【古代中国】「天下第一の剣」こと越王の「勾践剣」 浙江に里帰り (動画あり)
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190624-03231116-clc_cnsv-cn
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「天下第一の剣」と称される越王の「勾践剣」が中国・浙江省博物館で展示され、見学者の注目を集めている。
越王の「勾践剣」は長さ55.7センチ、幅4.6センチ、刀身には菱形の紋様が刻まれ、鍔(つば)の両面には
青色の瑠璃(るり)とトルコ石がはめ込まれている。
刀身には鳥篆(ちょうてん、春秋時代の書体)で書かれた銘文「越王鳩浅自作用剣」が刻まれている。
これは国の一級文化財で、青銅武器中の珍品だ。
越王の「勾践剣」は越国の歴史を研究し、越国の古代青銅鋳造技術と文字を理解する上で重要な価値があるとされる。
浙江省はかつて越国があった場所。
独特な越の文化や、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」などの歴史的典拠となる故事が古来から伝えられてきた。
今回の「越王の時代――呉越楚の文化財精華展」には見どころがたくさんある。
展示会では、全国27の文化財保護・博物館などの機構から秘蔵の文化財300点以上が集められた。
越文化を主体とし、春秋戦国時代に揚子江の中流から下流の地域で最も影響力のあった諸侯――呉、越、楚の間で
繰り広げられた相互征伐と文化融合の歴史を展示している。
展示物の中には、一級文化財が80点、青銅器、漆器、玉器などの珍品が含まれている。 倭王「ワイの三種の神器の草薙神剣とどっちが凄いの?」 春秋戦国時代というと、始皇帝が統一する前の大昔だな。その時代にここまで作るとはたいしたもんだ 人は記憶型と思考型に大別できる
残ってたのかよ
日本でもこの時代の剣は残ってないんじゃねーのかな? 1994年、文化交流展の一環としてシンガポールへ貸し出し中に、作業員が誤ってケースにぶつけ7oの亀裂が入ってしまった。それ以来、中国は剣を国外に持ち出すことを認めず、2013年には公式に国外展示禁止の中国文化遺産リストに登録した。 剣には鳥蟲書(中国語版)という書体で「越王勾践 自作用剣」とあり、越王勾践自身が作成して用いた剣だと刻字されている
こんなオーバーテクノロジー持って縄文弥生の日本に入植してきた奴らとかおったんやろなチートすぎる >>15
文種?
伍子胥といいあの時代の名臣は大変だな 日本中央の碑
昭和24年に青森で発見された「日本中央」と書かれた石碑
万葉集にもその記述があり、明治時代に天皇行幸の前に
日本軍が大規模な調査をしたが見つからなかった
なぜ日本中央なのか、誰が何のために建てたのか
謎の多い碑 地肌に文様があるなんて不思議な剣だ。越王勾践に呉王夫差。
どっちがどっちか忘れましたが教訓的な故事を残したオッサンたち。
実物の剣を見ると「妙に懐かしく」感じるw これ本物なのかね
歴史上の有名人の剣が文句無く完全な形で見つかるとか都合が良すぎる あと七振りあるはず
見つけたら大金持ちか死体のどちらかになれる
たぶん、高確率で死体になる この剣について三国志の英雄である曹操が詳しく語る
https://www.youtube.com/watch?v=djFhhu-174E&list=PL3mV6Qzlc-kLAwQ6OgNXprgLI1UMYwpqj&index=19 せいどうのつるぎだからそこまで強くない
ただ当時の中国の鉄はショボかったので
、青銅>鉄だったとか
始皇帝の時代まで青銅が優位で(秦の武器は青銅)、鉄は漢以降って話を聞いたな 始皇帝の時代にはアルミがあったし
相応の技術はあったんだろう
ファラオも錆びない短剣もってたな 青銅の剣か
ソレはそうと、
趙雲が夏侯一族の若造を殺して奪った剣って、
今でもあるの?
敵将を袈裟斬りに鞍まで斬り落としたっていう >>1
で、どれが本物なんだ?
