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【京都】密議の場? 大久保利通の茶室、住宅解体現場で見つかる
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0001みつを ★
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2019/05/31(金) 00:06:24.23ID:PCp/tiOJ9
https://www.asahi.com/articles/ASM5Z4SJ9M5ZPLZB00H.html
(リンク先に写真あり)

密議の場? 大久保利通の茶室、住宅解体現場で見つかる
小林正典
2019年5月30日22時26分

 京都市上京区の住宅解体工事の現場に、大久保利通の茶室「有待庵(ゆうたいあん)」が残っていたことが確認された。市が30日発表した。幕末に大久保が住んでいた旧邸跡にあり、工事中に歴史研究者が発見し、市に連絡。市は所有者から部材などの寄付を受け、移築した上で保存・活用する方針だ。

 有待庵をめぐっては、大久保の三男利武氏による1942年の講演記録で、大久保が1866年に邸宅を構えた際、薩長同盟が結ばれたとされる薩摩藩家老、小松帯刀(たてわき)邸「御花畑(おはなばたけ)」から移築されたことは分かっていたが、その実在は未確認だった。有待庵は薩長同盟以降の政治的な密議の場となり、岩倉具視とも会談していたとされる。

 市文化財保護課によると、有待庵は約3畳の平屋建て。アカマツの床柱など古材が使われている。同課は歴史的価値が高いとみて、所有者に工事を一時止めてもらい、市の予算で移築を前提に解体する方針を決めた。今後、移築先を探し、保存や活用のための費用は寄付を募る。
 京都市の歴史研究者、原田良子さん(52)が5月上旬、解体工事現場を通りかかった際に茶室が残っているのをみつけた。報告を受けた市が5月20日に現地を訪れて実在を確認した。

 利通のひ孫の大久保利泰(としひろ)さん(84)=東京都在住=は「1959年ごろ、住宅を手放す直前に1度だけ数日間泊まりに行ったことがあり、茶室にも入った。その後はどうなったかは分からなかったが、思いがけないことで感謝しています」と話す。(小林正典)
0002名無しさん@1周年
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2019/05/31(金) 00:07:31.29ID:b2fkQeaF0
 みつをしね
0003名無しさん@1周年
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2019/05/31(金) 00:09:01.81ID:NesU7Lq/0
しかしよく通りかったねえ。普段から気を付けてるんだろうけど。お手柄だなあw
0004名無しさん@1周年
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2019/05/31(金) 00:13:12.87ID:u8YrFdIX0
つか利泰さんさあ、茶室の存在知ってたなら、手放すときに京都市とかに相談しなかったんかーいw
0007名無しさん@1周年
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2019/05/31(金) 00:15:45.09ID:jBzz7ibb0
凄い観察眼だ
0009名無しさん@1周年
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2019/05/31(金) 00:20:20.60ID:Fpwoh+H+0
そもそもその住宅も価値があったんだろう
京都市が無能なせいで古い建物がどんどん壊されてく
0010名無しさん@1周年
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2019/05/31(金) 00:20:32.83ID:Nr0GOew60
スゲーな 研究者
0011名無しさん@1周年
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2019/05/31(金) 00:22:17.75ID:64FbxwX10
>>4
当時のひ孫にはそんな権限がなかったかもしれないけどその親はわかってたはず
0012名無しさん@1周年
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2019/05/31(金) 00:22:24.35ID:D4SoNCSA0
>>4
相談したらどうなっていたと思うの?

その場で文化財の申請登録がなされて、売買は中断。
購入者には現状保護の義務が課され、勝手な改築はもとより、雨漏りを直すといったちょっとしたことすら、簡単にはできなくなる。

全てを理解していたとしても、家を売る必要があったのなら、相談はしない。
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