【京都】「ほとんどが飢えや病気で亡くなった」 97歳、インパール作戦を語る★4
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インパール作戦について回想録を見ながら語る今井さん(南丹市園部町)
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190605-00000018-kyt-000-3-view.jpg
太平洋戦争の旧日本軍による「インパール作戦」に従軍した京都府南丹市園部町小桜町の今井冨佐三さん(97)が実体験を語る「平和のための集い」が6月15日、同町の市国際交流会館で開かれる。今井さんは「無謀な作戦で多くの犠牲者が出た。戦争の愚かさを伝えたい」と話している。
インパール作戦はビルマ(現・ミャンマー)を占領した旧日本軍が中国への物資補給路を断つ目的で、イギリス軍が防衛するインド北東部のインパールの攻略を目指した作戦。1944年3〜7月に行われ、3万人以上が死亡したとされる。
今井さんが所属した31師団はインパール北側のコヒマ制圧を目指して3月に出発した。食糧にするために牛を連れて行ったが、途中の大河やインド国境の2千〜3千メートル級のアラカン山脈を越えなければならず、牛は山道から落ちるなどして全滅。今井さんは20日分の重い米を持って徒歩でコヒマに到着したという。
コヒマで戦闘となった英軍は戦車があり、飛行機で毎日、弾薬や食糧、水を補給していた。日本は補給はなく、現地住民の食糧を奪い、キノコや雑草を食べて飢えをしのいだ。
6月に師団長が独断で撤退を決断。雨期に入ってマラリアや赤痢で次々と戦友が動けなくなり、「迷惑がかかると、手りゅう弾で自殺した」と証言する。撤退路は「白骨街道」となり、遺体に野の花を手向けて冥福を祈るのが精いっぱいだった。今井さんは「ほとんどが飢えや病気で亡くなった。戦争を絶対にしてはだめだ」と力を込める。
集いは「憲法9条そのべの会」が主催し、昨年12月に同会のメンバーらがコヒマやインパールを巡った旅の報告もある。入場無料。午後1時半から。
6/5(水) 19:50配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190605-00000018-kyt-l26
★1:2019/06/07(金) 18:43:19.07
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1560174544/ それでも戦争やめなかった鬼畜、凶悪殺人鬼、戦争犯罪者ヒロヒト >>1
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ju 戦争が愚かというより牟田口が愚かなんじゃねえの?? 現地住民の食糧を奪い
正直だけど所詮強者の武勇譚じゃん フィリピンでも50万人の邦人が亡くなってるんだな。そこも多くは餓死病死だという。 典型的な「絵に描いた餅」だったよね
確かにインドまで進出できれば、中国への補給網の寸断とインドの反乱によるイギリスのプレゼンス排除によって、「アジア情勢が決まる」レベルの快挙だったろうけど、無謀も無謀だったね 輜重が追いつけなくて歩兵いだけ進軍してけば明らかにそうなるわな
進んだ部隊の自己責任としか言えん >>12
作戦計画では現地から徴発して賄えだったんだけど徴発できる現地集落が無かったというオチよ
だから実際に略奪された村は存在しない
少しは勉強せえ 令和関東大震災「ほとんどの人が飢えや病気(感染症)で亡くなった」
実際、首都圏が被災した場合の広域補給計画は立っていない 上級ジャップが日本人を殺すために編み出した作戦だしね
補給物品届ける気なんて欠片すらもなかったよ
その分の補給物品は上級ジャップの胃袋の中に無事収まりましたとさw 戦場にもよるが陸軍の戦死者の多くは餓死か病死だからな。戦闘で殺された方が少ない。 >>5
インパール以外でも数百万人の人が死に多くの人が家や財産を失い、
町には親を無くした戦災孤児があふれた。
愚かなことだろ。 人は記憶型と思考型に大別できる
日本は中世から兵站が弱い
てか先の大戦も戦国時代のまんまやで〜
では戦国時代の兵站とはどういうものであったのか・・・
兵に数日分の食料を持たせる
長期戦になると城から食料を運ぶ
これでも足らんわな〜
そこで商人が出てくる
それでも足りないと現地調達となる
自前で用意するのは数週間分
あとは他人任せの兵站なんやで〜 海軍は朝はモーニング。コーヒー・パン、、
陸軍は、草・ねずみ・へび、、、、、、
戦死した叔父(海軍)の慰安金は、いま、年5万円。
生きて帰ったおやじ(故人)が名古屋港で受け取った給付金が2百円。
たばこが5個買えた金額。
家は軍事供給で軍にただ同然で取られて、戦後帰国したときは没収されたまま。
原爆や沖縄だけが被害者ではないよ。 >>5
牟田口みたいなのがなんとなく決定権を持ててしまう戦前の軍部が愚かなんだが
愚かモノでもコネがあればなんとかなっちゃう
あれ?これ今の日本じゃんw ていうか、日本へ食料供出のためベトナムやインドネシアなどの
人々が合計600万人以上餓死させられてんだが >>1
学校秀才の馬鹿に重要な決定をさせると壊滅的な失敗をする一例
等高線の読み方知らないか無視か今となっては不明だがマジ異常。
兵站無視して現地調達ってのも異常。
現在の官僚共の日本破壊政策も、あながち反日工作というわけでなく、本気で日本の為とか思っていそうでコワイ。
勉強ができる馬鹿に重要決定させたらほんとダメ インパール後に生まれた諺が「馬鹿な大将敵より怖し!」ww 昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。
司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、
幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、
司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。
誰も邪魔したり止めたり致しません。
心置きなく腹を切って下さい。 >>1
現在進行形で無能アベによる
インパール作戦が発動中って
ききました!!
(´・・ω` つあべ死ね ) >>30
まったく。味方のバカそれも命令権もったバカは恐ろしい。
机上の空論で兵士を将棋の駒でも動かすがごとく無駄に死なせた。
作戦段階で失敗が解ってたのに決行したほんとに意味不明。 >>35
戦後、牟田口が開いた飲食店の店名がジンギスカン >>25
せやな、無能か国のトップのおかげで
未来の日本はまもなくなくなるだろうwwww
おめでとうwwww
(´・・ω` 愛国つ ) 日本軍のライフルの銃弾の種類は
なんと4種類
共通規格も出来ない日本軍
4種類もライフル弾あったら補給や生産なんて間に合わないに決まってるwww >>40
苦しめられて騙され続けてるのに
支持し続けるジャップ国民も
かなり馬鹿だけどな
いっぺん死んだ方がいいwwww
(´・・ω` 愛国心つ ) 戦争は負けるのが悪かっただけだ。
植民地にならなかったのは戦った人のおかげ。
その前提を語らないから戦争は駄目の一点張りになるのよ。 >>41
38式歩兵銃と99式歩兵銃じゃ弾の口径違うから隣同士で弾のやり取り出来ないとかな。
陸軍と海軍で元の機銃は別の国から機銃導入してメーカー違うから互換性皆無。
同じ13mmでも陸軍は12.7mmで海軍は13.2mmとかドイツからライセンス生産したDB601は陸軍と海軍が個々に改良していって互換性が無くなった。 >>35
今ならノーパソカタカタ打ちながら牟田口に見向きもしないで言われているセリフなんだろうなぁ。 ┏( .-. ┏ ) ┓
【日本の駄目企業100選】No.001
*女の子の目の裏を魔改造して
Google製ゴーグル🥽を、好き勝手に装着する
Google製ゴーグル🥽とは
主にフジテレビ電子体や、その仕掛けが見えるタイプである
--
*ドコモの5G帯の集中コントロールセンターを利用して
フジテレビが駄目企業100社に、中央格を選出する権利を与えた様であるが
全ての駄目企業が、女の子の覗き部屋で荒稼ぎする手法に走った
*実は、ドコモ、SONY、Googleとは
事実上フジテレビに乗っ取られて、女の子の覗き部屋構想に加担している
--
*日本の駄目企業100社が、フジテレビの構想に乗り
今後の展開として、100社が1,000人の女の子の私生活(風呂🛀とトイレ🚽)姿を配信して、荒稼ぎする予定であった
昨日、覗いた顧客側に高級官僚が複数含まれていた
(覗かせ料金として、一時間辺り二万円〜百万円を請求)cg
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 事件は会議室で起きて居るんじゃないんだよな…
まぁ結局、無謀な突貫作戦ってのは、戦争終わってからも…続いているわけで……悲しいな… 無駄口たたきたくても さすがにネタがなくなってきたな
そろそろ源田でどーだい 菅原 >>22 の続き
コミンテルンの謀略だ
国際金融資本の謀略だ
中国共産党の謀略だ
アメリカの謀略だ
イギリスの謀略だ
等々・・・・・
だから日本は悪くないといっても始まらんのよ
太古の昔から謀略は付きもので引っ掛かる方が悪いんだ
そこで戦国時代の大名は三つの要素を重要視して重臣としていたんだ
・才覚
・武辺
・帰属意識 戦後ののらくろには無能な指揮官のせいで兵士がボコボコやられる話があるな
戦前にはこういうの描けなかったんだろう >>50 の続き
才覚、まず頭が使えないとな
武辺、頭が使えても勇気がないと行動できない
皆が右を向いてるときに左に向けるかどうかだ
帰属意識、譜代や子飼いの臣を重用してたんだ
裏切られたんじゃ元も子もないからな
大東亜戦争当時の日本のお偉方達には三つとも当てはまる奴がおらんだろ
謀略に引っ掛かるべくして引っ掛かったんだ
負けるべくして負けたんよ >>8
フィリピンはマニラ防衛戦で負けてジャングルに逃げ込んだ一部の日本兵が遊兵となって
食料として他部隊の兵隊や海軍兵を狩って食ってたからインパール並みに悲惨だがあんまり取り上げられない
おまけに現地民の村も襲ってたので「ジャパンゲリラ」と呼ばれて米軍とフィリピン人の2つの組織から終われる羽目に >>41
同じ零戦でも生産工場や生産ロットによっては部品が合わないとかあったらしいからな 増槽は統一形なんだけど機体に装着する時に付けるパッキンが機種毎に違うとか統一規格とか余り考えてないんだよな。 戦争に行かなくても無給の奉公だし、口減らしで戦争に行ったらほんとに死んだという >>57
情報として残っていても、実体験として語れる人はもう残り少ない。
丸山みたいな考えなしが議員になる時代になった。
今だからこそだろう。 >>55
>>>41
>同じ零戦でも生産工場や生産ロットによっては部品が合わないとかあったらしいからな
上でも書かれてるがもっと酷い
国家正式に、海軍と陸軍で戦闘機も機関銃も対空砲も
全部企画が1つ1つ違う
ライフルなんて4種類の弾薬に
さらに海軍陸軍で細部化されていく
大量生産も兵站も無理に決まってる
日本軍、共通規格やってたら
総生産量100倍に超えてたはず
大量生産だから
その分製造機械に金掛けられるし 日本軍は共通規格と兵站さえ徹底してれば
朝鮮と台湾、満州、樺太
これは残ったぞ
ぼろ負けしないから、コレらは残ったはずだよ ビルマからインパールの最短ルートはよく整備された道路だが、
途中にパレルという要衝があって日本軍はついにここを抜けなかったんだそうな。
一方、インパール作戦の後、追撃する英印軍パレルからビルマのタムの
わずかな距離を進むだけでビルマ入りしたらしい。なんだかなー。 >>60
海軍の雷電が20ミリ機関砲の1号銃と2号銃の混載だったので
弾薬を2種類用意しないと駄目だったとかもうね >>53
大岡昇平が野火とかレイテ戦記を書いていて以前はインパールなどよりずっと取り上げられていたと思うんだよね
最近取り上げられないのはあまりにも惨敗に過ぎ陸海空全てでいいとこなしだからじゃ無かろうか
牟田口一人悪者のインパールと違って こいつが的な人物がいる訳でもないし 強いて言えば海軍が悪いくらいだ >>60
一方のアメリカはコルトM2 12.7mm機銃を主力に陸軍、海軍共に統一して互換性や量産性を高めた。 いいか、戦闘機と高角砲の共通規格がやってれば
原爆落ちなかった
マジだぞ
B29なんて正直そこまででもない
この2つの共通規格で大量生産を徹底してればね
原爆が落ちないなら、継戦だからな 飽食の現代、ありあまって食べられるのに廃棄になってる食料をタイムマシンに乗って届けたい 司令部が愚かだった
歩兵で参加した経験のある将校でも居ない限り無理だわ >>60
ドイツでは軍需大臣にトートを付け 彼とその後のシュペーアが生産効率を一気に引き上げた 適材適所である
一方日本も遅ればせに設置した軍需大臣は 東條兼任でやる気があるのかと その後もちょくちょく代わり日本の軍需省は効率化に何ら寄与することなく終戦となるのである
陸海軍が権益を抱えて離さない日本と党主導のドイツでは総力戦のあり方が全く違っていた 【芸能】佐藤浩市が難病の安倍総理を揶揄し炎上 ネット「ダサい人…」「脚本を変更させ反体制気取ってる頭の悪さに驚いた」 ★4
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1558147501/
売国左翼の佐藤浩市を起用している反日企業を叩き潰そう!