鑑定団で見てもらえよ。 呉越同舟太伯裔扱いされてたこともあるよな倭人
もっとも媽祖より天照大御神の方が古いが。 本当に春秋戦国時代のものなんだろうか
せいぜい清代のもののように見えるが >>38
周処将軍のベルトのバックルにアルミが使われてたってのは
実は別のとこから紛れ込んでたアルミだったとか
周処は四世紀で、三国志の後の人
>>39
青紅剣は演義しか出てこないので、恐らく架空
そもそも切られた夏候恩って奴が正史に出てこない 秦には、鉄製兵器はほとんどない
戦国時时六国都已経配備了鉄剣,為何秦国仍然用青銅剣吞并諸国
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1619651811256143372&wfr=spider&for=pc
第一に、鉄鉱石は銅鉱山よりもはるかに豊富ですが、当時は鉄鉱石の品質が悪すぎて
精製が難しかったため、大量生産にはある程度の時間がかかりました。
銅鉱石は単純な世界よりも本質的にはるかに一般的であり、精製および採掘することは
それほど困難ではなく、より成熟しています。 さらに、秦国は宜陽鉄山のような自然の
宝物を見つけることができなかったので、青銅の刀を使い続ける最後の手段です。
第二に、秦国の青銅器製造技術は山東6カ国をはるかに上回って本格化しているからです。
春秋に有名な越王剣や呉王夫差剣、戦国時代に六国の遺跡で発見された青銅刀など、
長さは50〜60 cmに過ぎず、60 cmが青銅刀の長さの限界と思われます。
さもなければ、容易な曲げや折れを避けるために、厚さを増すことが必要であり、
そして青銅色の刀はすでに重い、それは刀の速度に影響を与えるであろう。
しかし、秦嶺で見つかった青銅色の刀の長さは約90 cmで、これは通常の青銅色の刀より
はるかに長いです。1インチの長さと1インチの強い、6カ国と戦うために、秦州は当然の
ことながら利用します。
さらに、秦国銅剣はほとんど鉛を持っていません。これは6カ国の高鉛銅剣とは全く対照的です。
しかし、秦州の青銅刀の銅と錫の割合はちょうどよく、特に表面の錫の割合は40%と非常に
高く、硬くて丈夫です。
第三に、これはまた秦軍の戦闘スタイルに関連しています。秦国は、彼らの国のための
彼らの基盤としての法家を頼りにしています。彼らは耕作戦争に報いて、戦闘で勇気を
強調します。秦始皇帝陵の兵馬俑テラコッタ戦士と馬にはヘルメットがなく、呂不韋は
秦軍をより柔軟にするための戦略として「兜を滑らせて鎧を放棄する」という戦略を用いた。
戦略をリードし、士気に優れ、そしてシステムで保証された、青銅の刀は他の国々よりも
製造において強く、そして当然のことながら心の中で新しい武器に抵抗します。 >>19
まだ薪の上で寝る人の方がまともな気がするw
毎日舐めてた肝って、カビ生えたり腐ったりしないのかしらん? 同時期のジャップはドングリ食べてたなんてw
同じ人間とは思えないw >>50
六大将軍の更に前の話
伝説の上を行く伝説 勾践を題材にして桜の木に漢詩を書き後醍醐天皇を勇気づけた児島高徳の
太平記での挿話は戦前忠義とか愛国の話として国語や修身、唱歌など国定
教科書に取り上げられ舞台となった院庄(いんのしょう)と近くの津山という
都会は全国的に有名になった。鉄道唱歌山陽編では沿線でもないのに津山が
歌詞に出てくる(沿線である倉敷は出てこない)。津山事件はこういう時期に
発生したから近くの有名な津山という地名を冠したのも当然といえる。
グァム島から横井庄一氏が帰還したとき、皇居前でこの漢詩を詠んだが意味を
知らない当時の新聞記者の多くは無視した。 ID:Tc6GlBqk0 <ドングリ
毎度おなじみウンコ ならやたかしのケンペー君でみた。
天勾践を虚しくするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず! 保存が良すぎるので怪しいとか抜かしてる奴は中国のおばさんのミイラでも見て来いw 鬼才、曾我蕭白の後醍醐天皇が敗色濃厚状態で
桜の木のしたに僅かな味方と一緒に逃げる絵は、死や絶望の予感が
あって良い。 >>60
チーズとかキュウリとか切る時に、くっつかなくて便利っぽい。 >>1
ルビの多い記事だけど肝心の「勾践剣」が読めない >>62
・歴史上の有名人の物である事が親切にも明記されている剣が見つかる
→稀にあるかもしれない
・昔の剣が錆びもせず完璧な状態で見つかる
→稀にあるかもしれない
両方を満たす発見が起きる可能性は?
