犠牲者の最後

最期の様子も明かした。らせん階段近くの2階の作業机にいた
幸恵さんは、火災と同時に窓際に逃げたとみられ「幸恵も含めて、
窓際には遺体が折り重ねるように何体もあったと」。
兵庫県加古川市の伸一さんの自宅。警察から聞いた当時の状況を
説明するために、伸一さんは紙にシャープペンシルで図を描いた。

持つ手は震えた。それでも紙に書いた、らせん階段の○印を指し
「ここからあの噴煙がぶわっと回ってきた。一瞬のうちやったんやな。
でも、幸恵は愛用のバッグは肩にかけて逃げていた。バッグを
肩にかけるまでは意識はあった。窓際まではちょっとの距離…。
苦しかったと思う」。

検案書が完成しておらず、この日は幸恵さんと対面はできなかった。
遺留品としてバッグなどを受け取った。銀行の通帳、化粧品、
財布などが入っていた。財布には2000円札が2枚、1000円札が
48枚もあった。消火活動でぬれた1000円札を手にとった伸一さん
は「どこかに遊びに行く予定でもあったのかな…」と唇をかみしめた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190725-07250943-nksports-soci