佐藤浩市を起用している反日企業はこの三社です
↓
CM キャノンマーケティングジャパン
CM 三井住友信託銀行
CM コカ・コーラ『特選 綾鷹』
そりゃ売国左翼より愛国者の方が圧倒的多数派なのは当然であって、
ああいう大作映画のプロモーションで国民の圧倒的多数派を敵に回す佐藤浩市という低能左翼が愚かすぎる
ああいう大作映画の製作には何億とかかる
1つの企画をダメにしてしまった佐藤浩市の責任は重い。
リスク高すぎて二度と起用されないのではないか?
国民は永遠に佐藤浩市は下劣な売国左翼だという事を忘れないよ
業界の売国左翼がほとぼりが冷めたらまた起用しようとしても無駄だよ
過去の売国左翼言動も次々に発掘されている売国奴の佐藤浩市。
こんなの起用する企業も同罪
↓
佐藤浩市、しんぶん赤旗の日曜版に出ていたことが判明 父親も… ネット「赤組とズブズブなら納得」「リテラや朝日新聞だけじゃなく…
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売国クズ女の安室のバックのヤクザバーニングを叩き潰そう!
醜悪な引退商法して無様に芸能界から逃げ出した負け犬安室のバックのヤクザバーニングを業界から完全に干しましょう。
メディアや芸能界が反社会勢力と繋がっているのが許される時代ではありません。バーニング系と癒着しているメディアの人間もどんどん逮捕していかないと
ヤクザバーニングは北朝鮮系です
羽鳥慎一や北村一輝といったヤクザバーニングのタレントを二度と起用させないようにしていきましょう
↓
http://www.officiallyjd.com/archives/430854/
宮根誠司、羽鳥慎一らが所属するバーニング系列事務所の黒い噂…肉弾接待、枕営業、所属タレントらも関与か
http〇s://hay〇abus〇a9.5〇ch.net/test/read〇.cgi/mnewsplus/1559599625/
【俳優】北村一輝はなぜ韓国「反日映画」出演を決めたのか?
.
. 5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか?
↓
http://irohamatumae.blog.jp/archives/19087374.html
2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員
5chの商標出願の代理人=原田學植 (趙學植)
https://i.imgur.com/kw1SVwB.jpg
そして、在日チョンのバックに居るのは売国政党の立憲民主党です
在日チョンが5chを買収して、売国左翼や在日チョンにとって有利な世論誘導しようと企んでいます
5chのあらゆる板でジャップがどうのとかほざく、日本人卑下する奴とか、「アベは売国奴だー アベは統一協会だー」みたいな頓珍漢な政権批判するレスが異様に増えたと思いませんか?
売国政党の立憲民主党の支持母体の一つは在日韓国人組織の民団です
そいつらが5chを買収した在日チョンの背後にいます。↓民団と連動して動いている売国政党の立憲民主
在日チョンの帰化議員がワンサカいる売国政党の立憲民主党
↓
「竹島は日本の領土ですよね?」立民・白真勲(ハク・シンクン)議員を再直撃! 徴用工判決には「コメントできない」連発…
在日韓国人組織の民団は立憲民主党の支持母体の一つ。売国政党の立憲民主に絶対に気を許してはならない
↓
在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党
蓮舫、95年に雑誌で「日本人でいるのはそれが都合がいいからです。いずれ台湾籍に戻そうと思っています」 ネット「これが立民副代表」
安倍さんより以前は日本の保守派政治家はみんな親韓派だった
安倍さんが政界の保守派を改革してくれたんだよ
だからチョンは安倍さんを引きずり降ろそうと必死。
5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき
チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない
.
.52495+7 「インパール作戦」を発案したのは牟田口ではなく
昭和天皇です
「レイテ決戦」も 200 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 00:05:02.25 ID:4pDkERNw0
オレのひい爺さんは、艦載機の照準を作ってたから、招集を免れた。靖国の名簿みたいな
犬死にしたバカの名簿を有難がって、一体何になるんだよww
300 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 00:33:15.81 ID:4pDkERNw0
自衛隊は殺人集団。その通りじゃん。徴兵制もないのに、
自分の意思で入隊してるんだから、死んだところで自業自得。
386 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 01:06:18.68 ID:4pDkERNw0
これからもバカにしていくよ。ここだけの話だけど、オレ、友達と愛知県にある『殉国七士廟』の入口に、ションベンした事もあるんだぜ。 >>70
宇垣軍縮で陸軍師団削減→日華事変勃発→長引く事変で歴戦の連隊長や師団司令部要員が戦死→太平洋戦争開戦→師団数増強
→今までだったら連隊長をやったら予備役入りしてたような人間まで師団長様旅団長様になって質の低下
って流れを前スレで見たわ 非合理的な民族である以上
日本人の誰もが牟田口になる可能性がある
あなたの上司、部活の先輩、町内会の役員
現代の牟田口が
ほら・・
あなたのすぐ隣にいるかもしれない >>62
> パレルという要衝
英印軍はパレルに至る途中の山道に数キロにわたって幾重にも陣地を構築して待ち構えていたんだよね。
シェナム鞍部(Shenam Saddle)と呼ばれる地帯。
日本は当初ここを重点正面と考えて戦車14連隊を投入してた。かりにシェナム鞍部を突破できれば、つぎは
インパール盆地の平らな地形において英印軍の戦車と野砲と戦闘爆撃機の連携が立ちはだかることになる。
しかし戦線は膠着して、戦史資料(*1)によると5月10日の「重点正面の変更」により、一旦来た道を戻って33
師団のいるビシェンプール方面に向かった。
どうやらこの5月頃から、戦車14連隊は食べるものに困るようになっていた様子だ。資料(*1)は次のように記す。
戦車兵も飢えていた。
> 給養 五月頃より著しく低下し 主食一日約100瓦(グラム)程度にして 副食芋にも苦労せり □□言語に絶するものあり
(*1 「緬甸部隊史実資料 3分冊の1/14 戦史資料調査表 戦車第14連隊」アジア歴史資料センター C14060246600) >>77
拡大の数が尋常じゃないからね
17個師団が終戦時には170個師団くらいになってるんだから人材も払底するわ
戦争中将官になる世代は士官学校の定員も絞っていたし
そりゃあ米英独ソも師団は激増してたけどあちらは能力優先で若手抜擢で対応してたからね
独ソは30歳代で閣下になるのが続出
日本は人手がないのに年功序列絶対主義でそりゃあ将官の質が落ちないのが不思議だわ
若年将校や下士官は民間から吸い上げたから質の低下はそうでもなかっただろうけどね >>1
今の自称リベラルとか左派の方が、当時の軍部や右派の
大陸主義者よりだ。それで戦前がーとか軍部がーとか
キチガイじゃないか >>81
>17個師団が終戦時には170個師団くらいになってるんだから人材も払底するわ
それで精鋭師団を南方に送ろうとしたら輸送船ごとボカ沈で壊滅
仕方ないので予備役入りしていた応召兵を集めて何とか師団旅団の体裁を整えて戦地へ
これで勝てという方がおかしい 急速な店舗拡張して資金ショートで倒産するブラック企業 >>65
後期のゼロ戦につんでた13ミリ機関銃は、ガチガチの13ミリだったの?それとも実は、アメリカの真似で12.7ミリでした。だったの? >>85
陸軍の一式12.7ミリ機銃はブローニングのコピーでまんま12.7ミリ
海軍の三式13ミリ機銃もブローニングのコピーだが口径は13.2ミリとか13.3ミリだったはず 最後の言葉が「腹減った」というのは悲しいが
2000万持ってないと我々もそうなってしまうのか >>21
一番のゴミは東條英機。
気に入らない人物を召集して激戦地に送り込んだり、
ゴミ箱漁って庶民の生活を見張ったりしてたからな。
あんなのが靖国に祀られてるのはおかしいよ。 >>85
陸軍のホ5 20mmもコルトブローニングを基に作った。 >>90
それは言えてる。A級戦犯どうのじゃなくて、アイツは戦死ではないから資格が無い。
国民を誤った道に導いたんだから、国民から断罪されるべき。 >>1
1998/01/20 元インド国民軍ヤダバ大尉
「我々インド国民兵はインド解放の為に共に戦った戦友としてインパールコヒマの戦場に散華した帝国陸軍将兵に対して最も深甚なる敬意を表する。
インド国民は大義の為に命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を忘れない」
〜1945/11/05 英がインパール戦参加インド国民軍3将兵に反逆罪判決、インド国民は反発一斉蜂起
〜1947/08/15 インド独立 >>93
東條だけでなく戦死してないのに靖国合祀するのはおかしいよな 敗けがわかっていても突き進ませ責任も取らない
犬死にさせられる側なのに道化なネトウヨ国士には笑わされる >>37
日本人はそういうバカばっかりじゃん
根性と吹きもしないカミカゼ任せ
それに何となく従うバカ >>95
それな。
連合軍に処刑されたから、準戦死みたいな扱いだけどそもそも国民が裁くべき輩なんだよな。 >>43
当時生き抜いた人は植民地になったほうがマシだったと言うよ
それぐらい悲惨だった >>10
ねーよ
当時から、陛下は意志決定にほとんど参加してない。 >>93国民を誤った道に導いたんだから、国民から断罪されるべき。
バ〜カ、それをいうなら近衛文麿だろ
おまえに東條を非難する資格なし! >>60
三菱食品がTISにシステム統合化の受注で賠償沙汰になったの思い出した
何百?ある各取引先の個別ルールを、全て網羅できる統合システムを作るというものだったが無謀も無謀
ツールに合わせて共通化していれば、無駄な労力も時間も使わなくて良かったのにな >>24
国と国との戦争、国家間の総力戦に国民が被害者も何も無い >>2
食いもんいっぱい持ってけばいいと思って負けた
補給路確保して補充し続けないといけない。 >>62
パレルは飛行場あったから防御が堅固だったんじゃないかな