と考えたら怪しいだろ
有名人のミイラが超綺麗な状態で見つかる可能性を考えてみろ >>61
横レスだけどこの始皇帝の時代=日本は縄文が終わりつつあり弥生に移行した時期
だから主食はまだ栗やどんぐりだよ
これより後の三国志でやっと卑弥呼 尼子三傑の1人 山中鹿之助は、薪の上に寝たり肝を舐めるような
エキセントリックなパフォーマンスに走らず、ただ
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った。
そして、残りの人生をすべて戦いの中で過ごして果てた。
やっぱコレだよね。 >>71
始皇帝の墓が見つかって
さらに大量の兵馬俑どことか埋葬のための地下神殿、本当だった地下の水銀
大量の埋葬品、埋葬された神殿や兵馬俑の併設のエリアを含めたら仁徳天皇陵の数十倍で
都市がまるごと入るの大きさ
そこら辺が事実だった事の凄さに比べたらこの剣くらいたいした事ないよ ギャラリーフェイクでやってなかった?
錆だらけの金メッキ剣を綺麗にするのに、ナプキンの吸収剤に錆溶かす薬品すわして、それでタンポンしてたやつ
サラの恥ずかしそうな顔にチンコビンビン どんぐり食って貝塚つくってわけわからん土器つくって大麻吸って乱交パーティの方が楽しいよ >>75
始皇帝関連でとんでもない発見があったから
その他の発見も全部本物で間違いないってのは奇妙な論理だよ >>73
徐福のはなしのこううんりゅうすいは面白かったけど・・・ >>12
三種の神器は複数の酋長が所持してた記録があるから当時ではポピュラーな三点セットだったぽい きれいなお姉さんにコマされて滅亡したんやな
なんておねえさんやったっけ?
>>25
東周英雄伝って漫画でも読んだな〜 伍子胥も >>91
ちゃうわ
越が呉を滅ぼしたんやな 恥ずかしい限り
呉王夫差が自分の家臣の伍子胥を殺したんですな
西施か 美人の名前は
この頃すぐ調べられるね。。 紀元前496年、越の允常が逝去すると、太子勾践が後を継いだ。
宿敵の允常の訃報を聞いた呉王闔閭は喪中に服した越を滅ぼすべく大軍を率いて攻め込んだ。
しかし、欈李(現在の浙江省嘉興市海寧市)で、范蠡の奇策によって呉軍は大敗し、越の武将霊姑孚が放った矢で片足を負傷した闔閭はこれが原因で破傷風に罹り陣没する。代わって太子の夫差が呉王として即位した。
夫差は、伍子胥の補佐を得て呉を建て直し、越に攻め込んで今度は越を滅亡寸前までに追い詰めた。
勾践は范蠡の進言に従って夫差に和を請い、夫差は伍子胥の猛烈な反対を押し切ってこれを受け入れた。
勾践は呉に赴き夫差の召し使いとして仕えることになったが、范蠡の工作により程なくして越に戻ることになった。
勾践はこのときの悔しさを忘れず(「会稽の恥」)、部屋に苦い肝を吊るして毎日のようにそれを舐めて呉に対する復讐を誓った。
越は着々と国力を蓄え、夫差が中原の会盟に出かけたときを狙って呉に攻め込んだ。
呉の太子友は斬られ、夫差は慌てて呉へ引き返してきたが、これより4年後に呉は越に滅ぼされることになる。
呉を滅ぼし覇者となった勾践は讒言を信じるようになり腹心の范蠡が去り文種を自殺させたりと越を衰退させる結果となった。 >>16 の続き
呉には超有名な兵法家の孫子(孫武)がいたんや
孫子がいる間は無敵
だが下野すると陰りがでてきて滅ぶ >>95
すばらしい 蘇ってくるわ
いまから物置行って本探してこよかな
呉王闔閭やな しかし漢字変換もすごいね 「ふさ」だろうが「こうりょ」だろうが
ちゃんと入ってるんやな〜 初めてですわそういう名前を打ち込んだのは >>1
勾践剣の起源は韓国の英雄コウ・センケンだから韓国に返還スルニダ 呉越同舟の越か。
日本の越前、越中、越後は中国の越と何か関係があるのだろうか。 青錆びてないのが凄い
日本の古墳出土の銅剣は、すべて青だし
青錆びない青銅技術は、ロストテクノロジーなんだろう >>94
劉邦も建国後にキチガイ発症して
功臣殺しまくるし、あいつらこんなんばかりだな >>81
いや始皇帝のクロムメッキ剣の時もそうだけど
アルカリの土壌などの要因も強い
この古墳から発掘された他の遺物も錆びが少ない事から土壌が金属の保存に味方した
尚且つ綺麗に見せるために必死こいて加工した硫黄他が味方した
ちな、この剣も始皇帝のクロムメッキ剣と呼ばれる奴も世界中どの考古学者も偽物と言う人はいない
錆びずに見つかったのが幸運なだけで
この時代このくらいの装飾は作れていた 軒轅剣って中華アニメに出てたのと似てるけど同じ物?モデルかな 呉王も越王も臥薪嘗胆しないと復讐の心を保てなかったんだよね
人のいい東南アジア系だし
復讐鬼伍子胥にそんな必要はないし范蠡は金勘定で中原を値踏みする国際金融資本だし
ホントチャイナは地獄だぜ 自作用剣ってどういう意味?
まさか王様が自作したわけじゃあるまい。 >>99
日本の場合土壌や気候が保存に向いていないので錆びが多いのはしゃーない
あと古墳を森にしておけば保全って思ってるから古墳が木の根でボロボロに破壊されているケースも多い
大木の根は上に伸びる以上に深く深く遺跡を破壊する
破壊され木の根で掻き回された埋葬品はさらに劣化する >>101
石平さん曰く、チャイナは宗族(先祖を同じくする一族)だって。
劉邦の皇后呂妃、外戚一族が韓信や忠臣殺だよね。
張良の身のこなしはさすが。陳平も呂皇后が死ぬ迄、面従腹背で潜んで呂一族外戚排除したのはさすが。 >>15
そうなる前にトンズラ決めたハンレイは神
しかも自分の愛人をあてがってたんだよな >>101
江戸幕府も序盤で有力大名お取り潰ししてたじゃん。
戦乱終わったら戦争得意な奴らは粛清すべきなんだよ。 >>109
本物
これを偽物呼ばわりする学者は世界中どこにもいない
もう年代の測定はされてるしね
保存状態が極めていいだけであの時代これくらいもものは作っていたし
同じような剣はあちこちで出土している やたらキラキラしているように見えるけど
青銅の剣は元々キラキラしてるもんで
渋く錆びているのは元の姿じゃないんだよな これ確か動かしたらいけなかったと思ったけど大丈夫なんかな 表面の潜像みたいな加工は光?
本体の加工だとしたら素晴らしい装飾だな 中国って偽物がメチャクチャ多いが凄い本物もある
属国のチョンには偽物しかない Wikipediaにこんなことが書いてあったよ。
>1994年、文化交流展の一環としてシンガポールへ貸し出し中に、作業員が誤ってケースにぶつけ7oの亀裂が入ってしまった。
>それ以来、中国は剣を国外に持ち出すことを認めず、2013年には公式に国外展示禁止の中国文化遺産リストに登録した。
そんなもろい剣が
2000年以上もピカピカの状態で
残っていたんだね 越前、越中、越後
日本で越のつく国は
中国の越の子孫が多い地域だからと
武田鉄矢が言ってた >>1
勾践ってうんこが大好物の変態だろ?
剣まで臭ってきそうでやだな⋯ >>106
古墳なんかは、天皇陵も含めて、定期的に伐採&草刈りして、芝生のような草地にしておくのが一番マシなんだろうねえ。
ただ考古学者、あいつらはアカン。あいつらに手出しさせてはいけない。
すぐに調査と称する盗掘をはじめ、遺体をほじくり返した挙げ句、火葬してしまう。
ほじくりかえされ挙げ句灰にされたら、永久に情報が失われるのだが、
あいつらにとっては、自分の論文作成のほうが重要だと思っていやがる。 >>11
>>14
>>20
なんでこの保存状態で残ってんだ?
ほんとに紀元前からのオリジナルか? >>120
地中深くで密閉状態だったからだよ
紀元前の兵馬俑掘ってすぐは色鮮やかでしばらくすると空気に触れた衝動で色禿げる事が有名だろう
そのくらい地中ってのは条件が整えばいい保存空間になる
高音多湿で水源が豊かな日本だと想像もできないかもしれないけど >>129
らしいね
ちなみに
同墓からは、碑文が無く、60.6センチほど長いが似たような剣が発掘され、現在は中国国家博物館に収蔵されている。イギリス大英博物館に似たような剣が収蔵されてるが、そちらは腐食が進んでいる[ >>126
当然測定済みで分析済み
>>125
最近はその考古学者が中心になり保全チームを作って
斜面のみ木を生やさせ直上部分は伐採すりやり方で保全している前方後円墳とかがあるよ
あとは完全に昔の形に戻し石を敷き詰め公園化
前方後円墳って土くれじゃなく本来は石を敷き詰めたピラミッドみたいになものなんだよ
そして催事を墓の上で行うという画期的な形式なので
立ち入る事も不敬でもなんでもない
方墳部分はお参りするところみたいなもんだ
自分は宮内庁の放置プレイの方がよほどあれだと思ってる
草薙の剣も不敬だと数百年、誰も中を見ずに箱に入れ放置だろう
あれ青銅だから日本の高音多湿の状態で手入れもせず密閉もせず木箱に絹の袋で放置してたら
…どうなってる事やらw 肝とか舐めたら食中毒になりそう
というかすぐ腐り宗だけど毎日鮮度の良いの用意してたんかな >>131
でも大英博物館のものも剣の紋様がわかる程度には
この時代にしては保存状態の優れているよ
越王 践剣との差は表面に硫黄で加工したかしなかったかだと思う
錆止めではなくて模様を飾るためかなにかだと思われるけど
表面加工してあるのがさらに状態を高めた 最近発見された呉王・諸樊の剣とされるもの
これは本物な感じ
>河南省で春秋末期の呉王の剣が出土
>.2019年2月2日 20:07
>【2月2日 Xinhua News】28文字の銘文が刻まれた春秋時代(紀元前8世紀〜紀元前5世紀ごろ)末期の呉王・諸樊(しょはん、Zhu Fan)の剣が先ごろ、
>河南省湯陰県にある?河東周墓地で見つかった。
>今なお鋭い切っ先を持つこの青銅の剣がなぜ呉の国(現在の江蘇省周辺)から遠く離れた中原地域(現在の河南省)で副葬されたのか、その流転の経緯が謎となっている。
>新たに出土した呉王・諸樊の剣は、剣身と柄からなり、全長が42センチ、柄の長さが9センチある。切っ先の一部が欠けているほかはほぼ完全な保存状態だ。
http://bakangakitacchu.blog.jp/archives/15435551.html
http://livedoor.blogimg.jp/fulilin-bakan/imgs/6/2/628bb06e.jpg この剣の超装飾的な書体、大好きなんだよなあ
高校時代臨書したよ
それと曹操の墓の石牌の隷書も感動した >>1はレプリカか?
そりゃそうだよなあ
綺麗すぎる >>195
闔閭の親父の諸樊の剣かあ
夫差の矛もあるんだし、闔閭の剣か矛もあっていいよなあ
闔閭は干将・莫耶の逸話もあるし 干将・莫耶も同時代だよな。
技術が進歩し優れた武器が生まれたって事は
それだけ呉越の戦いが激しかったんだろうが。 そのうち、「習近平を皇帝にせよ」と刻まれた謎の剣が出土しそうだなw 日本人に強奪されていた中国の国宝が里帰りしたんですね
素晴らしい事です >>144
まじか!
じゃあベトナム討伐しなきゃな! なんだっけ
クロムメッキかなんかされてて錆びないんだよな
なんでそんな技術があったのか不明とか >>151
始皇帝の方はクロムでなく漆の塗装に重金属の多い土壌成分が働き奇跡的に残ったと解明されている
英文で発表されたため漆=ラッカーという単語を使っており
これを持って日本では偽物だったとする人がいるけど
研究結果では本物で漆と土壌のコラボ
こちらの越王勾践剣は模様を描くために使われた硫黄がコーティングになっている
硫黄コーティングと密閉された土壌のコラボ
ちなみに写真は綺麗に写しているけど
裏面や柄本など見ると相応にボロボロ
特に継いて作ってある黄色い刃先は過去の展示で7ミリほど欠けるほど強度がない ツタンカーメンの短剣(紀元前14世紀頃)
http://livedoor.blogimg.jp/nappi11/imgs/e/e/ee7d9a7e.jpg
鉄と10%のニッケルnickel、0.6%のコバルトcobaltを含む合金)隕鉄 >>1
バブルガムだからピカピカだな、作る人は有毒ガスで大変だけど >>21
>自作用剣
自作PCみたいな感覚で読んじゃいそうだが
自ら用剣を作す、とか読み下すのかね 製法が製法なんで末代まで呪ってやるわ祟ってやるわって所有者は変死するやつだっけ >>153
>硫黄のコーティング
硫化処理とか言うやつだな。
偶然か意図的にか、保存処理となる技法が使われてたわけだ。
中国の豪族の墓は粘土をつき固めてやたら密閉度が高く作るらしいな。
それが遺物の保存に有利に作用するんだろう。
始皇帝の墓も遺物はほとんど残ってるじゃないか?
本当に誰か掘らないもんかなー。死ぬ前に一度見たいもんだ。 >1994年、文化交流展の一環としてシンガポールへ貸し出し中に、作業員が誤ってケースにぶつけ7oの亀裂が入ってしまった。それ以来、中国は剣を国外に持ち出すことを認めず、2013年には公式に国外展示禁止の中国文化遺産リスト(英語版)に登録した。
シンガポール人の馬鹿
でも日本でも大阪で秦の兵馬俑が展示中に男によって倒されて破損した事件があった
>日本では1983年、大阪城築城400年まつり特別展示「中国秦・兵馬俑展」で、男が兵馬俑を押し倒して壊し、器物損壊容疑で逮捕されるという事件が起きている。事件を受け、日本の外務省は中国大使館に謝罪し、日本は中国側に賠償したという。
大阪土人の民度の低さは異常 修復屋さんがピカピカに削ってしまって、
製造工程が分からなくなった金属器も多いから、研ぎすぎた刀剣は嬉しくない 今更キングダムにハマった私にはタイムリーな話題w少々時代が違うけど 復元したレプリカじゃなくてモノホンか?
青銅は錆びなければ黄金色の配合もあるが 熱田神宮に保管されている草薙剣は白銅製という説があるね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています