時代とともに変化するのは言葉の常だが、新たな言葉が人口に膾炙される過程においては相応の理由があると見るべきだろう。コラムニストのオバタカズユキ氏が指摘する。

「上級国民」というネットスラングの拡散が止まらない。もとは4月19日に、東京の東池袋で自家用車が暴走、歩行者10人をはね、母子2人を死亡させた事故の運転者を指した言葉だが、いまやその範囲を大きく超えて、使い続けられている。

 たとえばツイッターの世界では、10連休のゴールデンウィークと絡めて、こんなつぶやきが方々に散らばっていた。

〈モノレールが連休を旅行で過ごす上級国民様で満たされておる〉
〈10連休を取れるのは全体の3割。そんな能天気に生きて居られるのは、上級国民だけってか〉
〈(アフリカ旅行を勧める朝日新聞公式アカウントのツイートに対して)いい加減にしろ!韓国やグアム程度ならばまだしも、幾ら10連休の旅行でもアフリカに行くのに一体幾らかかると思っているのだ?そんな上級国民の為の記事より、
この国を変える為に収入が激減して苦しむ日雇いや非正規の怒りを紙面にしたらどうだ?〉
〈10連休なんて上級国民様の催しでしかないのです、下級国民は労働奉仕なのです(震え)〉

 休日祝日関係ないフリーランスの私としても「そうだそうだ」という気分だが、それにしても「上級国民」はすでにもう、普通名詞のような使われ方をされている。
日本には一部の「上流国民」とその他大勢の「一般国民」や「下流国民」しかいないみたいな構図が、いつの間にかできあがっているようであり、そして、この言葉を使用する人々には、基本的に、疲れていて、嘆いていて、捨て鉢になっている印象がある。

以下ソースで読んで
2019年5月5日 16時0分
http://news.livedoor.com/article/detail/16414874/