しかし第33師団二百十三連隊の井上挺身隊や山田芳枝准尉のコマンド攻撃によって飛行機や宿舎は破壊されたという
あと、ビルマの日本軍第一線は常に敵航空攻撃の危険に晒されてたから昼間は動けず
夜間行軍するしかなかったし、平坦な地形だと高地から撃ち下ろされて的になりやすく
イギリス軍も道路周辺をいつでも砲撃できるように照準しており、日本兵の姿を認めるとすぐさま砲弾が飛んでくる地点もあったらしい >>60
今のように、高性能な製造機械が作れなかったのが日本の悲劇だよ。国産の新品よりも、外国製の中古の機械のほうが遥かに性能が良かったし、重宝された。 インパール作戦こそ日本人という集団が象徴されている
象徴インパール制 >>1
特攻の菅原にしろ、兵士に死を強制したやつほど戦後も生きてるんだよなあ >>110
そういうのってただのレッテル張り
何の発展性も無い >>76
殉国七士廟なんて初めて聞いた
わざわざ行くって、チョンの執念スゴいな
ションベンとは売春婦の息子らしい発想
兵役免除理由もデタラメw
すぐバレるウソをつくチョン >>113
だってそーじゃん 今でもそーじゃん 日大アメフト部もそーじゃん 戦争をしない為には、使うと即死壊滅出来る先端機器を開発し持つことしかない >>115
自分への指摘を認めてどうする
そこにずっと閉じこもってるつもりか 次の話題は台湾沖港空戦にしようぜ
これもまた日本の象徴だから >>105
戦艦武蔵の元乗組員を取材した本に証言が載ってる
比島の山の中に逃げ込んだ武蔵の乗員たちが食料を探しながら彷徨ってたら陸兵に遭い、「この馬の肉とそのバナナを交換してくれ」と言われるが
「こんな状況下で馬の肉なんかあるのか?」と不審に思い問いただしたらその陸兵は「実はこれ人間の肉なんだ」と白状
陸兵曰く「ジャングルに撤退する時に食料なども持ったがすぐに終わってしまった」「最初は戦死した戦友の肉を皆で泣きながら食った」
「そんなことを繰り返しているうちに次第に罪悪感も無くなって、まだ生きている瀕死の兵隊や他の部隊の兵隊を襲うようになった」
「男の肉は尻がうまい」と今までの状況を話し始めた
武蔵乗員たちは「殺されちゃ敵わん」と交代でこの陸兵を監視しながら夜を明かし明け方に陸兵と別れた
去り際に陸兵は「今度は女の肉も食ってみたいな」とボソッと言ったとか
他にも明らかに刃物などで体の一部を切り取られた死体を何体も目撃したとか
海軍の水兵が食料調達に行ったまま帰らず、近隣を捜索したら殺されて太ももの肉が削ぎ落とされていたとか色々証言や目撃談が残ってる 桜花の考案者の太田は自分は適性無いと搭乗せず逃げ回り終戦になったら飛行機で飛び立ち死んだように見せかけ残りの人生を偽名で過ごした卑怯者。 >>107
開戦前に海外から工作機械や部品を購入して製造会社に与えたりしてはいるんだよな。 牟田口や東条のような愚昧な輩が昭和陸軍のトップを
占めていた事が日本の悲劇。
日露戦争のように、幸運で辛勝できた事実を反省せず
あたかも日本軍が世界一優秀だとの自己陶酔に陥り
泥沼化していた日中戦争も解決できずに、単純国力で
日本の76倍ものアメリカに戦争を挑んだ愚劣なジャップ達。
インパール作戦もそれを証明している。 >>127
また「ジャップ」かい
それ言いたいだけで教訓話にすらなってない >>64
フィリピンはマッカーサーの戦場だからな
ワシントンとしてはマッカーサーの名声が上がるのは例え属国の中であったも避けたい >>1
最終目標のインド独立に繋がったんだから、
作戦成功だ
命を落とした兵士に感謝だ >>127
辛勝だった日露戦争を完勝と勘違いしたのは日本海海戦で勝ち過ぎたのも原因。
バルチック艦隊は全滅させないと戦争自体を終わらせられなかっただろうから
戦果はあれでいいが連合艦隊も主力艦の半数が沈んで東郷も戦死するくらい
厳しい戦いだったとなれば反省できたかもしれない。
東郷は後に老害化するからあそこで死んだ方が良かった。 >>106
> パレルは飛行場あったから防御が堅固
しかもけっこう重要みたいね。インドの研究者のサイトによると、インパール作戦中に英印軍の補給のために
使われたのは6つ飛行場だが、全天候型のは3つしかなく(Imphal Main, Palel, Tulihal)、パレルはそのうちの
1つだという。残りの3つは雨季には基本的に使えない(Kangla, Wangjing, Sapam)。
ttps://www.battleofimphal.com/the-battle/the-air-battle-
それら6つの飛行場へはアッサムのKumbhirのSilchar飛行場(インパールの約100km西)や、やはりアッサム
のJorhat、ベンガルのSylhet, Agartala, Comilla, Fenny, Chittagongから物資が空輸されたようだ。
https://i.imgur.com/XBQL5lv.jpg
Air Supply of Imphal, 18 April 30 June 1944
(別の何かの本の図表、Tulihal が全天候型ではなく晴天時飛行場に分類されてる) 最近海軍航空隊に興味持って、搭乗員の手記を色々読み始めたけど
二式大艇搭乗員の手記に出てきたメレヨン島の話もなかなか壮絶だったな。
ウチは祖父が日支事変の時に応召されて満州で戦い、昭和15年に復員したとか。
亡くなって久しいが、存命中は戦争の話はしたがらなかった。
辛かったろうけど、話聞いてみたかったな。 >>94
> 〜1945/11/05 英がインパール戦参加インド国民軍3将兵に反逆罪判決、インド国民は反発一斉蜂起
> 〜1947/08/15 インド独立
ちなみにインド国民会議派のパテール(のち副首相)は「インド国民軍」を独立後の新たなインド軍の中核と
するという案を示していたくらいだったが(1946年1月)、実現はしなかった。
1945年秋から1946年初めにかけて裁判をきっかけに盛り上がったインド国民軍というテーマが、なんで失速
してしまったかというと、やはりボンベイの水兵反乱に対して立場の違いが表面化してしまったからだろう。
当初インド国民会議派は、不当な裁判にかけられているインド国民軍を救えというキャンペーンを焚きつけて、
1942年の「インドから出て行け」運動のような盛り上がりをつくりだし、ヒンドゥー・イスラーム対立を超えた国民
運動にしていこうと目論んだが、それが水兵の反乱へと発展して下の者が上の者に従わなくなる革命の様相
を呈してくると、一転して距離を置いて自制を呼びかけるようになった。そのなかでインド国民会議派との違いを
鮮明にして水兵反乱を支持する政治勢力として立ち現れてきたのが、インド共産党である。
そして1946年2月のボンベイの水兵反乱のあと、本国イギリスでは3月15日に労働党のアトリー首相が、時期
を明示しないながらも、インドに自治領の地位をあたえるだけでなく完全独立をも認める意向を表明した。
自由主義圏と共産圏の対立は当時はあまり意識されてはいなかったようだが、ボンベイの水兵反乱に際して
インド共産党が政治的主導権をとろうとしたことと、イギリス労働党がインド独立の意向を声明したことは互い
に相前後しており、スターリンの影がみえなくもない。 小銃の銃弾が4種類だとさ
ふざけた補給体制だよな
共通規格も出来ないから兵站が間に合わない >>137
戦前から日本の弾丸生産率は低かったしね。
人気の海外拳銃もさほど高価ではなかったけど弾が高い…。 >>137
そんな状態なのに自動小銃を試作したが実用化出来なかった。
理由の一つが自動小銃は弾の消費が多くて補給に問題あるからだと…もうアホかと。 >>137
日本陸軍の38式歩兵銃の6.5mm弾と
11年式、96式軽機関銃の6.5mmG弾は口径は同じでも
歩兵銃の6.5mm弾を軽機関銃に使用すると脱包不全を引き起こす
可能性が大。6,5mmG弾は38式には使用できた。
7.7mm口径の99式歩兵銃と92式重機銃とは弾の互換性がなかった。
陸軍内部でもこうだから、海軍の軽機、重機とは全く互換性なし。
第一世界大戦を経験したフランスは150mmであれば、艦載砲も
陸上砲も弾丸が共用できた。 ガソリンすら国内で生産出来るのは87オクタン価の物までなのに誉は91オクタン価ガソリン使用前提で南方から供給が途絶えたら87オクタン価に水メタノール噴射で誤魔化し使用
まるで戦時下の使用を考えてない >>139
さらに海軍陸軍で規格が細分化
アホかよ
銃弾くらい陸軍海軍、ライフル、重機関銃
一種類にした統一規格しろよと
万歳アタックなんて恥ずかしい
投石の方がマシだ ジャップが死滅していれば、今地球はもっと”まし”だったのにな >>143
牟田口が悪目立ちしているから他は目立たない。 >>121
こういうのは半分以上嘘や脚色が含まれてる、そのうえでオチが追加された話
怪談と同じ手法を軍否定に応用し、反戦運動から自虐史観を植え付ける洗脳だ
考えてもみろ、これは馬肉であると言われ疑って問い詰めたら人肉でした。と
それで交換が成立するわけがなかろう
下手したら陸兵が殺されてもおかしくない状況、なのに朝まで一緒に過ごしたという矛盾
さらに女の肉も食ってみたいというオチ、ありえないほど馬鹿げてるし最後の一行も明らかに創作臭い 戦争は愚かかも知れないけど黙って侵略される訳にはいかない場合もある あるとき、捕虜収容所でイギリスの将校が日本軍将校と会話する機会があった
日本軍将校は我々日本軍が戦争を起こして申し訳ない、と相手に謝罪した
すると、そのイギリス軍将校は居住まいを正したうえでこう言った
我々は我々の祖国の行動を正しいと思って戦った。
君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。
負けたらすぐ悪かったと本当に思うほど、その信念は頼りなかったのか?
それとも主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか?
負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか?
そういう人は奴隷であって、サムライではない。
我々は多くの戦友をこのビルマ戦線で失った、私は彼らが奴隷と戦って死んだと思いたくない。
私たちは日本のサムライたちと戦って勝った事を誇りとしているのだ。
そういう情けないことは言ってくれるな。
「アーロン収容所」(会田雄次著) >>135
地獄をくぐり抜けた人はあんな変な声は出さんだろw
あの感じだとサザエと結婚するまで妖精のままでは? >>150
水木しげると言う戦争で死にかけながらのほほんとした喋りするお方もいるが。 小銃の弾が4種類!?
初耳だがそんなんでよく総力戦に挑んだな
そういう規格に関してはどこが責任おってたんだ?
