【戦争】「作戦の無謀さ、悲惨さ伝え」 インパールの記憶、後世へ 日本軍史料提供を 6月、現地インドに平和資料館
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6月に開館予定のインパール平和資料館(日本財団提供)
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インパール作戦の悲惨さを後世に残そうと史料提供を呼び掛ける和田真さん=東京都
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太平洋戦争中、日本軍の「インパール作戦」が展開されたインド北東部・インパールに6月、戦争の悲惨さを後世に伝える平和資料館が開館する。日本財団(東京)が建設に全面協力し、スタッフで妙高市出身の和田真さん(38)らが展示史料の収集を進めている。連合国軍に比べて日本軍の史料が圧倒的に少ない中、和田さんらは本県の関係者に史料の提供を呼び掛けている。
インパール作戦は1944年3〜7月、連合国軍の中国支援への拠点だったインパールの攻略を目的に行われた。食糧や武器の補給を軽視した上、険しい山越えなど無謀な着想に基づいていた。日本兵は体力を消耗して感染症や飢餓に苦しみ、戦死者や餓死者は3万人以上とされる。
平和資料館の建設は、インパールがあるマニプール州の観光協会が発案。協力要請を受けた日本財団が総工費5千万円を負担し、2017年秋に工事が始まった。
平屋建てで、史料展示のほか、戦後復興の歩みや、現地の文化を紹介するコーナーが入る予定。和田さんらは、4月から展示史料の収集を進めている。
連合国軍側の史料は少しずつ増えているが、日本軍側は現時点で1府4県から7点ほどしか集まっていない。
インパール作戦には、上越の高田歩兵第58連隊などが参加した。本県にも従軍した元兵士やその遺族、親族など関わりのあった人は少なくないとみられる。和田さんは「新潟県内になお史料が残っている可能性がある」と指摘する。
和田さんは高田の歩兵連隊が赴いたインパール北部のコヒマを訪ねたことがある。「とてつもない急斜面で道もない。日本軍の壕(ごう)跡も残っていた。同郷の人たちがいかに悲惨な状況にいたか思い知らされた」と振り返る。
インパール作戦から75年の歳月が流れ、元兵士や親族も高齢化が進む。「資料館では従軍した一人一人のストーリーも伝えたい。写真でも手記でも、作戦に関わるものを一点でも多く展示したい」と和田さん。
資料館は現地時間の6月22日に開館予定だが、開館後も随時、史料を受け付ける。和田さんは「作戦の無謀さ、悲惨さを後世に伝えていくために、どんな史料や情報でもいいので寄せてほしい」としている。
新潟日報 2019/05/03 12:10
https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20190503466838.html ビートルズの現役最後のアルバムとなった
Let it be 発売49周年
及び
ビリー・ジョエル生誕70周年です。
昔は、49周年とか70歳とか
遥かな昔話だと思っていましたが。 >>934
海軍の話を聞くと愕然とする
南雲は水雷屋だから向いてないと思うが序列で仕方なく機動部隊の司令官に
栗田は消極的だが仕方ないのでそのままレイテ突入部隊の司令官に
志摩と西村は先任問題があって協同作戦が取れない
作戦前にこれを言ってるんだから勝つ気が有るのかと
もうアホかとしか思えない
向いているが若い指揮官に変えられないんだったらせめて連合艦隊司令長官が直率すればいいのにそれもない 南京大虐殺の単位はおかしいけど、実際に虐殺はあったんだよね
たとえ死者が2桁でも >>954
山本権兵衛が仕切った海軍と完全に別の組織だなw
というかもう完全にお役所でしかない
こんな組織ではどんなに人材が居ても勝てない
日本の組織は安定するとすぐこうなって使いもんにならなくなる
今の財務省も全く同じ
どうしたらいいんだろうねー 米兵による日本人大虐殺も凄いからな
GHQとマスゴミは絶対に報道しなかった 戦争は可能な限り回避するべきだが、開戦した暁には必ず勝利しなければならない。
って古今東西の戦術戦略家に知恵を授けてる中国の軍師さんが言ってた。 >>947
辻正信とかは現場では有能だったのに現場から離して上に引き上げたら…
名選手が名監督や名指導者とは限らない
人事とは難しいものだw 無能なトップの事業の無謀さ、悲惨さ
と置き換えると別に終わった話でもない。 平成最後のインパール作戦 −> ジャパンディスプレイ玉砕
wwww >>888
補給ができないのに撤退しなかったから飢餓になったんでしょう?
