ過疎る
古代史になると時々「ムー」を読んでるのかと錯覚する >>351
戦局も理解できず、無意味な作戦立てるのが日本人の誇りだよねw 日本は有能な将がいてもいわゆる主流派とは違う意見を主張するものだから、変わり者と見られて軍中央で孤立して早期に予備役編入に追い込まれるんだよな
合理な考え方よりも、昔からの先輩後輩のしがらみや日清日露戦争以来の伝統やらが新しい戦略戦術を取り入れることを妨害する
ナチスやソ連なんかは新しい国だからそういうしがらみが少なかったし、アメリカやイギリスは日本よりもずっと合理的に動くことができた
日本のやり方が上手くいったとしてもその賞味期限は30〜40年くらいなのではないかと思う
日清日露からの戦争のやり方であったり、高度経済成長からのバブル崩壊だったり
実際、今の日本はずっと閉塞状況にあるわけだし いくら戦術上強い軍隊が居ても大戦略で間違ったら全く無意味になるという話か
日本も全く同じだったな ロンメルは好き勝手やっていたからこそ評価されていただけで
勇将ではあっても名将ではないねw >>835
まずは絶対負けない態勢を作ることに注力し、そこから攻勢に転じて疲弊しきった敵を
一気に殲滅するモントゴメリーとは、完全に真逆だな。 >>854
近代以降、日本が強い軍隊なんて保有していたことなんてないけどな
弱卒がいくら頑張っても無理なモノは無理やな。日本人自身が大したこと無いもんな (‘_‘)r鹵<<< < `Д´>>>858 プシューッ
殺虫剤 ロンメルとハルゼーは従軍記者の扱いがうまく、好意的な記事を多数書いてもらったため
国民によくその名を知られ、それも出世の一因になった
ロンメルの自己顕示欲の強さは、第一次世界大戦のとき、ユンカー出身の連中に手柄を
かすめ取られた経験によるものかもしれないが >>852
意味や戦局なぞどうでもよくなるくらい大陸打通作戦は連戦連勝快進撃の歴史的偉業だった。
チャンコロは日本人の軍刀に斬り伏せられるためだけに生まれてきたみたいな生き物だった。
中国のチンピラゴロツキを老若男女問わず徹底的に3500万人大虐殺して大陸打通3000キロ。
日本刀でチンピラゴロツキを斬って斬って斬りまくって、昭和20年の3月まで進撃を続けてた。
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
どんなにしつこい日本軍へのネガキャンも、大陸打通作戦にだけは歯が立たない。
思えば明治以来、大陸打通作戦ほどに非の打ち所の無い完璧な名作戦は類を見ない。 >>1
奇襲て、SASやLRDGを活用したイギリスと同じ事をやっていたんやな。 戦場でいくら連戦連勝しても、戦争に負けたらなんにもならない。
戦略の失敗は、戦術ではとり返せない。 >>859
ほんと、この手のスレにはすぐに害虫が湧いてくるよなぁ。 >>1
制海権が無いんだから
遅かれ早かれそうなるのは当たり前なんだけどね >>840
激しい戦闘って言うか、ほかの軍隊なら降伏する場面でも戦死するまで戦ってただけだが ドイツにとって東部戦線はやるべきじゃなかったし、
日本にとって太平洋戦線はやるべきじゃなかった。
二正面で戦って勝てた国はアメリカのみ。
アメリカの国力は圧倒的なんだよ。 まあロンメルいた所でオマハビーチの物量作戦止められたとは思えんけど >>867
後知恵で言うなら、北アフリカ戦線やギリシャ戦役こそやるべきじゃなかった。
「我が闘争」の中でもドイツ民族の生活圏拡大先はロシアだと明言されていた以上、
対ソ戦は必然だと思う。その対ソ戦に全力を集中する為、北アフリカやギリシャで
無駄に消耗するとか言語道断。 >>868
2正面作戦は、成功させた国は無いんだわ 勝っている途中で参謀が大馬鹿やって、最後は負ける
このパターンからドイツは逃げられない >>823 >>833
アリガトウ良く分かりましたわ >>871
アメリカは太平洋と大西洋そしてソ連への援助まで同時進行して勝っているのだが >>874
だから、そんな恐ろしい国に戦争仕掛けるとか、他の国がどうかしてるんだよ。 >>870
別にやりたくてやったわけじゃなくてイタリアの制御が効かなかっただけなんだが >>870
さすがにその批難はヒッちゃんに酷すぎる
お友達のムッちゃんを助けるため仕方なく引き釣り困れたんだから 第二次世界大戦の名将っていうとまずはこの人を思い出す >>799
二日酔いどころか酩酊状態で出たプリラー少佐かw 海岸に無数の地雷や杭を打ったり、対落下傘部隊用に後方に沼地作ったり、かなり実践的な有効策を次々とってる。 >>863
日本人は中国人よりは圧倒的に優秀だが? >>877
イタリアはギリシャでへまやり、北アフリカでもぼろ負け スターリングラードでは
側面がら空きのルーマニア軍らと防御戦で総崩れして敗北の一因。 イタリアバカにしてるけど、正直日本軍も同じ目にあうぞ >>871
日本がソ連に宣戦布告して東西両方から攻めれば、結果がどーなっていたか分からない。
日本は真珠湾攻撃をするより、ソ連と戦うべきだったのでは? 実践的な有効策を次々って表現は
ロンメルの長所をうまく表してるように思うわ
>>883
海軍のへたれっぷりも追加しといてくれ イタリアは一応同盟国だしファシストの先輩だから少し遠慮もあったのかなあ
もっと早くからもっと強力に支配できればいくらかマシな展開もあったと思うんだけど >>882
アンカー先を間違えてるようだよ。ご注意。 >>814
その司馬遼太郎も源義経の小説は最後は飽きてぞんざいになっている
結局、平将門の頃より格段に「国力」の増した関東の軍勢のおかげ
その関東勢を束ねた頼朝の功績 >>840
イギリスの要請受けて陸の欧州派遣して痛い目受けてたら
WW2のあの戦い方はもう少しまともだったんかね アメリカ軍の、布で囲った水陸両用戦車って何だっけ? >>885
広いだけでなにもない極東せめてどうしろと?
そもそも日本陸軍じゃ機械化されたソ連には勝てんよ >>893
上でも書いたけどソ連軍と航空消耗戦をやるだけで全然違う。
航空戦力の補充を極東に回すならドイツ軍が遥かに楽になるし、
極東に回さないならいくら機械化が進んでいても航空支援なしではまともに戦力にならないので蹂躙してやればいい。 >>892
あれはイギリスで開発された装備を付けたので、
シャーマンDDである。 >>848
ガダルカナルとかニューギニアとか沖縄とかフィリピンとかはあっさりやられているからね >>894
陸海軍の仲すらうまく行かないのに、ドイツの為に消耗戦とかするかな? >>897
やるわけがない
陸軍が関特演やってたころ、海軍はありったけの爆撃機戦力を投入して第二次重慶空爆「百二号作戦」をやっていたんだから
今度こそ蒋介石を屈服させるんだと鼻息も荒く、陸軍のお手伝いなんかするわけもなく、逆に無差別爆撃にドン引きしてる
陸軍航空隊を無理やり作戦に巻き込んでいたほど >>899
もし対ソ戦やるとしたら陸軍の航空隊でしょ?
ソ連に備えて遊兵化していた戦力を使えばいい。 >>885
スターリンがゾルゲの報告信じて
極東から兵力を引っこ抜いた時も
バイカル湖ぐらいまでなら日本軍が侵攻してきてもいいと思っていたのでは
日本軍も補給が続かないだろうし
日本軍の東南アジアへの快進撃は海軍と船舶が豊富にあったから >>900
たった600機で2800機に挑むんですかい?
常識的に考えて短期間のうちに逆に撃滅される図しか見えないんですが、それは
陸軍自身が「地上兵力半減、航空機と戦車の数が1/3に」ならないと勝負はできないと判断してるし
日本はドイツの使い捨てブースターじゃねえ >>662
同感
アニメ全般を否定はしないが、なんでも女性化するキモアニメは反吐が出る ちなみに独ソ開戦と松岡外務大臣の中立条約無効発言のせいで、極東ソ連軍は最高度の臨戦態勢を敷いていて
独ソ戦初期の航空戦のような奇襲と地上撃破は望むべくもない
5倍近い戦力差を相手に真っ向勝負とか、無理無茶無謀な陸軍参謀達も青褪めるわな
実際ノモンハン航空戦では日本陸軍戦闘機隊は壊滅しかけてるから、舐めて掛かるような勇者もいない >>899
それな
うちの爺様の部隊(陸軍航空隊)も参加してる
爺様は軽爆乗ってた >>906
ノモンハンでは、その「強そうでない戦闘機」相手に大損害を出し最終的に制空権を取られてしまったんだよ
そして1941年8月時点の日本陸軍航空隊の機材は、ノモンハンの頃と比べて大して進歩しちゃいないんだが
Q1)キム○臭いのが「ノモンハンでは日本側大損害ニダ!」としたり顔で語っているけど
A1)いつもの妄想。以下の資料みればどっちが負けたか一目瞭然。
日本は寡兵でも相手により多くの損害を与えました。
−−−−−
https:□//en.wikipedia.org/wiki/Battles_of_Khalkhin_Gol
●ソ連側 戦闘損失/投入機数→208機/900機
●日本側 戦闘損失/投入機数→162機/400機
チンギスハンの時代じゃないんだから
ヒトラーは軍隊まで支持してどないすんねん >>906
ソ連は弱そうで粘り強い場合が多かったんだよ
ベトナムのときも最新のファントムがポコポコ落とされた >>911
敵に与えた損害よりも、自軍が被った損害の深刻さのほうに目を向けなきゃ
>さて両軍はますます戦力を増強する。
>7月21日、ソ連は第56戦闘機連隊を進出させ8月15日には日本が第64戦隊(97戦3個中隊)を投入。
>そして8月21日には第2次タムスク空襲、22日には第3次タムスク空襲が発動されたが、7月12日に加藤中佐(第1戦隊:負傷)、
>7月29日に原田少佐(第1戦隊:戦死)、8月4日には松村中佐(第1戦隊:負傷)と各戦隊長以下、搭乗員の死傷が相次いだ。
>もはや前線の日本軍部隊はズタズタである。
>この穴を埋める為、8月30日には第33戦隊(95戦3個中隊)、9月9日には第59戦隊(97戦2個中隊)、
>9月12日には第9戦隊(95戦3個中隊)と更なる増援が繰り出されたが、もはや97戦部隊は払底しており増援の主力は複葉の95戦部隊と成り果てていた。
>なにしろノモンハン事変勃発当時、日本陸軍の戦闘機部隊は10個戦隊(第5戦隊や第13戦隊などの練習部隊を含む。
>これらの部隊や第4戦隊は1個中隊しか戦闘機を保有していないし第1戦隊や第24戦隊、第59戦隊は2個中隊編成である。)と
>1個独立中隊で23個中隊(97戦×15個、95戦×8個:当時は1個中隊約9機だったので搭乗員の概数は約200名)だったが、
>これらのうち20個中隊(97戦×14個、95戦×6個)がノモンハンへ投入され100名近い戦闘機搭乗員を失ってしまったのだから。
>特に戦闘機指揮官の損耗は激しく戦死者だけで少佐1、大尉8、中尉10に及ぶ。
>「ふうん、戦闘機部隊じゃ佐官の戦死者は1名だけか。」と思ってはいけない。
>投入された7個戦隊(1、9、11、24、33、59、64)のうち33戦隊が戦場にいたのは16日、59戦隊は6日、9戦隊は3日だけなので、
>戦い続けた4個戦隊に限れば11戦隊を除く3個戦隊全てで戦隊長が撃墜され負傷しているのだ。
http://www.general-support.co.jp/column/columun10.html >>910
>ノモンハンでは、その「強そうでない戦闘機」相手に大損害を出し最終的に制空権を取られてしまったんだよ
数値も資料ソースも無く
ただ「大損害で制空権を取られた」という漠然とした話じゃ妄想にしかならんだろ
せめて両軍の損害比率のデータぐらいは添付しておけよ >>903
600って南方に回した戦力だけの数じゃなかったっけ?
Q)今度は「自軍が被った損害の深刻さのほうに目を向けるニダ!」らしいけど
A)ノモンハン事件の主力戦闘機中島97式は、全部で約3400機生産されています。
162機の損失で、その後の戦力に大きな影響及ぼすほどではありません。
−−−−−−−
●中島 キ27 陸軍97式戦闘機
用途:戦闘機
設計者:小山悌
製造者:中島飛行機
運用者
大日本帝国(日本陸軍)
満州国(満州国軍飛行隊)
タイ(タイ空軍)など数カ国
初飛行:1936年10月
生産数:3,386機 >>885
ソ連と戦えばドイツは有利になったかもしれんが
ドイツがそのあと日本を支援するかといえばそんなことはなく
単なる日本の持ち出しになってた
世界分割がドイツとアメリカで行われることになっただけのこと
同盟の実態は、日本のドイツ親派の、激しい片想いでしかない
惚れたほうが負けなのは花街と同じw >>1
この件に関しては、イギリス諜報部がイギリス国内のドイツスパイを完全にホールドして二重スパイに仕立て上げて偽情報をつかませていたという話しだが。 >>1
【大木】 ロンメルは一般的に「名将」と称えられますが、まず、何をもって名将といえるのかを考える必要があります。軍人を評価する際は、「統率」と「指揮」の2つの観点から見るべきです。
戦績は軍人評価で関係ないのか 大木て馬鹿じゃねーか 『ノモンハン事件写真集』の『7月3日に於ける敵戦車に対する歩兵の攻撃』が某国のプロパガンダ絵っぽくて好きv あとづけで申し訳ないけど
辻政信が「「作戦の神様」と言われていたのが
信じることができない >>918
その場合アメリカ対ドイツがメインになって
日本は参戦せずに済むという可能性w
パットン将軍「そろそろナチと組んでソ連を潰しておこう」なんて人も居たし
しかしソ連を潰してしまうと
戦後のボーナスステージ「冷戦体制」を享受できない罠w
結局日本的にはWW2はアレで割とベストに近い結果なんじゃないかな?
WW2後特にバブル期辺りでしくじったというべきか >>920
寡兵で惜敗もしくは辛勝した方を評価するか
力押しで連戦連勝した方を評価するか
の違いじゃないか。 >>923 「そろそろナチと組んでソ連を潰しておこう」
チャーチルも、ソ連は嫌いだったな >>24
日本と同じく極度の物資不足で片道の燃料で敵製油所の手前で見事に燃料が尽きて全滅なんてケースもあるから
敵の物資に頼った戦術は別にロンメルがどうのという話ではなく、物資がないから必然的にそうなる >>910
確かノモンハン前半戦は日本50対してソ連200くらいで劣勢にも関わらず日本の圧倒的優勢、
後半はソ連側がエース級を投入してきたせいで、150対600で数通りにソ連の優勢になった。 >>923
生存圏確保の名のもとに日本がドイツにボコられるって話をしたつもりなんだが
まあいいやスレ違いだ
ノルマンディーの件でロンメルにケチつけるってのはどうにもピンと来ないがな
どこまでやれば名将だったってこの編集者は言いたいのだろうか ノモンハンは現地でもそうだが何より大きいのが戦略的に敗北したこと
当時日本軍は泥沼の日中戦争の真っ最中で、戦略予備として置いてあるのが1個師団しかなかった
それに対してソ連軍はドイツと不可侵条約を結び、やろうと思えば西の兵力を東に動かすことが出来た
この独ソ不可侵条約に日本は「欧州情勢は複雑怪奇」という迷言を残して内閣が潰れ、誰もが日本の敗北と認められる停戦をやらざるを得なくなった
スターリンにその気が無かったから無事に済んだが、その気になっていたら満州国は崩壊、日本軍は中国本土からも退くハメになったかもしれない
もっともソ連がそこまでやったらバルバロッサの時に西の兵力は更に少なく、歴史が変わっていた可能性もまたあるけれど >>915
母数が違うのに比率の話に逃げてもしょうがないだろう
日本陸軍戦闘機隊第一線搭乗員約200名のうち、半数近い100名が4ヶ月のうちに死傷したという事実
あのまま航空戦を継続していたら陸軍戦闘機隊は破滅しかない
>地上戦での敗勢をせめて空中で挽回しようと日本陸軍は躍起になって中国戦線や内地から
>動員できる限りの航空兵力をかき集めてノモンハンに投入した。
>その中にはまだ実戦経験の乏しい戦隊や旧式複葉の九五式戦闘機の戦隊まであった。
>しかし、日本陸軍の総力を振り絞って約250機あまりを集めても、
>ノモンハンに派遣されたソ連軍580機には及ばず、九月一五日まで行われた最後の航空戦での
>日本軍の損害はソ連軍を上回り、敗勢の挽回はならなかった。
「明らかにされたノモンハン航空戦の真実」穴沢柱(『東方』365号(2011年 7月) >>931
250機体制になったのは9月上旬で、9月中旬には停戦が成立してる。
大規模な攻勢は準備中といった状況で、実際にその機数で戦ったとは言い難い。
Q)今度は「当時日本軍は泥沼の日中戦争の真っ最中」で余裕がなかったらしいけどw
A)いつものプロパガンダですね。
「日中戦争」→当時ユーラシア大陸東南部にはまとまっと国などありません。
「泥沼」→日本は1938年から長期持久体勢に入っています。税収がありかなり余裕がありました。
−−−−−−−
★『「日中戦争」しられざる真実』(光人社/黄文雄 2014)
<日本介入中(1937-1945)>
■日本-中華民国間紛争は武漢三鎮占領で戦闘は終わった。内面積で
本土の50%にあたる151万平方km人口の4-5割主要都市を
ほとんど支配下におき工場労働者の90%生産額の94%に及ぶ。
兵員では圧倒的に少ない日本軍だったが。これ以降、日本軍は持久体制に入った
■日本-中華民国間紛争1937の最初の1年で北京,天津,南京,上海,広東,漢口の6大都市の
全て、大港湾の全て、鉄道網の9割、工場の大部分が日本軍の
手中に落ちた。ソ連や米国の援助が無ければ蒋介石は抵抗できなかった。
■日本軍が最も悩まされたのは支那軍の攻撃ではなく不衛生さによる風土病疫病だった。
ペスト、マラリア、赤痢、コレラ、梅毒、腸チフスなど。
戦傷病死者は戦死者をはるかに上回った。
■日本兵と支那兵の損失交換率は大体1対10。
米国人記者チェンバレン著「戦える日本」でもそう分析されている。
昭和14年陸軍省発表で被害10万人。支那側は100万人だった。
■『支那軍の特性』(参謀本部発行)では、「支那兵は自己中心的で責任感が
薄く、よく危険回避の行動を取り、流言飛語に弱く形成不利となると
潰走する。指揮官が部下を捨てて逃走することも多い」と分析。
■華北や華中も日本支配の後は、華中(北)開発株式会社などを設立し、
その下に華中交通、華中電力、華中綿花、華中鉄道、華中電信電話
など設立し開発を進めた。鉄道などは1千kmも建設した。 >>932
ソ連側のように後から精鋭部隊がやってきたというなら「なるほど、やってみなければわからなかった」と言えようが、
日本側の増援の質は逆に低下しており、それすらも払底の危機にあったわけで、250機体制で戦い続けたとしても結果は見えているさ >>917
搭乗員の損耗も、年度による生産体制の違いもガン無視した挙げ句に、
ソ連相手に総生産機数の話にもってくのは自爆行為なんじゃないですかねえ? >>884
第二次世界大戦でイタリア兵は、パーティー開いてダンスして女性を口説いていただけ
シチリア島を取られただけで、ムッソリーニが失脚してるしね >>925
そりゃチャーチルなんて貴族の生まれで大金持ちなんだから、ソ連みたいな貧乏人のインテリ集団が権力を握ってる国家なんて吐き気がするほど嫌いだろうよ エルアラメインのイタリア軍は勝敗が決した後も諦めず
手榴弾と火薬の乏しい武器で日本軍真っ青の肉弾戦に打って出た >>929
ノモンハンから極東ソ連軍の根拠地までの距離が、関東軍のそれと比べて圧倒的に遠かったから、
関東軍作戦参謀は「ソ連軍はノモンハンまでの距離が遠いから大兵力を集積させることは無理。我が方は圧倒的に有利だからまさに『牛刀をもって鶏を裂く』。圧勝だろう」と思っていた
ところがまったく逆で、ソ連軍の指揮官ジューコフは関東軍参謀の想像を越えた一大補給線を作り上げ、
巧妙な偽装工作も相まって帝国陸軍の意表をつき、
8月攻勢で帝国陸軍第23師団を消滅させたんだよな
ジューコフら現地司令官もスターリンらモスクワ首脳も一体化して戦略的に行動したのに対して、
日本は関東軍と参謀本部、内閣がてんでバラバラで意思統一が出来ておらず戦略的にも相手にならなかったんだよね >>918
ヒトラーは著書「我が闘争」の中で、黄色人種を徹底的にディスっていた
ドイツ語の読める人たち(旧制高校ではデカンショが必須だった)
(海軍にも井上などがいた)は嫌いしていた。
山県の作り上げた、在郷軍人組織などが宣伝しまくった。
WIKIより
日本の文化というものは表面的なものであって、文化的な基礎はアーリア人種によって創造されたものにすぎないとしており、強国としての日本の地位もアーリア人種あってのこととしている。
もしヨーロッパやアメリカが衰亡すれば、いずれ日本は衰退して行くであろうとしている。
他にも日本人侮蔑と受け取れる場所が複数ある >>933
大都市を落としたが、農村地帯を無視した。完全な農業国を。 農業地帯を徹底的に毛沢東にやられた。
ベトナム戦争のアメリカの「戦略村」みたいなもの。
アメリカ軍は日本軍を「飛行機操縦には適さない」としていた。
シナ兵の定義が曖昧。便衣兵(ゲリラ)も適当に数える。区別不可能だから、適当に戦果を増やす。
ベトナム戦争で、アメリカも「ボディーカウント」で同じことをやった。
満州などは、アヘンの利益で成立していた。産業振興はやったが、アヘンの利益で成立した。
今の日本が37万km2なのに、中国が10倍も無いとは信じがたい。 このスレ読んでいるとソビエトが怖い優秀な国に見えてくる。 >>77
なんでボヘミアの伍長あがりに
頭を下げなきゃならんのだ >>830
原健三郎という老害議員がいたが、特派員としてヒトラーと単独会見してるんだよな。
それだけはすごいと思うわ。 >>149
後々の歴史家は、首をかしげるだろう。
Führerを起こすことが出来ないなんて・・ >>206
まだいんだな
山本信者w
山本は愚将だよ >>225
そんなことしたら、上陸地点バレるやんw 他の将軍には当てられなかった
上陸地点を予測していただけでも
すごいと思う
時期についてイギリスは慎重なので
予測通り
ただしアメリカは割と勇敢なので
仕方ない ノルマンディー上陸を一時的に阻んだとしても結果は同じだろう
むしろソ連の役割が増してドイツは悲惨なことになっていたかも
あ、でも一方でソ連の対日参戦も遅れていた?
こちらの影響は分からないな >>225
事前の艦砲射撃が思うように行かなかったし、空模様が悪く事前の爆撃ができなかった。
上陸支援に回る予定のDD戦車が沈んでしまった。
何よりも防御にあたったドイツ軍部隊が東部戦線での実戦経験豊富でたまたま休養でここにいた
第352歩兵師団で、上陸したアメリカ軍は猛攻にさらされた。
トーチ作戦のオランと同じようなことをなっていた。
これもヴィジーフランス軍が実戦経験があった部隊で米戦車師団1個連隊が壊滅させられ、沿岸砲で駆逐艦2隻沈められた。 >ノルマンディー上陸作戦を防げなかったのでしょうか。
常識的当時の装備的に、制海権が失っている以上、陥落が時間の問題でしょう。
それに作戦を暖かい夏を選んだてことは、連合軍側が大量の死傷者の救助を意識しているてことでしょう。
戦術傾向として、ドイツ軍が電撃戦に得意とする一方、守りには向いてない軍格がお持ちであって、
我が国と比べるとはるかに物資が充実なドイツ軍であっても、無理な作戦ですよな。
同じ装備なら硫黄戦役も負けることはなく、最終的に拮抗講和に持ち込めるでしょう。そして原爆されることもない。。。合掌 >>943
>このスレ読んでいるとソビエトが怖い優秀な国に見えてくる。
ソビエトは混乱、粛清、大量餓死もあったが、貧農や貧しい労働者の息子でも成績が良ければ
上の学校へ行ける制度を作った
それと、ロシア革命後にポーランドと戦争した時のノウハウが蓄積されていた ソ連のドサクサ紛れのフィンランド侵攻は褒められたものじゃない
フィンランドが日本びいきなのは講和条約で領土を取られたのもあると思う あちこちに秋田犬のマサルを贈っていればこんなことにならなかった >>948
>>176
>>947
つまり、日本は愚将ばかり?w >>953 講和したじゃん 史実は
ソ連を仲介にとかいうお花畑工作は原爆で警告されたとしても
ニューメキシコで爆縮原爆のテストしたのに濃縮能力を推測したり
当たり障りがあるので期はぼかしますけど陸士から佐官3年目辺りまで、和平交渉の随員のご指名があって、急に延期が伝えられたって
延期だけど次もうないし家事の始末とかしておけって言われたそうだ。 >>940
>ノモンハンから極東ソ連軍の根拠地までの距離が、関東軍のそれと比べて圧倒的に遠かったから、
そりゃ中国人の反満抗日なんて皆無だったからな。満州国境は日本軍が有利過ぎ。 >>931
>日本陸軍戦闘機隊第一線搭乗員約200名のうち、半数近い100名が4ヶ月のうちに死傷したという事実
ルフトバッフェと比較すると興味深いね!
戦闘開始以来、九月二十七日までに、一六〇三機が撃墜され、一〇二八機が損傷をうけた。
その総数二六三一機は、戦闘開始のときに任務についた数と、ほとんど同数である。
小型機――急降下爆撃機や陸軍直協機――の損失もバカにならなかったが、より高価で大型の
ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
しかも撃墜された大部分は、ソ連上空であったので、ベテランの搭乗員の損失は、まことに深刻な打撃であった。
ドイツ空軍の戦闘力の出血状態は、しだいにひどくなっていったのである。
ドイツ空軍の飛行機開発・生産担当機関の責任者であるエルンスト・ウーデット上級大将にとって、
ソ連上空での大きな損失は、自らの破滅を意味した。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU2/lf6.htm
↑
1941年11月、ルフトバッフェの非力さに衝撃を受け、設計者は自殺してしまった!! >>929
>その気になっていたら満州国は崩壊、日本軍は中国本土からも退くハメになったかもしれない
中国抗日を支援てもソ連の国益にはならないからなぁw >>915
>ただ「大損害で制空権を取られた」という漠然とした話じゃ妄想にしかならんだろ
1939年8月、ソ連空軍は満州国を爆撃してましたか?
1945年8月、ソ連空軍は満州国を爆撃しましたよね?
あと1945年8月、ソ連空軍は北海道を爆撃しなかった理由をズバリそのままお願いします! 593 名無し三等兵 2017/06/15(木) 20:27:54.92 ID:Cv4caNBI
>>573
>8月一杯つかって周りをキッチリ解放してたから北海道に上陸できんよ
北海道と満州の同時爆撃は出来なかったのか?
日本海軍は開戦の数日間で、真珠湾・マレー・フィリピンの同時攻撃だぞ?
零戦は航続距離も空戦性能も世界一だから、ミッドウェー海戦で勝てばあとはアジア太平洋全域で暴れ放題。
開戦から数日で真珠湾・マレー・フィリピンを同時攻撃できる、こんな夢のような航空隊は類を見ない。 射程距離でキングタイガーが負けた時点でもう勝負あったんだよな >>34
>>139
全然関係なかった
ワンピースでロンメルって単語が出てきていただけだった。。 撃墜王アフリカの星
ロンメルに讃えられたドイツ空軍のパイロット、23歳で戦死
パットン大戦車軍団
パットンの活躍と戦後、ただの戦争物ではない
第二次世界対戦の死者は概ね4千万人、ソ連が最も多く1600万人ほどだったはず
ドイツの死者は降伏までの1年半でそれまでの2倍以上となった
ドイツはソ連兵300万人を捕虜後に殺害、ユダヤ人300万人も殺害
アメリカはイギリスとソ連に武器を支援、これによりドイツは進行が遅れた >>593
北海道は樺太からだって攻め落とせないよ。
幅ありすぎるし。
もしも日本が招き入れるようにアメリカの空母攻撃群を日本海に入れてたら
はちゃめちゃだし。
国後択捉の鮭泥棒くらいで満足しやあがれってことです。
昭和60年ころには東西横断道路の補強が完成して、まさに不沈空母 現代史家であり、陸上自衛隊幹部学校の講師も務めた大木毅氏・・・
特別公演みたいなもんか?
陸自の幹部学校の常任講師の認識がこの程度なら
日本はやばいわ >>922
銃剣突撃に関しては神
ただしそれが通用しなかったときは同じ事を繰り返すだけのマッチポンプと化す >>967 ヨーロッパの解放の最終巻 エンドタイトル見るよろし
軍オタの自分に、人の死を統計としか見られなくなったら死んでよろしいと戒めるために >>970
>陸自の幹部学校の常任講師の認識がこの程度なら
ナチスドイツは独ソ戦でユダヤ人とスラブ人を沢山殺したけど返り討ちにされた。
この認識で何か違うか? 600万のユダヤ人犠牲者が本当なら
それだけの数を始末するのに外国軍だけではムリで地元民の協力必要なのは南京あたりでわかるでしょ ポーランドは昨年大戦中に国民がユダヤ人狩りに協力したと発言することを禁じる法を制定してからドイツに損害賠償を請求したが
まあ600万は軍だけで処理できる人数じゃないからね ノルマンディーでの反撃が失敗した要因は
ロンメルがヒトラーに予備の機甲師団を使わせてくれと電話しても
ヒトラーの側近が「相当は今就寝中です」と取り次がなかったからだぜ >>970
自衛隊で戦史担当なんて出世コースから外れた負け組だから >>982
戦史担当の軍高官
イスラエル・バー博士は、予備役中佐、イスラエル軍戦史局長、ベングリオン首相の上級補佐官
ソ連のスパイだった たらればで言うとソビエト侵攻がなくイタリアが味方でなければなんとかなっていた 石油禁輸だ
2年半で軍は終わる宣戦布告
密輸とか瀬取りとかは? 基地外もーやだ ヒトラーが「ソ連は腐った建物だ。ドアをひと蹴りすれば倒壊する」とソ連を舐めて奇襲攻撃かけたのが全ての間違い
ロシア人は劣等民族という根拠のない先入観を持っていたのが過ちの始まり
日本軍もロシアを下に見ていたな
ロシア帝国時代と違って革命後に成立したソ連軍は大粛清によって古参幹部が一掃されて若く有能な将軍たちによってまったく近代的で先進的な軍に生まれ変わっていたんだよね >>989
>>ロシア帝国時代と違って革命後に成立したソ連軍は大粛清によって古参幹部が一掃されて若く有能な将軍たちによってまったく近代的で先進的な軍に生まれ変わっていたんだよね
いや赤ん坊に逆戻りしたんだ >>991
ソ連には女性狙撃兵もいたし女性エースパイロットもいたね >>990
アホほど大量に死んだお陰で生き残った少数が大量の経験値を吸って育ったw
>>992
損耗率は90%を越えて生き残れたのはまさにエースだけ ロン坊メル坊天気予報
今週は晴れないって言ったでしょ〜 >>989
赤軍を「近代的で先進的な軍」へと育て上げた、ロシア史上屈指の偉大な軍事的才能トハチェフスキーとその部下たちを
ひとまとめにしてぶっ殺したのは明らかにソ連軍部にとってマイナスだったろ
トハチェフスキーが健在だったら、フィンランドは冬戦争をとても凌ぎきれなかったろうし、
ヒトラーも「腐った家」発言はせず、もう少し慎重に立ち回ってたろ >>995
政治的人間は、空気がすべて。自分の脅威になる人間は、利用したら捨てるのみ。
ジューコフ、ワシレフスキーなどがいれば十分。ベリアだけ味方につければいいと思っていたかも。
自分が全治全能だと思っている。だからドイツの電撃戦でモスクワを包囲攻撃される
(オーストリアの夜郎自大がウィーンを包囲攻撃されたのよりまし) >>995
ボリス・シャポシニコフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9D%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%95
帝国軍将校出身にもかかわらず、シャポシニコフはスターリンの敬意と信用を得た。皮肉にも彼の職業軍人としての姿勢が、
スターリンからの疑惑を避けるのに役立ったと思われる(彼は1930年までソ連共産党には入らなかった)。
彼が粛清から生き残るために支払った代価は、トゥハチェフスキーや他の多くの同僚を破滅させることへの協力であった。
スターリンの敬愛は、シャポシニコフの最も重要な著作『Мозг армии(軍の頭脳)』1929年の写しを、
机の上に常に置いていたという事実からも明らかである。
ソビエト連邦にとって幸いだったのは、シャポシニコフが明快な軍事思想と、高度な管理手腕を持っていたことである。
彼は粛清の後、赤軍指導部を再建するために、スターリンの信用の下、その才能と地位を結びつけた。
『軍の頭脳』は以後何十年もの間、すべてのソ連軍将校にとっての必読書であった。
1939年スターリンは、赤軍の軍事力を早急に強化するためのシャポシニコフの計画を了承した。
彼の計画は、1941年6月にドイツ軍が侵攻する前には完了しなかったものの、完全な破滅からソ連を救うには十分なものであった。 Rommel Heil Rommel
ロンメル ありがとお 令和 平成よ、さようなら
令和よ、こんにちは
悲しみよ、こんにちは サガン このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 4日 16時間 49分 41秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。