今まで何となく勝ててたからそのままいったのかな >>152
知らないんだな
陸軍海軍でも更に違う
生産が間に合わない、補給が間に合わないわけだよ
アメリカはそんなバカな事しないで統一共通規格してた >>139
「自動小銃は弾をバラ撒くだけで弾を浪費する百発一中の兵器である。訓練された我が精鋭兵の持つ38式歩兵銃の方が百発百中でむしろいい」
陸軍のお偉いさんが言ったとかいう言葉らしいが本当に言いそうだから困る >>146
補給が途絶して飢餓に苦しんだ兵士が人肉食に
走るのは珍しくない。「高潔無比」な日本軍が
そのような事には無縁だと信じたい軍国オタクの
気持ちは分るが、事実を事実として受けとめることから
先の大戦への反省も生まれてくる。
話が違うが、小笠原諸島で捕虜になった米兵を処刑し
その肝を生食いした師団長がいた。 >>152
それどころか同じ小銃でも「生産者」の職工の腕によって微妙に差異があるので
同じパーツなのに微妙に合わない、ガタつく、逆に嵌らないとかよくあった >>146
少なくとも戦後の自虐教育だ反戦洗脳だいうバカウヨの話よりは体験者の話の方を俺は信じるよ
人肉食の話ならきけわだつみのこえなど他の体験記や戦史にも載ってるから100%嘘ってわけじゃないだろうよ >>160
終戦が近くなるにつれて動員された素人が兵器とか作ってたらしいじゃないか >>162
本当は熟練工、職人などという言葉は
先進国としては恥じるべきなんだけどな
誰が作っても同じであるべきだ >>162
太平洋戦争が始まってからの兵器工廠での働き手は、女学生、中学生が多く、素人が主力。
私の母は、飛行機工場で雲母を剥がして、羽根に貼っていたと言っていた。 >>159
人肉食は間違いなくあったんだろうが>>121 の証言はさすがに丸ごと信じるには不自然な部分が目立つ
嘘や脚色だと断定する根拠はないし真実は本人しか分からないことだから今さら議論しても仕方がないことではあるが
この手の証言をどこまで信じるかというのは結局その人次第ということだろう >>162
航空機工場や造船所の熟練の職工や工員も無節操に徴兵しその穴埋めに中学生や女学生を投入した
ズブの素人だから完成した六角ボルトが五角だったりネジ山が切れてなかったりというのが頻発したり
今までだったらあり得ない事故(エンジンや燃料タンクのパイプにウエスを作業中に置き忘れて
完成した飛行機が離陸直後にエンジン不調で田んぼにドボン)も増えたとかいう話も残ってる
「昨日届いた新品より部隊の古参兵殿愛用の38式の方が精度がいい」なんて笑えない笑い逸話もあったりする
>>163
手元に日本軍の砲兵操典があるけどイラストは少なく文章のみで説明された項目ばかりで正直分かり辛い箇所もある
工場のマニュアルなんかもこんなんだったんだろうなと想像出来る
アメリカなんかじゃ漫画やイラストを多用して「バカでも素人でも分かる」マニュアルをいくつも作ってる
日本も兵器や技術ばかりじゃなくてドイツのティーガーフィーベルを持ってくれば良かったんじゃないかと 日本は職場でその人しか知らない業務内容が多くて
その人が休むと仕事が回らない
その人がゴネると会社が説得したりなだめる
1人の天才が仕事を回してるわけじゃなくて
簡単で見やすいマニュアル作れば誰でも出来る仕事なのに誰もマニュアルを作らない
まるで手に職をつけた職人かのように振る舞う滑稽な有り様
こんな企業が昭和も平成も沢山あったよ >>126
その工作機械のメンテナンスが出来ないと結局優れた製品は作り続けられないわけで。
前線から逃げた時、敵性のフォードのトラックの人は逃げ延びて、国産のトラックの人は捕捉されてしまったって話を聞いたことがある。 >>158
昔にレーダー開発の時に偉いさんが「こんなデカいアンテナを掲げたら敵の先制攻撃のいい的になる」と難癖つけられたせいでレーダーの開発が一時下火になった事があった。
レーダーがあれば目視より遠くから敵を捉えられるのに。 >>166
その素人が作った出来の悪い飛行機が多いせいで前線では「出来の悪い100機よりまともな10機を送って欲しい」と嘆いたとか。 日本は人を集めれば何とかなると思っているが
ゴタゴタしている現場に人だけ集まりやっつけ仕事をしてるだけ
何人か出来る奴が出て来たらリーダーに指名して丸投げ
最初からマニュアル作れば
英雄がいないと回らない職場なんかいらないわけで
リーダーはマニュアルを補完してサポートする役割で職場もスマートに収まる
日本人は頭は良いかもしれんがバカだと思うよ >>161
俺が100%嘘だと書いてるか?
おまえにはそう読めるのかも知れないが日本語が理解できないのは仕方ないな
さっさと祖国に帰って徴兵義務を果たし、祖国の土になって来るがいい >>169
「電探は電波を出すから逆探されたらこっちの位置がバレる」「闇夜に提灯を灯すようなもの」と
分からんでもない反対理由はあったけどね
南雲機動部隊の草鹿参謀長が中尉だったか大尉の時に
「電波を利用すれば敵艦や敵機の位置を探る事ができるのではないか?」と電探のアイディアを思いつき直属の上官に進言したが
「中尉の言うことを帝国海軍が聞くわけ無いだろ」と却下されてしまった
この上官は戦後に「上に話だけでも通しておけば良かった」と悔やんだらしいが >>173
レーダーも決して万能兵器ではないから導入すればすぐに役立つというものでもない
実戦で活用するためにはそれなりの性能を持った物を作ってそれを活用できるシステムが必要になる
あのアメリカでさえレーダーを使いこなせるようになるまで時間がかかったことを考えると
積極的に使っていたとしても金も技術も時間もない日本にとってレーダーは手に余る代物ではなかったかと思う >>167
戦闘機乗りでも自分が習得してきた技術や経験をどんどん部下に教えて戦力の増強を図る人間もいれば
「俺が文字通り死ぬ気で覚えた技術をなんでヒヨッコ共に教えないとイカンのだ」と「見て盗め」方式の人間も結構居たという話が残ってる
歩兵の場合も日本は新兵教育で「皇国の成り立ち」「軍人勅諭」「戦陣訓」の丸暗記や敬礼や行進の所作ばかりに力を入れていたが
米軍はそういったものはササッと済ませて「ジャップと取っ組み合いになったら指で目を突け」「銃剣は接近戦ではこう使え」と
より実戦的な訓練を行っていたという
>>174
逆に日本は技術も時間も無いからこそ他国より早くやるべきだったんじゃないかなとは思う >>120
台湾沖航空戦ではインパールの後なのに日本も1000機以上の航空機を投入してるんだね。
インパールでは100機以下。やるならやるでもう少し戦力を集中する気はなかったのか。 >>176
つっても戦果が魚雷命中2発のみじゃなぁ 牟田口一人が悪いんじゃなくて日本陸軍全体が欠陥軍隊だったのではないか 台湾沖航空戦は戦果の誤報が大問題で未熟な母艦パイロットまで夜間攻撃に
投入して未帰還機多数でレイテ沖海戦では機動部隊を囮にするしかなくなり、
陸軍はルソンを棄ててレイテで無茶な戦いをすることになり、台湾からレイテに
兵力移動、沖縄から精鋭の第9師団を台湾に転出と玉突きで日本軍壊滅を早めた
戦いだな。
予備兵力まで投入してドイツの崩壊を早めたラインの守り作戦に匹敵する。 上級ジャップ「やっべw俺たちの分の食料まで尽きてきそうw」
上級ジャップ「そうだ遠い前線に適当に人員送りまくって補給一切しないでおこうw」
上級ジャップ「ついでに都合悪い奴らも前線に島流しして飢え死になw」 >>180
日本が艦隊をレイテで蕩尽せずに温存してても大したことはできてない気がするので
攻勢を控えればそれなりに守りを固めることができたと思われるルントシュテット攻勢とは話が違うのでは 後知恵、入れ知恵での日本軍批判w
ではなぜ失われた20年のままなのか? >>183
失われた20年を批判したら後知恵になるのか。
10年前は、失われた10年て言われてたけど。 >>148
お言葉ですが日本軍将校を買いかぶりすぎです。
日本が悪いとは思っていないが、信念があって戦ったわけではない。
その通り主人の命令だったから戦争しただけです。
日本の将校で敗戦の時に自決したやつがどれほどいますか。
信念があって戦ったなら、負けたら死にます。 >>185
ソ連みたいな国防戦争ではなく、中国大陸の利権絡みのイザコザが戦端を開く切っ掛けだったからな
日本が日清戦争後の三国協商の時みたいに妥協したら対米戦争は起きてなかった インバール作戦はインド人と共に戦った。
そしてインパール作戦はチャンドラボースが熱望した作戦であった。
チャンドラボースはインド独立のために世界を飛び回っていたが、
日本が米英と戦争を始めたのを知ると即座に日本にやってきた。
当初日本の政治家や軍人はチャンドラボースを重要視していなかったが、
ボースは会う人をことごとく魅了していった。
東條英機は会見後に「あれは人物だ」と感嘆したという。
インド独立の為に睡眠時間三時間で働くほどバイタリティがあり、知的で礼儀正しい。
ボースから特別なオーラみたいなのを感じとったのだろう
日本の軍人もチャンドラボース熱意を意気に感じインパール作戦をやった。
もはや作戦の失敗が明らかになってもチャンドラボースは最後まで撤退に反対。
日本の軍人が「また機会はある」としてチャンドラボースを説得し作戦の中止を決めた。 >>189の続き
チャンドラボースは会う人をことごとく魅了していった。
河辺大将(牟田口中将の上官)もその一人
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
また「チャンドラ・ボースの壮図を見殺しにできぬ苦慮が、正純な戦略的判断を混濁させたのである」と、
インパール作戦実行の背景にはボースに対する日本軍側の「情」があったとしている[2]。
河辺はすでに作戦の失敗は明らかであった6月の段階になっても、
「この作戦には、日印両国の運命がかかっている。一兵一馬でも注ぎ込んで、
牟田口を押してやろう。そして、チャンドラ・ボースと心中するのだ。」と考えていたという[3]。
ウィキペディア 河辺正三
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
作戦そのものは失敗したが、これがインド独立への道に繋がった。
イギリスに反抗したインド国民軍を処罰するために公開裁判が開かれたが、ここでイギリスは致命的な誤りを犯してしまう。
反乱軍(インド国民軍)被告代表の将校三人をそれぞれヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シーク教徒から選んだのであった。
しかしこの事が宗教で対立していたインド人達を団結させた。
インド国民軍が命をかけて祖国を解放しようとしていた事がインド国中に知れ渡ると、
この時からイギリスに対し各地で激しい抵抗運動が始まり、インド人水兵達が70隻以上のイギリス艦船を乗っ取る事まで起き、
イギリスは独立を認めざるを得ない事となった。 >>185
>信念があって戦ったわけではない。
日米開戦の真実 大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く
佐藤優はまえがきでこのように書く
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1941年12月の開戦直後、当時の政府は戦争の目的と
そこに至った経緯を国民に対して論理的かつ実証的に説明することを試みた。
その一つが大川周明によるNHKラジオの連続講演(全12回)だ。
この速記録は講演が行われた翌月(1942年1月)に『米英東亜侵略史』(第一書房)
という単行本として上梓され、ベストセラーになった。
本書を読めば、日本が何故にアメリカ、イギリスとの戦争に至らざるを得なかったのかが
よくわかる。さらにその内容が客観的事実に基づいた冷静な主張であることにも驚かされる。
本書にその全文を掲載している。
読まれた方は、「鬼畜米英!」などといった過激なプロパガンダが見られないことを
意外に思われるかもしれない。
しかし、そのことは当時の日本国民の知的水準の高さを示している。
(中略)
日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、
日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。
日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に向けて
追い込まれていったのである。
あの戦争を避けるためにアメリカと妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、
準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。
日米開戦の真実 大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く 佐藤 優
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず大川周明の「米英東亜侵略史」か、全文掲載されてある日米開戦の真実 大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く
を読むべきだな。
開戦直後に政府の代理で説明したのだから。
それに反論するように書いてみて >>188
日本にとって望ましくない政府に統治されるシナを危険視し
日本の半傀儡の汪兆銘政府を唯一のシナ政府にしたかったので
シナからの撤兵は国民党軍や共産の山賊を完全に消すまでは撤兵は出来ない。
そのために援蒋ルートの制圧が必要でそのために占領地域が仏印やビルマに拡大していったと言う。
将来の脅威を消すためならば容易に譲れないが
直近のより巨大な脅威のアメリカならばアメリカに譲歩してシナから撤兵すべきだった。 >>192
だから撤退の時期などを日米交渉で話し合っていたわけだ。
−−−−−−−−−−−−
ハル・ノートの過酷な要求が戦争を誘発したとの批判は米英の識者の間に当初からあった。
英国では、戦時中の1944年6月、保守党内閣の重鎮であったオリヴァー・リトルトン生産相が
ロンドン米人商工会議所で
『米国が戦争に追い込まれたと云うのは歴史を歪曲するも甚だしい。
米国が余り酷く日本を挑発したので日本は真珠湾攻撃の止むなきに至ったのだ』と述べて
英米間の問題になり、国務長官弁明まで飛び出す始末であった。
「大東亜戦争への道」展転社 中村粲
−−−−−−−−−−−− 東京裁判最終弁論でブレークニー弁護人は主張した。
「日本が真に重大なる譲歩を行ったのは東條内閣が交渉の再検討をした最初の成果、即ち甲案に於いてであった
証拠の分析は、日本がただにあらゆる点に於いて譲歩したに止まらず、譲歩に譲歩を重ね、
遂に譲歩の極に到達したことを証するものである」極東軍事裁判速記録393号
「大東亜戦争への道」展転社 中村粲
東郷茂徳は東京裁判の口述書でその時の我方の反応を
「ハル・ノートに対する出席者全員の感じは一様だった思う。
米国は従来の交渉経緯と一致点を全て無視し、最後通牒を突きつけてきたのだ。
我々は、米側は明らかに平和解決の望みも意思も持っていないと感じた。
蓋しハル・ノートは平和の代価として日本が米国の立場に全面降伏することを
要求するものであることは我々に明らかであり、米側にも明らかであったに違いないからだ。
日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を棄てることを
求められたのである。
これは国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、自らを護る唯一の残された道は戦争であった」と述べている。
これは軍部の見解ではなく、文官たる外務大臣の意見であることに注意すべきである。
無論、東條首相の宣誓供述書も殆どこれと同趣旨である。
即ち連絡会議の結論は
(1)ハルノートは明らかに最後通牒であり
(2)米国は我国が受諾できない事を知りつつ、しかも関係国との緊密な了解の上に通知してきて居り
(3)米側はすでに対日戦争を決意しているが如くである。
「大東亜戦争への道」展転社 中村粲 >>194
>日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を棄てることを
>求められたのである。
>これは国家的自殺に等しく、
反日左翼達のやり口は故意に戦前と戦後の世界の秩序、価値観を同じように見せかけるのである。
だから何故「極東の大国たる国際的地位」を捨てたら「国家的自殺」なのかが見えない。
戦前は植民地主義で人種差別があからさまに行われていた。
そんな中で国力を失ったらどうなっていたか・・・
日本が人種差別撤廃を国際連盟規約に盛り込もうとして拒否された事実は
人種平等の現在からすれば考えられないことであろう。
−−−−−−−−−−−−−−−
■1.われわれ黒人は日本に最大の敬意を払う■
全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを見守っている。
1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう、
国際連盟創設のための議論が進められていた。米国の黒人たちが注目していたのは、
国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。
『われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に、
最大の敬意を払うものである。』
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog132.html 第二次大戦で戦争のやり方に失敗したから、戦争は決してしてはいけないなどというのは
最も愚かな言い草だ。
まあ実際には反日工作員に言わされているだけだがな。 >>198
端から見ててもアホすぎる作戦やら情報統制やらが批判されてるんだと思います
あとはそれを止めることができなかった命令系統とか政治形態とか >>199
うん、だから「戦略や体制がこのように不味かったから、こう改良すべき」というべきなんだよ。
それが、全然関係ない「戦争はしてはいけない」という馬鹿げた結論に直行してしまうのは
反日工作員だけ。 >>188
日本は停戦協定を結んで不拡大に努力したが
その度にシナはテロを仕掛けて協定を破ってきた >>184
これ程までに的確に、日本軍の欠点を指摘できる”賢人“がこのスレに揃っていながら
日本は失われた20年のまま
こんなに賢人が沢山いるなら今の日本はとっくに完全無欠社会が達成出来ているはずだが >>200
これな
現代の価値観に戦中の過酷を無理矢理焼きこんでるだけ、そんなクソ甘な理屈が当時の世界情勢で通用するわけないんだよ
ハワイ王朝、ビルマ王朝、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国、これらの国々は何であるか?どのような運命を辿ったか?
日本が戦後、復興を遂げて経済大国になれたのが奇跡なだけであって
明治維新の直前には中国同様に開港を迫られ、不平等条約を結ばされ、ちょっとでも西欧列強に歯向かえば租借地という形で侵食される
租借地を渡せばそこを防衛するために軍事拠点が造成され、ことあるごとに西欧本国からの武力干渉を受ける
武力行使がなされれば現地民衆が蜂起して争乱が惹起し、鎮圧されると同時に主権を奪われ王統も除外される、完全な植民地化だ
もしそのような武力衝突が発生しなかったとしても、うっかり石油や金鉱が発見されればたちまち列強に侵略される
またそれらを回避して独立国家を維持しながら経済発展を成功させたとしても、世界経済から排除されるのが西欧諸国以外の国家の扱われ方だ >>183
兵士を犬死にするバカとか
平時の考えを戦時にあてはめる時点で、旧日本軍と同じ机上の空論だわ >>198
> 第二次大戦で戦争のやり方に失敗したから、戦争は決してしてはいけない
それは2つの点で違う。
全体としてやり方が良くなかったことが戦争に悪いイメージをもたらしたわけではない。それだと戦勝国の
側にいるかぎり、いつまでたっても戦争は良いイメージでとらえられることになるが、実際には20世紀以降
の列強の戦争に対する意識の変化は勝ち負けを超えて広汎に生じた。
そして2つめの間違いは、戦争が悪いイメージになったのはWWIIではなくてWWIだということだ。
列強の戦争が、産業や国家組織の高度化によって、牧歌的な王朝間戦争の時代からはずいぶん遠くなって、
大規模にしかも銃後を巻き込んでおこなわれる段階に達したのが第一次大戦だった。人対人の戦いでは
なく機械対人となる大規模な殺戮、国民経済の破壊によって長くつづく生活レベルの低下、戦後の革命の
危険性といった総力戦の現実を欧州は経験することになった。
ところが明治以降むしろ戦争によって産業の近代化をなしとげてきた日本は、欧州の先進国とは違って
第一次大戦の主戦場から離れていたことや、どうにか先進国に伍する水準にまで発達した産業のうえに
2世紀前の絶対主義を微修正しただけの王朝が君臨するなど、歴史的段階から考えると国家組織の
民主化が遅れていたために、1928年不戦条約の締約国でありながらその趣旨をよく理解していなかった。
それで日本はWWIIでレッスンを受けることになったんだろう。ちなみに石原莞爾は日本のつぎの戦争が
「最終戦」になることを、日米開戦の前からすでに見通していた。「人類の戦争発達の極限に達するこの
次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。人間の争闘心は無くなりません。 (中略) 戦争の発達の極限
が戦争を不可能にする。 (中略) この次の凄い決戦戦争でとても人類が戦争をやることは出来ない
ということになる。そこで始めて世界の人類が長く憧れて居った本当の平和に到着するのであります。」
(石原莞爾『世界最終戦論』立命館出版部、1940年、pp.36-38)
戦後の日本の国民感情は、しかしながら国際紛争の解決の手段として戦争に訴えることを悪いことだと
ようやく理解する機会を得たにとどまらず、さらには外国からの武力攻撃に対して武器を使って抵抗する
こと、つまり自衛権をも否定する方向に進んだ。そうした思想そのものはインドのガンジーと似ていて特殊
なものではないが、戦争の結果それが出てきたということは日本の反応のユニークさということになるだろう。 >>1
東京裁判史観に侵された反日左翼ジジイが歴史を歪曲するな
スラバヤ沖海戦で日本海軍の駆逐艦「電」と「雷」は
沈めた英駆逐「エンカウンター」と米駆逐「ポープ」の乗員422名を救助した
「雷」に救助された英軍兵は暖かいもてなしを受けた
(恵隆之介「敵兵を救助せよ!―駆逐艦「雷」工藤艦長」)
↓
藤田幸久
「電」と「雷」が救助した英軍兵400名はその後どこに連れて行かれたのか
政府参考人谷崎泰久
セレベス島東岸で終戦を迎えました
藤田幸久
麻生鉱業で終戦の2週間後の8月末に撮られた写真がございます
最後列の右から5番目の方がジェームズ・マクアナルティという方で
この「電」と「雷」に救出された方のお一人だそうでございます
東京裁判はただの自業自得でした >>1
満州事変(1931)
中国東北部の鉄道爆破事件をきっかけに、日本軍が軍事行動を開始。
中国東北部のほとんどを占領する。
翌年3月、日本軍は、清朝最後の皇帝溥儀を皇帝に加えて、満州国建国を宣言させる。
国際連盟脱退(1932〜33)
スイスのジュネーブで、満州国建国を認めるか否かをめぐり、国際連盟の臨時総会が開かれた。
本会議で、日本は非難を浴びる。議場では、満州国建国は認められないという意見が相次ぐ。
これに対し松岡は「日露戦争での10万の英霊の犠牲と、満州事変で確保したものである」と日本の立場を訴えた。
満州における中国の主権を認め、日本の占領を不当とする決議案が賛成42の圧倒的多数で可決される。
可決直後、松岡は演壇に登り「この会議で採択された勧告を、日本が受け入れることは不可能である」
松岡は席を立って退場する。その一月後、日本は、国際連盟脱退を通告する。
日蘭会商(1941)
蘭印は年間200万トンもの石油輸出で合意してたのに蘭印側がゴムの輸出量を減少させたことに対して、
松岡洋右は「蘭印の如き弱小国が日本に対してドイツに再輸出しないとの保証を要求するとは、
蘭印の増長を示すものにして、大国日本に対してヒューミリエーション(屈辱)なり。日本は断じて保 証を与えす」
高橋健夫「油断の幻影 一技術将校の見た日米開戦の内幕」
日下公人「人間はなぜ戦争をするのか」
1941年8月のアメリカによる対日石油輸出全面禁止は日本に大きな衝撃を与えた。
まず手持ち量だが、実は、1940年から1942年にかけてルーズベルトが日本に石油を大量に売っていた。
イギリスの妨害でオランダから石油を輸入できなかった日本に、「いくらでも売ります」と言ってくれたのである。
アメリカ国内では「石油は配給制なのに、仮想敵国である日本に大量の石油を売るとはどういうことか」
という議会の反発を恐れて、1941年2月16日には貯油タンクとドラム缶の輸出を許可制にしたが、
少し時間を置いて小さい5ガロン缶ならよいことにした。
アメリカの石油輸出業者は積極的に5ガロン缶を作って、どんどん輸出してくれた。
人は、犯罪には何か動機があるに違いないなどと都合よく解釈するが、現実は特に理由などない >>206
横からだが、すげー説得力あるな
ただ俺の意見は若干異なる
国家組織の民主化が遅れていたというよりは近代化と懐古思想が同時に起こったように思える
遅れていたのではなく天皇の権威で新政府を樹立・維持していく過程で、皇室にゆかりのある歴史上の人物を再評価して教育に取り入れた
もちろんそれは欧米列強と渡り合うために愛国心の醸成が必要であったし徴兵制度の確立という面でも重要だったのだが
ベクトルとしては一般社会における武士道の普及に繋がった、つまり日本の軍国主義とは近代化された軍隊と武士道の融合だったと言える
だから日本軍は大命を奉じ、将兵は身命を投げ打ち、最後の最後まで勇戦敢闘したのだが
敗戦と同時に武士の魂たる刀を奪われてしまったがために、そのアイデンティティを完全に失ったのだろう
しかし今なお戦前戦中の国策が誤りではなかったという認識が広く支持されるのは、単に現在の日本が第三国人の調略に主権を脅かされてるというだけでなく
当時の世界情勢の中で唯一、高潔な理想を掲げてたことに起因するからだと思われる 騙し討ちが高潔な理想だといっているうちは同じことの繰り返しだよ
現実はゲームじゃないからな 後知恵はちょっとちがうと思うな。前線の日本の兵士たちが飢えや病気でバタバタ倒れていってたのは当然
後方の牟田口中将や参謀たちはリアルタイムで知ってたんでしょ? >>206
「絶対主義を微修正しただけの王朝」ではないな。
軍が暴走して勝手に戦線を拡げるとか、軍内部で馴れ合い人事が横行するとか、全く持って絶対王政的とは言い難い。
そもそも国家の発達・民主化が直線的に起こると言う発想が時代遅れ。 兵が死ぬことをなんとも思わず
死ぬことを前提にした作戦が最上だとかやむを得ないとか言うなら
原理主義者の自爆テロをもっと誉めればいいんじゃないの?(テキトー) 最初から下の連中は使い捨ての消耗品でしょう?
