https://www.j-cast.com/2019/07/27363699.html?p=all

アニメ制作会社「京都アニメーション」放火殺人事件を受けて寄せたコラム記事が物議を醸している純丘曜彰(すみおか・てるあき)
大阪芸術大学教授が2019年7月26日、J-CASTニュースの取材に応じ、コラムで京アニのことを指したものだとしてインターネット上の
批判を集めた「麻薬の売人以下」との表現について、「これは京アニのことではない」と反論した。

京アニ作品に限らず長年のアニメファンであり、アニメが研究対象でもある純丘氏は、放火事件を「心の底から悲しんでいる」と心境を明かす。
ただ、自身が書いた記事については「文章が下手で申し訳なかった。誤解されるだろうと思う」と反省を口にした。真意はどこにあったのか。

■公開と削除を繰り返し...

純丘氏をめぐっては、南青山インサイト(東京都港区)が運営するウェブメディア「インサイトナウ」へ21日に寄稿したコラムが「炎上」状態にある。
「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」のタイトルで長さは約3000字。特に問題となったのは最終盤のこの段落だ。

「いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまた
その夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、
ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を
示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う」(以下、「当該段落」)

コラム中盤では、京アニの特徴を説明するにあたり、

「京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ」
「京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった」
「そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ」

と、当該段落とも共通するワードを用いている。タイトルも「京アニ放火事件の土壌」。そのため、同段落では京アニの名前こそ
明記していないものの、ツイッターでは「多くのクリエーターを殺された京アニを『麻薬の売人以下』とこき下ろした」
「京アニを麻薬の売人以下だと侮蔑している」など、「麻薬の売人以下=京アニ」と認識され批判が殺到した。

コラムは24日に削除、同日中に「京アニ」の言葉を省いた形で大幅に短縮・再構成のうえ再度公開されたが、25日までにこれも削除。
同時にサイトトップには謝罪文が掲載されるという慌ただしい展開をたどった。

純丘氏はなぜこのような論考を書いたのか。J-CASTニュースの取材に「文章が下手で申し訳なかったと思っています。
改めて読むと書き方が悪いです。誤解される文章だと思う」と表現の至らなさを認めつつ、強調したのは「『麻薬の売人以下』は
京アニのことを言ったものではありません」ということだった。

■「そもそもこの比喩の主語に『京アニが』とは書いていません」

「そもそもこの比喩の主語に『京アニが』とは書いていません」と前置きする純岡氏は、「麻薬の売人以下」なのは、
あくまでその前に書かれている「いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に
搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどという(人々)」のことであり、ここに京アニは含まれないと説明する。

では何を念頭に置いているかというと、コラムの最序盤、字数にして2000字以上前の段落に登場する「アニメの製作ノウハウはあっても、
資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化」しているアニメ制作スタジオのことだという。

「関連グッズを売るためにアニメを作れ、という広告代理店やテレビ局があるわけです。アニメ制作費をペイさせるため、
物販を抱き合わせるのが定着してしまっている。アニメの内容にまで介入される。グッズが売れればいいとでも言うように、
同じような作品を作り続ける。それは制作側にとって本末転倒であり、アニメ本来の在り方ではありません。おもちゃを売れと、
テレビの放送スケジュールを埋めろと、そういう体制の中でいわゆる作画崩壊アニメなどもつくられる。

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1が建った時刻:2019/07/28(日) 09:25:03.38