補給を軽視していたからこそ起こった自体であることには間違いない >>958
負けたら今の日本みたいになる
戦は負けたらいかんのだよ
第二次大戦時の日本はこの厳しさがなくお役所仕事で戦争拡大して国を滅ぼした
今は財務省が全く同じことしてるのに誰も止められない
どうしたものか インパール作戦は1年遅かった。
開戦後の破竹の勢いのままインドまで行ってしまえば良かったのだ。
しかし、途中でガタルカナルに突っ込んで行ったり、海軍はミッドウエーに行ってしまうし...
それに、絶対国防圏内の南方の島々(特にサイパン)の要塞化が疎かなままだった...
東条英機は極東軍事裁判で、「当初の戦争計画とはまったく違っていた」と証言している。
これは有象無象(コミンテルンなどのスパイやその他)が犇めき、日本が敗戦するように意図的に動かされた疑いが濃厚なのである... >>958>>963
ただし「勝利条件」が「戦争の勝利」とは限らない
日本&ドイツの場合WW2で経済的には大きく得をした
日本の場合冷戦末期〜冷戦終結後の動きを間違えたのではないか?
ベトナム後に軍拡始めてレーガンの頃に核武装したりして
ソ連相手に軍拡オラ付きをやっていれば北方領土が帰ってきた可能性w >>補給ができないのに撤退しなかったから飢餓になったんでしょう?
アベノミクスって補給あるの?? >>965
総力戦なんでスパイなんて居て当たり前だろ
スパイの誘導する愚かな行為を止められない時点で負けなんだよ
昭和天皇の言うことをきちんと聞いていたらあんな様にはならなかったよ 愛国の作戦で勝利してただろうが
パヨクのなあ!!!!嘘の歴史とか意味ねーんだよ!!!嫌カス!!!!!! 昭和天皇が思いつきでやったことで
牟田口は悪くない >>969
でも勝利してしまうとリベンジ体制のアメリカが大軍拡してラウンド2仕掛けてくるからムリゲーな悪寒
チハでシャーマンと数千万の武装民兵相手に「アメリカ大陸打通作戦」決めて完全勝利するならともかくw
結局WW2で負けてソ連を強大化させて冷戦を起こすのが日独にとっては最善だったのではないか? >>969
昭和天皇が了承した戦争計画で開戦したんだぞ?
東条内閣で開戦したものの、以前の近衛内閣の側近、人脈らの暗躍は止められなかった。
こいつら国際的に繋がってるから... >>969
ぽっぽの祖父が政治問題にした「統帥権問題」であるw >>964
失敗した作戦だけも何も後半ほぼ全敗やったやん。
序盤も不意打ちの勢いで勝ってただけやし。
がっぷり四つで勝った事あったっけ? >>949
東亜の独立なんて大川周明がでっち上げた話であって、
大本営連絡会議で議題に上ったこともないわ ホースがヒトラーを頼ったのは、インド支配の英国の宿敵だったから。
ひょっとしたら対英作戦として精鋭のドイツ帝国がインド独立の味方になるかも
と淡い期待を抱いた
だが現実は、ヒトラーの酷い人種偏見があった
ヒトラーは「インド独立は150年早い。今はまだわが第三帝国の宿敵ではある英国の
支配下に置かれる方が全世界のためになっていて好ましい」
とまで言い切った。
ガックリ来たボースは潜水艦で日本に渡り、インド国民軍成立に奔走することになる。 なんで日本人がインドに作るんだ?
インドでインド人が作るなら分かる。
馬鹿か?この日本財団とかいう賭博団体はwww >>978
は?意味がわからんな?
いつの話を言ってるんだ?
日本が各地で独立の支援をした事は知ってるよな? 牟田口自らが作戦前に無理な戦いと自覚していたのだから、
作戦について論じるのはあまり意味が無いことじゃないか?
それにも関わらず何故やってしまったか、という事を考えるのが当たり前だろう?
牟田口とボースの関係は知らないが、
上司の河辺中将の影響というのも踏まえて考えてみるべきだろう
>>948 >>922
ソ連は大粛清で将校が粗いなかったんだよ しかし隣国全てを敵に回す政策って
昭和の政府は頭が悪すぎる気がしてならない。
アメリカと戦うならソ連か中国のどちらかを味方にしないと駄目だろうに。
この3国が同盟組んだら勝ち目ゼロだと馬鹿でも判る気がするのに
いくら手に入れた領土を手放したくないからって欲張りすぎだ。 >>985
アメリカ様イギリス様のお陰で日清日露に勝てたのに独力で勝ったと思い上がったのが運の尽き 牟田口が無能すぎたんだよ
しかも戦後は反省するどころか開き直ってたらしいし
なんでこいつ戦犯として処刑されなかったんだ?? 観に行くのにいちいちインドまで行かにゃならんのか
バカジャネーノ? >>987
戦犯??
いやいや連合国にとっては最高の将軍だろ? >>985
日ソ中立条約をむすんでるから
ヒトラーのソ連侵攻で狂った >>974
了承?
天皇には意見述べることは出来るが拒否権はないよ >>989
戦犯じゃないなら
軍法会議だな
これだけ無駄に兵士を消耗して
なんのお咎め無しってありえんだろ
まあ、牟田口を責めれば
その任命責任が(天皇に)及ぶから
責任追及されなかったらしいが >>981
意味がわからないのはきみが勉強不足なだけ
大川の米英東亜侵略史とか知らないでしょ
>>985
ソ連と戦うために中国と仲良くするか、一度ブン殴っておくかで意見が割れたのが事の初まりやな
当時は一枚岩ではなく、それぞれバラバラに好きな事してたってのが実体でしょ
>>986
逆だと思うよ
第一次大戦で列強との国力の差を痛感して、ナントカしようと無理してた
それで目指すのが高度国防国家だから >>888
> ダコタ輸送機の飛来を妨害できればまだ十分な勝機はあった
英印側からみると、それは兵士への補給が潤沢でなくなることを意味し、したがってインド兵が命令に従わなく
なったり暴徒化するリスクを抱えることになる。補給は士気に直結すると理解していたからこそ、前代未聞の
規模の空輸という、できるかどうか分らないことに英印軍は全力で命運を賭けた。だから日本軍が、ほぼ制空権
はないにもかかわらず、かりにそれを失敗に終わらせることができれば勝機はあったかもしれない。
一方日本軍がリスクが高い賭けを行なったのは、補給できる地理的範囲の外に師団規模の兵団を進めても、
いくつかの偶然が重なれば作戦が成功するかもしれないという皮算用だったと言えるだろう。つまり想定される
戦域では、戦略的優位で押していけば自軍がもっているものだけでそれなりに勝利が見えてくるとか、そういう
状況ではなかったのである。
したがって地点の奪取にこだわるとか、撤退を渋ったりしていれば大敗北を喫する可能性はもともとあった。
そうした殿様商売的な戦い方ではなく、フットワークの軽い戦い方がふさわしいかったはずである。
じつは日本軍はそれが苦手だったのではないかと思う。たとえばユーラシアの大平原のような、すこしのバランス
で戦況の見方がすぐに変わってしまうような戦場では、場所にこだわっていたら包囲殲滅される危険性がある。
それを学んだのがノモンハン事件だったはずではないだろうか。 盧溝橋事件を日中全面戦争に拡大させたのも牟田口廉也 近所にインパール作戦から奇跡的に生還した人がいた
倒れそうになると亡くなった母親の幻影が現れて、「歩きなさい!」としかりつけてくれたので
どうにか生還出来たといっていたな
大叔父は生還できなかった、ビルマのどこで死んだのかもわからない このスレッドは1000を超えました。
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