今の日本も末端はそうじゃないですか。
昔からまったく変わっていない。 >>166
牟田口どうこう以前にこれを読むと、日本は本気で戦争をする気があったのかね? シナにodaやハイテクを渡せば手の付けられない軍事大国になる。
バカでもわかる事を平気でやり続けた戦後の日本人。
「日中友好!」を叫んでいたヤツ、責任を取れ!
取れないなら東條英機を批判する資格なし。 >>216
こっちがボルトアクション式の歩兵銃をチマチマ作ってる間に
向こうじゃセミオートのガーランド小銃やマシンガンのトンプソンをガンガン生産
こっちが分かり辛い説明書と格闘し職人のおっちゃんから旋盤やドリルの扱いを教えてもらっている間に
向こうじゃ分かりやすいマニュアルを配ってそこらのオバちゃんや兄ちゃんがガムを噛みながら飛行機を組み立て
「うちのエンジンは非力だから」と零戦のフレームに肉抜き穴を開けたり沈頭鋲を打ってる時に
「うちのエンジンはパワフルだから多少重くても大丈夫だぜHAHAHA」と肉抜きなど関係なくP-51をドンドン生産
(P-51は零戦の半分〜1/3の工程で完成したと言われている)
こっちが輜重兵(補給部隊の兵隊)に操典の「自動車運転心得」を一言一句間違えず暗記させてから教習に入って「特殊技能」としてトラックの運転手を鍛えていた時に
向こうじゃ大体の新兵が車の運転や車の整備の心得があったので1ヶ月で軍の大体の車を扱える立派な運転手に
(日本軍では「部隊にトラックはあったのに運転する輜重兵が空襲で負傷していて使えなかった」なんて話も残ってる)
本気と言うより技術や人の使い方という戦争の根本の部分でもう負けていた >>202
後知恵もなにも、めちゃくちゃな計画だったから当時も反対意見はあったんだがな。
ここまでめちゃくちゃだと、おまえの言う賢人とやらじゃなくても間違いの指摘く
らいできるだろ。 そもそも当時実際に戦場で戦ってた現場指揮官が、こんな状態では戦えない
と言って無断で撤退してるからな。
なおこの部隊はコヒマ方面で2ヶ月以上、ほぼ全く補給のない状態で
戦ってたので、本来はかなり勇猛な指揮官だと思えるのだが。 >>216
日本軍が日本国を征服するために起こした戦争が太平洋戦争だと思う
だから軍が逆らう政治家をテロで銃殺したり、生意気な技術者たちを徴兵して一兵卒として南方送ったりしてた
でも外国に手を出したのは不味かったな >>219
航空機の整備マニュアルでも日本は漢語調で難しい分かりにくいので整備員の質にバラツキ。
アメリカはマンガやイラスト使い分かりやすく。
そういう万人向け分かりやすくと言う点が欠けていた。 相変わらず、自虐歴史観、東京裁判歴史観察等、ネットウヨが出現
している。
一部の捕虜優遇例を取り上げて虐待はなかったとか言って、
大多数の捕虜への虐待行為をスルーしたり、
朝鮮半島を植民地化した事実も無視し、大東亜解放とかほざいて
マレー半島やインドシナ半島を日本領土に編入しようとしていた
事も触れず、正義の戦争とかぬかしている。
ビルマでも日本のそうした魂胆を見抜かれて、1945年には
日本軍への軍事行動が発生していた。
米英オランダにとって代わり、南方地域の覇者になろうとしていた
だけに過ぎない。戦後、南方地域が独立が早まったのは、事実だが
それをあたかも日本の手柄と厚顔無恥さをさらす皇国史観。 >>164
前の勤め先の経営者の母親(婆さん)が、
秘密兵器風船爆弾作ってたと言ってた。
「あたしが作ってるようじゃ勝てない」と思ってたとか。
↑これは戦後の後知恵かも知れんが。 >>日本は補給はなく、現地住民の食糧を奪い
誤解を招くような書き方をするな。徴発といって正規購入しているのだ。
軍票でwwwww 1944年の晩秋あたりから本土空襲が多くなっていくようだけども、戦前の幾人かの有名人・作家の日記を
見たかぎりでは、だいたい空襲を受けるころから負けると思い始めたような感じだな。ちょうど天王山と思わ
れていたフィリピンに米軍が上陸して苦戦していく時期でもあるし。
風船爆弾の作戦もそのころにはじまるので、「勝てない」と思ってたのは事実かも。 漢文調は現代の人には難しいかもしれないが、当時は軍隊の文書にかぎらず、生活のあらゆる面で漢文の
書き下し文に満ちていたし、それどころか人前での演説やインタビューでのしゃべり方、映像のナレーション
まで漢文調ないしその影響を受けていた。
いまの感覚で、当時の人にも難しかったに違いないと評価してしまうのは早計かと思われ。
一方、マニュアルにイラストが少ないから分かりにくいというのは、理屈としては分かる。 >>229
戦果を切り抜きして記録したりしていた人も多かった
最初はまあともかく後半になると集計すると敵艦を山ほど沈めてるのに米軍の勢いは止まらない
まあおかしいと思うよな >>228
日本は中国でも物資は全部じゃないでしょうが現地調達だったらしいです。
後方からの補給に不安あったんでしょうか? >>214
逆に、自爆テロも厭わない原理主義者は日本の特攻にヒントを得た可能性が・・・。 >>231
そうそう、たしかに。
しかも、伊藤整の『太平洋戦争日記』だったかかもしれんが、日米開戦からしばらくは日本側が発表する撃沈数と連合国側
が発表する撃沈数を比べていて、日本側のほうが正確だなんて当人は冷静に評価しているわけだ。当時は敵側の発表も
新聞に載っていたんだなと驚いたと同時に、のちに見向きもされなくなっていく「大本営発表」が、それ以前に比較的に正確な
発表で信者を獲得していった過程がみられて面白い。 >>233
石原莞爾の現地自活経済妄想が原因だよ
大日本帝国陸軍は石原莞爾を天才と崇めてるやつがたくさんいたからな
現地自活、現地自活で、現地経済が破綻して現地人が餓死の嵐なんだよな >>236
総員農作業で自活成功したラバウルという稀有な例もありますが・・・・ >>219
アメリカに行った事のある上層部の連中(例えば山本五十六)は彼我のこの差を知ってたんだろうけどなぁ >>227
見方次第だと思うよ 女が兵器を作っても別におかしくはない
アメリカはもちろん英独ソどこも戦前は働いたこともない女性を工場に動員していた
アメリカやドイツは生産工学が進んでいたから労働者が女性だろうと品質管理はキチンと出来ていた 女子供だか質が低いというのは言い訳と思う 597 名無しさん@1周年 2019/06/14(金) 16:05:11.16 ID:lERUf8fr0
原爆投下や大空襲で、日本を軍国主義から解放してくれた米軍には、心の底から感謝してるよ! 30万程が死んだだけだしね。 >>238
上層部が「これでやろう!」「この道しかない!」「こうするしかないんだ!」とノリノリ(ある種の悲壮感)だと
下の人間は内心ヤバイと思っていても左遷や閑職送りを恐れて積極的に反対意見を出さないし
お偉いさんの派閥の取り巻きや腰巾着が周りを煽るから更に反対意見を言い出せない空気になる
勇気を出して反対意見を出す人間も居たがそういう人間は煽られた連中に「裏切り者」「売国奴」と言われて潰される
そしていざその計画を実行すると綻びや穴が出来てくるがみんな「変なことを言ったら叩かれる」と言って意見を出さない
上層部もヤバイかなと思いつつも責任問題やメンツの問題で見て見ぬふりをして破滅まで突き進む
当時の海軍内部で蔓延していたと言われる「やましい沈黙」と呼ばれた現象 戦争末期、菅野直や紫電改で有名な343空に特攻の話が来た時のエピソード
参謀から来た特攻の下問をどうするか
司令の源田實大佐が飛行長の志賀淑雄少佐に相談した時のやりとり
源田「うちに特攻に出せと言ってきたよ」
志賀「誰が言いました?」
源田「……………」
志賀「いいですよ、出しましょう。私が先頭で出ます。
優秀な奴は全員出しましょう。若い予備士官は出しちゃいけません。
司令、貴方は最後に出撃してください」
源田「………」
志賀「それともう一つ、条件があります」
源田「なんだ?」
志賀「その、特攻に出せ出せと言ってる参謀(※)を連れてきてください。
私の後ろに載っけてやりますから。
特攻がどういうものか最期に知って貰いましょう。」
源田「………………全くだ」
これ以降、343空に特攻の話が来ることは無かった
志賀淑雄少佐
https://i.imgur.com/AaKJSSV.jpg
海軍兵学校62期卒
空母「加賀」戦闘機隊長
真珠湾攻撃では第一次制空隊長を務める
南太平洋海戦では空母「隼鷹」飛行隊長として第一次、第三次攻撃隊を指揮
その後、海軍航空技術廠所属となり
紫電改や烈風のテストパイロットとして開発に関わる
空母「信濃」飛行長に任命されるも着任直前に信濃が沈没
第三四三海軍航空隊の飛行長となる。
戦後は航空自衛隊の誘いを断りノーベル工業に入社。
特殊警棒や防弾チョッキ等を開発。
1955年、同社社長に就任、1994年に会長を退く。
2005年(平成17年)11月25日、死去。享年91。 >>240
これ書いたの原爆がどこに使われる目的で開発されたのや思惑とか東京大空襲がどんな残忍なやり方したとかもわからないんだろうな。 >>240
軍部は日本人を2000万人特攻させようとしてたからな
米軍さまさまだよ とにかく根性で行けっていうジャップらしい作戦だったね
当然の報いを受けただけ 最近読んだ著書でワコールの創設者が出てきたから、どんな人かとググったら、インパラ作戦に従事してたんだな 塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 - 1998年6月10日)
ご存命なら98歳だから、>>1の人とちょうど被るわな >>1
その頃、軍の上層部たちは日本の料亭で会議をしていたのか >>245
アベノミクスって実際はほぼ何もしてないに等しいから
おとなしくしてりゃいいのに余計なことして破滅を招いたインパール作戦とはかなり違う >>228
軍票なら蒋介石時代のシナ軍閥が各地で乱発していた。モチロン徴発、徴兵も乱発
だから日本軍が駐留した地域の方が治安も経済も安定していた >>67
バーカ 日本はアメリカ潜水艦に海上封鎖されてたんだよ
だから海外領地から資源、食料が入ってこないから継戦不可
B29も原爆も不要 まともな護衛も無しにアメリカにバカバカ沈められたからな。 >>244
民間人を集めてつくった急ごしらえの義勇兵2800万人を米軍の火力の前につぎつぎ繰り出して米軍の前進を
押しとどめるつもりだったらしいが、ある意味、上官すなわち天皇の権威でどこまで人を服従させられるかの限界を
試すということでもある。
義勇兵たちが公然と上官の命令を無視するようになってしまうと、ガダルカナルやニューギニアの一部で起きたような
組織の崩壊が本土でも起きるということになるし、その後の日本の歴史に与える政治的影響ははかり知れなかっただろう。 >>245
これな
パヨクが言いたいのは結局これなんだよ
別に戦争に反対してるわけではない、どうせアカが政権奪い取ったら反対派を一人残らず粛清するつもりだしな >>241
> 海軍内部で蔓延していたと言われる「やましい沈黙」
『[証言録]海軍反省会』のなかでそれがとりあげられていたかどうか忘れてしまったが、あれを読んでも「ああすれば
よかった」論が戦後の立場で掘り起こされたことについては多としつつも、やはり戦前の当時の海軍内部の力関係や
個々人の権限ではどうしようもなかったということが、かえって透けて見えるような印象があった。
むしろ外部から海軍に圧力がかかって変革を迫られたほうが、「いいアイデア」をもちながら権限がなくてくすぶってる
中堅や若手にとっては僥倖になったのかもしれない。 >>1
コヒマに進出した31師団は、山砲と歩兵をあわせると、野砲を固有編成の口径105mm 12門、75mm 36門、
37mm 12門から、口径75mm 66門、37mm 12門に増やして火力を強化しようとはしてたみたいね(*1)。
「第31師団戦史資料」によると、4月4日にコヒマに到着してから23日までの間の、駐屯地のテニスコートを
攻めていた期間の終わりには、弾薬の残りは「山砲一門に対して榴弾十数発、榴霰弾十数発」になってし
まったという。それに対して英印軍は「払暁より薄暮に至る間…射撃を連続する一方 死角に対しては9機
ないし12機の戦爆機をもって制圧するなど連日に及」んだ。
5月中旬をすぎると弾薬の補給はいよいよ厳しく、5月17日から6月1日の間に受けた山砲弾薬の補給は500
発にすぎなかったが、これは(残存する)山砲の1門あたり15発にしかならないという。
(第31師団戦史資料/第2 「ウ」号作戦/(ハ) 作戦経過の概要(状況判断を含む)、アジア歴史資料センター C14060222300) (*1) 「第31師団戦史資料/附表(2) 作戦各期に於ける31D編成装備の概要」(アジア歴史資料センターC14060222500)
第31師団(1万3千人)
【固有の編成および装備】
○歩兵第58連隊、第124連隊、第138連隊
(それぞれ歩兵3個大隊、通信1個中隊、速射砲1個中隊、歩兵砲1個中隊、乗馬1個小隊)
△歩兵大隊
ig(Infanteriegewehr小銃) 390
Lg(leichte Maschinengewehr軽機関銃) 27
MG(Maschinengewehr重機関銃) 8
MW(Minen-Werfer擲弾筒) 6
biA(Bataillons Infanterieartillerie大隊砲) 2
△速射砲中隊
94式TiA(37mm)(Tankabwehr-Infanterieartillerie速射砲) 4
△連隊砲中隊
41式山砲(75mm) 4
(第138連隊は加えて97式曲射砲 2)
○山砲兵第31連隊 BA(Bergartillerie)
(山砲2個大隊、十榴1個大隊)
△山砲大隊
94式山砲(75mm) 12
△十榴大隊
91式十糎榴弾砲(105mm) 12
【インパール作戦時の編成および装備】
○歩兵138連隊、歩兵大隊は4個中隊編成のままとするが、連隊内から(輸送のための3個)中隊を臨時編成する
歩兵第58連隊、歩兵大隊はそれぞれ4個中隊から3個中隊に減らし、それにより3個中隊を捻出して輸送渡河作業にあてる
歩兵124連隊、歩兵大隊はそれぞれ4個中隊から3個中隊に減らし、それにより大隊内に作業・輸送の小隊を編成する
○山砲兵連隊
山砲3個大隊とし、山砲大隊はそれぞれ18門、したがってその中の3個の山砲中隊は4門ではなく6門編成とする。 >>260
31師団にそんなに火砲があったというのは初耳
榴弾砲は全て残置して行ったのでは?
コヒマ到着後に砲弾の補給など受けていないのでは? >>261
正式編成ではそれだけの数なんでしょうが、
険路を越えるため残置した結果機関銃も速射砲も山砲も半減もしくはそれ以下となり
大変に火力が低下していたようです。 >>260
口径105mmの砲は一門も持っていかなかったの? >>262
いや、言われてみて違うかもしれんと思い始めた。十榴を置いていったというのは考慮に入れてるんだが、
上では山砲連隊の山砲ところを 12+12+12=36 のかわりに 18+18+18=54 と解釈して計算してる。
これは間違いで 6+6+6=18 かも。すると75mm は 66門ではなく30門になる。500発が1門あたり約15発と
なるという記述とも整合性がある。
ちなみに山砲兵連隊の原文は、「「ウ」号作戦時期 固有編成装備と異なる点」として、「連隊:山砲3個大隊
18門戦力とし改編す 大隊:各3個中隊6門編成とす」となってる。
>>260
> 野砲を固有編成の口径105mm 12門、75mm 36門、37mm 12門から、口径75mm 66門、37mm 12門に
> 増やして火力を強化しようとはしてたみたいね(*1)。
訂正
野砲を固有編成の口径105mm 12門、75mm 36門、37mm 12門から、口径75mm 30門、37mm 12門に減ら
して自殺しにいったみたいね >>264
十榴は置いていって、十榴大隊にはかわりに山砲を持たせたらしい。 >>262
> コヒマ到着後に砲弾の補給など受けていないのでは?
いや5月17日から6月1日の間の戦況のところに、「この間師団の受けし補給は山砲弾薬500発(1門15発)
にして 糧秣は現地収集のみによれるも …北方正面よりの敵の浸透は糧秣の収集に大なる影響を与えたる
のみならず 敵に帰す者また漸増し…自活は逐次困難となれり」と書かれている(C14060222300)。 >>265
なんかふと
この国の支配層は危機が迫ると買い解決に尽力するんじゃなくて
下層をいじめてストレス発散してるだけなのかと思った >>268
敵に帰す者が漸増、ってどういう意味?
さすがに飢餓ががひど過ぎて降伏した人もいたのか。 >>270
いや日本兵が敵に寝返ったんじゃなくて、ナガランドの地元民が日本軍に協力してくれなくなったので
食料の現地調達も難しくなったということでしょ。 >>270-271
その資料自分も見たけど
「敵の浸透は糧秣の収集に大なる影響を与えたるのみならず土民の敵に帰す者又漸増し」
ってなってる
大事な部分をカットしちゃダメよ >>272
「土民の」が抜けてたか、指摘ありがとう。意図的ではないんだ。 >>259
「やましい沈黙」は海軍反省会の証言テープをドキュメンタリーで追ったNHKの本に載ってた話だね
>戦前の当時の海軍内部の力関係
戦前の海軍(特に艦隊派)は対米戦争を煽って軍艦の建艦競争を煽っていた
新しい軍艦が完成すれば艦長や副長、砲術長、航海長などの役職の椅子が増える
更に軍艦が増えれば新しい艦隊や戦隊を編成するので司令や司令部幕僚の椅子も増やすことが出来る
そうすれば海軍内部で「俺たちが予算(軍艦の建造費)を引っ張ってきた」「俺たちのおかげで艦長になれて良かったな」とデカイ顔が出来て
海軍内部での派閥争いや出世レースで優位に立てる
そのために「日本海海戦の軍神」東郷平八郎や「海軍の宮様」伏見宮博恭王を錦の御旗にし
海軍軍縮条約賛成派や米英協調派を「帝国弱体化を狙う売国奴」「列強に屈した腰抜け」「米英のスパイ」と叩き
海軍大臣に詰め寄って粛清人事でそういった勢力を閑職や予備役送りにした
そんな状況なので対米戦争反対派や米英協調派の意見は黙殺されるようになった
これを海軍反省会で「やましい沈黙」と振り返っていた 本当は餓死者数はそこまで多くなかった
ってほんと? 空腹と疲労であまりにもつらくて、手榴弾で自殺する兵士もいたけど、
それだと遺族年金が出ないだろうから、戦闘で亡くなったことにしておいてあげた
自分の腕を銃で撃って、戦闘で負傷した、なんて言って負傷兵として帰国する兵士もいた。
傷口には、銃口から発射された硝煙でできる黒いガスがついてるから、衛生兵が見ると
すぐにわかるんだけど、見逃してあげたんだってね >>277
火薬を舐めると一時的に顔色が悪くなるので
小銃の弾から火薬を抜いてペロリ
↓
隊長「貴様顔色が悪いな。後送してやるから野戦病院で休んでろ」
で手法もあったらしい
だいぶ前に何かで読んだ話なので真偽は微妙だが >>275
そもそも戦闘以外の原因で死んだ兵士の内何人が餓死で何人が病死かなど正確な数字はないので
「そこまで」(っていうかどこまで?)多いかなんてことはわからない。
それ以前に、栄養不良と負傷の悪化の両方が影響して死亡したらそれは病死なのか餓死なのか判別困難。
撤退時の日本軍の兵士はかなりの人数が何らかの戦傷を負っていたと考えられ、少しでも負傷のある者は餓死ではなく戦傷による死亡とカウントするなら
「餓死者の数」は少ないと言うことになるかもしれない。 日本のトップって優秀な人材に乏しい感じではなく、一体感、意気を感じて無理してしまった戦が多い気がする
一旦動き出すと後には引けなくなる波に押される、今は巨大なアメリカがバックにいるので色々と安心
日本なんて小さな島国なんだし背伸びしない方がいい、伸びしろも無い国なんだしアベの知名度も低い
ホンダ、ヤマハ、トヨタの方が知名度は高いんだし >>166
戦前に運送会社を経営していた女性社長がいた。
日米開戦の報を聞いて「日本は絶対に負ける。」断言していた。
その根拠は、日米の新車に付随していた工具のスパナで
日本製はすぐ壊れたが、アメリカ製は耐久力に優れ壊れなかった。
「こんな簡単な工具一つ製造できない国がアメリカに勝てる筈がない。」
と周囲に話していた。
ちなみにその女性は女学校も出ず小学校卒の学歴しかなかった。
陸軍大学や海軍大学卒の将官より洞察力が優れていたというより
彼らが小学校卒の女性ほどの洞察力も持っていなかった事実。
牟田口もその一人。 まあ日本は精神年齢が12歳だからね。
こちらは打撃を与えるつもりで殴っているのに、向こうが本気で殴ってくるとは思わなかった、みたいなところがある。
まともにやりあったら勝てないのは分かってたというのが恐ろしいところ。それがアメリカとの戦争。 >>285
大東亜戦争は日本が勝ったんだよ
「太平洋戦争」はアメリカの洗脳だった。
日米の新車に付随していた工具のスパナで
日本製はすぐ壊れたが、アメリカ製は耐久力に優れ壊れなかった。
「こんな簡単な工具一つ製造できない国がアメリカに勝てる筈がない。」というのもアメリカの洗脳に過ぎない
日本が「侵略戦争を起こした」というのは、真っ赤な嘘だ。
アジアを侵略していたのは、欧米列強だだった。
日本が戦った戦争は、そのアジアを支配し、搾取していたヨーロッパの列強と、アメリカを、排除することになった。
それによってアジア諸国は、白人キリスト教徒により、数百年にわたる搾取と奴隷支配から、脱却し、独立をすることができたのである。
インパール作戦の成功で牟田口もアジアを、解放した大東亜戦争の勝利に貢献したその一人。 >>275
本当だよ
日本軍が補給はなく、現地住民の食糧を奪い、ほとんどが飢えや病気で亡くなったというのはアメリカの洗脳
正しい真実の歴史は飢えや病気で亡くなった日本兵はほぼゼロですべて鬼畜米英に嬲り殺しにされた
日本人は正しい歴史を知る必要がある 「正しい真実の歴史」を自分の脳内からヒネリ出す輩は帰ってもらっていいです >>289
イギリスやアメリカの歴史研究家が言ってる「正しい真実の歴史」なんだけど
>>1の今井さんの「ほとんどが飢えや病気で亡くなった。戦争を絶対にしてはだめだ」のほうが
今井さんの脳内からヒネリ出した妄想でしょう あ、いや、
「脳内からヒネリ出す」ってのは記憶を思い出すと言う意味では使ってないんで
まさかとは思いますが、この「歴史研究家」とは、
あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか >>288
英米の洗脳とか歴史研究家の前に、そんなことがあれば
日本兵の体験談として残ってるだろう。 >>286
それ言ったら日清・日露も勝ってないし
そもそも日米は大東亜戦争が始まる前から戦ってるうえに
日本がハワイ真珠湾を攻撃しなくてもアメリカは日本本土を奇襲爆撃してた
また開戦前は米英の戦力を正確に把握できていたが
あまりにも日本軍が強く、敵の懐に突っ込めば勝てるみたいな驕りと油断を生じたうえに
レーダーやターボチャージャーなどアメリカの技術革新についていけず兵器性能で引き離された >>292
今ある日本兵の体験談のすべては鬼畜米英の洗脳だからね
そもそも戦前の日本はアメリカよりも国力が上
アメリカの洗脳によってまともにやりあったら勝てないなどと言い出すバカが増えたのは嘆かわしい限り >>285
日米の工業力や技術力の差を承知している陸海軍の将校や士官は結構居て
山本五十六や井上成美みたいに「日独伊三国同盟を結んだら米英との戦争は必至。これは避けるべき」と主張する人間も少数だが存在した
それに開戦前に陸海軍や各省庁の関係者を集めて創設された総力戦研究所のシミュレーション結果は
・最初の1年半〜2年(昭和16〜18年)は日本有利の戦況で推移する(真珠湾攻撃(昭和16年12月)〜ガダルカナル撤退(昭和18年2月)頃は日本側がまだ優勢だった)
・だが1〜2年目の間(昭和17年〜18年初め)からはアメリカの工業や産業が戦時体制に移行し終わるので兵器その他の生産力の差は次第に広がっていく(昭和17年12月エセックス級空母の就役開始)
・この頃(昭和17年半ば以降)からアメリカの潜水艦が東シナ海や東南アジア方面に進出してくるので輸送船団やタンカーの被害は増大する(実際は昭和18年以降からやばくなった)
・南方資源地帯からの物資輸送が滞るので国内の産業や生産力は徐々に低下していく
・3年目(昭和19年)からは戦力を増強した米軍が太平洋各地で反撃に転じるので日本の戦線は縮小せざるを得ない(昭和19年6月サイパン攻防戦開始)
・太平洋の島々(グアム、サイパン、タラワ、マキン、ペリリュー、トラック環礁)を占領、無力化した米軍は比島、台湾、沖縄方面に攻め込んでくる(昭和19年10月比島決戦開始)
・比島を取られたら南シナ海〜東シナ海南部の制空権、制海権はほぼ取られるので南方資源地帯と本土は途絶する
・これ以降(昭和19年〜昭和20年)は逆立ちしても勝てない。4年目以降は敗戦不可避
という結果が出されて東條英機らにも報告されている
だが日本国内の論調とか陸海軍の派閥争いとか予算確保のお題目とかそういうのが絡み合ってああなった >>288
鬼畜米英なんて言ってるやつが一番信用できないんだよなあ
それは日本人が一番身をもって知っている >>285
現在の日本政府の中枢に、牟田口のような輩が数多くいる事実に戦慄せよw
日本は今もインパール作成を実施中であるw ヘタレだな、大和魂足りねえんじゃねえの?
人肉食って血を啜ってでも前進すべき。 インパールが無くても日本軍を待ってるのは飢え死にだったろう
ビルマ方面に限らず、日本軍の補給は破綻してたからな
座して死を待つよりも一発逆転に賭けるのも理解出来る
そもそも太平洋戦争自体が一発逆転に賭けたんだからな >>299-300
お前ら、1日、水だけで過ごせ
そうすればお前らのいうことがクソだってわかる >>297
「国民を一致団結させたければ適当な国を残虐非道な敵だとでっち上げてやれば嫌でも一体感が増す」
ゲーリングだったかゲッベルスの言葉だがまんまこれ 馬鹿の命令に意義も唱えず黙って従ったことが間違いだな。
今でも反論しない、反抗しない、喧嘩しないやつの運命は同じようなもの。 お国の為に飢え死にするなら本望だろ
欲しがりません勝つまでは! >>22
>長期戦になると城から食料を運ぶ
補給路や備蓄と確保、そしてそれらの維持の問題だろ
長期戦になったら運ぶのは当たり前じゃん
足りなきゃ現地調達になるのも当然
弱いというなら、それらの維持を重視してなかったことだろ >>303
世界最強の軍隊
アメリカ軍の将軍→合理主義と成果主義で鍛えられてるので強いリーダーシップで部下を引っ張っていく
ドイツ軍の参謀→勤勉で優秀な人間が多いので作戦や計画立案に長けている
日本軍の下士官兵→自分で考える能力は持ち合わせていないが上官の命令を忠実に守り文字通り死ぬまで徹底抗戦する
世界最弱の軍隊
中国人軍の将軍→すぐ逃げるし戦争用の金を懐に入れること多し
日本軍の士官、参謀→現場の実情を無視し机上の空論や希望的観測(こっちがこうやるんだから敵もこうするに決まってる)で作戦を立案するので不測の事態に即応できない
イタリア軍の兵隊→個々人や少人数では強いが軍隊になると何故か弱くなる
よくある世界史ジョークだけどあながち嘘でもないな 実際インパールに辿り着けてもいないんよね…
前に一度旅したけど辺鄙なところの地味な日本軍慰霊碑で日本人に会ってビックリした
ポツポツ訪れる日本人はいるみたい >>297
「スカルトロフィー」の事実
当時米ライフ誌に掲載された残酷なドクロ写真を知った日本国民は
鬼畜米英が本当だった事を自覚した
だからこそ徹底抗戦した 牟田口廉也みたいなパワハラ野郎に権限を持たすとろくな事がない。 >>302
横からすまんが、元発言は後でネトウヨ連呼するための釣りだろ
戦中のスローガンとネガキャンも微妙に違ってくるし、ディスカウント・ジャパンは蒋介石も嫁使ってアメリカでやって一般市民にまで浸透させてる
アメリカは最初から日本と戦争するつもりで能無しのルーズベルトを大統領にしたから、原爆投下が決定して用済みになったら始末した 今井さんは「ほとんどが飢えや病気で亡くなった。戦争を絶対にしてはだめだ」と言ってるが
アジアを解放するためには戦争するしかなかったんだよ
牟田口廉也のイギリス軍も称賛した優れた作戦によってインパール作戦は成功しインドは独立した歴史の真実を日本人は知る必要がある >>313
アジア解放と言いながら、朝鮮半島を植民地化し
日本に併合。
インドシナ半島,マレー半島を日本領に併合し、フィリッピン人や
インドネシア人に天皇崇拝を強制し、日本をアジアの盟主と
教え込んだ。
戦後、アジア諸国の独立を日本のお陰と主張する厚顔無恥。 牟田口は勝手に師団長を解任してたが、牟田口には親補職である師団長を
解任出来る権限はない。しかもこいつは盧溝橋事件で一度停戦したのに勝手に
攻撃を開始して日中戦争を泥沼に引きずりこんだ張本人。案外、中国共産党か
イギリス辺りの諜報機関の犬だったかもしれんな。まさに国賊だよ。 >>8
いや人生なんて病苦で死ぬのは100パーやんw >>313
なぜ日本が戦争するしかなかったといえるの?
他の方法、独立運動の勢力にアメリカのフライングタイガースみたいな
義勇軍を派遣するとか、ベトナム戦争のソ連や中国みたいに軍事顧問や武器を送る
とかみたいな方法は試したのか。 >>313
「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発竝ニ民心ノ把握ニ努ム ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています